第五話
1.言葉惜しみ
「そういえばあんた達、今日は大人しいじゃない」


私の問い掛けにつられて、凶霊の少女も振り返って疑問を浮かべていた。
白い肌の上にそばかすを浮かべた若い男性や、神父の恰好をした男性。
色んなヒトが複数いたけど、共通しているのは流血していたり凶器が頭部に刺さっていたり透けていたりすること…つまりはゴーストだということだ。
屋敷に入ろうとした時に、この少女と一緒に彼らも襲いかかってきていた。
とは言ってもこけおどしと言えばいいのか、その本質は脅かしで、こちらを殺そうとしていた訳ではなかったみたいだけど。
それでも彼らはこの屋敷に来て死んだんだろう事は、聞かなくても想像できた。
不慮の事故でうっかりという訳ではないだろう。
だとしたら"脅かし"とは必ずしも生半可な物で済まされる物ではないのだろう。
厳しくするかしないかの基準はなんなんだろう。
そんな彼らは聞かれると揃って顔を見合わせていた。


「いや、珍しく主が楽しそうなんで」
「邪気がないっていうんですかね」
「楽しそうっていうか、…あー、なんか普通だったよな」
「あ、あれだ。年相応?」

彼らはお互い交わした言葉に頷き合っていた。
普段のこの子の姿を知らないから、私にはよく分からない話だけど。
彼らの反応を見ると、凶霊の少女は睥睨した。

「…普段の私が普通じゃないとか邪気があるって言いたいの?」
「やだなあ、主がキツいのなんていつものことじゃないですか」

その鋭いまなざしを受けても平然として、今更何言ってるんだとそばかすの彼はケラケラと笑う。苛立つ気配は見え隠れしていた少女は、ついに沸点を越えてしまったようで、目には見えない力を使って彼を宙吊りにしていた。
さすが主(?)、さすがゴースト。手を使わずとも鉄槌を下せるなんてまさに生身の人間の所業ではない。
図らずして彼らの主従関係の形が浮き彫りになった瞬間を目撃してしまった。
彼らは少女に畏縮している訳ではないみたいだけど、やはり力関係はそこにあって、頭は上がらなそうだ。


「へえー、すごい事できるんだねえ」

ぱちぱちと拍手を贈ると、少女はかぁと照れたように頬を赤らめた。
どこか落ち着かなさそうにしながら首を横に振り、私の賞賛を跳ねのけた。

「これでも凶霊だもの。これくらいは出来ないと話にならないわよ」
「こ、これくらい…。…人間にも鬼にも出来ないことだなぁ…」

閻魔大王なんかは似たようなことが出来そうだけど、普通ならできない離れ業だった。
こういうのって神仏の類が使う超常的な能力に似ている気がする。
妖怪もこういう現象を起こせたりするけど、超常現象というより不思議現象と呼んだ方がしっくりくるというか。
その二つをの違いを明確に説明する事は私はできないけど、とりあえず特異な能力を行使するという点は一緒だ。
せっかくやっと話に加わってきてくれたので、私はくるりと体勢を変え彼らと対面して、
明るい調子で問い掛けた。


「ねえねえ、あなた達の死因も聞いていいですか」
「それ俺達に聞く事か?」
「大人しそうな顔して突拍子もないなこの子」
「私達は見たまま、という感じだと思いますけど」

いや楽しくなってきてしまってついつい…。
凶器が頭部に刺さっていたり血が滴っていたり、真っ当な死に方をしていないことは一目で分かっていた。
それでも死因トークは中々できるものではないからやっておきたかった。
修学旅行で枕を並べながらトークする、お決まりのあの展開を体験したかったみたいな。
先は読めていても何度繰り返しても、面白いものはいつまでも面白い。


「主に負けてハイおしまいってやつだよ」
「俺も俺も」
「私もそうですよ」

子供がやるように人差し指を立て、何かを撃つような動作を一度してから笑った。
嬉々として聞いた私も私だけど、それはカラカラと笑いながら言うことだろうか。
ふんと腕を組んで鼻を鳴らしている凶霊の少女もとても豪胆だ。
殺したモノが殺されたものを隷属させる…というのはまあ想像できる流れだけど、
畏れも何もなく、こんなに和気藹々と友達のように接し合っているのは不思議な事だった。

「なんか、日本の亡者より楽しそう」

その後に引かせない所はお国柄だろうかと、多分見当はずれな事を考えながら、半ば独り言として零した。
国柄だけで和解できる訳じゃないだろう事はわかっているけど、やはりどこか陽気というか。じめっとしていないというか。深刻そうでないというか。
日本の亡者たちはもう少し顔色が悪い。いや、青い顔をしているというより…気が滅入ってるというかなんというか。
あの世に行かず、現世を漂う事になった亡者は開き直ったやんちゃな人か、悔いを残して鬱屈としていたり、憂鬱そうにしていたり様々だった。
こんなに燦々とした笑顔を浮かべる亡者を私は初めてみる。
傍観の姿勢を貫いているリリスさんをちらりと見やると、くすくすと笑っていた。けれどそれがどういう意味での笑いなのかは分からない。
日本の亡者ってそうよねーという同調なのか、どうなのか。
血みどろになっている彼らはやはり明るく答えた。


「まあ案外楽しいな」
「なんだかんだ言ってやり甲斐あるしな」

溌剌と、明るく肯定された。
へーと意外そうに感嘆した私をみて、彼らは疑問に思ったらしい。

「日本の亡者ってどんな感じなの?」

自分達を見て驚くくらいなんだから、日本の亡者はもっと違う様子なのだろうと受け取ったようだ。
実際私はそうだと思っているけど、お迎え課に属している訳ではないし、実は亡者の事情には明るくない。
裁判待ちの亡者と邂逅する事は幾度もあったけど、それはあの世での話であって。
現世で当てなく彷徨っている亡者の姿は片手で数えられる程しか見たことがなかった。
ただ伝聞でならば聞く機会は多かった。

「えーと、私もあんまり詳しくないけど…日記帳隠したり映画みたり覗きしたりとか」
「…まずい…」
「…いいなあ…」
「…なるほど…」

暗い表情をしているとか、オバケになった自分にショックを受けているとか、そういう気持ち的な部分を語っても伝わりにくいと思ったので、亡者が現世で取っていた行動を列挙してみる。
それを聞くと、彼らは三者三様な反応をしていた。彼らが何に対してどういう意味で頷いているのかはあまり考えないでおこう。
現行犯としてこの目で見たことがある訳でもないのに適当なことを言ってしまったけど、まあどれもこれも、誰か一人くらいは実際にやっている事でしょう。
ちなみに私が昔現世で見た亡者は、夕暮れの川辺で三角座りをして黄昏ていた。
彼がなにを思ってあの場所でそうしていたか分からないけど、あの哀愁漂う背中、儚い表情。この屋敷に居る陽気で意欲的な彼らとは対極的な姿だった。
凶霊の少女は死因トークがひと段落つく所までじっと見守っていた。けれど、しばらく思案した後、腕を組みながら口を開く。


「…あなたは人間として死んだってことでいいのよね?それで今は鬼?」
「そうそう。元人間の現女鬼です」
「ふーん」

値踏みするようにその瞳は私を映していたけど、含みのあったさっきとは違って今度はただ純粋な興味、好奇心しかないようだ。
少女はそのわいた興味を殺さず、浮かんだ疑問をこちらに投げかけてきた。

「ねえ、あなたが死んだ時どんな感じだった?」
「うん?どんな感じってどういう意味?」
「恨みがないのはわかったけど…未練とかは?あった?死にたくないって思ったでしょ。自殺したんじゃないんだから」


随分深く聞くなと思ったけど、亡者同士の他愛ない雑談を深堀しただけなのか、何か彼女なりに思う所あったが故になのか、その真意はわからない。
ゴーストの彼らは、いったい何を聞こうとしているんだろうと揃って不思議そうにしている。
リリスさんもこの話題には強く興味を覚えたのか、視線をこちらへ向けていた。
なんにせよ、私は答えたくないという訳でもない。
素直にうーんと昔を思い出してみる。私は二度死んでいる。
生贄になって死んだことを誰かに公言したかは思い出せなくても、一度目のことを誰にも言っていない事だけは流石に覚えている。

一度目の状況と二度目の心境は全然違うものだったから、どちらの話をするべきか迷った。
ただやっぱり、生贄になって死んだときの状況は特殊すぎる気がするから、一度目の心境を打ち明けることにした。
悲しくても虚しくても幸せで、未練もなく笑って死ねたなんて、普通とはいえない。
全ては一度目があったからこそ、一緒に死んでくれた相手がいたからこそ出来た事だった。
独り孤独に死んだ一度目の方が一般的で、きっと理解されやすいものだろう。

話すのは心情だけだから、一度目二度目だのという説明はしないで済む。
多分相手も生贄として死んだ時のことだろうと自然に納得してくれるだろう。傍で聞いているリリスさんもゴーストの彼らもだ。


「……そうだね。思いもしない理由で死んじゃったんだけど…」

一度目の人生の事は鮮明で薄れず、何もかもしっかりと覚えているのに、死に際のことは霧がかかったようになっている。
どうしてああいう状況に陥ったのか、あれは何月何日のことだったのかとか、あの場所はどこだったとか。そういう詳細、景色が鮮明に思い出せない。
でも死因ははっきり憶えているし、死に際の自分の心境も憶えている。
多分あれは事故死と言っていいんだろう。故意に引き起こされたことだったとして、今更知る術はない。そこを考えても栓のないことだ。

あの時のことを思い出す上で重要なのは、あれが思いがけない死だったということ。望んでいなかったタイミングだったということ。
誰かを恨んでなんていないけど、でもやっぱり。


「もっと生きていたかったし、なんで私だったのかなって悲しくなったし…」
「うん」
「やりたいこともまだまだあって…でも未練っていうのとはちょっと違う気がする。特別やり残したモノがあった訳じゃないから…そうだなぁ。まだ生きてたかったなーって惜しくなっただけなのかな」
「うん、そうよね」

まだ生きていたかった…という欲求に賛同したというより、思い残すことがあるという事実にそりゃあそうだと納得しているようだった。
じっと猫のような大きな瞳で見上げる。

「恨まなくたって、何も思わない訳がないわ」

ただ納得したように言い切った少女の言葉が、なんとなく印象に残った。




「仲良くなれたみたいね。よかったわ」

帰り際、機嫌よさそうにリリスさんが言った。
結局たまに茶々入れするか、補足を入れてくれるかするだけで、リリスさんが輪に加わってくることはなかった。
きちんと彼らと向き合ったのは、再会の挨拶と別れの挨拶の際だけだ。
仲良くじゃれあっていた…というのは少し違う気がするけど、淡白な仲な訳ではないらしいと、その賑やかななやり取りを見ればわかった。


「…仲良くなってほしかったんですか?あの子、もしかして友達募集中だったとか…」

知り合いの凶霊への親切心か何かで私と引き合わせたのかもしれないと思った。
最初後ろで控えるに徹していたゴーストの彼らも、最初こそただからかっているように見えた。
けど、途中からまるで人見知りの娘に友達が出来て嬉しがる父親みたいだなと思った瞬間もあった。
その予想はリリスさんの返答で否定された。

「サタン様があの子をほしがってるの。引抜したいのよね」
「ほ、ほしがってる…」

サタン様の姿は遠目にしか拝見したことがない。
どういう人柄をしてるのかは実はあまり知らないけど、しかしどんな賢人で紳士だとして、幼さの残る少女をほしがっているんだというその意向を聞くと…なんだか…少し身を引いてしまう。
少女とは言っても、大人顔負けの才を秘めているのかもしれない。優秀なものを引き抜きしたいという意向自体はおかしな物ではない。
困惑しつつ、そういう風に自分を納得させていた所で。

「ついでにあなたも一緒に連れていきたいの」
「えっ」

思わぬ言葉を投げられて、ビクッと肩を跳ねさせて後退した。
…え?そういうことだったの?仲良くさせてまとめて一緒に連れて行こう一石二鳥大作戦だったっていうこと?これって何かの罠だった?
お喋りするのがとても楽しくて、裏があるかもなんて考える暇もなかった。

「まあ、あなたはもう地獄の鬼の子だから難しいわね。半分冗談よ」

鬼灯様も怖いしねと笑いながら、半分は本気だと白状してしまった。

「頑なだから警戒を解いて行きたいの。…あ、あなたは説得してくれなくてもいいのよ。ただあの場所を楽しんで、楽しくお喋りしてくれたらそれでいいの。あなただって素敵な時間が過ごせたでしょう?いいことよね」
「…そうですけど…私知らぬうちに加担してたんですね…」
「なんだかそれじゃ聞こえが悪いわ」
「聞こえが悪いというか…そういうことですよ…うっ…胸が痛い…」


切なくなって胸の辺りを抑えた。帰る頃には友達のように気さくになれた、打ち解けられたと思う。
毛の逆立った猫のようだった凶霊の少女も、最後には「また来てもいいわよ。聞きたいこともまだあるし」と言ってくれた。
聞きたいことというのがなんのことなのかは出し惜しみして教えてくれなかったけど、私も友達が出来て、また呼んでもらえて、悪い気は当然していなかった。
…それが水面下ではこんなことになっていたなんて。頭と胸が痛む。
疑わなかった…というかきちんと深い事情を聞かなかった私の落ち度だ。
内緒だと言われてしまえば甘んじるしかなかったけど、それでも警戒はしておくべきだった。
リリスさんは悪いヒトではないけど…いやある意味すごく悪いヒトだから。
そして私は後悔はしても学習をすることはなく、引き抜きってどういう事なのか、サタン様は連れてきた子をどうしたいのかと深く追及しないままリリスさんと別れてしまった。

あの世に戻り、寮に帰って、荷ほどきをする。そしてくつろぐ段階になってやっとその事に気が付き、しまった…と頭を抱えたのだった。
後悔後先に立たず。半分本気だというのだから決して他人事ではないのに、何故頭を働かせられないのだろうか。


2019.2.3