第八話
1.日常幼馴染の女の子


真波山岳の幼馴染だという女生徒の姿を、あれからたまに見かけるようになっていた。
学級も違えば部活動も違う。共通の知り合いがいると言っても、俺と彼女では接点の出来る共通点がほとんどない。遠目に見かける彼女は総じて具合が悪そうだ。
真波が保健室に付き添っているのも見かけたことがあったし、見知らぬ眼鏡の女子が付き添っているのもみた。
病弱だという事は聞かされていた事だし、実際傍から見ていてもいつだって彼女の印象は弱々しい。
休日、道端で喧嘩していたあの時、向かう先は病院だと言っていた。
付き添いとやらが日常茶飯事になるくらいだ。根が深いのだろう。
会話してみれば、中々気が強そうだなと面食らった物だけど。

幾度か遠目にみた三角眼鏡の持ち主。動作の邪魔になる束ねた黒髪をうざったそうにしながら、小さい体でプリントを山のように抱えている。
見かねて彼女に近づき手を差し伸べると、彼女はハッとこちらを振り返った。

「あ、ありがとうございます」と咄嗟に礼を言いながらも、突然の事に驚いている様子だった。見知らぬ男子生徒…上級生に近づかれて、動揺がすぐに抜けないようだ。
そんな彼女を眺めているうち、ふと気が付いた。

「…もしかして、真波の委員長さんか?」

見かけた事があるなとは思っていた。例のの隣を歩いている事があったのだ。
けれど名前もクラスも知らないし、後輩の友達の友達…くらいの希薄な認識しか持っていない。
そもそも、に関してだって、知っている事はそう多くない。
顔見知り程度で、会話した事など片手で数えるほどしかなかった。
けれど今、点と点が繋がって、ハッキリと何かが浮かび上がってくるような実感があった。
「委員長がプリントやれって」「委員長に呼ばれてて〜」と、何かにつけ口癖のように真波は言う。
真波はのらりくらりと交わしてしまっているようだったけど。
熱心な委員長がいたものだなと思っていたけれど、幼馴染となれば、その熱意も納得だ。
幼馴染が二人いるというのは事前に聞いていた話だけど、もう一人の方は、性別も名前も何知らない状態だった。
委員長=真波の幼馴染だというこれは、半ば当てずっぽうのような物だったけれど、当たった様子だ。

「あ、はいそう…って、いや山岳の委員長じゃありません!」
「ああ。真波のクラス委員長か、確かに妙な言い回しをしたな」

小柄な女子の腕にその荷物は重たすぎるだろう。肩代わりしようとすると、悪いですよと彼女は慌てて断ろうとする。真波に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだった。あいつなら、「え〜いいんですか〜ラッキー」とでも言うことだろう。調子のいいやつだ。
荷物を肩代わりしながら、改めて自己紹介をした。

「自転車競技部の3年、東堂だ」
「あっ!山岳…真波くんの…ええと、私は1年の宮原です」
「ああ、幼馴染というのはきみの事であっているかな?随分と世話になっているらしいな」
「は、はい…いや、世話っていうか…うん」

走りに行くと言って風のように忽然と消えてしまうのだという真波は、部活優先、学業そっちの気。
なんでもサボり魔の真波の救済措置を得るため、じきじきに交鈔してこのプリントを提出することで単位に変えてもらえる事になったというのだ、ますます手伝わない訳にはいかなかった。
世話という程の事は…と謙遜しようとして、しかしやはり世話以外の何ものでもないなと思い至ったのだろう。苦々しそうにしながら口ごもっていた。
道中、取り留めのない話を繰り返した。その中でも一番話題に上がるのはやはり共通の知り合いのことで、ほとんど話したことのない上級生相手に緊張していた彼女も、そこでは饒舌になる。ふと途中表情を陰らせながら、彼女は言い辛そうにおずおずと話し出した。

「あの…この間、部室で騒ぎを起こしたって…あの、山…真波くんと、もう一人の子が…」
「ああ、のことか?」

心当たりは一つしかない。言うと、彼女は驚いてバッと顔を上げた。

「あっそうです!やっぱり本当だったんですか!?山岳はあんな調子でべつに〜って言うだけだし、の言う事はよくわかんないし、もうあの二人ったら何しでかして来たのか心配で心配で!!何か粗相でもしましたか!?」
「そ、粗相」

あんまりにもな言い草に思わず圧された。
饒舌になった彼女からはさっきまでの遠慮がちさは消えていて、…恐らくこれが従来の気質だろう、その活発さを表に出していた。
今度は俺の方が苦く言い淀ませながら彼女に問い掛ける。

「あー…あの二人大丈夫なのか?ああ、いや、部内で何があるという訳ではないんだが。真波が奔放なのは変わらないし、あれからああなる事もない…ただ、俺個人が見てられなくなってな。なんだか危なっかしい」
「…あの二人は…なんていうか…こう」
「こう?」

廊下を暫く歩くと、突き当たりにある教室を指を指して、そこまでで良いと指示した。
その片手間に話しながら、彼女は表情に影を落しながら暫く思案する。そして適切な言葉を見つけたらしい彼女はその先を紡ぎ出す。

「幼馴染だし、腐れ縁だけど…多分戦友とか悪友ってやつなんだと思います。どこか似てるんですよね…」
「へえ。あの二人がか。見た目にはそうは思えないが」

女子の幼馴染がいるのだと言えば、羨望の的だ。それがかわいければ尚更だった。
彼女はそこそこに整った顔をしていた。絶世の美女という訳でなくとも、なんとなく目に留まる。
ただ血色の悪い肌色と、目の隈が損なわせていた。
箱学の制服を纏い翻す姿は様になっているのに、病欠が多く、本人が身に纏う機会も、周囲が目にする機会も少ない。もったいない話だ。加えて、口を開くと案外ざくざくと棘のある物を言う事もある。ある意味残念な美人というやつだった。

「私にもよく分かりきれてはいないんですけど…部活でもお互い…こう、お互い鼓舞ってしますよね…?怒鳴っても冷たくしても、でも、危なくはないんです。ちょっと意地悪だったりするけど」
「なるほど、俺達と同じという事か。青春してるな」
「そうですね。ちょっと羨ましい」

ふと溜息をつきながら、彼女は素直な感想を漏らした。どこか愁いを帯びさせた彼女は、男同士の友情には割って入れないと、一歩身を引く健気な少女のようだった。
実際はあの二人は男女であり、鼓舞し合うというのもなんだか変な話で、情緒も何もない。
けれど、血気盛んなあの様子を目の当たりにすれば、まぁあながち間違いではないと思える。
この三人の中心になって振り回しているのは真波で間違いじゃないだろう。
という女子も、真波に苦労させられているなと不憫に思ったものだった。
けれどこの宮原という女子は、それを上回る苦労をさせられているようだ。
血気盛んな幼馴染二人に翻弄された彼女は苦労人で、恐らくあの中で一番冷静で大人びていた。


2019.4.19