第十五話
1.言葉公認
閻魔様のサボり癖が出た時、それを窘めるのは部下である鬼灯くんの役目だ。
そう言えば聞こえはいいけど、暴力による制裁・戒めみたいなものだった。
とってもアグレッシブだ。粛々と従う部下の鏡とはいえなくて、最初の頃こそ私は雷が落とされるのではないかと怯えていたけれど、いやこれはこれで一つの形なのかもしれないと思うようになっていた。
それとも閻魔大王の懐が広いと言った方がいいのだろうか。
ただ閻魔様もさすがに黙ってはいられないようで、毎度悲鳴にも近い怒声をあげていた。今回は「どうしてそんなに君は荒々しいの!?」と鼻血を出しながら、痛む腹を押さえながら叫んだ。


「こんなんいくらワシだってしんじゃうからね!?」

あちらこちらに打撲を受けたらしく、痛みがいつもより段違いらしい。
あの世の住民…閻魔大王ともあろう人が、まるで私のようなおかしな事を口走っていた。
じくじくと痛む腹と頭を両手を使って抑えながら、早く所帯でももって丸くなってよお!と何度目かも分からない嘆きを叫んだ。
鬼灯くん傍に佇み、冷えた目で閻魔大王を見つめていた。

たまたまその場に居合わせ目撃者となってしまった私は遠い目をしてしまった。
鬼灯くんが過激な行動を取るのを見るのは初めてではない。
閻魔様も寛容すぎるくらい寛容なヒトで、ここまで手ひどい扱いを受けても喚くだけで、お咎めはナシだと言う事は、閻魔庁の中では周知の事実だった。
だけど普通は超怒られるでしょう。左遷、島流し、牢屋行、折檻、色々思いついて動悸がしてくる。
堂々とした佇まいで金棒を手に握っている鬼灯くん。床に下ろしてガンと打ち鳴らしながら言った。


「堂々サボった上にパワハラセクハラの二重奏ってなんです。正当な制裁を加えたつもりですが」
「今とうとう制裁っていったきみ!?」


閻魔様はひええと青ざめ悲鳴を上げながら鬼灯くんの問題発言にツッコミを入れた。
それだけで済ませてしまうのだから閻魔様はやっぱり器が大きすぎる。
初めて出会った時から人好きのする笑顔を浮かべる人で、子供だった私達に穏やかに接してくれた。そういう柔らかな気質は今も変わらずだ。
閻魔大王と言えば、一度目の人生であの世について造詣が深くなかった私でも、恐ろしいという印象を抱くものだった。
けれど、蓋を開けてみればこれだ。公平な裁判を下す人が普段から怖い訳がないと、いつだかお香ちゃんが言っていたけど、まさにそんな感じ。
なので、さっきのはパワハラ・セクハラというより、ただの気のいいおじさんの冗談というか。
別段気にすることではないだろうけど、鬼灯くんこそ私情を挟まず公平に判断を下すヒトなので、悪意のない冗談だからと言って見過ごさないのだろう。


「早く所帯を持てと冷かしたり、最近どうなの?とかプライベートの詮索をしつこくしたり、一度ならともかく幾度も繰り返せばそれは嫌がらせや脅迫にも近いです」

立てた金棒の上に両手の平を重ねた鬼灯くんの立ち振る舞いは、まさに悪役さながら。こわい。
何やらピリピリしている様子。
悪意がなかったとして、受け取る方がどう感じるか?相手を慮る些事が必要なはずだと言動を咎めるのも一理ある。
鬼灯くんがそこまで不快に感じたのならパワハラセクハラの域に達しているのだと捉えてもまあ間違ってはいない。
そうは言っても、いつもならここまで烈火のごとく怒り出したりしないのに。
親戚のおじちゃんのような閻魔大王の気質を分かっているから、なんやかんや心から怒ったりしない。
だとしたら本当に今回のことは鬼灯くん的にそこまで気に障ることだったのか。
…いや多分それは違う。あまりにも同じようなことを言われる事が多かったから、閻魔様にまで同じ文句で再三冷かされてブチリと何かが切れたのかもしれない。
鼻にティッシュを詰めた閻魔大王に、鬼灯くんは厳しく告げた。


「結婚は墓場です。神聖でありながら呪の面を持った契約です。」
「所帯持って孫もいて毎日幸せにやってるワシにそれ言う!?」

確かに言うセリフではないだろう。いや所帯を持っている誰にも言うべきではないし、未婚の者の夢を壊す言葉だと思う。
閻魔様の悲鳴が響き渡り、それは私が立っている離れた所にまで届いていた。
私達が今いる法廷は広い。それなのに端から端まで響き渡っているのだから、当然私だけでなく沢山の獄卒の注意を引いていた。
私の右隣には、同じようにして遠巻きに彼らのやり取りを見ていた金髪の女性がいる。


「鬼灯様って過去に何かあったの?恨みでもあるのかしら」
「いや、ないんじゃないかと思いますけど…」

私の右腕に自身の両腕を絡めている女性…リリスさんは不思議そうに首を傾げていた。
私もさあ…と首を捻りながら遠くを見つめる。
トラウマを作っていたとしてもそれは私が与り知れない領分だ。鬼灯くんの女性遍なんて知らない。
結婚してない事は確かだけど、恋人がいようといなかろうと、水面下でどこかの女性と婚約解消していようと、私が知るはずもなかった。
険悪な空気に構うことなく、ぐいっと私の腕を引いて、リリスさんはカツカツとヒールを鳴らしながら二人に近づき茶々を入れ出した。


「鬼灯様。結婚って悪くないわよ」
「あなた方の結婚はまた特殊だと思いますよ」

EU地獄の奥方、リリスさんは今日も今日とて気まぐれだ。
鬼灯くんは突然姿を現し、自由な合いの手をいれてきたリリスさんを見ても動じなかった。
閻魔大王はリリスさんの言葉にうんうんと大きく首を振っている。
元からたまにやって来る人だったけど、私と交流を持つようになってからその頻度が格段に増えたと聞いた。
沈黙が金だと思って無言を貫いていたこちらの方を振り返って、リリスさんは視線で私に同意を求める。
私は引きつったぎこちのない笑顔で首を横に振った。「ねえ?」と話を振られても、未婚なので私に善し悪しは分からないです。


「特殊でもなんでもアタシは毎日幸せよ?」
「まぁ、本人が良ければそれでいいんでしょうね」

目を細めて鬼灯くんが思い浮かべているのはリリスさんではなく、ベルゼブブさんの方だろう。私も今の話を聞いて脳裏を過るのは彼の姿だった。
幸せそうで大変結構だ。皮肉ではなく、いいと思えるならそれが一番なことだ。…多分。


「鬼灯様だっていつか結婚するでしょう?どうしてそんなに懐疑的なのかしら」
「うんうん、もっと言ってやってほしいよ」


閻魔様は再びリリスさんの言葉に深く同調している。閻魔大王が同じ事を言っても鬼灯くんはまともに聞かないだろう。
けれどリリスさんが言うことであるならば乱暴に聞き流す事も出来ない。
面倒くさそうな顔は隠さず、鬼灯くんは流さず真っ向から反論した。

「独身貴族を楽しむ人なんていくらだっています。行き着くところが必ずそこだなんて偏見だと思いますよ」

それもまた一理あると思う。結局私はどれにも頷く事ができてない。中立のまま、にこりと曖昧に笑い佇むのみだった。
リリスさんはきょとんとしながら私の腕をぐいっと引き、前の方に立たせると、ぴっと指を指した。


「あら。だって鬼灯様とは付き合っているんでしょう?可愛らしいあなた達ならたどり着く所はそこでしょう。結婚はいつになるのかしら」

シン…と法廷中が静まり返ったのが分かった。
鬼灯くんと閻魔大王だけでなく、聞き耳を立てながら各々業務に当たっていた獄卒たちもぴたりと口を閉ざしたのだ。
鬼灯くんの方をちらりと見ると、般若のような形相をしていた。とても絶世の美女に対してするような顔ではない。
リリスさんにどれだけ振り回されようと、受け流すという術を知っている鬼灯くんは、大抵平静を崩されることはなく、ある意味珍しい光景だった。
私はにっこりと明るい笑みを保ちながらも、心は嫌に静かだった。もうどうにでもなれと諦観の構えでいたのだ。
この後この場で聞いていた者たちがどんな反応するかなんて予想がつく。


「えー!!?いやいや嘘でしょ!?ワシそんなん聞いてない!!」
「そりゃ言ってませんから」
「そりゃそうだろうね!!?」

まず響いたのは閻魔様の大絶叫。そして居合わせた獄卒たちがざわめき出した。
今から彼らの口から口へとどんどん伝わって行き、最終的に変に曲解される定めの伝言ゲームが始まるだろう。
付き合っている云々は事実だけど…なんていうかアレだな、もう自然消滅みたいな感じになってるのに。
たまに思い出したように会話の中で引き合いに出されるだけで、お互いの間にある情も距離感も何も変わらない。
そういうことを説明した所で藪蛇というか、火に油を注ぐだけの結果に終わるだろうことを分かってる。

ざわめく法廷から抜け出そうと、鬼灯くんは手招きを一つして歩き出した。
鬼灯くんと閻魔様、私とリリスさんで法廷の外へと連れ立って歩きながら、リリスさんに問いかける。私は覇気のない声で、鬼灯くんは低く。

「なんであえてあの場で言っちゃったんですか…」
「…あえて言ったんでしょう」
「ふふ、ごめんなさいね。楽しそうだったからつい」


やはり確信犯だったらしい。上目遣いで艶やかな唇を引き上げて、髪をさらりと落としながら猫のように首を傾ける。
そんな仕草で言われたら許してしまいたくなる、男心を分かっての一挙一動だ。
何の間違いが起きているのか誘惑されかかってるのは女である私も一緒で、効果は抜群だった。さっと目を逸らして影響受けないようにしておく。
決して幻術のようなもので洗脳されている訳ではないのだけど、百戦錬磨の彼女は人心掌握に長けてるというか…相手の恋心を掴む術を熟知しているようだ。
その一連の流れを見て、閻魔様はひっと息を呑み慄き、鬼灯くんは眉を顰めた。


「鬼灯さま、そんなに睨まないで」
「睨んでなんていませんよ」


リリスさんはそんな風に言いつつも、私に絡めた腕は離さない。
法廷の外へと潜り出て、ざわめきが小さくなってきた頃、応酬を見ていた閻魔大王がついに思いの丈を噴火させた。

「鬼灯くんいつの間三角関係なんて作ってたの?そういう風を呼びこんでほしいとは常々思ってたけど、ワシこんな風になってほしかったんじゃないよ!」
「…あれ、リリスさん既婚女性なので、それじゃ四角関係になりませんか?」
「もおお勘弁してよぉ!最早救いようのない泥沼じゃない!」
「あることないこと口にしないでください。慎め。あとあなたは自分で傷口広げてどうするんだ」


じろりと今度は私が睨まれた。ざわめいていた獄卒は忙しない法廷の中だけでなく、少数ではあったけど廊下にも居た。
ただでさえ付き合ってる付き合ってないでざわざわしていたのに、そのざわめきの中に「四角だってよ!」と新たな飛び火をしたのが聞えてきた。


「もう一角でも二角でも百角でも一緒じゃないかしら」
「さすがにその域までは行きたくありませんね」
「ある程度の域までならまぁ一度試してみる価値あるかなーみたいな含みある言い方も危ないからねきみ」

閻魔大王ががっくりしていた。篁さんも現代であればギリギリの際どい事を言ってしまう人だったけど、鬼灯くんもだったらしい。
リリスさんは四角も百角も失言も何もお構いなしで、終始楽しそうににこにとしていた。



──そして思った通り、あれから数週間が経ち。変に伝言ゲーム的に噂が拡散され曲解された結果、ゴシップ誌にとんでもない見出しが掲載されてしまったようだ。
獄卒たちは意図せずに真実を捻じ曲げ、雑誌的には意図的に面白く曲解させているんだろうけど。


「…七角関係で落ちついてる……」

女を弄ぶ裏の顔というよくある謳い文句で始まっていた。
鬼灯くんも私もお互い残業で遅くまで居残っていて、深夜の閻魔殿の休憩室でばったりと遭遇した。
椅子の上に誰かが忘れて行ったらしい雑誌が放置されていて、ちょうどそれに掲載されていたのだ。
座りながらペラペラとめくって眺めてみるけど、真面目にスクープする気あるのかわからない内容だった。
百角まではやらなくても、七角の時点で記者も相当楽しんでる気がする。
裏の顔も何も、ある意味全然表裏のないタイプだ。プライベートが謎めいてるのはわかる。何考えてるのかわかんない時もある。
けれどその人間(鬼)性というか、言動にブレはない。見たまま聞いたままの性格をしていると思う。不倫とか女を弄ぶとか一番しそうにないタイプ。
鬼灯くんも普段やってる事、見聞きしている事が事なので、欲望のままに道を踏みはずすことの馬鹿馬鹿しさと被る不利益を分かってるのだ。
地獄に落とされるに値することをやれば本末転倒、変に理性的なこの子に限って、少なくとも女性関係で問題は起こさない事だろう。

「小判さんではないでしょうね。じゃあもしかしてアレか」

同じように椅子に腰かけて腕を組んでいる鬼灯くん。思い当たる節はあるらしく、目が怖いことになってる。敵が多くて大変だなあと他人事のように胸中でぼやきながら、雑誌をぺらぺらと捲りつづける。七角のページはすぐに見終えてしまったので、手持無沙汰で全部熟読してしまった。


「…本当に面倒臭い」
「でも乗っちゃったらどうしようもないしねー」
「きっとこれからこんなことばっかりです。何をしたってバッシング、炎上、あることないこと。人の噂もなんとか日程度じゃすまないでしょうね。あの世は気が長いから」
「…わー…ずっと七角の人とか言われるのー…それやだなあ…」

人の関心が向かうのは一時のことで、ほとんど一過性で終わるけど、あの世の住人たちは忘れずににいつまでも憶えている。囁き続ける時間は長いだろうと目に見えた。
大昔、私達がまだ教え処に通っていたくらいの頃。ご近所さん夫婦の不倫の話がとんでもなく長い間囁かれ続けて辟易したことを覚えている。
楽しい話ではないからいつまでも聞くのは苦痛だったのと、人間的な物差しで測れば永遠にも似たような時間井戸端会議が続けられたからだった。


「他人事みたいなこと言ってますけど、コレあなたのこと書かれてるんですからね」

鬼灯くんは私の手から雑誌をすくい取り、自分の膝の上に乗せる。
開き目がついてしまったページを広げて、一指し指の腹をトンと置いた。

「え、わかってるけど」
「わかってない」
「わかってるってば…別に傷つかないよ」
「そういう問題じゃない」

鬼灯くんだって傷つくとか腹が立つとか単純な感情だけで言ってるんじゃなくて、追われる対応、食われる時間、不利益な全てを含めて苛立っているんだろう。それも分かっていた。
私が的外れな反応をするせいで更に気分を悪くしてしまったらしい鬼灯くんは、険しい声でぽつりとつぶやいた。

「…もういっそのこと入籍でもしてやりましょうか」
「付き合うの次は仮面夫婦?鬼灯くんは昼ドラ派…?」
「何言ってるかわかりませんけど…そうなれば一緒にいようがいまいが文句言うやつはいなくなるでしょう」
「物凄い荒々しい解決法だね。そうだけどそういう問題じゃないっていうか」
「じゃあどういう問題です」

聞かれてうっと言葉に詰まった。頭の中から説明のための言葉を一生懸命探す。
一瞬でも黙ると深夜の静寂が広がって気まずくなってしまう。どうにか慌てて目を逸らしながら紡ぎ出す。


「…私、鬼灯くんのこと好きじゃないし」
「…はい?」
「はい?じゃなくて…大好きでも夫婦になりたいと思うような好きじゃないから」
「まぁ、そうでしょうね」
「…その方が都合がいいから、悪いからとかでこういうことしたくないな。鬼灯くんのことが好きで、大切だから、こういう風に蔑にはしたくない」

静かに首を横に振りながら言うと、同じように静かにぽつりと返された。

「…都合がいいと言ってるのは私です。蔑にされたとは思わないし、思うとしたらあなたの方でしょう」
「なんで私?」
「こんな風に振り回されるのは不愉快でしょう。面倒も多い」
「…ううん…確かに面倒は面倒だけど…」


立場のある、よくも悪くも目立つ鬼灯くんの傍にいるのは、正直大変なことは多い。幼い頃でさえも…面倒と言えば面倒だった。主に鬼灯君に懸想する女の子関連のあれらが。
受け流す聞き流すをすれば済む話ならいいけど、とばっちりを受けて私が直接対応しなければならない事もある時はある。
けれど傍にいていいよって言われて、それだけで凄く嬉しかったし。

大昔から今までずっと支えてもらって、今度はほしかった言葉をもらえて。
…あれも凄い乱暴なやり口だったし、半ば脅迫に近かった気がするけど、それでも。

「いっぱい尽くしてもらったみたいに思ってるよ。蔑にされたって思ったこと一度もない」

心からそう思って、我ながら幸せそうな笑みを浮かべながら告げた。
すると、それとは対極に、鬼灯くんは凄く不機嫌そうに眉を顰め始めた。次第に憎悪のような激情を目に宿していく。
私の言葉が納得できないどころの話ではなく、心底癇に障ったようで、憎しみでいっぱいになったような目をしていた。


「うそつき」


と、短く突き放すように言って。


「いつか、何かを選びたくなる日が来る」
「…」
「消えないで過ごす、死なないで生きる以外にも…あなたは願望を抱く日が来るはずです」
「……、」
「無欲でなんていられるはずがないのに、いつまでも強情に一点張りだ」

それだけを思ってきた私にはとても想像がつかないことで。
まるで今感じていることが嘘で、薄っぺらいものだと言われたみたいで神経を逆なでされたような気持ちになっていた。


2019.2.20