第六話
1.言葉─食と出会い
食べることは嫌いじゃないとは思っていた。しかしそれが趣味の域にまで達していると自覚したのは最近のこと。
文化の浸透が自覚を促した。
時代が進むにつれて、一度目に生きていた現代の頃にあったものが増えて行って、それを面白がって逐一手を出していた。
あの頃好きだった駄菓子やカップラーメンなど発見しては入手していたし、機会があれば現世の色んなお店に足を運んでいた。
休日はだいたい食べ歩きをしているかもしれない。
地獄にもなかなか素晴らしいお店がたくさんある。その中でもお気に入りのお店が密集している地区があって、私はよくそこに足を運んでいた。
そこで定期的に姿を見かける女の子がいた。下ろされた長い黒髪、大きな猫目、眼鏡をかけ、帽子を深くかぶった美少女。
通りの真ん中ですれ違うこともあれば、同じタイミングで同じ店に入店する事もあった。
最初は綺麗な子だなと一瞬目を惹かれて、その後は何度もすれ違うから物珍しくなって。
最終的にはこの遭遇率を鑑みるに、もしかして食べ物の趣味がものすごく合うんじゃない?と興味を惹かれて。
「相席でよろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
元から人気があるお店な上に、混雑して来る時間だということも手伝っていつも以上に繁盛していて、ヒトで溢れていた。
相席を断る理由もなく、お店の人に通されたテーブルに足を運び、イスを引き座ってからふと気が付く。
相席をすることになったのは、よく遭遇する例の女の子だった。
まだその子も席に通されたばかりなのか、視線をメニュー表に落として悩む素振りをしていた。
「…あ」
着席した相手の気配が気になったのかちらりと顔を上げた後、小さく声を零した。
すぐにササッと逸らされてしまったけど、もしかしてお互い思ってることは一緒だったのかもしれない。
よく見るなーって思ってた相手と、ついにこんな形で鉢合わせたらびっくりするよね。
遠目に見てただけなのにこんな至近距離で。
だからと言って、知り合いな訳でもないので何を声をかけることもなく。
テーブルの隅に設置してあったメニューを無言のまま開いた。
顔を合わせすぎててなんだか知り合いのような気がしてきてしまう。親近感を覚えてるというか。なんか危ない感覚だなぁこれ。
この店に来るのは初めてのことで、メニューをみてもどれにしようか迷ってすぐに決められない。
「…あれ、甘味がない」
悩みながらページを最後までめくると、甘味の項目がどこにも無かったことに気が付いた。
思わずぽつりと小さく呟きながら捲り直すけど、逆さにしたってない物はない。
ここは和食に加えて美味しい甘味があることで有名なお店だったのに、どういうことだろう。
私の得た情報に誤りがあったのかもと一瞬思ったけど、周りの客の手元にはこぞって宝石のように色鮮やかな甘味があったのを見た。
「…あの、ここです」
「え、あ、どうもありがとうございます。…うわあ、気付けなかったなぁ」
すると私の困惑と動揺を悟ったらしい目の前のその女の子は、気を利かせてスッと小さな冊子を差し出して来てくれた。
ガラス張りの背表紙をしている。テーブルの上に並べられていたこちらとは違って、一回り小さいソレはまるで置物のように隅に立てかけられていた。まさかこれがメニューだとは思わない。
「壊しちゃいそうでなんか怖い」
「投げても振り回しても落としても、壊れない…そう、ですよ…」
開く前にまじまじと眺め、ガラスを指の腹でなぞりながら言うと、その子は補足してくれた。
「へええ、そうなんですね。なんで投げること想定してつくられてるんでしょう。…あ、地獄だからかな」
「…どこよりも何よりも地獄らしく、がテーマに、なってる、ので…」
「あれ、それ知らなかったです。詳しいんですねえ、この店、よくいらっしゃるんですか」
「…え、あ、は、はい…」
そう言われれば薄暗く、赤と黒を基調として造られている店内は、地獄らしいと言えば地獄らしい。壁もイスも、目の毒にならない程度の赤色、黒色。
まるで悪戯を仕掛けられた気分で、少し昂揚しながら次々捲し立ててしまった。
相手の子はなんだかどもっていて、語尾が消え入りそうなくらいもごもごしている。
急にアレコレと饒舌に話しかけてまずかったかなと少し申し訳なく思いながら、しかし今さら押し黙る事もできず、眉を下げながら話を続けた。
「あの、もしよかったら、ここのオススメを教えてもらえたらなって。迷っちゃって決められそうにないんです」
「ああ、ここのどれも美味しそう…だし…」
今度は最初の方は流暢に話していたのに、再び語尾の方が消え入ってしまった。
すっとメニューのひとつを指さして、ここの常連だという彼女はおすすめの一品を教えてくれた。
「わ、美味しそう。じゃあこれにします」
「そ、即決…」
「だってせっかくオススメしてもらったし、きっとどれもおいしいから。教えてくれてありがとうございます」
「…」
えへへと笑うと、その子は徐に手の平で顔を覆い、「邪気のない笑顔が眩しい…」と少し泣きそうな声でぼやいていた。
なんだか辛いことでもあったのかもしれない。
世知辛い今を過ごしていれば、ほの暗いものを目の当たりにすることは多くあるだろう。
私の笑顔が眩しかったかはともかく、悪意がない純粋なものだったのは本当なので、それで癒されてくれたというなら、なんだかいいことをした気分だった。
お互いが注文した料理が運ばれてくるまであれもいいコレも美味しいと話をする。
彼女も途中から緊張…というか警戒のようなモノも解いて、気軽に雑談に興じてくれるようになっていた。
引かれて仕方ないくらい強引に押してしまったけど、いい方に転じてよかった。
その内配膳されて来た料理に箸をつけて、思った通り絶品だった品に笑顔になる。
微笑ましそうにこちらを見ていた彼女だけど、ふとぎこちない表情になって、どうしたんだろうと思っている内に、こちらに恐る恐ると問い掛けてきた。
「あの…あなたはテレビとか見ない方…です…か?」
「え。あーうん、見ない方かもしれないです。ついてれば見るくらいで」
嫌いじゃないけど、自分から進んで観る方ではなかったので頷く。
食堂でご飯を食べてるときに、設置されているテレビで放送されている番組を見るくらいだった。
思えば一度も自分でチャンネルを変えたことが無かったなと気が付いて、それが自分の拘りのなさを現しているなと思った。
誰かと一緒に食べてることがほとんどだったので、会話に没頭して見ていないことも多い。
「そっかぁ…」
語尾が小さくか細くなるのは彼女の癖なんだろうか。
問い掛けてきた意図もよく分からず、その後続く訳でもなかったから、ただの世間話だったのかなかと納得して受け止める。
深刻そうにしているから、何か問題でもあったのかと思ってしまった。
配膳されたタイミングも一緒なら、お互い食べ終わったのも同じ頃。
連れだって席を立ち、各々会計を済ませて軒先を出て、そのまま笑顔で手を振って別れる。
何度か姿を目に入れてるから一期一会とは微妙に違うけど、ドキドキする不思議な出会いだった。
…でもまぁ、多分これっきりじゃなくて再び見かけることはあるだろうなと予想する。
その次の週くらいには今度は古風な定食屋の前で遭遇して、あっさりと現実になった。
その後何回か出くわし続けると、どちらからともなく会釈するようにった。
途中から挨拶もするようになり、再び相席になった時には二人して笑ってしまって、それからは会えば他愛のない話をする友達のような感じになっていた。
思った通り、私のことをよく見かける顔だなと思っていたようで、最初に相席になったときは少し驚いたと後から聞いた。
「もしかして、追っかけなのかと思っちゃったんだけど…」
と、ぽつりと半ば独り言のように遠い目をしながら言っていたのを見て、うーんと腕を組み唸りながら少し考える。
今度遭遇したのは甘味屋の前で、入る決断をする事なく、軒先にあるメニュー見てどうしようかと相談しながら雑談していた。
「女の子を追いかけることはないかなあ。ストーカーするのも大変そうだし」
「いや、そういうことじゃなくて…うん…ていうかちゃん大変じゃなかったらストーカーする気なの?」
「えへ」
「えへじゃなくてニャーン」
もちろん簡単だったとしてもやるつもりはない。ただの冗談だった。
呆れたような顔をしている彼女…ミキちゃんはどうやら語尾にニャーンをつけるのが癖になっているようで、ときどき消え入りそうに話すのはそれを気にしての事らしい。
今もハッとして口を覆っているけど、必死に抑えている姿を見るとなんだかこちらの方が申し訳なくなる。
気にしなくていいのになと私は思うけど、本人的には気になるところなんだろう。しかしなんでそんな不思議な癖がついてしまったんだろう。
子供の頃って変なブームがあって、一人称を変えてみたり自分を名前呼びしてみたり口調を変えてみたりとか、喋り方にも個性が出たりするものだけど。
そういう癖が未だに根深く残っているのか、それとも子供時代は関係なく今も定着している個性?趣味?口癖?
なんにせよ好きなようにやってくれて構わないのになぁと苦く笑う。
私が許しても余所様の目が許さないのか。困った話だ。
そんな問答をしているうちに、背後から声をかけられた。
1.言葉─食と出会い
食べることは嫌いじゃないとは思っていた。しかしそれが趣味の域にまで達していると自覚したのは最近のこと。
文化の浸透が自覚を促した。
時代が進むにつれて、一度目に生きていた現代の頃にあったものが増えて行って、それを面白がって逐一手を出していた。
あの頃好きだった駄菓子やカップラーメンなど発見しては入手していたし、機会があれば現世の色んなお店に足を運んでいた。
休日はだいたい食べ歩きをしているかもしれない。
地獄にもなかなか素晴らしいお店がたくさんある。その中でもお気に入りのお店が密集している地区があって、私はよくそこに足を運んでいた。
そこで定期的に姿を見かける女の子がいた。下ろされた長い黒髪、大きな猫目、眼鏡をかけ、帽子を深くかぶった美少女。
通りの真ん中ですれ違うこともあれば、同じタイミングで同じ店に入店する事もあった。
最初は綺麗な子だなと一瞬目を惹かれて、その後は何度もすれ違うから物珍しくなって。
最終的にはこの遭遇率を鑑みるに、もしかして食べ物の趣味がものすごく合うんじゃない?と興味を惹かれて。
「相席でよろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
元から人気があるお店な上に、混雑して来る時間だということも手伝っていつも以上に繁盛していて、ヒトで溢れていた。
相席を断る理由もなく、お店の人に通されたテーブルに足を運び、イスを引き座ってからふと気が付く。
相席をすることになったのは、よく遭遇する例の女の子だった。
まだその子も席に通されたばかりなのか、視線をメニュー表に落として悩む素振りをしていた。
「…あ」
着席した相手の気配が気になったのかちらりと顔を上げた後、小さく声を零した。
すぐにササッと逸らされてしまったけど、もしかしてお互い思ってることは一緒だったのかもしれない。
よく見るなーって思ってた相手と、ついにこんな形で鉢合わせたらびっくりするよね。
遠目に見てただけなのにこんな至近距離で。
だからと言って、知り合いな訳でもないので何を声をかけることもなく。
テーブルの隅に設置してあったメニューを無言のまま開いた。
顔を合わせすぎててなんだか知り合いのような気がしてきてしまう。親近感を覚えてるというか。なんか危ない感覚だなぁこれ。
この店に来るのは初めてのことで、メニューをみてもどれにしようか迷ってすぐに決められない。
「…あれ、甘味がない」
悩みながらページを最後までめくると、甘味の項目がどこにも無かったことに気が付いた。
思わずぽつりと小さく呟きながら捲り直すけど、逆さにしたってない物はない。
ここは和食に加えて美味しい甘味があることで有名なお店だったのに、どういうことだろう。
私の得た情報に誤りがあったのかもと一瞬思ったけど、周りの客の手元にはこぞって宝石のように色鮮やかな甘味があったのを見た。
「…あの、ここです」
「え、あ、どうもありがとうございます。…うわあ、気付けなかったなぁ」
すると私の困惑と動揺を悟ったらしい目の前のその女の子は、気を利かせてスッと小さな冊子を差し出して来てくれた。
ガラス張りの背表紙をしている。テーブルの上に並べられていたこちらとは違って、一回り小さいソレはまるで置物のように隅に立てかけられていた。まさかこれがメニューだとは思わない。
「壊しちゃいそうでなんか怖い」
「投げても振り回しても落としても、壊れない…そう、ですよ…」
開く前にまじまじと眺め、ガラスを指の腹でなぞりながら言うと、その子は補足してくれた。
「へええ、そうなんですね。なんで投げること想定してつくられてるんでしょう。…あ、地獄だからかな」
「…どこよりも何よりも地獄らしく、がテーマに、なってる、ので…」
「あれ、それ知らなかったです。詳しいんですねえ、この店、よくいらっしゃるんですか」
「…え、あ、は、はい…」
そう言われれば薄暗く、赤と黒を基調として造られている店内は、地獄らしいと言えば地獄らしい。壁もイスも、目の毒にならない程度の赤色、黒色。
まるで悪戯を仕掛けられた気分で、少し昂揚しながら次々捲し立ててしまった。
相手の子はなんだかどもっていて、語尾が消え入りそうなくらいもごもごしている。
急にアレコレと饒舌に話しかけてまずかったかなと少し申し訳なく思いながら、しかし今さら押し黙る事もできず、眉を下げながら話を続けた。
「あの、もしよかったら、ここのオススメを教えてもらえたらなって。迷っちゃって決められそうにないんです」
「ああ、ここのどれも美味しそう…だし…」
今度は最初の方は流暢に話していたのに、再び語尾の方が消え入ってしまった。
すっとメニューのひとつを指さして、ここの常連だという彼女はおすすめの一品を教えてくれた。
「わ、美味しそう。じゃあこれにします」
「そ、即決…」
「だってせっかくオススメしてもらったし、きっとどれもおいしいから。教えてくれてありがとうございます」
「…」
えへへと笑うと、その子は徐に手の平で顔を覆い、「邪気のない笑顔が眩しい…」と少し泣きそうな声でぼやいていた。
なんだか辛いことでもあったのかもしれない。
世知辛い今を過ごしていれば、ほの暗いものを目の当たりにすることは多くあるだろう。
私の笑顔が眩しかったかはともかく、悪意がない純粋なものだったのは本当なので、それで癒されてくれたというなら、なんだかいいことをした気分だった。
お互いが注文した料理が運ばれてくるまであれもいいコレも美味しいと話をする。
彼女も途中から緊張…というか警戒のようなモノも解いて、気軽に雑談に興じてくれるようになっていた。
引かれて仕方ないくらい強引に押してしまったけど、いい方に転じてよかった。
その内配膳されて来た料理に箸をつけて、思った通り絶品だった品に笑顔になる。
微笑ましそうにこちらを見ていた彼女だけど、ふとぎこちない表情になって、どうしたんだろうと思っている内に、こちらに恐る恐ると問い掛けてきた。
「あの…あなたはテレビとか見ない方…です…か?」
「え。あーうん、見ない方かもしれないです。ついてれば見るくらいで」
嫌いじゃないけど、自分から進んで観る方ではなかったので頷く。
食堂でご飯を食べてるときに、設置されているテレビで放送されている番組を見るくらいだった。
思えば一度も自分でチャンネルを変えたことが無かったなと気が付いて、それが自分の拘りのなさを現しているなと思った。
誰かと一緒に食べてることがほとんどだったので、会話に没頭して見ていないことも多い。
「そっかぁ…」
語尾が小さくか細くなるのは彼女の癖なんだろうか。
問い掛けてきた意図もよく分からず、その後続く訳でもなかったから、ただの世間話だったのかなかと納得して受け止める。
深刻そうにしているから、何か問題でもあったのかと思ってしまった。
配膳されたタイミングも一緒なら、お互い食べ終わったのも同じ頃。
連れだって席を立ち、各々会計を済ませて軒先を出て、そのまま笑顔で手を振って別れる。
何度か姿を目に入れてるから一期一会とは微妙に違うけど、ドキドキする不思議な出会いだった。
…でもまぁ、多分これっきりじゃなくて再び見かけることはあるだろうなと予想する。
その次の週くらいには今度は古風な定食屋の前で遭遇して、あっさりと現実になった。
その後何回か出くわし続けると、どちらからともなく会釈するようにった。
途中から挨拶もするようになり、再び相席になった時には二人して笑ってしまって、それからは会えば他愛のない話をする友達のような感じになっていた。
思った通り、私のことをよく見かける顔だなと思っていたようで、最初に相席になったときは少し驚いたと後から聞いた。
「もしかして、追っかけなのかと思っちゃったんだけど…」
と、ぽつりと半ば独り言のように遠い目をしながら言っていたのを見て、うーんと腕を組み唸りながら少し考える。
今度遭遇したのは甘味屋の前で、入る決断をする事なく、軒先にあるメニュー見てどうしようかと相談しながら雑談していた。
「女の子を追いかけることはないかなあ。ストーカーするのも大変そうだし」
「いや、そういうことじゃなくて…うん…ていうかちゃん大変じゃなかったらストーカーする気なの?」
「えへ」
「えへじゃなくてニャーン」
もちろん簡単だったとしてもやるつもりはない。ただの冗談だった。
呆れたような顔をしている彼女…ミキちゃんはどうやら語尾にニャーンをつけるのが癖になっているようで、ときどき消え入りそうに話すのはそれを気にしての事らしい。
今もハッとして口を覆っているけど、必死に抑えている姿を見るとなんだかこちらの方が申し訳なくなる。
気にしなくていいのになと私は思うけど、本人的には気になるところなんだろう。しかしなんでそんな不思議な癖がついてしまったんだろう。
子供の頃って変なブームがあって、一人称を変えてみたり自分を名前呼びしてみたり口調を変えてみたりとか、喋り方にも個性が出たりするものだけど。
そういう癖が未だに根深く残っているのか、それとも子供時代は関係なく今も定着している個性?趣味?口癖?
なんにせよ好きなようにやってくれて構わないのになぁと苦く笑う。
私が許しても余所様の目が許さないのか。困った話だ。
そんな問答をしているうちに、背後から声をかけられた。