第八話
1.言葉─地獄体験
地獄にアイドルがやってくるらしい。
天使が地上に降り立つみたいなふわっとした感じのアレでも比喩表現でもなくて、お仕事でやって来てくれるというのだ。
現世のアイドルのことだったら、一度目の人生の知識あるから分かるかもしれない。
けれど地獄のアイドルのことは少しも知らなかったので、色のよい反応を示すことも出来ず、へえそうなんだなあーと思うだけだった。
そもそも男性アイドルなのか女性アイドルなのかもわからず、記録課に所属している私が彼ら(彼女ら?)の仕事に携わることはなく。
その日の午前は慌ただしく、情報を確認するタイミングも逃し、いつも通りに一日を過ごすだけだった。
「ねえねえさん、聞いた?今日のこと」
「今日?何かあったっけ」
同じ課に所属している女の子が、休憩時間になるとどこか浮き足立った様子で聞いてきた。
記録課内には長机がいくつも並んでいて、正座をして机に向かい業務に励む。
普段近くに座る事はないものの、よく会話をする女の子だ。
問い掛けられて、特別な日だったっけなーと脳内を探ってみる。冬至でも節分でもでもなんでもない。
普段通り業務にあたるだけで、特別な事は何もないはずだ。いつもとは違うことと言えば今日地獄にアイドルがお仕事しに来るという告知がされていたことくらい。
…もしかしなくてもその事かと思い至ると同時に興奮気味に捲し立てられた。
「マキミキの話だよ!」
「まきみき?」
聞きなれない発音だった。思わずオウム返しする。
アイドルの事じゃなかったのかな。いやソレがそのアイドルのグループ名か何か?それとも個人の芸名?
生返事をする私は事情を呑みこめていないんだろうと、彼女は察したようだった。
書き物をしている最中、邪魔にならないように結んでいたタスキを解きながら、彼女は再び問う。
私も同じように解き袖を下ろしながら会話を続けた。
「…もしかして今日地獄に撮影に来ること知らない?」
「ああ、うん、アイドルの子が来るのは知ってるよ」
「そうそれの事。来るのはあのマキミキなんだよ!凄い話だよね」
「へえ、まきみきって子が来るんだ。…地獄にアイドルが来るって、確かに凄い光景だよね」
グループ名なのか個人名なのかそれがどんな字をあてるものなのかわからない。
華やかな女子でも煌びやかな男子でも、血に塗れた地獄に光輝くスターが降り立つ光景というのはなんだか異様だなと思った。
ひらがな発音しか出来ない上に、おそらく的外れな感想をもらした私に、彼女は呆れたような目を向ける。
彼女は几帳面な手取りで襷を畳み、袖の皺を伸ばしながら真顔で捲し立てた。
「今は女性人気も出てきたのに…あっちにもこっちにも引っ張りだこなんだよ。歌も踊りもモデルの仕事も。教育番組もクイズ番組まで凄く幅広く…!いい味出すんだこの子達。さんはそういうの興味ないの?」
「あー、興味がないとかじゃなくて…私あんまりテレビ見ないからわからないの。…っていうか女の子だったんだね」
「テレビだけじゃなくて街中に広告だって結構張り出されてるのに!マキミキとのコラボも沢山出てるよ!?」
熱く語る同僚はもしかしてその子たちのファンだったのかもしれない。
それなのにいい反応が返って来なかったらもどかしくもなるだろうなと、なんだか申し訳なくなってきた。
曲もいいし歌もいい、一度聴いたら忘れない耳に残る魅力的な声。
小さくて華奢で色白で可愛いくて、他にない個性を持つ、アイドルとしての天賦の才を持って生まれた子たちなの!と力説される。
最近の活動について詳らかに熱弁し出した彼女はもしかしなくても間違いなくファンだと確信した。
神様ありがとうと唱え涙をほろりと一筋流した彼女を見て、下手なことはもう言えなくなってしまったなと思った。
懐からハンカチを取り出して、とんとんと目元を拭った彼女はスッと真顔に戻り、今度は不思議そうに首を傾げていた。
「なんでそんなに流行りに疎いの?もしかして興味ない…というかアイドルは嫌い?」
「そんなことないよ。テレビも食堂でなら観るし」
「ソレ、同じような時間帯しか通ってないでしょう。観れる番組なんて決まってるんじゃない」
「あ、そうかも」
さまざまな番組が曜日別にやっているとはいえ、時間帯が絞られれば見れる番組も絞られるし、系統も変わってくる。
ご飯時に観るだけなら、間違っても深夜番組はみていないことになる。
私に夕飯を遅く摂る習慣はない。
お喋りしながら食べるのは夜の方が多いから、気がそぞろになって黄金時間の番組を観ることも少ないかもしれない。
集中して観るのは昼と朝の方が多分多い。
深夜の時間帯は面白いものがたくさんやっているのだと一度目の人生での知識、経験があるから知っている。
けれど二度目からはずっと早寝早起きをしていて、夜更かしはほとんどしていなかった。
暗くなれば寝て空が白む頃に起きる習慣がもう身に沁みついてしまっている。
今度こそ心底呆れたように見られた。溜息まで吐かれた。
「マキちゃんは金魚草大使もやってるんだよ?それなのに、なんでさんが知らないの」
「あの、私と金魚草は一切かかわり合いがないから…」
「さん、鬼灯様とは関わり合いがあるじゃない」
「だからと言って金魚草のことに詳しい訳じゃないよ…」
「へえ。鬼灯様って周りに布教活動はしない性質なんだね」
「…ふきょう?」
「そこはどうでもいいけど。興味ないし」
同僚の彼女は納得したように一人頷いていた。
閻魔殿の広い中庭に大量に生息…自生…植えられてる…?金魚草という植物。
生き物といった方が正しいのかもわからない、長い茎の上に大きな金魚のようなものが乗っかっている(咲いている)それ。
金魚草には熱心なファン・マニアがついていたり、大会まで開かれていることも知っている。
お刺身にしたら美味しいのも知ってる。昔鬼灯くんが直々に捌いてくれたこともある。
その鬼灯くんがどこかで自生しているのを発見し育て始めた第一人者であり、結構な熱を入れて世に広めている先駆者なんだとも知ってる。
けれど、ただそれだけの事で、一緒に育てようと誘われた事もない。
たまに気が向いて中庭の金魚草にちょっかいをかけたりするだけで、私は大会を見に行ったこともない。なので詳細は何も知らない。
「でも私は布教活動するからね。相手が嫌だって言っても好きのゴリ押しするよ。洗脳することだって辞さない。マキミキのライブDVD貸しに来るから、明日はすぐ上がらないで待っててね」
「え…あ…はい…」
布教ってなんのことかと思ったけどそういう感じのアレか。
どうしてだろう、声は嬉々溌剌としているのにその目は濁っている。熱心すぎて目の前が見えていない状態なのだろうか。彼女の勢いに圧倒されて私は反射的に首を縦にして頷いていた。
天晴といいたくなるくらい彼女は正直だった。
怖くないよ〜と言いながらじわじわと近寄るんじゃなく、ダッシュでやって来て網でバサーッと捕獲されるようなこの勢いだともう何も言えなくなる。
そこまでやるならもう何も言わない、心意気に免じて煮るなり焼くなり好きにしていいよって感じ。
これが彼女の言う洗脳の一歩なのだろうと思う。でも楽しいことが増えるのにこしたことはないし、染まるのもやぶさかではない。
むしろ彼女がここまでご執心になるようなアイドルっていったい…と興味と好奇心がわいてきていた。
アイドルが獄卒の業務体験をして、その流れを撮影・HPで公開。地獄のPRをする。
撮影はどこかの刑場でしているだろうし、部外者は立ち入れないようにされているはず。来ると言っても、間違っても関係者以外はアイドルの子らの姿は見れないだろう。
昼の番組にレギュラー出演している曜日もあるというから見てみたかったけど、なんだかんだで昼食を摂るタイミングを逃してしまった。
話こんでいて食堂を訪れるのが遅くなってしまったのに加えて、混雑が酷くて当分席が取れそうになかったので、諦めて踵を返した。
一旦寮に戻れば何かしらの軽食は常備してあるだろから、摂れるはず。
そもそもどの曜日なのかどうかも確認していないのだ。いつも私は爪が甘い。
速足に寮に戻り、無事に軽く食べられる物を手にして閻魔殿に戻った。
手に持っているのは駄菓子。されど駄菓子。そこそこお腹は満たされそうだった。栄養は摂れなさそうだけれど。
どこかに座って食べたいと、一息つける場所を探しながら廊下を歩いていると、すれ違うどこか浮き足立っている様子の獄卒たちをちらほらと見かけた。
ひそひそと楽しげに何かを話している。多分そのまきみきというアイドルの話だろう。
聞き間違えでなければ、その単語が小さく耳に届く事があった。
どこかお祭りのような空気が漂っていて、なんだか面白い。
バレンタインとか、我慢大会とか、季節の行事で盛り上がることは時々あったけど、それとはまた種の違う雰囲気だった。
閻魔殿の食堂や図書室なんかはたいてい人通りが多い。
中心部より奥まった場所へと行けば、人影は少なく、休むための穴場は多かった。
如飛虫堕処のように、各所に休憩処というのは設備されているけど、廊下の一角などにも死角になるような場所にポツンと椅子が設置されている事があった。
座ると壁と壁の間にすっぽり埋まるようになる椅子の上に腰を落ち着けて、殺風景な天井と床を見る。
閑散としているせいか、活気ある場所の物より古びて見えた。この通路を左に行っても右に行っても、どちらも刑場に行ける。
等活地獄、黒縄地獄などの文字を記した案内札が壁にかけてある。
「あ」
駄菓子の袋を次々と開きながら見渡していると、複数の気配が近づいて来るのに気が付いた。薄ら声も聞こえてくる。
休憩時間の終わりが近づいている今だからこそ、尚更人が来るのは珍しいなとそちらを眺めた。
通路の向こうから、二人の女の子と並んで歩いて来たのは、鬼灯くんだった。
よく見れば足元には猫ちゃんが一緒に歩いてる。帽子をかぶり着物を纏いカメラを持っているハイカラ猫ちゃんだった。いったい何の集まりだろう。
会話の内容までは鮮明に聞き取れないけれど、案内札を指さしながら何か話しているようにだ。
平均よりもちょっと下くらいだろうか、可愛らしい背丈をしている。
華やかな洋服&着物、華やかな髪型をしていて、よくみるとつま先からてっぺんまでキラキラしていた。
お化粧や服装効果もあるんだろうけど、遠目に見ても肌も綺麗なのが分かって、地が美しいのだと理解できた。お香ちゃんも含めた地獄の美女達を見慣れているけど、まったく引けを取らない。
誘惑するのがお仕事な美女とは系統が違う美少女かもしれないけど。
その美少女の片割れ…ツインテールの美少女がふと不躾な視線に気が付いたのか、ちらりとこちらを見た。
「……あ゛」
「え?なになに、どうしたの?」
「何かありましたか」
目が合うと、短く声を漏らしてから硬直した。
つられるようにしてもう一人の子も私の方へ視線をやると、肩につくかつかないかくらいの短い髪が揺れる。
鬼灯くんも猫ちゃんも二人の反応を見て、不思議そうにしながらこちらに振り向く。
──それと同時に、絶叫が響き渡った。
「ニ゛ャー!!!?」
「え?…あ、わあー?」
私もつられて絶叫…とまではいかないけど驚きの声をあげた。
いつもは下ろしている長い黒髪を高い所で二つに結び、フリフリとした可愛らしい洋服を身に纏う…いつもとは随分と印象の違う恰好をしているミキちゃんがそこにいた。
深く帽子をかぶり、メガネをかけている普段とは全然雰囲気が違いすぎて、遠目に見ただけでは気が付かなかった。
1.言葉─地獄体験
地獄にアイドルがやってくるらしい。
天使が地上に降り立つみたいなふわっとした感じのアレでも比喩表現でもなくて、お仕事でやって来てくれるというのだ。
現世のアイドルのことだったら、一度目の人生の知識あるから分かるかもしれない。
けれど地獄のアイドルのことは少しも知らなかったので、色のよい反応を示すことも出来ず、へえそうなんだなあーと思うだけだった。
そもそも男性アイドルなのか女性アイドルなのかもわからず、記録課に所属している私が彼ら(彼女ら?)の仕事に携わることはなく。
その日の午前は慌ただしく、情報を確認するタイミングも逃し、いつも通りに一日を過ごすだけだった。
「ねえねえさん、聞いた?今日のこと」
「今日?何かあったっけ」
同じ課に所属している女の子が、休憩時間になるとどこか浮き足立った様子で聞いてきた。
記録課内には長机がいくつも並んでいて、正座をして机に向かい業務に励む。
普段近くに座る事はないものの、よく会話をする女の子だ。
問い掛けられて、特別な日だったっけなーと脳内を探ってみる。冬至でも節分でもでもなんでもない。
普段通り業務にあたるだけで、特別な事は何もないはずだ。いつもとは違うことと言えば今日地獄にアイドルがお仕事しに来るという告知がされていたことくらい。
…もしかしなくてもその事かと思い至ると同時に興奮気味に捲し立てられた。
「マキミキの話だよ!」
「まきみき?」
聞きなれない発音だった。思わずオウム返しする。
アイドルの事じゃなかったのかな。いやソレがそのアイドルのグループ名か何か?それとも個人の芸名?
生返事をする私は事情を呑みこめていないんだろうと、彼女は察したようだった。
書き物をしている最中、邪魔にならないように結んでいたタスキを解きながら、彼女は再び問う。
私も同じように解き袖を下ろしながら会話を続けた。
「…もしかして今日地獄に撮影に来ること知らない?」
「ああ、うん、アイドルの子が来るのは知ってるよ」
「そうそれの事。来るのはあのマキミキなんだよ!凄い話だよね」
「へえ、まきみきって子が来るんだ。…地獄にアイドルが来るって、確かに凄い光景だよね」
グループ名なのか個人名なのかそれがどんな字をあてるものなのかわからない。
華やかな女子でも煌びやかな男子でも、血に塗れた地獄に光輝くスターが降り立つ光景というのはなんだか異様だなと思った。
ひらがな発音しか出来ない上に、おそらく的外れな感想をもらした私に、彼女は呆れたような目を向ける。
彼女は几帳面な手取りで襷を畳み、袖の皺を伸ばしながら真顔で捲し立てた。
「今は女性人気も出てきたのに…あっちにもこっちにも引っ張りだこなんだよ。歌も踊りもモデルの仕事も。教育番組もクイズ番組まで凄く幅広く…!いい味出すんだこの子達。さんはそういうの興味ないの?」
「あー、興味がないとかじゃなくて…私あんまりテレビ見ないからわからないの。…っていうか女の子だったんだね」
「テレビだけじゃなくて街中に広告だって結構張り出されてるのに!マキミキとのコラボも沢山出てるよ!?」
熱く語る同僚はもしかしてその子たちのファンだったのかもしれない。
それなのにいい反応が返って来なかったらもどかしくもなるだろうなと、なんだか申し訳なくなってきた。
曲もいいし歌もいい、一度聴いたら忘れない耳に残る魅力的な声。
小さくて華奢で色白で可愛いくて、他にない個性を持つ、アイドルとしての天賦の才を持って生まれた子たちなの!と力説される。
最近の活動について詳らかに熱弁し出した彼女はもしかしなくても間違いなくファンだと確信した。
神様ありがとうと唱え涙をほろりと一筋流した彼女を見て、下手なことはもう言えなくなってしまったなと思った。
懐からハンカチを取り出して、とんとんと目元を拭った彼女はスッと真顔に戻り、今度は不思議そうに首を傾げていた。
「なんでそんなに流行りに疎いの?もしかして興味ない…というかアイドルは嫌い?」
「そんなことないよ。テレビも食堂でなら観るし」
「ソレ、同じような時間帯しか通ってないでしょう。観れる番組なんて決まってるんじゃない」
「あ、そうかも」
さまざまな番組が曜日別にやっているとはいえ、時間帯が絞られれば見れる番組も絞られるし、系統も変わってくる。
ご飯時に観るだけなら、間違っても深夜番組はみていないことになる。
私に夕飯を遅く摂る習慣はない。
お喋りしながら食べるのは夜の方が多いから、気がそぞろになって黄金時間の番組を観ることも少ないかもしれない。
集中して観るのは昼と朝の方が多分多い。
深夜の時間帯は面白いものがたくさんやっているのだと一度目の人生での知識、経験があるから知っている。
けれど二度目からはずっと早寝早起きをしていて、夜更かしはほとんどしていなかった。
暗くなれば寝て空が白む頃に起きる習慣がもう身に沁みついてしまっている。
今度こそ心底呆れたように見られた。溜息まで吐かれた。
「マキちゃんは金魚草大使もやってるんだよ?それなのに、なんでさんが知らないの」
「あの、私と金魚草は一切かかわり合いがないから…」
「さん、鬼灯様とは関わり合いがあるじゃない」
「だからと言って金魚草のことに詳しい訳じゃないよ…」
「へえ。鬼灯様って周りに布教活動はしない性質なんだね」
「…ふきょう?」
「そこはどうでもいいけど。興味ないし」
同僚の彼女は納得したように一人頷いていた。
閻魔殿の広い中庭に大量に生息…自生…植えられてる…?金魚草という植物。
生き物といった方が正しいのかもわからない、長い茎の上に大きな金魚のようなものが乗っかっている(咲いている)それ。
金魚草には熱心なファン・マニアがついていたり、大会まで開かれていることも知っている。
お刺身にしたら美味しいのも知ってる。昔鬼灯くんが直々に捌いてくれたこともある。
その鬼灯くんがどこかで自生しているのを発見し育て始めた第一人者であり、結構な熱を入れて世に広めている先駆者なんだとも知ってる。
けれど、ただそれだけの事で、一緒に育てようと誘われた事もない。
たまに気が向いて中庭の金魚草にちょっかいをかけたりするだけで、私は大会を見に行ったこともない。なので詳細は何も知らない。
「でも私は布教活動するからね。相手が嫌だって言っても好きのゴリ押しするよ。洗脳することだって辞さない。マキミキのライブDVD貸しに来るから、明日はすぐ上がらないで待っててね」
「え…あ…はい…」
布教ってなんのことかと思ったけどそういう感じのアレか。
どうしてだろう、声は嬉々溌剌としているのにその目は濁っている。熱心すぎて目の前が見えていない状態なのだろうか。彼女の勢いに圧倒されて私は反射的に首を縦にして頷いていた。
天晴といいたくなるくらい彼女は正直だった。
怖くないよ〜と言いながらじわじわと近寄るんじゃなく、ダッシュでやって来て網でバサーッと捕獲されるようなこの勢いだともう何も言えなくなる。
そこまでやるならもう何も言わない、心意気に免じて煮るなり焼くなり好きにしていいよって感じ。
これが彼女の言う洗脳の一歩なのだろうと思う。でも楽しいことが増えるのにこしたことはないし、染まるのもやぶさかではない。
むしろ彼女がここまでご執心になるようなアイドルっていったい…と興味と好奇心がわいてきていた。
アイドルが獄卒の業務体験をして、その流れを撮影・HPで公開。地獄のPRをする。
撮影はどこかの刑場でしているだろうし、部外者は立ち入れないようにされているはず。来ると言っても、間違っても関係者以外はアイドルの子らの姿は見れないだろう。
昼の番組にレギュラー出演している曜日もあるというから見てみたかったけど、なんだかんだで昼食を摂るタイミングを逃してしまった。
話こんでいて食堂を訪れるのが遅くなってしまったのに加えて、混雑が酷くて当分席が取れそうになかったので、諦めて踵を返した。
一旦寮に戻れば何かしらの軽食は常備してあるだろから、摂れるはず。
そもそもどの曜日なのかどうかも確認していないのだ。いつも私は爪が甘い。
速足に寮に戻り、無事に軽く食べられる物を手にして閻魔殿に戻った。
手に持っているのは駄菓子。されど駄菓子。そこそこお腹は満たされそうだった。栄養は摂れなさそうだけれど。
どこかに座って食べたいと、一息つける場所を探しながら廊下を歩いていると、すれ違うどこか浮き足立っている様子の獄卒たちをちらほらと見かけた。
ひそひそと楽しげに何かを話している。多分そのまきみきというアイドルの話だろう。
聞き間違えでなければ、その単語が小さく耳に届く事があった。
どこかお祭りのような空気が漂っていて、なんだか面白い。
バレンタインとか、我慢大会とか、季節の行事で盛り上がることは時々あったけど、それとはまた種の違う雰囲気だった。
閻魔殿の食堂や図書室なんかはたいてい人通りが多い。
中心部より奥まった場所へと行けば、人影は少なく、休むための穴場は多かった。
如飛虫堕処のように、各所に休憩処というのは設備されているけど、廊下の一角などにも死角になるような場所にポツンと椅子が設置されている事があった。
座ると壁と壁の間にすっぽり埋まるようになる椅子の上に腰を落ち着けて、殺風景な天井と床を見る。
閑散としているせいか、活気ある場所の物より古びて見えた。この通路を左に行っても右に行っても、どちらも刑場に行ける。
等活地獄、黒縄地獄などの文字を記した案内札が壁にかけてある。
「あ」
駄菓子の袋を次々と開きながら見渡していると、複数の気配が近づいて来るのに気が付いた。薄ら声も聞こえてくる。
休憩時間の終わりが近づいている今だからこそ、尚更人が来るのは珍しいなとそちらを眺めた。
通路の向こうから、二人の女の子と並んで歩いて来たのは、鬼灯くんだった。
よく見れば足元には猫ちゃんが一緒に歩いてる。帽子をかぶり着物を纏いカメラを持っているハイカラ猫ちゃんだった。いったい何の集まりだろう。
会話の内容までは鮮明に聞き取れないけれど、案内札を指さしながら何か話しているようにだ。
平均よりもちょっと下くらいだろうか、可愛らしい背丈をしている。
華やかな洋服&着物、華やかな髪型をしていて、よくみるとつま先からてっぺんまでキラキラしていた。
お化粧や服装効果もあるんだろうけど、遠目に見ても肌も綺麗なのが分かって、地が美しいのだと理解できた。お香ちゃんも含めた地獄の美女達を見慣れているけど、まったく引けを取らない。
誘惑するのがお仕事な美女とは系統が違う美少女かもしれないけど。
その美少女の片割れ…ツインテールの美少女がふと不躾な視線に気が付いたのか、ちらりとこちらを見た。
「……あ゛」
「え?なになに、どうしたの?」
「何かありましたか」
目が合うと、短く声を漏らしてから硬直した。
つられるようにしてもう一人の子も私の方へ視線をやると、肩につくかつかないかくらいの短い髪が揺れる。
鬼灯くんも猫ちゃんも二人の反応を見て、不思議そうにしながらこちらに振り向く。
──それと同時に、絶叫が響き渡った。
「ニ゛ャー!!!?」
「え?…あ、わあー?」
私もつられて絶叫…とまではいかないけど驚きの声をあげた。
いつもは下ろしている長い黒髪を高い所で二つに結び、フリフリとした可愛らしい洋服を身に纏う…いつもとは随分と印象の違う恰好をしているミキちゃんがそこにいた。
深く帽子をかぶり、メガネをかけている普段とは全然雰囲気が違いすぎて、遠目に見ただけでは気が付かなかった。