3話
1.序章はじめてのキス

ぱちり、と目が覚めた。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいるのが見えて、
眩しかった。
少しの間ぼーっとしていると、だんだん周りが見えてくる。
まず、私の背中に、誰かの腕が回っていること。それが見慣れた存在──Lの物であるということ。
彼は眼を瞑り、寝息を立てていること。ここがベッドの上であるということ──

私は状況を理解すると、心の中で大きく歓声を上げた。
──やった!ついに私はやり遂げた!
Lを健全でまともな生活をさせようという私の計画は、これでほとんど達成されたと言っていい。
まずトイレのドアを閉めるというのは、割と早い段階で完璧にできるようになっていた反面。
椅子で眠らずベットで寝て!という要求はなかなか通らなかった…

でも、とうとうやり遂げた。
Lとワイミーさんと暮らし始めて早数年。1992年、L13歳の冬の日の朝…
ついにベッドでLを眠らせる事に成功した。
起こさないようにそれからじっとしていたけれど、割と早い段階でLは目を覚ましてしまった。
なんせ102時間稼働した後にだって、17時間しか眠らないという人間なのだから、Lはいつだって人と比べると睡眠時間が短い。
特に、昨日は私の就寝に合わせてこのベットで眠りこけたのだから、一晩眠って、早朝に目が覚めるなんて、本人からすればびっくりの長時間睡眠、短時間稼働だっただろう。


「おはよぉ、L」


私は嬉しくて、気だるげに目をこすっていたLのほっぺにキスをした。
すると、びっくりして目を丸くする。上半身を起き上がらせて、ごろごろしている私を珍獣でもみるかのように見下ろした。


「やわらかいです」
「そーだね」


唇を押し当てたのだから、そうだろう。


「キス、初めてされました」
「あれ、そうだっけ?」
「そうです」
「でも、挨拶のキスくらいみんなしてきたでしょ?子供のころならなおさら…」
「私は知らない人間にそういった事をされるのが嫌だったので、全て拒否してきました」
「あー、そーなの」
「だから、初キスです」


恥ずかしいことを、恥ずかし気もなく言うLがおかしくて、あははと声をあげて笑ってしまた。
それを恥じた様子もなく、淡々と感想を呟く。


「意外と悪くないですね。毎日してくれてもいいですよ」
「やだあ」
「なんでですか。家族なら毎日習慣的にするものだと来ました。それならすべきでは?」
「今まで拒絶してきた人間がいうセリフじゃないよおー」

けらけら笑いながら言うと、Lはむっとした。

「では、どうしたら…いや、どうして今キスしたんですか?」
「それはー、うれしかったから!」
「なにが?」
「Lとベットでねれたこと!L、えらいえらいー!」


改めて口にすると、また嬉しくなって、衝動のままにまたLの頬にキスをした。


「…なるほど、ご褒美にもらえるのがキスなんですね」
「え、ちがうよ?今のは、わたしがしたかったからしただけ」
「……意味がわからない」


Lは心底わからない、といった嫌そうな顔をしてから、ベッドから降りて、そのままどこかへ消えてしまった。
足音が向かって消えた方向とLの性格を考えると、自分の部屋だ。
インターネットにつながったモニターが気になって仕方がないのだろう。
眠る気もなかったのに、私の口車に乗って私の寝室へやってきて、そのまま知らぬうちに寝落ちてしまったのだ。
想定外の睡眠をとることになった事で、Lの中の計算が狂ってしまっているはず。
けれど悪い事をしたとは思わない。椅子の上に拘束されて、体を痛め続けた、ここ数年の私の方がよっぽどかわいそうだ。

それから、Lはたまにベッドで寝てくれるようになった。
私が自然にベッドに誘導するようにして、そこで人形遊びをさせる。そして、他愛ないお喋りをするうちに、自然と眠りに落ちる。
毎日ではないけれど、十分だった。


「L、おはよおー」

朝、毎回嬉しくて私はLにキスをする。もしかしたら、Lにとってのそのご褒美がほしくてベッドで寝ている部分もあるのかもしれない。
計画的にか、無意識にかは分からないけれど。
それに、Lが言っていたキスの感想…「意外と悪くない」「ご褒美にもらえる」という発現は、もっと理解できない。
例えば母親の愛情に飢えている飢餓的な人間ならわかる。
きっと親愛をもらえた気がして、繋がれた気がして、嬉しくなると思う。
けれどLは、生活面はともかくとして…精神的には、一人で生きていけるし、むしろそれを望んでいる人間だ。
我が道を行き、それを邪魔されたくないと思ってる。
愛情に飢えるのとは真逆なドライな人間だと私は思っている。
だというのに、キスを喜ぶその心理とはなんだろう。


「…単純に、感触?」

柔らかい、と驚いていた姿を思い出し、口元に手を当て、ベッドの上で私は呻る。
Lは毎日同じ服しか来ていない。…というと語弊があるか。
全く同じ素材、全く同じ形の服しか着ないのだ。それは想像するに、デザインに拘りがあるというよりも、肌触りが気になるんだと思ってる。
いつも裸足で、靴を履いてるところも見た事がない、きっとこれも同じ理由。
感性が独特で、味覚も片寄っていて、きっと肌感覚も片寄ってる。
そんなLが、たまたま気に入った感触が唇が押し当てられる柔らかい感触だったんだろう。
Lには及ばないながら、我ながら、中々いい推理ができたと思う。



、おはようございます。入ってよろしいですか?」

コンコン、と半開きになっている扉を律義にノックしたワイミーさんが、声をかけてきたので、「はーい」と声をかけた。


「おはようございます。今日は…とても素晴らしい日ですね」
「うん!Lねー、朝までずーっと寝てたよ!こんなのはじめてみた!」
「私も初めてです。…よくやってくれましたね。いくら本人が大丈夫と言っても、椅子に座り続けるのは、やはり人体の構造上、負担がかかっているのは事実ですので…心配していたんです」
「そうだよね、血流すっごい悪そう〜」


私は自分がLに抱き込まれて、椅子の上で眠るのが辛いという打算もこみだったけれど。
ワイミーさんは、純粋にLの体を案じていたようだった。


「ワイミーさん、それで…あっ」
「はい」
「ワタリ…さん」
「ふふ、少しずつでいいですよ」


1992年の冬は、様々な節目の年だった。
仮住まいを離れ、もうじき本拠地へと引っ越すのだと言われたのが一週間前のこと。
それに伴い、ワイミーさんという呼び名を改めて、今後は"ワタリ"と呼ぶようにと言われたこと。理由は教えてもらえなかったけど…
──そしてこれはたまたまだろうけど…
Lがベッドで眠る事が出来るようになり、そして、キスを喜ぶという事実が発覚したこと。

「ワタ…リ…あのね、じつはね…」


私は未だ口通りの悪い響きに、もごもごとつっかえながら語り掛ける。
Lがベッドで寝てくれるようにどんな工夫をしたかという道のりと、
今朝の出来事。キスをした時のLの反応。そしてそれを喜んだ彼の心理の考察。
そして、私はこう思った事を伝えた。


「私を人形遊びに使わせるのと同じ…キスって、使えるとおもうの!」


言うと、ワタリは驚きで目を丸くしていた。

「それは…切り札に使うという事ですか?」
「そういうこと。すごく便利だよね」
「…賢いならもう分かると思いますが…それは、己の体を売る、というのと紙一重の行為ですよ」
「人形遊びに私の体をいじらせるのだって、それと同じことだとおもうけどなあ」
「…キスは、少し意味が違ってきますね」
「そうなの?」

ワタリは難色は示しつつ、話の続きを促した。
私はただお喋りがしたかったのではない。今朝あったことの報告と、今後の展望について相談がしたかったのだ。


「それで、それを餌にして、Lに何してさしあげたいんですか?」
「あのね、わたし、Lをお風呂にいれてあげたい!」
「…………


ワタリは今まで聞いた事がないほどの長い間をあけて、心底悲しそうに私の名前を呼んだ。
嫌な予感がしたのは、間違いではなかった。
私はその後、滾々とワタリ直々に、長時間に渡る性についての講義を受ける羽目になった。
そう、あまりにも長すぎた。そして、白熱しすぎて、おそらくLがワタリを呼びつけた事に気がつけなかったのだろう。
Lが私の部屋へと歩いてやってきたころには、もう昼下がり。

「L…申し訳ありません」
「いいです、それより続けてください、話が気になります」

そしてLのために…Lのせいで…Lのおかげで開かれててる講義に、L自身も参加するおかしな自体を招いてしまった。


2025.8.12