第四十九話
3.慰め─なぜ2
常備薬は不在の間、当然手つかずのままだった。当面の心配はいらないはずだった。
手先の冷えが気になり出したのはここ数日の事。こういう時尋ねるべき場所はもう決まっていた。
私は天国の、既にお馴染みとなったあの場所を訪れていた。
腹の刺し傷は、人間の身と比べ物にならない速さで治ってきている。けれど、完治はしていない。
冷えの苦しみは傷にも響くので若干困っていた。
見慣れた扉を開けると、これまた見慣れた二人が私を出迎えてくれた。足元では愛らしいウサギ達が働いていた。
「あ、さんだ。なんか久しぶりっすね。いらっしゃいませ」
「えっちゃん来てるの!会いたかったよ〜」
「あはは…お久しぶりです…」
桃太郎さんの声につられて、店の奥から白澤さんが顔を出した。
商売人として、両極端な反応を示した二人に苦笑いが零れる。
駆け寄ってきてくれた白澤さんは、ふと立ち止まって、アレ?と不思議そうに首を傾げた。
「ちゃん、もしかして怪我してる?」
「よくわかりましたね。うーん、なんだか色々あって」
お腹の傷だ。着物に隠れていて、目に見えるものではないはずだった。
ぎこちない動きをしていたのを見咎めたのだろう。彼も伊達にこんな仕事をやっているのではない。
彼は気の毒そうに眉を下げたかと思うと、突然あっと声をあげた。そして、これは名案だ!と言わんばかりに口を開いた…のだけど。
「傷が残ったら大変だよねえ。じゃあ僕が……」
「オイコラふざけたことするなよ絶対だぞアホ」
桃太郎さんが、白澤さんが何事か言い切るより前に食い気味に遮った。
出来る部下というものは得てしてフォロー上手である。
白澤さんが今何を言おうとしていたかわからないけど、よくも悪くも調子のいいことだったんだろうなと思う。
女好きの白澤さんの目の前にいるのは、正真正銘女鬼であるこの私だ。
女の子が楽めるように色んなことを嬉々として話してくれるひとだ。口説いてくれるひとだ。まぁそういう事だったんだろう。
「桃太郎くんは疑り深いなあ。あと僕に失礼じゃない」
「嬉々として地雷踏みに行きそうで怖いんだよ!上司がソレ踏んだら最終的になんか俺も巻き添え食らうんすよ!」
相変わらずの二人だった。桃太郎さんが先手を打って釘をさせるようになるほど呼吸が合って来ている。
私が初めて桃太郎さんと初対面した頃、まだ桃太郎さんは白澤さんの元で働き始めたばかりだったと聞いた。
なんだか彼の成長を見守っているみたいだなと思う。
「あ〜ほんと、何年経っても相変わらず特別かわいいなあ〜」
にこにこと嬉しそうにしながら、このひとは、云前年経っても相変わらずの言葉をかけるんだなあと、私は困り笑いを返した。
***
「ミキちゃん久しぶり〜」
「あ、ちゃんだ!?最近見かけなかったから心配してた…ニャー」
いつも通っている区域を歩いていると、ベンチに座り休憩しているらしいミキちゃんを見つけた。
今話題になっている店のロゴが印されたカップを手に持っている。
テイクアウトできるのかぁ。いいなあと物欲しげにその手元を眺めた。
ミキちゃんは物凄く有名な、大人気アイドル。
でも、ファンの人たちに群がられることはあまりないらしい。
メガネ&帽子を装備して、髪を下ろすのがお忍びスタイル。
「ミキちゃんに似てるねえ」とたまに声をかけられると、「よく言われます」とだけ言って受け流してるのを見た事がある。
けれど、ただそれだけ。身バレして騒ぎになったりする事はないようだ。
テレビの中のテンションの高いミキちゃんと、落ち着いた受け答えをする今のミキちゃんは重ならない。
幸か不幸か、誤魔化すことが出来ているらしい。
こういう落ち着いたミキちゃんを見るのも、画面越しのハイなミキちゃんを見るのも、体感的には結構久しぶりの事だった。
「ここ最近、ちょっと留守にしてたから。この辺りも来てなかったの」
「あ、そうだったんだ。…うーん、あたしもロケでいなかった日が多かったからニャー」
「………今回も大変だったんだねぇ……」
げっそりと疲れた様子のミキちゃんを見て、すぐ察した。
芸人さんがやらされるような、過酷な罰ゲームのようなものを美少女アイドルが受ける時代だ。マキミキも例外ではない。
マキミキが一日地獄体験にやってきた時のあの撮影も、過酷といえば過酷だったようだ。
アイドルってほんと大変なんだろうなと、日々切なくなるばかりだ。
私の切なげな眼差しを見て、ミキちゃんは口端を引き上げて笑みを作った。しかし目は笑っていない。
「大変なんて、そんなことないニャーンまだまだイケるニャーンめちゃくちゃ元気いっぱいニャーン」
「もうめちゃくちゃ元気ないヒトの台詞だよーそれ…」
アイドルっていったいなんなんだろう。
ミキちゃんに倣ってベンチに座ると、ちょうど建物に張りだされた大きなポスターが見える。
キラキラの輝いたマキちゃんが映るそのポスターを前にすると、より強く思う。
光ある所に影ありというか。
私の視線の向かう先に気がつくと、ミキちゃんはあっと思い出したように声をあげた。
「ねえ、ちゃん結婚するの?」
「………ん?え?……なあにそれ、なんでそんな話になったの…」
「いや、その…例の雑誌に色々と…」
「…あぁ、そうだったんだー…なんか…もー…懲りないねえ…」
雑誌、という言葉ですぐに察した。
鬼灯くんの事をネタにしたら反響はあるかもしれない。けど、確実に搾られるのは分かっているだろうに。
利益と損失を天秤にかけて、反響の方に天秤が傾いたというのなら、凄いプロ根性だと思う。
私だったら痛いのも怖いのもヤだし、よりによってあの鬼灯くんに制裁を受けるなんて絶対嫌だ。
一度痛い目を見たという記者猫の小判さんは、それ以降は下手なことは仕出かしていないというし、この記者も二度目はないとは思うけど。
「…でも、結婚ってさあ、必ずしなくてもいいよね」
ウエディングドレス姿のマキちゃんのポスター前を通りすがった女子の集団が、そちらを指刺しきゃあと高い声上げていた。
何を話しているのかはなんとなく想像がつく。
彼女たちは、うっとりとした目でポスターを見ている。
私はマキちゃん綺麗だなーと見惚れる事があっても、「私も結婚したい〜」とはしゃぎ憧れる気持ちはわいてこなかった。
私の温度の低い話を聞いたミキちゃんは、真顔で直球に尋ねてきた。
「…ちゃんって、もしかしなくても冷めてる?」
「さあ、どうなのかなあ。…うーん、少なくとも指輪はめる必要はないよね、私達日本人だし」
「もうとっくに日本にはその文化浸透しきってると思うニャー」
この抵抗の仕方は、このご時世ではもうきっと無効化されているだろうと分かっていた。けれど、苦し紛れに抵抗してみる。
ポスターのマキちゃんが着ているのも、白無垢ではなく純白のドレスだ。それを鑑みても、日本文化がどうたらと言っても通用するはずない事は明白だった。
そもそも私は、一度目の人生で、指輪交換することが当然の時代に生まれてるのだ。実は西洋文化への抵抗なんて、最初から少しもないんだけど。
「鬼灯くんはね、前に……なんだっけな、結婚は墓場で神聖でありながら呪の面も持った契約だとか言ってたけど」
「それマキちゃんのポスター前にしながら言う言葉じゃないニャ」
「うん、ほんとそう思います」
座ったベンチからは大きな看板の全体が見渡せる。
幸せいっぱい夢いっぱい、そして可愛さ満点のマキちゃんと、明るいキャッチフレーズを前にして、呪いなんていうのは不適切極まりないなと反省した。
…いやいや違う。これ私の発言じゃないもん…。鬼灯くんが言ってたやつだもん…悪くないもん…。
よりによってこんな場所で復唱してしまったのは私だけど。
***
鬼灯くんと連れ立って資料室に向かうと、扉を開いてすぐの床上に座りこみ、資料の山を広げている男鬼二人を見つけた。
見覚えのある顔をしている。彼らを見間違えるはずがない。蓬くん烏頭くんの二人だった。
予想通りの人物がそこにいると分かや否や、鬼灯くんは呆れ顔をしていた。一方私は困り顔をしている。するとこちらをバッと振り向いたかと思うと、鬼灯くんなど視界に入らないように一直線に私の方に二人が詰め寄ってきた。
「なあ、ちゃん本当にこいつでいいの?ほんとの本当?」
「お前後悔しないって言えるか?まじなのか?」
烏頭くんと蓬くんは、必死な形相で問い質してきた。
こいつ、と言って指さした先にいるのは私の隣に立っている鬼灯くんだ。
何のことを指して言ってるのか分からなすぎて、ただ困惑するしかない。そんな私とは反対に平然としていた鬼灯くんは、やはり平然とした声で話かけた。
「そんな事より、再び記録課のみなさんから苦情が出ているんですけど。凝りませんねえ」
「こいつまるっと全部流しやがった…」
そう。実は私は、記録課の代表として、技術課の二人に物申しにきていたのだ。
この資料室から漏れ出る騒音のせいで、仕事に集中できないと騒動になる事がたまにあった。
葉鶉頭さんと烏頭くんはお互い相性最悪なのは周知の事実で、衝突するだろうことは最初からわかっていた。それを未然に防ぐため、無難に私が抜擢されたのだ。
技術課専用ではなく共通の資料室だ。こうやって広範囲に陣取りされても困ってしまう餓えに、防音室ではないため、作業など始めてしまうと、周辺に響き渡り騒音問題に発展なしてしまうのだ。
その問題の二人は今、何故だか私に詰め寄ってきて、何事か捲し立てている。
「もう一回聞くけどさ、こいつでいいの?ほんとにそれで大丈夫なの?」
「多分都合の悪い話聞かないぞこいつ。意志疎通取れない結婚生活なんて散々だぞ」
「…………結婚?」
「ああ、それですか」
きょとんとする私とは反対に、鬼灯くんはなるほど腑に落ちたように頷いていた。
私もタイムリーにミキちゃんから話題にされていた事だったのだ、なんとなく分かったには分かったけど。
事前に知れていなかったら、今も困惑したままだったと思う。
「……け、結婚はしません」
「あなたたち上手に情報に踊らされてますよ」
「いやまあ、デマだって知ってるけどさ…」
「冗談くらい分かれよなあ」
蓬くんは苦笑いをして、烏頭くんはケラケラと笑い出した。
冗談には聞えないくらい必死な形相での詰問だったのだ。迫真の演技だった。ノリがいいというのか、俳優としての素質があるというのか。
「でもよく続くよなーとは思ってたし、今も思ってるよ」
「趣味悪って思うわ。正気か?っていつも思ってんぞ」
「あの…鬼灯くんはね…二人の幼馴染でもあるんだよ…」
二人は散々茶々いれして来てるけど、全部他人事ではないはずだ。
よく続くなというセリフも自分達に跳ね返ってくる物なはず。
よく幼馴染としてここまで仲良くやってこれたな。正気なのか?友達選べよ?というセリフに置き変わるだけなのだ。
「まあ結婚するかしないか置いといて…。私正気だし、別に大丈夫だし…後悔も何もしてないよ」
「こんな面倒臭くても?」
「こんなふてぶてしくても?」
「……ぜんぶ今更だと思うから…」
目を逸らしながら小声で言う。本人を目の前にしながら言う私達も、相当ふてぶてしいと思う。
散々話題にされてる本人は怒ることもなく、ただ少し呆れた様子で冷静なツッコミを入れるにとどめた。
「あなた達三人まとめて、面倒臭いもふてぶてしいもそっくりそのままお返ししましょうか」
「いや別にいいよ」
「それこそ今更いらん」
「…私達アホバカマヌケドジなんだもんね…」
教え処時代、最初の頃こそ優等生だと言われて名前を呼んでもらえていた私も、だんだん先生に呆れ顔でみられるようになり、ドジとまで呼ばれるようになっていた。
自分達につけられた通称は、実に的を得てると鬼灯くんは感心していたし、蓬くんも烏頭くんもそう呼ばれることに特に異論ないようだったけど。私はちょっぴり複雑だ。
…でも、まあ。
「ほんと、全部今更だよねえ」
3.慰め─なぜ2
常備薬は不在の間、当然手つかずのままだった。当面の心配はいらないはずだった。
手先の冷えが気になり出したのはここ数日の事。こういう時尋ねるべき場所はもう決まっていた。
私は天国の、既にお馴染みとなったあの場所を訪れていた。
腹の刺し傷は、人間の身と比べ物にならない速さで治ってきている。けれど、完治はしていない。
冷えの苦しみは傷にも響くので若干困っていた。
見慣れた扉を開けると、これまた見慣れた二人が私を出迎えてくれた。足元では愛らしいウサギ達が働いていた。
「あ、さんだ。なんか久しぶりっすね。いらっしゃいませ」
「えっちゃん来てるの!会いたかったよ〜」
「あはは…お久しぶりです…」
桃太郎さんの声につられて、店の奥から白澤さんが顔を出した。
商売人として、両極端な反応を示した二人に苦笑いが零れる。
駆け寄ってきてくれた白澤さんは、ふと立ち止まって、アレ?と不思議そうに首を傾げた。
「ちゃん、もしかして怪我してる?」
「よくわかりましたね。うーん、なんだか色々あって」
お腹の傷だ。着物に隠れていて、目に見えるものではないはずだった。
ぎこちない動きをしていたのを見咎めたのだろう。彼も伊達にこんな仕事をやっているのではない。
彼は気の毒そうに眉を下げたかと思うと、突然あっと声をあげた。そして、これは名案だ!と言わんばかりに口を開いた…のだけど。
「傷が残ったら大変だよねえ。じゃあ僕が……」
「オイコラふざけたことするなよ絶対だぞアホ」
桃太郎さんが、白澤さんが何事か言い切るより前に食い気味に遮った。
出来る部下というものは得てしてフォロー上手である。
白澤さんが今何を言おうとしていたかわからないけど、よくも悪くも調子のいいことだったんだろうなと思う。
女好きの白澤さんの目の前にいるのは、正真正銘女鬼であるこの私だ。
女の子が楽めるように色んなことを嬉々として話してくれるひとだ。口説いてくれるひとだ。まぁそういう事だったんだろう。
「桃太郎くんは疑り深いなあ。あと僕に失礼じゃない」
「嬉々として地雷踏みに行きそうで怖いんだよ!上司がソレ踏んだら最終的になんか俺も巻き添え食らうんすよ!」
相変わらずの二人だった。桃太郎さんが先手を打って釘をさせるようになるほど呼吸が合って来ている。
私が初めて桃太郎さんと初対面した頃、まだ桃太郎さんは白澤さんの元で働き始めたばかりだったと聞いた。
なんだか彼の成長を見守っているみたいだなと思う。
「あ〜ほんと、何年経っても相変わらず特別かわいいなあ〜」
にこにこと嬉しそうにしながら、このひとは、云前年経っても相変わらずの言葉をかけるんだなあと、私は困り笑いを返した。
***
「ミキちゃん久しぶり〜」
「あ、ちゃんだ!?最近見かけなかったから心配してた…ニャー」
いつも通っている区域を歩いていると、ベンチに座り休憩しているらしいミキちゃんを見つけた。
今話題になっている店のロゴが印されたカップを手に持っている。
テイクアウトできるのかぁ。いいなあと物欲しげにその手元を眺めた。
ミキちゃんは物凄く有名な、大人気アイドル。
でも、ファンの人たちに群がられることはあまりないらしい。
メガネ&帽子を装備して、髪を下ろすのがお忍びスタイル。
「ミキちゃんに似てるねえ」とたまに声をかけられると、「よく言われます」とだけ言って受け流してるのを見た事がある。
けれど、ただそれだけ。身バレして騒ぎになったりする事はないようだ。
テレビの中のテンションの高いミキちゃんと、落ち着いた受け答えをする今のミキちゃんは重ならない。
幸か不幸か、誤魔化すことが出来ているらしい。
こういう落ち着いたミキちゃんを見るのも、画面越しのハイなミキちゃんを見るのも、体感的には結構久しぶりの事だった。
「ここ最近、ちょっと留守にしてたから。この辺りも来てなかったの」
「あ、そうだったんだ。…うーん、あたしもロケでいなかった日が多かったからニャー」
「………今回も大変だったんだねぇ……」
げっそりと疲れた様子のミキちゃんを見て、すぐ察した。
芸人さんがやらされるような、過酷な罰ゲームのようなものを美少女アイドルが受ける時代だ。マキミキも例外ではない。
マキミキが一日地獄体験にやってきた時のあの撮影も、過酷といえば過酷だったようだ。
アイドルってほんと大変なんだろうなと、日々切なくなるばかりだ。
私の切なげな眼差しを見て、ミキちゃんは口端を引き上げて笑みを作った。しかし目は笑っていない。
「大変なんて、そんなことないニャーンまだまだイケるニャーンめちゃくちゃ元気いっぱいニャーン」
「もうめちゃくちゃ元気ないヒトの台詞だよーそれ…」
アイドルっていったいなんなんだろう。
ミキちゃんに倣ってベンチに座ると、ちょうど建物に張りだされた大きなポスターが見える。
キラキラの輝いたマキちゃんが映るそのポスターを前にすると、より強く思う。
光ある所に影ありというか。
私の視線の向かう先に気がつくと、ミキちゃんはあっと思い出したように声をあげた。
「ねえ、ちゃん結婚するの?」
「………ん?え?……なあにそれ、なんでそんな話になったの…」
「いや、その…例の雑誌に色々と…」
「…あぁ、そうだったんだー…なんか…もー…懲りないねえ…」
雑誌、という言葉ですぐに察した。
鬼灯くんの事をネタにしたら反響はあるかもしれない。けど、確実に搾られるのは分かっているだろうに。
利益と損失を天秤にかけて、反響の方に天秤が傾いたというのなら、凄いプロ根性だと思う。
私だったら痛いのも怖いのもヤだし、よりによってあの鬼灯くんに制裁を受けるなんて絶対嫌だ。
一度痛い目を見たという記者猫の小判さんは、それ以降は下手なことは仕出かしていないというし、この記者も二度目はないとは思うけど。
「…でも、結婚ってさあ、必ずしなくてもいいよね」
ウエディングドレス姿のマキちゃんのポスター前を通りすがった女子の集団が、そちらを指刺しきゃあと高い声上げていた。
何を話しているのかはなんとなく想像がつく。
彼女たちは、うっとりとした目でポスターを見ている。
私はマキちゃん綺麗だなーと見惚れる事があっても、「私も結婚したい〜」とはしゃぎ憧れる気持ちはわいてこなかった。
私の温度の低い話を聞いたミキちゃんは、真顔で直球に尋ねてきた。
「…ちゃんって、もしかしなくても冷めてる?」
「さあ、どうなのかなあ。…うーん、少なくとも指輪はめる必要はないよね、私達日本人だし」
「もうとっくに日本にはその文化浸透しきってると思うニャー」
この抵抗の仕方は、このご時世ではもうきっと無効化されているだろうと分かっていた。けれど、苦し紛れに抵抗してみる。
ポスターのマキちゃんが着ているのも、白無垢ではなく純白のドレスだ。それを鑑みても、日本文化がどうたらと言っても通用するはずない事は明白だった。
そもそも私は、一度目の人生で、指輪交換することが当然の時代に生まれてるのだ。実は西洋文化への抵抗なんて、最初から少しもないんだけど。
「鬼灯くんはね、前に……なんだっけな、結婚は墓場で神聖でありながら呪の面も持った契約だとか言ってたけど」
「それマキちゃんのポスター前にしながら言う言葉じゃないニャ」
「うん、ほんとそう思います」
座ったベンチからは大きな看板の全体が見渡せる。
幸せいっぱい夢いっぱい、そして可愛さ満点のマキちゃんと、明るいキャッチフレーズを前にして、呪いなんていうのは不適切極まりないなと反省した。
…いやいや違う。これ私の発言じゃないもん…。鬼灯くんが言ってたやつだもん…悪くないもん…。
よりによってこんな場所で復唱してしまったのは私だけど。
***
鬼灯くんと連れ立って資料室に向かうと、扉を開いてすぐの床上に座りこみ、資料の山を広げている男鬼二人を見つけた。
見覚えのある顔をしている。彼らを見間違えるはずがない。蓬くん烏頭くんの二人だった。
予想通りの人物がそこにいると分かや否や、鬼灯くんは呆れ顔をしていた。一方私は困り顔をしている。するとこちらをバッと振り向いたかと思うと、鬼灯くんなど視界に入らないように一直線に私の方に二人が詰め寄ってきた。
「なあ、ちゃん本当にこいつでいいの?ほんとの本当?」
「お前後悔しないって言えるか?まじなのか?」
烏頭くんと蓬くんは、必死な形相で問い質してきた。
こいつ、と言って指さした先にいるのは私の隣に立っている鬼灯くんだ。
何のことを指して言ってるのか分からなすぎて、ただ困惑するしかない。そんな私とは反対に平然としていた鬼灯くんは、やはり平然とした声で話かけた。
「そんな事より、再び記録課のみなさんから苦情が出ているんですけど。凝りませんねえ」
「こいつまるっと全部流しやがった…」
そう。実は私は、記録課の代表として、技術課の二人に物申しにきていたのだ。
この資料室から漏れ出る騒音のせいで、仕事に集中できないと騒動になる事がたまにあった。
葉鶉頭さんと烏頭くんはお互い相性最悪なのは周知の事実で、衝突するだろうことは最初からわかっていた。それを未然に防ぐため、無難に私が抜擢されたのだ。
技術課専用ではなく共通の資料室だ。こうやって広範囲に陣取りされても困ってしまう餓えに、防音室ではないため、作業など始めてしまうと、周辺に響き渡り騒音問題に発展なしてしまうのだ。
その問題の二人は今、何故だか私に詰め寄ってきて、何事か捲し立てている。
「もう一回聞くけどさ、こいつでいいの?ほんとにそれで大丈夫なの?」
「多分都合の悪い話聞かないぞこいつ。意志疎通取れない結婚生活なんて散々だぞ」
「…………結婚?」
「ああ、それですか」
きょとんとする私とは反対に、鬼灯くんはなるほど腑に落ちたように頷いていた。
私もタイムリーにミキちゃんから話題にされていた事だったのだ、なんとなく分かったには分かったけど。
事前に知れていなかったら、今も困惑したままだったと思う。
「……け、結婚はしません」
「あなたたち上手に情報に踊らされてますよ」
「いやまあ、デマだって知ってるけどさ…」
「冗談くらい分かれよなあ」
蓬くんは苦笑いをして、烏頭くんはケラケラと笑い出した。
冗談には聞えないくらい必死な形相での詰問だったのだ。迫真の演技だった。ノリがいいというのか、俳優としての素質があるというのか。
「でもよく続くよなーとは思ってたし、今も思ってるよ」
「趣味悪って思うわ。正気か?っていつも思ってんぞ」
「あの…鬼灯くんはね…二人の幼馴染でもあるんだよ…」
二人は散々茶々いれして来てるけど、全部他人事ではないはずだ。
よく続くなというセリフも自分達に跳ね返ってくる物なはず。
よく幼馴染としてここまで仲良くやってこれたな。正気なのか?友達選べよ?というセリフに置き変わるだけなのだ。
「まあ結婚するかしないか置いといて…。私正気だし、別に大丈夫だし…後悔も何もしてないよ」
「こんな面倒臭くても?」
「こんなふてぶてしくても?」
「……ぜんぶ今更だと思うから…」
目を逸らしながら小声で言う。本人を目の前にしながら言う私達も、相当ふてぶてしいと思う。
散々話題にされてる本人は怒ることもなく、ただ少し呆れた様子で冷静なツッコミを入れるにとどめた。
「あなた達三人まとめて、面倒臭いもふてぶてしいもそっくりそのままお返ししましょうか」
「いや別にいいよ」
「それこそ今更いらん」
「…私達アホバカマヌケドジなんだもんね…」
教え処時代、最初の頃こそ優等生だと言われて名前を呼んでもらえていた私も、だんだん先生に呆れ顔でみられるようになり、ドジとまで呼ばれるようになっていた。
自分達につけられた通称は、実に的を得てると鬼灯くんは感心していたし、蓬くんも烏頭くんもそう呼ばれることに特に異論ないようだったけど。私はちょっぴり複雑だ。
…でも、まあ。
「ほんと、全部今更だよねえ」