第十話
1.生贄─雨の日も風の日も
傍で生きている、と約束しても、頷いても、結局変わり映えはしなかった。
付き合うと口約束したときもそうだった。
前よりは意識して一緒にいる時間を増やして、ただそれだけだった。
付き合っていると公言したことは、リリスさんとベルゼブブさん以外には未だない。
「いい加減ほんと身を固めてよ」と徹夜して機嫌最悪になっていた鬼灯くんに閻魔様が言っていて、独り身だと認識されているんだと改めて知った。
実際恋愛関係に発展してるとは思えないし、今度こそ理想でも口約束でもなく、心からやお互い「家族」のように近しく思えるようになれたとか、そういう感じなんだろうなと捉えている。
何が言いたいのかと言うと。
「…空気悪いな…」
「ウン…」
多くの家族がそうなように、多くの夫婦がそうなように、喧嘩したって離れられないのだ。
ルージュで鏡に伝言して出ていってみようかと思うも、母も実家もなければ職場が一緒なのでどっちにしろ逃れられない。
職場恋愛のリスクの高さってこういうことだなと痛感するのだった。
「なにしてしまったんですか?」
「あ…篁さん、ですよね」
「はい。何か面白いことになってるんですか?」
「面白い…?」
「あっなんでもないです」
ぶんぶんと手を振るけど、なんでもなくはないんだろうなあ。
「鬼灯くん…鬼灯様に隠し事がバレちゃって」
「えっ?…ていうか、私しかいないので別に普段通りで」
気を使われてしまった。顔に熱が集まるのがわかる。
その親切を頷いて受け取って、改めて話を切り出した。
「あの、バレかけているというか…」
「…浮気バレで修羅場とかじゃないですよね」
「修羅場というほどでは…というか、浮気する相手もいなければ咎める彼氏も旦那もいません」
言うといやいやいやと食い気味に否定された。
「いないのかもしれないけど、アレ、気にする人はいるんじゃないですか?」
「鬼灯くんのことですか」
「あ、わかってるんですね」
なんだ理解してるじゃないかという目で見られる。満更でもない関係なんだろうと。
「私も妻がいるから、その気まずい感じわかりますけど」
「…は、はい」
妻帯者の感覚と一緒にしていいのかどうか分からないけど、とりあえず頷く。
「時間を置いたりご機嫌とりで解決することもありますけど…それでも時間を置いて拗れることの方が多いですよ。対話に勝る解決法はありません。うちの妻の場合は特に言葉を欲しがるから」
「…口もきかないって拗ねてる訳じゃないんですよ」
「そうですね。お互いそういう風じゃないそう」
鬼灯くんも子供っぽいことはしないし、やるとしたら私の方だけど、そうした所で次の日にはけろっとした顔でねえねえと話しかけてしまうのが目に見えてる。
「あとはこう、馬鹿になってみたらどうでしょう」
「え、ええ…」
「うちは幸い妻が折れてくれる時もあるし、私が折れる時もあるし、どちらに負荷がかかりすぎることもなく、それなりに上手いことやれてますけど」
「…ああ…折れるかあ…」
鬼灯君の言うことはいつも正論で、いやいやそれは強引すぎない?と思う時もあるけど、大抵理にかなったものしかないので、こちらが折れる以外ない。
呆れて毒を抜かれて手を引いてくれることはあるけど、折れてくれてるのかというと少し違う気がする。
「時々なんで一緒にいるんだろうって思うときもありますけど」
「篁さんでも?」
「私をどんな目で見てるんですか」
「凄く穏やかで出来た奥さんを持った優しい旦那様」
「買ってくれてるんですね」
「はい。とても幸せそうだから」
にこにこと笑って言うと、少し照れ臭そうに頬をかいていた。
「結局妻が好きだから仕方ないなー折れてやろうって思えるし、好きだから許てしまうし。惚れた弱みってこういうことなんでししょうね。…あなたは鬼灯様のこと好きですか?」
「……すき…」
彼が言ってるのは間違いなく恋愛的な意味でだ。
「…私は鬼灯くんのこと、」
恋愛的な目では見ていない、と否定しようとしたところで「あっあー!」と遮られた。
「あ。そういえば貴女は少女漫画と少年漫画どっちが好きですか?」
「…え?」
「一つ屋根の下ドキドキ生活するなら、どっちの方が感情移入できるかって最近私の周りで議論になってて」
「…ええと…」
なんでそんな話になったんだかわからなくて混乱する。
「意外と男の方が少女漫画のヒロインに感情移入できてて、女性の方がラッキースケベ起こすヒーローに共感できてたりするんですよね。どういうことでしょう」
「え、え、ええーっ…聞かれても困ります…」
「貴女はキュンッとかします?」
「し、しなかったのでしないと思います…」
「じゃあラッキーが起ったら嬉しかったり」
「起っても困るので、困ります…」
あわあわ言うと、渋い顔をしていた。
「…似た物同士ですね…」
これだから…とでも言いたげな顔をしている。
「まあでも言えることは」
「は、はい」
「その蟠りを放置し続けてたら、お互いが苦しいだけだから」
もし何か意地を張ってしまっているだけなら、折れてやるのも一つの手だぞと。
遠回しに仲直りしたらどうですか、と優しく諭してくれているようだった。
「…はい。なんだかありがとうございます」
「いやいや」
夜になって鬼灯くんの部屋を訪ねた。
「開けるねー」と言って開けてから思ったけど、ここで躊躇しないから少女漫画にも発展しないし、間違っても着替えていたりしないから少年(青年)漫画にも発展しないんだなと。
今回の場合は鬼灯くんのサービス精神のなさと私の甘酸っぱさが足りなかったのが敗因。
「…謝りにきました」
「…」
ここでもったいぶらず意味深にもせずに、素直に用件から述べてしまうのも問題だと思った。
鬼灯くんは風呂上りのようで、少し乱れた髪をそのままに机に向かって読書していたようだ。
「目悪くなるよ」
「手元はつけてます」
「寝る前だからその方がいいんだけど…」
大きい方は消して机周りだけを小さな明かりが照らしている。
イスを隣に持ってきて、本を覗きこんだ。難しい字がたくさん並んでる。
「…名前」
めずらしく名前を呼ばれて顔をあげた。
鬼灯くんの手が頬に伸びた。まるでそういう雰囲気だったけど、至近距離にある顔はムスッとしていてとても自発的に起こした行動とは思えない。
「…また甲斐性がないって言われたの?だからってやらなくていいのに」
「…それは、言われましたけど」
「けど?」
「…触れてみようかと思った」
「触れたくなったじゃなくて。…何かの実験してるみたい」
「そうなんでしょうね」
髪が耳にからけられる。こういう仕草さえも実験なんだろう。
私も試してみるつもりで目を閉じて甘受してみるけど、ドキドキしたりしない。
「…本当に生きようとしてるんですね」
「なにが?」
「傍で生きろと言ったけど、頷いたけど。本当に素直に寄りそおうとしてくれるとは思わなかった」
喧嘩してもわざわざ寄ってみたり実験に付き合ってみたり。
「約束を反故にさせる気はありませんけど」
「破るとは思ってないじゃなくて?信用ないんだ…悲しい…」
「あなたが半端に手の平返すような性格をしていると思ってないけど、まあ信用はできない」
「ええ…」
「でも言葉の上だけなら、あなたは傍で生きると確かに私と約束して、うんと頷いた。契約したようなものです。そういうことになってるんです」
「…そこまで重く考えればね…」
契約なんて言葉を持ち出されるほどのことだろうか。
でも指切りのことを考えたら重いものかもしれない。
「私はもう一つあなたからの約束と、言葉がほしい」
「…えっなに?」
「それはまだ内緒です。…というか、受け身になるんじゃなくて、言わせるのがそれこそ男の甲斐性ってやつなんでしょうね」
「恐喝とかしないでね。怖いからやだよ」
「私をなんだと思ってるんだ」
不機嫌そうにしている彼には悪いけどちょっとおかしくてくすくす笑ってしまう。
「だからそのついでに全部白状させます。いったん保留」
「…ほりゅう…」
「先延ばしにされた方が案外苦しいですよね」
これは温情ではなくて罰なのかと思った。
「…いつも言えなくてごめんね」
「…言えないんじゃなくて、言いたくないんでしょ」
「んー、どっちも」
言えないことも言いたくないこともいくつもある。
「問い詰められて、罪悪感を抱いてますか。苦しいですか」
「…聞いてどうするの?」
「参考までに」
「…なんか怖いから言いたくない…」
わざとこちらの反応を見て嫌がる言葉を選んで激昂させた前科がある。
何かの罠か、誘導されているのかもと疑ってしまう。
「私はそれなりにありますよ、罪悪感」
「…え、なにに対して…?問い詰めてること?」
「それは言いませんけど」
「…ほんと意地悪…」
言いたくないでも言えないでもなく、ただ言わないだけ。
これはただの意趣返しだ。子供なのはどっちだ。これじゃお互い様だ。
1.生贄─雨の日も風の日も
傍で生きている、と約束しても、頷いても、結局変わり映えはしなかった。
付き合うと口約束したときもそうだった。
前よりは意識して一緒にいる時間を増やして、ただそれだけだった。
付き合っていると公言したことは、リリスさんとベルゼブブさん以外には未だない。
「いい加減ほんと身を固めてよ」と徹夜して機嫌最悪になっていた鬼灯くんに閻魔様が言っていて、独り身だと認識されているんだと改めて知った。
実際恋愛関係に発展してるとは思えないし、今度こそ理想でも口約束でもなく、心からやお互い「家族」のように近しく思えるようになれたとか、そういう感じなんだろうなと捉えている。
何が言いたいのかと言うと。
「…空気悪いな…」
「ウン…」
多くの家族がそうなように、多くの夫婦がそうなように、喧嘩したって離れられないのだ。
ルージュで鏡に伝言して出ていってみようかと思うも、母も実家もなければ職場が一緒なのでどっちにしろ逃れられない。
職場恋愛のリスクの高さってこういうことだなと痛感するのだった。
「なにしてしまったんですか?」
「あ…篁さん、ですよね」
「はい。何か面白いことになってるんですか?」
「面白い…?」
「あっなんでもないです」
ぶんぶんと手を振るけど、なんでもなくはないんだろうなあ。
「鬼灯くん…鬼灯様に隠し事がバレちゃって」
「えっ?…ていうか、私しかいないので別に普段通りで」
気を使われてしまった。顔に熱が集まるのがわかる。
その親切を頷いて受け取って、改めて話を切り出した。
「あの、バレかけているというか…」
「…浮気バレで修羅場とかじゃないですよね」
「修羅場というほどでは…というか、浮気する相手もいなければ咎める彼氏も旦那もいません」
言うといやいやいやと食い気味に否定された。
「いないのかもしれないけど、アレ、気にする人はいるんじゃないですか?」
「鬼灯くんのことですか」
「あ、わかってるんですね」
なんだ理解してるじゃないかという目で見られる。満更でもない関係なんだろうと。
「私も妻がいるから、その気まずい感じわかりますけど」
「…は、はい」
妻帯者の感覚と一緒にしていいのかどうか分からないけど、とりあえず頷く。
「時間を置いたりご機嫌とりで解決することもありますけど…それでも時間を置いて拗れることの方が多いですよ。対話に勝る解決法はありません。うちの妻の場合は特に言葉を欲しがるから」
「…口もきかないって拗ねてる訳じゃないんですよ」
「そうですね。お互いそういう風じゃないそう」
鬼灯くんも子供っぽいことはしないし、やるとしたら私の方だけど、そうした所で次の日にはけろっとした顔でねえねえと話しかけてしまうのが目に見えてる。
「あとはこう、馬鹿になってみたらどうでしょう」
「え、ええ…」
「うちは幸い妻が折れてくれる時もあるし、私が折れる時もあるし、どちらに負荷がかかりすぎることもなく、それなりに上手いことやれてますけど」
「…ああ…折れるかあ…」
鬼灯君の言うことはいつも正論で、いやいやそれは強引すぎない?と思う時もあるけど、大抵理にかなったものしかないので、こちらが折れる以外ない。
呆れて毒を抜かれて手を引いてくれることはあるけど、折れてくれてるのかというと少し違う気がする。
「時々なんで一緒にいるんだろうって思うときもありますけど」
「篁さんでも?」
「私をどんな目で見てるんですか」
「凄く穏やかで出来た奥さんを持った優しい旦那様」
「買ってくれてるんですね」
「はい。とても幸せそうだから」
にこにこと笑って言うと、少し照れ臭そうに頬をかいていた。
「結局妻が好きだから仕方ないなー折れてやろうって思えるし、好きだから許てしまうし。惚れた弱みってこういうことなんでししょうね。…あなたは鬼灯様のこと好きですか?」
「……すき…」
彼が言ってるのは間違いなく恋愛的な意味でだ。
「…私は鬼灯くんのこと、」
恋愛的な目では見ていない、と否定しようとしたところで「あっあー!」と遮られた。
「あ。そういえば貴女は少女漫画と少年漫画どっちが好きですか?」
「…え?」
「一つ屋根の下ドキドキ生活するなら、どっちの方が感情移入できるかって最近私の周りで議論になってて」
「…ええと…」
なんでそんな話になったんだかわからなくて混乱する。
「意外と男の方が少女漫画のヒロインに感情移入できてて、女性の方がラッキースケベ起こすヒーローに共感できてたりするんですよね。どういうことでしょう」
「え、え、ええーっ…聞かれても困ります…」
「貴女はキュンッとかします?」
「し、しなかったのでしないと思います…」
「じゃあラッキーが起ったら嬉しかったり」
「起っても困るので、困ります…」
あわあわ言うと、渋い顔をしていた。
「…似た物同士ですね…」
これだから…とでも言いたげな顔をしている。
「まあでも言えることは」
「は、はい」
「その蟠りを放置し続けてたら、お互いが苦しいだけだから」
もし何か意地を張ってしまっているだけなら、折れてやるのも一つの手だぞと。
遠回しに仲直りしたらどうですか、と優しく諭してくれているようだった。
「…はい。なんだかありがとうございます」
「いやいや」
夜になって鬼灯くんの部屋を訪ねた。
「開けるねー」と言って開けてから思ったけど、ここで躊躇しないから少女漫画にも発展しないし、間違っても着替えていたりしないから少年(青年)漫画にも発展しないんだなと。
今回の場合は鬼灯くんのサービス精神のなさと私の甘酸っぱさが足りなかったのが敗因。
「…謝りにきました」
「…」
ここでもったいぶらず意味深にもせずに、素直に用件から述べてしまうのも問題だと思った。
鬼灯くんは風呂上りのようで、少し乱れた髪をそのままに机に向かって読書していたようだ。
「目悪くなるよ」
「手元はつけてます」
「寝る前だからその方がいいんだけど…」
大きい方は消して机周りだけを小さな明かりが照らしている。
イスを隣に持ってきて、本を覗きこんだ。難しい字がたくさん並んでる。
「…名前」
めずらしく名前を呼ばれて顔をあげた。
鬼灯くんの手が頬に伸びた。まるでそういう雰囲気だったけど、至近距離にある顔はムスッとしていてとても自発的に起こした行動とは思えない。
「…また甲斐性がないって言われたの?だからってやらなくていいのに」
「…それは、言われましたけど」
「けど?」
「…触れてみようかと思った」
「触れたくなったじゃなくて。…何かの実験してるみたい」
「そうなんでしょうね」
髪が耳にからけられる。こういう仕草さえも実験なんだろう。
私も試してみるつもりで目を閉じて甘受してみるけど、ドキドキしたりしない。
「…本当に生きようとしてるんですね」
「なにが?」
「傍で生きろと言ったけど、頷いたけど。本当に素直に寄りそおうとしてくれるとは思わなかった」
喧嘩してもわざわざ寄ってみたり実験に付き合ってみたり。
「約束を反故にさせる気はありませんけど」
「破るとは思ってないじゃなくて?信用ないんだ…悲しい…」
「あなたが半端に手の平返すような性格をしていると思ってないけど、まあ信用はできない」
「ええ…」
「でも言葉の上だけなら、あなたは傍で生きると確かに私と約束して、うんと頷いた。契約したようなものです。そういうことになってるんです」
「…そこまで重く考えればね…」
契約なんて言葉を持ち出されるほどのことだろうか。
でも指切りのことを考えたら重いものかもしれない。
「私はもう一つあなたからの約束と、言葉がほしい」
「…えっなに?」
「それはまだ内緒です。…というか、受け身になるんじゃなくて、言わせるのがそれこそ男の甲斐性ってやつなんでしょうね」
「恐喝とかしないでね。怖いからやだよ」
「私をなんだと思ってるんだ」
不機嫌そうにしている彼には悪いけどちょっとおかしくてくすくす笑ってしまう。
「だからそのついでに全部白状させます。いったん保留」
「…ほりゅう…」
「先延ばしにされた方が案外苦しいですよね」
これは温情ではなくて罰なのかと思った。
「…いつも言えなくてごめんね」
「…言えないんじゃなくて、言いたくないんでしょ」
「んー、どっちも」
言えないことも言いたくないこともいくつもある。
「問い詰められて、罪悪感を抱いてますか。苦しいですか」
「…聞いてどうするの?」
「参考までに」
「…なんか怖いから言いたくない…」
わざとこちらの反応を見て嫌がる言葉を選んで激昂させた前科がある。
何かの罠か、誘導されているのかもと疑ってしまう。
「私はそれなりにありますよ、罪悪感」
「…え、なにに対して…?問い詰めてること?」
「それは言いませんけど」
「…ほんと意地悪…」
言いたくないでも言えないでもなく、ただ言わないだけ。
これはただの意趣返しだ。子供なのはどっちだ。これじゃお互い様だ。