第十三話
1.言葉─険悪
傍で生きると約束しても、頷いても、結局何も変わり映えはしなかった。
付き合うと口約束をしてからもそうだ。
一緒にいる時間を意識して"増やした"。強いていうならそれだけだ。
自然と傍にいる状態が長年続いていた私達は、今まで通り特別な事はせず、のんびりするだけだった。
「鬼灯様は好い人はいないのですか?」
「仕事鬼すぎて全然そんな気配見せないんだよぉ」
と、閻魔大王が天国からやってきたお客人に向かってぼやいていたのを目撃した。
私達が付き合っていると公言したことは、リリスさんとベルゼブブさん以外には未だない。
徹夜が明けで機嫌最悪になっていた鬼灯くんは、そのぼやきを聞いて更に酷い形相になっていた。
そこで改めて、鬼灯くんが独り身だと未だに認識されているんだと知る。
実際所帯は持っていないし、それで正しい。
私は好い人という訳でもないんだろう。恋人同士でも、私達が恋愛関係に発展してるとは思えない。
今度こそただの理想でもなんでもなく、お互いを「家族」のように心から近しく思えるようになれたとか。
情の芽生えというよりも、心境に進展があったんだろうと捉えている。
だって私達の間に色恋の華やかさとか切なさってあるの?ない。絶対にないと思う。
何を持ってして華やかと定義するのかは分からないけど、少なくとも私が鬼灯くんにときめいた事は一度もないし、逆に相手だってそうだろう。
何が言いたいのかと言うと。
「…空気悪いな…」
「ウン…」
多くの家族がそうなように、多くの夫婦がそうなように、"近しいもの"同士は、喧嘩したってそう簡単には離れられないのだ。
同居していなければ距離を置けるのかもしれないけど…
私には親がいない。逃げる実家もない上に、職場が一緒なのでどっちにしろ逃れられなかった。
私と鬼灯くんが同じ空間にいると、なんとも言えない空気が漂う。
元々お互いが持っていた虫の居所の悪さ、纏っていた空気の悪さが、顔を合わせると顕著に表に出てきた。
周囲のひと達がそのおかげで居心地悪そうにしているのがわかる。
茄子くんと唐瓜くんがボソボソと囁き合っていたのを見かけて、職場恋愛のリスクってこういうことなんだぁと痛感するのだった。
「なんだか暗いですね。一体今度は何をしてしまったんですか?」
少し憂鬱な気分でとぼとぼ俯きがちに閻魔殿を歩いていると、背後から声をかけられた。
「あ…篁さん、でしたよね。お久しぶりですね。…今度は?」
「あぁほんとだ、結構久しぶりですね。話に聞いてると久しぶりな気がしないけどなぁ」
腕の中にあった書類を崩さないように抱え直しながら振り返ると、そこにはいつか秦広庁で行われていた会食の場にいた、秦広王補佐官の篁さんがいた。
アレ以来、遠目に姿をみかけたくらいで、改めて対面したことはなかった。
けれど相手は定期的に私の話をしていたらしい。
誰とそんな話をしているんだろうと疑問に思ったけど、もしかしたらただ噂話を聞いていただけなのかもしれないと思い至る。
閻魔大王の腹心の噂話というのはみんなにとってとても美味しいものなので、私のことも絡めて面白おかしく広く浅く回ってしまっていること知っている。
「また面白いことになってるんですか?」
「また…面白い…?」
「あっなんでもないです。ないない」
きょとんとして聞き返すと、ぶんぶんと手を振られた。うーん絶対なんでもなくはないんだろうなあ…。
前科なんてあったかなと振り返ってみる。色々失敗をしたことは星の数ほどあれど、
面白いと言われるような珍事件を起こしたことはないと思う。
噂の中での私は結構な事をやらかしているみたいだけど、実際の私は日々のんびり過ごしているだけだ。
ワクワクとした好奇心を隠さずに問いかけて来られたので、私は苦笑しながら話した。
面白いかは知らないけど…今何故私が肩を落としているのかって聞かれたら、こう現状を告白するしかない。
「鬼灯くん…鬼灯様に隠し事がバレちゃって」
「えっ隠し事?うわなんか思ったより大きいもめ事になってる?…というか、私しかいないので別に普段通りで」
篁さんは驚いたあと、少し苦笑しながら気を使ってくれた。顔に熱が集まるのがわかって頬を抑えた。
鬼灯くんがどれだけ立派になろうと、凄いということを知っていようと、恭しく接するという事がどうしても出来ない。
鬼灯という言葉の後についてくるのはもう君で決まっていて、それが一つの言葉として私の中で固まってしまっているようだ。補佐官様とか呼びかければいいのかな。それなら出来るけどなんか微妙だなあ。
篁さんの親切を頷いて受け取って、改めて話を切り出した。
「いや、あの、内緒の話がバレかけているというか…」
「…浮気バレで修羅場になってるとかじゃないですよね」
「修羅場というほどでも…というか、浮気する相手もいなければそれを咎める人もいません」
いやいやと否定すると、いやいやいやと食い気味に否定され返された。
付き合うなんて本当に形式的なもので、私が「好きな人ができた」と言ったら「はいそうですか」でお終いになる気がしてしまうんだけど。
傍にいるという約束をして、それを反故にするつもりはないけど、心までも拘束されている訳ではないのだ。そこの所どうなんだろう。
反対に私が同じことを鬼灯くんにされたとしても、「そうなんだね。お幸せに」と心から祝福してきっとお終いだ。
「いないのかもしれないけど、アレ、気にする人はいるんじゃないですか?」
「鬼灯くんのことですか」
「あ、わかってるんですね」
なんだ理解してるじゃないかという目で見られる。満更でもない関係なんだろうという冷かしたような声色だった。
満更でもないというか、一応お付き合いしている恋人だから…。そうでなくとももし好い人が出来たら、改めて報告をしに行くような身内なのだ。
「私も妻がいるから、その気まずい感じわかりますけど」
「…は、はい」
妻帯者の感覚と一緒にしていいのかどうか分からないなぁと思いながらも、とりあえず頷く。
「時間を置いた方がいい事ってありますけど…それでも拗れてしまう方が多いですよ。うちの妻の場合、特にそういう時構って欲しがるし…」
「…もう口もきかないって、拗ねて気まずくなっている訳じゃないんですよ」
「そうですね。お互いそういう風じゃないそう。…でも放っておくとあなたたち拗れそうな気がするんだよなぁ」
鬼灯くんはそういう子供っぽいことはしないし、ソレをやる可能性があるとしたら私の方だけど、もしそうした所で次の日には忘れて、けろっとした顔でねえねえと話しかけてしまうのが目に見えてる。うーんと顎に手を当てて篁さんは考えながら話す。
「うちは幸い、私が折れる時も妻が折れてくれる時もどっちもあって、それなりに上手いことやれてますけど」
「…うーん…折れるかあ…」
鬼灯君の言うことはだいたい理に適っている。いやいやそれは強引すぎない?と思う時もあるけど、それでもあらゆる意味で反論する余地がないのでいつもこちらが折れる以外ない。
感情的になって理不尽を吹っかけてくることはないのだ。
…無理難題ふっかけたり無茶ぶりはしてくることはあるけど、ほとんどの場合理性的だった。
呆れて毒を抜かれたように身を引いてくれる時はあるけど、折れてくれてるというのとは少し違う気がする。
「今回のことは私の方に問題があるので…折れるなら私の方なんですよねえ…」
「ああ…鬼灯様、温情はかけてくれなさそうだなぁ…」
「そろそろ白黒はっきりさせないと…」
「…やっぱりなんだか大変そうですねぇ…鬼灯様と一緒になるのは…」
最低限の譲歩はしてくれても、仕方ないから許してあげようと無条件に引いてくれることはないと思う。
ある意味境界線のハッキリした分かりやすい人で、やりやすいと言えばやりやすい。けれど心と心の触れ合いをする気はあるのかないのか。
線引きがしっかりしている彼だけど、かといって規律に心から忠実なヒトという訳でもない。
鬼灯くんにとってソレはおそらく単なる武器なのだ。
決して我儘だとか、厳格すぎるだとか、傍若無人という訳ではない。
"公平"な子で、それは美徳なのかもしれないけど、恋人だとか夫婦になった時には少し問題かもしれない。
「私も時々なんで一緒にいるんだろうなぁって思うときもありますけど…」
「ええっ篁さんでも?」
「ええっ…私をどんな目で見てるんですか」
「えーと、愛妻家?」
「いやあ。なんだか随分買ってくれてるんですね」
「だって二人とも凄く幸せそうですから」
にこにこと笑って言うと、少し照れ臭そうに頬をかいていた。
「いやでもその通り、結局妻が好きだから仕方ないなぁ折れてやろうって思っちゃうんですよね。惚れた弱みってやつですよねきっと。……あなたは鬼灯様のこと好きですか?」
「……ううん…」
彼が言ってるのは間違いなく恋愛的な意味での事だ。好きかと聞かれたら好きだと即答するけど、どんな意味で?どんな種類で?と聞かれると凄く答えに困る。
今までは「家族だ」と言い切れていた。けれど何度も何度もそうじゃないだろうと邪推と否定を重ねられば、私自身もよく分からなくなって来る。
これでいいのか。それでもいいのか。血の繋がりのない同士が寄り添って、大人になって、男性と女性になって、一緒に居続けて。
周囲はそこに色を見出す。私はそこで改めてこの関係がとても曖昧で、ふわふわとした物なのだと、分かり切っていたはずの事実に改めて気が付くのだ。
…どうであれ。
「…私は鬼灯くんのこと、」
恋愛的な目では見ていない、と否定しようとしたところでびくりと肩を跳ねさせた篁さんに、「あっあー!」と大きな声で遮られた。
「そ、そういえば!貴女は少女漫画と少年漫画どっちが好きですか?というか漫画って読む方ですか?」
「……ん?え?え、何?」
「一つ屋根の下ドキドキ生活するなら、どっちの方が感情移入できるかって最近私の周りで議論になってて」
「……ええと…」
なんでいきなりそんな話になったんだか分からなくて混乱する。
気まずい話題を切り替えるにしても相当無理があるし、話題の飛び方が凄い。突飛だ。
廊下の真ん中で立ち話をしている私達の姿は目にくらしく、通りすがりの獄卒たちがさっきからちらほらと振り返っていたけど、今度は内容に興味を惹かれて振り返るひとも出てきた。
篁さんはそれにも気が付かない様子でやけに饒舌に語り出す。
「意外と男の方が少女漫画のヒロインに感情移入できてて、女性の方がラッキースケベ起こすヒーローに共感できてたりするんですよね。どういうことでしょう」
「え、え、ええーっ…どういうことって…聞かれても困ります…」
漫画を読む方…というか(一度目の時に)読んでいた方なので、言ってることはわかる。
少女漫画のときめきも乙なものだし男性向けのドキドキも良い物だ。
ただ、読者の共感の傾向についてはなんとも言えない。そんな統計がとられた事があるのだろうか。わざわざその辺を掘り下げて誰かと語り合ったこともない。
男女二人で一つ屋根の下生活だったら、現実世界で何千年も経験してきたけど…いやいやいや。
「貴女はキュンッとかします?」
「し、しなかったのでしないと思います…」
「じゃあラッキーが起ったら嬉しかったり」
「起っても困るので、困ります…」
押され気味に、引きつった声で言うと、篁さんは物凄く渋い顔をしていた。
ラッキーってなんだろう、やっぱり着替え中にばったりが一番の定石だと思うんだけど、
身内の着替え途中を見た所で何を思えばいいのか分からない。
お風呂でばったりは流石に気まずくなるだろけど、同じ空間で暮らす以上はある程度仕方がない事ばかりだ。
気まずくても、長々と後に引かせる事はないだろう。
なんとも言えない目をした篁さんは、暫くの沈黙の後、ぽそりと苦く呟いた。
「…似た物同士ですね…」
これだから…とでも言いたげな顔をしている。気の毒そうな目をしている篁さんの言葉の意味する所は…まさか篁さん、鬼灯くんにも同じような事を聞いて、同じような事を答えられたのか。
「まあでも」
「は、はい」
沈んでいた声色を明るく切り替えて、下がり気味だった視線をパッと上げた。
手を左右にぱたぱたと振りながら、篁さんは言葉を紡いだ。
「喧嘩しっぱなしは苦しいだけだし」
「…はい。なんだかありがとうございます」
「いやいやそんな。面白がってるだけなので」
「……素直な方ですねえ…」
こほんと咳払いを一つした篁さんは、穏やかに目を細めながら言った。
子供を諭すかのようだなと感じた。相談に乗るとか、お節介を焼くとか、そういうのよりもその方がしっくりくる。実際子供のようなことをしているのだからその篁さんの反応は適切なものだった。
その優しさは有難いなと思いながら、嬉しくておかしくて笑いを零した。
1.言葉─険悪
傍で生きると約束しても、頷いても、結局何も変わり映えはしなかった。
付き合うと口約束をしてからもそうだ。
一緒にいる時間を意識して"増やした"。強いていうならそれだけだ。
自然と傍にいる状態が長年続いていた私達は、今まで通り特別な事はせず、のんびりするだけだった。
「鬼灯様は好い人はいないのですか?」
「仕事鬼すぎて全然そんな気配見せないんだよぉ」
と、閻魔大王が天国からやってきたお客人に向かってぼやいていたのを目撃した。
私達が付き合っていると公言したことは、リリスさんとベルゼブブさん以外には未だない。
徹夜が明けで機嫌最悪になっていた鬼灯くんは、そのぼやきを聞いて更に酷い形相になっていた。
そこで改めて、鬼灯くんが独り身だと未だに認識されているんだと知る。
実際所帯は持っていないし、それで正しい。
私は好い人という訳でもないんだろう。恋人同士でも、私達が恋愛関係に発展してるとは思えない。
今度こそただの理想でもなんでもなく、お互いを「家族」のように心から近しく思えるようになれたとか。
情の芽生えというよりも、心境に進展があったんだろうと捉えている。
だって私達の間に色恋の華やかさとか切なさってあるの?ない。絶対にないと思う。
何を持ってして華やかと定義するのかは分からないけど、少なくとも私が鬼灯くんにときめいた事は一度もないし、逆に相手だってそうだろう。
何が言いたいのかと言うと。
「…空気悪いな…」
「ウン…」
多くの家族がそうなように、多くの夫婦がそうなように、"近しいもの"同士は、喧嘩したってそう簡単には離れられないのだ。
同居していなければ距離を置けるのかもしれないけど…
私には親がいない。逃げる実家もない上に、職場が一緒なのでどっちにしろ逃れられなかった。
私と鬼灯くんが同じ空間にいると、なんとも言えない空気が漂う。
元々お互いが持っていた虫の居所の悪さ、纏っていた空気の悪さが、顔を合わせると顕著に表に出てきた。
周囲のひと達がそのおかげで居心地悪そうにしているのがわかる。
茄子くんと唐瓜くんがボソボソと囁き合っていたのを見かけて、職場恋愛のリスクってこういうことなんだぁと痛感するのだった。
「なんだか暗いですね。一体今度は何をしてしまったんですか?」
少し憂鬱な気分でとぼとぼ俯きがちに閻魔殿を歩いていると、背後から声をかけられた。
「あ…篁さん、でしたよね。お久しぶりですね。…今度は?」
「あぁほんとだ、結構久しぶりですね。話に聞いてると久しぶりな気がしないけどなぁ」
腕の中にあった書類を崩さないように抱え直しながら振り返ると、そこにはいつか秦広庁で行われていた会食の場にいた、秦広王補佐官の篁さんがいた。
アレ以来、遠目に姿をみかけたくらいで、改めて対面したことはなかった。
けれど相手は定期的に私の話をしていたらしい。
誰とそんな話をしているんだろうと疑問に思ったけど、もしかしたらただ噂話を聞いていただけなのかもしれないと思い至る。
閻魔大王の腹心の噂話というのはみんなにとってとても美味しいものなので、私のことも絡めて面白おかしく広く浅く回ってしまっていること知っている。
「また面白いことになってるんですか?」
「また…面白い…?」
「あっなんでもないです。ないない」
きょとんとして聞き返すと、ぶんぶんと手を振られた。うーん絶対なんでもなくはないんだろうなあ…。
前科なんてあったかなと振り返ってみる。色々失敗をしたことは星の数ほどあれど、
面白いと言われるような珍事件を起こしたことはないと思う。
噂の中での私は結構な事をやらかしているみたいだけど、実際の私は日々のんびり過ごしているだけだ。
ワクワクとした好奇心を隠さずに問いかけて来られたので、私は苦笑しながら話した。
面白いかは知らないけど…今何故私が肩を落としているのかって聞かれたら、こう現状を告白するしかない。
「鬼灯くん…鬼灯様に隠し事がバレちゃって」
「えっ隠し事?うわなんか思ったより大きいもめ事になってる?…というか、私しかいないので別に普段通りで」
篁さんは驚いたあと、少し苦笑しながら気を使ってくれた。顔に熱が集まるのがわかって頬を抑えた。
鬼灯くんがどれだけ立派になろうと、凄いということを知っていようと、恭しく接するという事がどうしても出来ない。
鬼灯という言葉の後についてくるのはもう君で決まっていて、それが一つの言葉として私の中で固まってしまっているようだ。補佐官様とか呼びかければいいのかな。それなら出来るけどなんか微妙だなあ。
篁さんの親切を頷いて受け取って、改めて話を切り出した。
「いや、あの、内緒の話がバレかけているというか…」
「…浮気バレで修羅場になってるとかじゃないですよね」
「修羅場というほどでも…というか、浮気する相手もいなければそれを咎める人もいません」
いやいやと否定すると、いやいやいやと食い気味に否定され返された。
付き合うなんて本当に形式的なもので、私が「好きな人ができた」と言ったら「はいそうですか」でお終いになる気がしてしまうんだけど。
傍にいるという約束をして、それを反故にするつもりはないけど、心までも拘束されている訳ではないのだ。そこの所どうなんだろう。
反対に私が同じことを鬼灯くんにされたとしても、「そうなんだね。お幸せに」と心から祝福してきっとお終いだ。
「いないのかもしれないけど、アレ、気にする人はいるんじゃないですか?」
「鬼灯くんのことですか」
「あ、わかってるんですね」
なんだ理解してるじゃないかという目で見られる。満更でもない関係なんだろうという冷かしたような声色だった。
満更でもないというか、一応お付き合いしている恋人だから…。そうでなくとももし好い人が出来たら、改めて報告をしに行くような身内なのだ。
「私も妻がいるから、その気まずい感じわかりますけど」
「…は、はい」
妻帯者の感覚と一緒にしていいのかどうか分からないなぁと思いながらも、とりあえず頷く。
「時間を置いた方がいい事ってありますけど…それでも拗れてしまう方が多いですよ。うちの妻の場合、特にそういう時構って欲しがるし…」
「…もう口もきかないって、拗ねて気まずくなっている訳じゃないんですよ」
「そうですね。お互いそういう風じゃないそう。…でも放っておくとあなたたち拗れそうな気がするんだよなぁ」
鬼灯くんはそういう子供っぽいことはしないし、ソレをやる可能性があるとしたら私の方だけど、もしそうした所で次の日には忘れて、けろっとした顔でねえねえと話しかけてしまうのが目に見えてる。うーんと顎に手を当てて篁さんは考えながら話す。
「うちは幸い、私が折れる時も妻が折れてくれる時もどっちもあって、それなりに上手いことやれてますけど」
「…うーん…折れるかあ…」
鬼灯君の言うことはだいたい理に適っている。いやいやそれは強引すぎない?と思う時もあるけど、それでもあらゆる意味で反論する余地がないのでいつもこちらが折れる以外ない。
感情的になって理不尽を吹っかけてくることはないのだ。
…無理難題ふっかけたり無茶ぶりはしてくることはあるけど、ほとんどの場合理性的だった。
呆れて毒を抜かれたように身を引いてくれる時はあるけど、折れてくれてるというのとは少し違う気がする。
「今回のことは私の方に問題があるので…折れるなら私の方なんですよねえ…」
「ああ…鬼灯様、温情はかけてくれなさそうだなぁ…」
「そろそろ白黒はっきりさせないと…」
「…やっぱりなんだか大変そうですねぇ…鬼灯様と一緒になるのは…」
最低限の譲歩はしてくれても、仕方ないから許してあげようと無条件に引いてくれることはないと思う。
ある意味境界線のハッキリした分かりやすい人で、やりやすいと言えばやりやすい。けれど心と心の触れ合いをする気はあるのかないのか。
線引きがしっかりしている彼だけど、かといって規律に心から忠実なヒトという訳でもない。
鬼灯くんにとってソレはおそらく単なる武器なのだ。
決して我儘だとか、厳格すぎるだとか、傍若無人という訳ではない。
"公平"な子で、それは美徳なのかもしれないけど、恋人だとか夫婦になった時には少し問題かもしれない。
「私も時々なんで一緒にいるんだろうなぁって思うときもありますけど…」
「ええっ篁さんでも?」
「ええっ…私をどんな目で見てるんですか」
「えーと、愛妻家?」
「いやあ。なんだか随分買ってくれてるんですね」
「だって二人とも凄く幸せそうですから」
にこにこと笑って言うと、少し照れ臭そうに頬をかいていた。
「いやでもその通り、結局妻が好きだから仕方ないなぁ折れてやろうって思っちゃうんですよね。惚れた弱みってやつですよねきっと。……あなたは鬼灯様のこと好きですか?」
「……ううん…」
彼が言ってるのは間違いなく恋愛的な意味での事だ。好きかと聞かれたら好きだと即答するけど、どんな意味で?どんな種類で?と聞かれると凄く答えに困る。
今までは「家族だ」と言い切れていた。けれど何度も何度もそうじゃないだろうと邪推と否定を重ねられば、私自身もよく分からなくなって来る。
これでいいのか。それでもいいのか。血の繋がりのない同士が寄り添って、大人になって、男性と女性になって、一緒に居続けて。
周囲はそこに色を見出す。私はそこで改めてこの関係がとても曖昧で、ふわふわとした物なのだと、分かり切っていたはずの事実に改めて気が付くのだ。
…どうであれ。
「…私は鬼灯くんのこと、」
恋愛的な目では見ていない、と否定しようとしたところでびくりと肩を跳ねさせた篁さんに、「あっあー!」と大きな声で遮られた。
「そ、そういえば!貴女は少女漫画と少年漫画どっちが好きですか?というか漫画って読む方ですか?」
「……ん?え?え、何?」
「一つ屋根の下ドキドキ生活するなら、どっちの方が感情移入できるかって最近私の周りで議論になってて」
「……ええと…」
なんでいきなりそんな話になったんだか分からなくて混乱する。
気まずい話題を切り替えるにしても相当無理があるし、話題の飛び方が凄い。突飛だ。
廊下の真ん中で立ち話をしている私達の姿は目にくらしく、通りすがりの獄卒たちがさっきからちらほらと振り返っていたけど、今度は内容に興味を惹かれて振り返るひとも出てきた。
篁さんはそれにも気が付かない様子でやけに饒舌に語り出す。
「意外と男の方が少女漫画のヒロインに感情移入できてて、女性の方がラッキースケベ起こすヒーローに共感できてたりするんですよね。どういうことでしょう」
「え、え、ええーっ…どういうことって…聞かれても困ります…」
漫画を読む方…というか(一度目の時に)読んでいた方なので、言ってることはわかる。
少女漫画のときめきも乙なものだし男性向けのドキドキも良い物だ。
ただ、読者の共感の傾向についてはなんとも言えない。そんな統計がとられた事があるのだろうか。わざわざその辺を掘り下げて誰かと語り合ったこともない。
男女二人で一つ屋根の下生活だったら、現実世界で何千年も経験してきたけど…いやいやいや。
「貴女はキュンッとかします?」
「し、しなかったのでしないと思います…」
「じゃあラッキーが起ったら嬉しかったり」
「起っても困るので、困ります…」
押され気味に、引きつった声で言うと、篁さんは物凄く渋い顔をしていた。
ラッキーってなんだろう、やっぱり着替え中にばったりが一番の定石だと思うんだけど、
身内の着替え途中を見た所で何を思えばいいのか分からない。
お風呂でばったりは流石に気まずくなるだろけど、同じ空間で暮らす以上はある程度仕方がない事ばかりだ。
気まずくても、長々と後に引かせる事はないだろう。
なんとも言えない目をした篁さんは、暫くの沈黙の後、ぽそりと苦く呟いた。
「…似た物同士ですね…」
これだから…とでも言いたげな顔をしている。気の毒そうな目をしている篁さんの言葉の意味する所は…まさか篁さん、鬼灯くんにも同じような事を聞いて、同じような事を答えられたのか。
「まあでも」
「は、はい」
沈んでいた声色を明るく切り替えて、下がり気味だった視線をパッと上げた。
手を左右にぱたぱたと振りながら、篁さんは言葉を紡いだ。
「喧嘩しっぱなしは苦しいだけだし」
「…はい。なんだかありがとうございます」
「いやいやそんな。面白がってるだけなので」
「……素直な方ですねえ…」
こほんと咳払いを一つした篁さんは、穏やかに目を細めながら言った。
子供を諭すかのようだなと感じた。相談に乗るとか、お節介を焼くとか、そういうのよりもその方がしっくりくる。実際子供のようなことをしているのだからその篁さんの反応は適切なものだった。
その優しさは有難いなと思いながら、嬉しくておかしくて笑いを零した。