第二十話
1.言葉─思い出
「あ、そうだ。ついでに寄りたい所があるの」
天国に住居がある桃太郎さんと地獄に住む私達は途中でお別れする事になり、お供の三匹は見送りについて行く流れになった。桃太郎さんは師である白澤さんのお店で、住み込みで働いているのだ。
水入らずでわいわい会話して、去って行く賑やかな背中に手を振っていると、ふと思いついた。
吹き抜けた風は自然の中にある清涼なもので、久しく感じていなかった夜の風だった。
踏みしめた土の感触も草を踏みしめる音も懐かしい。甘い花と爽やかな草木の匂いを吸い込みながら当てもなく歩くと、鬼灯くんはそれについてきてくれた。
「どこです」
「空があるとこ」
「…天国ならどこでもありますよ」
鬼灯くんが指さした先には満天の星空があった。確かに今この場所にだって空はある。
建物にさえ入らなければ、天国のどこからでも空は見えた。
私の言い方がマズかったなと反省して改めて言い直す。
少し歩くと桜並木は消えて、ぽつぽつと緑の葉をつけるだけの木々が増えてきた。
「えーと、見晴がいいところ?高い所がいいのかな。ここなら電灯とか気にしなくていいだろうし…」
「もしかして星でも見たいんですか」
「そうそう」
察しがいい鬼灯くんはへえと相槌を打つ。
さくさくと音を鳴らしながら草の上を歩き、たまに落ちている小石を除けた。
華やかな桃源郷から離れて、質素だけどどこか趣きのある、懐かしい景色にどんどん変わっていく。
「今日流星群が見えるんだって。お花見のとき、誰かが話してるの聞いちゃった」
「へえ。それは知りませんでした」
「地獄にいたらあんまり関係ない話だしね」
地獄には空がない。全体的にほの暗い。現世が明かりを灯すなら、地獄は暗闇売りにしていかなければといつか言っていたのを思い出した。天国はもちろん陽の光の眩しさとか、華やかで幻想的な景観が売りだ。
建物も質素な民家も重厚な屋敷も関係なく、一貫してどこか明るく上品な印象を受ける造りをしていた。
地獄にある物はどこか妖しくて闇色を感じる。それも乙といえば乙なんだけど。
「私流れ星とか、そういうの見たことなくて」
それは一度目の人生を含めてもそうだった。
天国の鮮やかさへの憧れも、現世にある四季の恋しさもないけど、ただこういう物を見てみたいとたまには思う。
ただそれは鬼灯くんの趣味ではないかもしれない。四季の移ろいに趣きを感じ取るというより、物の構造とか生態に興味があるんだろうと思うし。同じ視るにしたって、畑違いというかジャンル違いではないだろうか。
「鬼灯くんは帰りたい?金魚草みたいよね」
「…いえ、私も行きます。この時間に独りで歩かせるのは問題でしょう。先が目に見えてます」
「あー…なんかごめんね」
遅い時間に一人歩きをさせられないと慮っているというより、私がどうせ何かやらかすだろうなと予測しているのだろう。私の足が向かう先は山の麓だった。
暗い山の中で一人歩くって。装備品も特にないし。山歩きは慣れているけど、それでも何か事件が起こりそうだ。
眉を下げて、ありがたくその呆れ混じりの厚意を受け取る。
金魚草も開花の瞬間を逃してしまったので、一時間くらい遅れてもあまり大差はないかもしれない。それでもすぐに見たいという気持ちを殺させてしまうのはちょっと忍びない。
暫く当てもなく歩いていた私は目的地を定め、足を数歩動かすと、すぐに足場が悪くなった。
「わあ、獣道」
「うまく歩きますね」
「それはお互い様でしょ」
「衰えてるものかと思ってました」
「もう身に染みてるよ、忘れないと思う」
山育ち、自然育ちの二人だ。体力がないとか虫が怖いとか泣き言を言っていたら生きれなかった。根性論で頑張っているうちに上手く歩けるようになっていのだ。
自転車の乗り方を忘れないみたいに、こういうのは忘れない物なんだと思う。
盛り上がった土山や木の根が目立ってある箇所、敷き詰めるように石が転がっている地帯、その都度障害物を避けながら昇る。
「なんか人目を盗んで逢引みたいだね。…場所があれだけど…」
現代で囁かれるソレとは種が違って、まるで古典にでも出てきそうな景観だけど。
虫の音と鳥の羽音がするくらいで、まるで人の気配がない。ロマンも何もない電灯もない暗闇の中だけど、だからこそ逢引にはぴったりだろう。
歩きながら冗談まがいの事を言うと、ぴんと来なかった様子の鬼灯くんが返答する。
「どっちかっていうと心中じゃないですか」
「嫌なこと言わないでよ…」
「人間だったらアウトでしょうね」
「まあ私達鬼だし…」
私は刑場で働いている訳ではないけど、このくらいのことを命の危険に感じるようだったら地獄で過ごすこと自体難しそうだ。
人間だったら暗闇に慣れてる訳でもないし、この場にある何もかもが命取りになって、今頃ごっそり体力消耗しているかもしれない。舗装もされてない道だとちょっと歩いただけで気力を失いそう。
けれど地獄で過ごしていると不意に命の危険を感じる事が幾度もある。いや危機は感じても死なないのかもしれないけど、人間であれば運が悪ければ致命傷を負っていただろう事態だ。肝も据わるし動じなくなる。
蹴ったサッカーボールがあらぬ方向へ飛んで、ごめんなさーいと謝って来る現世の子供の微笑ましい姿。けれど地獄ではそんなやり取りは出来ない。
山中であれば、いきなり子鬼が投げた拷問道具が背後から飛んでくるような事もないだろう。
「まぁ逢引でも心中でも何もないです」
「うん」
「でも逢引か心中かと邪推できるというだけで」
「そんな勘ぐりしたくないなあ」
「へえと思って流せば済むことだと思いますけど」
「いや心中かな?って思っちゃったら流せないよ…止めてるよ…」
「私は無理には引き止めませんけど」
「声かけくらいはしてみようよ」
途中から心中を試みる儚い男女をみかけてしまったらどう対応すべきか議論しながら歩くことになった。
地獄にだって情も親切もあるし、声かけるくらいはしてもいいでしょうと。
鬼灯くんもそれくらいはしますけど…とは言っていても基本放置派なようだった。
ザクザクと時折枝を折りながら軽快に歩く。目を凝らすと先の方に長く続いていた林の切れ目が見えてきた。そろそろ開けた所に出られそうだった。
「もし私が心中する側だったとして、声なんてかけられたくありませんね」
「どうして?」
「街で思いもよらない場所とタイミングで知り合いに声かけられるとなんか気まずい」
「それと一緒にしていいの?」
妙なことを言いだしたと肩を落とした。鬼灯くんに懐中時計を確認してもらって、流星群が見れるという時間に間に合うようにとペースを上げる。
「止められても決意は変わらない訳ですし」
「それは、そうだね。私も止められるとは思わないし、止めようとも思わないけど」
「じゃあ何故わざわざ声をかけようとするんですか」
「えーと、いてもたってもいられず…」
「そんな程度の動機ですか」
隣から呆れたような視線がこちらに向かったのが見なくてもわかった。確かにどうかと思うけど、ただ立ち尽くして見送るだけというのも出来ない。相手が親しいならなおさら駆け出してしまうと思う。
「なんか…ずっとかみ合わないものだね」
「何が」
「まさかそんな理由で引き止めないと言ってるとは思わなかったし」
「私だって同じですよ。反射で声かけるなと言いたい」
「うん…お互いいつまでも察せないよね…」
理解不能、予測不能。次にどんな行動に出るのか読めない所がある。
そりゃあ、相手の心や頭が直に読める訳ではないから、察する予測するの精度が高くなったとして、永遠に完璧にやる事は出来ないのだろうけど。
私の落胆ともなんとも取れない萎れた呟きを拾うと、そうでしょうか?と疑問に思ったようだった。
「伊達に長いこと一緒にいるわけじゃありませんから、あなたが何に喜んで何に悲しむかくらい読めます。結構パターンありますよ」
「あー…そっかー…まあそうだよねー…」
パターン、なるほど。決まった法則があるかもとは考えていなかった。
でも私ってそんな単純な思考回路をしているのかなとちょっと気恥ずかしくなる。
鬼灯くんが食堂でご飯食べるとき決まったローテーションで注文してるみたいな?
ちょっと違うけど、同じような理由で毎度泣いたり笑ったりしてるのかもしれない。
「パターンは分かっても、距離感はいつまでもわからない」
「うん、私も」
「いや、あなたはズカズカ踏み込んでくるでしょう」
「うーん、最近は私もわからなくなってきちゃった」
「…そうですか」
会話に集中していて足元から注意が逸れていたらしく、がくっと窪みに躓いて、転びかけた所を腕を取られた。
目的地到着目前になって気が緩んでいたのかもしれない。助けてくれた鬼灯くんに向けて感謝の言葉を投げかける。
「あ、ありがとう…びっくりした」
「いえ。いい大人が派手に転ばなくてよかったですね」
「……労わりの言葉とか慰めの言葉とかないの…」
「ところで」
「と、ところでって…」
転びそうになったことへのコメントでもなくドンマイというフォローでもなく、なんでもなかったかのように話題を変えられた。
そりゃあ気の利いた言葉が出て来るとは思わなかったけど、この方向転換は信じられないものだった。
がくりと項垂れながら、仕方なく聞く構えをとる。
「緊張しますか」
「緊張?どういう…?」
「動悸とかありません?」
「呼吸も深くて平常心」
「私も同じです」
「い、意味がわからない…」
「いえ、またかと思いまして」
「また?」
「もしくはまだ」
質問の意図がよくわからなくて困惑する。
そんな私を気にかける様子もなく、鬼灯くんは一人完結して話を進めた。
「一応お付き合いしている異性同士が腕組んで歩いてて何もないんじゃ、駄目なんでしょうね」
ああそういうことかと漸く理解する。何度かこういう事は実験的に繰り返されてきたけど、今回もまだ、また、何も起らなかったようだ。
わかってはいたけど、この星空の下二人きりの静寂の中…
そりゃ心中でもおかしくないロケーションだったりするけど、こういう場所で密着してそうならないんじゃ見切りをつけたくもなる。仕方ない。
私も深く頷いた。シチュエーションを用意しても駄目、密着してみてもダメ、付き合うっていうことで意識が変わることはないと、実証されて来てしまった。八方塞だった。
どきどきってするってどうしやったらいいんだろうなあ。
あわよくばうっかり恋心が芽生えちゃえと二人して推奨しているのに、それなのにいつまでもこんな風なまま。
「一目惚れは、目があった瞬間このひとだ!運命だ!ってなるものらしいけど」
「はい」
「時間をかけて育んでいくんだとしても、そのうちもしかしたら…って思い始めるものだと思うけど」
「ええ」
「そういうのってきっと理屈じゃなくて、理由なんてなくて、なんとなく居心地がよかったりして、収まるところに収まったって感じで」
「話を聞いてると、そうなんでしょうね」
「でも私達は…あれだね、ロマンチックな言い方すると出会う運命で傍にいる定めで、でもそういう関係にはなれない二人だったんだろうなあって思う」
言い切ると、沈黙が下りた。思う所があったのか、それとも否定の考えを巡らせているのかは分からない。
林の切れ目を抜けると、開けた空間には切株がいくつか点在していた。
自然と木が枯れて倒れてしまったというより、どうやら人の手によって成された物らしいとその滑らかな切口から理解する。辺りに露出した茶色い土が暗闇の中でも視認できる。
綺麗な円の空間が造られていた。
切株の上に腰掛けて広い空を眺めていると、そのうち流れ星がひとつ見えた。それを追いかけるようにして次々と降り注ぎ始める。
圧巻の景色に口を開いて感動していると、同じように少し離れた所に腰掛けていた鬼灯くんの口から、幻想的なソレには似つかわしくない言葉が出てきた。
「いっそ強引にでも引き寄せてしまえば、とさえ思っているのに?」
「え…」
思わず身を引くと、「冗談です」とすぐ言葉を打ち消したけど、冗談ではないかったんじゃないかと流石に思う。
強引にって何かと聞くのも野暮な話で、まあうーん、そういうことなんだろう。
目的のために手段は選ばない…とまではいかないけど、鬼灯くんは普通の人なら躊躇う手段を平気で使えるひとだった。一目を気にせず大胆なことが出来る姿をみんなある意味一目置いて見ているけど、きっとそこに痺れるでも憧れないってやつだ。
自分がそうなりたいのかと言えばそうでもない。
星を眺めていていいものか、それとも警戒するべきか迷って視線をうろうろ彷徨わせた。
しかしそんな風に迷うのも馬鹿らしくなるほど、取り留めのない穏やかな会話は続いて行く。
「ここまで固執していて、留めようとしていて、あなたの想いが恋情にも何にもならないなら、もう何にもなれないでしょうね」
「…うーん…」
確かに、ただの家族愛だというには変に固執しすぎだし、私のこれも友情とも違うし、一番近いのは恋愛感情なんだろうけど…だからと言って恋をしている訳ではないと言い切れる。
友人以上恋人未満の変化寸前の甘酸っぱいラインというのもこの世に存在するけど、私達のこれはそれとも違う気がした。何かになりたいと思って、けれどいつまでも何にもなれない。
成る時はひとりでに、望もうが望まないが自然と変わる物なのに。ままならない物だった。
まぁ今更警戒したって仕方ない。種は違うけど、彼が物騒な事を言うのはいつもの事だった。
改めて見上げた空にはさっきよりもたくさんの星が降り注いでいて、長い時間生きていても一度も見れなかった景色に圧倒される。
でも、いつか見た星空の美しさには叶わないなと思う。ただ星が浮かんでいるだけで動きもない、変哲もない空だったのに、あれほど心奪われた物は今までなかった。
あれは悲しくて辛い思い出でもあったけど、美しくて喜ばしい、大切な思い出でもあったのだった。
景色があっただけでは、それこそここまで長年執着しはしない。
あの空の下で、私はとても嬉しくて切ない言葉を投げかけられた。
だからこそ私は忘れられず、美しい思い出としていつまでも秘められて続けているのだ。
1.言葉─思い出
「あ、そうだ。ついでに寄りたい所があるの」
天国に住居がある桃太郎さんと地獄に住む私達は途中でお別れする事になり、お供の三匹は見送りについて行く流れになった。桃太郎さんは師である白澤さんのお店で、住み込みで働いているのだ。
水入らずでわいわい会話して、去って行く賑やかな背中に手を振っていると、ふと思いついた。
吹き抜けた風は自然の中にある清涼なもので、久しく感じていなかった夜の風だった。
踏みしめた土の感触も草を踏みしめる音も懐かしい。甘い花と爽やかな草木の匂いを吸い込みながら当てもなく歩くと、鬼灯くんはそれについてきてくれた。
「どこです」
「空があるとこ」
「…天国ならどこでもありますよ」
鬼灯くんが指さした先には満天の星空があった。確かに今この場所にだって空はある。
建物にさえ入らなければ、天国のどこからでも空は見えた。
私の言い方がマズかったなと反省して改めて言い直す。
少し歩くと桜並木は消えて、ぽつぽつと緑の葉をつけるだけの木々が増えてきた。
「えーと、見晴がいいところ?高い所がいいのかな。ここなら電灯とか気にしなくていいだろうし…」
「もしかして星でも見たいんですか」
「そうそう」
察しがいい鬼灯くんはへえと相槌を打つ。
さくさくと音を鳴らしながら草の上を歩き、たまに落ちている小石を除けた。
華やかな桃源郷から離れて、質素だけどどこか趣きのある、懐かしい景色にどんどん変わっていく。
「今日流星群が見えるんだって。お花見のとき、誰かが話してるの聞いちゃった」
「へえ。それは知りませんでした」
「地獄にいたらあんまり関係ない話だしね」
地獄には空がない。全体的にほの暗い。現世が明かりを灯すなら、地獄は暗闇売りにしていかなければといつか言っていたのを思い出した。天国はもちろん陽の光の眩しさとか、華やかで幻想的な景観が売りだ。
建物も質素な民家も重厚な屋敷も関係なく、一貫してどこか明るく上品な印象を受ける造りをしていた。
地獄にある物はどこか妖しくて闇色を感じる。それも乙といえば乙なんだけど。
「私流れ星とか、そういうの見たことなくて」
それは一度目の人生を含めてもそうだった。
天国の鮮やかさへの憧れも、現世にある四季の恋しさもないけど、ただこういう物を見てみたいとたまには思う。
ただそれは鬼灯くんの趣味ではないかもしれない。四季の移ろいに趣きを感じ取るというより、物の構造とか生態に興味があるんだろうと思うし。同じ視るにしたって、畑違いというかジャンル違いではないだろうか。
「鬼灯くんは帰りたい?金魚草みたいよね」
「…いえ、私も行きます。この時間に独りで歩かせるのは問題でしょう。先が目に見えてます」
「あー…なんかごめんね」
遅い時間に一人歩きをさせられないと慮っているというより、私がどうせ何かやらかすだろうなと予測しているのだろう。私の足が向かう先は山の麓だった。
暗い山の中で一人歩くって。装備品も特にないし。山歩きは慣れているけど、それでも何か事件が起こりそうだ。
眉を下げて、ありがたくその呆れ混じりの厚意を受け取る。
金魚草も開花の瞬間を逃してしまったので、一時間くらい遅れてもあまり大差はないかもしれない。それでもすぐに見たいという気持ちを殺させてしまうのはちょっと忍びない。
暫く当てもなく歩いていた私は目的地を定め、足を数歩動かすと、すぐに足場が悪くなった。
「わあ、獣道」
「うまく歩きますね」
「それはお互い様でしょ」
「衰えてるものかと思ってました」
「もう身に染みてるよ、忘れないと思う」
山育ち、自然育ちの二人だ。体力がないとか虫が怖いとか泣き言を言っていたら生きれなかった。根性論で頑張っているうちに上手く歩けるようになっていのだ。
自転車の乗り方を忘れないみたいに、こういうのは忘れない物なんだと思う。
盛り上がった土山や木の根が目立ってある箇所、敷き詰めるように石が転がっている地帯、その都度障害物を避けながら昇る。
「なんか人目を盗んで逢引みたいだね。…場所があれだけど…」
現代で囁かれるソレとは種が違って、まるで古典にでも出てきそうな景観だけど。
虫の音と鳥の羽音がするくらいで、まるで人の気配がない。ロマンも何もない電灯もない暗闇の中だけど、だからこそ逢引にはぴったりだろう。
歩きながら冗談まがいの事を言うと、ぴんと来なかった様子の鬼灯くんが返答する。
「どっちかっていうと心中じゃないですか」
「嫌なこと言わないでよ…」
「人間だったらアウトでしょうね」
「まあ私達鬼だし…」
私は刑場で働いている訳ではないけど、このくらいのことを命の危険に感じるようだったら地獄で過ごすこと自体難しそうだ。
人間だったら暗闇に慣れてる訳でもないし、この場にある何もかもが命取りになって、今頃ごっそり体力消耗しているかもしれない。舗装もされてない道だとちょっと歩いただけで気力を失いそう。
けれど地獄で過ごしていると不意に命の危険を感じる事が幾度もある。いや危機は感じても死なないのかもしれないけど、人間であれば運が悪ければ致命傷を負っていただろう事態だ。肝も据わるし動じなくなる。
蹴ったサッカーボールがあらぬ方向へ飛んで、ごめんなさーいと謝って来る現世の子供の微笑ましい姿。けれど地獄ではそんなやり取りは出来ない。
山中であれば、いきなり子鬼が投げた拷問道具が背後から飛んでくるような事もないだろう。
「まぁ逢引でも心中でも何もないです」
「うん」
「でも逢引か心中かと邪推できるというだけで」
「そんな勘ぐりしたくないなあ」
「へえと思って流せば済むことだと思いますけど」
「いや心中かな?って思っちゃったら流せないよ…止めてるよ…」
「私は無理には引き止めませんけど」
「声かけくらいはしてみようよ」
途中から心中を試みる儚い男女をみかけてしまったらどう対応すべきか議論しながら歩くことになった。
地獄にだって情も親切もあるし、声かけるくらいはしてもいいでしょうと。
鬼灯くんもそれくらいはしますけど…とは言っていても基本放置派なようだった。
ザクザクと時折枝を折りながら軽快に歩く。目を凝らすと先の方に長く続いていた林の切れ目が見えてきた。そろそろ開けた所に出られそうだった。
「もし私が心中する側だったとして、声なんてかけられたくありませんね」
「どうして?」
「街で思いもよらない場所とタイミングで知り合いに声かけられるとなんか気まずい」
「それと一緒にしていいの?」
妙なことを言いだしたと肩を落とした。鬼灯くんに懐中時計を確認してもらって、流星群が見れるという時間に間に合うようにとペースを上げる。
「止められても決意は変わらない訳ですし」
「それは、そうだね。私も止められるとは思わないし、止めようとも思わないけど」
「じゃあ何故わざわざ声をかけようとするんですか」
「えーと、いてもたってもいられず…」
「そんな程度の動機ですか」
隣から呆れたような視線がこちらに向かったのが見なくてもわかった。確かにどうかと思うけど、ただ立ち尽くして見送るだけというのも出来ない。相手が親しいならなおさら駆け出してしまうと思う。
「なんか…ずっとかみ合わないものだね」
「何が」
「まさかそんな理由で引き止めないと言ってるとは思わなかったし」
「私だって同じですよ。反射で声かけるなと言いたい」
「うん…お互いいつまでも察せないよね…」
理解不能、予測不能。次にどんな行動に出るのか読めない所がある。
そりゃあ、相手の心や頭が直に読める訳ではないから、察する予測するの精度が高くなったとして、永遠に完璧にやる事は出来ないのだろうけど。
私の落胆ともなんとも取れない萎れた呟きを拾うと、そうでしょうか?と疑問に思ったようだった。
「伊達に長いこと一緒にいるわけじゃありませんから、あなたが何に喜んで何に悲しむかくらい読めます。結構パターンありますよ」
「あー…そっかー…まあそうだよねー…」
パターン、なるほど。決まった法則があるかもとは考えていなかった。
でも私ってそんな単純な思考回路をしているのかなとちょっと気恥ずかしくなる。
鬼灯くんが食堂でご飯食べるとき決まったローテーションで注文してるみたいな?
ちょっと違うけど、同じような理由で毎度泣いたり笑ったりしてるのかもしれない。
「パターンは分かっても、距離感はいつまでもわからない」
「うん、私も」
「いや、あなたはズカズカ踏み込んでくるでしょう」
「うーん、最近は私もわからなくなってきちゃった」
「…そうですか」
会話に集中していて足元から注意が逸れていたらしく、がくっと窪みに躓いて、転びかけた所を腕を取られた。
目的地到着目前になって気が緩んでいたのかもしれない。助けてくれた鬼灯くんに向けて感謝の言葉を投げかける。
「あ、ありがとう…びっくりした」
「いえ。いい大人が派手に転ばなくてよかったですね」
「……労わりの言葉とか慰めの言葉とかないの…」
「ところで」
「と、ところでって…」
転びそうになったことへのコメントでもなくドンマイというフォローでもなく、なんでもなかったかのように話題を変えられた。
そりゃあ気の利いた言葉が出て来るとは思わなかったけど、この方向転換は信じられないものだった。
がくりと項垂れながら、仕方なく聞く構えをとる。
「緊張しますか」
「緊張?どういう…?」
「動悸とかありません?」
「呼吸も深くて平常心」
「私も同じです」
「い、意味がわからない…」
「いえ、またかと思いまして」
「また?」
「もしくはまだ」
質問の意図がよくわからなくて困惑する。
そんな私を気にかける様子もなく、鬼灯くんは一人完結して話を進めた。
「一応お付き合いしている異性同士が腕組んで歩いてて何もないんじゃ、駄目なんでしょうね」
ああそういうことかと漸く理解する。何度かこういう事は実験的に繰り返されてきたけど、今回もまだ、また、何も起らなかったようだ。
わかってはいたけど、この星空の下二人きりの静寂の中…
そりゃ心中でもおかしくないロケーションだったりするけど、こういう場所で密着してそうならないんじゃ見切りをつけたくもなる。仕方ない。
私も深く頷いた。シチュエーションを用意しても駄目、密着してみてもダメ、付き合うっていうことで意識が変わることはないと、実証されて来てしまった。八方塞だった。
どきどきってするってどうしやったらいいんだろうなあ。
あわよくばうっかり恋心が芽生えちゃえと二人して推奨しているのに、それなのにいつまでもこんな風なまま。
「一目惚れは、目があった瞬間このひとだ!運命だ!ってなるものらしいけど」
「はい」
「時間をかけて育んでいくんだとしても、そのうちもしかしたら…って思い始めるものだと思うけど」
「ええ」
「そういうのってきっと理屈じゃなくて、理由なんてなくて、なんとなく居心地がよかったりして、収まるところに収まったって感じで」
「話を聞いてると、そうなんでしょうね」
「でも私達は…あれだね、ロマンチックな言い方すると出会う運命で傍にいる定めで、でもそういう関係にはなれない二人だったんだろうなあって思う」
言い切ると、沈黙が下りた。思う所があったのか、それとも否定の考えを巡らせているのかは分からない。
林の切れ目を抜けると、開けた空間には切株がいくつか点在していた。
自然と木が枯れて倒れてしまったというより、どうやら人の手によって成された物らしいとその滑らかな切口から理解する。辺りに露出した茶色い土が暗闇の中でも視認できる。
綺麗な円の空間が造られていた。
切株の上に腰掛けて広い空を眺めていると、そのうち流れ星がひとつ見えた。それを追いかけるようにして次々と降り注ぎ始める。
圧巻の景色に口を開いて感動していると、同じように少し離れた所に腰掛けていた鬼灯くんの口から、幻想的なソレには似つかわしくない言葉が出てきた。
「いっそ強引にでも引き寄せてしまえば、とさえ思っているのに?」
「え…」
思わず身を引くと、「冗談です」とすぐ言葉を打ち消したけど、冗談ではないかったんじゃないかと流石に思う。
強引にって何かと聞くのも野暮な話で、まあうーん、そういうことなんだろう。
目的のために手段は選ばない…とまではいかないけど、鬼灯くんは普通の人なら躊躇う手段を平気で使えるひとだった。一目を気にせず大胆なことが出来る姿をみんなある意味一目置いて見ているけど、きっとそこに痺れるでも憧れないってやつだ。
自分がそうなりたいのかと言えばそうでもない。
星を眺めていていいものか、それとも警戒するべきか迷って視線をうろうろ彷徨わせた。
しかしそんな風に迷うのも馬鹿らしくなるほど、取り留めのない穏やかな会話は続いて行く。
「ここまで固執していて、留めようとしていて、あなたの想いが恋情にも何にもならないなら、もう何にもなれないでしょうね」
「…うーん…」
確かに、ただの家族愛だというには変に固執しすぎだし、私のこれも友情とも違うし、一番近いのは恋愛感情なんだろうけど…だからと言って恋をしている訳ではないと言い切れる。
友人以上恋人未満の変化寸前の甘酸っぱいラインというのもこの世に存在するけど、私達のこれはそれとも違う気がした。何かになりたいと思って、けれどいつまでも何にもなれない。
成る時はひとりでに、望もうが望まないが自然と変わる物なのに。ままならない物だった。
まぁ今更警戒したって仕方ない。種は違うけど、彼が物騒な事を言うのはいつもの事だった。
改めて見上げた空にはさっきよりもたくさんの星が降り注いでいて、長い時間生きていても一度も見れなかった景色に圧倒される。
でも、いつか見た星空の美しさには叶わないなと思う。ただ星が浮かんでいるだけで動きもない、変哲もない空だったのに、あれほど心奪われた物は今までなかった。
あれは悲しくて辛い思い出でもあったけど、美しくて喜ばしい、大切な思い出でもあったのだった。
景色があっただけでは、それこそここまで長年執着しはしない。
あの空の下で、私はとても嬉しくて切ない言葉を投げかけられた。
だからこそ私は忘れられず、美しい思い出としていつまでも秘められて続けているのだ。