第三十三話
5.恋情─悲しい事
「いや、本当にユーリくんも負けてないと思うよ、ロイドさんに。まだ若いけど、将来有望の優良物件だよね。いやお買い得だと思うな俺も。そうだよねちゃん」
「はあ、まあ、ロイドさんに負けず劣らずで…」
「ユーリくんと結婚する女の子はきっと幸せだろうね」
「そう、思いますよ」
愛情深いのはブライア家の先天的な気質か、後天的な家庭環境によるものか。或いはどちらもか。
身内に対して甘く、とことんまで尽くす二人だ。ヨルさんにしてもユーリにしても、
あの二人と恋人になった相手は幸せ者だろうと思う。
多少癖があるのは否めない。殺し屋をしているヨルさんは、その行いが大儀のためであったとしても、完全な善人とは言い切れない。けれど、決して悪人ではない。
秘密警察、とやらをしているユーリもそうだった。危険な汚れ仕事をしているという描写があったのを思い出す。
被験者に看守と囚人というそれぞれの役割を与えた心理実験では、看守役という制圧する側の役に回ったグループの性格が過激に変化していったという。
どこかの本で読んだその例とは違い、過激な仕事をしても、その善な性格をブレさせない二人は、人間が出来ているのだろう。
「……やめてください…」
ユーリはひと際萎んだ声色でストップをかけた。それをにこにこと眺めるドミニクさん。
褒め殺しでここまで照れるようなシャイな子だっただろうかと考えながら、いよいよテーブルに運ばれてきた一品目を眺めた。
切った食材をそのままスープにぶち込んで煮込んだだけと言った一品だった。
それはそれで、余程の事がなければ外れはない調理法なはずだ。
だというのに、魚の頭や骨、麺がはみだしたその皿は、おどろおどろしい。
見ためは悪いけど味はいい、と言った期待は出来なさそうだ。
「とりあえず一品目完成!」
「ほら出番だぞユーリくん!毒…味見してあげて!」
「えっいいんですか!」
さっきまで萎れていた表情を一変させて、パッと喜色を表に出した。
明らかに失敗していると分かるのに、ヨルさんの手料理というだけでご馳走に見えるようだ。いただきます!と喜んで躊躇わすに口にしたユーリ。
飲み込んだ瞬間、その刺激的な味にユーリの器官が明らかに痛めつけられ、むせ返っているのに、口に運ぶ手は止まらない。
私もユーリに倣うようにしてスプーンでまずスープを口に運んだ。
想像通り、喉に痛みが走り、ゲホッと咽てしまった。私の舌は傷み苦しみ、悲鳴を上げている。
飲み込もうとすると、喉が危険物を体内に取り込むのを阻止しようと抵抗し、狭まるのがわかる。飲み下せなかった液体が口からこぼれるのが分かる。
しかし手は止めず、今度は具材を掬い、無心になって咀嚼を続けた。
「すっごく美味しいよ姉さん!ああ懐かしい姉さんの味がするよォ〜」
「…相変わらず、美味しいよ…」
「え…吐いてるけど…え?どっち?」
ドミニクさんとカミラさんは私たちの珍妙な反応を見て、その料理がおいしいのかまずいのか判断できないようだった。
"美味しいと暗示をかけなければやっていない"味というのが正解だ。そんな説明はするつもりもなく、出来る余裕もなく、無言で黙々と食べ続ける。
二人は私達につられて恐る恐ると口にすると、バッタリと床に倒れ伏してしまった。
これぞギャグマンガと言ったようなリアクションである。
「何をどうなったらこうなるのよ!私の指示聞いてた!?」
「すみませんすみませんっ」
「姉さんおかわりはないのかい?」
身体は本能に従い拒絶反応を表すというのに、感情はヨルさんの料理を歓迎する。
ユーリはその感情に従い、おかわりを要求していた。
私は失礼ながら、ヨルさんの料理は昔から生きるために必要だと理性的に判断し、接種していた。
具材に罪はない。栄養が混じっているのは間違いがないし、生まれた環境が環境だったので、飢えないだけ幸せだと考えながら食べていたのだ。暗示をかけて食べる癖はそうやってついたのだ。
なので、必要に迫られているならともかくとして、今はおかわりを要求する気にはなれなかった。そもそも、胃袋が元々大きくないというのもある。
具材たっぷりのミネストローネを一皿食べれば十分だ。
それに、この後成功した一品が出来上がると知っていたので、それを味わうスペースを確保しておきたかった。
ミネストローネはまだヨルさんには早かったと言って、続いて運ばれてきたのはミートボール。
こちらも、見た目は悪いけど味は以下略とはとても思えない失敗作だ。
「うままーい!変な汗が出てくる程うまいよー!ああこの味を噛みしめてると小さかった頃の思い出が走馬灯のように次々と…あれ…?向こう岸にいるのは母さん…?」
「……うん…別世界に行けそうな神がかった味がする…」
「ストップ二人共一旦ストーップ!」
ユーリの皿から一口だけもらい、もごもごと無表情で咀嚼する。
涙を流しながら猛烈な勢いで食べるユーリと虚無顔をしている私をドミニクさんが全力で止めた。
姉の手料理を体がどれだけ悲鳴を上げようと、断固として食するのをやめない弟妹達。
まるで洗脳か調教でもされたような姿だ。
そんな宗教的な光景をみて、カミラさんが憐れんだような目で見ていた。
「こんなのしか食べてくれる人いなかったから三人揃ってヤバイ味覚に育っちゃったんですね…」
「栄養さえ摂れればそれでOKと思ってたので…」
「ユーリくんちゃん元気に育ってくれてよかったよ…」
こんなの扱いしてきたカミラさんにムカッとしつつも、ユーリはミートボールを完食してしまった。
ヤバイ味覚をしていると言われたことを、名誉棄損と思うべきか、姉を受け入れた愛の栄誉なのだと胸を張るべきかどうか。
私は一応前世で普通の料理を食べ、普通に暮らした記憶もある。
美味しいものがどんな味で、まずいものがどんな味かは判別できる。
私がブライアの家に厄介になるようになってからは、二人に"普通の"料理も振舞ったし、
外食に出かける金銭的余裕が出てきたころには、二人も普通の料理を食べる機会が幾度も増えたはずだった。
けれど、二人の味覚を取り戻すにはもう時は遅かったようだ。
「…たとえばさ、親が作ってくれた料理でおいしかったものとか覚えてないの?参考に…」
「うーん…?ユーリは何か覚えてる…?」
「母さんの料理…?んーおぼろげだけど、よくシチューみたいの出てなかった?あれ暖かくてすきだったな」
「ああ!目玉焼きが乗ってるやつ!」
「よし、それを作ってみましょう。味をよく思い出してみてください。多分ベースは簡単な南部シチューだと思います」
ドミニクさんとカミラさんに問われ、二人は思案している。両親が存命だった頃のブライア家の様子は知らないので、無言で見守った。
「ちなみにちゃんは何か覚えてる?おいしかったもの」
必死に食材を切り、カミラさんの指示を逐一メモに書き留めるヨルさん。
その姿を一歩引いて眺めながら、ドミニクさんが私に問いかけた。
すると、同じように遠巻きに応援をしていたユーリがぎょっとしてこちらを振り返った。
何事かと思いながらも、ドミニクさんの質問に答える。
「そうですね、父も母もどちらも料理をする人だったので、割と記憶にありますよ…父は意外とヘルシーな野菜料理が好きで、母ががっつりした肉料理とか、揚げ物が好きで。」
「へえ。意外だね、女性ががっつり系好きだってのは…まあよくあるかもしれないけど」
「はい、父が菜食主義かぶれだっだったから、二人並べて対比すると面白く見えますよね」
「それで、ユーリくんはどうしたの?」
「いや…その」
私達が話す姿をなんとも言えない顔で見ていたユーリは、歯切れ悪く言った。
「あんまりの親の話は聞いた事はなかったから…ちょっと驚いて」
「え…あれ、俺あんまり聞かない方がいいこと聞いちゃったかな?」
「いえ、聞かれなかったから話さなかっただけで、聞かれたら答えられる話題ですよ」
親を亡くしたトラウマとか無いです、と手を振って否定すると、ドミニクさんがホッとしていた。
ユーリはそうだったのか…と謎が解けたように頷きつつも、どこか腑に落ちていないような表情をしていた。
実際、孤児になったというのは悲しい出来事であると思うけれど、親がいないというのはブライア姉弟も同じで、そこらに転がっているあり触れた出来事だ。
親のいる家庭の方が比率的には多い。その分必然的に憐れまれる機会は多くなる訳だけど、探そうとしてみればこんな境遇の子供はいくらでもいる。
自分がこの世で一番の不幸を背負ったとも思わないし、聞かれて困るような事でもない。
それなのに、まさか気を使ってユーリが私の過去に触れないようにしていたとは思わず、驚いた。
「先輩ってさ、何か雰囲気変わりましたよね。前はもっとロボットみたいなつまらない顔してましたけど」
「え?え?そうですか…?け…結婚したから…でしょうか?」
「あ゛?何勝ち組気取ってるんですか?ちょっとメイク変えただけとかそんなんでしょ、図に乗んな」
「すみませんすみませんっ」
「はいはいカミラも十分素敵なレディだよ?自信もって」
カミラさんの肩をポンポンと叩きながら、片や喧嘩腰、片や委縮している二人の間に仲裁に入るドミニクさん。
なんというか、出来た人だと思う。どこかロイドさんを彷彿とさせる。我が強くなく中立的というか。カミラさんとヨルさんも気にかけ、ユーリと私のことも気にかけ、器用に立ち回る。だというのに狡猾という印象は与えない。どこか風のようで掴めない人だ。
「ところで初めていいニオイがするんだけど、成功じゃないこれ?」
「……うん、悪くない」
ドミニクさんが言うと、確かにいいニオイといい見栄えをしているスープを凝視して、恐る恐るカミラさんが一口味見する。すると、パッと表情を明るくした。
「おいしい…けど何か足りない気もするな…」
「このままでも十分おいしいけど…」
同じく味見をしながらユーリが言うので、私は刺激的な味に慣れすぎて薄味に旨味を見いだせなくなっているのではと勘繰ってしまった。
けれど、単純に昔母親に作ってもらった味とは少し違っているという意味だったようだ。
私は元の味をしらないので、今のままで完成と言って差し支えがないように感じるのみだった。
料理上手のカミラさんは職人の顔をして思案し、出身地はどこかと尋ねた。
ニールバーグの東の方だとヨルさんが答えると、その辺の地方だサワークリームを足しているかも、とすぐに思いついたようで、冷蔵庫からサワークリームを取り出しひとさじ鍋に加えた。
すると、味見をした姉弟二人はパッと顔を上げて驚いたように視線を交わす。
その輪に加われないのがどこか寂しくもあり、しかし当然だと割り切る気持ちもあり、そして苦渋でもあった。
元は赤の他人である、という事実を再び突きつけられたからだ。
苦々しく思っていると、ふとさっきのやり取りを思い出した。
ユーリくんと結婚する女の子は幸せだね、と言いながら、何度もユーリに目配せしていたドミニクさん。そして私が褒める度に、萎れていき、やめてくださいと小さくなっていたユーリ。
あれってもしかして、からかっていたのではないだろうか。私は何も自覚しないまま上手く誘導尋問に乗せられていたけれど、ユーリは気が付いていたのだろうか。
ヨルさんが半分本気、半分冗談で結婚してしまえと言うように、ドミニクさんもそういった意図でからかっていたのでは、と今さらハッとさせられた。
それもこれも、血の繋がっていない"赤の他人"だからされる事だ。
実際、幼少期ならまだしも、成人した姉と弟を捕まえて、そんなに仲いいなら結婚すれば?なんて冗談でも言う者は少ないだろう。
血縁とのアレソレなんて、想像するだけでも抵抗感を覚えるものだから。それは言われる側も、言う側もだ。
料理教室は無事に大成功に終わり、夜も更ける前にお暇した。
名残惜し気にいつまでも手を振るユーリの服を引っ張り、会釈をしながらカミラさんの家を去る。
星空が一番綺麗に輝く頃だ。道に並んだ街灯の一つがチカチカと点滅するのを見て、もうじき寿命だなと他愛のないことを考えて現実逃避する。
隣に並んで同じ家路に着くユーリが、特別な人とは思いたくなくて。
ここまで暗示をかけなければいけなくなっているのなら、最早私の深層心理では、一線を越えてしまっているのだろう。
表層にある上澄みの意識では、認めたくないと悪あがきをしているだけで。
まるでヨルさんの料理のように、暗示をかけなけば食べれない。暗示をかけ言い聞かせなければ、隣に並べない。特別な存在。認めたくはない。そして、決して認めては"いけない"感情だ。
「ユーリもいつか結婚するんだね」
「……は?」
「私のお父さんがそうだったみたいに、ヨルさんみたいに…相手のために料理の特訓したりするのかな」
我慢はすればするほどに反動が大きくなる。堪えようとすればするほど逆効果。
そういう人間の生まれ持つ天邪鬼な心理を逆手に取るならば、ユーリの色恋沙汰に纏わる話題を忌避するのではなく、積極的に触れてしまえばいいのではないかと思った。
そうしていくうちに、なんでもなく、風のように通り過ぎていくかもしれない。そんな一縷の願いにかけた。
「……優良物件って言ってたくせに」
「くせに、なに」
「……………良いと思うものは、ほしくならないのか」
長く長くタメを入れてから、絞り出すように問われる。
遠回しな言葉の意味を考えて、暫く沈黙してしまった。
私はユーリを優良物件だと言った。世の中の多くの女性が、ユーリを魅力的に思うだろうと。
それは世辞でもなく、客観的な意見で本音だった。
良い本心から思うソレを、他人事のように思うのではなく、"自分自身が"手に入れたいとは思わないのかと問われたのだ。
その意味を理解した瞬間、どうしようもない感情が強く強く、奥底から溢れてきた。
血の繋がったきょうだいとのアレコレなんて、想像するだけで気持ち悪い。
それは前世での友人知人もよく言っていた事だし、理解できる心情だった。生理的に受け付けられないのだ。
それは生物の根本的構造による物なのだから、理屈ではない。
極度のブラコンシスコンきょうだいだとしても、本気で恋人になりたいとまで思うのは稀だろう。本能は近親相姦を避けようとする物だ。たまに、そこに逆らうものもいるのだろうけど。
ユーリが、今、たとえ冗談だとしてもそれを口にする意味。──出来てしまうその意味。
それを考えると、どうしようもなく困惑した。
「……わたし、…わたしは…」
ごくりと生唾を飲みながら、足を止めて言葉を探す。丁度点滅していた街灯の足元にまで来ていて、この瞬間についにこと切れてしまった。
この辺り周辺だけ、薄暗くなっている。レンガ造りの足元を月明かりが照らしていた。
視線を下に下に落として、上へはどうしても上げられない。
「………今まで、神様とか信じてなくて。だって叶えてくれないものに縋るのは馬鹿らしいし、惨めで…心の救いよりも、現実的なものが欲しかったから」
脈絡なく神様の話を振られて少し驚いているような気配がした。
けれど私の話を遮るつもりはないようで、無言で続きを促した。私も話を逸らしたつもりはなく、続けて質問に答える。
「叶うはずもない現実を想像するのは、とても悲しい事でしょう?」
自嘲したように言うと、そのまま沈黙が下りてしまった。
どちらともなく歩き出すと、そのまま暫くは無言のまま。
「それって、」
自宅が遠くに見えてきた頃、一言だけユーリが口にして、止める。
さっきの私の悲しいという言葉の意味を問おうとして、踏みとどまったようだった。
意味など考えなくても、その言葉通りだ、なんていう説明をして、改めて虚しくならずに済んでよかったと思う。
宝くじを当てるような確率で幸せになる未来を、私は幼い頃から夢見ていた。叶わない、と知りながら幻想を見るのは、とても虚しかった。
今思えば、ここが漫画の世界だったからだろうか。都合よく私は救われて、その夢は現実になったけれど。
一度ある事は二度ある、などとは思わない。そうすると、やはりそんな空想は悲しくなるだけだと思うのだ。
5.恋情─悲しい事
「いや、本当にユーリくんも負けてないと思うよ、ロイドさんに。まだ若いけど、将来有望の優良物件だよね。いやお買い得だと思うな俺も。そうだよねちゃん」
「はあ、まあ、ロイドさんに負けず劣らずで…」
「ユーリくんと結婚する女の子はきっと幸せだろうね」
「そう、思いますよ」
愛情深いのはブライア家の先天的な気質か、後天的な家庭環境によるものか。或いはどちらもか。
身内に対して甘く、とことんまで尽くす二人だ。ヨルさんにしてもユーリにしても、
あの二人と恋人になった相手は幸せ者だろうと思う。
多少癖があるのは否めない。殺し屋をしているヨルさんは、その行いが大儀のためであったとしても、完全な善人とは言い切れない。けれど、決して悪人ではない。
秘密警察、とやらをしているユーリもそうだった。危険な汚れ仕事をしているという描写があったのを思い出す。
被験者に看守と囚人というそれぞれの役割を与えた心理実験では、看守役という制圧する側の役に回ったグループの性格が過激に変化していったという。
どこかの本で読んだその例とは違い、過激な仕事をしても、その善な性格をブレさせない二人は、人間が出来ているのだろう。
「……やめてください…」
ユーリはひと際萎んだ声色でストップをかけた。それをにこにこと眺めるドミニクさん。
褒め殺しでここまで照れるようなシャイな子だっただろうかと考えながら、いよいよテーブルに運ばれてきた一品目を眺めた。
切った食材をそのままスープにぶち込んで煮込んだだけと言った一品だった。
それはそれで、余程の事がなければ外れはない調理法なはずだ。
だというのに、魚の頭や骨、麺がはみだしたその皿は、おどろおどろしい。
見ためは悪いけど味はいい、と言った期待は出来なさそうだ。
「とりあえず一品目完成!」
「ほら出番だぞユーリくん!毒…味見してあげて!」
「えっいいんですか!」
さっきまで萎れていた表情を一変させて、パッと喜色を表に出した。
明らかに失敗していると分かるのに、ヨルさんの手料理というだけでご馳走に見えるようだ。いただきます!と喜んで躊躇わすに口にしたユーリ。
飲み込んだ瞬間、その刺激的な味にユーリの器官が明らかに痛めつけられ、むせ返っているのに、口に運ぶ手は止まらない。
私もユーリに倣うようにしてスプーンでまずスープを口に運んだ。
想像通り、喉に痛みが走り、ゲホッと咽てしまった。私の舌は傷み苦しみ、悲鳴を上げている。
飲み込もうとすると、喉が危険物を体内に取り込むのを阻止しようと抵抗し、狭まるのがわかる。飲み下せなかった液体が口からこぼれるのが分かる。
しかし手は止めず、今度は具材を掬い、無心になって咀嚼を続けた。
「すっごく美味しいよ姉さん!ああ懐かしい姉さんの味がするよォ〜」
「…相変わらず、美味しいよ…」
「え…吐いてるけど…え?どっち?」
ドミニクさんとカミラさんは私たちの珍妙な反応を見て、その料理がおいしいのかまずいのか判断できないようだった。
"美味しいと暗示をかけなければやっていない"味というのが正解だ。そんな説明はするつもりもなく、出来る余裕もなく、無言で黙々と食べ続ける。
二人は私達につられて恐る恐ると口にすると、バッタリと床に倒れ伏してしまった。
これぞギャグマンガと言ったようなリアクションである。
「何をどうなったらこうなるのよ!私の指示聞いてた!?」
「すみませんすみませんっ」
「姉さんおかわりはないのかい?」
身体は本能に従い拒絶反応を表すというのに、感情はヨルさんの料理を歓迎する。
ユーリはその感情に従い、おかわりを要求していた。
私は失礼ながら、ヨルさんの料理は昔から生きるために必要だと理性的に判断し、接種していた。
具材に罪はない。栄養が混じっているのは間違いがないし、生まれた環境が環境だったので、飢えないだけ幸せだと考えながら食べていたのだ。暗示をかけて食べる癖はそうやってついたのだ。
なので、必要に迫られているならともかくとして、今はおかわりを要求する気にはなれなかった。そもそも、胃袋が元々大きくないというのもある。
具材たっぷりのミネストローネを一皿食べれば十分だ。
それに、この後成功した一品が出来上がると知っていたので、それを味わうスペースを確保しておきたかった。
ミネストローネはまだヨルさんには早かったと言って、続いて運ばれてきたのはミートボール。
こちらも、見た目は悪いけど味は以下略とはとても思えない失敗作だ。
「うままーい!変な汗が出てくる程うまいよー!ああこの味を噛みしめてると小さかった頃の思い出が走馬灯のように次々と…あれ…?向こう岸にいるのは母さん…?」
「……うん…別世界に行けそうな神がかった味がする…」
「ストップ二人共一旦ストーップ!」
ユーリの皿から一口だけもらい、もごもごと無表情で咀嚼する。
涙を流しながら猛烈な勢いで食べるユーリと虚無顔をしている私をドミニクさんが全力で止めた。
姉の手料理を体がどれだけ悲鳴を上げようと、断固として食するのをやめない弟妹達。
まるで洗脳か調教でもされたような姿だ。
そんな宗教的な光景をみて、カミラさんが憐れんだような目で見ていた。
「こんなのしか食べてくれる人いなかったから三人揃ってヤバイ味覚に育っちゃったんですね…」
「栄養さえ摂れればそれでOKと思ってたので…」
「ユーリくんちゃん元気に育ってくれてよかったよ…」
こんなの扱いしてきたカミラさんにムカッとしつつも、ユーリはミートボールを完食してしまった。
ヤバイ味覚をしていると言われたことを、名誉棄損と思うべきか、姉を受け入れた愛の栄誉なのだと胸を張るべきかどうか。
私は一応前世で普通の料理を食べ、普通に暮らした記憶もある。
美味しいものがどんな味で、まずいものがどんな味かは判別できる。
私がブライアの家に厄介になるようになってからは、二人に"普通の"料理も振舞ったし、
外食に出かける金銭的余裕が出てきたころには、二人も普通の料理を食べる機会が幾度も増えたはずだった。
けれど、二人の味覚を取り戻すにはもう時は遅かったようだ。
「…たとえばさ、親が作ってくれた料理でおいしかったものとか覚えてないの?参考に…」
「うーん…?ユーリは何か覚えてる…?」
「母さんの料理…?んーおぼろげだけど、よくシチューみたいの出てなかった?あれ暖かくてすきだったな」
「ああ!目玉焼きが乗ってるやつ!」
「よし、それを作ってみましょう。味をよく思い出してみてください。多分ベースは簡単な南部シチューだと思います」
ドミニクさんとカミラさんに問われ、二人は思案している。両親が存命だった頃のブライア家の様子は知らないので、無言で見守った。
「ちなみにちゃんは何か覚えてる?おいしかったもの」
必死に食材を切り、カミラさんの指示を逐一メモに書き留めるヨルさん。
その姿を一歩引いて眺めながら、ドミニクさんが私に問いかけた。
すると、同じように遠巻きに応援をしていたユーリがぎょっとしてこちらを振り返った。
何事かと思いながらも、ドミニクさんの質問に答える。
「そうですね、父も母もどちらも料理をする人だったので、割と記憶にありますよ…父は意外とヘルシーな野菜料理が好きで、母ががっつりした肉料理とか、揚げ物が好きで。」
「へえ。意外だね、女性ががっつり系好きだってのは…まあよくあるかもしれないけど」
「はい、父が菜食主義かぶれだっだったから、二人並べて対比すると面白く見えますよね」
「それで、ユーリくんはどうしたの?」
「いや…その」
私達が話す姿をなんとも言えない顔で見ていたユーリは、歯切れ悪く言った。
「あんまりの親の話は聞いた事はなかったから…ちょっと驚いて」
「え…あれ、俺あんまり聞かない方がいいこと聞いちゃったかな?」
「いえ、聞かれなかったから話さなかっただけで、聞かれたら答えられる話題ですよ」
親を亡くしたトラウマとか無いです、と手を振って否定すると、ドミニクさんがホッとしていた。
ユーリはそうだったのか…と謎が解けたように頷きつつも、どこか腑に落ちていないような表情をしていた。
実際、孤児になったというのは悲しい出来事であると思うけれど、親がいないというのはブライア姉弟も同じで、そこらに転がっているあり触れた出来事だ。
親のいる家庭の方が比率的には多い。その分必然的に憐れまれる機会は多くなる訳だけど、探そうとしてみればこんな境遇の子供はいくらでもいる。
自分がこの世で一番の不幸を背負ったとも思わないし、聞かれて困るような事でもない。
それなのに、まさか気を使ってユーリが私の過去に触れないようにしていたとは思わず、驚いた。
「先輩ってさ、何か雰囲気変わりましたよね。前はもっとロボットみたいなつまらない顔してましたけど」
「え?え?そうですか…?け…結婚したから…でしょうか?」
「あ゛?何勝ち組気取ってるんですか?ちょっとメイク変えただけとかそんなんでしょ、図に乗んな」
「すみませんすみませんっ」
「はいはいカミラも十分素敵なレディだよ?自信もって」
カミラさんの肩をポンポンと叩きながら、片や喧嘩腰、片や委縮している二人の間に仲裁に入るドミニクさん。
なんというか、出来た人だと思う。どこかロイドさんを彷彿とさせる。我が強くなく中立的というか。カミラさんとヨルさんも気にかけ、ユーリと私のことも気にかけ、器用に立ち回る。だというのに狡猾という印象は与えない。どこか風のようで掴めない人だ。
「ところで初めていいニオイがするんだけど、成功じゃないこれ?」
「……うん、悪くない」
ドミニクさんが言うと、確かにいいニオイといい見栄えをしているスープを凝視して、恐る恐るカミラさんが一口味見する。すると、パッと表情を明るくした。
「おいしい…けど何か足りない気もするな…」
「このままでも十分おいしいけど…」
同じく味見をしながらユーリが言うので、私は刺激的な味に慣れすぎて薄味に旨味を見いだせなくなっているのではと勘繰ってしまった。
けれど、単純に昔母親に作ってもらった味とは少し違っているという意味だったようだ。
私は元の味をしらないので、今のままで完成と言って差し支えがないように感じるのみだった。
料理上手のカミラさんは職人の顔をして思案し、出身地はどこかと尋ねた。
ニールバーグの東の方だとヨルさんが答えると、その辺の地方だサワークリームを足しているかも、とすぐに思いついたようで、冷蔵庫からサワークリームを取り出しひとさじ鍋に加えた。
すると、味見をした姉弟二人はパッと顔を上げて驚いたように視線を交わす。
その輪に加われないのがどこか寂しくもあり、しかし当然だと割り切る気持ちもあり、そして苦渋でもあった。
元は赤の他人である、という事実を再び突きつけられたからだ。
苦々しく思っていると、ふとさっきのやり取りを思い出した。
ユーリくんと結婚する女の子は幸せだね、と言いながら、何度もユーリに目配せしていたドミニクさん。そして私が褒める度に、萎れていき、やめてくださいと小さくなっていたユーリ。
あれってもしかして、からかっていたのではないだろうか。私は何も自覚しないまま上手く誘導尋問に乗せられていたけれど、ユーリは気が付いていたのだろうか。
ヨルさんが半分本気、半分冗談で結婚してしまえと言うように、ドミニクさんもそういった意図でからかっていたのでは、と今さらハッとさせられた。
それもこれも、血の繋がっていない"赤の他人"だからされる事だ。
実際、幼少期ならまだしも、成人した姉と弟を捕まえて、そんなに仲いいなら結婚すれば?なんて冗談でも言う者は少ないだろう。
血縁とのアレソレなんて、想像するだけでも抵抗感を覚えるものだから。それは言われる側も、言う側もだ。
料理教室は無事に大成功に終わり、夜も更ける前にお暇した。
名残惜し気にいつまでも手を振るユーリの服を引っ張り、会釈をしながらカミラさんの家を去る。
星空が一番綺麗に輝く頃だ。道に並んだ街灯の一つがチカチカと点滅するのを見て、もうじき寿命だなと他愛のないことを考えて現実逃避する。
隣に並んで同じ家路に着くユーリが、特別な人とは思いたくなくて。
ここまで暗示をかけなければいけなくなっているのなら、最早私の深層心理では、一線を越えてしまっているのだろう。
表層にある上澄みの意識では、認めたくないと悪あがきをしているだけで。
まるでヨルさんの料理のように、暗示をかけなけば食べれない。暗示をかけ言い聞かせなければ、隣に並べない。特別な存在。認めたくはない。そして、決して認めては"いけない"感情だ。
「ユーリもいつか結婚するんだね」
「……は?」
「私のお父さんがそうだったみたいに、ヨルさんみたいに…相手のために料理の特訓したりするのかな」
我慢はすればするほどに反動が大きくなる。堪えようとすればするほど逆効果。
そういう人間の生まれ持つ天邪鬼な心理を逆手に取るならば、ユーリの色恋沙汰に纏わる話題を忌避するのではなく、積極的に触れてしまえばいいのではないかと思った。
そうしていくうちに、なんでもなく、風のように通り過ぎていくかもしれない。そんな一縷の願いにかけた。
「……優良物件って言ってたくせに」
「くせに、なに」
「……………良いと思うものは、ほしくならないのか」
長く長くタメを入れてから、絞り出すように問われる。
遠回しな言葉の意味を考えて、暫く沈黙してしまった。
私はユーリを優良物件だと言った。世の中の多くの女性が、ユーリを魅力的に思うだろうと。
それは世辞でもなく、客観的な意見で本音だった。
良い本心から思うソレを、他人事のように思うのではなく、"自分自身が"手に入れたいとは思わないのかと問われたのだ。
その意味を理解した瞬間、どうしようもない感情が強く強く、奥底から溢れてきた。
血の繋がったきょうだいとのアレコレなんて、想像するだけで気持ち悪い。
それは前世での友人知人もよく言っていた事だし、理解できる心情だった。生理的に受け付けられないのだ。
それは生物の根本的構造による物なのだから、理屈ではない。
極度のブラコンシスコンきょうだいだとしても、本気で恋人になりたいとまで思うのは稀だろう。本能は近親相姦を避けようとする物だ。たまに、そこに逆らうものもいるのだろうけど。
ユーリが、今、たとえ冗談だとしてもそれを口にする意味。──出来てしまうその意味。
それを考えると、どうしようもなく困惑した。
「……わたし、…わたしは…」
ごくりと生唾を飲みながら、足を止めて言葉を探す。丁度点滅していた街灯の足元にまで来ていて、この瞬間についにこと切れてしまった。
この辺り周辺だけ、薄暗くなっている。レンガ造りの足元を月明かりが照らしていた。
視線を下に下に落として、上へはどうしても上げられない。
「………今まで、神様とか信じてなくて。だって叶えてくれないものに縋るのは馬鹿らしいし、惨めで…心の救いよりも、現実的なものが欲しかったから」
脈絡なく神様の話を振られて少し驚いているような気配がした。
けれど私の話を遮るつもりはないようで、無言で続きを促した。私も話を逸らしたつもりはなく、続けて質問に答える。
「叶うはずもない現実を想像するのは、とても悲しい事でしょう?」
自嘲したように言うと、そのまま沈黙が下りてしまった。
どちらともなく歩き出すと、そのまま暫くは無言のまま。
「それって、」
自宅が遠くに見えてきた頃、一言だけユーリが口にして、止める。
さっきの私の悲しいという言葉の意味を問おうとして、踏みとどまったようだった。
意味など考えなくても、その言葉通りだ、なんていう説明をして、改めて虚しくならずに済んでよかったと思う。
宝くじを当てるような確率で幸せになる未来を、私は幼い頃から夢見ていた。叶わない、と知りながら幻想を見るのは、とても虚しかった。
今思えば、ここが漫画の世界だったからだろうか。都合よく私は救われて、その夢は現実になったけれど。
一度ある事は二度ある、などとは思わない。そうすると、やはりそんな空想は悲しくなるだけだと思うのだ。