第四十六話
3.慰め─噂話
という女鬼に、俺は暫く前から興味を持っていた。
…誓って恋愛的な意味じゃなく、多分、野次馬的な好奇心で。
ここで働き初めてもう暫く。
我ながら立ち回りは板についてきて、今度は自分が教えるような立場に変わった。だとしても、上には上がいすぎる物だ。曲者揃いのこの地獄の獄卒としてはまだまだと言ってもいい。
例のさんに会ったのは、俺が入りたてホヤホヤの頃で、その頃既に彼女はベテランと呼ばれる程長く就いている鬼だった。
そんな大先輩に対して、何故野次馬めいた事をしているのかと言えば、憧れのお香姉さんの親友だからという興味もあったし、あの鬼灯様の昔馴染だからという物珍しさからでもあった。
そういう興味がわいているのは俺だけではなくて、閻魔庁の鬼には多かった。
特にゴシップ誌に載った時には、彼女らの直接の顔見知りだけじゃなく、広く浅く、面識も無い者たちから興味関心を持たれる事となった。
「鬼灯様は元からよくも悪くも人目を集めるから」
俺の隣で、お香姉さんが困り笑いしていた。
元から子供のように歯を見せて笑う人ではないけれど、こう曖昧な笑みを湛える事も珍しい事だ。
廊下の片隅を陣取って噂話に華を咲かせる俺達は固まっていても邪魔らしく、
通りかかる忙し気な獄卒達が眉を顰めていた。
「…ですね…」
人目を集めるのはあの人の昔馴染であるお香さんも一緒で、
険しい顔をしていた獄卒達も、彼女の顔を見ればその怒りをすぐに潜めていた。
そう、なんの因果かこの二人、揃って美男美女なのである。
注目度は高かった、人前に出る機会は多すぎるほどあった。…鬼灯様の方は。
彼女らとは反対に、さんは良くも悪くも目立つ人ではなかった。
表舞台に出て来ることがないから、いくらでも想像する予知があり、憶測は多肢に渡る。
根も葉もない噂、核心をついている噂、いくらでも飛び交った。
鬼灯様は人望ある存在だったのだ。そんな…こう…色んな意味で凄いあのヒトと付き合える人が…そんなヒトが選ぶ相手は…そんなヒトを袖に振る女鬼は…
…などなど。あらゆる事があらゆる部署で、庁で、店で、電機屋のテレビ前で、老若男女に囁かれていた。
「アレ?唐瓜ってさんと親しかったっけ?」
「いや、そこまで親しくはないけど…でも、たまに声かけてくれるだろ。お前にだって」
「あー、たまに差し入れくれるよな。さんいつも美味しい物持ってるんだよなー」
知ったように語るからか、茄子が疑問を口にしたので、俺はそれに対して緩く首を横に振った。
すると納得したように茄子が頷く。
「うーん、律儀なひとって感じ?」
「律儀というか、優しい子なんだけれど…」
律儀で穏やかな人という印象そのままを茄子が口にする。それに対して、お香さんは濁した言葉を零し、困ったような表情を浮かべる。
それ見るに、その印象というのは間違っているんだろうなと察した。
実は破天荒な女性です、って話じゃないだろう。
けど、お香さんが否定した律儀という言葉の反対は、多分大ざっぱとか適当とか、そういう類なんだろうなと察した。
そこまで親しくはないというのに、俺はさんの事情に少し詳しくなっていた。
俺はさんと親しいお香さんと一応…うん、親しい方なので、こうして直接語ってもらえるおかげで、曲解された噂ではない、真実の話を知っている。
蓋を開けてみればそこには結構じれったく、人間味を感じられるエピソードがあった。
「それにしても…失踪って結構びっくりしました」
「アレも凄い話題になってたよな。地獄のり七不思議だっけ」
「怪談じみた言い方するやつがいたから、面白がって余計に広まってて…」
謎の失踪なんて早々起る事ではない。鬼灯様が噛んでいなかったとしても、多分話題にはなっていたと思う。
それでもここまで多くの関心を集めたのは、やっぱりよくも悪くも鬼灯様が興味関心を集めている存在だからという事と、幼馴染であるさんの、その消え方が奇妙だということ。
あとは普通に、皆その事件性に興味をそそられていた。
結局さんの存在は…変な言い方をすれば、鬼灯様の付属品みたいな感じだ。本人に話題性がある訳じゃない、ただ巻き込まれてる節があった。
意志に関係なく、悪目立ちをする様を俺は憐れんでしまうけれど、当の本人は気にした様子は全く見せた事はない。
けれどやっぱりあのヒトの隣にいられるだけある…んだろうか。
あのヒトに見合う精神構造をしていたんだとしても、それでも可哀そうだなと思った。
噂されることについては、お香さんも気の毒そうにしていたけど。
失踪については鬼灯様も、同じく昔馴染である蓬さんと烏頭さんお香さん、揃ってあまり気にしている様子はなかった。
薄情と言われても仕方のない態度だったけれど、親しいからこその信頼があるんだろうとは察せられる。けれどそれが、どんな形での信頼なのかはわからない。
昔から何度も放浪の旅に出ていて、ケロッとした顔で毎度帰ってくる逞しいヒトなのか?いや流石にそんなギャップは秘めていなさそうだ。
お香さんはひたすら疑問に苛まれるばかりの俺達に少し笑って、説明を加えてくれた。
「いつ頃だったかしら…がフラッとどこかに居なくなるようになっちゃって。
一ヶ月くらいいなくなった事もあったわね。なんとなく深くは聞きづらくて、行先は今も分からないままなんだけど…アレは家出だったのかしらねぇ」
「へえ、それはちょっと意外かも…」
「…ああいう人でも非行に走るとかあるんだなあ…」
茄子が感心したような声を出して、俺も俺で驚いていた。
非行に走りまくったやんちゃな姉を持つ身としては、やはり成長の過程で大なり小なり通る道なのかと納得しつつも、イヤイヤ俺は姉を反面教師にして堪えたんだぞと自己問答をを繰り返していた。
「そうねぇ、小さい頃と違って、今はにも立場があるから…でも、いなくなった事自体はあんまり深刻に感じてないの。薄情かもしれないけど、私達の感覚だと短い方だから」
「ちなみに最長だとどのくらい…?」
「一番長いのだと…一年だったかしら」
「どこで何してたんですかあのひと!!?」
「うわすっごい不良少女じゃん。旅にでも出てたの?」
「どうかしら。一所には留まってるって事だけは聞いてるけど…」
お香さんも少し言い辛そうにしていた上に、ずけずけと詮索することでもないだろうと、それ以上は俺も茄子も聞かなかった。けれど、気になる物は気になる。
一所で一年って、山籠りか何かでもしてたのかとか、寺にでも入って修行をしていたのかとか、色々と下世話に考えてしまう。
物騒な風に考えるなら、拉致監禁とか。家出だったなら普通、何かから逃げるようにあちこちふらふらするだろう。
あえて一所に留まっていたと言うなら、そのくらいしか思いつかなかった。
「今回もその時も、なんでもない顔して帰ってきて、なんでもなかったみたいに過ごしてるから、あたし達もなんでもないように接してるのよ」
きっとなんでもないはずがない。変化がないはずがない。
理由なく消えるなんてあるものか。それはお香さんたち昔馴染も、聞きかじっただけの俺達にだって分かる話だ。
放浪癖でもあるなら別だけど、名前さんにはそういうのはないようだし。
何も変わらないかのように振る舞ってるのか、ただ傍からはそう見えてしまうだけなのかわからないけど。
どこか遠くを見ながら語っていたお香さんは、視線を俺達の方へ戻すと、
それにね、と付け加えた。
「そういうこと繰り返す度に、あの二人って拗れてるから」
「…エ?」
「拗れ…?捻じれ?」
あの頑固な二人にとっては、こういう変化があるっていうのは、むしろ良い事なのかもしれないと笑いながら話してくれた。
こんな事を笑い事で済ませてしまうお香さんも…なんていうか、本当に穏やかな人だ。
けれど事件は事件。問題は問題だという意識はあったようで、付け足された言葉でその複雑な心中は察っせられた。
「……それでどれだけ鬼灯様が荒れたとしても」
「……ああ…」
「……雨降って地かたまるわよねぇ、きっと」
「そうだと、いいんですけどね……」
「血の雨じゃなきゃいいな」
「滅多なこと言うなってお前…ッ!」
明るい声で冗談を言った茄子の口を思わず勢いよく塞いだ。
本当になったらどうしてくれるんだ。フラグってやつじゃねえかそれ。苦しそうな茄子がベシベシと俺の手を叩いて解放しろと訴えてくるので、パッと離してやる。
そうして廊下の壁に背を預けて少し息を吐いた。
からかいがいのあるはずの男女二人の行先を話しているというのに、なんだか怪談じみた恐ろしさを感じて、身震いしてしまう。
「あ、ねえねえ。座敷童ちゃんはどう思う?」
お香さんがくるりと振り返った所に、座敷童の二人が佇んでいた。
廊下の灯が届かない、影になるようなところにあえてひっそりと。
少し前から、興味深そうにそうやって立ち聞きしていたのは俺も知っていた。
しかし話に加わることはなく、まるで人形のようにジッと見上げて来るだけ。情けないけど、俺はビビっって声をかける事が出来なかった。
子供にこんな事を聞いてもなあ…と一瞬思ったけど、この子らも立派な妖怪だと思い出す。
大人顔負けの立派な答えが返って来てもおかしくない。
穏やかなお香さんは、音もなく背後に佇んでいた座敷童を恐れることもなく、ごく自然に話を振って、座敷童もまた何事もなかったかのように自然に口を開いた。
俺の隣の茄子も中々豪胆で、動じた様子はない。
…多分ターゲットは俺なのだ。俺をビビらせて遊んでいるんだろう。そんなことは悲しいくらいに分かってる。
こてりと人形のように芝居じみた仕草でこてりと首を傾げて、座敷童二人は返答した。
「両極端」
「0か100」
「一かバチだよね」
「末永く円満に暮らせるか、それとも身を滅ぼすか」
「でもここには関係なさそうかな」
「そのへんちゃんと線引きするだろうから。問題ないよ」
ここ、と言いながら床を指さしたけど、それはきっと閻魔殿指しているのではない。地獄全体を指しているんだろうなと察した。
周囲を巻き込んでの大騒動にはならず、あくまで内々にやるんだろうと、人を見る目は誰よりもあるという座敷童たちは判断したのだ。
その"ちゃんと"と言うのは良いのか悪いのか。本当に問題がないのか。口を引きつらせてその辺突っ込んでみようかと悩んでいると。
「私は大円満のハッピーエンドになると思いますけど。でも少女漫画よりも青年漫画くらいの終わり方で」
背後から声がかかり振り返ると、沢山の本を両腕いっぱいに抱えた男性が一人いた。
顔は見えなくても、特徴的なくせ毛は見え隠れしている。
声とそのシルエットですぐ分かってしまう。秦広王の補佐官である篁さんがそこにはいた。
説明がなくても、いったいこの人が今まで何をどうしていたのかわかる。
篁さんの最近のマイブームは、彼と親交がある人らには知れ渡っている事だ。
「ここ数ヵ月、漫画の貸出が異常に増えてる」とか、「めちゃ大量の漫画抱えた人が定期的に彷徨ってる」なんていう目撃情報もぽつぽつ出回ってきているので、親交のない人にも薄ら知れてしまっているようだ。
「篁さん…また来たんですか…」
この人が何故こんなにも漫画にハマっているのかは誰にも分からない。
単純に面白いから…なのかもしれないけれど、それにしては度が過ぎているようにも思わなくない。
「別にサボりじゃないですって。しかるべき休憩を取ってますよ」
今にも崩れ落ちそうな本を少しだけ肩代わりすると、隠れていた篁さんの顔がやっと見えた。キリッとした顔で堂々言っていたので、少しだけ呆れる。
現世のことを知るために、この庁には映画DVD、書籍なんかが沢山ある。もちろん漫画も豊富だった。
今の日本はオタク文化というものが結構広まっているので、コレを抜きにしては、現世を知り語る事はできないのだ。
そうは言っても、度が過れば何でも毒になるというのに。
「過程は少女漫画、終わりは青年漫画。じれったくてもシビアでもなんとか丸く収まる。これが私の予想です」
間違いない、自信ありますと言いたげに目を輝かせている篁さんの手には「晴れ時々雨〜時々世界は破滅する〜」というヤバめのタイトルの漫画がおさまっていた。
それを参考にしてるとして言ってるんだとしたら、天地が揺るぎそうというか…地獄は無事ではなさそうだけど、本当にその予想自信があるのだろうか。
「そうかしらねえ…」
お香さんは頬に手をあてて、少し物憂げに考えこんでいた。
「え?お香さんもしかして…上手くいかないって思ってるんですか…?」
「いいえ、上手く行ってほしいと思うけど…一筋縄じゃいかないだろうと思うわ」
だってあの人達だもの、と確信を持って言い放つ。お香さんは伊達に長年幼馴染をやっていない。
実感がこもっているそれは説得力、真実味があって、また自分の表情筋が引きつるのが分かった。
「終わりってくるのかしらね」
「もしかして決着はつかないまま…みたいな…?」
「俺達の戦いはここからだッみたいな…」
「それはちょっと地獄的には困りますねー」
この拗れた状況が永遠に続くのだとしたら、身近な人も無関係な人も、彼ら二人に大なり小なりいつまでも振り回され、色んな意味で辛いことになるだろうと思う。
もうご都合展開も越えて、超展開でもなんでも見せてくれてもいいから、早いとこ丸く収まってほしいなァと願った。
いちいち気にしてしまって、野次馬も野次馬で大変なのだ。
篁さんはやれやれと肩をすくめ、茄子は面白そうに目を輝かせ、お香さんは曖昧に笑い、俺ははぁ、と溜息をついた。
3.慰め─噂話
という女鬼に、俺は暫く前から興味を持っていた。
…誓って恋愛的な意味じゃなく、多分、野次馬的な好奇心で。
ここで働き初めてもう暫く。
我ながら立ち回りは板についてきて、今度は自分が教えるような立場に変わった。だとしても、上には上がいすぎる物だ。曲者揃いのこの地獄の獄卒としてはまだまだと言ってもいい。
例のさんに会ったのは、俺が入りたてホヤホヤの頃で、その頃既に彼女はベテランと呼ばれる程長く就いている鬼だった。
そんな大先輩に対して、何故野次馬めいた事をしているのかと言えば、憧れのお香姉さんの親友だからという興味もあったし、あの鬼灯様の昔馴染だからという物珍しさからでもあった。
そういう興味がわいているのは俺だけではなくて、閻魔庁の鬼には多かった。
特にゴシップ誌に載った時には、彼女らの直接の顔見知りだけじゃなく、広く浅く、面識も無い者たちから興味関心を持たれる事となった。
「鬼灯様は元からよくも悪くも人目を集めるから」
俺の隣で、お香姉さんが困り笑いしていた。
元から子供のように歯を見せて笑う人ではないけれど、こう曖昧な笑みを湛える事も珍しい事だ。
廊下の片隅を陣取って噂話に華を咲かせる俺達は固まっていても邪魔らしく、
通りかかる忙し気な獄卒達が眉を顰めていた。
「…ですね…」
人目を集めるのはあの人の昔馴染であるお香さんも一緒で、
険しい顔をしていた獄卒達も、彼女の顔を見ればその怒りをすぐに潜めていた。
そう、なんの因果かこの二人、揃って美男美女なのである。
注目度は高かった、人前に出る機会は多すぎるほどあった。…鬼灯様の方は。
彼女らとは反対に、さんは良くも悪くも目立つ人ではなかった。
表舞台に出て来ることがないから、いくらでも想像する予知があり、憶測は多肢に渡る。
根も葉もない噂、核心をついている噂、いくらでも飛び交った。
鬼灯様は人望ある存在だったのだ。そんな…こう…色んな意味で凄いあのヒトと付き合える人が…そんなヒトが選ぶ相手は…そんなヒトを袖に振る女鬼は…
…などなど。あらゆる事があらゆる部署で、庁で、店で、電機屋のテレビ前で、老若男女に囁かれていた。
「アレ?唐瓜ってさんと親しかったっけ?」
「いや、そこまで親しくはないけど…でも、たまに声かけてくれるだろ。お前にだって」
「あー、たまに差し入れくれるよな。さんいつも美味しい物持ってるんだよなー」
知ったように語るからか、茄子が疑問を口にしたので、俺はそれに対して緩く首を横に振った。
すると納得したように茄子が頷く。
「うーん、律儀なひとって感じ?」
「律儀というか、優しい子なんだけれど…」
律儀で穏やかな人という印象そのままを茄子が口にする。それに対して、お香さんは濁した言葉を零し、困ったような表情を浮かべる。
それ見るに、その印象というのは間違っているんだろうなと察した。
実は破天荒な女性です、って話じゃないだろう。
けど、お香さんが否定した律儀という言葉の反対は、多分大ざっぱとか適当とか、そういう類なんだろうなと察した。
そこまで親しくはないというのに、俺はさんの事情に少し詳しくなっていた。
俺はさんと親しいお香さんと一応…うん、親しい方なので、こうして直接語ってもらえるおかげで、曲解された噂ではない、真実の話を知っている。
蓋を開けてみればそこには結構じれったく、人間味を感じられるエピソードがあった。
「それにしても…失踪って結構びっくりしました」
「アレも凄い話題になってたよな。地獄のり七不思議だっけ」
「怪談じみた言い方するやつがいたから、面白がって余計に広まってて…」
謎の失踪なんて早々起る事ではない。鬼灯様が噛んでいなかったとしても、多分話題にはなっていたと思う。
それでもここまで多くの関心を集めたのは、やっぱりよくも悪くも鬼灯様が興味関心を集めている存在だからという事と、幼馴染であるさんの、その消え方が奇妙だということ。
あとは普通に、皆その事件性に興味をそそられていた。
結局さんの存在は…変な言い方をすれば、鬼灯様の付属品みたいな感じだ。本人に話題性がある訳じゃない、ただ巻き込まれてる節があった。
意志に関係なく、悪目立ちをする様を俺は憐れんでしまうけれど、当の本人は気にした様子は全く見せた事はない。
けれどやっぱりあのヒトの隣にいられるだけある…んだろうか。
あのヒトに見合う精神構造をしていたんだとしても、それでも可哀そうだなと思った。
噂されることについては、お香さんも気の毒そうにしていたけど。
失踪については鬼灯様も、同じく昔馴染である蓬さんと烏頭さんお香さん、揃ってあまり気にしている様子はなかった。
薄情と言われても仕方のない態度だったけれど、親しいからこその信頼があるんだろうとは察せられる。けれどそれが、どんな形での信頼なのかはわからない。
昔から何度も放浪の旅に出ていて、ケロッとした顔で毎度帰ってくる逞しいヒトなのか?いや流石にそんなギャップは秘めていなさそうだ。
お香さんはひたすら疑問に苛まれるばかりの俺達に少し笑って、説明を加えてくれた。
「いつ頃だったかしら…がフラッとどこかに居なくなるようになっちゃって。
一ヶ月くらいいなくなった事もあったわね。なんとなく深くは聞きづらくて、行先は今も分からないままなんだけど…アレは家出だったのかしらねぇ」
「へえ、それはちょっと意外かも…」
「…ああいう人でも非行に走るとかあるんだなあ…」
茄子が感心したような声を出して、俺も俺で驚いていた。
非行に走りまくったやんちゃな姉を持つ身としては、やはり成長の過程で大なり小なり通る道なのかと納得しつつも、イヤイヤ俺は姉を反面教師にして堪えたんだぞと自己問答をを繰り返していた。
「そうねぇ、小さい頃と違って、今はにも立場があるから…でも、いなくなった事自体はあんまり深刻に感じてないの。薄情かもしれないけど、私達の感覚だと短い方だから」
「ちなみに最長だとどのくらい…?」
「一番長いのだと…一年だったかしら」
「どこで何してたんですかあのひと!!?」
「うわすっごい不良少女じゃん。旅にでも出てたの?」
「どうかしら。一所には留まってるって事だけは聞いてるけど…」
お香さんも少し言い辛そうにしていた上に、ずけずけと詮索することでもないだろうと、それ以上は俺も茄子も聞かなかった。けれど、気になる物は気になる。
一所で一年って、山籠りか何かでもしてたのかとか、寺にでも入って修行をしていたのかとか、色々と下世話に考えてしまう。
物騒な風に考えるなら、拉致監禁とか。家出だったなら普通、何かから逃げるようにあちこちふらふらするだろう。
あえて一所に留まっていたと言うなら、そのくらいしか思いつかなかった。
「今回もその時も、なんでもない顔して帰ってきて、なんでもなかったみたいに過ごしてるから、あたし達もなんでもないように接してるのよ」
きっとなんでもないはずがない。変化がないはずがない。
理由なく消えるなんてあるものか。それはお香さんたち昔馴染も、聞きかじっただけの俺達にだって分かる話だ。
放浪癖でもあるなら別だけど、名前さんにはそういうのはないようだし。
何も変わらないかのように振る舞ってるのか、ただ傍からはそう見えてしまうだけなのかわからないけど。
どこか遠くを見ながら語っていたお香さんは、視線を俺達の方へ戻すと、
それにね、と付け加えた。
「そういうこと繰り返す度に、あの二人って拗れてるから」
「…エ?」
「拗れ…?捻じれ?」
あの頑固な二人にとっては、こういう変化があるっていうのは、むしろ良い事なのかもしれないと笑いながら話してくれた。
こんな事を笑い事で済ませてしまうお香さんも…なんていうか、本当に穏やかな人だ。
けれど事件は事件。問題は問題だという意識はあったようで、付け足された言葉でその複雑な心中は察っせられた。
「……それでどれだけ鬼灯様が荒れたとしても」
「……ああ…」
「……雨降って地かたまるわよねぇ、きっと」
「そうだと、いいんですけどね……」
「血の雨じゃなきゃいいな」
「滅多なこと言うなってお前…ッ!」
明るい声で冗談を言った茄子の口を思わず勢いよく塞いだ。
本当になったらどうしてくれるんだ。フラグってやつじゃねえかそれ。苦しそうな茄子がベシベシと俺の手を叩いて解放しろと訴えてくるので、パッと離してやる。
そうして廊下の壁に背を預けて少し息を吐いた。
からかいがいのあるはずの男女二人の行先を話しているというのに、なんだか怪談じみた恐ろしさを感じて、身震いしてしまう。
「あ、ねえねえ。座敷童ちゃんはどう思う?」
お香さんがくるりと振り返った所に、座敷童の二人が佇んでいた。
廊下の灯が届かない、影になるようなところにあえてひっそりと。
少し前から、興味深そうにそうやって立ち聞きしていたのは俺も知っていた。
しかし話に加わることはなく、まるで人形のようにジッと見上げて来るだけ。情けないけど、俺はビビっって声をかける事が出来なかった。
子供にこんな事を聞いてもなあ…と一瞬思ったけど、この子らも立派な妖怪だと思い出す。
大人顔負けの立派な答えが返って来てもおかしくない。
穏やかなお香さんは、音もなく背後に佇んでいた座敷童を恐れることもなく、ごく自然に話を振って、座敷童もまた何事もなかったかのように自然に口を開いた。
俺の隣の茄子も中々豪胆で、動じた様子はない。
…多分ターゲットは俺なのだ。俺をビビらせて遊んでいるんだろう。そんなことは悲しいくらいに分かってる。
こてりと人形のように芝居じみた仕草でこてりと首を傾げて、座敷童二人は返答した。
「両極端」
「0か100」
「一かバチだよね」
「末永く円満に暮らせるか、それとも身を滅ぼすか」
「でもここには関係なさそうかな」
「そのへんちゃんと線引きするだろうから。問題ないよ」
ここ、と言いながら床を指さしたけど、それはきっと閻魔殿指しているのではない。地獄全体を指しているんだろうなと察した。
周囲を巻き込んでの大騒動にはならず、あくまで内々にやるんだろうと、人を見る目は誰よりもあるという座敷童たちは判断したのだ。
その"ちゃんと"と言うのは良いのか悪いのか。本当に問題がないのか。口を引きつらせてその辺突っ込んでみようかと悩んでいると。
「私は大円満のハッピーエンドになると思いますけど。でも少女漫画よりも青年漫画くらいの終わり方で」
背後から声がかかり振り返ると、沢山の本を両腕いっぱいに抱えた男性が一人いた。
顔は見えなくても、特徴的なくせ毛は見え隠れしている。
声とそのシルエットですぐ分かってしまう。秦広王の補佐官である篁さんがそこにはいた。
説明がなくても、いったいこの人が今まで何をどうしていたのかわかる。
篁さんの最近のマイブームは、彼と親交がある人らには知れ渡っている事だ。
「ここ数ヵ月、漫画の貸出が異常に増えてる」とか、「めちゃ大量の漫画抱えた人が定期的に彷徨ってる」なんていう目撃情報もぽつぽつ出回ってきているので、親交のない人にも薄ら知れてしまっているようだ。
「篁さん…また来たんですか…」
この人が何故こんなにも漫画にハマっているのかは誰にも分からない。
単純に面白いから…なのかもしれないけれど、それにしては度が過ぎているようにも思わなくない。
「別にサボりじゃないですって。しかるべき休憩を取ってますよ」
今にも崩れ落ちそうな本を少しだけ肩代わりすると、隠れていた篁さんの顔がやっと見えた。キリッとした顔で堂々言っていたので、少しだけ呆れる。
現世のことを知るために、この庁には映画DVD、書籍なんかが沢山ある。もちろん漫画も豊富だった。
今の日本はオタク文化というものが結構広まっているので、コレを抜きにしては、現世を知り語る事はできないのだ。
そうは言っても、度が過れば何でも毒になるというのに。
「過程は少女漫画、終わりは青年漫画。じれったくてもシビアでもなんとか丸く収まる。これが私の予想です」
間違いない、自信ありますと言いたげに目を輝かせている篁さんの手には「晴れ時々雨〜時々世界は破滅する〜」というヤバめのタイトルの漫画がおさまっていた。
それを参考にしてるとして言ってるんだとしたら、天地が揺るぎそうというか…地獄は無事ではなさそうだけど、本当にその予想自信があるのだろうか。
「そうかしらねえ…」
お香さんは頬に手をあてて、少し物憂げに考えこんでいた。
「え?お香さんもしかして…上手くいかないって思ってるんですか…?」
「いいえ、上手く行ってほしいと思うけど…一筋縄じゃいかないだろうと思うわ」
だってあの人達だもの、と確信を持って言い放つ。お香さんは伊達に長年幼馴染をやっていない。
実感がこもっているそれは説得力、真実味があって、また自分の表情筋が引きつるのが分かった。
「終わりってくるのかしらね」
「もしかして決着はつかないまま…みたいな…?」
「俺達の戦いはここからだッみたいな…」
「それはちょっと地獄的には困りますねー」
この拗れた状況が永遠に続くのだとしたら、身近な人も無関係な人も、彼ら二人に大なり小なりいつまでも振り回され、色んな意味で辛いことになるだろうと思う。
もうご都合展開も越えて、超展開でもなんでも見せてくれてもいいから、早いとこ丸く収まってほしいなァと願った。
いちいち気にしてしまって、野次馬も野次馬で大変なのだ。
篁さんはやれやれと肩をすくめ、茄子は面白そうに目を輝かせ、お香さんは曖昧に笑い、俺ははぁ、と溜息をついた。