3話
1.序章固執するもの

「…あったかいね…」


は、6歳とは思えぬほどに大人びた少女であった。


「人肌って…きもちいいよね…」


その反面、年相応に懐っこく、甘えてみせる事も多々ある。
まるで猫のように私の胸板に頬ずりすると、そのまま顔を埋めて眠ってしまった。
ぐったりと弛緩した体を支えつつ、画面から目を離さず事件の推理は続けたまま、頭の片隅で少女の事を考える。


「……なんなんですか。まるで行動も、言動もちぐはぐだ」


この子は、主に私の生活習慣を、母親のように日々窘める。
母親に世話を焼かれた記憶などないけれど、世で語られる一般的な"母親"が子に施すものと、きっと同じものだろうと思う。
4歳がすることではないが、この子の知能指数は年相応でない事は最早周知の事実なので、論点はそこにない。
引っ掛かるのは、大人顔負けに私を叱ったかと思えば、こうして4歳の子供のように…
或いは、それ以下の幼児のように。甘えて来る事もあるという事。
もしもこの子が早熟で、大人顔負けの精神があるなら、きっと羞恥が邪魔をしてその行動を律するだろうと思う。
けれど、この子は恥ずかしげもなく甘えた言葉を口にして、擦り寄る行動を躊躇しない。
もうそばに置いて数年になり、ずっと間近で観察してきたけれど、この子の行動原理を完璧に理解する事はできなかった。



「L、紅茶をいれましょう」
「おねがいします」
「…を預かりましょうか?膝が痛くなるでしょう」
「まだいいです。50時間は大丈夫だと思います」
「……夜眠れなくなってしまうので、数時間で離してあげてくださいね。この子が嫌がらない限りはそうしていていいですが、それだけは約束してください」
「わかってます」

椅子の向かいのデスクの上に、ワイミーさんがいれてくれた紅茶がソーサーと共におかれる。備え付けられていた角砂糖をぽとぽとといくつも落として、ぐるぐるとティースプーンでかき混ぜる。
片手で抱きかかえながら、片手でカップをつまんで口に含むと、想像通りの甘さが口に広がる。


「そろそろ9月か…」
「そうですね」
「服を新調したい」
「かしこまりました」

言うと、ワイミーさんは一度部屋から退室すると、すぐに大量の本を抱えて戻ってきた。
デスクに並べられたのは、全て女児向けの洋服が掲載された雑誌や、書籍、カタログなどだった。

「これもいい、これと、これも。この雑誌に載っているのは全部」
「はい」
「この雑誌の98Pのワンピースの、赤じゃなくて紺色で。55Pのジャケットは白にして」
「はい、そのように造らせます」
「この書籍の108P、全部」
「はい」
「とりあえずはそれだけでいい」


一息に指示すると、即座にメモを取り、用済みとなった本を全てデスクから取り払い、腕に抱えてまた退室しようとした。

「……やはり、飽きませんね」
「心配していたようにはなりませんよ。私はこの子に価値を作れると言いいました」
「……そのようですね」


眠るこの子の横顔を見つめるワイミーさんは、感傷を抱いているのだろう。
まるで子供の駄々こねのように引き取ると決めた、あの日の私を思い出しながら。
カップから手を離して、さらりと髪を梳いてみる。
一度眠ると中々目を覚まさないのは、この子が子供だからか、それとも特性なのだろうか。


「まさか、このような形で価値をつけるとは思いませんでしたが」
「私も想定外でした。…いや、想定内…の範疇なんでしょうか?」
「それは、どういう意味ですか?」
「初めてあったとき、この子が人形のようだと思った。それが気に入ったんです」
「…」
「ワイミーさんは、そのように感じるときはありませんか」
「…確かに、人形のように愛くるしい見た目をしているとは思いますが…」


そこではいと頷く事は、ワイミーさんにとっては簡単ではなかったのだろう。
けれどここで言い淀むのは、彼も少なからずそう感じた事があるからに違いない。
思った事がないのであれば、「ありませんよ」と否定するだけでいいはずだ。


「とても、面白いです、人形遊びは」
「…L、わかってはいると思いますが、その子は…」
「はい、生きた人間で、まだ子供です。大事に育てます」
「……それでは、私は一度失礼します。すぐに秋服に袖を通せるようにしてあげましょうね」
「はい、お願いします」


ぱたん、と静かに戸が閉まる音がして、あとはこの部屋響くのは、モーター音と、電子音、そして子供の寝息だけ。


「……いきてる」


ぎゅっと抱きしめ、顔をうずめててみると、寝息の奥から、鼓動すら聞えてくるような気がした。
この子は人形のようだけれど、人間の子供である。
大事に育てなければいけないものである。それだけはハッキリしていた。
だけどこの私の頭脳をもってしても、それ以外がわからない。
水準を超えた高い知能を持つ…けれどそれ以外がちぐはぐで、とても掴み処がない。分からないから、わかりたい。
わかろうとして、手を伸ばす。
事件というゲームを解決したいという欲求と似ているかもしれない。


それから数時間が経った頃、腕の中でぴくりともせず眠り続けていた子供がおきた。

「ん…いまなんじ…」
「20時48分です」
「…よる……ベッドいく…」
「はい。でもご飯を食べて歯を磨いてからと、ワイミーさんは言うと思います」
「……Lのせいだもん…」
「眠る方が悪いです。私は悪くありません」

子供はするりと私の腕から抜け出して、危なっかしい動作で膝から降りた。
下から椅子に座ると足が床につかないというのに、私に抱えられた状態から地に足をつけるとなると、難しいのだろう。
ぴょんと飛び降りるような軽やかな性格はしていない。もしかしたら、私への配慮あるのかもしれない。
いずれにせよ、この時の私のがやるべきだった正しい行動は、抱き上げた時と同じように、脇に手を差し込み、床におろしてあげる。そのはずだった。
けれど正解をわかっていながら、私は毎度それをしない。
もっというなら、ベッドまで運んであげる事だ。
けれどそれはしない。
純粋に腕を動かす労力を惜しんでいるし、この子の寝室まで立ち上がり、歩いて行くなんて論外だ。
その子もそれに不服を示したことはないし、ワイミーさんもそこまでは求めなかった。
もちろん、それが出来たなら、喜んでくれただろうけど。


私は起きている時も椅子に座るし、寝るときもそう。
人形遊びだって、事件解決というゲームだって、椅子の上で行う。
たまに出かける事もあるし、一切立ち上がらない訳ではないけれど、つまるところ、殆どの時間はそこにいるのだという事を言いたいのだ。
だから、この子と過ごす時間だって、ずっと椅子の上であるはずだった。
──なのに…
人形遊びという意外な形でこの子に価値がついたのと同じように、
それから意外な形で、私の生活が変わっていったのだった。


2025.8.12