第四十三話
3.慰め─鏡と夜空
彼女がいてもいなくても、日々は過ぎていく。季節も移ろう。
いてもいようがどちらでもよくて、決して足しにはならない。最初からわかっていたことを、改めて突きつけられるようだった。
だというのに、なんとなく共にいることを選んだのは私自身でした。
損にも得にもならないそれをほしがったのは私です。
年甲斐もなく足掻くほど、切望したのです。
そこまで固執しているからと言って、やはり私自身に損失する物など一つもなくて、かと言ってあっさりと忘れさる事もない。やはり、ただ胸を満たすだけのものでした。
ここまで散々に言っておいて、手放すつもりが少しもないのだから、我ながら面倒臭い。
わたしよりも、一ヶ月近くあの子の穴が出来た事は、記録課にとっては損失で大打撃でした。
友人も多く、それなりの人望もあった。長く務めてあの子が培ったものは伊達ではなく、必要とされる貴重な人材でした。少なくともいつも通りに回らなくなるくらいには。
「どうしてくれましょうかね」
回らなくなった、はいそうですかでは物事は済まされません。穴埋めするための策を考え、なんとかどうにかするのは、忙殺されきってる記録課の彼らではなく、私の役目でした。
記録課に不慣れな者が助っ人と称して入った所で、戦力にはなれない。
頭を悩ます私のみならず、主に葉鶏頭さん中心に負荷がかかっていて、損失がどうのというか…疲労感というべきか、気苦労というべきか、重たい物が辺りに蔓延していた。
胃薬と栄養ドリンクが手放せなくなり、各々の胃にかかった負荷も尋常ではありませんでした。
「荒れた胃くらいは大目にみてあげなよ…幼馴染に温情とかさぁ、ないの?」
日々の事ぼやきを聞くと、閻魔大王はあの子の方に同情したようで、呆れたような目が私に向かった。
「温情なんてかけてたら務まりませんよ。親しいからと言って私がお目こぼしなんてすると思いますか。左遷だってなんだって言い渡しますよ」
「思わないけどさぁ…」
「じゃあなんで言った」
閻魔大王をじろりと睨みあげると、だってさぁと子供のような言い訳を零し出す。
昔馴染に数度、直々に左遷を言い渡したの私です。
今更厳しくすることに躊躇などありません。
「普通は幼馴染の女の子に甘くなったりするもんでしょ。それこそちょっとした仕事のミスとか」
「まさか、篁さんみたいに漫画かぶれしてるんですか」
「別にワシ漫画嫌いじゃないけど違うよ!ただの一般論だよ!」
「それってニハートラップとか袖の下を許容するようなものですよね」
「そこまで過剰に考えなくてもいいじゃない!?規則破りなんて、暗黙の了解みたいなモンだったりする事もあるでしょ!?」
いやいやだってだってえさぁ!と子供のように叫び、「なんでそんなに厳しいのかわからないよ」と必死に訴えます。
それに対して私も少し思うところがあり、ぽつりと零して頷いた。
「…まあ、親しいからこそ厳しくなるのかもしれませんね」
「あ、厳しい自覚あったんだ。でも親しいからこそ厳しいって何?」
「私も人の子…というか鬼の子ですから、うっかり習慣で甘くみてしまうかもしれませんし」
だらけた事をしていても、仕方ないいつものことだと見過ごしてしまうかもしれません。
恐怖政治でもするかのように厳しくを掲げすぎても、碌なことにはなりません。
暗黙の了解の規則破りなんかは確かに見ないフリをしてる部分もありますけど。
あくまで差し障りない範囲です。だらけて仕事に手を抜かれても困ります。
記録課は神経質で生真面目で、几帳面なものが就くのだと葉鶉頭さんが仰っていましたけどその通り。
あの子が先天的に手先が器用なのは認めますけど、あの集中力と継続力と生真面目さ、几帳面さは後天的なものです。生活のため手に職つけているうちに身についたんでしょう。
ちなみに神経質さはありません。
だからこそ緩んで素が出ては困ります。
「…きみ、身内に甘いんだかやっぱり厳しいんだかよくわかんないなあ」
「どっちでも構いませんよね。別に厳しく鞭打ちしてうっかり殺してしまったのではないのですから」
「うっかり殺しちゃうかもしれないような厳しさなんて捨てちゃいないよ!?」
閻魔大王は青ざめながら絶叫します。そんなに喚き立てることでしょうか。
もう一度私がじろりと睨みあげれば、そこに含まれた「いい加減仕事をしろ」という意は伝わったようで、渋々口を閉じて机にかじりついてくれました。
「あ、お香ちゃん?」
「あら、ごめんなさい、立ち聞きしてしまって」
中途半端に開きっぱなしだった扉の隙間から、見覚えのある着物の柄がちらりと見えていた。閻魔大王が不思議そうに声をかけると、困ったように眉を下げたお香さんが顔を出した。
まさか彼女が用もなく、単に野次馬しに来ただけとは思いません。私達が話しこんでいる所、割って入るタイミングを逃しただけだという事はその困り顔からすぐに察せられた。
扉をきちんと開閉して、お香さんは部屋奥の机まで歩み寄り、少しためらいがちに口を開いた。
「ねえ鬼灯様。お咎めを受けるのは仕方ないとは思うのだけど…」
「はい」
「…その、優しくしてあげくださいね。ちょっとでいいから」
「…点なんで揃ってそう疑心暗鬼になるんですか」
お香さんが気まずそうに、ちらちらとこちらの様子を伺いながら言った。
とても抽象的で、主語も何もなかったけど、なんのことを言いたいのかは察しはつきます。
「その、叱責とか、恨み言なんかはここでだけで…」
「…恨み事なんて言った覚えもないですけど。…逆に聞きますが、何をしてほしいんですか?お香さんも昔からあの子に甘いですねえ」
「私はと親しいから、優しくしたいともちろん思うけど…、多分、鬼灯様が厳しいせいもあると思うわ」
「なるほど、反面教師みたいなものですか」
「いやなるほどじゃなくって」
言われて納得するくらいなら、少しはその態度を改善したらどうだと、二対の目で訴えられる。
「何故いなくなったと責めるのではなく…帰ってきてくれてよかったとか、心配したとか、そういう言葉をかけてほしいんですかね」
「まあそんな感じかしら。でもなんて言うのかしら…」
ううん、とお香さんは少し考える素振りをとって、それでも少し言葉を選びながら、探り探り呟きます。
「放っておいたら、お咎めと叱責も全部最初に済ませて…プライベートでもちくちく言うかしらと思ったのだけど。…鬼灯様自身が言いたいことはないのかしら」
「私自身が、ですか」
「心からそう思うなら、さっき言った言葉でも十分だと思うわ。でも…」
いきなり消えて、何事もなかったかのようにいつも通り過ごして、失踪もいつもことだとさらりと受け流して。
探そうと奔走しているのはわかっていても、それでもなんとなく作業的で。
昔馴染だからこそ、ちゃんと心配しているのはわかるけど、傍からみれば冷酷なだけとしか思えないくらいだわと苦々しく進言する。
「も怒られても責められても、鬼灯様を嫌ったりなんてしないと思うけれど。でも、きっと優しくされたいと思うわよ」
周囲が私を冷たくて厳しいと思っていることはわかりました。そして少しは甘く優しく心を砕いてやれと思っていることも。
そしてあの子本人が優しくされた方が嬉しいと感じるのも、お香さんが言った通り事実なのでしょう。
あの子も責め立てられて喜ぶマゾでもありませんし、そういうことをされると辛く思うことはわかっています。
リリスさんは責めたから耐えられず消えてしまったのだと楽しそうに言う。
私は理由こそわかりませんが、そうではないと思う。
周囲が言うように「厳しい」私に耐えられないくらいなら、云千年も共にいられるはずがないのです。
今更嫌気がさしたなんて、遅すぎるでしょう。それくらいの嫌味や厳しさを許容するくらいの度量はあの子にあるのです。
許容というか、受け流しているのかもしれませんけど、一緒のことです。
果してそうでしょうか。厳しいからいなくなって、優しくされたくて帰ってくるのでしょうか。
いつか育児本なんて手にとってみたこともありましたが、今も答えはでませんが。寂しい子供の心は何を望むのでしょうね。
いや本当は純粋な子供じゃなかったとしても、子供のように未熟な精神しか持たないあの子は、どんな言葉を欲するでしょうか。
「…あ」
机にかじりついてふと顔を上げて、時計で時間を確認するより前に、随分な時間が経っていることがわかった。
いつの間にか手元を照らす机の上の電灯が消えています。切れてしまったのでしょうか。手元が見えづらくなって、やっと集中が解けたらしいと悟る。
改めて時計を見ると、もう深夜。日付もとっくに変わっていました。
「…はあ」
凝り固まった肩を回しながら立ち上がります。
少し休憩を入れようと歩きました。食堂は開いていないでしょうから、どこか他で一服しようとあてもなく閻魔殿を歩く。
「…どうしましょうねえ」
歩いている途中、出しっぱなしになっている浄玻璃鏡の姿が視界に入りました。
物を使ったなら定位置にしまうというのは、当たり前に行われる日常だ。
が、こんな大変なものが出しっぱなしで、部屋の中央に放置されてるのには、理由がありました。
ここ数日、「絶対絶対いいもの見えるから!」と複数の神々が連日提言してきたことで、映しっぱなしで放置したままなのです。これも電源を食うので、とりあえずつけておくか…と言う程度の気軽さで出来る事ではない。ブレーカーが落ちる。
ずっと見張っていられた良かったけれど、私も私でやることが山積みでした。代わりにと見張り役についてもらった獄卒の一人を探すと、鏡の傍らでうたた寝をしているのを発見した。
いつからそうしているかわからないけれど、「いいもの」とやらを見逃したのではないかと懸念しました。
そのいいものが何なのか具体的な所がわからない以上、映ったとしても"それ"がそうなのだと認識出来るかもわからないのですけど。
傍目に見て、明らかにコレだとわかるようなモノであればいいんですけど。
「…?」
見張りを起こすのはいったん置いて、一度覗きこみました。
すると見知らぬ現世の街を映していた映像が切り替わり、駆け抜ける誰かが映ります。
最初につけた昼間から、こうしてあちこちと節操なく場面が切り替わっていたので、それ自体は不思議なことではありませんでした。
けれど、一人の人物に焦点を当てて展開する映像が流れたのは、おそらく今が初めてです。
明らかに意味ありげだ。
髪が短くて毛先が跳ねていて、平均よりは恐らくほんの少しだけ背が高い。
足取りはとても悪く、ただがむしゃらに走っていました。
大事そうに何かを抱えたまま、どこかを潜りぬけたようです。
すると、その人は抱えていた荷を解き、中身を振りかざしました。
光り眩くて、その姿は逆光でよく見えない。輪郭がしっかりしていなくて、辺りも光に染められてぼやけています。
ここがいつで、どこで、誰なのか。映像を見ただけで特定するのは難しそうで、詳細を知ろうとチャンネルを合わせようとしました。
「…は」
すると、一瞬鮮やかな朝焼けが映った。
と、思った瞬間、何かが高い所から落下していく映像に切り替わる。
色鮮やかなくせして、画面は荒く、砂嵐が時々混じる。
画面全体に広がるのは空。青い空に橙色が差し込んで、藍色が滲んで夜に変わります。
今現在の閻魔庁にはほとんど誰もいなくて、残業して残っていた私や、見張り役として白羽の矢が立ってしまった獄卒の彼以外の気配を感じない。
きっと座敷童さんや、同じく夜通し居残ってる誰かもいるのでしょうけど、日中よりは密度が低くなったそこは、不気味な静寂で包まれています。
耳の奥、腹の底、胸の奥。何かが渦巻き、どくんと心臓が打つのがわかりました。
変な心地になって、なんとなく振りかえる。当然、そこには誰もいない。非常灯の淡い灯りが遠くに見えただけだった。
「……あの場所」
切り替わる映像の中で、一瞬垣間見えた景色。私はアレに覚えがあった。
未だに爆睡している彼をひっぱたいて目を覚まさせて、「やべッ」と明らかに青ざめた彼を置いて、私は踵を返して歩き出しました。浄玻璃鏡の管理は、今度こそ彼が全うしてくれる事だろう。
朧車さんを呼びつけて、すぐに乗りこむ。向かってもらう場所を指示して、あとはだんまり。いつもなら移動中も、持ち運んだ仕事をするか、朧車さんと雑談するか何かをしていたけれど、何をする気にもなれなかった。
何故だか酷い焦燥感に襲われます。
「ここの星空、綺麗だね」
初めて流星群を見るのだと言ったあの子は酷く嬉しそうに笑っていて、私は「そうですか」と淡白に頷き、私も同じように空を見上げた。
平静な表面とは裏腹に、気分が悪い情景だと内心酷く毒づいてた。あの場所でした。
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3.慰め─鏡と夜空
彼女がいてもいなくても、日々は過ぎていく。季節も移ろう。
いてもいようがどちらでもよくて、決して足しにはならない。最初からわかっていたことを、改めて突きつけられるようだった。
だというのに、なんとなく共にいることを選んだのは私自身でした。
損にも得にもならないそれをほしがったのは私です。
年甲斐もなく足掻くほど、切望したのです。
そこまで固執しているからと言って、やはり私自身に損失する物など一つもなくて、かと言ってあっさりと忘れさる事もない。やはり、ただ胸を満たすだけのものでした。
ここまで散々に言っておいて、手放すつもりが少しもないのだから、我ながら面倒臭い。
わたしよりも、一ヶ月近くあの子の穴が出来た事は、記録課にとっては損失で大打撃でした。
友人も多く、それなりの人望もあった。長く務めてあの子が培ったものは伊達ではなく、必要とされる貴重な人材でした。少なくともいつも通りに回らなくなるくらいには。
「どうしてくれましょうかね」
回らなくなった、はいそうですかでは物事は済まされません。穴埋めするための策を考え、なんとかどうにかするのは、忙殺されきってる記録課の彼らではなく、私の役目でした。
記録課に不慣れな者が助っ人と称して入った所で、戦力にはなれない。
頭を悩ます私のみならず、主に葉鶏頭さん中心に負荷がかかっていて、損失がどうのというか…疲労感というべきか、気苦労というべきか、重たい物が辺りに蔓延していた。
胃薬と栄養ドリンクが手放せなくなり、各々の胃にかかった負荷も尋常ではありませんでした。
「荒れた胃くらいは大目にみてあげなよ…幼馴染に温情とかさぁ、ないの?」
日々の事ぼやきを聞くと、閻魔大王はあの子の方に同情したようで、呆れたような目が私に向かった。
「温情なんてかけてたら務まりませんよ。親しいからと言って私がお目こぼしなんてすると思いますか。左遷だってなんだって言い渡しますよ」
「思わないけどさぁ…」
「じゃあなんで言った」
閻魔大王をじろりと睨みあげると、だってさぁと子供のような言い訳を零し出す。
昔馴染に数度、直々に左遷を言い渡したの私です。
今更厳しくすることに躊躇などありません。
「普通は幼馴染の女の子に甘くなったりするもんでしょ。それこそちょっとした仕事のミスとか」
「まさか、篁さんみたいに漫画かぶれしてるんですか」
「別にワシ漫画嫌いじゃないけど違うよ!ただの一般論だよ!」
「それってニハートラップとか袖の下を許容するようなものですよね」
「そこまで過剰に考えなくてもいいじゃない!?規則破りなんて、暗黙の了解みたいなモンだったりする事もあるでしょ!?」
いやいやだってだってえさぁ!と子供のように叫び、「なんでそんなに厳しいのかわからないよ」と必死に訴えます。
それに対して私も少し思うところがあり、ぽつりと零して頷いた。
「…まあ、親しいからこそ厳しくなるのかもしれませんね」
「あ、厳しい自覚あったんだ。でも親しいからこそ厳しいって何?」
「私も人の子…というか鬼の子ですから、うっかり習慣で甘くみてしまうかもしれませんし」
だらけた事をしていても、仕方ないいつものことだと見過ごしてしまうかもしれません。
恐怖政治でもするかのように厳しくを掲げすぎても、碌なことにはなりません。
暗黙の了解の規則破りなんかは確かに見ないフリをしてる部分もありますけど。
あくまで差し障りない範囲です。だらけて仕事に手を抜かれても困ります。
記録課は神経質で生真面目で、几帳面なものが就くのだと葉鶉頭さんが仰っていましたけどその通り。
あの子が先天的に手先が器用なのは認めますけど、あの集中力と継続力と生真面目さ、几帳面さは後天的なものです。生活のため手に職つけているうちに身についたんでしょう。
ちなみに神経質さはありません。
だからこそ緩んで素が出ては困ります。
「…きみ、身内に甘いんだかやっぱり厳しいんだかよくわかんないなあ」
「どっちでも構いませんよね。別に厳しく鞭打ちしてうっかり殺してしまったのではないのですから」
「うっかり殺しちゃうかもしれないような厳しさなんて捨てちゃいないよ!?」
閻魔大王は青ざめながら絶叫します。そんなに喚き立てることでしょうか。
もう一度私がじろりと睨みあげれば、そこに含まれた「いい加減仕事をしろ」という意は伝わったようで、渋々口を閉じて机にかじりついてくれました。
「あ、お香ちゃん?」
「あら、ごめんなさい、立ち聞きしてしまって」
中途半端に開きっぱなしだった扉の隙間から、見覚えのある着物の柄がちらりと見えていた。閻魔大王が不思議そうに声をかけると、困ったように眉を下げたお香さんが顔を出した。
まさか彼女が用もなく、単に野次馬しに来ただけとは思いません。私達が話しこんでいる所、割って入るタイミングを逃しただけだという事はその困り顔からすぐに察せられた。
扉をきちんと開閉して、お香さんは部屋奥の机まで歩み寄り、少しためらいがちに口を開いた。
「ねえ鬼灯様。お咎めを受けるのは仕方ないとは思うのだけど…」
「はい」
「…その、優しくしてあげくださいね。ちょっとでいいから」
「…点なんで揃ってそう疑心暗鬼になるんですか」
お香さんが気まずそうに、ちらちらとこちらの様子を伺いながら言った。
とても抽象的で、主語も何もなかったけど、なんのことを言いたいのかは察しはつきます。
「その、叱責とか、恨み言なんかはここでだけで…」
「…恨み事なんて言った覚えもないですけど。…逆に聞きますが、何をしてほしいんですか?お香さんも昔からあの子に甘いですねえ」
「私はと親しいから、優しくしたいともちろん思うけど…、多分、鬼灯様が厳しいせいもあると思うわ」
「なるほど、反面教師みたいなものですか」
「いやなるほどじゃなくって」
言われて納得するくらいなら、少しはその態度を改善したらどうだと、二対の目で訴えられる。
「何故いなくなったと責めるのではなく…帰ってきてくれてよかったとか、心配したとか、そういう言葉をかけてほしいんですかね」
「まあそんな感じかしら。でもなんて言うのかしら…」
ううん、とお香さんは少し考える素振りをとって、それでも少し言葉を選びながら、探り探り呟きます。
「放っておいたら、お咎めと叱責も全部最初に済ませて…プライベートでもちくちく言うかしらと思ったのだけど。…鬼灯様自身が言いたいことはないのかしら」
「私自身が、ですか」
「心からそう思うなら、さっき言った言葉でも十分だと思うわ。でも…」
いきなり消えて、何事もなかったかのようにいつも通り過ごして、失踪もいつもことだとさらりと受け流して。
探そうと奔走しているのはわかっていても、それでもなんとなく作業的で。
昔馴染だからこそ、ちゃんと心配しているのはわかるけど、傍からみれば冷酷なだけとしか思えないくらいだわと苦々しく進言する。
「も怒られても責められても、鬼灯様を嫌ったりなんてしないと思うけれど。でも、きっと優しくされたいと思うわよ」
周囲が私を冷たくて厳しいと思っていることはわかりました。そして少しは甘く優しく心を砕いてやれと思っていることも。
そしてあの子本人が優しくされた方が嬉しいと感じるのも、お香さんが言った通り事実なのでしょう。
あの子も責め立てられて喜ぶマゾでもありませんし、そういうことをされると辛く思うことはわかっています。
リリスさんは責めたから耐えられず消えてしまったのだと楽しそうに言う。
私は理由こそわかりませんが、そうではないと思う。
周囲が言うように「厳しい」私に耐えられないくらいなら、云千年も共にいられるはずがないのです。
今更嫌気がさしたなんて、遅すぎるでしょう。それくらいの嫌味や厳しさを許容するくらいの度量はあの子にあるのです。
許容というか、受け流しているのかもしれませんけど、一緒のことです。
果してそうでしょうか。厳しいからいなくなって、優しくされたくて帰ってくるのでしょうか。
いつか育児本なんて手にとってみたこともありましたが、今も答えはでませんが。寂しい子供の心は何を望むのでしょうね。
いや本当は純粋な子供じゃなかったとしても、子供のように未熟な精神しか持たないあの子は、どんな言葉を欲するでしょうか。
「…あ」
机にかじりついてふと顔を上げて、時計で時間を確認するより前に、随分な時間が経っていることがわかった。
いつの間にか手元を照らす机の上の電灯が消えています。切れてしまったのでしょうか。手元が見えづらくなって、やっと集中が解けたらしいと悟る。
改めて時計を見ると、もう深夜。日付もとっくに変わっていました。
「…はあ」
凝り固まった肩を回しながら立ち上がります。
少し休憩を入れようと歩きました。食堂は開いていないでしょうから、どこか他で一服しようとあてもなく閻魔殿を歩く。
「…どうしましょうねえ」
歩いている途中、出しっぱなしになっている浄玻璃鏡の姿が視界に入りました。
物を使ったなら定位置にしまうというのは、当たり前に行われる日常だ。
が、こんな大変なものが出しっぱなしで、部屋の中央に放置されてるのには、理由がありました。
ここ数日、「絶対絶対いいもの見えるから!」と複数の神々が連日提言してきたことで、映しっぱなしで放置したままなのです。これも電源を食うので、とりあえずつけておくか…と言う程度の気軽さで出来る事ではない。ブレーカーが落ちる。
ずっと見張っていられた良かったけれど、私も私でやることが山積みでした。代わりにと見張り役についてもらった獄卒の一人を探すと、鏡の傍らでうたた寝をしているのを発見した。
いつからそうしているかわからないけれど、「いいもの」とやらを見逃したのではないかと懸念しました。
そのいいものが何なのか具体的な所がわからない以上、映ったとしても"それ"がそうなのだと認識出来るかもわからないのですけど。
傍目に見て、明らかにコレだとわかるようなモノであればいいんですけど。
「…?」
見張りを起こすのはいったん置いて、一度覗きこみました。
すると見知らぬ現世の街を映していた映像が切り替わり、駆け抜ける誰かが映ります。
最初につけた昼間から、こうしてあちこちと節操なく場面が切り替わっていたので、それ自体は不思議なことではありませんでした。
けれど、一人の人物に焦点を当てて展開する映像が流れたのは、おそらく今が初めてです。
明らかに意味ありげだ。
髪が短くて毛先が跳ねていて、平均よりは恐らくほんの少しだけ背が高い。
足取りはとても悪く、ただがむしゃらに走っていました。
大事そうに何かを抱えたまま、どこかを潜りぬけたようです。
すると、その人は抱えていた荷を解き、中身を振りかざしました。
光り眩くて、その姿は逆光でよく見えない。輪郭がしっかりしていなくて、辺りも光に染められてぼやけています。
ここがいつで、どこで、誰なのか。映像を見ただけで特定するのは難しそうで、詳細を知ろうとチャンネルを合わせようとしました。
「…は」
すると、一瞬鮮やかな朝焼けが映った。
と、思った瞬間、何かが高い所から落下していく映像に切り替わる。
色鮮やかなくせして、画面は荒く、砂嵐が時々混じる。
画面全体に広がるのは空。青い空に橙色が差し込んで、藍色が滲んで夜に変わります。
今現在の閻魔庁にはほとんど誰もいなくて、残業して残っていた私や、見張り役として白羽の矢が立ってしまった獄卒の彼以外の気配を感じない。
きっと座敷童さんや、同じく夜通し居残ってる誰かもいるのでしょうけど、日中よりは密度が低くなったそこは、不気味な静寂で包まれています。
耳の奥、腹の底、胸の奥。何かが渦巻き、どくんと心臓が打つのがわかりました。
変な心地になって、なんとなく振りかえる。当然、そこには誰もいない。非常灯の淡い灯りが遠くに見えただけだった。
「……あの場所」
切り替わる映像の中で、一瞬垣間見えた景色。私はアレに覚えがあった。
未だに爆睡している彼をひっぱたいて目を覚まさせて、「やべッ」と明らかに青ざめた彼を置いて、私は踵を返して歩き出しました。浄玻璃鏡の管理は、今度こそ彼が全うしてくれる事だろう。
朧車さんを呼びつけて、すぐに乗りこむ。向かってもらう場所を指示して、あとはだんまり。いつもなら移動中も、持ち運んだ仕事をするか、朧車さんと雑談するか何かをしていたけれど、何をする気にもなれなかった。
何故だか酷い焦燥感に襲われます。
「ここの星空、綺麗だね」
初めて流星群を見るのだと言ったあの子は酷く嬉しそうに笑っていて、私は「そうですか」と淡白に頷き、私も同じように空を見上げた。
平静な表面とは裏腹に、気分が悪い情景だと内心酷く毒づいてた。あの場所でした。
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