第二話
1.日常─死に至る病
若くして病に倒れるなんて、珍しい話ではない。
どこにでも転がっている、誰にでも起り得る。有り触れた道筋だった。
今までが健康だったからと言って、これからもずっと大丈夫だという保証はないのだ。
どうして私が、なんて嘆いても栓は無い。そういう結末は突然訪れた。
私に覚悟を決めさせる暇も与えず、決別する暇も与えず、病は躊躇なく私を殺した。
そんな私の死後には来世が待っていた。
──志半ばの人生をやり直せるんだと、そう思い掛けた事もあった。けれど、そういう希望はすぐに潰えることになる。
あまつさえ、二度目の人生では生まれつきの病弱だったのだ。
決められたレールの上を歩きたくないとはよく聞く言葉だけど、本当にその通りだと思う。
私はこれからやってくるだろう自分の結末を恐れた。一度体験した事なのだ、自分がどんな状況に陥るのかは想像に難くはない。
子供ながらに運命を悟っているのだと、周囲からは揃って不憫がられる。
実際は子供じゃなかったから泣き叫ぶことこそなかったし、ある種、もうどうしようもないと諦観していた。
けれど、私が現状を耐えられていたのは、それ以上の理由があった。
元大人として、同じ境遇に置かれた子供を怯えさせる事は出来ないという使命感にかられていたからだ。
お隣さんの男の子は、外に出る事もままならない、同じ病気がちな子だった。
前世の記憶なんてあるせいで、負わなくてもいい責任を背負ったんだと思う。
その子供はそんな私の事など素知らぬ顔で、ある日を境に活き活きと変わっていった。
「…もうこないかな」
と、私は思っていた。彼…真波山岳にとって部屋の中に留まっている事は窮屈で、快く思える事ではなかった。
当然だ。みんなと同じように暮らし、外を走り回りたいに決まってる。
豊富に与えられたゲーム機も、室内遊びのおもちゃも、嬉しい贈り物ではなかったのだ。
家の前の道を駆け抜けていく、近所の子供達を窓から羨ましそうに眺めていたのを知っていた。
ロードバイクとやらを小さな体で達者に乗りこなすようになった頃には、その子はもう部屋には留まらないで、外を走り回るようになっていた。
疲れた山岳の体は睡眠を欲して、普通よりも早く眠りにつき、長く眠る。
日中学校に通い、放課後は外を走り、夜早く眠るとなれば、この部屋に訪れる余暇はない。
親しいお隣さんと言えど、いつかは縁が切れる事もある。多分、疎遠になる頃合いが今だったのだ。回復を祝福するのと共に、それを残念にも思っていた。
けれど、もう来ないかもしれないという想像はあっさりと裏切られる。
私の部屋の扉は毎日山岳の手で開かれるようになって、私達は再び向かい合うようになっていた。
「、今日はどう?」
「…うわっ、ちょ、なにその泥…」
「え?…あー、ちょっと転んじゃって。今日あちこちぬかるんでてさ」
「わかったから、もういいから、風呂行ってきなよ」
お隣さんの部屋を訪ねる前に、自宅の浴室に飛び込む方が先だろう。
尋ねて来る用事があったにしろ、手順を踏みちがえてる。
あまりにも酷い泥汚れに私は身を引いた。この分だと廊下も階段も泥に塗れているんじゃないだろうか。本人は汗をかく事にも汚れる事にも慣れてしまっていて、感覚が麻痺しているのかもしれない。
山岳は私の苦言も意に介さず、眉を顰めているのも素知らぬ顔で話を続けた。
纏っている上着は半袖で、肌の露出している腕を上げる。肘には赤いすり傷が出来ていた。
「転んだとき、そういえばすり傷できて。泥すっごい染みる」
「うわ…痛そう…」
「うん、痛かった。でも怪我したの忘れてたな」
「あのさあ…」
風呂に行く前に救急箱を手に取らせるべきか。泥を拭う前にやるべき手数が増えてしまった。
私の家の一階、リビングに常駐させてある救急箱を開く方が早いかと、ベットを抜け出そうと腕に力をこめた。
けれど、だるく熱っぽい体はたったそれだけで悲鳴をあげて、結局沈んだままになってしまった。このお喋りな男に自分で行かせるしかないだろう。もし廊下が汚れているようなら、それも掃除させなけばならない。
「昨日雨だったでしょ。水たまりの水は跳ねるし、転んだら泥だらけになるし、気持悪かった」
「そうだろうね」
「でも雨上がりの空って綺麗でさ、虹はかかってたし、風もいい感じに温くて」
「うん」
「いつもより早く走れた」
「うん、よかったね」
山岳が何を言いたいのか、いつも私にはわからなかった。
いや、楽しかったという報告したいのだろう事は理解できる。
けれど、彼の表情は少しも華やいでいないのだ。
これは何かの前置きで、この後私は余命宣告でもされるのかと身構えそうになる。それくらい険しいものだ。
けれど、締めくくりに放たれた言葉は、拍子抜けしてしまう簡単な物だった。
「じゃあ、また明日」
山岳はあっさりとこちらに背中を向け、踵を返そうとする。
私は「ちょっと待て待て」と必死に手招きして幼馴染を引き止めた。きょとんとしているその男は、私の困惑をまるで理解していない様子だ。
「は?いや、なんで?」
「なんでって何が?…風呂行けっていったよね。手当して風呂入って、もう寝る」
「あ、うん…ていうかご飯も食べなよ。育ちざかりでしょ」
「うん。最近凄いお腹減るんだよねー」
こくりとなんでもないように頷いて、結局そのまま部屋を出て行ってしまった。
トントン、と階段を下りて、一階の玄関扉が開閉する音がする。
しばらくすると隣の家の柵が開く音がして、鍵を回す音が立てられた後、バタンと重たい扉が閉まる音が薄らと聞えた。
山岳が自宅に無事帰宅したのだと理解する。けれど、山岳の行動は全然理解できない。
「…なんだったの」
また明日ってなんだ。拍子抜けして、泥汚れについて話すことを忘れてしまった。廊下はどうなってるんだろう、無事だろうか。
頭の片隅ではどうでもいいことを考えつつ、真ん中の方では確かにぐるぐると困惑している。
子供みたいに"また明日"の約束をする事は、今までなかった。
山岳の自室は、彼の右隣の一軒家に住まう、幼馴染の彼女の自室と丁度隣り合う位置にある。
山岳の家の左隣の一軒家に住まう私。山岳が自室から出て、私の自室の窓が見える部屋に移動してくれれば、窓越しに話す事ができた。
彼女は日中学校に行っていたし、お互いの両親は忙しくしてる。
お互い具合が悪い時は、示し合せなくても窓付近に集まって、よく暇を潰していたものだ。
けれど、山岳が家の中から姿を消した後は、話をする機会も減った。
結局ただの幼馴染という関係性で、わざわざ集まって楽しむ友達という感じでもないのだ。
その、はずだった。
その次の日も、宣言通りに山岳は私の部屋を訪ねてきた。
今度は泥にまみれてはいなかったけれど、何故だか機嫌が悪そうだった。
「なに、どうしたの」
「トラブルがあって、あんまり走れなかったから」
「へえ」
私は少し引け腰になりながら、淡々と語られる言葉に相槌を入れていた。
突然訪問してぽつぽつと話すようになった山岳の意図が理解できず、困惑していたのだ。
山岳はそれからも毎日夕方ごろになると私の部屋を訪ねてきて、暫く話すと帰る…という行動を繰り返した。
滞在時間はその時々で変わるけど、毎回一時間に満たない。
やってくるその意図はわからなくても、自転車が好きだという事は伝わってくる。
「そんなに楽しいんだね」
と言うと。
「楽しいよ。辛くて、苦しくて、生きてるって全身で感じられる」
そう語った。
語る山岳は生き生きとしていて、あの病弱さは見る影もない。自転車…ロードバイクのおかげで元気になって、外を駆けまわるようになった。
それでも私だけを部屋の中に置き去りにする事はなく、わざわざ引き返して。
──どうやら、私の事も元気づけようとしてくれているらしい。
その意図に気が付くようになったのは、山岳が一日の報告に交えて、自身の持論を語り出すようになってからだ。
はっきりと明言した訳じゃないけれど、私は織り交ぜられた言葉の端々からそれを察した。
曰く、部屋の中で本ばかり読んでいる私は"生きて"いない。
曰く、ゲームばかりして部屋にこもっていた山岳は、生死の実感が得られなかった。
キャラクターが斬った刺したをしても、痛くないし、我が身の事には感じられない。
痛みも苦しみも現実感のない生活を山岳は快く思っていなくて。
そこから抜け出せた今、未だ部屋と脆い体に囚われた私を、どうにかしてやりたいと思っているのだ。
それは思いやりだとか親切心というよりも、ただ彼自身が見ていられなかっただけなのかもしれないけど。
簡単に言うなら、私を毎日励ましている。
「…」
けれど、それに気が付いて尚、私が励ましを素直に受け取った事は一度もない。
理由は単純だ。私は元気になる事が怖かった。
元気になって、やっとだと希望を持って、また殺されるのが怖くてたまらなかったのだ。
それ以前に、この体は中々頑固で、どうやら根が深い。中々回復する兆しがない。
気を抜けば高熱を出すし、無理がきかない。"頑張る"が出来ない。
根性論も通じず、踏ん張りの聞かない体は、どんどん気を滅入らせた。
「今日はさ、」
そんな私の希望の芽を摘みとらないよう、影を指さないよう、山岳は明るいものを与えようとした。
楽しかった事を、楽しくなさそうな顔で話している。
私達は仲良しこよしの幼馴染という間柄ではなかったから、みっともなく罵り合いもしたし、売り言葉に買い言葉で激しく喧嘩する事もあった。
けれど、そんなに嫌ならやらなきゃいいのに!と私が反発することだけはなかった。
顰めた表情の下で、どういう想いを抱いているのか心境を理解できるからだ。
いくら売り言葉に買い言葉してしまうと言っても、精神年齢のおかげで成熟していた部分があったからでもあったし、山岳の持論を散々語られているからでもあった。
山岳が私にどうなって欲しいのかもわかる。だからこそ、励まされず聞き入るだけ。
そして明日も明後日も…山岳が本当に大人になって、この土地を飛びだすかどうするかするまで、きっとこれは続いて行くのだ。
もしくは私が元気になるまで。もしくは、死に至るまでの極端な三択しかない。
どうしてだか、山岳がいつか飽きるかもしれない、という事は考えられなかった。
1.日常─死に至る病
若くして病に倒れるなんて、珍しい話ではない。
どこにでも転がっている、誰にでも起り得る。有り触れた道筋だった。
今までが健康だったからと言って、これからもずっと大丈夫だという保証はないのだ。
どうして私が、なんて嘆いても栓は無い。そういう結末は突然訪れた。
私に覚悟を決めさせる暇も与えず、決別する暇も与えず、病は躊躇なく私を殺した。
そんな私の死後には来世が待っていた。
──志半ばの人生をやり直せるんだと、そう思い掛けた事もあった。けれど、そういう希望はすぐに潰えることになる。
あまつさえ、二度目の人生では生まれつきの病弱だったのだ。
決められたレールの上を歩きたくないとはよく聞く言葉だけど、本当にその通りだと思う。
私はこれからやってくるだろう自分の結末を恐れた。一度体験した事なのだ、自分がどんな状況に陥るのかは想像に難くはない。
子供ながらに運命を悟っているのだと、周囲からは揃って不憫がられる。
実際は子供じゃなかったから泣き叫ぶことこそなかったし、ある種、もうどうしようもないと諦観していた。
けれど、私が現状を耐えられていたのは、それ以上の理由があった。
元大人として、同じ境遇に置かれた子供を怯えさせる事は出来ないという使命感にかられていたからだ。
お隣さんの男の子は、外に出る事もままならない、同じ病気がちな子だった。
前世の記憶なんてあるせいで、負わなくてもいい責任を背負ったんだと思う。
その子供はそんな私の事など素知らぬ顔で、ある日を境に活き活きと変わっていった。
「…もうこないかな」
と、私は思っていた。彼…真波山岳にとって部屋の中に留まっている事は窮屈で、快く思える事ではなかった。
当然だ。みんなと同じように暮らし、外を走り回りたいに決まってる。
豊富に与えられたゲーム機も、室内遊びのおもちゃも、嬉しい贈り物ではなかったのだ。
家の前の道を駆け抜けていく、近所の子供達を窓から羨ましそうに眺めていたのを知っていた。
ロードバイクとやらを小さな体で達者に乗りこなすようになった頃には、その子はもう部屋には留まらないで、外を走り回るようになっていた。
疲れた山岳の体は睡眠を欲して、普通よりも早く眠りにつき、長く眠る。
日中学校に通い、放課後は外を走り、夜早く眠るとなれば、この部屋に訪れる余暇はない。
親しいお隣さんと言えど、いつかは縁が切れる事もある。多分、疎遠になる頃合いが今だったのだ。回復を祝福するのと共に、それを残念にも思っていた。
けれど、もう来ないかもしれないという想像はあっさりと裏切られる。
私の部屋の扉は毎日山岳の手で開かれるようになって、私達は再び向かい合うようになっていた。
「、今日はどう?」
「…うわっ、ちょ、なにその泥…」
「え?…あー、ちょっと転んじゃって。今日あちこちぬかるんでてさ」
「わかったから、もういいから、風呂行ってきなよ」
お隣さんの部屋を訪ねる前に、自宅の浴室に飛び込む方が先だろう。
尋ねて来る用事があったにしろ、手順を踏みちがえてる。
あまりにも酷い泥汚れに私は身を引いた。この分だと廊下も階段も泥に塗れているんじゃないだろうか。本人は汗をかく事にも汚れる事にも慣れてしまっていて、感覚が麻痺しているのかもしれない。
山岳は私の苦言も意に介さず、眉を顰めているのも素知らぬ顔で話を続けた。
纏っている上着は半袖で、肌の露出している腕を上げる。肘には赤いすり傷が出来ていた。
「転んだとき、そういえばすり傷できて。泥すっごい染みる」
「うわ…痛そう…」
「うん、痛かった。でも怪我したの忘れてたな」
「あのさあ…」
風呂に行く前に救急箱を手に取らせるべきか。泥を拭う前にやるべき手数が増えてしまった。
私の家の一階、リビングに常駐させてある救急箱を開く方が早いかと、ベットを抜け出そうと腕に力をこめた。
けれど、だるく熱っぽい体はたったそれだけで悲鳴をあげて、結局沈んだままになってしまった。このお喋りな男に自分で行かせるしかないだろう。もし廊下が汚れているようなら、それも掃除させなけばならない。
「昨日雨だったでしょ。水たまりの水は跳ねるし、転んだら泥だらけになるし、気持悪かった」
「そうだろうね」
「でも雨上がりの空って綺麗でさ、虹はかかってたし、風もいい感じに温くて」
「うん」
「いつもより早く走れた」
「うん、よかったね」
山岳が何を言いたいのか、いつも私にはわからなかった。
いや、楽しかったという報告したいのだろう事は理解できる。
けれど、彼の表情は少しも華やいでいないのだ。
これは何かの前置きで、この後私は余命宣告でもされるのかと身構えそうになる。それくらい険しいものだ。
けれど、締めくくりに放たれた言葉は、拍子抜けしてしまう簡単な物だった。
「じゃあ、また明日」
山岳はあっさりとこちらに背中を向け、踵を返そうとする。
私は「ちょっと待て待て」と必死に手招きして幼馴染を引き止めた。きょとんとしているその男は、私の困惑をまるで理解していない様子だ。
「は?いや、なんで?」
「なんでって何が?…風呂行けっていったよね。手当して風呂入って、もう寝る」
「あ、うん…ていうかご飯も食べなよ。育ちざかりでしょ」
「うん。最近凄いお腹減るんだよねー」
こくりとなんでもないように頷いて、結局そのまま部屋を出て行ってしまった。
トントン、と階段を下りて、一階の玄関扉が開閉する音がする。
しばらくすると隣の家の柵が開く音がして、鍵を回す音が立てられた後、バタンと重たい扉が閉まる音が薄らと聞えた。
山岳が自宅に無事帰宅したのだと理解する。けれど、山岳の行動は全然理解できない。
「…なんだったの」
また明日ってなんだ。拍子抜けして、泥汚れについて話すことを忘れてしまった。廊下はどうなってるんだろう、無事だろうか。
頭の片隅ではどうでもいいことを考えつつ、真ん中の方では確かにぐるぐると困惑している。
子供みたいに"また明日"の約束をする事は、今までなかった。
山岳の自室は、彼の右隣の一軒家に住まう、幼馴染の彼女の自室と丁度隣り合う位置にある。
山岳の家の左隣の一軒家に住まう私。山岳が自室から出て、私の自室の窓が見える部屋に移動してくれれば、窓越しに話す事ができた。
彼女は日中学校に行っていたし、お互いの両親は忙しくしてる。
お互い具合が悪い時は、示し合せなくても窓付近に集まって、よく暇を潰していたものだ。
けれど、山岳が家の中から姿を消した後は、話をする機会も減った。
結局ただの幼馴染という関係性で、わざわざ集まって楽しむ友達という感じでもないのだ。
その、はずだった。
その次の日も、宣言通りに山岳は私の部屋を訪ねてきた。
今度は泥にまみれてはいなかったけれど、何故だか機嫌が悪そうだった。
「なに、どうしたの」
「トラブルがあって、あんまり走れなかったから」
「へえ」
私は少し引け腰になりながら、淡々と語られる言葉に相槌を入れていた。
突然訪問してぽつぽつと話すようになった山岳の意図が理解できず、困惑していたのだ。
山岳はそれからも毎日夕方ごろになると私の部屋を訪ねてきて、暫く話すと帰る…という行動を繰り返した。
滞在時間はその時々で変わるけど、毎回一時間に満たない。
やってくるその意図はわからなくても、自転車が好きだという事は伝わってくる。
「そんなに楽しいんだね」
と言うと。
「楽しいよ。辛くて、苦しくて、生きてるって全身で感じられる」
そう語った。
語る山岳は生き生きとしていて、あの病弱さは見る影もない。自転車…ロードバイクのおかげで元気になって、外を駆けまわるようになった。
それでも私だけを部屋の中に置き去りにする事はなく、わざわざ引き返して。
──どうやら、私の事も元気づけようとしてくれているらしい。
その意図に気が付くようになったのは、山岳が一日の報告に交えて、自身の持論を語り出すようになってからだ。
はっきりと明言した訳じゃないけれど、私は織り交ぜられた言葉の端々からそれを察した。
曰く、部屋の中で本ばかり読んでいる私は"生きて"いない。
曰く、ゲームばかりして部屋にこもっていた山岳は、生死の実感が得られなかった。
キャラクターが斬った刺したをしても、痛くないし、我が身の事には感じられない。
痛みも苦しみも現実感のない生活を山岳は快く思っていなくて。
そこから抜け出せた今、未だ部屋と脆い体に囚われた私を、どうにかしてやりたいと思っているのだ。
それは思いやりだとか親切心というよりも、ただ彼自身が見ていられなかっただけなのかもしれないけど。
簡単に言うなら、私を毎日励ましている。
「…」
けれど、それに気が付いて尚、私が励ましを素直に受け取った事は一度もない。
理由は単純だ。私は元気になる事が怖かった。
元気になって、やっとだと希望を持って、また殺されるのが怖くてたまらなかったのだ。
それ以前に、この体は中々頑固で、どうやら根が深い。中々回復する兆しがない。
気を抜けば高熱を出すし、無理がきかない。"頑張る"が出来ない。
根性論も通じず、踏ん張りの聞かない体は、どんどん気を滅入らせた。
「今日はさ、」
そんな私の希望の芽を摘みとらないよう、影を指さないよう、山岳は明るいものを与えようとした。
楽しかった事を、楽しくなさそうな顔で話している。
私達は仲良しこよしの幼馴染という間柄ではなかったから、みっともなく罵り合いもしたし、売り言葉に買い言葉で激しく喧嘩する事もあった。
けれど、そんなに嫌ならやらなきゃいいのに!と私が反発することだけはなかった。
顰めた表情の下で、どういう想いを抱いているのか心境を理解できるからだ。
いくら売り言葉に買い言葉してしまうと言っても、精神年齢のおかげで成熟していた部分があったからでもあったし、山岳の持論を散々語られているからでもあった。
山岳が私にどうなって欲しいのかもわかる。だからこそ、励まされず聞き入るだけ。
そして明日も明後日も…山岳が本当に大人になって、この土地を飛びだすかどうするかするまで、きっとこれは続いて行くのだ。
もしくは私が元気になるまで。もしくは、死に至るまでの極端な三択しかない。
どうしてだか、山岳がいつか飽きるかもしれない、という事は考えられなかった。