第二十一話
1.言葉育児

ままならない事は何かと聞かれて思いつくのは、子供の扱いだった。
いつだか賽の河原で転生を待っていたメシアという子供。
ガキ大将気質のあんな子だったらやりやすいけれど、いかにも繊細な子というのはまったく予測できずやり辛い。
ふとした瞬間わっと泣き出して止まらないのです。
減らず口でも叩いてくれるならばひっぱたきでもしやすいものですが、そういう子は傍目から見ればなんの理由もなく泣くのです。
恐怖政治のようにただ力をちらつかせて止まってくれるなら楽なもんですが、それか追い打ちになって更に面倒臭いことになることもあります。
対応にも困らされますけど、何が不満なのかも分からない、未知の生物でも相手取っているかのようなその予測のつかなさが一番問題でした。

ならば子供の気持ちになって考えてみよう…と思っても、自分が子供らしかった時代は一度たりともない。
ならば自分の周囲にいたもの達なら参考になるかもしれないと思い出しましたが、それも役立ちそうにありません。
私含め友人たちは教え処の先生にアホバカマヌケと呼ばれるほどの生意気な、ある意味ガキすぎましたし、お香さんは穏やかで、ある意味大人びた子供でした。
あの子はと言うと、子供っぽい癖してどこか達観していて、やはり年齢に伴ってはいません。
その理由はあの子の生まれ持った抗えない気質なのか、それとも他の理由が存在するのかわかりませんけれど。
どうあれ、私は子供の立場になって考えてみれるほどの判断材料も経験も持っていなかったのでした。


「…きみなに読んでるの?」
「育児書です」


食後の一服(茶)をする傍ら本を開き出した私をみて、机を挟んだ向かいで食事を摂っていた閻魔大王は中身に興味を示したようで、ふと訪ねてきました。
文字を追いながら言うと、未だ食事中だった大王はガチャンと音を立てながら箸と茶碗を落とました。
性質が悪いことに茶漬けだったものだから、机の上に被害が広がる。
隅にあった台拭きをポイと投げてやると、茫然としていた大王がそれを受け取ってせっせと拭い始めました。
震える手で一通り清掃し終わったあと、恐る恐る口を開く。


「…ないとは思うけど、でも、まさかきみ授…」
「思っているようなことではありませんから」


ぶるぶると震わせた指をこちらに向けた。全てを言い切られる前に否定する。
大分不本意な誤解をされかけていた。
私が手にしている本は子供の育児についての専門書でした。思春期の困ったに答える本ではなく、幼児期の子供を持つ親が読むのを想定したものです。
生活の中で起る物事への対処法、よくある育ての素朴な疑問への回答、子供の心理状態の解説など。
成長段階を図で表すページを指でなぞって追っていくも、どう切りとって見ても子供がいない私向けの項目ではなかった。

「じゃ、じゃあ何できみそんなの読んでるの?子供の扱いなんて上手いもんじゃない」

青ざめた閻魔大王の早とちりも勘ぐりも、まあ的外れな物ではない。
当然の疑問と言えば疑問だった。
じゃあなぜ?と聞かれたら、さすがに暇だから気まぐれに読んでるとは言いません。そりゃ理由くらいはありますけど。
子供の扱いが上手いというのはしっくりこないものでした。
これ以上この本を読む気にはなれず、閉じて机に置き、茶を一口飲んでから否定した。


「そんなことありませんよ。私なんかにはとても扱いきれません」
「あんだけアレコレやっといてよく言うよ!」


アレコレやっといて、というのは地蔵菩薩と共に賽の河原にいる子供達の下へ向かった際のことを言ってるんでしょうか。
いつだかは団結した子供たちに反乱を起こされたこともありました。
転生をするため日々修行をする子供達の下へ定期的に訪れていますが、反乱を起こされようと何をされようと、それこそ確かに上手くいなせています。
しかし上手くやるやらないと、理解出来る出来ないはまた別の話です。
大王は机の上を綺麗にすると、手つかずになっていた食事に再び箸をつけ始めていました。


「閻魔大王は子供もいれば孫もいる、それは扱いが上手いものでしょうね」
「え、ワシ褒められてる?鬼灯くんがそんな風に言うの珍しいなあ」
「子供の立場になって考えてみるのが上手いんでしょうかね」
「ニュアンス的にいま君が素直に褒めた訳じゃないってことはわかった」

ぼりぼりと小気味よい音を立てながらたくあんをかんじりながら、大王はうんざりとしたように言いました。
別に子供の気持ちになってみれることは悪い事ではない。そこに皮肉が混じっていなかったと言えば確かに嘘になりますが。
大人になっても変わらず子供のように幼い性格をしていたとして、生活に支障をきたさず周囲に迷惑をかけていないのであれば、なんら問題はない。そんなの本人の勝手です。

しかしまあ、そういう性格をしているせいで周囲は若干やり辛くなるかもしれませんけど。
子供のようだとはいえ彼らも一応いい大人なので、不機嫌になったとき、己が周囲に宥められているのだという事を理解しているのです。そしてまた不機嫌になる。
そうだとすると露骨な手だとしても、素直に宥めにノッてくれる子供相手の方がやりやすいというものです。
わからないという状態が一番手を焼きます。手がかりがないと解決しようにも、そのための最初の一歩を踏み出す事すら難しいのです。

──簡単に言えば、子供のような性格をしている大人のあの子の真意が掴めず、手を焼かされているという話でした。
強引にして吐いてくれるようなら、とっくに無理ぐり吐かせています。
机に置いた本の表紙を、忌々しい思いを抱えながら指の腹でなぞった。


「そもそも一人っ子も二人っこも何もないんですよね。当たり前なんですけど、まず育ての親がいる前提で書かれてるから全然応用できない。誰かに育児なんてされた覚えないですよ」
「…まさかきみそれ…ッ」
「子供を懐柔する術を知りたかっただけなんですけど」
「ほんと君斜め上からいくな!!素直に恋愛術でも読んだらどう!!?」
「そんなんでどうにかなるなら苦労してないんですよ」


至近距離で大声を出されたので、耳を塞ぎながら返しました。
子供のようにいじけて心閉ざしてしまっているのいうなら、どうにか解いてやる術を知らなくては。
心を満たすための手段を、虚しくなる理由を、寂しと泣く心が望むものを探すのです。
そういうのはきっと私がおそらく不得手とする分野です。その上あの子の場合、色々な事が特殊すぎている。長い目で見てやるしかない。


「あれもコレも、終いには分かんないとか言いたくないとかで終わらせる子が大人な訳がありますか。恋愛術なんて通用しないでしょう。力尽くで口を割らせようにも無駄に小賢しくて」
ちゃんも君に小賢しいとか絶対言われたくないだろうね…」


私自身生意気な自覚はありますけど、それこそどんぐりの背比べだと思いますけど。
あの子には悪知恵を働かせた前科があるといいますか。
大罪を働いたという訳でもない、可愛らしいと言えは可愛らしい悪戯。
しかし云千年も証拠を残さず隠蔽し続けた、あの子の小細工と根性は憎たらしいものがある。
業腹だった私に見かねて、後日お詫びにと机に差し入れが残されていましたけど、それがまた…まあ許してやるかと思わないでもないラインの贈り物だったりして、やっぱり小賢しい。
その辺を見ても決して子供ではないのですけど。


「精神的に未熟で不安定なのは、やっぱり親がいなかったせいでしょうか。じゃあそのトラウマみたいなものが解消されたら、もう少し扱いやすくなるもんでしょうかね」

ページを当てもなくめくりながら、半ば独り言のように漏らすと、向かいの席からへえと感心したような声が漏れだしました。
食事を終えた大王は肘をついて、微笑ましそうにしながらこちらを見ています。


「君にもそういう相手を思いやって優しくしよう…なんていう甲斐甲斐しい所あったんだ。なんか物凄くズレてる気はするけど…ウンウンお母さんみたいだね」
「…あ゛?」
「ちょっとからかっただけで威嚇すんのやめてくんない!?」


睥睨すると、やっぱ君お母さん向いてないよ!とバンと机に手をつきながら叫ばれました。
やっぱりも何も最初から適正がないことなんて明白だ。
だいたい父親でなく母親を引き合いに出してくるってなんなんでしょう。
子供の気持ちを深く慮ろうとするのは一般的に父親よりも母親だと相場が決まっているということでしょうか。
父親も母親もいない私にはあまり理解できない感覚です。役割分担みたいなものでしょうか。

…そう思えば、親がいないで苦労したのは私も一緒でした。
だからと言って、そのせいで私が今のあの子のように"未熟で不安定"なのかと言えば違うと言える。
拗れた捻くれたみたいな部分はあるかもしれませんけど、あんなややこしいことにはなっていないはずです。全く同じ条件と環境で育ってどうしてこう枝分かれしてしまったのかサッパリわかりません。


「…あ、ワシわかったかも」
「何がですか」
「はいはい私もわかりました!鬼灯様やっぱり少女漫画パターン入ってますよ!」
「篁さん暇なんですか?」


顎に手を当てて、ハッと何かひらめいたと言った様子の閻魔大王。その背後からひょいと姿を現したのは、秦広王の補佐官である篁さんだった。
ただ現れただけだったら何か用事かと対応しますけど、嬉々とした様子でこういう参入のされ方をされると、ただ暇なだけなんじゃないかと疑いたくもなります。
篁さんの中で最近漫画がブームなようで、その食指は広く動き、なんの垣根もなく無節操に本棚を漁っているようでした。

「鬼灯くんがさあ、そうやってちゃんの事子供扱いするからいけないじゃないの?」
「可愛い妹or幼馴染の擦り込みが入っちゃってて恋心に気づけないやつですよ絶対」
「あんたらホント面倒臭いな、色んな意味で」

も〜仕方ないな〜と言って絡んでくる閻魔大王も、漫画にかぶれて勘ぐってくる篁さんも、相当性質の悪い輩でした。
すっかり空になった食器を纏めて椅子から立ち上がる。つられるようにして、大王も自分のトレーを持ち上げました。篁さんも一緒になり、返却場に下げるために隣合って歩き出す。


「私ちゃんと仕事してますよ、用事があって来ましたから。今はただの通りすがりです」
「でもどうせ帰り道、図書室寄って漫画借りて帰るんでしょう」
「あちゃ〜さすが鬼灯様鋭い」
「あなたは分かりやすすぎるんじゃないでしょうか」
「え〜ワシもなんか読もっかなー。孫も読んでるような今流行りのやつ」

食器を返すや否や、図書室に向かおうとする閻魔大王に向けて、金棒を握って振り上げた。
食事休憩という事で今までのんびりと話していましたけど、いつもの大王の自業自得のせいで業務が滞り、今どん詰まり状態に陥っている。今この場で言う事でもやる事でもない。
大王の大きな身体が、食堂の外、廊下まで吹っ飛んで行きました。
食堂から猛スピードで飛び出た大王を追うように篁さんと共に歩く。
着地するとき、強打した腰と殴られた頬を両手でさすりながら、閻魔大王が悲鳴を上げるように叫んだ。


「きみそんなんじゃ女の子に嫌われる…っていうかもうコレ逃げられるぞ!」
「ご心配なく。潔白で健全な女性にはコレは振るったことはありません」
「コレはってことは他には何振るったの!?」
「なんで振るった前提で話すんです」
「身から出た錆だよ!何不思議そうにしてんの!?」
「鬼灯様、拳くらいなら振るってそうですね…」
「…」


つい昨日、あろうことか暴力とは無縁の土地である天国で、己の拳を振るったことを思い出しました。あれが女性なのは間違いがありません。
無言で黙り込む私を見て、事情を察したらしい二人は苦笑いしたり青ざめたりしていました。
振るわれた相手は逃げもしなければ嫌う気配も見せませんでしたけど。

2019.3.2