第一話
1.言葉─口説き落す
「約束をしてほしい訳ではないのです」
言うと、目の前でそれを聞いていた女性がおかしそうに笑いました。
だらしなくないように、上品に頬杖をついてこちらを見あげている。
それは愛しい男を見る目というより、仕方のないなと笑って相手を許容する、寛容な女性の目でした。
この女性がソレを湛えるのは珍しい。だからこそ私は眉根を寄せました。
「じゃあ何がお望みなのかしら」
「私の望んだものが、望んだ通りの形のままほしい」
手段を選ばないで目的を達成するというのも一理ある。一見荒々しいそれが正解な場合もある。
けれど私は慎重に手段を選んでいた。選り好みをして、どこまでも正確な形で自分の欲求を満たそうと画策していた。
「…あなたならどうしますか」
「あたし?そうねえ」
目の前の金の髪が美しい女性は、唇に指をトンと置いたあと、少し考えてから言います。
「籠絡させるわ。それだけよ」
「…相変わらず思いきりがいいですね」
「そう?ほしいものを欲しいというだけなのに、手段なんて選ばないわ。条件なんてつけない。だって手に入るなら…愛し合えるならそれでいいでしょう?」
それ以外に何があるのかと微笑む彼女の本分は男を誘惑することで、抗えない本能のようなものでした。
ブレない一つの軸が彼女の根にはある。
むろん私の性別も男ですから、お誘いを受けることも多々あります。
魅力的な女性にしなだれかかられて、満更でもないのは確かでした。
けれど火遊びをするつもりは毛頭ないし、彼女の誘惑を流されるままに放置しておく訳にもいかない理由ができた。
本来男性にしか向かないはずの彼女の愛が、女性に向くという前代未聞の事態に陥っている。
ほんの僅かな、愛にも満たないただの情でしかありませんでしたが、彼女と言う悪魔が例外を作ったという事実こそが問題なのです。
──彼女が作った例外。愛情とも呼べない特別なその心は、身近な存在に向けられる。
それはまるでいつかの自分の、名前のつかない"執着"のようでした。
「…ねえそうでしょう?ほしいものが手に入ったらとても嬉しいでしょう?あの子があたしに夢中になってくれるならそれでいい」
彼女はずいっと身を乗り出して、私の顔を覗きこみました。妖艶な目が、私の目を捉えます。おそらく酷く冷たい色を浮かべているだろうに、動じる様子はありません。
「…もちろん鬼灯様にだって」
自惚れではなく、本来彼女が最優先に追いかけるのは私だと思うのに、彼女の様子を見ているとあの子…名前に一番執心しているようにみえて、私は日々警戒するばかりでした。
あの子はリリスさんに迫られたら容易く落ちることでしょう。
あの子が軽薄という話ではなく、リリスさんがそれだけ美しく魅了的な女性であり、誘惑のプロだという話です。
私はそういうのをいなすことくらい出来るけど、あの子にそれが出来るとは思わない。
リリスさんは私のそういう焦燥や苛立ち、警戒も牽制も何もかも気が付いていながら、私の前に立ちはだかるのです。
「ウソよ、半分冗談」
半分は本気なんでしょう、という言葉は飲み込みます。言わぬが華というより、言わなくてもわかっていることでした。
本気でほしがることはしなくても、もし手に入るならばぜひとも欲しいと思っている。
あの子が神に見初められやすい体質なんだとは分かっていたことでしたけど、最近ではもしかしたら「強い力を持つ存在」に見初められやすいのかもしれないと、考えを改めました。
一番はやはり神相手。例外なく好意的に接してもらっている。
リリスさんのように食いついてくる悪魔もいれば、彼女の夫であるベルゼブブさんのように無関心なものもいました。
ではサタン様が会ったらどうなるだろう?という興味はわくけど、軽々しく実験は出来ない。
サタン様の力が強いのは事実です。そんな彼にうっかり見初められてしまったらややこしいことになるに違いないのですから。
まるでそういう私の思考を読んだかのようなタイミングでリリスさんは言います。
「でも、きっとサタン様も気に入るわ。連れて帰りたい」
「………あの子の容姿は、あの方好みではないと思いますけど」
「あら、とてもかわいい顔をしてると思うわ」
そういうのは贔屓目というんです、という軽い応酬も出来ない。
美少女マニアのサタン様は日々城で働いてくれる自分好みのメイドを集めている。
引き抜きなんてされたらたまりません。
あの子が可もなく不可もなくな姿形をしているのは明らかで、心底可愛いと思うことがあればそれは親馬鹿、身内の欲目。
けれどサタン様があの子の体質があるが故に惹かれてしまえば──
「冗談よ。人妻を無理に引き抜きなんてサタン様だってしないわ」
「……人妻」
思わずオウムのように同じ単語を繰り返す。
色々言われてきたけど、そんなような言葉を使われるのは流石に初めてのことでした。
その様子を見て、あれ?っと首を傾げながらリリスさんは問う。
「まだ結婚はしていなかったんだっけ。でも付き合ってはいるんでしょう?」
「…まぁ」
形だけですが、そういうことになります。それに頷くと、よく分からないというような、腑に落ちなさそうな顔をしていた。
「なぜ結婚しないの?結局それが一番でしょう」
「まぁ、指輪でもはめていれば、何をせずとも察していただけるでしょうね」
牽制だとか警戒だとかしなくても、そういう面は気にしなくてもよくなる。
横恋慕が趣味なヒト相手でなければ、神だろうが鬼だろうが身を引いていただけることでしょう。
しかし付き合ってるからと言って、すぐに結婚という発想に飛ぶのはどうなんでしょうか。
スピード結婚、0日婚なんてのもザラにある世の中ですけど、あの子とスピード電撃結婚なんてあり得ないし、そもそも夫婦になるということ自体が違和感なのです。
…そもそもの話です。それのなにが問題で何が嫌かと言えば。
「例え結婚しろと要求しても、最終的にいいよと言って済ませてしまうんでしょうね」
私は内容がなんであれ、あの子に何かを要求することに抵抗感を覚えるようになっていました。
それは何か一つ大きなきっかけがあった訳ではなく、長い時を過ごしている間に徐々にあの子の悪癖に気が付いたからでした。
器が広いといえば聞こえがいいけれど、あの子は大抵のことは嫌な顔せず、受け入れるか流すかします。博愛主義ともまた違った平等さを持っていました。
主体性がないのでもなく、自己主張がないのでもなく、おそらくはただのマイペース。
しかし、私のことをどこまでも慮ろうとしました。
この間からのゴタゴタでも、なんだかんだ結局流されていたのがいい例でした。
勿論それは無理だと拒否することもあるし、露骨に嫌な顔をすることもある。
けれどあの子の琴線に触れない限り、あの子が"生きて行く"ための妨げにならない範囲ならどこまでも。徹底されすぎているソレは不自然でした。
長所ではなく短所に見えました。
愚直な愚かさにも見える、けれど包容する慈愛のようでもある。
──私はそれが嫌いでした。それは私が望んだ形ではないのです。
「さすがにあの子も二つ返事で頷かないんじゃないかしら」
「どうでしょうね。…まぁでも、私がそれを望むならと最終的に折れるんでしょう」
「やっぱり手に入るならそれでいいじゃない」
「……望ませたいんですよ」
「まあ、我儘。そこまでして条件をつけたいの」
一刻の猶予もないのなら、確かに条件をつける余裕などなかったことでしょう。
しかし私はあの子と「約束」を交わして縛り付け、頷かせてから、いくらか余裕が出てきたようでした。
──手に入ったら入ったで今まで以上を望むようになる。
そういう知性ある者の厄介な性を知っていましたし、欲に果てなどないのだと身をもって知ったばかりでした。
だから私は高望みをしています。理想を高く持っています。
苦労の果てに望みが叶った途端、もっと上を見あげ出すのです。
私はようやく、傍で留まらせられる"約束"を作れたというだけでした。
未だにあの子と私は強固な情で結びつけられてなどいません。いわばこんなもの、ただの仮留めだ。
「…あの子の琴線はどこでしょうね」
ないと思っていた琴線があった。そこに触れると泣いて怒って、あの子にしては珍しい姿をみせた。それを探すのにも骨が折れた。はたしてこれ以上を探し出そうとして見つかるのでしょうか。
「あの子もかわいそうね」
私の移ろいを眺めて楽しんでいたリリスさんが、ふと気が付いたように言いました。
「かわいそう、とは?」
「アタシとか、鬼灯様に変に絡まれて。きっと他にもそんなヒトたちはいるだろうし、これからもこんなこと沢山あるわ」
「ああ、そのことでしたか」
自分自身があの子に妙な執着をしているという自覚はありますし、今までもこれからもそういう妙な道を歩んでいくのだろうと察しています。
そして私は今度こそ、もう二度と他のモノに"絡まれ"ないように、一切合財を阻んでいくのだと決めている。
あの子が魅入られないように、逆に魅入らせないように。掠め取られるのも縛られるのも金輪際御免です。冗談ではない。
重くても変質的でもなんと仰っていただいても結構。…まぁ、でも。
「あの子も心中は拒否するでしょうけど」
最終的には折れてくれそうだと話した所で手のひら返すのも何ですけど、あの子だって…いやあの子だからこそ、死にましょうと言って頷く訳がない。
例え話でも心中を持ち出してくる男なんて重たいわねと、リリスさんはくすくすと上品に笑っていました。
それを例え話に出来る私もそうなんでしょうけど、笑い話に出来るリリスさんも大概な人です。
──私があの子と約束を交わしてから数ヵ月が経っていました。
あの子は今も変わらず傍で生きている。お付き合いをしているという事実も、形だけは残っている。
一見変わらないようで、昔とは少し違う距離感で、違う意識を持って隣にいるようになりました。
──それでも、私がそれで満足することはありませんでした。
ほしいと言う言葉をあいしていると置き換える。不思議なことに違和感はない。
私はあの子を愛している。愛しているのなら…
あの子にもこちらを心から愛してもらえるよう、口説き落とす他ないのです。
所謂相思相愛の状態。そうすればやっと願った通りの形で結び付けられることでしょう。当然のように傍に置き続ける事が出来る。願ったり叶ったりです。
出会い、紆余曲折あり、悩み頭を捻り、微妙なところに落ち着いた。
ほしいと執着してきたのは何千年も変わらず。今度はアプローチの方法と執着の質が変わっただけ。
幸い気は長い方です。私が特別そうという性質だという訳ではないのですけど。
あの世に暮らすものたちは、人間に比べれば物事を長い目で見ることも、一つの事に長期的に携わることにも長けていました。
──今まで辿ってきた道を考えれば、口説き落とすなんて、容易いことではないと覚悟の上のことでした。どんな苦労があっても後悔することはないだろうと確信を持っている。
それでも、予想も裏切られるもので。私もあの子も誰も彼も、想像以上の骨を折らされ、翻弄されることを余儀なくされたのでした。
1.言葉─口説き落す
「約束をしてほしい訳ではないのです」
言うと、目の前でそれを聞いていた女性がおかしそうに笑いました。
だらしなくないように、上品に頬杖をついてこちらを見あげている。
それは愛しい男を見る目というより、仕方のないなと笑って相手を許容する、寛容な女性の目でした。
この女性がソレを湛えるのは珍しい。だからこそ私は眉根を寄せました。
「じゃあ何がお望みなのかしら」
「私の望んだものが、望んだ通りの形のままほしい」
手段を選ばないで目的を達成するというのも一理ある。一見荒々しいそれが正解な場合もある。
けれど私は慎重に手段を選んでいた。選り好みをして、どこまでも正確な形で自分の欲求を満たそうと画策していた。
「…あなたならどうしますか」
「あたし?そうねえ」
目の前の金の髪が美しい女性は、唇に指をトンと置いたあと、少し考えてから言います。
「籠絡させるわ。それだけよ」
「…相変わらず思いきりがいいですね」
「そう?ほしいものを欲しいというだけなのに、手段なんて選ばないわ。条件なんてつけない。だって手に入るなら…愛し合えるならそれでいいでしょう?」
それ以外に何があるのかと微笑む彼女の本分は男を誘惑することで、抗えない本能のようなものでした。
ブレない一つの軸が彼女の根にはある。
むろん私の性別も男ですから、お誘いを受けることも多々あります。
魅力的な女性にしなだれかかられて、満更でもないのは確かでした。
けれど火遊びをするつもりは毛頭ないし、彼女の誘惑を流されるままに放置しておく訳にもいかない理由ができた。
本来男性にしか向かないはずの彼女の愛が、女性に向くという前代未聞の事態に陥っている。
ほんの僅かな、愛にも満たないただの情でしかありませんでしたが、彼女と言う悪魔が例外を作ったという事実こそが問題なのです。
──彼女が作った例外。愛情とも呼べない特別なその心は、身近な存在に向けられる。
それはまるでいつかの自分の、名前のつかない"執着"のようでした。
「…ねえそうでしょう?ほしいものが手に入ったらとても嬉しいでしょう?あの子があたしに夢中になってくれるならそれでいい」
彼女はずいっと身を乗り出して、私の顔を覗きこみました。妖艶な目が、私の目を捉えます。おそらく酷く冷たい色を浮かべているだろうに、動じる様子はありません。
「…もちろん鬼灯様にだって」
自惚れではなく、本来彼女が最優先に追いかけるのは私だと思うのに、彼女の様子を見ているとあの子…名前に一番執心しているようにみえて、私は日々警戒するばかりでした。
あの子はリリスさんに迫られたら容易く落ちることでしょう。
あの子が軽薄という話ではなく、リリスさんがそれだけ美しく魅了的な女性であり、誘惑のプロだという話です。
私はそういうのをいなすことくらい出来るけど、あの子にそれが出来るとは思わない。
リリスさんは私のそういう焦燥や苛立ち、警戒も牽制も何もかも気が付いていながら、私の前に立ちはだかるのです。
「ウソよ、半分冗談」
半分は本気なんでしょう、という言葉は飲み込みます。言わぬが華というより、言わなくてもわかっていることでした。
本気でほしがることはしなくても、もし手に入るならばぜひとも欲しいと思っている。
あの子が神に見初められやすい体質なんだとは分かっていたことでしたけど、最近ではもしかしたら「強い力を持つ存在」に見初められやすいのかもしれないと、考えを改めました。
一番はやはり神相手。例外なく好意的に接してもらっている。
リリスさんのように食いついてくる悪魔もいれば、彼女の夫であるベルゼブブさんのように無関心なものもいました。
ではサタン様が会ったらどうなるだろう?という興味はわくけど、軽々しく実験は出来ない。
サタン様の力が強いのは事実です。そんな彼にうっかり見初められてしまったらややこしいことになるに違いないのですから。
まるでそういう私の思考を読んだかのようなタイミングでリリスさんは言います。
「でも、きっとサタン様も気に入るわ。連れて帰りたい」
「………あの子の容姿は、あの方好みではないと思いますけど」
「あら、とてもかわいい顔をしてると思うわ」
そういうのは贔屓目というんです、という軽い応酬も出来ない。
美少女マニアのサタン様は日々城で働いてくれる自分好みのメイドを集めている。
引き抜きなんてされたらたまりません。
あの子が可もなく不可もなくな姿形をしているのは明らかで、心底可愛いと思うことがあればそれは親馬鹿、身内の欲目。
けれどサタン様があの子の体質があるが故に惹かれてしまえば──
「冗談よ。人妻を無理に引き抜きなんてサタン様だってしないわ」
「……人妻」
思わずオウムのように同じ単語を繰り返す。
色々言われてきたけど、そんなような言葉を使われるのは流石に初めてのことでした。
その様子を見て、あれ?っと首を傾げながらリリスさんは問う。
「まだ結婚はしていなかったんだっけ。でも付き合ってはいるんでしょう?」
「…まぁ」
形だけですが、そういうことになります。それに頷くと、よく分からないというような、腑に落ちなさそうな顔をしていた。
「なぜ結婚しないの?結局それが一番でしょう」
「まぁ、指輪でもはめていれば、何をせずとも察していただけるでしょうね」
牽制だとか警戒だとかしなくても、そういう面は気にしなくてもよくなる。
横恋慕が趣味なヒト相手でなければ、神だろうが鬼だろうが身を引いていただけることでしょう。
しかし付き合ってるからと言って、すぐに結婚という発想に飛ぶのはどうなんでしょうか。
スピード結婚、0日婚なんてのもザラにある世の中ですけど、あの子とスピード電撃結婚なんてあり得ないし、そもそも夫婦になるということ自体が違和感なのです。
…そもそもの話です。それのなにが問題で何が嫌かと言えば。
「例え結婚しろと要求しても、最終的にいいよと言って済ませてしまうんでしょうね」
私は内容がなんであれ、あの子に何かを要求することに抵抗感を覚えるようになっていました。
それは何か一つ大きなきっかけがあった訳ではなく、長い時を過ごしている間に徐々にあの子の悪癖に気が付いたからでした。
器が広いといえば聞こえがいいけれど、あの子は大抵のことは嫌な顔せず、受け入れるか流すかします。博愛主義ともまた違った平等さを持っていました。
主体性がないのでもなく、自己主張がないのでもなく、おそらくはただのマイペース。
しかし、私のことをどこまでも慮ろうとしました。
この間からのゴタゴタでも、なんだかんだ結局流されていたのがいい例でした。
勿論それは無理だと拒否することもあるし、露骨に嫌な顔をすることもある。
けれどあの子の琴線に触れない限り、あの子が"生きて行く"ための妨げにならない範囲ならどこまでも。徹底されすぎているソレは不自然でした。
長所ではなく短所に見えました。
愚直な愚かさにも見える、けれど包容する慈愛のようでもある。
──私はそれが嫌いでした。それは私が望んだ形ではないのです。
「さすがにあの子も二つ返事で頷かないんじゃないかしら」
「どうでしょうね。…まぁでも、私がそれを望むならと最終的に折れるんでしょう」
「やっぱり手に入るならそれでいいじゃない」
「……望ませたいんですよ」
「まあ、我儘。そこまでして条件をつけたいの」
一刻の猶予もないのなら、確かに条件をつける余裕などなかったことでしょう。
しかし私はあの子と「約束」を交わして縛り付け、頷かせてから、いくらか余裕が出てきたようでした。
──手に入ったら入ったで今まで以上を望むようになる。
そういう知性ある者の厄介な性を知っていましたし、欲に果てなどないのだと身をもって知ったばかりでした。
だから私は高望みをしています。理想を高く持っています。
苦労の果てに望みが叶った途端、もっと上を見あげ出すのです。
私はようやく、傍で留まらせられる"約束"を作れたというだけでした。
未だにあの子と私は強固な情で結びつけられてなどいません。いわばこんなもの、ただの仮留めだ。
「…あの子の琴線はどこでしょうね」
ないと思っていた琴線があった。そこに触れると泣いて怒って、あの子にしては珍しい姿をみせた。それを探すのにも骨が折れた。はたしてこれ以上を探し出そうとして見つかるのでしょうか。
「あの子もかわいそうね」
私の移ろいを眺めて楽しんでいたリリスさんが、ふと気が付いたように言いました。
「かわいそう、とは?」
「アタシとか、鬼灯様に変に絡まれて。きっと他にもそんなヒトたちはいるだろうし、これからもこんなこと沢山あるわ」
「ああ、そのことでしたか」
自分自身があの子に妙な執着をしているという自覚はありますし、今までもこれからもそういう妙な道を歩んでいくのだろうと察しています。
そして私は今度こそ、もう二度と他のモノに"絡まれ"ないように、一切合財を阻んでいくのだと決めている。
あの子が魅入られないように、逆に魅入らせないように。掠め取られるのも縛られるのも金輪際御免です。冗談ではない。
重くても変質的でもなんと仰っていただいても結構。…まぁ、でも。
「あの子も心中は拒否するでしょうけど」
最終的には折れてくれそうだと話した所で手のひら返すのも何ですけど、あの子だって…いやあの子だからこそ、死にましょうと言って頷く訳がない。
例え話でも心中を持ち出してくる男なんて重たいわねと、リリスさんはくすくすと上品に笑っていました。
それを例え話に出来る私もそうなんでしょうけど、笑い話に出来るリリスさんも大概な人です。
──私があの子と約束を交わしてから数ヵ月が経っていました。
あの子は今も変わらず傍で生きている。お付き合いをしているという事実も、形だけは残っている。
一見変わらないようで、昔とは少し違う距離感で、違う意識を持って隣にいるようになりました。
──それでも、私がそれで満足することはありませんでした。
ほしいと言う言葉をあいしていると置き換える。不思議なことに違和感はない。
私はあの子を愛している。愛しているのなら…
あの子にもこちらを心から愛してもらえるよう、口説き落とす他ないのです。
所謂相思相愛の状態。そうすればやっと願った通りの形で結び付けられることでしょう。当然のように傍に置き続ける事が出来る。願ったり叶ったりです。
出会い、紆余曲折あり、悩み頭を捻り、微妙なところに落ち着いた。
ほしいと執着してきたのは何千年も変わらず。今度はアプローチの方法と執着の質が変わっただけ。
幸い気は長い方です。私が特別そうという性質だという訳ではないのですけど。
あの世に暮らすものたちは、人間に比べれば物事を長い目で見ることも、一つの事に長期的に携わることにも長けていました。
──今まで辿ってきた道を考えれば、口説き落とすなんて、容易いことではないと覚悟の上のことでした。どんな苦労があっても後悔することはないだろうと確信を持っている。
それでも、予想も裏切られるもので。私もあの子も誰も彼も、想像以上の骨を折らされ、翻弄されることを余儀なくされたのでした。