2話
1.序章人形遊び

──最初こそ、私は子供らしくあろうと務めたのだ。
どうやら前世の人格と、今世で生まれ持った性格がまじりあっているようで、
放っておいても年相応の子供らしい喋り方や、無邪気な立ち振る舞いは出来る。
けれどどうしても、幼児らしからぬ知識や価値観などは、気を付けないとポロリと出てしまっていた。

前世の記憶がある子供など、気味が悪いだろう。
大衆と違う特異な物事を持つという事は、排他の理由になり得ると私は理解していた。
それは前世の人生で、子供から大人になるまでの人生を生きる中で、学んだことだった。

けれど、現在。1989年、四歳の冬。私はそんな考えを早々に捨て、開き直っていた。
両親を亡くし、孤児となった私を"保護"したLからは、日々、試すように"
テスト"を受けさせられていた。
それは口頭試問のときもあれば、筆記の時もある。そして日常生活の些細な動作すら見られている事も知っていた。
そういう時、私は子供らしい偽りの回答を出さなくていい、と理解したのは、割と早い段階だったのだ。


「える!イスで寝るのはだめって言ったでしょぉ〜!」

激おこである。けれど私の声など右から左なのか、うんともすんとも言わず、Lは意に介さずを貫いている。
今まで両親と暮らしていたボロアパートや、引き取られる予定だった古びた教会にある孤児院より、遥に綺麗な邸宅だ。
私の視点からすれば豪邸と呼べるそれは、Lという人物からすれば"質素な仮住まい"らしい。
Lと私の価値観は、何もかもが違っていた。
そして生活習慣すら、全てが──

違いすぎる。

私に前世があるせいで大人びている事なんて、些事であると思えるほどに、Lは"変なひと"だった。
私それからも根気強くLに声をかけ続け…日々ありとあらゆる攻防戦を繰り広げた。
時は流れて、Lに引き取られてから数年──1991年、私が6歳、Lが12歳の頃のこと。

Lいわくの"仮住まい"での生活は、衣食住に困る事はないけれど、中々に苦労が多かった。
Lにはこだわりが多い。ベッドで眠る事はないし、常に甘い物を食べていないと気が済まない。
綺麗好きなのに、自分で体を洗う事は億劫で、ワイミーさんが発明した乾燥まで全自動のヒューマンウォッシャーの中に座っているだけしかできないらしい。
ギフテッドというのだろうか。行き過ぎた物を天から与えられた人間は、きっと何かしら欠落してしまう物なのだろう。着替えすら一人でままならないというのだから、呆れを通り越してただ、虚無状態になってしまう。
"仮住まい"に引き取られてたばかりの当初は、それも個性だと認めて放任してた…いや、半ば諦めていた。

けれど、暮らして数か月して、個性の全貌が見えてきたころ、私の考えは変わる──

──Lの生活を、少しでも健全なものに変えて行こうと決意したのだった。
出会った頃にはもう彼は9歳だった。その年までに根付いてしまった生活習慣を変えるのは容易ではない事は理解していた。
けれど幸いにして──
私を迎えた事で、Lの"拘り"の行動がひとつ増えたのだ。これが問題解決の鍵となった。


「毎日じゃなくていいの…でもたまにはベッドで寝てくれないなら…私、もう髪に触らせないからね!」
「……それは困ります。あなたの髪を梳く事で、私の推理力は上がるのです」
「じゃあベッドで寝てくれる?」
「……善処はします」


Lの新たなこだわり。それは、私を人形のように扱い、世話をする事だった。
毎日ブラシで髪を梳く事が習慣になり、着る洋服もLが選ぶ。
寝るときも、私と一緒でなければ寝ない。
こんなにもベッドで寝る事を強く勧めるのは、Lと共に椅子で寝かされ事を強いられている私自身が辛いためでもあった。
なので、私は己を人質に取り、交渉する事が出来るのだった。
Lの"人形遊び"の趣味がなければ、私は交渉するカードを持たず、生活はもっと荒れていた事だろう。
本当は毎日だってベッドで寝てほしい。けれど、ワイミーさんと同じく、私はLの長所を伸ばしてやりたいとも思ってる。

本当の6歳児だったら、健やかな子の成長を願うように、こんな事を考えたりしなかっただろう。
それを後ろめたい、とは、もうこのころには少しも思わなくなっていた。
私とワイミーさんがLの桁外れな能力を買っているように、6歳児らしからぬ言動を、ワイミーさんもLも大事にしてくれていたから。

「それと、トイレのドアもちゃんと閉めてね」
「それは既に10回に8回は閉めるようになってます。十分では?」
「……それだけは、絶対に毎回閉めるようになってほしいな」
「そうですか」

Lの拘りのひとつ。トイレをする時は、ドアを開けっ放しにする事。
初めてそれを見たときは、大声で叫び、咽び泣いてしまった。
しかも座り方も普通でないのだ。
初めてみたあの時は、まだLは9歳だった。今もまだ13歳の…ぎりぎりあどけないといえる少年だ。
幼児というには育ちすぎているけど…子供のする事と思えば、まだ目を瞑れる。
けれど、壮年の大人になった頃にもそれをやられたら、私は耐えられず家出してしまうかもしれない。
Lも、ソレだけは私にとって絶対に譲れない拘りと既に理解していて、尚且つ私という人形を人質に取られている物だから、改善するつもりはあるらしい。
それだけが救いだった。

、そこに座ってくれますか?」


Lのお気に入りの一人がけのソファー…ではなく、私専用の椅子を指さされた。
私専用の椅子は、必ずLの座る椅子の隣に必ずセットで用意されている。
いつの間にか、家の数か所にセッティングされるようなになっていた。
それは滅多に立ち上がる事のないLが、好きな時に私を呼びつけて、"人形遊び"をするためである。
指さされたそこに、私はすとんと座る。6歳の私の体はまだ小さく、足が床に付かない。
私専用の椅子の足元に格納されている、いい香りのするヘアオイルを手に取ると、背後に回り、オイルを塗りこんでからブラシで髪を梳いた。
Lは100時間以上眠らない事もざらで、しかもその間、興味のある事──主には事件解決という名のゲームを解く事以外に時間を割かない。
なので、これはLから言わせれば、推理力を引きあげるための儀式のようなもの。
甘い物を食べるのと一緒の効果が得られる行為。
私もワイミーさんに教えられ、将来Lの役に立てるようアレコレと勉強しているつもりだけど、まだまだ即戦力には程遠い。
なので、人形扱いをされる事で今すぐにでもLに貢献できるなら、それもまたいいと享受していた。
これが殴る蹴るの暴力だったならともかく、衣食住を提供してくれているLが望むのは、ただ人形を"可愛がり手入れする"ことなのだから、拒否する理由もなかった。


「このメーカーは香りはいいですが、指通りがイマイチですね。使うのやめましょう」
「…まだ使い切ってないのに捨てるの…?」
「デメリットしかないものを使い続ける理由がありません」


ブラシで梳いて、さらさらと髪を指で撫でて遊んでいたLの発言に、ひくりと口元が引きつった。
確かに、理屈だけで語るならそうだ。けれど、前世の私は学生時代からバイトをしていたし、社会人になり自立して、さらに"一般的な"金銭感覚が身に付いた。…気がする。
月日が経つにつれて、前世の記憶はどんどん薄れていった。
今では思いだせる物事は少なく、全てがぼんやりとしている。このまま、いつかは忘れてしまうのかもしれない。
けれど今はまだ、前世の一般人としての感覚は残っていた。
高給取りだったならまた違ったかもしれない。けれど恐らくどこまでも平凡だったであろうと私の感性は、
──髪が痛むならともかく──L好みの指通りにならないだけで、使い切らずに捨てるその価値観についていけなかった。
すぐ近くにあったゴミ箱にポイと投げ捨てられた、一回しか使われなかった高級ヘアオイル。
Lのことだ。少なくとも、五桁以下のものを使うはずがない。
私はなんとも言えない表情で廃棄されたボトルを眺めていた。
そうこうしているうちに、私の脇にLの両手が差し込まれて、抱き上げられる。
そしてL専用の椅子に移動したかと思うと、そのままぬいぐるみのように膝に乗せられ、
抱きしめられた。


「L、ちょっと力強いよ…」
「はい」
「はいって、全然弱く…」
「はい」
「……」


集中しきったLは、もう私のリクエストには答えてくれない。耳に届いていない。否、届かせる気がない。
私はため息をついた。
やりたい事は、沢山、いくらでもある。将来ワイミーさんのように、Lに貢献できるよう、勉強するとか。
ここには秘密保持のためか、Lの性格のせいか。部屋の広さの割に、家政婦さんも入ることはない。
ワイミーさんは忙しく、家事まで手が回らない状況だ。だからできれば、私が家事をしたい。
けれどLの人形遊びに付き合っていたら、それが出来ない。
放っておけば、私は100時間以上拘束される可能性だってある。

ワイミーさんにこの現状を改善できないかと、こっそり訴えてみた事がある。
けれど、「Lの望むようにさせてあげてください。それが一番の貢献です」と言われ、首を横に振られてしまった。
──確かにその通りだと、反論もできなかった。

Lは、何故私の事を、こんなにも気に入ったのだろう。暇つぶしに考察してみる。
腕の中から見上げるLの真っ黒な瞳は、画面に釘付けで、もうこちらへは戻ってこない。
多分、私と出会わなければ、ずっとこうしていたに違いない。
Lは一芸を極める典型的な人間だろう。

仮に人形遊びが趣味だというなら、ドールが部屋中にあってもいいはず。けれどそれもない。
生身の人間が好みなら、他にも幾人かの子供を引き入れていてもいいはずだ。
それをしないという事は、今のところ、食指は私個人にしか動かないという事。
いかにも変人らしい、たった一つへの固執具合だ。

──なぜ、私だったの?数年間、私はずっと考え続けてる。
確かに前世の日本人だった自分と比べたら、子供ながら…今の私は"うつくしい"人形のような容姿をしていると思う。
6歳の平均より小さな体。子供の頃にしか見られない美しく輝く、長いプラチナブロンド。
陶器のような白い肌。そして子供特有の、可愛らしい声。
ナルシストのようだけれど、平凡だった前世があるのだから、客観視出来てしまうのはしょうがない。

「…L…」


問いかけに、返事はない。期待もしていない。

「……あったかね…」

ちらりともこちらを見ない、それでもよかった。Lが好きなことに没頭できているならば、
それが私にとっての幸せだ。
私は変人であるLの個性もひっくるめて、この時には、既に好ましいと思っていたし、恩義も感じていた。
力になりたい。貢献したいと願うほどには。

抱きかかえられてるうちに、瞼が重くなってきた。いともたやすく睡魔に襲われたのは、
きっと体がまだ未熟な幼児だからだ。でも、そのせいだけじゃないのも分かっていた。


「人肌って…きもちいいよね…」

──Lは、そのうち私が人形サイズじゃなくなって、可愛らしい幼児でなくなって。
簡単に抱きかかえられなくなるほど成長したら、どうするつもりなのだろう。
それを漠然と恐れるくらいには、私はこうして求められる事が満更ではなかった。
これはという、孤独を恐れる幼心のせいだという事は、客観視出来ていた。

という前世の大人になった自我は、逆にこれが恥ずかしくてたまらないと感じている。貢献するのはこんな形でなくていいだろう、早くこの人形遊びをやめてほしいと願ってる。
その入り混じった、秘密めいた願望は、きっと一生涯、誰にも知られる事はない。
だって暴かれたら、きっといくら特異なものに耐性のある人たちでも…許容できないはずだと思った。
だから。
──墓場まで持っていこう。誰かに求められる人間のまま、今世を終えたい。
そう考えて、私の意識はまどろみの中に落ちて行った。

2025.8.12