第十二話
1.言葉─知識と失望
朝、出勤する前に鬼灯くんに呼び止められ、仕事上がりに部屋を訪ねて来いと宣告された。嫌な予感がする所の話ではない。
心臓の辺りを抑えながら指示された通り、その日誰よりも先に上がって部屋を訪ねた。
ノックをした後扉を開く。
椅子に座って腕を組み、じっと待機していた鬼灯くんの姿が見えて硬直した。
隠していた0点のテスト用紙を床に並べられ、正座した母親に待たれていた学校帰りの子供の恐怖を味わっていた。
まさか引き返す訳にもいかないし、突っ立っていてもどうしようもない。
後ろ手にドアを閉めてから、0点テストの代わりに、彼が無言で差し出している一枚の四角い紙を受け取りに行く。
間近で確認しなくても、それが私にとって都合の悪いものだという事はわかっている。
そっとそれを受け取って目を凝らすと、やはり想像通りのものがあった。
几帳面に鋏を入れたのだろう、雑誌の切り抜き。私の手の平くらいの小ささ。
見覚えがある内容だった。雑誌は拝読していなかったけど、新聞やネットニュースに掲載されていた謳い文句と同じような物が見出しになり、その後に詳細が綴られている。
時代の先駆けだって。あれーコレつい昨日どこかでみたばっかりの内容だなあーわぁ奇遇だなあと現実逃避してみたけどただ虚しくなるだけで、すぐにやめた。
「こういうこと、今まで何度あったんでしょう」
茫然と立ちつくし、手元に視線を落としたまま顔を上げない私に、鬼灯くんは座ったまま静かに声をかけた。
「まるで先を見通す目を持ってるみたいですね」
「…」
「こういうとき、直感力があると言う事もありますけど、でもあなたのソレはそういう物とは違いましたよね」
疑問形で尋ねるけど、もう鬼灯くんの中でその疑惑は確信に近い形で固まってるはずだ。
私の口から不審な部分をハッキリと自供させたいだけなのだ。
時代の先取りを何度も何度も繰り返した私はまるで予知能力でも持っているかのようだった。今風のデザインを描いただけじゃなかった。
今であれば取るに足らない簡単な閃きだって、まだまだ何もかもが発達していない大昔から積み重ねれば、不自然な山になる。
精度と頻度が高すぎて、全てを偶然で済ませるには違和感が残るだろう。
「昔から変に達観した子供でしたね。…それこそ、遠い未来を見据えていたような」
「……それは、」
「私も子供らしくない自覚はありましたけど。…あなたはどこか視点が違っていました」
そりゃあ違うだろうと思う。皆とは根本にある物が違っていたのだから。
ある時代、物資が行き渡らず困っていた時代があった。けれど「あと10年もしたら沢山出まわるようになるよ」と予言でもするように言いながら、困窮している現状をあっさりと受け入れた事があった。
その時私は物分りがよく達観した子だとも思われたし、その後予言じみた発言が実現された時、先を読める賢い子だとも思われた。
けれど傍にいた鬼灯くんは、私の地頭などたかが知れていて、とてもじゃないけど賢い子と言えないという事を知っていたのだ。
じゃあ、なぜなのか?繰り返される閃き、予言じみた私の発言。その様子をどう思いながら見守ってきたのだろう。
…実は私神様なんですとか言っちゃおうかな…なんて内心で自棄になっていた。
下手な小細工はきかないだろう。言い逃れしようとするならスケールの大きいものを引き合いに出すくらいしないと、誤魔化せそうもない。
先見する能力が備わっているんですと先手を打って宣言してしまおうかと思ったけど、そんな綱渡りをする度胸が軽々とわいて出る事はなく。
「……それは」
「それは?」
「……ええと…」
乾いた唇がこぼすのは要領の得ないもごもごとした言葉ばかりで、言い訳も弁解も、誤魔化しも謝罪も何一つ出て来ない。
手元で弄んでいた紙がくしゃりと音を立てて皺が出来たのを見て、鬼灯くんはそれを回収して、机に備え付けられた引出の中へと仕舞い込んだ。
「聞き方を変えましょうか。なんでアレを…あれらを作ろうと思ったんですか」
「…、」
「あなたの生み出した何もかもが他より先を行く。…先見なんて、神でも妖怪でもないんだから。それともたまにあなたが言われているみたいに、特別な何かを秘めているのでしょうか」
「……」
トン、と引出が閉まった音が部屋に木霊する。
向こうの方から先手を打たれる。釘をさされれば、もうこの手の誤魔化しは冗談でも出来ない。
最初からする度胸もなかったけど。でも本当のことを言うか、黙秘するかのどちらかないんだと改めて突きつけられてしまった。
だとしたら私は沈黙することしかできない。本当のことを今更告白する度胸はない。
出会ったばかりの小さい頃に本当のことを言っておけばよかったなあ、と今さらどうしようもない後悔をした。
過去のことを話すことに抵抗はなかった、それ自体は苦痛じゃなかった。
途中から時差酔いという病状が出てきてしまったので意図的に黙秘して来たけど、それがなければ何でもない世間話でもするかのように話せたはずなのだ。
今話せないのは、あれから時間が経ち過ぎたからだった。
時代を先取って売っていたことを白状するのは当然抵抗はあるし、てへっなんて鬼灯くんを相手にして笑う強かな精神力は持っていない。
長い時間を「ただの」として過ごして来たし、「元■■■■だった」と訂正することがなんだか気まずかった。
存在が塗り替えられるような、急に足場がなくなって落下していくみたいな恐怖が湧いてくる。
傷は浅いうちに言うべきだったのに、後回しにしたからこうなるのだ。後悔先にたたず。
鬼灯くんは恐怖に立ちすくんで停滞したままで居ることを許さず、こちらの心境もおかまいなしに淡々と暴き出した。
「今回のことは別にどうでもいいんですよ。たまたまそういう巡りを引き寄せたんでしょう、ただそれだけの話です」
「…」
「でも、たまたまではなくて。誰よりも確実に、誰よりも多くを閃く先駆者は確かにこの世にいて」
「……」
「ではあなたはどうでしょうか。芸術家だとも、学者肌だともお世辞にも言えない性質でしょう。…なのにあなたは大昔から何度そういう出来事を引き起こしてきたんでしょう」
「…それは」
「それは、偶然でしょうか。それとも本当にあなたの感性が生み出した結果でしょうか」
予想している通りだ。偶然ではなくて、私の才能でもなくて、大昔から意図的に引き起こしてきた事なのだ。
鬼灯くんはきっと私が転生しているとまでは考えていないだろうけど。
"特別"と不相応に連呼される私は、何か不思議なものを秘めていてもおかしくは思っているのだろう。
だってそうでなければ、私みたいなものがこんな事は起こせるはずがないし、説明がつけられない。
生きるために必要な事だった。平凡な身一つでは限界があった。
けれど当時から多少なりとも罪悪感は抱いていていたのだから、責め立てられてしまえば当然辛く感じる。
俯いて口を噤んでいるだけで罪を認めているのも同然だったけど、ただ認めるだけでは済ませてくなれい。
「訳を話すことができますか。…その偶然に明確な理由が存在するんですか?」
荒唐無稽なものだけど訳は存在している。あの世では…鬼灯くんには信じてもらえるだろうなと理解しているのだ。
全部今言った方がいいことだった。仕舞い込んできたそれを表に出せと望まれているのだ。
懺悔でもするかのように告白すれば、この気まずい空気も私の後ろめたさも解消されて、全てがきっと円満になるはずだった。そうと頭でわかっている。けれど。
「……いやだ」
心は嫌だと訴え拒絶する。そこに理屈はなくて、ただ漠然とした不快感や恐怖心だけが渦巻いていて、理性でそれは抑え込めず、感情的に首を振る。
ただの子供のダダこねと一緒だった。私が隠す理由は今もう無いはずなのに、知られたくないと尻込みする。
ずっと奥底に隠していた事を今更曝け出すのは勇気がいる。とても恐ろしい事だった。
「なにが、…なぜ」
「……い、言いたくない」
「……またそれですか」
子供のような一点張り…いや子供よりも劣っているかもしれない下手な言い訳だ。
みっともないと分かっていても、それしか出来ない。
「呆れられても、それでも嫌」
今みたいに、呆れた顔をされる事はわかっていても、それでも曝け出したくはなかった。
どうしようもない我慢を強いられる事は時にはある。今の私は苦痛も殺して言葉にするべきだったのだ。
けれど限界というものは何事にもあって、私の中の臨界点を超える瞬間が今だったのだ。だとしたらなりふり構っていられるはずがない。余裕は一切なくなり、繕おうと画策する気さえも無くなってしまっていた。
しんと沈黙が訪れて、暫く無言の睨み合い状態が続いた。
「…わかりました。じゃあこのことについては一旦保留にします。その代わりに違うことを聞きます」
今のお互いの体勢的に、私は立って見おろしている側で、見下ろされているのは椅子に座ったままのあちらだというのに、まるで上の方から圧をかけられてると錯覚する程の息苦しさがあった。
鬼灯くんは居住まいを正して改めてこちらをきつく見あげる。
「あなたの不調の原因は何ですか。病は気からなんでしょう」
「……」
「そうですか、これもまだ言いたくないままなんですね」
私の無言の裏にある、声にならないものを探られているかのようだった。
返事をしなくても、ぐっと顰めた私の表情を見て肯定と受け取ったようで、話を進めて行く。
「じゃあ、あなたが成長しなかった理由は。ああいうのは精神的なものに左右される。途中から気が変わったというなら、その理由は?」
「……」
「……あれもこれも嫌だというなら、本当に子供と変わりがない」
責められている。咎められている。怒られている。言い方は色々あるけど、私にとってはそれがどんな種類だったとしても、辛いのに変わりは無かった。
鬼灯くんがどんな姿勢で今私に向かい合っているにしろ、言いたい事、聞きたい事はたった一つで、変わらないのだ。
私はそのたった一つを聞かれたくない。
鬼灯くんに限って、飴と鞭を使うみたいにして、告白した最後に慰めてくれる訳でもないだろう。きっとただ淡々と聞き出して、淡々と言わせるだけだ。
目に余るようになったから、聞く必要があるから聞く。情状酌量の余地は今の所なし。複雑な心境を慮る事はない。
相手が子供のようだからと言って、子供を相手にするように甘く穏やかに諭してくれる訳ではない。
「…言えない、言いたくない理由はあるんですよね」
非道ではないし冷静だから、怒鳴りつけてまで性急に暴き立てることはなかったけど、こうしてじわじわと追いつめられる方が苦しいんじゃないかと思う。
理屈のない感情ばかりが先行しているとは言っても、複雑な事情や理由というのもその裏に確かに存在しているので、無言で首肯した。
口を噤むばかりで何の意志表明もしてこなかった私がようやく頷いたのを見て、少し思案してから続きを話す。
「あなたが言いたがらないことは昔からいくつかあったけど、それらには全て共通点がある」
言いながら、鬼灯くん自身も状況整理するように確かめているようだった。もう一度頷く。
「だとしたら、複雑なこと取り払ったら、言いたくないことはそれらの根本の所にある一つだけ」
病は気からで、成長も気からで、じゃあ言いたくないとダダをこねる今回のこともそうなのかと、繋げて考えている。
もう一度頷いた。それなら話はとてもシンプルで、ならば何故そのたった一つの簡単なことを説明できないのだと、鬼灯くんの鋭い目がこちらを攻め立てる。
予想の通り、結局言えないのは「気」のせいだ。
複雑なアレコレを取り払ったら、病気も、成長も、今回黙秘しているのも、自分の気持ちの在り方が原因だ。変に事態を拗らせてる。
だから。
「……言って、がっかりされたくない」
全て話した末に起るかもしれないこと。恐れているのはたった一つ。呆れでも失望でも困惑でもいい。
転生についてはあり得る事だと理解されたとしても、もし否定的な目で見られたらと思うと辛かった。その気持ちをシンプルに吐露すると。
「…本当に子供だ」
心底呆れた様子で溜息を吐かれた。今まで何度だって呆れられてきたけど、今までの比ではない。
顔を顰めて、淡々としているばかりだった声色も低く険しくなっている。
「それは理由でも信念でもなんでもなくて、ただの子供の癇癪と同じです」
「…」
沈黙が肯定だとここまで顕著に表すのも珍しい光景だ。
黙っているだけで物語る。暴く方が優秀なばかりに黙っていてもどんどん展開していく。
いつかのシーンを立場を逆転させた状態で繰り返しているなと思った。
前回子供だなと呆れていたのは私の方で、今度は鬼灯くんが呆れる形になっている。なんだか滑稽だった。
けれどそれを笑い話することも出来なくて、おそらく青ざめている私の顔は苦痛に歪んでいる。
「…酷い顔してますね」
「…誰のせい…」
「自分の蒔いた種でしょう」
「……そうだけど、そうじゃない」
ぐっと唇を噛んでようやく言い訳をした。それこそ子供みたいでみっともない物だったけど、それさえも言えなかった時よりは随分マシだ。
少し話すと冷えた手の痺れが取れて、じわじわと温く体温が戻って来る。
体温が戻ると頭も回って、呼吸も少し楽になって、もう少し冷静に考えて話せるようになったみたいだ。
「顔色も悪い。…今日はもう休んだ方がいいでしょうね」
「…」
それでも顔色は未だ悪かったようで、休めと促された。
誰のせいで…なんて言っても仕方ない。それこそこれが自分で蒔いた種だった。私が身から出した錆のせいで鬼灯くんは厳しく語ったのだ。
「まぁ、また聞きますけど」
「そういうこと目の前で言わなくても…」
萎縮しきったまま、俯きながら指先を弄ぶ。
お叱りは今回だけではない。これだけでは済まされないぞまだ追求するぞと直接脅しをかけられたも同然だ。
今日のところはこれで解放される…とホッとする暇もなかった。
でもとりあえず今日の所は帰っていいって事だよねとちらりと視線をやる。
すると視線と意図に気が付いて頷いてくれたけど、最後に…と一度前置きして再び続けた。
「私は問題だと思ったし、聞き出す必要があると思ったし、単純に興味もあった。…ついでに腹も立ったから聞いていますけど、」
本音も建て前も全て隠さないで、最後に忠告めいた言葉をその口から放つ。
「あなたは言わないままで楽でいられても、言わないことさえ苦しかったとしても。あなたのその罪悪感にも劣らないくらい、教えられない私もきっと苦痛でもどかしく思いますよ」
これは決して鬼灯くんの優しさから出た言葉ではなかったし、間違っても慰めではなかった。
けれど淡々とするでもなく厳しく問い詰めるだけではなく、今回初めて丁寧に紡いでくれたなと感じた。
それはもっともだなと思いながら頷いて、部屋の扉を開閉させる。
個人的な秘め事として自己完結できる話ではなくなった。相手が目溢しするのももう限界だと言うのなら、答えを出すべきなんだろう。
言いたくないと言い続けて自分の意志を貫き通し、相手とぶつかり合うのも一つの選択肢。
全部言って、相手の立場と心を尊重するのも一つの道だ。
けれど、そのどちらを選ぶのかは私次第なのだ。
1.言葉─知識と失望
朝、出勤する前に鬼灯くんに呼び止められ、仕事上がりに部屋を訪ねて来いと宣告された。嫌な予感がする所の話ではない。
心臓の辺りを抑えながら指示された通り、その日誰よりも先に上がって部屋を訪ねた。
ノックをした後扉を開く。
椅子に座って腕を組み、じっと待機していた鬼灯くんの姿が見えて硬直した。
隠していた0点のテスト用紙を床に並べられ、正座した母親に待たれていた学校帰りの子供の恐怖を味わっていた。
まさか引き返す訳にもいかないし、突っ立っていてもどうしようもない。
後ろ手にドアを閉めてから、0点テストの代わりに、彼が無言で差し出している一枚の四角い紙を受け取りに行く。
間近で確認しなくても、それが私にとって都合の悪いものだという事はわかっている。
そっとそれを受け取って目を凝らすと、やはり想像通りのものがあった。
几帳面に鋏を入れたのだろう、雑誌の切り抜き。私の手の平くらいの小ささ。
見覚えがある内容だった。雑誌は拝読していなかったけど、新聞やネットニュースに掲載されていた謳い文句と同じような物が見出しになり、その後に詳細が綴られている。
時代の先駆けだって。あれーコレつい昨日どこかでみたばっかりの内容だなあーわぁ奇遇だなあと現実逃避してみたけどただ虚しくなるだけで、すぐにやめた。
「こういうこと、今まで何度あったんでしょう」
茫然と立ちつくし、手元に視線を落としたまま顔を上げない私に、鬼灯くんは座ったまま静かに声をかけた。
「まるで先を見通す目を持ってるみたいですね」
「…」
「こういうとき、直感力があると言う事もありますけど、でもあなたのソレはそういう物とは違いましたよね」
疑問形で尋ねるけど、もう鬼灯くんの中でその疑惑は確信に近い形で固まってるはずだ。
私の口から不審な部分をハッキリと自供させたいだけなのだ。
時代の先取りを何度も何度も繰り返した私はまるで予知能力でも持っているかのようだった。今風のデザインを描いただけじゃなかった。
今であれば取るに足らない簡単な閃きだって、まだまだ何もかもが発達していない大昔から積み重ねれば、不自然な山になる。
精度と頻度が高すぎて、全てを偶然で済ませるには違和感が残るだろう。
「昔から変に達観した子供でしたね。…それこそ、遠い未来を見据えていたような」
「……それは、」
「私も子供らしくない自覚はありましたけど。…あなたはどこか視点が違っていました」
そりゃあ違うだろうと思う。皆とは根本にある物が違っていたのだから。
ある時代、物資が行き渡らず困っていた時代があった。けれど「あと10年もしたら沢山出まわるようになるよ」と予言でもするように言いながら、困窮している現状をあっさりと受け入れた事があった。
その時私は物分りがよく達観した子だとも思われたし、その後予言じみた発言が実現された時、先を読める賢い子だとも思われた。
けれど傍にいた鬼灯くんは、私の地頭などたかが知れていて、とてもじゃないけど賢い子と言えないという事を知っていたのだ。
じゃあ、なぜなのか?繰り返される閃き、予言じみた私の発言。その様子をどう思いながら見守ってきたのだろう。
…実は私神様なんですとか言っちゃおうかな…なんて内心で自棄になっていた。
下手な小細工はきかないだろう。言い逃れしようとするならスケールの大きいものを引き合いに出すくらいしないと、誤魔化せそうもない。
先見する能力が備わっているんですと先手を打って宣言してしまおうかと思ったけど、そんな綱渡りをする度胸が軽々とわいて出る事はなく。
「……それは」
「それは?」
「……ええと…」
乾いた唇がこぼすのは要領の得ないもごもごとした言葉ばかりで、言い訳も弁解も、誤魔化しも謝罪も何一つ出て来ない。
手元で弄んでいた紙がくしゃりと音を立てて皺が出来たのを見て、鬼灯くんはそれを回収して、机に備え付けられた引出の中へと仕舞い込んだ。
「聞き方を変えましょうか。なんでアレを…あれらを作ろうと思ったんですか」
「…、」
「あなたの生み出した何もかもが他より先を行く。…先見なんて、神でも妖怪でもないんだから。それともたまにあなたが言われているみたいに、特別な何かを秘めているのでしょうか」
「……」
トン、と引出が閉まった音が部屋に木霊する。
向こうの方から先手を打たれる。釘をさされれば、もうこの手の誤魔化しは冗談でも出来ない。
最初からする度胸もなかったけど。でも本当のことを言うか、黙秘するかのどちらかないんだと改めて突きつけられてしまった。
だとしたら私は沈黙することしかできない。本当のことを今更告白する度胸はない。
出会ったばかりの小さい頃に本当のことを言っておけばよかったなあ、と今さらどうしようもない後悔をした。
過去のことを話すことに抵抗はなかった、それ自体は苦痛じゃなかった。
途中から時差酔いという病状が出てきてしまったので意図的に黙秘して来たけど、それがなければ何でもない世間話でもするかのように話せたはずなのだ。
今話せないのは、あれから時間が経ち過ぎたからだった。
時代を先取って売っていたことを白状するのは当然抵抗はあるし、てへっなんて鬼灯くんを相手にして笑う強かな精神力は持っていない。
長い時間を「ただの」として過ごして来たし、「元■■■■だった」と訂正することがなんだか気まずかった。
存在が塗り替えられるような、急に足場がなくなって落下していくみたいな恐怖が湧いてくる。
傷は浅いうちに言うべきだったのに、後回しにしたからこうなるのだ。後悔先にたたず。
鬼灯くんは恐怖に立ちすくんで停滞したままで居ることを許さず、こちらの心境もおかまいなしに淡々と暴き出した。
「今回のことは別にどうでもいいんですよ。たまたまそういう巡りを引き寄せたんでしょう、ただそれだけの話です」
「…」
「でも、たまたまではなくて。誰よりも確実に、誰よりも多くを閃く先駆者は確かにこの世にいて」
「……」
「ではあなたはどうでしょうか。芸術家だとも、学者肌だともお世辞にも言えない性質でしょう。…なのにあなたは大昔から何度そういう出来事を引き起こしてきたんでしょう」
「…それは」
「それは、偶然でしょうか。それとも本当にあなたの感性が生み出した結果でしょうか」
予想している通りだ。偶然ではなくて、私の才能でもなくて、大昔から意図的に引き起こしてきた事なのだ。
鬼灯くんはきっと私が転生しているとまでは考えていないだろうけど。
"特別"と不相応に連呼される私は、何か不思議なものを秘めていてもおかしくは思っているのだろう。
だってそうでなければ、私みたいなものがこんな事は起こせるはずがないし、説明がつけられない。
生きるために必要な事だった。平凡な身一つでは限界があった。
けれど当時から多少なりとも罪悪感は抱いていていたのだから、責め立てられてしまえば当然辛く感じる。
俯いて口を噤んでいるだけで罪を認めているのも同然だったけど、ただ認めるだけでは済ませてくなれい。
「訳を話すことができますか。…その偶然に明確な理由が存在するんですか?」
荒唐無稽なものだけど訳は存在している。あの世では…鬼灯くんには信じてもらえるだろうなと理解しているのだ。
全部今言った方がいいことだった。仕舞い込んできたそれを表に出せと望まれているのだ。
懺悔でもするかのように告白すれば、この気まずい空気も私の後ろめたさも解消されて、全てがきっと円満になるはずだった。そうと頭でわかっている。けれど。
「……いやだ」
心は嫌だと訴え拒絶する。そこに理屈はなくて、ただ漠然とした不快感や恐怖心だけが渦巻いていて、理性でそれは抑え込めず、感情的に首を振る。
ただの子供のダダこねと一緒だった。私が隠す理由は今もう無いはずなのに、知られたくないと尻込みする。
ずっと奥底に隠していた事を今更曝け出すのは勇気がいる。とても恐ろしい事だった。
「なにが、…なぜ」
「……い、言いたくない」
「……またそれですか」
子供のような一点張り…いや子供よりも劣っているかもしれない下手な言い訳だ。
みっともないと分かっていても、それしか出来ない。
「呆れられても、それでも嫌」
今みたいに、呆れた顔をされる事はわかっていても、それでも曝け出したくはなかった。
どうしようもない我慢を強いられる事は時にはある。今の私は苦痛も殺して言葉にするべきだったのだ。
けれど限界というものは何事にもあって、私の中の臨界点を超える瞬間が今だったのだ。だとしたらなりふり構っていられるはずがない。余裕は一切なくなり、繕おうと画策する気さえも無くなってしまっていた。
しんと沈黙が訪れて、暫く無言の睨み合い状態が続いた。
「…わかりました。じゃあこのことについては一旦保留にします。その代わりに違うことを聞きます」
今のお互いの体勢的に、私は立って見おろしている側で、見下ろされているのは椅子に座ったままのあちらだというのに、まるで上の方から圧をかけられてると錯覚する程の息苦しさがあった。
鬼灯くんは居住まいを正して改めてこちらをきつく見あげる。
「あなたの不調の原因は何ですか。病は気からなんでしょう」
「……」
「そうですか、これもまだ言いたくないままなんですね」
私の無言の裏にある、声にならないものを探られているかのようだった。
返事をしなくても、ぐっと顰めた私の表情を見て肯定と受け取ったようで、話を進めて行く。
「じゃあ、あなたが成長しなかった理由は。ああいうのは精神的なものに左右される。途中から気が変わったというなら、その理由は?」
「……」
「……あれもこれも嫌だというなら、本当に子供と変わりがない」
責められている。咎められている。怒られている。言い方は色々あるけど、私にとってはそれがどんな種類だったとしても、辛いのに変わりは無かった。
鬼灯くんがどんな姿勢で今私に向かい合っているにしろ、言いたい事、聞きたい事はたった一つで、変わらないのだ。
私はそのたった一つを聞かれたくない。
鬼灯くんに限って、飴と鞭を使うみたいにして、告白した最後に慰めてくれる訳でもないだろう。きっとただ淡々と聞き出して、淡々と言わせるだけだ。
目に余るようになったから、聞く必要があるから聞く。情状酌量の余地は今の所なし。複雑な心境を慮る事はない。
相手が子供のようだからと言って、子供を相手にするように甘く穏やかに諭してくれる訳ではない。
「…言えない、言いたくない理由はあるんですよね」
非道ではないし冷静だから、怒鳴りつけてまで性急に暴き立てることはなかったけど、こうしてじわじわと追いつめられる方が苦しいんじゃないかと思う。
理屈のない感情ばかりが先行しているとは言っても、複雑な事情や理由というのもその裏に確かに存在しているので、無言で首肯した。
口を噤むばかりで何の意志表明もしてこなかった私がようやく頷いたのを見て、少し思案してから続きを話す。
「あなたが言いたがらないことは昔からいくつかあったけど、それらには全て共通点がある」
言いながら、鬼灯くん自身も状況整理するように確かめているようだった。もう一度頷く。
「だとしたら、複雑なこと取り払ったら、言いたくないことはそれらの根本の所にある一つだけ」
病は気からで、成長も気からで、じゃあ言いたくないとダダをこねる今回のこともそうなのかと、繋げて考えている。
もう一度頷いた。それなら話はとてもシンプルで、ならば何故そのたった一つの簡単なことを説明できないのだと、鬼灯くんの鋭い目がこちらを攻め立てる。
予想の通り、結局言えないのは「気」のせいだ。
複雑なアレコレを取り払ったら、病気も、成長も、今回黙秘しているのも、自分の気持ちの在り方が原因だ。変に事態を拗らせてる。
だから。
「……言って、がっかりされたくない」
全て話した末に起るかもしれないこと。恐れているのはたった一つ。呆れでも失望でも困惑でもいい。
転生についてはあり得る事だと理解されたとしても、もし否定的な目で見られたらと思うと辛かった。その気持ちをシンプルに吐露すると。
「…本当に子供だ」
心底呆れた様子で溜息を吐かれた。今まで何度だって呆れられてきたけど、今までの比ではない。
顔を顰めて、淡々としているばかりだった声色も低く険しくなっている。
「それは理由でも信念でもなんでもなくて、ただの子供の癇癪と同じです」
「…」
沈黙が肯定だとここまで顕著に表すのも珍しい光景だ。
黙っているだけで物語る。暴く方が優秀なばかりに黙っていてもどんどん展開していく。
いつかのシーンを立場を逆転させた状態で繰り返しているなと思った。
前回子供だなと呆れていたのは私の方で、今度は鬼灯くんが呆れる形になっている。なんだか滑稽だった。
けれどそれを笑い話することも出来なくて、おそらく青ざめている私の顔は苦痛に歪んでいる。
「…酷い顔してますね」
「…誰のせい…」
「自分の蒔いた種でしょう」
「……そうだけど、そうじゃない」
ぐっと唇を噛んでようやく言い訳をした。それこそ子供みたいでみっともない物だったけど、それさえも言えなかった時よりは随分マシだ。
少し話すと冷えた手の痺れが取れて、じわじわと温く体温が戻って来る。
体温が戻ると頭も回って、呼吸も少し楽になって、もう少し冷静に考えて話せるようになったみたいだ。
「顔色も悪い。…今日はもう休んだ方がいいでしょうね」
「…」
それでも顔色は未だ悪かったようで、休めと促された。
誰のせいで…なんて言っても仕方ない。それこそこれが自分で蒔いた種だった。私が身から出した錆のせいで鬼灯くんは厳しく語ったのだ。
「まぁ、また聞きますけど」
「そういうこと目の前で言わなくても…」
萎縮しきったまま、俯きながら指先を弄ぶ。
お叱りは今回だけではない。これだけでは済まされないぞまだ追求するぞと直接脅しをかけられたも同然だ。
今日のところはこれで解放される…とホッとする暇もなかった。
でもとりあえず今日の所は帰っていいって事だよねとちらりと視線をやる。
すると視線と意図に気が付いて頷いてくれたけど、最後に…と一度前置きして再び続けた。
「私は問題だと思ったし、聞き出す必要があると思ったし、単純に興味もあった。…ついでに腹も立ったから聞いていますけど、」
本音も建て前も全て隠さないで、最後に忠告めいた言葉をその口から放つ。
「あなたは言わないままで楽でいられても、言わないことさえ苦しかったとしても。あなたのその罪悪感にも劣らないくらい、教えられない私もきっと苦痛でもどかしく思いますよ」
これは決して鬼灯くんの優しさから出た言葉ではなかったし、間違っても慰めではなかった。
けれど淡々とするでもなく厳しく問い詰めるだけではなく、今回初めて丁寧に紡いでくれたなと感じた。
それはもっともだなと思いながら頷いて、部屋の扉を開閉させる。
個人的な秘め事として自己完結できる話ではなくなった。相手が目溢しするのももう限界だと言うのなら、答えを出すべきなんだろう。
言いたくないと言い続けて自分の意志を貫き通し、相手とぶつかり合うのも一つの選択肢。
全部言って、相手の立場と心を尊重するのも一つの道だ。
けれど、そのどちらを選ぶのかは私次第なのだ。