第五話
1.日常訪問


友達100人は無理だし、馴染むのにも時間はかかりそうだ。けれど、クラスメイト達は幸い気のいい人達ばかりだった。それなりに上手くやれているはずだ。
登校のタイミングはズレてしまったけれど、致命的な事態に陥ったという訳ではない。遅れてしまった色んな事、まだ取り返しはつく。
──けれど、こっちに関しては取り返しがつかない程、タイミングが悪かったのだろう。


「山岳」

部外者が無関係な部室に顔を出すのは気が引けた。その上、私は今までほとんど登校していなかったのだ。まだ間取りを覚えきれていない校舎内、見慣れない校庭を歩くのだけでもおぼつかないのに、活気ある運動部…自転車競技部という箱学で一際存在感を放つ一室を尋ねる事に、抵抗があった。
けれど、これは腐れ縁のためだ。仕方がないとグッと腹を括って足を踏み進め、部室の戸を叩く事になった。
それが、マズかったのだ。いらない腹を括ってしまっただろうかと、早くも後悔していた。


「……何しに来たの」

ギッと鋭い眼光を向けられて、私はため息をつきたくなった。
真波山岳という男が、私に冷たいのは今に始まった事じゃない。
終始不機嫌で、もう一人の幼なじみの彼女に向けるような、ふわふわとした緩さは見せてくれない。
原因に心当たりはありすぎるし、もうそんなのは今更の事だった。
けれど、さすがに普段はここまで酷くはないのだ。今は不機嫌も怒気も通り越して、殺気さえ感じる。
周囲の先輩、山岳と同じまだ初々しい一年生たちが、ぎょっと目を剥いているのが見渡さなくても分かった。

「…何って、用事があったから」
「用事?なんで?は走らないのに」

カチンと頭にきた。馬鹿じゃないのかと言いたくなるのをグッとこらえる。
子供じゃないんだから、普通わかるだろう。
私が部外者なのは誰の目に見ても明らかで、私が自転車なんかに乗って走らないのは明白だ。
普段も競技者以外が訪ねて来ない訳ではないだろう。
乗ってるヤツしかきちゃダメ!なんて言って、謎ルールで陣地取りをする幼児のようだと思った。


「私が来て何か困るの」
「うん、困るよ」
「なにそれ。困る理由ってなんなの?」

お互いどんどん声は低くなり、どんどん早口になって行くのが分かる。
恐らく、私の訪問だけが怒りの理由ではない。元々腹の据わりの悪い理由があったのだろう。山岳は身内に部室に来られて恥ずかしがるような性質でもないし、無意味に当たり散らす子供でもない。
ならどうして?と優しく訪ね諭そうと務めたつもりだった。けれどしょうもないダダコネを続けようとするものだから、私も沸騰してくる。
私も私で、前世がある分大人だと言いつつも、元が寛容な人間ではなかった。諭せるような教育者気質でもなんでもない。こういう時、どちらが譲る事もなく、ただ我と我がぶつかり合うのみだ。
私の手に握られているのは山岳自身の私物だ。届け物をしに来たなんて一目でわかる事だろうと思うも、虫の居所が悪くて目の前が見えなくなっている可能性もあるかもしれない。
頭では理性的に考えていても、私の口は売られた喧嘩を淡々と買っていた。

「…あ、あのー…」と、どこかから、困ったような声が上がっているのがわかった。
勿論私は口論しに来たんじゃなく、届け物をしに来たのだし、誰かを困らせにきたのでもない。明らかに私は部活動の邪魔になっている。そうと理解していても、口から飛び出てくる激情は胸の内だけに留まらなかった。

「うるさいなあ、ああもう、にはどうだっていいでしょ!」
「よくないでしょ!?勝手ばっかり言わないで!!」

問答を続けようが、どちらも一歩も引かない。
最早意地の張り合いだった。山岳と言い合いになる時、最初こそ他愛ない言い合いだったとしても、次第に感情のぶつかり合いになって、お互いがつられてどんどん激昂していく。売り言葉買い言葉に発展していくのはいつもの事だった。
睨み合いが続いて、部室の扉を塞ぐ形になってしまった。
中に入りたい部員と、ただ好奇心で覗こうとする部員の人垣が外に出来てしまったのがわかる。
私は二重の意味で後には引けなくなっていた。
一触即発、今にもお互い掴みかかろうとしていた時だ。
ばさばさと掻き分けて、こちらに近寄ってきた人物がいた。


「お前ら何やってんだ!騒いでんじゃねェよ!!」

彼は通行を邪魔して、あまつさえ声を荒らげている私の肩に手を伸ばした。
仲裁しようとして、一番手近な場所にいた私の肩を躊躇なく掴んだ。
そして私が振り返らされたその瞬間、ぎょっと彼のその細い目が見開かれる。
視線がかち合った途端「うおおお!?」と声をあげて、彼はそのまま私をぺッと投げだした。
私は無様に床に顔面から飛び込む事になり、三者三様などよめきが上がる。

「お、おま…何やってんのォ!!!?」

見紛うことは無い。仲裁しに肩を掴んできたのは、荒北さんだった。
慄く荒北さんの背後で、わなわなと同じように戦慄している、カチューシャをつけた上級生がいた。

「荒北、お前こそ何やってる!?女子に暴力はいかんだろうが!女子に!!」
「そうですよー荒北さん。何やってるんですかぁ」
「いやお前がなにやってんだって話だったろォ!?暴力振るってねェし!!」

カチューシャの彼と山岳、二者に責め立てられながら、大げさに慄いた指でこちらを指し、荒北さんが驚愕に叫ぶ。

「お前、箱学生だった訳?つーか一年かヨ!!見えねえな!!」
「なんだと思ってた…んですか」

1年も2年も3年も問わず、あらゆる目が遠巻きにこちらを見ていた。
さすがにマズいと思って、とってつけたように敬語で話すと、「さあ」ととぼけられた。
一年だとは思わなかったし、何学年だと意識した事もなかったのだろう。

荒北さんを驚かせないように、事前にここの一年生ですよと報告しておこうと思っていたのに、最悪な状態に陥った。
驚く所か、オバケでも見たかのようなリアクションを取られてしまった。

「なんでいる訳?」
「幼馴染に用があって」

言いながら緩々とした表情に戻っている山岳を指さすと、荒北さんは呆れ顔をした。

「一年坊主がヤンチャしてやがると思ったらよ…イジメてたの幼なじみかヨ!!!」
「イジメてないですって」

今度は山岳の方を勢いよくビッと指さして言うと、当の本人は緩々と否定する。

「じゃあなんだよ」
「えーと、叱咤激励?」
「見えねェからァ!!」
「おい真波…さすがに無理があると思うぞ」

三人の会話はテンポよく進み、当事者だった私は次第に置き去りになって行く。
やり取りを続け騒いでるうちに、服の上からでもわかる筋肉をつけた男が先導して、あの人垣を統制し始めるのが見えた。
上級生らしき二人の男が、その隙を見計らって手招きしているのが見え、立ち上がった私は隙間を縫うようにして部室外へと出た。
三人はそれに気が付かないまま、口論を続けているようだ。
私が立ち去れば滞りはよくなり、勝手知ったる部員達がホッとした様子で出入りしているのが横目に見え、罪悪感がじわじわと冷静を取り戻させる。

「あの、騒がせてしまってすみません…」

渦中から離れて、落ち着ける場所まで歩く。
部室の裏手にぐるりと回るだけで、人の目は避けられた。未だに騒がしくしている三人の声と、それを仲裁する複数人の声がここまで薄ら届いている。
そこでようやく、頭を下げてはじめて言葉を交わした。
こちらの声はぽつぽつと話していれば向こうには届かないだろう。

「いや、お前のせいではない」
「どっちかって言うと真波が絡んでた感じだったな。それ、届け物だろ?」

彼は首を振って否定する。それに続く様にして彼が指さしたのは、手元に抱えた山岳の忘れ物だった。
携帯電話と財布だ。命綱、貴重品を揃って忘れるなんてとんでもなく抜けている。
説明しなくとも察してくれるのは有難くて、ホッと安堵の息を漏らした。
張りつめていた糸が緩むのを感じる。
年を重ねている分、肝が据わっている方だとは思うけど、さすがの私もアレは気まずかったし、針の筵の気分だ。
邪魔をした心苦しさもあったし、口論したせいで気分はよくない。

「真波のクラスメイトかい?」
「幼馴染です。…家が隣で」
「へえ、幼馴染。なんか羨ましいな、仲がいいんだな」
「仲がいいっていうか…」

あの状況を見て言うのか。あえて皮肉っているのか、それとも天然というヤツなのか、見抜けなかった。
思わず眉を寄せ、渋顔をした私を見て、複雑そうだと察したようだ。

「荒北とも知り合いか」

金髪長身、凛々しい顔をした彼はじっとこちらを見ながら訪ねた。

「知り合い…そうですね」
「へぇ。そいつは珍しいな」
「ああ」

何を指して珍しいと言っているのかは分からないけれど、私の短い答えで二人共納得してくれたようだった。
私はそこで、手元の二つの荷物をスッと先輩方に差し出した。

「…これ。渡しておいていただけませんか。戻るとまた拗れそうで…迷惑をかけてしまってすみません」
「いいよ。渡しておく。ていうか、あー…真波がごめんな」
「いや…」

先輩としての後輩の不始末を謝ったのだろうけど、幼馴染の私に対してこう言うのもなんだかなという彼の困惑が透けてみえて、私も曖昧に苦笑する。
金髪の彼は、厳しい面もちのまま、何事か思案している様子で、暫くすると口を開いて短い問いかけをした。

「真波はいつもああか」
「いや、今日が特別なだけなんで。癇癪持ちとかじゃないから…普段通り、生意気な事言ったら扱いてやってください、遠慮なく」
「そうか」
「ヒュウ。了解」

思わぬ一面を見て危惧を抱いたのかもしれない。けれどこの一面が部活動に影響することはない。私が部活動中の山岳に近寄らなければそれで済む事なのだ。
そもそも、今回は恐らくタイミングが悪すぎたのだ。
私は迷うことなく首を横に振った。
今の私には凄みがあったのか眼力があったのか。本気が伝わったようで、どこか感心したように二人共請け負ってくれた。