第0話
1.序章布石を打つ
──始まりの日はいつだって突然にやってきて。
また、終わりの日も突然にやってきた。
異質で非凡な始まりこそは自分で選べなかったけど、それでも終わりの瞬間を決めたのは私だと思うと、少し胸が軽くなる。
──最期だけは、私が決める。強い覚悟をもってして、私は声にする。


「──私は、今日この日をもって、デスノートの所有権を放棄することにした」


ここで終わりにする、という区切りを言い渡すと、目の前の"異質な存在"は、私を高くから見下ろしながら、とても驚いているようだった。

「…本気なのか?」
「うん、本気だよ」

私の声は震えず、瞳は真っすぐ"ソレ"を見据えている。
そしてソレもまた、声を発さず私を見据え、
視線だけでこの決断を撤回させようと圧をかけているのがわかった。
けれど、根負けしたのはあちらが先だった。本気だということが伝わったのだろう。
納得がいかない、という声色は隠さず、けれど「わかったよ…」と承諾する他なかった。
そこにあるのは不服、失意、落胆、憤り。私はソレの抱えた負の感情を取り払うように、「でもね、」と付け足した。


「そんなに気に病まないでね。だってこれは、永遠のさよならじゃないんだよ」
「それ、どういう事なの?」
「そうだね…ええと…どうしようか…。そう、2003年になったら、また取り戻すつもり」
「そんなの、あと十年以上は先の話じゃないか」
「十年を長いと感じるの?そう…"死神"は人間とときの流れが違うのいきものかと思ってた」
「まあ…そうなんだけど」


人間とは到底思えない姿形をしたソレは、自分は死神だと、初対面で私に名乗った。
人間に見えないのは外見だけで、意外にもこの死神は、人間臭い思考回路をしているようだ。
まだ出会って短期間だけれど、私には既にそれがよくわかっていた。


「今日は空がきれいだね。風も気持ちいい。…あなたは風を感じれるの?」


空を見上げると、教会の建物が目に入る。高くには、大きな鐘がぶら下がっており、
その音はうるさいほどよく響き渡っていた。
今日この日に限っては、この鐘は私と、"私の家族"ために鳴らされてる。
だというのに、それに感じ入る暇もなく、私は死神なんかと話して、教会の雑木林で人目を忍び、誰にも言えない事をしている。


「どうかな。死神の体は退化してるとも進化してるとも言えて…特に、人間界にいると、より体に意味をなさない」
「というと、つまり?」
「食べる必要もないし、意図しないと物体は体を通り抜けてしまう」
「そうなの…それは…、つまらないね」


他愛のない会話をしながら、私は大きな木の根元に穴を彫り始めた。…素手で。

スコップもなしに、小さな手で掘るのは厳しいと、実行するこの瞬間まで解らなかったのは何故だろう。
それなりに緻密にこの日まで計画してきたつもりだったけれど、詰めが甘かったようだ。
まさかこんな些細な所でミスを犯すなんて、とため息をつきながら両の手を眺めた。
…あまりにも小さい。
──なんせ、今のわたしは、三歳児なのだから、当然だろう。

全然進まない現状を見かねて、死神が変わりに深く深く、地面を掘ってくれた。
今は意識してすり抜けないよう、その手を土に触れさせている、という事だろう。
土を掘る感覚はあるのだろうか、とぼんやり考えながら「ありがとう」と言う。
死神は、たった一言。その一言だけが、心底嬉しいようだった。


「ねえ…私がこのデスノートを手放してるその間…他の人間に渡さず、私のこと、待っててくれるよね?」
「ワタシの答えなど解ってるはずなのに、その質問は意地が悪いな」
「あは…でも分からないじゃない?死神の感覚は人間と違ってて…長く生きてるからこそ、逆に飽き性で移り気かも」
「そういう個体もいるかもしれないが、ワタシに限ってそれはない」

死神はそう言い切り、私の代わりに掘った穴の上に、丁寧に土をかぶせた。彫った形跡などはパッと見、見当たらない。随分器用で見事な仕事をしてくれた。
──私は今日これから、デスノートの所有権を放棄する。そしてその放棄する予定のデスノートを、地中深くに埋めたのだ。
誰にも見つかってはならない…後に人間界では殺人兵器と呼ばれる恐れられる代物。
いくら堀った形跡を残さないように、と注意したって、みる人がみれば、どうしてもわかってしまう。

だから、万が一の保険のため、区域を二つに分けて穴を複数彫った。
一つはデスノートを埋めた穴。もう一つはタイムカプセルを埋めた穴。
タイムカプセルは比較的人目に付きやすい見つかりやすい位置に埋めて、最悪見つかってもいいという覚悟で隠した。
鍵付きのアンティークの小箱の中には、可愛らしい便箋が一枚。「2003年の、18歳の私へ」と書かれたもの。
この死神自身自発的に、2003年のとある日、このノートを掘り返し、私の下へノートを届けてくれる…というのがベストだと思っていたけれど、そこまで親切にしてくれるかなんて期待できない。
だから埋めて、私の想像するベストにタイミングで、自分で掘り返しにこられるよう、仕組んだつもりだ。
私がタイムカプセルの入れ物として使った小箱は、記憶を亡くした私にとっても大切な"宝箱"だろうから。

そして、タイムカプセルを埋めたのよりもっともっと奥…近隣の子供たちが、お化けが出るという噂を囁くほどに不気味で鬱蒼とした区域。
そこにも何個か穴を彫ってもらった。そしてその複数の穴に埋める箱のいくつかはガラクタで、一つだけは当たり…デスノートが埋められている。

一つは、目立つ所にタイムカプセルを埋めた事。ひとつは、人々が忌避する場所にデスノートを埋める事。これで本命…デスノートに誰かが触れないよう、予防線を張ったつもりだ。

万が一気まぐれに掘り返されたとして、デスノートに行きあたる確率が下がるように、
複数個の穴を作って埋めた。中には子供のおもちゃばかりが詰められていて、
いくつか箱をあければ、きっと興味をなくすはず。
具体的には、10分の1の確率でデスノートに行きあたる訳だけど──
万が一、引きが強い人間がこれを発掘してしまったとすれば…もうそれはそれで、どうしようもないことだと諦めていた。
現状、三歳の私の手の届く範囲で、出来る精一杯は、これだけしかないのだから。
私は雑木林から出て、少しの感傷に浸りながら、さわさわと揺れる木々を眺めた。


「じゃあ…今この瞬間を持って、私は"所有権を手放す"。──十数年後にまた会おうね」
「──ああ、その日が待ち遠しいよ」


死神はうっそりと笑って、天へと羽ばたく。
それを見届けると、がくりと一度体の力が抜けて、その場に蹲る。そしてハッとして顔をあげて──


「──なにをしてるんですか?」


背中にかけられた声に振り返ったその時には、私は平凡な──
…前世の記憶があるだけの、無垢な少女に早変わりしていた。


2025.8.12