第四十話
2.生と死夢の中のひと。

同僚が占いにハマッたらしい。
とは言っても特定の種類に凝っているのではなく、彼女の興味の矛先が向かう範囲は広かった。
タロットでも風水でも、それが占いと名のつく類であれば、ほとんど試しているようだ。
毎朝テレビでやっている占いでもはしゃげる様子で、毎日顔を合わせる度に結果を報告してくる。
楽しそうにしている人を見ているとこちらも楽しくなってくるもので、私もつられ笑いをしながらその報告を聞いていた。
というよりも、無邪気な彼女の事を微笑ましく思っているという方が大きいかもしれない。

ただ、私の今日の運勢まで話してくれようとするのには困った。それにどういう反応を取っていいのか悩むのだ。
いい運勢を聞けたなら、やったーと喜べばいいのかもしれないけど、私は占いを信じている訳でも信じていない訳でもない。
彼女が楽しそうで何よりだと思えても、占いについては何とも思えなかったのだ。
可もなく不可もなく。無関心に近いのかもしれない。
とはいえ、彼女は真剣に不確かな未来を見通そうと躍起になっている訳ではないようで。
言ってしまえば遊び半分だ。
何が飛び出て来るかわからないドキドキ感を楽しんでいるらしい。
その彼女はというと、携帯端末を手に取ると、指先で画面をなぞり出していた。
そして、表示された物を見せようと私の眼前に持ってこよう持ち上げる。
勢いあまってぶつかりそうになったのを目視して、咄嗟に両手で自分の顔面を庇った。
「あっごめん〜」と言う言葉は軽く短く、彼女はすぐに本題に戻った。


「この人知ってる?テレビで見た事ないかな〜。ここ当たるって評判なんだよ〜」

まるでアイドルを目の前にして昂揚した少女のような反応だった。
頬に手をあてて、きゃーっと色めいた声をあげている。
××区にあるという店舗のHPを、彼女から受け取った携帯で眺めつつ、私は苦笑いしていた。
当たるというのが、本当でも本当じゃなくてもちょっと困る。
守護霊とかいうのはついてなさそうな気がするけど、前世がどうこうとかもし言い当てられたら…なんか気まずいなあ。それで問題になる事はないだろうけど。
この同僚がそれを聞いても多分、本気で信じないと思う。
本気で信じないと分かっているからこそ、私は彼女と友人関係を保っていられるのだ。
だから、私は「今度の休日、一緒に占ってもらいに行こうよ」という誘いに二つ返事で頷き約束していた。

私は、叩かれればやましい埃が山ほど出てくる。"そういう事"を探れてしまう鋭い子であれば、私は距離を置いただろうと思う。
嘘か本当かわからない狭間のものとして受け止めて、彼女はこの趣味を楽しんでいる。
けれど私は本当に、三度の違う人生を歩んでいた。
今現在も中々特殊な人生を歩み中だ。あえて区切って数えるならこれで四度目の人生。
変な生き様を送ってるなあと、我が事ながら思う。
夢か幻かわからないと言いつつも、何年経ってもあの頃の記憶は鮮明で薄れない。
あの世での暮らしというのは本当にあった事なのだと、半ば確信できているのだった。
だからいつまでも辛くて虚しくて苛立ったままでいる。
不思議な夢だったなあとぼんやりと納得できるようなら、もうとっくに色も匂いも忘れて、自分なりの人生を謳歌しているだろう。
彼女は私の苦い笑いの奥にある郷愁に気が付くはずもなく、無邪気な笑いを振りまいていた。
今日は多くの人が待ちに待っていた休日。同僚の彼女が待ちに待っていた約束の日だ。

「楽しみだね〜っ私の前世、王女様だりしたらどうしよ。私猫の方がいいんだけど」
「あれ、そっち行くの?うーん、猫でいいの?」
「猫がいいの!だってあの子達凄く楽しそうだよね。伸縮自在」
「あのね、言いたいことはなんとなくわかるけど伸縮は違う気がする」

興奮して変なことを言いだした彼女をなんとか宥める。
鞄の中にはいつもちょっとしたおやつを入れている。彼女が好きだというグミを一粒つまんで差し出すと、少し冷静になった彼女は照れ笑いを零す。
もう大人だというのに、おやつで宥められる自分にさすがに羞恥を感じているようだった。グミを口に含んだ彼女の頬は少しだけ色付いていた。


「でも、やっぱ猫はいいよねえ。あなたの前世は猫でしたって言われたい」
「そう?そういうものかなぁ」

猫の身のこなしは綺麗で伸びやかで、あの姿には確かに憧れを抱くかもしれない。
だけれど。どちらかと言うと彼女は犬系女子だ。
自由な子ではあるんだけど、猫の持つ自由さとは少し種が違うだろう。
地獄にも色々なタイプの犬や猫がいて、時々獄卒たちが犬派猫派にわかれて論争を起こしていたのを覚えている。
私は「鳥派かなあ。空飛んでみたい」と空気を読まない発言をしてブーイングを巻きおこし、鬼灯くんは「いや仕事しろ」と言って場をクールダウンさせていた。
懐かしい事を思い出してしまった。歩きながらくすくすと思い出し笑いが零れて出た。
隣を歩く同僚の彼女は二粒目のぐみを頬に詰め込みながら、不思議そうにこちらを見ていた。

何度か乗り換えを繰り返した後、ようやく降車した私達は、駅から離れどこかノスタルジックを感じさせる街並みを歩いていた。
街の一角を陣取る喫茶店でお茶しながら雑談に興じていれば、すぐに予約の時間がやってきた。
店外へ出ると、あっちにこっちの景色に興味を惹かれて逐一足を留めたがる同僚。私は腕時計を指しながら何度も軌道修正を図る。
悠長にしていればすぐに予約の時間が過ぎるだろう。
リリスさんと現世にやってきた時のことが思い出された。
こうやって奔放に、あちこち振り回されるのは嫌いじゃないけど、その自由さに思わず苦笑してしまうのは仕方ないだろう。
彼女が犬系なら、リリスさんは猫系だろうか。けれど結局、種が違えど自由な彼女達がやってる事にさした変わりはない。



「あなたは、随分と特別な子ですね」


今話題になっているのだというその占い師は、予想に反してこじんまりとした一室に店を構えていた。
裏路地の、あまり目に付かない場所に店の扉はある。
けれど流石占いをする店だということだけあって、雰囲気のある内装をしていた。
置かれた小物一つとってみても拘りを感じられる。決して華美ではないのに、一つ一つに存在感があった。先入観があるからそう感じるのだろうか。
受付の若い女性に案内されて入った奥の一室で、この店の店主である老年の女性と初めて顔を合わせる。
促されて、同僚と共に席につく。部屋の真ん中に配置されていたのは、四角テーブルの四人席だ。
特に席順を示し合せた訳ではない。けれど、丁度私が占い師の女性と対面する形になったので、目の前の私から先に占ってもらうことにした。

段取りを決めるが否や、占い師の女性は特にもったいぶることもなく言い切った。
出されたハーブ茶と、奇抜な模様のテーブルクロスに視線を奪われていた私は、即座に顔を上げされられた。
聞き馴染みがありすぎるその言葉一つで、私は彼女が"本物"であることを悟る。

「色んなものに影響されて、色んなものに援助されて、今ようやくここに立っているのでしょう」


年老いた女性の少し濁った眼は、それでも鮮明に全てを見通しているようだった。
私の困惑に揺れた瞳とは対照的に、彼女の重たい瞼の奥にある瞳も、老いた小さな背中も、堂々と真っ直ぐにあり続けていた。


「まるで夢の中にいるような感じがするでしょう」

確信をもって言われて、くらりと眩暈がした。鼻腔を擽った甘い香りに酔ったのかと思った。
部屋に焚かれた甘露のような香も、口内を湿らせたハーブ茶の甘味も、思考を霧がからせる。
甘すぎて、それこそまるで夢見心地な気分になるくらいだった。


「夢のような暮らしを送っているでしょう?」

贅沢三昧、幸せいっぱいだと言いたい訳ではないのだろう。
実際に私は…大昔は長い間困窮した生活を送っていたし、苦しいこと辛いことはたくさんあった。それを上回るだけの幸福があったとも思っているけど。

けれど。不思議な人生を送ってきたと自覚しているし、それは今もそうだ。
見方を変えれば、これは"夢のような"暮らしぶりだと称する事もできるかもしれない。
隣にいる同僚はおおーっと歓喜の声をあげて小さく拍手している。
好奇心をすっかり満たしているようだった。反して私は酷く緊張させられていた。
占い師としての彼女は本物で、言い当てられて、それで気まずくなるだけでは済まされそうにない。
前世がどうのと言われる事はあるかもしれないと一応の覚悟はしていたのだ。
だけど、こうなるとは思わなかった。
対面した時に浮かべた笑顔はそのまま変に硬直して、口元は引きつり、背中には嫌な汗をかいている。

「沢山愛され、望まれていますね。特別なものたちに、特別なあなたは必要とされ続けている」


特別ってよく聞く言葉だけれど、結局の所、いったい"何"なんだろうか。
その真意は云千年経っても明かされず、男神は沈黙を貫いたまま消えてしまった。
墓場まで持っていくとはよく聞く言葉だけど、彼は埋める骨の一つも残さなかった。
白澤さんも私の事を特別な子だと言って、鬼灯くんは神様に見初められやすい特異な体質だと言って。リリスさんも特別視をしてくれた。
──夢のような人生を何度も送ってきて、今もまだ夢の中にいるように暮らしている。
──それは何か、特別なものに後押しされての事なのか?
特別って、なんだろう。何か視えるなら、知っているなら、答える口があるなら、語る言葉を持っているなら。私に惜しまず真実を与えてほしい。
思う事は沢山あるのに、まるで懇願するように見つめるしか出来なかった。いつの間にか、誘ってくれた同僚の彼女よりも前のめりになって聞き入っていた。


「あなたはとても綺麗なものにも、真っ黒な怨念のようなモノにも好かれてますね。美醜は関係ないみたい。色んなものに想われ続けてる」

白澤さんや神様たちが綺麗なものだとすると、祟り神と呼ばれるようになった鬼灯くんは後者だろうか。
一般的には確かに神様は美しく怨念は醜いと称されるのだろう。
彼らの善し悪しを問う批評ではなく、ただの区別のつもりだった。けれど、大切な人に美醜という言葉を当てはめようとするのはなんだか忍びない。

「あちらへこちらへ。あなたの意思なんてお構いなしに引きずり回されて、きっと苦しくて楽しくて、それでもずっとそのままなんでしょう。一度そうやって回ってしまえばもうどうしようもないこと。…あなたがそれを善しとして望んでしまったんだから」

──そうだ。一番初めに、私の方から縋ったのだ。「命がほしい。もっともっと生きていたい」と、視えない何かに向かって。
今もそうやって生き汚く望み続けている。死ぬのは怖いと、こんな状況に陥っても、いつまでも逃げ続けてる。
そうですよね?と事務的に確認するように視線をやられて、ようやく私は緊張していた表情を緩めた。
叱責も好奇心もなんの色も含まれてはいない。それは客に対するただの無関心な目でしかなかった。
私は連日ひっきりなしに彼女の元にやって来る客の中の一人だ。
心臓を鷲掴みにされるような鋭い言葉も、彼女はただ流れ作業的に放っているに過ぎない。
私はその夢の中にいるような特別な境遇を心のどこかで望みつつ、後ろめたく思い続けてもいたので、何も思われないという状態が一番心地よいと思えた。


「でも、特別ってなんなんですか?好かれてるとか想われてるって…なんで?いや、なんでって言ったら変な話だけど…魅力的だから、そりゃそうなんだろうけど…」


私が聞きたいことは、同僚の彼女が全て代弁してくれた。
うーんと悩んで一生懸命言葉を探しているけど、誤解なく十分言いたいことは私にも占い師の彼女にも伝わってる。
いくら魅力的な人だろうと、十人いたら十人に好かれるという訳ではない。好みって、やっぱりある。
なのに私は相手が神様であれば相手を問わず気にかけてもらった。加えて、神様ではないけれど、リリスさんのような悪魔であったり妖怪であったり、色んなヒトに振り向いてもらえることがあった。
それを私の人徳だとはさすがに思わないし、思えない。
もし私の容姿が「絶世の美女」というやつだったとしても、絶対に自惚る事はできない。
天国に行けるくらいに中身が素晴らしかったとしても、この状況を納得する事はできないだろう。


「想われるって特別なことなんですよ。だから想われる子は特別です」
「…なーんか、謎かけみたいだなあ…」

放たれた言葉一つから真意を紐解こうとする同僚の隣で、私は過去の膨大な記憶を呼び起こし、探って照らし合わせていた。
好かれる、望まれる。愛される。これは多分一緒。"想われる"の中にある一種。

「想われるってなんでそんなに特別なんですか?」
「…結局人間が一番怖いんだと言いませんか」
「え?うーん、言いますねー」
「人間の何が怖いって、想いなんだと私は思います。恨みでも愛しさでもなんでもいいけど。怖いけど素晴らしいことです。特別なことですよ。この想いは、人間以外の生き物には抱けない。よくも悪くも複雑すぎるし、重たいから」

時には人の身にだって余ることでしょう、と彼女は付け足した。
占いとかって得てしてそういうものなのかもしれないけど、抽象的で分かり辛い。
彼女は人間、ヒト、という言葉を使ったけど、彼女が言っているのは現世に生きる生者か否かではなくて、簡単に言えば知性みたいなものがあるかないかを指して言ってるのだろう。
人間…またはそれに近しいものの脳が造り出す"感情"は、恐らく他の生き物より複雑怪奇だ。

「あなたは前世でも、今世でも、特別想われ望まれた子なんですよ」


占い師はそこで一区切りつけて、次は同僚の彼女の占いへと移った。
合わされていた視線はなんの感慨もなく逸らされて、やはり淡々と事務的に占いの結果をその赤い唇から紡ぎ出していく。
私は結果に一喜一憂する彼女を見て微笑ましく思いながらも、冷水をかけられたような真反対な気持ちも併せ持っていた。頭の片隅で何度も何度も言葉を反芻する。
私には前世があり、今世があり、どこにいたってどうしようが、特別な子だという事は覆されないのだ。
それは、なぜ?どうして?その答えを差し出してくれるのは、きっと彼女ではないのだろう。


「ありがとうございました〜」
「ありがとうございました」


予約した枠いっぱいを使って、占い結果を語ってもらって、終了時間になると退室を促された。
本当に、最後まで淡々と必要な事を必要なだけ語る人だった。当然雑談なんかも一切なし。
思わせぶりなことを大げさに言ったりしないし、どこか無機質な印象を抱いた。
一般的な…大げさに言うと魔女みたいなイメージ像とはかけ離れたていた女性だった。

ふと、もう一度だけ室内を振り返る。
──そこで、憐れむような目をしている彼女と視線がぱちりと合った。
客と一線を引いて無関心を貫いて、私達が退室しようとしたときそれを解いたんだろう。素の彼女と視線が合うと、気まずそうにそらされた。
不意打ちをしかけてしまったようで私も気まずくなって、一度会釈して今度こそ扉を閉める。
受け付けで会計をして外に出ると、いつの間にかどっぷりと陽が暮れていた。
あの部屋にも窓はあったけれど、分厚いカーテンが引かれていて、空の色の移ろいに気が付けなかったのだ。
隣で伸びをしている同僚を横目にしながら、夜の冷たい風を受ける。

「……そっかあ」

ぽつりと零した独り言は風にかき消される。
結局"特別"や、"望まれる"の所以を具体的には聞けなかった。
──けれど、それが第三者が客観的に見て、喜ばしいと思える状態でないんだろうという事は、最後の憐れんだような目を見れば分かってしまった。

2019.4.25