第九話
1.日常─後輩指導
「オイ真波。どういうつもりだ」
言うと、当の本人はきょとんと瞬かせていた。
低い声を出す俺の傍では、東堂が目を光らせている。東堂は必然的に真波の面倒を見る立ち位置にいる上に、俺が真波に対して別段いい思いを抱いていないし、扱いが上手い訳でもない事を分かっている。
まァいい思いを抱いてる相手なんて福チャン以外そういない。けれどそんな事を言ってもきりがない、割愛。
共通の知り合いがいるために介入する事を与儀なくされた俺の介助に、いつからか東堂も回るようになっていた。
「えーと、どういうって、なにが?」
「一年レギュラーが女子を詰って回ってるって噂流てんだけどォ?」
「やー、身に覚えがないんですけどねえ」
「ウソつけよ!!散々ヤっときやがって!!!」
飄々としている不思議一年坊主に喝を入れた。
無関係の一年達が俺の怒声にビクリと肩を震わせているのが横目に見える。怖がられるのは慣れっこだった。
しかし真波本人は意に介した様子はない。周りをビビらせるのを喜んでいる訳じゃないけど、今に限ってはビビってくれた方が有難い話だ。
吐き出す息が、怒りで熱くなっているのが感じられる。
東堂も動じた様子はなく、ただじっと真波を見て、淡々と語る。
「実際がどうあれ、そういう噂が出回った事は事実だ。根もあるのか葉もなのかしらんが…少なくとも幼馴染一人に対しては当たりがきついのは見ているからな」
「それ、の事言ってます?」
「それ以外に心当たりあんのか」
「うーん、ないですけど」
へえーとどこか要領の得ない、他人事のように相槌を打っていた。とことん緩いやつだ。
部活終わり、室内掃除をしようと各自が動き回る中、呼び止められた真波はジャージのままぼんやり受け答えしていた。
「お前、いつもそんな緩々してんのにヨ、なんでアイツん時だけああなんだよ。別にアイツ神経逆なでするようなヤツじゃないだろ」
そんな誇張された噂が出回るようになる程に舌戦を繰り広げるなんて、正気の沙汰ではない。
真波は知ったような口をきいた俺に不思議そうに首を傾げていたが、しばらくすると得心がいった様子だった。
床を拭いたい部員が邪魔そうに見えてるのに気が付き、真波の背を押しながら、余所と比べると随分広い部室内を移動した。
「あー、荒北さんとって知り合いなんですっけ。なんか仲いいですよね。友達?」
「知り合いっつーか…友達でもねェけど、まァ」
ここで仲なんてよくないと否定するほど意地悪くはない。だからと言って仲が良いと素直に頷くような根性もしていない、曖昧に肯定した。
歩きながら、濁した俺とは反対に、東堂は饒舌に語り出す。
「見た所普通のかわいい女子だったぞ。幼馴染の女子二人もはべらせて何が不満なんだ!!」
「あれ、東堂さん委員長のことも知ってたんだっけ?」
「お前…手ェはえーな」
「変なことを言うな!困ってる女子を手伝っただけだろうが!!下心などない!!」
「いやしらねェし」
現場を知らないのにそんな事を語られても答えようがない。もしも知っていた所で、その熱弁にはあまり同調したくはなかった。
背中を押して更衣室に追いやった真波は手早く着替え終わり、バタンとロッカーを閉めた。
「神経逆なでしてきますによ、ふつーに」
「ウソだろ。普通だって」
真波は東堂のペースにも呑まれる事なく、きょとんとしながら不思議そうに言う。
まるで信じられない。けれど、珍しく顰め面をしてるコイツがデタラメな嘘を言っているとも思えない。
「存在そのものに苛々させられますって」
「…お前いつか幼馴染殺しそうだよなァ…」
存在を根本から全否定しやがった。法螺話だと断じきる事ももなく、とりあえず話し半分で聞いていた所、爆弾を落されてひくりと口元が引きつるのがわかる。
「冗談やめてくださいよ。殺したら意味ないし」
「意味あんなら殺すのかよ、コエーなお前」
「だって、ただでさえ最近弱り気味なのに…」
「…ああー」
真波を呼び止めた俺達はもうとっくに着替え終わっていて、この後にあるミーティングが始まるのを待つばかりだった。
他のレギュラーは部とは関係のない役回りに追われて、俺達二人には待機時間が出来ている。
他愛ない話に付き合う暇は十分あって、つい深堀してしまった。
「そう苛々するな。余裕ない男はモテないぞ」
「してるんじゃないです。させられてるんですって」
「お前…ガキかヨ!!」
とんでもなく身勝手な言い分だ。俺も東堂も自然と呆れた声を出ていた。
うーんと口元に手をやって少し考えた真波は、思いついたように顔を上げると、俺達に問いかける。
「じゃあ、苛立ちってどうしてわくんだと思いますか」
「あ?」
「なんか、影響力ある人っているでしょ?」
「…影響力?」
文脈おかしい。頭の中で前後が繋がらず、言ってる意味がパッと理解が出来なくて、気の抜けた声が出た。
真波はそんな俺達におかまいなしで話を続けていく。
「癪に障ったとか、神経逆なでされるとか、そういうの全部、相手が触ってくるからそうなるんです」
「いや少しは我慢しろ!お前は動物か、お前の理性は飾りか!」
ペシリと真波の頭を叩いたのは東堂だった。
俺もカリカリしていた時期があったから、腹の立つ云々に関してはあまり言えない。
室内に設置された椅子に腰かけ、俺はつい脱力した。
叩かれた頭を押さえながら、子供のように拗ねた顔をしながら真波は弁解した。
「だって、は影響力ありすぎるんですよ。少なくとも俺にとっては。そこに立ってるだけで影響されちゃうから」
「…そんなにか」
「はい」
東堂が問うと、いつもと変わらない緩々した笑みを湛えながら、けれどしっかりと頷いた。
がここ一週間ほど姿をみせなくなったのを知っている。
昼休みにばったり顔を合わせることもあったし、貧血を起こしてたアイツを見つけて保健室に連れていったこともあったし、休日街中でばったり出くわす事もあった。>の話は又聞きして耳にも届いていた。
それがパッタリと途絶えたのだ。
打って変ってピリピリしだした不思議チャンを見て、相当具合が悪いのだろうと察する。
どこか図太く、ある意味冷静なと対面すれば、弱くて儚い…なんて印象は抱かない。
あれで肝が据わってる。憔悴する姿は想像できなかったけど、幼馴染のコイツはソレを目の当たりにしてきたのだろう。重みが違った。東堂はポンと肩に手を置いて、気張りすぎるなと言うだけに留まった。下手に干渉出来る部分ではないだろうと思う。腫物を触るようにせざるを得ない。
しかし、インハイが目前に迫る今、真波に張りつめられて、終いには走れないと言われても困る。
こいつが渡されたジャージはただの薄い布地だというのに、その見かけに反して重たいのだ。
その重責にも幼馴染に纏わる焦燥にも潰されないように、軽い調子で声掛けする他ない。
前者に関しては、プレッシャーなんて縁のなさそうなこいつだ、大丈夫なんだろう。
むしろプレッシャーに感じなさすぎて、ちゃんと仕事をするのか、俺は怪訝に思っているくらいだった。
大丈夫じゃないのは焦燥を抱えた真波でも誰でもなく、の方だったのだとこの数日後知ら占められる事になる。
1.日常─後輩指導
「オイ真波。どういうつもりだ」
言うと、当の本人はきょとんと瞬かせていた。
低い声を出す俺の傍では、東堂が目を光らせている。東堂は必然的に真波の面倒を見る立ち位置にいる上に、俺が真波に対して別段いい思いを抱いていないし、扱いが上手い訳でもない事を分かっている。
まァいい思いを抱いてる相手なんて福チャン以外そういない。けれどそんな事を言ってもきりがない、割愛。
共通の知り合いがいるために介入する事を与儀なくされた俺の介助に、いつからか東堂も回るようになっていた。
「えーと、どういうって、なにが?」
「一年レギュラーが女子を詰って回ってるって噂流てんだけどォ?」
「やー、身に覚えがないんですけどねえ」
「ウソつけよ!!散々ヤっときやがって!!!」
飄々としている不思議一年坊主に喝を入れた。
無関係の一年達が俺の怒声にビクリと肩を震わせているのが横目に見える。怖がられるのは慣れっこだった。
しかし真波本人は意に介した様子はない。周りをビビらせるのを喜んでいる訳じゃないけど、今に限ってはビビってくれた方が有難い話だ。
吐き出す息が、怒りで熱くなっているのが感じられる。
東堂も動じた様子はなく、ただじっと真波を見て、淡々と語る。
「実際がどうあれ、そういう噂が出回った事は事実だ。根もあるのか葉もなのかしらんが…少なくとも幼馴染一人に対しては当たりがきついのは見ているからな」
「それ、の事言ってます?」
「それ以外に心当たりあんのか」
「うーん、ないですけど」
へえーとどこか要領の得ない、他人事のように相槌を打っていた。とことん緩いやつだ。
部活終わり、室内掃除をしようと各自が動き回る中、呼び止められた真波はジャージのままぼんやり受け答えしていた。
「お前、いつもそんな緩々してんのにヨ、なんでアイツん時だけああなんだよ。別にアイツ神経逆なでするようなヤツじゃないだろ」
そんな誇張された噂が出回るようになる程に舌戦を繰り広げるなんて、正気の沙汰ではない。
真波は知ったような口をきいた俺に不思議そうに首を傾げていたが、しばらくすると得心がいった様子だった。
床を拭いたい部員が邪魔そうに見えてるのに気が付き、真波の背を押しながら、余所と比べると随分広い部室内を移動した。
「あー、荒北さんとって知り合いなんですっけ。なんか仲いいですよね。友達?」
「知り合いっつーか…友達でもねェけど、まァ」
ここで仲なんてよくないと否定するほど意地悪くはない。だからと言って仲が良いと素直に頷くような根性もしていない、曖昧に肯定した。
歩きながら、濁した俺とは反対に、東堂は饒舌に語り出す。
「見た所普通のかわいい女子だったぞ。幼馴染の女子二人もはべらせて何が不満なんだ!!」
「あれ、東堂さん委員長のことも知ってたんだっけ?」
「お前…手ェはえーな」
「変なことを言うな!困ってる女子を手伝っただけだろうが!!下心などない!!」
「いやしらねェし」
現場を知らないのにそんな事を語られても答えようがない。もしも知っていた所で、その熱弁にはあまり同調したくはなかった。
背中を押して更衣室に追いやった真波は手早く着替え終わり、バタンとロッカーを閉めた。
「神経逆なでしてきますによ、ふつーに」
「ウソだろ。普通だって」
真波は東堂のペースにも呑まれる事なく、きょとんとしながら不思議そうに言う。
まるで信じられない。けれど、珍しく顰め面をしてるコイツがデタラメな嘘を言っているとも思えない。
「存在そのものに苛々させられますって」
「…お前いつか幼馴染殺しそうだよなァ…」
存在を根本から全否定しやがった。法螺話だと断じきる事ももなく、とりあえず話し半分で聞いていた所、爆弾を落されてひくりと口元が引きつるのがわかる。
「冗談やめてくださいよ。殺したら意味ないし」
「意味あんなら殺すのかよ、コエーなお前」
「だって、ただでさえ最近弱り気味なのに…」
「…ああー」
真波を呼び止めた俺達はもうとっくに着替え終わっていて、この後にあるミーティングが始まるのを待つばかりだった。
他のレギュラーは部とは関係のない役回りに追われて、俺達二人には待機時間が出来ている。
他愛ない話に付き合う暇は十分あって、つい深堀してしまった。
「そう苛々するな。余裕ない男はモテないぞ」
「してるんじゃないです。させられてるんですって」
「お前…ガキかヨ!!」
とんでもなく身勝手な言い分だ。俺も東堂も自然と呆れた声を出ていた。
うーんと口元に手をやって少し考えた真波は、思いついたように顔を上げると、俺達に問いかける。
「じゃあ、苛立ちってどうしてわくんだと思いますか」
「あ?」
「なんか、影響力ある人っているでしょ?」
「…影響力?」
文脈おかしい。頭の中で前後が繋がらず、言ってる意味がパッと理解が出来なくて、気の抜けた声が出た。
真波はそんな俺達におかまいなしで話を続けていく。
「癪に障ったとか、神経逆なでされるとか、そういうの全部、相手が触ってくるからそうなるんです」
「いや少しは我慢しろ!お前は動物か、お前の理性は飾りか!」
ペシリと真波の頭を叩いたのは東堂だった。
俺もカリカリしていた時期があったから、腹の立つ云々に関してはあまり言えない。
室内に設置された椅子に腰かけ、俺はつい脱力した。
叩かれた頭を押さえながら、子供のように拗ねた顔をしながら真波は弁解した。
「だって、は影響力ありすぎるんですよ。少なくとも俺にとっては。そこに立ってるだけで影響されちゃうから」
「…そんなにか」
「はい」
東堂が問うと、いつもと変わらない緩々した笑みを湛えながら、けれどしっかりと頷いた。
がここ一週間ほど姿をみせなくなったのを知っている。
昼休みにばったり顔を合わせることもあったし、貧血を起こしてたアイツを見つけて保健室に連れていったこともあったし、休日街中でばったり出くわす事もあった。>の話は又聞きして耳にも届いていた。
それがパッタリと途絶えたのだ。
打って変ってピリピリしだした不思議チャンを見て、相当具合が悪いのだろうと察する。
どこか図太く、ある意味冷静なと対面すれば、弱くて儚い…なんて印象は抱かない。
あれで肝が据わってる。憔悴する姿は想像できなかったけど、幼馴染のコイツはソレを目の当たりにしてきたのだろう。重みが違った。東堂はポンと肩に手を置いて、気張りすぎるなと言うだけに留まった。下手に干渉出来る部分ではないだろうと思う。腫物を触るようにせざるを得ない。
しかし、インハイが目前に迫る今、真波に張りつめられて、終いには走れないと言われても困る。
こいつが渡されたジャージはただの薄い布地だというのに、その見かけに反して重たいのだ。
その重責にも幼馴染に纏わる焦燥にも潰されないように、軽い調子で声掛けする他ない。
前者に関しては、プレッシャーなんて縁のなさそうなこいつだ、大丈夫なんだろう。
むしろプレッシャーに感じなさすぎて、ちゃんと仕事をするのか、俺は怪訝に思っているくらいだった。
大丈夫じゃないのは焦燥を抱えた真波でも誰でもなく、の方だったのだとこの数日後知ら占められる事になる。