第二話
1.言葉愛情
私には長い間好い人がいなかった。何千年そのままで、ラブい生活なんて少しも送った事がない。
それでも良いと思っていたし、極端な話いつか消える日まで独り身のままでも構わない。
豚に真珠とも無用の長物とも違うけどなんというか。
とにかく私の人生は「生きる」に徹するともうとっくに決めていて、だとしたら一緒に添い遂げる誰かは必ずしも必要な存在ではなかった。
もうこれで満足だと腹を括っておいて、それ以上に素敵なものを求め出すというのは、なんだか欲深すぎるんじゃないかなあと思う。
私は過不足なく生きていられるなら、それが何よりの幸せだと思ってる。
今はもう餓えることもなく、豊かで安定した生活を送れていて、これ以上何を望むんだろう。好い人が出来たなら出来たで拒む理由もないけれど。

──という話を、例のごとく掻い摘んで説明すると。


「…あの人もなんだか不憫なひとね…」
「…不憫かなあ?…不憫なのかなぁ」

相手は痒い所に手が届かなそうな、もどかしそうな、複雑な表情を浮かべていた。
そしてその複雑な思いを総合して、不憫と言う言葉にまとめぽつりと呟いた。
確かにその理由はとにかく、鬼灯くんは私に好きと言ってほしいらしいから、言ってもらえそうにない今の状況は不憫なのかもしれない。

待ち合わせは17時。現世だったら季節によってはようやく陽が落ちてくる頃合い。
腕時計を眺めながら待っていると、手を振って歩み寄ってきてくれたお香ちゃんと2人で食べ歩きを始めていた。
薄っすらとした地獄特有の明かりに照らされて、お互いの身体になんだか怪しい光と影が落されるのを横目に入れる。

鬼灯くんも多忙な人だけど、お香ちゃんも中々多忙な人だった。
昔とは違って毎日顔を合わせられなくなったのはお香ちゃんも一緒で、久しぶりにこうして二人でゆっくり出かけることが出来た。
私の食の趣味に巻きこんだ形になってしまったけど、お香ちゃんは嫌な顔一つせず付き合ってくれている。
地獄名物の一風変わった揚げ物を口にして満喫した後、次の目あての店へと渡り歩く。

人混みを縫いながらの道中で、ぽつぽつと恋愛のお話もしたし業務の愚痴も零したし、
昨日みたバラエティーやドラマの楽しい話もした。
あっちへ行ったかと思えばこっちに話が飛ぶのはいつものことで、お決まりのように鬼灯くんと何か進展はあったのかと近況も聞かれたのだ。

「それじゃ駄目かなあ」
「駄目というか…どう言ったらいいのかしらねぇ」

なので、そういう感じになれない理由を説明すると、お香ちゃんは鬼灯くんに心底同情したようだ。
周囲の雑踏にも不憫がるようなその声はかき消されなかった。
頬に上品に手を当てて、うーんと悩んで言葉を探している。

鬼灯くんは私に傍にいてほしいと思っているようで、私も生きていていいと許してもらえて、これでお互い望み通りなはずだった。
傍にいる理由が欲しいから、好きになってほしい。
結局好き同士にはなれなかったけど、共にいる理由は一応出来た。これで望みは叶ったはずなのだ。
男と女がいれば必ず、そういう関係にならなければいけないなんて法律がある訳でもない。
そんなに不自然なことだろうか。けれど、いつの時代も恋愛は身近な話だし、変な話相手を欲しがるのは本能なのだ。
恋をしたいと思うことは当然なことなのかもしれない。
そうなるのが自然なことだと言うなら、一切色めき出す気配のない私達はやっぱり不自然な状態に陥ってるんだろう。

「やっぱりは今もお仕事が恋人なの?」
「えー、それは鬼灯くんの方じゃない?」
「どうかしら。あの人は案外そうじゃないのかも」
「…ワーカホリックでしょ?」
「そうだけど、他の事にも熱心だもの」
「あ、趣味とか」
「……それ以外にもきっと頑張ってるのよねえ」


仕事が恋人と言われて渋い顔になった。それこそ鬼のように働いている鬼灯くんならありえても、私はそんなに熱心じゃないしなぁと思ったから。
生存本能みたいなものは人一倍強いと思うけど、相手がほしいという欲が芽生えない。上手くバランスが取れない物だ。
でもそれじゃ駄目なのかなあ。いや年若い女子的にはあってはならないことなのかもしれないなあ。
今の私は適正年齢なのかもしれないし。昔でいったら行き送れだけど、現代なら結婚を考えるのに一番いいタイミング。外見年齢だけ見たらの話だけど。鬼の年齢ってどうやって測ったらいいのかわからない。
歩きながら小さな小石を蹴飛ばすと、お香ちゃんはその子供っぽい仕草を見て苦笑していた。

「好きとかお付き合いならまだ…うーん…でも、結婚なんて考えられないなあ」

相手と言ったらもちろん鬼灯くんのこと。というか、一応形だけでも恋人同士なんだから、ここで鬼灯くんのこと以外を考えるなんてとんでもないことだ。
もしも彼と結婚したら?夫婦になったら?と目を瞑って想像してみても、違和感でいっぱい。
私の中にある相手に抱く感情、愛情友情どちらかで表せというなら確実に友情だし、鬼灯くんだってそうなんじゃないのかなあ。
愛情よりは友情、友情よりは親愛とかの方が一番しっくりあてはまる。


はそうでもねぇ…に対するあの人の態度、普通じゃないでしょう?」
「…特別ってこと?」
「そうね、そういうこと」


うんうんと頷きながら、目あての店の暖簾が遠くに見えたようでお香ちゃんがまっすぐ先を指さすけど、私には見えなくて一生懸命目を凝らす。普段目を使いすぎていて視力低下したのか目が疲労しているのかどちらだろう。
思わず目を擦ると、お香ちゃんにこらこらと窘められた。やさしいお姉ちゃんのまま変わらない、昔からの穏やかな仕草に思わず緩んだ笑みが零れた。

鬼灯くんはなんだか一筋縄じゃいかなそうな心情を抱えているみたいだし、普通じゃないのは確か。
けどだからこそ、あれは愛情とか、そういうひと口に表せるものじゃないんじゃないかと思っていた。
ようやく暖簾にかかれた文字を視認出来るまで歩いた頃、私はぽつりと呟く。

「普通じゃないとか特別っていうか…鬼灯くん変な子だし」
「ああ…」


そうそう。斜め上から来るって言うか、屈折してるよねえと言うとお香ちゃんは苦笑いしつつ、少し納得していたようだった。
鬼灯君の人となりを知ってるを知ってる者だったら、彼を普通で真っ当な善人だとは称さない。
かと言って悪人だとも言わないけど、個性的で真っ直ぐではないと受け止めてるはず。
酷い言い草をしているつもりはなく、逆に親しいからこその冷静な判断を下せているつもりだった。
鬼灯くんは誰よりも平凡じゃないからこそ誰よりも優秀だった。昔からずっとそう。
旅行にも行けないくらい忙しいから趣味に打ち込んでしまうと言っていたけど、仕事と趣味人間で、他が疎かになってる。
私は鬼灯くんほど多趣味でもないし、濃い時間を過ごしている訳じゃないし、あそこまで忙殺されてもいない。
程度でいったら鬼灯くんの方が酷いんじゃないかと思うけど、でも多分何にしてもどんぐりの背比べなんだろう。

目的地は事前に決めていたので、道中は何に迷うことなくスムーズに進む。
たどり着いたお店の前に連なっている人の列に並びながら、ぽつぽつと話を続けた。
付近にある飲食店から漂う甘い匂いや香ばしい匂いが混ざり合って、どれがこの店の品の香りなのかよく分からない混沌とした状態になっていた。


「…相手が私でも誰でいいけど、愛されたいとか思うのかな」

鬼灯くんこそ、私以上にそういうものに興味ないんじゃないのかなとぼんやりと考えると、思わず口からついて出てくる。
本人も言ってたけど、傍にいて欲しいとかそういうの、よくある恋心から出た望みじゃないみたいだし。
それを言うと、隣で佇むお香ちゃんは口元に手を当てて絶句していた。

「……確かに何考えてるかわからないお人だけど、でもきっとそういう気持ちくらいあるわよ…」
「……そう?」
「異性を意識することくらいあると思うわ…」
「あ、うん、そうかもね」


そう言えばそうだ。女性の好みをほのめかした事があったらしい。
ミステリーハンターのお姉さんがタイプだとか言っていたと又聞きした。そういうのに抵抗がある訳でも興味がない訳でもないのだ。
過ごす時間が減った後、私が知らない所で彼女とか作っていたかもしれないし、危険な恋とか火遊びでもしていたかもしれない。
こういう話をするといやいや…と終始否定される訳もわかった。
家族みたいに近い関係でいると駄目だなあ。
なんというか…肉親のそういうことを無意識に想像しないようにしているみたいな感じ?そもそも想像ができない。
オープンな話をする家族関係を築いていたなら話は違ったんだろうけど。

あと、鬼灯くんと同じ趣味を持ってたらもっと深く色んな会話をしたのかもしれない。でも私は呪いの道具にも金魚草にもあまり興味を持てなかったのだ。
ああでも、動物の生態観察ならまだ…と思うも、鬼灯くんの濃いトークについていける気がしない。
列が進んで、ようやく私達が店内の受付まで辿りついた後、壁際で注文した品の出来上がりを待つ。
この場所から覗ける調理風景を二人並んでぼんやりと眺めながら、またぼんやりとした会話を続けた。

「でもきっとそう思ってても…愛されたいなんて口にしないんじゃないかなー…子供っぽい所あるけど、やっぱり凄く強かだよ」

出来上がり私達の元まで届けられた品を受け取り、店外へと歩を進めながら言葉を紡いだ。
恋人に愛を求めて縋る姿も親に庇護を求めて縋る姿も、どちらも想像ができない。
昔も親について尋ねたことがあるけど、さすがに私でも恨みがましく恋しく思っていたのに、あの小ささでもう既に割り切れてしまっていたのだ。
強がってる訳でもなく本心から弱音を吐かないでいた子が、大人になってからそんな事を言い出すとは思えない。
物心ついた頃にはもうご両親はいなくて、姿形も知る善しもなかった。
なんの手がかりもない影を追いかけることは出来ず、想像することも出来ず。
親とはなんなのか?追い求めるようなものなのか?寂しい恋しいとはどんな気持ち?
そういう何もわからない状態だったから言えた事だったんだとしても、
…なんだろなあ、あの子は元からそんな繊細な性根はしていなかったんじゃないかなぁ。
生まれ持って強かだったから、必要な迫られて更に強かになれた。
泣いて蹲ってしまう繊細な子供だったら、どこかで気力をなくして、一人で生きる術も分からずに死んでしまってるかもしれない。
私も一度目の人生での知識と経験がなければきっとそうなっていたかもしれないのだ。
幼い日にはほんの少しはあったかもしれない繊細な感受性。私も私で今は吹っ切れてしまった恋しさ寂しさ。
鬼灯くんも大人になる過程を踏んでいくうちに、もうきっと淡い部分は吹っ切れてしまっている事だろう。……濃い恨み辛みは残っていたとしてもだ。

「…ああ、だから子供とかそういうのじゃなくて…」

お香ちゃんが額を抑えて苦悶の表情を浮かべていた。包装越しにも熱が伝わるソレを何度か弄ぶようにひっくり返しながら、封を開く。
揚げ物の次にまたしょっぱい物続きになってしまった。
小さな物だったので、軒先に佇みながらすぐに口に入れる。二口、三口で食べ終われそうだ。
めちゃくちゃ美味しい。これはやめられない止まらない味だ。もう一袋頼めばよかったかも。無心になって味わっていると、憂いを帯びた溜息をつきながらお香ちゃんが呟いた。

「もう接着剤でも使って、強引にくっつけちゃったらいいのかしらねぇ」
「えー…何も良くないよー…無理強いしたって何もいいことないよ」

本人にやる気がなかったら身が入らないのは何事も一緒だと思う。咀嚼した物を飲みこんだ後思わず脱力しながら突っ込んだ。
いっそ…なんて言って強引にくっつけられても困っちゃう。
形だけ結ばれたって、意志もやる気もない限り、私たちはこれまでと変わらず淡々と過ごすんだろう。
幸か不幸かわからないけど、私達はお互いやる気あるのに進展がないけどそれは置いといて。

「八方塞がりってこういうこと言うのよねえ」
「そうそう、そうなの。色々考えてみたけどどうにもならないの」

お香ちゃんが食べながら暫く思案した後、出した結論を耳にして、それそれーと嬉々としながらピッと指を立てる。するとガクッと肩を落としていた。
今のお付き合いしている状況も色々考えて行動してみた一環だし、それでも芽生える気配はないし、試行錯誤してももう手詰まり。困っちゃうよねとけらけら笑いながら言うと、項垂れたまま暫く顔を上げられないようだった。

お香ちゃんにしても誰にしても、みんなが期待してるのは「心から結ばれました。晴れて結婚します!」みたいな色よい返事だと思うんだけど、ない物は出せないのだ。
意気消沈させてしまっているのは分かるけど、私に出来ることは面白おかしく笑い茶化すことくらい。実際笑っちゃうくらいおかしい話じゃないかと思う。
もういっそ一連の流れを恋愛話というカテゴリーから笑い話というカテゴリーに移動しさせちゃえば皆で楽しくなれるんじゃないかあ。
食べ終わった後、ポイと包装をゴミ箱に捨てながら、再び次の店へと渡り歩く。
細々とした物ばかり食べているせいで、お腹が満たされる気配がない。
元々人通りが集中する区域なのに、時間帯が後押しして更にごった返してきた中を歩きながら会話を重ねる。
お香ちゃんの履物が、橙色の明かりに照らされきらりと光っているのを横目で眺めた。

はこれからいったいあの人とどうなりたいの?…どこに向かってるのかしら」
「どうとか、どことか言われても…うーん…」

家族、きょうだい、友達、腐れ縁、ひーふーみーと指折り数えてみると自然と色々浮かんでくるのに、やっぱり色めいたものは候補として浮かんでこない。
けれど関係性も細かい色んな事も置いといて、どうなりたい、どうしたいのかと言うなら。

「一緒にいたいなぁ」

お香ちゃんが再び顔を覆ってしまった。一喜一憂させてしまって申し訳ない。
次に辿り着いたお店で購入した紅茶に口をつける。お香ちゃんは暖かいコーヒーを頼んでいた。二種の香りが混ざり合っている。
甘いのが飲みたい気分だったので砂糖とミルクを大目に追加投入する。入れすぎたかな、あと肌寒いのになんで冷たいのにしたのかなと少し後悔しながら舌鼓を打つ。
大通を逸れて歩いていると、喫茶店のテラス席に座ってケーキにフォークで切れ込みをいれている鬼女達が見えた。
何あれ凄くふわふわしてる。あの赤い実はなんだろう、きらきら輝いてる。綺麗。すごく美味しそう。
最近は洋菓子をみかけるようになった…というか、もうとっくにそっちの方が主流になっているような気がする。
生活の中に自然と溶けこんでいるのが洋菓子で、和菓子はわざわざ選んで手に取るものになっているような。
どっちも好きだからどっちかだけに偏っちゃうのは嫌だな。最近は色んなものが手軽に食べれるようになって嬉しい。
食べるに困っていた時の反動プラス、現代の多種多様な食文化を知っていたのに、ずっと手に入らず我慢の時が長かった反動もあって食への興味関心が尽きなかった。
食べてもあんまり太らない体質でよかった。これで太りやすかったら慢性的に運動不足の状態の私はどうなっていたただろう。
もしかしたらこの手の事は唯一鬼灯くん同じレベルで話せる趣味なのかもしれない。あの鬼灯くんを傍で見て来ているから、作る側には一生回る気になれないたろうけど。


「…もうそれが答えじゃないかしら…は純粋すぎるのかしらねぇ…」
「ええー…そんな風に言われるのって…この年で…」
「ああ、純粋も通り過ぎて捻くれてるのかも」
「あ、ひどい」

飲食するのに夢中、考えるのに夢中でお香ちゃんの落胆には気がつかなかったふりをしてぼんやりした風にしていたけど、思わず強めに突っ込んでしまった。
自分が捻くれてるとは思わないけど、すごく面倒臭いだろうなあとは思う。
ただ、親しいも親しくないも関係なく、最近頻度も多くなり、濃くもなりだした邪推に肩を落としたくなっているのは私の方も一緒だった。

2019.1.29