第三十話
4.物語完全同居


「…という事で、これからよろしくお願いします」

いつかのように、ユーリに向けて正座して頭を下げていた。


「う、うん…いや別にそんなに畏まらなくてもいいのに…」
「……」

私はちょっと引いたようなユーリの目をじっと見ながら、黙りこんだ。
よくはないのだ。決してよくはないのだ。これは礼儀としてのお願いでもあるけれど、別の意味で念押ししている所もあるのだから。
学校から帰ると、既にユーリが帰宅していた。ユーリが帰ってくるのは三日ぶりだった。
私がフォージャー家を訪ねたのは、ユーリが不在にしていた間のこと。
厳密にいえば昨日の事である。
家に帰ってきたユーリは、もう入浴も済ませて、持ち帰ってきた仕事をするために机に向かっていた。その傍らで私は頭を下げたのである。


「ああ、それでさ…さっき姉さんから電話がかかってきて。……言ってたんだけど」
「うん?」
がユーリに対してうわあ…って思ってる所があるみたいだから、その辺解決して仲良く暮らしてくださいね"って」
「………うわぁ」
「そのうわぁって何に対してのうわぁ…?」


いい仕事をしてくれてありがとう、と感謝すべきか、余計な事をと悲しむべきか、分からなかった。
私はそこで長く長く沈黙した。私はまるでこの世の終わりとでも言いたげな表情をしていたのだろう。ユーリは深刻そうな面持ちをしながら、私の言葉の続きを待っていた。


「わ、わたし…わたしは…」


ごくりと固唾をのみ、意を決して口を開く。


「肝臓について調べてから…色々と……」
「かんぞう?」


まさかこの場でそんな単語が出てくるとは思わなかったようで、ユーリは拍子抜けしていた。
その隙に付け込むように…というのか、この勢いを大事にして、畳みかけるように最後まで告げた。


「色々とあって、お酒がきらいです」
「……それは、つまり」
「お酒を飲んだユーリがきらい」
「極端すぎないかその発想は!?」


別にお酒が嫌いなんじゃなくて酔っぱらったボクが単純に嫌いとなんだろう、と言われて、全くその通りだと思った。
オブラートに物事を伝えるという術を知ってる元日本人なので、直接的に告げられなかったのだ。
けれど、最初からハッキリと伝えた方が角も立たず、お互い傷つかない場合もあるのだと、今しみじみと思った。
うわぁ…となっていた原因。それはユーリがお酒を飲んだ20歳の誕生日会前の出来事が発端だった。
あれからというもの、ユーリとどこか気まずくなっていた。
といっても、態度には出していないつもりだったし、険悪になった訳でもない。
ただ意識してしまっているというだけで。
そのうわぁ…といった気持ちは、ヨルさんには筒抜けだったようだけど。

厳密にいえば、お酒を飲んだユーリが嫌いなのではなく、その時にされるスキンシップが嫌いだった。
それが文化なのだと言われても、すきなひとにしかしないと言われても。
赤の他人だという事を思い知らされて、酷くショックだったのだ。
大切な恩人を、一瞬だけでも異性としてみた自分が憎たらしい。
もう二度と、そんな瞬間は訪れてほしくない。
家族に近いような親愛は抱いたとしても。間違っても。


「……すごく、恥ずかしかったから」


──この親愛を恋情には変えたくない。
自分が汚くて矮小な生物になったような気がしてくる。血縁こそないから、禁忌ではない。
そんな事実は言い訳にならない。それは恩を仇で返すような裏切りなような気がしていた。
私自身にも、ユーリ自身にも望まれない、恋愛感情が芽生えてしまったら。
今は"意識"で済んでも、一人の人間として立派になり、これからどんどん人間として磨かれていくユーリを"魅力的"だと思い、惹かれてしまったらどうする。
それに気づかれて、拒絶されたくない。
このまま家族のような関係性のまま、いつまでも信頼を築いていきたい。
ヨルさんが言ったように、私達が結ばれるかの異性など限りなく0に近いものであり、きっとお互い別々の家庭を築き、いつか幸せになるのだ。

ここが漫画の世界であるというなら、猶更だ。ユーリのポジションであれば、カップリングが結ばれるような女の子キャラクターが出てきてもおかしくない気がした。
そういえば、漫画のタイトルはスパイファミリーだったような気がする。
偽り、スパイ、家族という単語がよく出てきたのは思い出せる。そう考えると、そこが繋がると結構自然な気がしてきた。
スパイファミリー、という漫画が何巻まであったかは定かではない。が、私が読んだ時点では、あまり多くは出ていなかったはずだ。巻数を重ねればキャラクターが増えるのは道理で、その内にいい感じのキャラクターがあてがわれるのは王道というか、あり得ない話ではないはず。


「……嫌じゃ」
「…え?」
「嫌、じゃ。なかった…?」
「…えと」
「だから、キスを、された事」

相当言いづらそうに、そっぽを向きながら聞かれた。
これ以上この話題を掘り下げられたくはなかった。けれど、避けて通れないとも思った。
自分が嘘をつけないというのは、昨日改めて思い知らされたばかりだ。
そしてユーリが尋問のプロだという裏の顔があると思い出してからは、隠し事や繕いをする事は得策ではないと、今まで以上に強く思うようになった。
照れ隠しで言い繕うと、更に惨めで恥ずかしくなる、という意味もあった。
正直に話してしまった方が拗れず、疑われず、後腐れもなくなるだろう。


「嫌じゃ、なかったよ」
「…!」
「だから、ただ…恥ずかしくて。…そういうは嫌だった」
「そういうのって」
「そういうのはそういうのだよ…なんでそんな事聞くの…?」


これこそ、まるで尋問だ。根掘り葉掘り隅々まで洗いざらいしないと気が済まないのか。まさか職業病に陥ってるのではないかと不安になった。


「私、元々スキンシップ得意じゃないから…ユーリかヨルさん以外にされるのは苦手で…でも、それでも…あれはやりすぎ」


それは嘘じゃなかった。今世では自分が卑しい出自であるという負い目もあったし、
世間様から隠れるように生きてきた。他人と関わり合いになると、惨めになる。
そういう生活を続けた弊害で、なんとなく苦手になってしまったのだ。
この世界でただ二人、至近距離で触れ合っても大丈夫な人たち。それがユーリとヨルさんだった。
健全に育った前世の蓄積がある分、"苦手"というだけで済まされているけれど。
普通、あんなに酷い虐待を受けて育てば、いくら心優しい人たちに拾われても、簡単には立ち直れなかったと思う。PTSDでも患っていてもおかしくない。


「姉さんに抱きしめられた時は、めちゃくちゃ嬉しそうにしてるくせに…」


すると、ユーリに恨みがましい目で見られた。これは格差だ、薄情な態度を取るものだと、拗ねてしまったようだ。
そうはいっても、同性と異性では話が違ってくるだろう。私の自意識が過剰すぎるのだろうか。ヨルさんにキスされたんだとしても、意識はしなくても、物凄く照れて顔をみれなかったかもしれないのに。
それともユーリが、姉にしか眼中にないせいで、感覚がズレているのではないか。
家族同然に育ってきたからと言って、未成年の若い女子にキスしておいてそれは…
…ああ、もしかして、私には、女性的な魅力がないのだろうか。
恋愛対象外というか、女としてみれないというのなら、話は分かる。
それでも、私にとっては違う。悔しい話だけれど。ここは断固として譲れない。

「…とにかく、恥ずかしくなっちゃうから、もうやめて」

そっぽを向きながら念押して、寝室の扉をあけた。夕食も入浴も終えて、後はもう寝るだけ、という状態になっていた。
「おやすみ」と声をかける。扉が閉まる寸前、「…あ!?」と何かに驚いたような声が聞こえたけれど、気が付かなかったふりをした。
何が起こったのか、虫でも出たのかは知らないけれど、今日はもう限界だ。
それこそ薄情な事をしているとは自覚しつつも、そのまま扉をしめ切ってしまった。


2022.8.28