第十四話
1.言葉─積み重ね
篁さんの応援効果の甲斐もあって、重たかった足を少し軽くしながら、鬼灯くんの部屋を訪ねていた。
前は気軽に訪ねていたこの部屋も、なんだか色んな事が重なって最近は歩が重たくなる。
鬼灯くんは今日早くに上がれたと聞いた。
多忙なことはいつものこと。けれど今の地獄は繁殖期でもないし、忙殺されていたというには軽かったはずだ。問題が起こって慌ただしく奔走している様子もなかった。
周囲の後押しがあったとの事だったけど、みんなが慌てて彼から仕事を取り上げようとする範疇ではなかったはずだけどと首を傾げる。
何にしても休めた所に申し訳ないけど。もし仮眠を取っていたとしても、幾分かスッキリした頃だろうと見計らっていた。
「開けるねー」とノックして声をかけ、返事も待たずに開けてから思ったけど、ここで恥らったりしないから駄目なんだろう。
鬼灯くんも鬼灯くんで隙がなくて、間違っても着替え途中だったりしないから何にも展開しないんだろうなぁと。
相手が半裸だった時、何をどう思うのが正解なんだろう。見惚れる?まさかそんなどうやって。照れる?いやそれより先にいつの間にか慣れてしまっていた。
いちいち反応していたら暮らしていけなかったし、家族全員裸族という環境で生きている人達もいるもこの世の中だ。
ときめきとはいったいなんなのか分からなくなってきた。
「…謝りにきました」
「…」
ドアを開けて閉めて、ここでもったいぶらず意味深にもせず、素直に用件を述べてしまうのも問題だと思った。
鬼灯くんはお風呂上りのようで、少し乱れた髪をそのままにしながら机に向かって読書していたようだ。
誠意を見せるために鬼灯くんの隣まで寄って、床に膝をついて正座をした。
けど、呆れたように「いやいらん」と言われて誠意はすぐに跳ね除けられ、諦めて正座を崩した。
自業自得で出鼻をくじかれたというか、手持無沙汰になって部屋を見渡すと、相変わらず雑多に物が積み上げられている風景が視界に広がった。
几帳面にコレクションとして小物が並べられたスペースと、まさに乱雑に積みましたと手に取るように分かる雑なスペースが混在していた。
けれど年季の入った埃なんかはどこにも積もっていないようで、彼の性格が垣間見えた。
「目悪くなるよ」
「手元はつけてます」
「寝る前ならその方がいいんだけど…」
大きい方は消して机周りだけを小さな明かりが照らしている。
就寝前の夜更けならまだしも、夕方のうちから何をしているんだろう。静かに過ごしたかったんだろうか。
部屋にもう一つあるイスを隣に持ってきて私も座り込む。身を乗り出して本を覗きこむと、難しい字がたくさん並んでるのが見えた。
専門用語の羅列。理解しようと思っても私には理解できそうもない代物だった。
「同じ所で同じ勉強してたのに、どうして私には読めないんだろうねえ」
「さあ。興味がないからじゃ」
「理解できたら楽しいだろうなーって思うよ」
「サディズムとマゾヒズムの語源について音読してさしあげましょうか」
「…それ座敷童ちゃんに読み聞かせてあげたって本?やだ…」
話していると、不思議と気まずさは少しも湧かなかった。
でも鬼灯くんの方はどうなんだろうとちらりと隣の彼の表情を伺ってみる。
「…」
するとまるで見計らったかのようなタイミングで珍しく名前を呼ばれて、びっくりしながらバッと顔をあげた。
あの子とかその子とかソレとか言われるばかりで、鬼灯くんは私の名前をあまり口にしない。
鬼灯くんの冷えた手が私の頬に伸びる。まるで"そういう"感じのシチュエーションだったけど、至近距離にある顔はなんだか不機嫌そうで、とてもコレが自発的に起こした行動だとは思えない。
私は色々と察して、少し呆れて目を細め、小さく溜息を零しながら言った。
「…また甲斐性がないって言われたの?だからってやらなくていいのに」
そんなのいいよと宥めるように、頬を覆う彼の手に己の手を重ねると、途端に少し強張ったのがわかる。
どうしたのかと問う暇もなく鬼灯くんは続けた。
「…それは言われましたけど」
「けど?」
「……触れてみようかと、思いました」
「…触れたくなった、じゃなくて?…それじゃなんだか実験してるみたいだね」
「…まぁ、そうなんでしょうね」
凄く嫌そうな顔をしながら、手が頬を滑った。こういう仕草さえも実験なんだろうなと心底呆れた。表情を繕う気は少しもないようだ。
私もまぁ頭ごなしに否定せず一応やってみよう…と甘受してみたけど、一切合財ドキドキしたりしない。
これが自発的なものだったならともかくとして、実験だと公言されてどうやったらときめけるだろう。
嫌そうな顔で撫でられる事を許容し続けていると、鬼灯くんがふと口を開いた。
「…本当に聞く気になったんですね」
「なにが?」
「傍で生きろと言ってあなたは頷いたけど、…あなたがさっき言ったみたいに、実験に付き合ってここまで寄り添うとするなんて、…あの時は思わなかった」
「…実験ってなあ…私が嘘つくと思ってたの?」
「そうではないですけど」
「じゃあなに…」
聞くと、淡々と問いに返す。
「責められても何されても、性懲りもない」
解答と言うにはズレていて回りくどいけど、単に酷く喧嘩しても懲りず寄ってくるなんてと不思議がってるだけなんだろうか。そうは言っても、一度や二度喧嘩したからと言って私が鬼灯くんに愛想を尽かすようなことはないだろう。鬼灯くんだって愛想は尽かさないでくれるはず。これは自惚れではないと思う。
喧嘩の後にあるのは、極端に言えば仲直りか決別かの二つに一つ。
口論になったからというだけで愛想を尽かすようなら、こんなに長く一緒にいなかっただろう。
今更感慨深そうにすることだろうかとこっちこそ不思議になって首を傾げた。
ひとしきりやって満足したのか、手は離れて本の上へと戻って行く。
今回のことはただの口論と言って済ませるには複雑で重たいことだけど、それでも歩み寄ろうとする事が…約束を守ろうとする事がそんなにおかしいだろうか。
「…約束を反故にさせる気はありませんでした」
「破るとは思ってないじゃなくて?私信用なかったんだ…悲しい…」
「あなたが半端に手の平返すような性格をしていると思ってないけど、まぁ信用はできてなかった」
「ええー…」
「でも言葉の上だけなら、あなたは傍で生きると確かに私と約束して、うんと頷いた。契約したようなものです。そういうことになってるんです」
「…そこまで重く考えればね…」
契約なんて言葉を持ち出されるほどのことだろうか。
けど信用は出来なかったと言う言葉を鑑みるに、その不信感は既に過去の事になっているのだろう。
伸ばされていた手が離れたのでなんとなく居住まいを正すと、座っている椅子が重みでギイと音を立てた。
鬼灯くんは机の上に設置された小さな棚に本を仕舞い込んでいる。
着物の袖が机に擦れて邪魔そうだったので、避けてやりながらその様子を見ていると、視線をこちらに寄越さないまま言葉だけを渡された。
「わざわざ耳を傾けようとして、律儀ですね」
けれど、その言葉はよく反芻して噛み砕こうとしても、理解出来そうもない物だった。
返答を私に求める事もなく、鬼灯くんはさほど間を開けずに続ける。
「私はあなたにして欲しい約束とか、もらいたい言葉とか、取ってほしい行動もあるけど」
「…えっうそ。なんか珍しいね。なに?」
「そんなこと正直に言うと思いますか?…まぁ、言わせるのがそれこそ男の甲斐性ってやつなんでしょうね」
まるで他人事のように言う鬼灯くんに呆れた。言われたからってアレコレやらなくてもいいし、言われたからってそんな風に納得しなくてもいいのに。
「……恐喝とかしないでね。怖いからやだよ」
「私をなんだと思ってるんですか」
不機嫌そうにしている鬼灯くんには悪いけど、それがちょっとおかしくてくすくす笑ってしまう。
生活態度の改変要求とか、そういうのはよくあることだったけど、個人的なお願い事をされたことはあんまりない。
だからちょっと嬉しかった。ようやく心底懐かれた気分だ。出会ったばかりの頃の距離感が懐かしい。何千年経って今やっと心開いてもらえた気がする。
そこまで考えてから、いや遅くない?と我に返り、自分で自分にツッコミを入れてしまった。
それで喜べる私も私だけど、ここまで時間がかかっても致し方ないと思わせる鬼灯くんも鬼灯くんだ。一筋縄じゃいかない子で済ませていいのだろうかこの子。
「だからそのついでに全部白状させます。いったん保留」
ゴトン、と押し込んだ本が壁にぶつかる音がした。
綺麗に上・中・下と順序通りに並べて満足そうにしている鬼灯くんの隣で、私は放心していた。
「…白状…ほりゅう…」
「先延ばしにされた方が案外苦しいですよね」
なんでもないように残酷な事を言われて、嬉しい気持ちも一瞬で霧になって消えていった。
白状させることと言ったら、間違いなく例のことだろう。それのついでにしちゃうの。
そのお願い事って微笑ましい物なんかじゃなくて、私にとっては恐ろしい罰みたいな類の物なんじゃないのと疑ってしまう。
けれどまあ、そんな風に疑心暗鬼になるという事は、自分にもそうされてもおかしく無いかもしれないという心当たりがある訳で。
ふらふらと子供のように足を持ち上げて下ろす運動をすると、鬼灯くんの足に踵が当たって、邪魔だと言わんばかりに押し返される。
「……いつも言えなくてごめんね」
「…言えないんじゃなくて、言いたくないんでしょう」
「えーと、どっちも」
お互い真剣なのか真剣でないのか。足元では攻防戦を繰り広げつつ会話する。謝る時はきちんと目を合わせたけど、最後は気まずくなって目を逸らしながら言った。
言えないことも言いたくないこともいくつもある。
微笑ましさも嬉しさもすっかり飛んで、今度は申し訳なくなってきて項垂れた。
肩も落ちて声も萎んで俯いて、無意識に全身で反省の姿勢に入り出したのが自分でも分かる。
鬼灯くんはそんな私をじっと見ると、淡々と問いを続けた。
「問い詰められて、罪悪感を抱いてますか。苦しいですか」
「…それ、聞いてどうするの?」
「参考までに」
「…なんか怖いから言いたくない…」
わざとこちらの反応を見て、嫌がる言葉を選んで激昂させた前科がある。
これは何かの罠か、また誘導されているのかもしれないと疑ってしまう。
私は椅子を引きずって、少し距離を取った。
私の猜疑に満ちた視線を受けても動じず、鬼灯くんは平然と机に肘を立て、頬杖を突きながら言った。
「私はそれなりにありますよ、罪悪感」
「…え、なにに対して…?問い詰めてること?」
「それは言いませんけど」
「………ほんと意地悪…」
言いたくないでも言えないでもなく、ただ言わないだけ。
これはただの意趣返しだと気が付く。
子供なのはどっちだろう。大人だったらここでやり返したりしない。これじゃもうお互い様だなと、自分にも鬼灯くんにも呆れて溜息が出た。
1.言葉─積み重ね
篁さんの応援効果の甲斐もあって、重たかった足を少し軽くしながら、鬼灯くんの部屋を訪ねていた。
前は気軽に訪ねていたこの部屋も、なんだか色んな事が重なって最近は歩が重たくなる。
鬼灯くんは今日早くに上がれたと聞いた。
多忙なことはいつものこと。けれど今の地獄は繁殖期でもないし、忙殺されていたというには軽かったはずだ。問題が起こって慌ただしく奔走している様子もなかった。
周囲の後押しがあったとの事だったけど、みんなが慌てて彼から仕事を取り上げようとする範疇ではなかったはずだけどと首を傾げる。
何にしても休めた所に申し訳ないけど。もし仮眠を取っていたとしても、幾分かスッキリした頃だろうと見計らっていた。
「開けるねー」とノックして声をかけ、返事も待たずに開けてから思ったけど、ここで恥らったりしないから駄目なんだろう。
鬼灯くんも鬼灯くんで隙がなくて、間違っても着替え途中だったりしないから何にも展開しないんだろうなぁと。
相手が半裸だった時、何をどう思うのが正解なんだろう。見惚れる?まさかそんなどうやって。照れる?いやそれより先にいつの間にか慣れてしまっていた。
いちいち反応していたら暮らしていけなかったし、家族全員裸族という環境で生きている人達もいるもこの世の中だ。
ときめきとはいったいなんなのか分からなくなってきた。
「…謝りにきました」
「…」
ドアを開けて閉めて、ここでもったいぶらず意味深にもせず、素直に用件を述べてしまうのも問題だと思った。
鬼灯くんはお風呂上りのようで、少し乱れた髪をそのままにしながら机に向かって読書していたようだ。
誠意を見せるために鬼灯くんの隣まで寄って、床に膝をついて正座をした。
けど、呆れたように「いやいらん」と言われて誠意はすぐに跳ね除けられ、諦めて正座を崩した。
自業自得で出鼻をくじかれたというか、手持無沙汰になって部屋を見渡すと、相変わらず雑多に物が積み上げられている風景が視界に広がった。
几帳面にコレクションとして小物が並べられたスペースと、まさに乱雑に積みましたと手に取るように分かる雑なスペースが混在していた。
けれど年季の入った埃なんかはどこにも積もっていないようで、彼の性格が垣間見えた。
「目悪くなるよ」
「手元はつけてます」
「寝る前ならその方がいいんだけど…」
大きい方は消して机周りだけを小さな明かりが照らしている。
就寝前の夜更けならまだしも、夕方のうちから何をしているんだろう。静かに過ごしたかったんだろうか。
部屋にもう一つあるイスを隣に持ってきて私も座り込む。身を乗り出して本を覗きこむと、難しい字がたくさん並んでるのが見えた。
専門用語の羅列。理解しようと思っても私には理解できそうもない代物だった。
「同じ所で同じ勉強してたのに、どうして私には読めないんだろうねえ」
「さあ。興味がないからじゃ」
「理解できたら楽しいだろうなーって思うよ」
「サディズムとマゾヒズムの語源について音読してさしあげましょうか」
「…それ座敷童ちゃんに読み聞かせてあげたって本?やだ…」
話していると、不思議と気まずさは少しも湧かなかった。
でも鬼灯くんの方はどうなんだろうとちらりと隣の彼の表情を伺ってみる。
「…」
するとまるで見計らったかのようなタイミングで珍しく名前を呼ばれて、びっくりしながらバッと顔をあげた。
あの子とかその子とかソレとか言われるばかりで、鬼灯くんは私の名前をあまり口にしない。
鬼灯くんの冷えた手が私の頬に伸びる。まるで"そういう"感じのシチュエーションだったけど、至近距離にある顔はなんだか不機嫌そうで、とてもコレが自発的に起こした行動だとは思えない。
私は色々と察して、少し呆れて目を細め、小さく溜息を零しながら言った。
「…また甲斐性がないって言われたの?だからってやらなくていいのに」
そんなのいいよと宥めるように、頬を覆う彼の手に己の手を重ねると、途端に少し強張ったのがわかる。
どうしたのかと問う暇もなく鬼灯くんは続けた。
「…それは言われましたけど」
「けど?」
「……触れてみようかと、思いました」
「…触れたくなった、じゃなくて?…それじゃなんだか実験してるみたいだね」
「…まぁ、そうなんでしょうね」
凄く嫌そうな顔をしながら、手が頬を滑った。こういう仕草さえも実験なんだろうなと心底呆れた。表情を繕う気は少しもないようだ。
私もまぁ頭ごなしに否定せず一応やってみよう…と甘受してみたけど、一切合財ドキドキしたりしない。
これが自発的なものだったならともかくとして、実験だと公言されてどうやったらときめけるだろう。
嫌そうな顔で撫でられる事を許容し続けていると、鬼灯くんがふと口を開いた。
「…本当に聞く気になったんですね」
「なにが?」
「傍で生きろと言ってあなたは頷いたけど、…あなたがさっき言ったみたいに、実験に付き合ってここまで寄り添うとするなんて、…あの時は思わなかった」
「…実験ってなあ…私が嘘つくと思ってたの?」
「そうではないですけど」
「じゃあなに…」
聞くと、淡々と問いに返す。
「責められても何されても、性懲りもない」
解答と言うにはズレていて回りくどいけど、単に酷く喧嘩しても懲りず寄ってくるなんてと不思議がってるだけなんだろうか。そうは言っても、一度や二度喧嘩したからと言って私が鬼灯くんに愛想を尽かすようなことはないだろう。鬼灯くんだって愛想は尽かさないでくれるはず。これは自惚れではないと思う。
喧嘩の後にあるのは、極端に言えば仲直りか決別かの二つに一つ。
口論になったからというだけで愛想を尽かすようなら、こんなに長く一緒にいなかっただろう。
今更感慨深そうにすることだろうかとこっちこそ不思議になって首を傾げた。
ひとしきりやって満足したのか、手は離れて本の上へと戻って行く。
今回のことはただの口論と言って済ませるには複雑で重たいことだけど、それでも歩み寄ろうとする事が…約束を守ろうとする事がそんなにおかしいだろうか。
「…約束を反故にさせる気はありませんでした」
「破るとは思ってないじゃなくて?私信用なかったんだ…悲しい…」
「あなたが半端に手の平返すような性格をしていると思ってないけど、まぁ信用はできてなかった」
「ええー…」
「でも言葉の上だけなら、あなたは傍で生きると確かに私と約束して、うんと頷いた。契約したようなものです。そういうことになってるんです」
「…そこまで重く考えればね…」
契約なんて言葉を持ち出されるほどのことだろうか。
けど信用は出来なかったと言う言葉を鑑みるに、その不信感は既に過去の事になっているのだろう。
伸ばされていた手が離れたのでなんとなく居住まいを正すと、座っている椅子が重みでギイと音を立てた。
鬼灯くんは机の上に設置された小さな棚に本を仕舞い込んでいる。
着物の袖が机に擦れて邪魔そうだったので、避けてやりながらその様子を見ていると、視線をこちらに寄越さないまま言葉だけを渡された。
「わざわざ耳を傾けようとして、律儀ですね」
けれど、その言葉はよく反芻して噛み砕こうとしても、理解出来そうもない物だった。
返答を私に求める事もなく、鬼灯くんはさほど間を開けずに続ける。
「私はあなたにして欲しい約束とか、もらいたい言葉とか、取ってほしい行動もあるけど」
「…えっうそ。なんか珍しいね。なに?」
「そんなこと正直に言うと思いますか?…まぁ、言わせるのがそれこそ男の甲斐性ってやつなんでしょうね」
まるで他人事のように言う鬼灯くんに呆れた。言われたからってアレコレやらなくてもいいし、言われたからってそんな風に納得しなくてもいいのに。
「……恐喝とかしないでね。怖いからやだよ」
「私をなんだと思ってるんですか」
不機嫌そうにしている鬼灯くんには悪いけど、それがちょっとおかしくてくすくす笑ってしまう。
生活態度の改変要求とか、そういうのはよくあることだったけど、個人的なお願い事をされたことはあんまりない。
だからちょっと嬉しかった。ようやく心底懐かれた気分だ。出会ったばかりの頃の距離感が懐かしい。何千年経って今やっと心開いてもらえた気がする。
そこまで考えてから、いや遅くない?と我に返り、自分で自分にツッコミを入れてしまった。
それで喜べる私も私だけど、ここまで時間がかかっても致し方ないと思わせる鬼灯くんも鬼灯くんだ。一筋縄じゃいかない子で済ませていいのだろうかこの子。
「だからそのついでに全部白状させます。いったん保留」
ゴトン、と押し込んだ本が壁にぶつかる音がした。
綺麗に上・中・下と順序通りに並べて満足そうにしている鬼灯くんの隣で、私は放心していた。
「…白状…ほりゅう…」
「先延ばしにされた方が案外苦しいですよね」
なんでもないように残酷な事を言われて、嬉しい気持ちも一瞬で霧になって消えていった。
白状させることと言ったら、間違いなく例のことだろう。それのついでにしちゃうの。
そのお願い事って微笑ましい物なんかじゃなくて、私にとっては恐ろしい罰みたいな類の物なんじゃないのと疑ってしまう。
けれどまあ、そんな風に疑心暗鬼になるという事は、自分にもそうされてもおかしく無いかもしれないという心当たりがある訳で。
ふらふらと子供のように足を持ち上げて下ろす運動をすると、鬼灯くんの足に踵が当たって、邪魔だと言わんばかりに押し返される。
「……いつも言えなくてごめんね」
「…言えないんじゃなくて、言いたくないんでしょう」
「えーと、どっちも」
お互い真剣なのか真剣でないのか。足元では攻防戦を繰り広げつつ会話する。謝る時はきちんと目を合わせたけど、最後は気まずくなって目を逸らしながら言った。
言えないことも言いたくないこともいくつもある。
微笑ましさも嬉しさもすっかり飛んで、今度は申し訳なくなってきて項垂れた。
肩も落ちて声も萎んで俯いて、無意識に全身で反省の姿勢に入り出したのが自分でも分かる。
鬼灯くんはそんな私をじっと見ると、淡々と問いを続けた。
「問い詰められて、罪悪感を抱いてますか。苦しいですか」
「…それ、聞いてどうするの?」
「参考までに」
「…なんか怖いから言いたくない…」
わざとこちらの反応を見て、嫌がる言葉を選んで激昂させた前科がある。
これは何かの罠か、また誘導されているのかもしれないと疑ってしまう。
私は椅子を引きずって、少し距離を取った。
私の猜疑に満ちた視線を受けても動じず、鬼灯くんは平然と机に肘を立て、頬杖を突きながら言った。
「私はそれなりにありますよ、罪悪感」
「…え、なにに対して…?問い詰めてること?」
「それは言いませんけど」
「………ほんと意地悪…」
言いたくないでも言えないでもなく、ただ言わないだけ。
これはただの意趣返しだと気が付く。
子供なのはどっちだろう。大人だったらここでやり返したりしない。これじゃもうお互い様だなと、自分にも鬼灯くんにも呆れて溜息が出た。