第2話
1.その恋に敗北する全ての愛

早い物で、私達はもう年長さんになっていた。
卒業も間近で…こんなにもあっという間に時が過ぎたのは、海砂の傍にいたからだろう。
最初こそお互いちゃんづけで呼び合っていたけど、仲が深まるにつれて、お互いくだけるようになっていた。

「ねーほんと最悪なんだけど!あれ、ぜったいミサのせいじゃなくない!?」

帰りの幼稚園バスの中で、ミサは怒り新党といった様子で腕を組み、頬を膨らませていた。

「…確かに、ミサのせいでは…ないね」
「でしょー!?とばっちりだって!なんでミサが怒られなきゃならないのよ」

…強いて言うなら、ミサが可愛すぎるせいかな…なんて思うのは、幼馴染贔屓すぎるだろうか。
事の発端は、隣の組の男の子が、ミサを好きになった事。
海砂を可愛いと思うのは私だけじゃなくて、女子でさえその容姿が整ってる事を認めてる。
「海砂ちゃんってほんとかわいいね」なんて何百回も言われてて、海砂は自分の容姿が飛び抜けている事を、幼くとももう自覚していた。
…そして、その海砂のかわいさにやられた例の男の子には…既に彼女がいた。それが問題だったのだ。

…彼女。5歳児にして、もう彼女かあ…。とにかく、まあ、そういう早熟な子たちがいて。
つまりは…典型的なあれだ。
「この泥棒猫!」と言って、彼女ちゃんが海砂にキレてしまったのだ。しかも、平手打ちまでして。
園内、遊具の前で私はその昼ドラのような光景を間近で見守って、ぽかんと開いた口がふさがらなかった。

「でも、海砂…暴力に暴力で返したらだめだよ」
「なによ。海砂に泣き寝入りしろっての?」
「そうじゃなくて…いくら海砂がとばっちりを受けたからって、手を出しちゃったら…海砂も悪かったって事になっちゃうよ。おあいこだねって」
「…げ…それ最悪なんだけど」
「でしょ?だから大人になるの」

負けず嫌いの海砂は、素直に「わかった…今度から海砂やり返さない」と言ってくれた。
けれど海砂はこの年にしては弁も立つし知恵も回る。
だから、多分殴られたら、殴る以外のやり方で上手くやり返すのだと思う。
絶対に「おあいこ」なんて他者に言われないやり方で、立ち回るはず。

「…海砂がかわいすぎて、私心配」

思わずため息がもれた。いつまで海砂は上手く立ち回る事が出来るだろう。
海砂は確かに品行方正ないい子とは言わないけど、物凄く悪い事をしたりはしない。
年相応のかわいい悪戯くらいだ。でも美人なせいで、こうしてやっかまれて、喧嘩に巻き込まれる。
そして、なまじ負けん気が強いばかりにやり返してしまうから、いつも問題が大きくなるのだ。
春になって、小学生に上がっても…中学校に上がっても。
いや、きっと一生涯、海砂はこういうやっかみを受けて生きるのだろう。
でも、当事者である海砂はあっけらかんとしていた。

「なにそれ。それ言うなら、だってかわいいじゃん」
「…もう。お世辞なんて言わなくてもいいんだよ?」
「海砂お世辞とか言えないし。に告白したいって思ってる男子たくさんいるよ?なんで気付かないの?」
「…それはうそだ」
「あ!ミサをウソつき呼ばわりした!」

海砂は頬を膨らませて拗ねてしまった。
海砂は確かに、変に気を使って媚びを売ったりしない。
海砂の目には、私はかわいく見えてるんだろう。…そうは言っても、ちっちゃい子って総じてかわいいしなぁ…。
…本当に海砂の言う通り私が美形に生まれているのだとしたら、それを上回るくらい海砂が可愛すぎて、霞んで見えてしまってるのだろう。
だから私は今世の自分の顔が整ってるとは思えない。至極普通の、平均的な顔立ちをしていると思う。

上手にやるから、男子たちみんな近づけないんだよね」
「上手に…?」
、海砂以外に親友いないでしょ」
「…そうだけど」

男の子の話から発展して、いきなり友達がいないと言われてびっくりしてしまった。


「だからー。なんか…えーと…壁?みたいなのがあって、近づけない…てきな?」

さすがに五歳児の語彙力では、複雑な人間関係の機微を上手く説明できないみたいで、
たどたどしい説明になっていた。
でも、十分に言いたい事は伝わったので、頷いておいた。

「海砂は壁ないもんね。人類みんな友達って感じ」
「あは。確かに海砂友達多いけどー、でもが一番だからね!親友!」


海砂が笑顔になると、つい魅入ってしまう。そしてつられて、私の顔も綻ぶ。
かわいいなあって、和んだ気持ちになる。

──三月末。卒園式を済ませて、四月に小学生になった。

海砂の言葉は真実で、私達は親友として、いつでもどこでも一緒に過ごした。
海砂が大事な話をする相手は、いつだって私だった。
恋の相談する相手も、誰にも言えない秘密の共有をする相手も、いつも私だけ。
確かに覚えた優越感。容姿も性格も、かわいく育ったミサを誇らしく思う親心みたいなもの。
──アイドルを崇拝するように、見惚れる気持ち。

海砂の姉になったかなような、家族愛。
ありとあらゆる感情を海砂に対して抱きながら、私たちはどんどん大人になっていった。
幼稚園の頃からそうだったけど…小学生になると海砂はオシャレに殊更関心を持って、いつでも可愛い恰好をしていた。

、ほんと髪いじるの上手だよねー。海砂こんなに綺麗に編み込みできないし」
「えと…海砂のために練習したんだ」
「なにそれ。自分のためじゃないの?」

海砂がおかしそうに笑ったのを見ながら、曖昧に笑って流す。
放課後。海砂の部屋で着せ替えごっこをしたり、ヘアアレンジをしたりして遊んでいた。
私のバリエーションは豊富で、技術も優れているのは、一重に前世での備蓄のおかげだ。
いくら海砂相手でも本当の事は言えず、適当な言い訳をしてごまかした。


「あー、海砂東京いきたいなー。かわいい服たくさん売ってるだろうし」
「じゃあお小遣い、いっぱいためいおかないとね」

オシャレ好きな海砂は小学5年生になる頃にはもう東京に憧れていて、定期的に焦がれる言葉をもらしていた。
そして、中学校上がった頃には、その憧れの内容が少し変わってくる。

「ねー!海砂も原宿いきたいよー!下北もいいけどさー。」

下校中。2人で帰路につきながら、海砂と他愛ない会話をしていた。
そんな中で、海砂がそんな風にため息をついた。
漠然と"東京"に憧れていた海砂は、今はとりわけこの二つの地区に惹かれているようだ。
どうしてピンポイントでその二つを示したのか分からず、首を傾げてしまった。

「?どうして…?渋谷とかじゃなくて、原宿下北がいいの?」
「うん。だってあそこってゴスロリの聖地なんでしょ?」
「…ゴスロリ…」

なんだか懐かしい響きだ。20XX年にもゴスロリは普及していて、流行のピークは過ぎたものの、一定の人達が好んで纏っていた。
着物を普段着にして楽しむ人がいるのと同じように、ゴスロリも確かな文化として根付いていたのだ。
けれど爆発的に人気に火がついたのは、確かに1990年代辺り…だったかも。
前世の私は漫画好きだったから、ゴスロリチックな服を着ているキャラを可愛いと思ってた。
そのせいで、少しくらいの知識はある。
でも、実際に自分が着たいと思ったことはなくて、リアルな事情には疎い方だろう。


「ねえ、今度二人で東京いこーよ」
「いいけど…お母さんたち許してくれるかなぁ…」
「まだ早いって言われても、絶対ミサごねてやる!」

海砂が拳を握って決意する姿をみて、くすくすと笑ってしまった。
海砂の強烈な説得の甲斐あって、中学三年生になる頃には東京行きを許された。
ただし…高校受験が終わってからという条件つきだ。
憧れの地にいけるということであればと、海砂はこれまでにないほど真面目に勉強に取り組んだ。
でも時々泣き言も言う。今日は私の部屋で勉強会を開いて、折りたたみ式の机に向かい合いあっていた。


「なんではそんなに頭いいわけ?ずっと一緒にいておんなじことして、何が違うのよ」
「えと…海砂に教えるために、勉強頑張ったの」
「はあ?またそれー?」

前世のせいで優れている事が露呈する度、何でもかんでも海砂を言訳に使った。
その度、疑わしいと言いたげに胡乱げにみる海砂だけど、満更でもない様子だった。
たった一人の親友に大事にされているという事実が嬉しいと、そのとろけるような笑みから伝わってくる。
その笑顔がかわいくて、私は海砂のお願いはなんでも聞いてしまうし、世話を焼いてしまう。
海砂は実のお姉さんが居る事もあって、完全な末っ子体質だ。
誰かに世話される事が嫌いじゃなく、反発心も抱かない。


「あー。海砂みたいな彼氏がほしーなー」
「…私みたいな?」
「そう。海砂にだけとびきり甘くて、とびきり優しくて、なんでも受け入れてくれてー。可愛がってくれて」

すすっと近づいてきて、海砂は私の腕を取って絡めて、頬ずりしてきた。

が男だったらいいのにって、何度思ったか!」


腕を組む海砂のスキンシップは、女同士のソレでしかない。
私は海砂に対してありとあらゆる感情を抱いてる。
私は海砂の親友であり、姉のような存在であり、親のようでもあって、時には教師にもなる。
親愛、友愛、家族愛。なんでも抱いた。
でも、まだ一つだけ抱いた事のない感情がある。それが──恋心だった。


2025.11.15