第三十七話
2.生と死─十年(十日)の空白
「その日私はいつものように、上司の頼みをきいて閻魔殿を訪れていました…」
秦広庁の彼は、まるで怪談でも語り継ぐかのように秦広庁の彼は掠れる喉を震わせた。
実際彼にとっては怪談のように恐ろし気ものだったのでしょう。
見た景色はきっと、それくらい異様なものでした。
「閻魔殿の図書室の近くには、長い階段があります」
「あ、やっぱりか」
「篁くん…」
彼が図書室と言ったとき、篁さんがアッと言う顔をしていました。
恐怖に慄いている彼は、失言をしたことに気が付いていない。
元々露呈していたも同然な事実だったのです。今更庇い盾するような話でもありませんけれど。
三者三様な反応をする私達を傍らに置いて、部屋の中心部に居る彼は、淡々と語ります。
「ふらり、ふらりとどこか覚束ない足どりで誰かが歩いてきました。階段を上ろうとしていた私とは反対に、下ろうとしてこちらへ歩いてきた人です。
私は見上げながら少し不審に思っていましたが、それが具合悪そうな女性だとわかると途端に心配になりました」
「さては良いやつだな」
「イヤ女性ってだけで手のひら返した悪い男かも」
「篁くんこの子きみの親しい部下じゃないの?」
二人して茶々を入れると、閻魔大王がイヤイヤと首を振って援護してきました。
それを見て苦笑している彼。やはり穏やかな気性をした、一般的にいいやつと呼ばれる男鬼なんだろうと察しがつきます。
口ではこうは言いつつも、多分フラフラしてたのが千鳥足の酔っ払いのオッサンだったとしても、見捨てなかったことでしょう。
緊張していた彼が落ち着いて語れるように、と設置した椅子に座る彼。
それが逆に禍してしまったようで、かごめかごめのように大の男と地蔵菩薩に囲まれる彼は、ガチガチに緊張していた。
「でも…気軽に声かけして、浮ついたチャラ男と思われるのも嫌だあなと、私は一歩踏み出そうとした足を留めました」
「意外と自意識が強かった」
「いやただの気にしいな、穏やかな男なんですよ」
「篁くんはフォローするか落とすか一貫してあげなよ」
篁さんの上げて落とす態度に彼はがくりと肩を落としていた。
しかし篁さんのそのおちゃらけのおかげか、恐怖や緊張は薄れたようで肩の力が抜けている。
なのに、彼は律儀に怪談調の声色を保ったまま語り継いでくれます。
人一人…いや鬼一人が消えたというのに、なんて調子が軽い。
とはいえ、ひとのことは何も言えない。
とはただの顔見知り・赤の他人の秦公庁の彼ら。昔馴染が消えてる私の方がこの態度は酷いのだと分かっていても、深刻になりきれないでいる。
「それでもあまりにもな様子に居てもたってもいられず、もし汚名をかぶってしまってもそれで良いと思いながら一歩足を踏み出しました」
「決意が重い」
「責任感ある誠実な男なんです」
「将来ハゲそうでワシ彼が不安」
盛り上がりどころに入った彼はこちらを顧みることなく、カッと目を見開いて声を張り上げました。まるで演説するかのように立ち上がって腕を広げる始末です。
完全にスイッチが入ってしまっている。語り部としての才能がある気がしてきました。
「しかし、彼女は意識朦朧としていたのでしょうか。目の前にある段差に気が付かず、足を踏み外してしまったのです…!」
「えええっ!!?嘘ォ!?ソレちゃん大丈夫だったの?」
大声を上げて驚いたのは閻魔大王でした。私と篁さん、加えて地蔵菩薩は沈黙して思案します。
私達鬼とはきっと見ている視点が違う。未だ静観の姿勢を崩さない彼は、壁の傍で佇んでいる。閻魔殿のあちこちでたまに見かける姿とそっくりだけど、表情は深刻そうでしした。
篁さんは一度この話を聞いてから、証言者として私に通した方がいいと判断し連れてきたようだった。
しかしここで難しそうに考える仕草を取ると言うことは、やはり私も想像する通り難解なことになるのでしょう。ただ階段から落ちました。それだけで話が終わるはずがない。
きっと一度聞いた所で答えが出ない、不可思議なもの。
「投げ出されたその身を、私は受けとめようと駆け出しました。死んでも助けなければならないという使命感に駆られて!そのおかげでしょうか、私の身体は不思議の普段以上によく動きます」
「なにが彼をここまで駆り立てるのか」
「だってその人あのさんだったんですよ!?途中で気付いて二重の意味でぞっとしましたよ!」
「あのってなんですか」
「いやその…有名なんで…」
気まずそうに目を逸らしながら、語る時とは違うぼそぼそと彼は呟いていた。
なぜあの子がこんな仰々しい扱いを…と考えてすぐに気が付いた。
ああそういえば、一時期ゴシップ関連の話で、閻魔庁だけならず各所で騒がれたのだったと納得しかけた所で、「いやあなた方前々から一部界隈では有名でしたよ」と篁さんから補足されました。一部界隈ってどこの界隈でしょうか。どんな類のものかなんて、予想はつきますけど。
取り留めない思考は保留にして散らし、彼の話に再び耳を傾ける。とりあえず、噂話がすきな人達の集まる界隈とでも雑に捉えておくことにしました。
「そんな女性が落ちてきたら、そりゃ何がなんでも助けなきゃって思うじゃないですか。命かけなきゃ殺されるって思うじゃないですか」
「人助けに燃えるのは立派ですけど、あの子にあなたの尊い身を賭す必要はありませんよ」
「うわこの人幼馴染を切り捨てた…」
「きみ時々ちゃんに対して当たりがキツくない?あんまりすぎてワシたまに引いちゃうもん」
「失礼な」
過剰に何かに脅迫されてる様子の彼を諭しただけだ。
実際階段を踏み外すというドジをしたあの子の自業自得で、彼が全てをかけてまで受けとめようと走る必要などありはしない。
それでうっかり掴み損ねて二人の頭と頭が激突して、下で受け止めた彼の方が重みに耐えられず、その衝撃で儚くなってしまったなら?まったく浮かばれない話じゃありませんか。
その正義感みたいなものはまあ立派なのかもしれませんが、使い所と些事加減を間違えるんじゃないと言いたい。
というか、彼の使命感による行動とうよりも、明らかに強迫観念に駆られているじゃないですか。
「チカッと何かが輝いて、眩しくてて咄嗟に目を閉じました。しまった…!と思ってももう遅かった。一瞬が命取りです。目を開いたとき、間に合うだろうかと私はぶるりと震えました!しかし…」
その語る勢いが苛烈になる。とうとう話は佳境に入ったようでした。この場にいる全員が揃って固唾を呑んで彼の話に聞き入ります。
けれど。
「そこにはもう、彼女の姿はありませんでした…」
最後の語りを聞いて、しんと静まり返りました。あれはいったいなんだったのでしょうか…とでも続きそうな、締りの悪い結末でした。
どこか肩透かしを食らった様子でぽかんと口を開けている閻魔大王と、瞬きをしている地蔵菩薩。既に知っている篁さんは、語り終えてスッキリした様子の彼と共に私の反応を伺っている。
けれど、私には閻魔大王ほどいいリアクションはとれなかった。
「いやいや」
「いやいや!!?」
ぱたぱたと手を振って否定しました。篁さんはそう来るかと驚いている様子だった。
いや、彼が嘘を言ってるだとか、疑っている訳ではありませんけど。そんな事は起り得ないとも言いません。
「空から女の子が降ってくるだけでもなんかアレなのに、そのまま消えるって」
「降ってくるっていうか落下してましたけどね」
「きみあのアニメ好きだよね…」
テレビをよく見る閻魔大王は、定期的にテレビ放送されているあの元ネタを当然のように知っていました。
なんともお伽噺のような事が起こったものだなと面食らっただけです。そんな事を身内が体現していたなんて誰が思いましょう。
「じゃあ、でも、転生したとかじゃなかったんだね」
閻魔大王はひとまずホッと胸をなでおろしていた。
落下して忽然と姿を消したというのもあまりいい知らせではないけれど、鬼がうっかり手違いで転生するなんていう事態よりははるかにマシな話ではありました。
生まれ落ちてしまったなら、「やっぱりその出産とりやめ!」なんてもう言えないのですから。手遅れというやつです。
安堵している様子の大王とは反対に、キツく腕を組み直して考えてみる。消えてしまったなら探せばいい…といっても簡単な話ではありませんが、まあ手の施しようがあります。現世であれば人の手の及ばない超常現象かもしれませんけど、幸いと言っていいのだろうか、ここはあの世だった。不可思議な出来事に耐性はある。出来る事もある。けれど。
「でも、消えたのは間違いないですよ」
静かにやり取りを見守っていた地蔵菩薩は、緩々と首を横に振ります。
「消えた…って、えっ!?まさかそれって消滅?」
「私もはっきりとは言えませんけど…」
煮え切らず、いい淀んでいる様子の地蔵菩薩のフォローをするという訳ではありませんが、そこに補足をしました。
閻魔大王はにわかに信じられないと言った様子でしたし、私も普通ならそう思います。
安寧なんてものは少なくとも閻魔庁にはありません。予測もつかない問題なんていうものはいつだって突如起こる物だったけど、それにも限度という物がある。
「あの子は色んなことが特別な子ですから」
別に突然階段から降って落ちて消えたって、何日もいなくなったって、別段不思議だとも思いません。
漠然とした思いではなく、彼女にはいくらでも前科がありました。
あの子自身は、男神に神隠しされたくらいの事だと思っているようでしたけど。
あの子の身の回りで不思議なことはよく起きていた。
明らかに自然のものではない光粉が舞っていたり、あの子にだけ不自然によいことが起こったり、崖から落下したかと思ったらなんでか無事だったり。
何か目に見えない力が周囲に働いていることは確かでした。
最初こそこの子は祟られてるのかと思って、どこで恨みを買ってきたのかと感心しましたけど、逆に好かれているのだと気づいて辟易したものです。
突然何をのろけ出すんだとでも言わんばかりに変な目で見られたのに気づき、一応手を振りながら弁解を加えておく。
「これについては私も同じですけど…鬼火が入ったり、神に見初められやすい性質だったり…あと前世がどうとか…まぁ、色々変な子なんですよ」
「ええッちゃんって前世持ちだったの?ワシきいたことないんだけど」
「私だってついこの間までありませんでした。よくも云千年と隠し通したものです。…思えば片鱗はありましたけど」
子供のようでいて、やけに大人びた子でした。先視が得意な子でした。知識がありました。その感性はまさにちょうど、"今"に近いような…
転生措置がなされな魂は過去に向かうことはありません。遠い未来にいくこともありません。私のしている予想には、矛盾点が幾らでもあった。それでも、掟破りなソレを強引に押し通して考えるなら。
「それが本当かは知りません、確かめるほどの手がかりが残ってるのかどうかも。そもそも私達の生れた時代に遡る術なんて無いのですけど」
「浄玻璃鏡が使えないもんねえ」
「あっそっか。そうですよね」
篁さんは鏡を使えばすぐに分かるものでは?と首を傾げていましたが、閻魔大王の言葉を聞いて納得した様子でした。
小難しい話になってきて、椅子に座らせられた秦広庁の彼は居心地悪そうにしていました。語り終えてからとっくに手持無沙汰になっていたけれど、彼に口を挟める余地はない。
篁さんが彼に労わりをいれて、戻ってよいと促すのをぼんやりと見ながら思案する。
前世を覚えていると申告するものたちは、丁度スカーレットさんのようにおぼろげな記憶しか残っていないことが多く、そうなると本当のことなのかどうか照らし合わせることが難しい。
名前程度なら大抵は覚えているけれど、同姓同名などいくらでもいる。
出身地、年代、出席番号、住所…証拠になるほど細かなこと全部覚えているものはそう居なかった。あの子はどうだったのかだとか、今は知りようもない細かい事も置いて、あの子に前世があったのだと仮定して。
「…そういう特別で、不思議で色んなことがあやふやな子だったら、ぽっかり消えちゃうのかも」
「それはどこにでしょうか?」
「どこに、かあ…」
前世の人生、孤児の子供としての儚く短い人生、鬼としての生活。そういう紆余曲折を経てきた特別な子が次に向かう場所といえば、どこでしょうか。
2.生と死─十年(十日)の空白
「その日私はいつものように、上司の頼みをきいて閻魔殿を訪れていました…」
秦広庁の彼は、まるで怪談でも語り継ぐかのように秦広庁の彼は掠れる喉を震わせた。
実際彼にとっては怪談のように恐ろし気ものだったのでしょう。
見た景色はきっと、それくらい異様なものでした。
「閻魔殿の図書室の近くには、長い階段があります」
「あ、やっぱりか」
「篁くん…」
彼が図書室と言ったとき、篁さんがアッと言う顔をしていました。
恐怖に慄いている彼は、失言をしたことに気が付いていない。
元々露呈していたも同然な事実だったのです。今更庇い盾するような話でもありませんけれど。
三者三様な反応をする私達を傍らに置いて、部屋の中心部に居る彼は、淡々と語ります。
「ふらり、ふらりとどこか覚束ない足どりで誰かが歩いてきました。階段を上ろうとしていた私とは反対に、下ろうとしてこちらへ歩いてきた人です。
私は見上げながら少し不審に思っていましたが、それが具合悪そうな女性だとわかると途端に心配になりました」
「さては良いやつだな」
「イヤ女性ってだけで手のひら返した悪い男かも」
「篁くんこの子きみの親しい部下じゃないの?」
二人して茶々を入れると、閻魔大王がイヤイヤと首を振って援護してきました。
それを見て苦笑している彼。やはり穏やかな気性をした、一般的にいいやつと呼ばれる男鬼なんだろうと察しがつきます。
口ではこうは言いつつも、多分フラフラしてたのが千鳥足の酔っ払いのオッサンだったとしても、見捨てなかったことでしょう。
緊張していた彼が落ち着いて語れるように、と設置した椅子に座る彼。
それが逆に禍してしまったようで、かごめかごめのように大の男と地蔵菩薩に囲まれる彼は、ガチガチに緊張していた。
「でも…気軽に声かけして、浮ついたチャラ男と思われるのも嫌だあなと、私は一歩踏み出そうとした足を留めました」
「意外と自意識が強かった」
「いやただの気にしいな、穏やかな男なんですよ」
「篁くんはフォローするか落とすか一貫してあげなよ」
篁さんの上げて落とす態度に彼はがくりと肩を落としていた。
しかし篁さんのそのおちゃらけのおかげか、恐怖や緊張は薄れたようで肩の力が抜けている。
なのに、彼は律儀に怪談調の声色を保ったまま語り継いでくれます。
人一人…いや鬼一人が消えたというのに、なんて調子が軽い。
とはいえ、ひとのことは何も言えない。
とはただの顔見知り・赤の他人の秦公庁の彼ら。昔馴染が消えてる私の方がこの態度は酷いのだと分かっていても、深刻になりきれないでいる。
「それでもあまりにもな様子に居てもたってもいられず、もし汚名をかぶってしまってもそれで良いと思いながら一歩足を踏み出しました」
「決意が重い」
「責任感ある誠実な男なんです」
「将来ハゲそうでワシ彼が不安」
盛り上がりどころに入った彼はこちらを顧みることなく、カッと目を見開いて声を張り上げました。まるで演説するかのように立ち上がって腕を広げる始末です。
完全にスイッチが入ってしまっている。語り部としての才能がある気がしてきました。
「しかし、彼女は意識朦朧としていたのでしょうか。目の前にある段差に気が付かず、足を踏み外してしまったのです…!」
「えええっ!!?嘘ォ!?ソレちゃん大丈夫だったの?」
大声を上げて驚いたのは閻魔大王でした。私と篁さん、加えて地蔵菩薩は沈黙して思案します。
私達鬼とはきっと見ている視点が違う。未だ静観の姿勢を崩さない彼は、壁の傍で佇んでいる。閻魔殿のあちこちでたまに見かける姿とそっくりだけど、表情は深刻そうでしした。
篁さんは一度この話を聞いてから、証言者として私に通した方がいいと判断し連れてきたようだった。
しかしここで難しそうに考える仕草を取ると言うことは、やはり私も想像する通り難解なことになるのでしょう。ただ階段から落ちました。それだけで話が終わるはずがない。
きっと一度聞いた所で答えが出ない、不可思議なもの。
「投げ出されたその身を、私は受けとめようと駆け出しました。死んでも助けなければならないという使命感に駆られて!そのおかげでしょうか、私の身体は不思議の普段以上によく動きます」
「なにが彼をここまで駆り立てるのか」
「だってその人あのさんだったんですよ!?途中で気付いて二重の意味でぞっとしましたよ!」
「あのってなんですか」
「いやその…有名なんで…」
気まずそうに目を逸らしながら、語る時とは違うぼそぼそと彼は呟いていた。
なぜあの子がこんな仰々しい扱いを…と考えてすぐに気が付いた。
ああそういえば、一時期ゴシップ関連の話で、閻魔庁だけならず各所で騒がれたのだったと納得しかけた所で、「いやあなた方前々から一部界隈では有名でしたよ」と篁さんから補足されました。一部界隈ってどこの界隈でしょうか。どんな類のものかなんて、予想はつきますけど。
取り留めない思考は保留にして散らし、彼の話に再び耳を傾ける。とりあえず、噂話がすきな人達の集まる界隈とでも雑に捉えておくことにしました。
「そんな女性が落ちてきたら、そりゃ何がなんでも助けなきゃって思うじゃないですか。命かけなきゃ殺されるって思うじゃないですか」
「人助けに燃えるのは立派ですけど、あの子にあなたの尊い身を賭す必要はありませんよ」
「うわこの人幼馴染を切り捨てた…」
「きみ時々ちゃんに対して当たりがキツくない?あんまりすぎてワシたまに引いちゃうもん」
「失礼な」
過剰に何かに脅迫されてる様子の彼を諭しただけだ。
実際階段を踏み外すというドジをしたあの子の自業自得で、彼が全てをかけてまで受けとめようと走る必要などありはしない。
それでうっかり掴み損ねて二人の頭と頭が激突して、下で受け止めた彼の方が重みに耐えられず、その衝撃で儚くなってしまったなら?まったく浮かばれない話じゃありませんか。
その正義感みたいなものはまあ立派なのかもしれませんが、使い所と些事加減を間違えるんじゃないと言いたい。
というか、彼の使命感による行動とうよりも、明らかに強迫観念に駆られているじゃないですか。
「チカッと何かが輝いて、眩しくてて咄嗟に目を閉じました。しまった…!と思ってももう遅かった。一瞬が命取りです。目を開いたとき、間に合うだろうかと私はぶるりと震えました!しかし…」
その語る勢いが苛烈になる。とうとう話は佳境に入ったようでした。この場にいる全員が揃って固唾を呑んで彼の話に聞き入ります。
けれど。
「そこにはもう、彼女の姿はありませんでした…」
最後の語りを聞いて、しんと静まり返りました。あれはいったいなんだったのでしょうか…とでも続きそうな、締りの悪い結末でした。
どこか肩透かしを食らった様子でぽかんと口を開けている閻魔大王と、瞬きをしている地蔵菩薩。既に知っている篁さんは、語り終えてスッキリした様子の彼と共に私の反応を伺っている。
けれど、私には閻魔大王ほどいいリアクションはとれなかった。
「いやいや」
「いやいや!!?」
ぱたぱたと手を振って否定しました。篁さんはそう来るかと驚いている様子だった。
いや、彼が嘘を言ってるだとか、疑っている訳ではありませんけど。そんな事は起り得ないとも言いません。
「空から女の子が降ってくるだけでもなんかアレなのに、そのまま消えるって」
「降ってくるっていうか落下してましたけどね」
「きみあのアニメ好きだよね…」
テレビをよく見る閻魔大王は、定期的にテレビ放送されているあの元ネタを当然のように知っていました。
なんともお伽噺のような事が起こったものだなと面食らっただけです。そんな事を身内が体現していたなんて誰が思いましょう。
「じゃあ、でも、転生したとかじゃなかったんだね」
閻魔大王はひとまずホッと胸をなでおろしていた。
落下して忽然と姿を消したというのもあまりいい知らせではないけれど、鬼がうっかり手違いで転生するなんていう事態よりははるかにマシな話ではありました。
生まれ落ちてしまったなら、「やっぱりその出産とりやめ!」なんてもう言えないのですから。手遅れというやつです。
安堵している様子の大王とは反対に、キツく腕を組み直して考えてみる。消えてしまったなら探せばいい…といっても簡単な話ではありませんが、まあ手の施しようがあります。現世であれば人の手の及ばない超常現象かもしれませんけど、幸いと言っていいのだろうか、ここはあの世だった。不可思議な出来事に耐性はある。出来る事もある。けれど。
「でも、消えたのは間違いないですよ」
静かにやり取りを見守っていた地蔵菩薩は、緩々と首を横に振ります。
「消えた…って、えっ!?まさかそれって消滅?」
「私もはっきりとは言えませんけど…」
煮え切らず、いい淀んでいる様子の地蔵菩薩のフォローをするという訳ではありませんが、そこに補足をしました。
閻魔大王はにわかに信じられないと言った様子でしたし、私も普通ならそう思います。
安寧なんてものは少なくとも閻魔庁にはありません。予測もつかない問題なんていうものはいつだって突如起こる物だったけど、それにも限度という物がある。
「あの子は色んなことが特別な子ですから」
別に突然階段から降って落ちて消えたって、何日もいなくなったって、別段不思議だとも思いません。
漠然とした思いではなく、彼女にはいくらでも前科がありました。
あの子自身は、男神に神隠しされたくらいの事だと思っているようでしたけど。
あの子の身の回りで不思議なことはよく起きていた。
明らかに自然のものではない光粉が舞っていたり、あの子にだけ不自然によいことが起こったり、崖から落下したかと思ったらなんでか無事だったり。
何か目に見えない力が周囲に働いていることは確かでした。
最初こそこの子は祟られてるのかと思って、どこで恨みを買ってきたのかと感心しましたけど、逆に好かれているのだと気づいて辟易したものです。
突然何をのろけ出すんだとでも言わんばかりに変な目で見られたのに気づき、一応手を振りながら弁解を加えておく。
「これについては私も同じですけど…鬼火が入ったり、神に見初められやすい性質だったり…あと前世がどうとか…まぁ、色々変な子なんですよ」
「ええッちゃんって前世持ちだったの?ワシきいたことないんだけど」
「私だってついこの間までありませんでした。よくも云千年と隠し通したものです。…思えば片鱗はありましたけど」
子供のようでいて、やけに大人びた子でした。先視が得意な子でした。知識がありました。その感性はまさにちょうど、"今"に近いような…
転生措置がなされな魂は過去に向かうことはありません。遠い未来にいくこともありません。私のしている予想には、矛盾点が幾らでもあった。それでも、掟破りなソレを強引に押し通して考えるなら。
「それが本当かは知りません、確かめるほどの手がかりが残ってるのかどうかも。そもそも私達の生れた時代に遡る術なんて無いのですけど」
「浄玻璃鏡が使えないもんねえ」
「あっそっか。そうですよね」
篁さんは鏡を使えばすぐに分かるものでは?と首を傾げていましたが、閻魔大王の言葉を聞いて納得した様子でした。
小難しい話になってきて、椅子に座らせられた秦広庁の彼は居心地悪そうにしていました。語り終えてからとっくに手持無沙汰になっていたけれど、彼に口を挟める余地はない。
篁さんが彼に労わりをいれて、戻ってよいと促すのをぼんやりと見ながら思案する。
前世を覚えていると申告するものたちは、丁度スカーレットさんのようにおぼろげな記憶しか残っていないことが多く、そうなると本当のことなのかどうか照らし合わせることが難しい。
名前程度なら大抵は覚えているけれど、同姓同名などいくらでもいる。
出身地、年代、出席番号、住所…証拠になるほど細かなこと全部覚えているものはそう居なかった。あの子はどうだったのかだとか、今は知りようもない細かい事も置いて、あの子に前世があったのだと仮定して。
「…そういう特別で、不思議で色んなことがあやふやな子だったら、ぽっかり消えちゃうのかも」
「それはどこにでしょうか?」
「どこに、かあ…」
前世の人生、孤児の子供としての儚く短い人生、鬼としての生活。そういう紆余曲折を経てきた特別な子が次に向かう場所といえば、どこでしょうか。