1話
1.序章ほしいもの

「──そこで、なにをしてるんですか?」

木の根の足元に、黒い塊がみえた。最初は不法投棄のゴミか何かかと見間違えたそれは、どうやら動いているようだった。
どうやらそれは人間の子供らしい。そうと気が付いた時には、つい声をかけていた。
ぴくりと私の声に反応し、パッと顔をあげたのは、少女。
その瞬間、その子の瞳が陽の光を吸い込んできらりと光る。
黒かったのはドレスのように膨らむワンピースだけで、その髪はプラチナブロンドと呼ばれる、子供特有の明るいものだった。
その長い髪が、風に遊ばれ舞い揺れる。立ち上がったその子のスカートがふわりと膨らむ。
駆け寄ってきた足が動いて、伸ばされた手は、がしりと私の服を掴む。


「なにしてたとおもうー?」


にこ、にこ。無邪気に笑うその子は、初対面という事を感じさせない懐っこさが多分に含まれていた。
第一に、距離感がおかしい。不審げに呼んだ疑問の声に喜んで反応し、至近距離までやってきたかと思えば、私の服を掴んで楽し気にしている。
この近さは、最早肉親に対するレベルだろう。この子には他人との境界線というものがないのか、それとも子供特有の無知が故なのか。…それにしたって近すぎるだろう。
観察するためにずいっと顔を近づけても、動じた様子はない。
大抵のものは、私がこれをすると、大人も子供も嫌がり距離を取ろうとするのに。


「………土遊びでもしていたんですか?」

その子の手にほんの少し付着していた土ほ見つけて、そう適当に推測する。
いや、地面に蹲っていたのだから、手をついた弾みでついただけかもしれない。
我ながらなんとも杜撰な"推理"である。真面目に考える気がないのは、自分でも自覚していた。
正直、何故声をかけてしまったのかと、反射で動いた己の愚行を後悔していたくらいだったのだ。
だからと言って、まだ幼い子供を突き放せば泣かれるかもしれない。
そっちの方が面倒くさい。泣かれた所で慰める気は毛頭ないが、子供の泣き声は、耳に触るのだ。


「うん、あのね…」

付き合う面倒、泣かれる不快。それを天秤にかけて、律義に質問に答えてやることにする。
子供は興味の移り変わりが早いので、すぐに飽きてどこかへ行くだろう、と踏んだのもある。要は打算だ。
子供は目論見通り、機嫌よく笑った。笑った、のだが。

──どうして。

「ふふ、ないしょだよ…」

目を細めて笑い、口元に指を当てたその子の仕草が。悪戯心っぽく動いた唇が。
どうも子供らしくなく、しかし大人に見えるはずもなく──
いうならば──
まるで人形のように見えたので。


「だいじなものをなくしたの。でも、悲しくないよ。だってそういうものだよね」


弧を描く唇は、弾むように言葉を紡ぐ。だというのに、無邪気には感じられない。
第一印象は、無邪気すぎる子供。第二に抱いたのは、まるで人形のような無機質さ。
そしてこの"大事なもの"というのが、私の想像している通りのものを指しているのであれば──

──かなり面白い。
この子供は恐らく、今日、肉親を亡くしている。
今纏っている黒いワンピースは、喪服だろう。でも、悲しくない。強がりにしては、あまりにするりと口から滑り出てきたものだ。
いや、虚勢を張る意味もない…自分を大きく見せるような性格をしてるようにも見えない。
ならばやはり面白い。

一言でいえば──


「………ふえ」


──この子の底の知れぬ二面性に、興味を惹かれた。

そう思うが先か、手を伸ばしたが先か。私の手は、その子の頬をつまんで、引っ張っていた。
痛いと喚くこともなく、何をするのかと抗議するでもなく、ただきょとんと不思議そうに目を丸くしているなすが儘の姿も、また人形のようだ。
ぱっと見た目には陶器のように白い肌も、触れば温もりがあり、柔らかい。
それもまたちぐはぐで、面白かった。


「L…」

それを見ていたワイミーさんは、とがめるように私の名を呼ぶ。


「……ワイミーさん」


そして私は手を離さぬまま、ワイミーさんの方に視線をやり、口を開く。
今後の人生を左右する、たった一言を。


「私、この子がほしいです」


──その子は善くも悪くも、純粋な子供に見えた。
けれどそれは見た目だけで、その体の奥底には、悪魔でも住んでいるのかもしれない。
自分の予想を裏切る意外性のある言葉と仕草を見ただけで、想像と好奇心ばかりが膨らむ。
新しいおもちゃを手にした時と同じ高揚だ。

その子の瞳がきらりと光ったのを見た時、まるで透き通った宝石のようだ、と思った。
この子供に人間臭さを求めつつ、反面人形のような無機質さをも要求している。
──そこにある両の目は、ただの無力な子供の、瞳でしかないというのに。過大評価しすぎているという事は、自分自身客観視できていた。


「L…本気ですか?」
「はい、本気ですよ」
「しかし…この子は初対面で…その"資質"があるかもまだわからない」


ワイミーズハウスという、孤児を集めたその施設がある。
そこにやってきた、行く充て所か、名すら持たぬ孤児だった私──
そんな私の潜在的な資質に気が付き、ワイミーさんはその長所を伸ばそうと、出来る得る限りの全てを施してくれた。
最高の環境で伸ばされたと思う。普通相部屋であるはずの孤児院で、私の個性に合わせて一人部屋を用意してくれた。

それまでも贔屓気味ではあったけれど…今ではワイミーさんは、まるで私専属の従者のように振舞っていて、それだけ自分が期待されているのだという事を理解していた。
この頃には、私にはL Lawlietという名もついていたて、
そしていくつか難事件を解いていくうちに、どうやら恐ろしく優秀な探偵がいるらしい、という噂はまことしやかに囁かれるようになっていた。

己の側に置くのは、そんな理解のあるワイミーさんだけでいいと思っていた。
我が強いとワイミーさんにも散々言われている通り、自分には協調性がないと思うし、
誰かと同じ時間・空間を過ごすに向いていないと思う。
だからこそ、普通大人になるまで出ない孤児院から、私はこの幼さで出てきたのだ。
ワイミーさんも、その方が私のためになると、協力を惜しまなかった。

万が一にも例外があるとすれば…傍に置いて不足ない、有能な人材であるべきだ、と私もワイミーさんも考えていた。
けれど。


「それでも、私はこの子がほしいと思ったんです」

じ、っとワイミーさんを見上げたまま、私は語り続けた。
ワイミーズハウスにいた頃、気に行ったおもちゃに執着し、一人占めをしていた過去を思い出す。
そして飽きるまで頑なに離さなかった自分自身の姿も。
ワイミーさんも同じ過去を思い出しているのだろう、そうして、徐々に説得を諦めつつあるようだった。
ワイミーさんはどこか同情的に、その子供の方を見やり、また子供もワイミーさんを見つめ返した。
口を挟む隙もないと思ったのか、その子から発される言葉はなく、ただ、成り行きを見守っているだけのようだ。


「いつかこの子が足枷に…いえ、飽きたとして──ゴミを捨てるように、ポイと投げだす事は出来ないのですよ」
「わかってます…私は好奇心でほしがってる自分を自覚できています。…ならばこの子に価値をつけてやればいい。私なら、凡庸な子であろうと、それが出来ると自負していますから」
「……はあ、L……」


その子は次に、私とワイミーさんを交互にみると、やはり何も言わず、目を瞬かせるだけだった。
私達の話が理解できているかも怪しい。
やはりこの子供はワイミーズハウスにいるような、秀でた子供の中の上位ですらなく、下位の子にも及ばないのかもしれない。
平凡な子供を傍に置くデメリットと、この軽率な判断を鑑みて、ワイミーさんは終始渋い顔をしている。

──そうだ、これは子供の駄々こねにすぎない。
どれだけ大人顔向けの高い知能を買われていても、実際私の年齢は、世間一般から見れば幼子にすぎないのだ。
これは、デパートのおもちゃ売り場で、どうしてもアレが欲しいコレがほしと、
本能に従ってわがままを突き通す、そんな子供と一緒。
ここまで強く強情なおねだりを、私は一度たりともした事がなかった。
今まで、何かをほしい、と願えばスルリと要求が通ってしまっていたから、というのもあったが。
そうは言っても、これは私の、理屈の通らない程の、初めての駄々こねには違いなかった。
ワイミーさんは終始苦い顔をしていたけれど、予想通り、最後にはそのわがままを許した。


「…仰せの通りに」

要求が通ったと確信すると、私はその子の頬からパッと手を離した。
それでも尚、不思議そうに私を見るばかり。
この子は、自分のこの先の行く末が、本人の意思も関係なく、決定された事を、微塵も理解していないのだろうか。
私がこの年頃の頃には、そういう事は理解できる知性を持っていたので、どうもわからない。
少し思案してから、実験的にその子供に手を差し出してみると、ごく自然と繋ぎ返してきた。
頬と同じく、滑らかで温かな皮膚の感触、熱くも冷たくもない体温。

そしてその子をそのまま車に乗せて、ワイミーさんと私の住まう邸宅へと連れて帰る。
富豪の住む豪邸とまではいかないが、
ワイミーさんに頼んで導入してもらったコンピューターやいくつもの画面を、部屋中に張り巡らすには十分すぎる広さだった。
元々のワイミーさんの資産と、私買った株が跳ねあがり返ってきたその利益を計算すれば、
もっと欲張ってもよかった。
けれど、ここは仮の住処にすぎない。"いずれ"の計画が私にはあったのだ。


「…わたし、どこにいくの?」


その子はしばらく車の窓から流れていく景色を眺めていたかと思うと、同じ後部座席に座る私を見上げ、そう問うた。
そこには怯えもなく、不信感もない。見知らぬ者たちに連れていかれているというのに、あまりに危機感がない。それは子供の無知が故か、それとも資質か。
観察・分析しつつも、考える。

──孤児院も併設された教会で喪服を着ていた、ひとりぼっちの少女の生い立ちなど、施設責任者に確認を取らずとも理解できていた。
その日、葬儀が行われていたのも知っている。ワイミーさんがその教会の、大変人望と人脈あるという神父様からそれを聞いていて、
偶然近くに住んでいたということもあり、私達は顔を出すことになったのだ。
同じ孤児院を経営しているものとして、痛ましく思ったことと、親を亡くした直後の子供のアフターケアをどうするのか、ワイミーさんは見てみたかったらしい。
そのために先ほどはほんの少しの間、私とは別行動をしていて、
戻ってきたころには、幼い少女を掴んで離さない私がいた。
ワイミーさんは頭が痛くて仕方がなかっただろう。
現状は、ワイミーさんの望んだ展開とは真逆に進んでいるといえる。

親を亡くした哀れなこの子供は、正式な手続きも承諾も、後でいい、と性急に連れ去れ。
ケアをするどころか人権も無視して、"人形"扱いをする私に、遊び道具にされそうになっているのだから。
説得を諦めたのもあるけれど、それでもこの子供が犠牲になる事で、きっと私が何かしらの利を得る。そう踏んで要求を呑んだのだから、ワイミーさんも完全なる善とは言えないのだろう。


「どこだと思いますか」
「わかんない。どこ?」

──存外自分にも、未だおもちゃで遊ぶような子供らしい欲求が残って事が面白く、我ながら意外だった。
なぜ、なに、どこ、と質問を繰り返すその子供の様は、まるで私には単調な玩具のようにしか見えない。
今の私の興味の矛先は、大人が解くようなレベルの難事件の解決にしかなく、この先もそうだと思っていたから。
この状況が不思議でならない。

「──"家"ですよ」
「おうち、もうないって、言われたよ?」
「それなら、新しいうちを作ればいいんですよ」
「あたらしい…?」

少し考えてから、少女は俯き、そして不安そうに言った。

「そのおうちには、わたしひとりぼっちなの?…きょういくは、受けられる?」
「──ひとりではないですよ。あらゆる教育もきちんと受けさせます」

孤独を恐れたのと共に、教育、という点を心配したその子。
孤独と教養は、果たしてこの状況で、普通同列に並ぶものなのだろうか。
少なくともこんな幼児が懸念するものではないだろう。
意外な一面をみせたその子をじっと観察しつつ、否定すると、まるで花が綻んだように笑った。そして一粒の涙が頬を伝う。
私はその涙すら人形が流した人工的な宝石のように思えて、しかしそれが液体である事は知っていたので、舐めたらどんな味がするのだろうと考えていた。
お菓子のように甘かったなら、この子が泣く度に、血を吸う吸血鬼のように、この子の涙を搾取し、飴を舐めるように舐めとっていたかもしれない。


「──"緒に帰りましょう"」

──存外、この年にしては知能が高いのかもしれない、その片鱗が見えた気がした。
けれど子供らしい情緒も、当然のように持ち合わせているのも分かる。
なので、「いきましょう」とだけ言いかけてから、わざとそう言い直した。
きっとこの子供は、その方が喜ぶと思ったから。
予想通りその子は笑った。"帰るうち"があり、"ひとりでない"という事に安堵して、
花のように笑ったのだから。


***


その日から、その子は私の"指針"となった。
初めてその日に感じた通り、人形のようでいて、しかしその実とても人間らしく、
純粋であり、善性の塊。
お人よしで、涙もろくて、懐っこくて、人をすぐに信じる。…心から。


「だいじなものをなくしたの。でも、悲しくないよ。だってそういうものだよね」


この言葉の意味を、暫くしてから私は問うた。すると、「神父様がそうおっしゃったから、きっとそうなんだと思ったの」とかえってきたのだ。
"人はいずれ天に召され、死は平等に訪れ、しかしそれで悲しむ事は何もない。死の先には安らぎがある"
その説法を、そう、心から信じたのだ。だから、両親が死んでも"悲しくない"。

死はとても自然な循環、淘汰だと思っている。それは間違いではない。が、この年にして割り切れるものではない事柄のはずだ。
その子は、神父が語るような綺麗な善を信じる。そういう所を、ワイミーさんは好み、諸手を挙げて歓迎していた。

そしてこれは僥倖で、棚ぼた的な物だったが──
その子は、子供にしてはあまりに高い知能を持ち合わせていたのだった。

傍に置いて不足ない事に一番安堵していたのは、孤児院を作るほど子供を大事にするワイミーさんだっただろう。
これならその子に飽きたとして、探偵たる私に貢献できるよう技能を"仕込めば"、傍に置き続ける事に支障ない。
そして──好奇心だけで動き、法を破る事も厭わない私の、道徳心にもなれる逸材。
ワイミーさんは私の非凡さを伸ばす事を大事にしているけれど、それとも同じくらい、
心の中では、平凡な子供扱いをしたがっていることを知っていた。
なので、私について行けるほどの知性がありながらして、普通の価値観を持ち合わせた子供が傍にいるという事は、嬉しかったに違いない。
きっといい影響を与えてくれるだろう、と。

とはいえ、それは世の中にあふれる凡人と同程度の正義感にすぎない。
──それが何故そんなにも特別なのか。

それは、彼女はその正義感を、どんなことがあっても曲げないのだと気が付いたから。
彼女との付き合いが始まって数年経った頃には、私達はそれを更に強く理解させられていた。
それこそがその子の神髄。
価値観など、環境や直面した出来事で、容易く変わるもの。
変わらないままでいる事は、誰にでもできることではない。だからこそ彼女は特別で、私のブレーキに…何かを判断をする際の確固たる指針になり得たのだった。


色々ふんわり読み流してください。 2025.8.12