第三十話
1.言葉言葉と馴染

人と会話するには向かない作業場。
技術課の面々は、日々そんな環境に入り浸っていた。
いや、常時喧しいという訳ではないけれど、それでも俺達がほとんど常駐しているこの一室には定期的に機械音が響き渡る。

騒音にならないよう、他の課から距離をおいて建築されているこの作業場にいなくても、技術課の本陣の室内にいようが、俺達はとても喧しい。
白熱した技術者同士の討論が騒音になる事もある。
静寂が支配するような大人しい課とは正反対の気質の課なのだ。


「最近やんちゃしてるみたいだなぁ」

烏頭は会話の邪魔になる機械音を気にした様子もなく、騒音の最中でケラケラと笑いながら話し出す。
声をかけられた鬼灯は、一際音が大きくなった時、一瞬耳に手を当てていた。
これくらいは日常茶飯事なのだ。俺も慣れてきってしまっているので、眉ひとつ顰める事なく聞き流してしまった。
烏頭の配慮のなさをああだこうだ言えないかもしれない。

鬼灯は定期的にあらゆる課を視て回っている。
今回はこれと言った報告や用件がある訳でもなく、ただ恙なく過ごしている技術課の面々の業務チェックをする。時折指示をだし、疑問があれば会話して、寄り道せず必要な事を淡々とこなしている最中、心底ためにならない話を振ったのが烏頭だった。

俺は触らぬ神に祟りなしだと思いながら机に向かい、手元に集中し続ける。
作業具の代わりに握っているペンの先が、カリカリと紙に引っかかる音が耳に届く。
けれど、決して興味のない話ではないのだ。
ちょっとした資料の詰まった棚に手をかけながら、雑談をはじめた烏頭の方を振り返って、堪えきれず合いの手を投げかけた。


「ついに破局したか?」
「…いや、絶縁っていうか絶交ていうか…」


烏頭のからかい方は昔から変わらない。
冷かすとき、色恋関連…ちゃん関連の話を振る事が多かった。
鬼灯の事で突ける事柄は少なく、やり口は毎度似た様なもので、それイヤイヤ、まぁまぁと宥めるのが俺の役割なのだ。
烏頭に成長がないといえばそうかもしれないけれど、進歩がない鬼灯も鬼灯だと思う。
火の無い所に煙は立たない。いい加減火元…ちゃんとの事を丸く収めるべきなのだ。

テキパキと厄介事を捌く普段の立ち振る舞いからは想像できないくらいに、ちゃんの事になると不器用になった。
いや、あえて慎重に事を運んでいるのか、それとも本当に難しいの事なのかは分からない。
まぁ、藪蛇は突きたくないし、眠っていた子を起こすのは得策ではない。
ガンガンからかっていく烏頭とは違って、俺はあまりこの辺に触れたくはないんだけど。
棚を探る事を諦め、べたりと地べたにあぐらをかいた烏頭は、背筋を伸ばして佇む鬼灯を見あげて言った。


「噂じゃ"鬼灯様"が意中の相手を詰ってるとかどうとかこうとか…」
「…それ、まじなの?」


烏頭の冷かした言葉とは反対に、俺は低い声が出た。
今回のその話に限っては、色恋がどうの以前に、人間性…というか鬼性を疑う話だろう。
突きたいとか言ってる場合ではない。突っ込んだ話をせざるを得ない。
確かに恐ろしいヤツだけど、一応コレとは幼馴染だし、ちゃんともそうだ。
同じ釜の飯も食ってきたし、大人になってからも一緒になってくだらん事をしてきた。
何の因果か同じ場所に就職して、管轄はまるっきり違うものの、鬼灯の立場上一緒に団結して修羅場を共に潜る事もあった。
道を外そうとするなら見捨ててはいられない。
アウトドアよりインドア。引きこもりの気がある事は自覚しているし、
熱血とは遠い性格をしている物の、俺も薄情ではない。それくらいの使命感や友人への情熱はあった。

「蓬さん酷い顔してますよ」
「だろうな…」


いや、まあそりゃあそうだろうなと思う。
この胸に抱く使命感とかそんなんとは裏腹に、目は死んでると思うよ。だって普通に引くだろ。詰るってお前…
話が長引きそうなのを察して、俺は椅子から立ち上がり、資料が陳列している棚の近くへと寄った。

机がいくつか並んだここからは遠くない、数歩歩けばすぐたどり着く。
天上まで届く程の本棚に左右を囲まれた。
資料室の物には決して及ばないものの、隙間なく埋まっている紙によってかかる圧迫感と閉塞感を全身に受ける。
このタイミングで烏頭のように棚を背もたれにして座るのも気が引け、
かと言って鬼灯のように背筋を伸ばし床に足をつけている気力もなく、結局棚の傍にあった脚立の上に腰をかけた。
涼しい顔でいる鬼灯をじと目で見遣る。

こいつが手厳しいのは昔からだけど、謂われないことでグチグチ長々と相手を詰るような事はしない。
だというのに、理不尽に幼馴染の女の子をいじめてるようになったとか。
もし本当だとしたら見損なう。こいつが加虐されたいという趣味があるようには思えず、その逆の気があるのではないかとは薄々察してはいたものの。
とうとうやらかしたか…なんて白い目で見つつも、まぁこいつに限ってそれはないだろうなとも思う。
ていうか、ちゃんつい昨日も元気そうに歩いてたの見たし、お互い足を止める余裕はなかったけど、すれ違い様に挨拶くらいはした。
下手なことにはなっていないだろう。

俺にとっての親しい友人へのからかい方が、コレだったという話だ。
そう高をくくって、内心では笑っていたのだけれど。


「いけませんか」
「……は?」
「え?なにが」
「責め立ててはいけないんですか」

鬼灯の低い声が耳に届いた瞬間、場の空気が凍ったのがはっきり分かった。
ゴウゴウと地響きするくらい轟いていた作業音が、鬼灯の言葉と同時にピタリと止まったのが、更に恐怖を煽った。
示し合せた訳ではない、偶然の、奇跡的なタイミングだった。
部屋の隅の作業台に向かっている、酸いも甘いも共にしてきた同僚を少しだけ恨んだ。
作業具を片手にしている彼の背中は、普段なら勇ましい戦士のソレに見えるはずなのに、今だけは運命を悪戯に変える邪神のようなモノに見える。
唖然としてぽかんと口を開けていた烏頭だけど、さして深読みをする事もなく、率直な感想を漏らした。


「お前ついに一線を越えたのか…」
「……お前が好きな子いじめちゃうで済む訳ないもんなあ…」

烏頭は腕を組んでしみじみと、俺は額を抑えて首を振り。
反応は違うものの、問題発言を受けて引いている事に違いはない。
鬼灯だけが動じず、いつもの無愛想な表情を崩す事はなかった。

「いや、何言ってんですか」
「お前がなに言ってんだよ。ていうか何やってんだ」

そいつは平然とした用意で、棚の余白に飾られていたメカニックな鈍色の置物を指で突いていた。
この状況で小鳥の小物に気を取られるってどういう神経してんだよとひくりと口端が引きつった自分の表情をを自覚出来る。
あとで誰がそんな和む物を置いてしまったのか問い詰めねばなるまい。

「責めるってどうして、どうやって」
「普通に、言葉で」


視線を俺達の方へと戻し、遊んでいた手を宙へ浮かせると、ジェスチャーしながら答えた。
半円に…三日月の頭から尻尾を辿るかのように、スイッと宙を掻いた手の平が、どういう事を現しているのかは読み取れない。
ただ、こいつに悪事を働いているという自覚がないという事だけが分かった。
実際やっているのは悪事ではないんだろうし、悪気もなく、ちゃん自身もどう思ってるのかは俺には察せない。
けれど、なにか問題でも?と首を傾げるその鬼灯の無自覚加減が俺には恐ろしく感じたし、それは烏頭も同じなようだった。
尻の下にある鉄の脚立の冷たさが、今になって痛いくらいに感じられてきた。心臓も変に動いて妙に痛い。ていうかなんか胃が痛い。


「…なんでそんな事すんの?」
「なぜって…必要だったらやりますよね」
「いやいやいやいやいや?」
「こいつ怖いな…知ってたけど…」

ぶんぶんと首を振り、背中を棚につけてズリズリと伝い烏頭は鬼灯から距離を取った。
俺は流石に後退すれば落下するため、身を固くするくらいしか出来ない。
高い所の物を取るための、三段ほどしかない脚立とはいえ、落ちるのは辛い。
至極不思議そうに首を傾げてること自体が俺達には不思議だった。
機械音が止んでからは、俺達の他愛ない会話が耳に届くようになったのか、補佐官様の来訪に気が付いていなかった同僚達もこちらを振り返り、珍し気にしているのがわかった。


「誰かが下手なことしたら叱責するし、自分もされるでしょう」
「するし、されるけど」
「お前はしょっちゅうだよな…」

そりゃそうだ。俺だってミスをすれば叱責くらいされる。
けれど、烏頭はその頻度が桁違いだった。
今回鬼灯が顔を出した際も、真っ先に烏頭がまた何かしたのかと一部の同僚達から軽く猜疑の目で見られていたし、本人も若干身構えたくらいだった。
常習犯とは言えさすがに毎日やらかしてる訳ではない。
何もない事の方が大半だけど、俺含め他の同僚よりも段違いに多いのは確かだし、問題児への信頼は良くも悪くも厚い。
けろりと悪びれた様子もなく、まぁなと首肯した烏頭を糸のように細めた目で見るも、やはり反省の色は見えない。


「そうですよね?そういうことなんですよ」
「いや、なんでお前ちゃんの事になると変な要約するんだよ…」


またこいつの悪癖が出て来たなと辟易した。
何度かこういう事があったのだ。昔からのことだけど、今回もまた意味がわからない。
誰よりも近くにいて、誰よりも親密なのかと思えば距離があり、色っぽい噂される割にはドライな関係を築いているという事は、二人の昔馴染にはとっくに周知されてる事実だった。
そりゃあ一緒に長年暮らしてきたのだ。確実に情はあるだろうし、病弱な気があったちゃんを甲斐甲斐しく看病してやっていたのも知ってる。
他にも微笑ましい(?)エピソードはいくつかある。ある一面だけ切り取ってみるなら、過保護なくらいだった。

けれどやっぱり扱いが雑だ。下手をすれば俺と烏頭の方が友人として大切に…うん、まぁ大切にされていると思う。
獅子は子を谷から突き落とすと言うけど、為を思って突き落す事はなく、谷があろうとなかろうと基本放置。
友人の俺達には、落ちるギリギリには谷の存在を教えてくれただろうけど…ちゃんにはどうなんだろうかと思ってしまうくらいには、どこか冷たかったのだ。


「お前、ほんとにあいつのこと好きだよなあ」

烏頭が呆れ気味に、しかしこちらもよくわからない纏め方をした。
──けれど、ちゃんの事を想っているのもやっぱり事実なのだ。それがどんな形であれど。
昔馴染で同居人で同郷であるちゃん。鬼灯が人間だった頃から一緒だという縁の深い女の子。
けれど、だからと言って、憐みや惰性でズルズルと長く居るようなヤツではないのだ。
傍にいたいと、気持ち的な部分で欲する事がなければ、途中で決別してお互いの自立を促したんじゃないかなぁと想像した時、

「はい、好きですよ」


二度目の空気が凍る音がした。
カランと、どこかで物が落ちてコロコロと転がって行く音が静かな室内に木霊する。
そのまま拾われることはなく、恐らくなにかこつんと障害物にぶつかって転がりが止まった事が音で分かる。
間違いなく耳傍立てていた同僚が幾人かいたのだろうと察した。
鬼灯は自分に意識を向けられることは慣れっこなのだろう、何も気にした様子がない。大勢の前に立ち発言する機会は段違いに多い鬼だった。
烏頭はどうか知らないけど、俺は同僚相手だろうと、耳傍立てられ注目されれば居心地が悪く感じる。

主に鬼灯に意識を向けているのだとは分かっていても、その鬼灯の言葉を引き出しているのは俺達二人なのだ。
明らかに悪目立ちしている居心地の悪さと、鬼灯のトンデモ発言のせいで、背中にひやりと変な汗をかいてきた。
眩暈でもしたのか、ふらりと力が抜けて脚立から転落しそうになり、なけなしの筋力を全動員させて踏ん張る。
ぶるりと震え鳥肌が立ったのは、落下しかけた恐怖のせいか、それとも。

「……」
「……」
「なんですかその不満そうな顔。こう言わせたかったんでしょう」
「いや不満じゃなくて驚きだよ!!」
「熱でもあんのかお前…」


わなわなと全身を震わせながら、無意味に鬼灯を指さしてしまった。
烏頭は意外と冷静で、腕を組んでうーんと宙に視線を向け思案している様子だ。
周囲の事を気にして、尚且つ相手の発言を深読みして焦っている俺とは違い、烏頭は目の前のとんでも野郎に真正面から対面して、単純に発言を読み解いているらしい。

「……なんで今更、つーかなんでこんな…」


俺はそろそろ高い所に座っていたら、度胆を抜かされて落下してしまうだろうと悟り、ゆっくり降りて烏頭のように地べたに座り込む。
こいつは昔から頑なにちゃんとの仲を否定してきた。家族だという言葉にも頷かず、好きではないと首を振る。
認めたらマズい事でもあんの?そういう病発症してんのかお前…と思わんでもなかった。

友人かと聞かれた友人だと軽く頷いて、家族かと言われたらそのような物だと曖昧に茶を濁しておけばよかったのだ。
けれど、潔癖症のように、真面目が服を着たモノのように、否定も肯定もしなかった。
軽く流す事ならいくらでも出来ただろうに、そんなだから余計に周囲に勘繰られるようになったし、こんなに事態が悪化した。
こいつの周りは最近、囃し立てられてとても騒がしい。
ちゃんの好意は分かりやすかったのに、鬼灯は対極的。
そんな分かりにくいヤツなりにも、好意のような部分を見せる事があった。
だからこそ、どけだけ淡白で距離があろうと、ある種お互い想い合ってるのだろうと俺達は判断して見守っていたのだ。
けど。

…素直に頷かれた。それがとても恐ろしい。
同僚たちは"あの"鬼灯が…という驚愕で二度見三度見していたけど。
これにどれだけ重みがあるのか、長い付き合いだからこそ分かる。

「お前はあいつのこと好きだって分かったけど、なんでそれで叱責になるの?」
「そういうの、優しければいいってもんじゃないですよ」


入れ替わるように、鬼灯が空いた脚立の上段に腰を落ち着けた。
この辺りに椅子代わりになるような物はない。壁にかけられている時計を見ても、針は雑談に興じていい時間を指してはいなかったけど、こうなると烏頭も俺も掴んで離さない。
自分が答えを出すまでは仕事にはならんだろうと判断したらしい鬼灯は、淡々と受け答えした。
時計は働き者だというのに、技術課の面々は気も漫ろで、本日定期的にかき鳴らされていた轟音はピタリと止んでもう響かなかった。


「…つまり、なに?」
「落とし込もうと口説いてるんです」
「いやソレお前まじで言ってんのか!?」
「そんなに驚くことですかね。手段を選ばなくしただけですよ」
「彼女に対してやることか…?」

消去法でやってるとでも言いたいのか。こいつは相変わらず屈折した鬼だ。
心底呆れて、俺は立てた両膝に顔を埋めて大きなため息を吐いた。
漫画のように上手くはいかないし、ドラマのように物語性が出て来ない。後味の悪い映画のように尻切れトンボにはならないし、なんつーか…いつまでこんなのが続くんだろうか。
事実は小説よりも奇なりというけど、この場面で使っていい物のかよく分からない。この二人は不思議っちゃ不思議な間柄のままだった。
演説でもするかのように、この世の理でも語るかのように鬼灯は話した。

「恋でも愛でも変でも、彼女だろうがなんでもいいですよ。優かろうが厳しかろうが。条件をつけるつもりは何もありません。欲張って取りこぼしても困りますし」
「…相変わらず言いようが酷いな…」

なんの話をしていたのかよく分からなくなってきた。
働きすぎて熱を持った機械のように俺の脳みそも鈍くなり、どうにかちゃんについて詰ってる詰ってないの話から、好き嫌い口説くの話に発展したのだという単純な流れを思い出す。
混乱を誤魔化すように強く押した眉頭と米神がじんじんと疼いていた。
きちんと正していた姿勢をゆるりと解き、恰好を崩して座る鬼灯を見遣る。
地面と接着している俺達よりも鬼灯の視線は高いところにある。見あげるのももう億劫だった。


「お前そんなでいいのか…恋愛まで屈折しなくてもいいだろ…」
「そんなんで…と言われても。最低限の望みくらいはあります。ようはあの子が手に収まればいい訳です」


烏頭が引き気味に説得するも、捻くれたまま正そうとしない様子だった。手をぱたぱたと振って否定している。
改めて、ちゃんとの間にあるものが恋でも愛でもあるのだと肯定されて、俺は小骨が引っかかったかのような違和感を覚えた。
二人が付き合っているという宣言は、直接ではないけれど、又聞きしていた。
俺にとって、それは納得がいくようで納得がいかない事だったのだ。

こいつも男だ、普通に異性に興味だってあるだろう。
覚えている違和感というのはそういう事ではなくて、ちゃんに向ける物が本当にそういうモノであるのか否かという事だった。
ヒトにはそれぞれの形や温度があるのだという事も分かるし、散々からかって来ておいてアレな話だけど。
距離感など色々なのだと承知の上で尚、俺は恋慕しているようには感じられなかった。
口説いてんだかなんだか知らないけど…熱も味も何もない形ばかりの求愛行動に見えていたのだ。
相手を手に入れようとするその欲の形がハッキリと見えてこない。
行動原理が見えてこないと言えばいいのだろうか。嘘などついていないだろうし、本人は詳らかに色んなことを明言している。
だというのに、腑に落ちてこないというのはおかしな話だった。


「…最低限って?」
「たいした話ではありませんよ」


その最低限を聞くのがおそろしい。こいつの最低限は他人にとっての最上限以上な気がする。

「それが最低限あるならば、」


たいした話ではないと本人は明言する、実際は重いだろう話を俺と烏頭は聞き入った。


「どんな形であろうと構いません」

──いつも通りの平坦な声色で言い切られて、そこでようやく俺は違和感の正体に気が付いた。
鬼灯がその口でさっき言っていた通りだ。
──こいつは恋でも愛でもなんだって良かったんだろうなあと。
温度もない、少しも浮かされた様子もないそいつは、言葉通りにちゃんが手に入ればそれでいいのだ。
散々本人が言ってきた事を言葉通りを捉えず、変に邪推して、深読みしてきた俺達の方が間違いだった。
ひとりの女の子を好きになった?たぶん違う。家族が愛しい?それもきっと違う。
という存在に固執しているだけなのではないか。
焦がれるでも惹かれるでもなく、ただその欲求のままにあの手この手で手に入れようとジタバタしているだけなのではないか。
そんな、単純明快な話だったのではないのか?
囃し立ててきた周囲のように、昔馴染も面白がって、そこに色がある事を期待した。
けれど…

烏頭を単純だと思う事がある。お香ちゃんを天然だなと思う事がある。ちゃんをのんびりだなと思う事もある。
──鬼灯の事を愚直だなと思ったのは今が初めてだの事だった。
なんて、単純。俺達二人も馬鹿だのアホだのと言われてきたけれど、間違いなく類友だ。これは伊達ではないなと身に染みて痛感する。


「…お前それもうプロポ」
「シッ」

何か言い掛けた烏頭の口元を手で塞いで遮らせた。
第三者から見ればおかしいと思う事だって、きっと本人的にはこれで大真面目にやってるんだろう。
深読みしなければ口説いてるというか、求愛しているようにしか聞こえないし、実際こいつも口説いてるつもりらしいし、烏頭の言った通りで間違っている訳じゃないんだろう。
ただ何もかもがズレている。それを今ここでは否定も肯定もし難い。
俺の目を見て、烏頭は分かった分かったと言わんばかりにこくこくと頷いたので、手を離すと大げさに深呼吸した。

「酷いヤツ」
「何を言ってるんですか。そもそも私達は相思相愛ですよ。酷いも何もない」
「…絶対心にもないこと言ってるだろ…」


鳥肌が立ってきた。これ以上もなく熱烈な文句を並べ立てているのに、どこか芝居がかっていて、薄っぺらに聞こえる。末恐ろしいヤツ。
変なヤツに目をつけられて心底可哀そうだった。人間時代に会ってしまったのが運の尽きだ。
ちゃんは流されやすいというか…昔から何事にも深くは頓着せず、許容も拒絶もしない。大らかと言えば聞こえのいいソレが、多分こいつの行動を助長しているのだと思う。
本人が幸せならそれでいいだろうけど、コレ、幸も不幸も感じるより前に外堀埋められてんじゃないのかなと思うと同情心が酷くわく。

「…ちゃんどんな気持ちなんだろ…ホラー…」
「別にどうということもないでしょうね」
「はあ?それじゃ意味ないだろ」
「意味がないということもないです」

どうという事でもないの意味を捉え間違えた烏頭は眉寄せた。
口説きの効果が表れていないんじゃないかという烏頭の怪訝そうな顔。
鬼灯の悪計…いや求愛に無自覚でいるちゃんを不憫がる俺の顔。
心底不思議そうにしている烏頭と、どこか批難めいた目をしている俺に対して、鬼灯は一言に纏めて返答した。
話は終わったとばかりにつま先を地面につけて、立ち上がった鬼灯は俺達の方を振り返らなかった。


「ちゃんと口説けていますよ」

うんざりしながら渋々付き合っていたのだ。
さっさと踵を返したその反応はおかしな物ではなかったけれど、面と向かって言わないその動作が恐ろしく感じられた。
こいつは後ろめたいから俺達から視線を逸らしたのではない。むしろさした問題ではない事だから、片手間に簡単に言えたのだ。
俺はそれ以上を考える事をやめて、天井を眺めて現実逃避を図った。
俺達にとって重たい事でも、こいつにとっては軽い。逆もしかりだ。
何故この二人はこんなに亀のような歩みでしか進めないのだろうと呆れつつも、一歩一歩が強烈で、落ち着いて見れた物ではなかった。
次に踏み出す一歩だって、どうせ苛烈なのだろう。

2019.3.18