第二十六話
4.物語追及


どうして何も説明してくれなかったのか、という当然の追及に対して、ヨルさんはこう弁解した。


「それは…」
「それは?」
「わ…忘れてたからです!」


パリン、と皿の割れる音がした。音の出どころ言わずもがな、台所にいるロイドさんの手元だ。
私はぐぅッと私は喉を詰まらせた。まさかそんな突拍子もない言い訳が出てくるとは思わなかったのだ。
けれど、暫くすると、じわじわと再び既視感が溢れてくる。
薄っすら擦り切れた記憶がよみがえってきたのだ。ああそういえば確かに、この言い訳でゴリ押す流れだったような…と。
知っているけれど知らない。デジャヴと新鮮さ半分といった感じだった。
ロイドさんの顔をみるまで、ここが漫画の世界だなんて思いもしなかったくらいだ。
タイトルも思い出せないほどに記憶もかすみ朧げになっているけど、覚えている事もある。

「え…うん…えっと…」
「忘れてたんです!」

相当困惑しているユーリも、到底納得できるはずのないこの一言で、押しきられてしまう──という流れを私は覚えていた。


「ていうかこないだ電話の時パートナーいるって…なんでせめてあの時…どういうこと??」
「あ…あれは…」


ユーリと共に何度も話し合い、それでも納得がいかなかった部分だった。
今の私は、フォージャー家が即席家族だから色々な事が急なのだと理解してしまっているけれど、そういう理由を教えられなければ、どんな弁解をされても腑に落とす事ができなかったと思う。
一年結婚を知らせない、一ヵ月ごとに旦那と妹の家を行き来していた、なんて不可解な状況は、簡単な理由では納得できる話ではない。


「結婚のことを伝え忘れてたのを忘れてたからです!」
「ぐッ」


パリリン、と皿が割れる音がした。
ロイドさんもユーリもヨルさんも、そのまま沈黙してしまった。
私はと言えば、あくまで忘れていたでこの状況を押し切ろうとするヨルさんが面白くて、
肩を震わせて笑いをこらえていた。
ああそういえばこのシーン、初めて読んだ時に相当笑ったなあと、思い出し笑いが溢れて止まらなくなる。
さすがにここで爆笑してしまったら、色々不謹慎すぎるので、死ぬ気でこらえた。


「姉さんがそう言うならそうなんだね!ごめんよ」
「ふぐっ」


あれだけ理に通らない説明に困惑しつつも、まるで思考を放棄したかのように納得したユーリ。やはりユーリのこれは宗教に近いなと思った。
笑いで震えが止まらない。
元々ユーリのこういう部分は知っていたはずで、呆れる事はあっても、笑ったことは一度もなかった。
漫画で見た時に笑ったという記憶がよみがえった事と、緊張状態におかれてどこかハイになっているせいで、感じ方が変わってしまった。


「もー姉さんはおっちょこちょいだなあ」
「ウフフ、ごめんなさい」


ロイドさんが相当困惑した表情でこちらを見ているのが視界の端に映った。
まさかこの説明で納得するとは思っていなかったのだろう。
おっちょこちょいで済ませて笑い合うブライア姉弟。そして何故か震えながら俯いている妹。奇妙な光景に引いているのは見なくても分かった。


「おまたせしました」

ロイドさんは、平然を装いながら、"簡単なもの"とは思えない彩り豊かな料理を運んで机に乗せてくれた。
ユーリの顔には最早最初に浮かべていた笑顔はなく、ロイドさんを前にすると敵対心が隠せなくなっていた。


ちゃんは食べられないものはあるかな?」
「えと、なんでもすきです…っ…ふふ」
「そ、そう。それはよかった」


最初こそ敬語だったロイドさんも、私が最年少の未成年であるからか、子供に接いるようにくだけた話し方をするようになっていた。
そして残っていた笑いの余韻のせいで、変なタイミングで吹き出した私に、ちょっと困った顔で笑いかけた。
ロイドさんの内心は想像がつく。ブライア一家は揃って変わってる…と思っているのだろう。
彼の情報収集力を考えると、私が血縁関係にない事くらいは分かっているだろうけど、類は友を呼ぶくらいには思われていそうだ。


「ロイドさんの料理美味しいでしょう?もどう?」
「うん、すごくおいしい」

あまりの美味しさに、ついつい食べるペースが速くなっているユーリ。
偽装結婚とはいえ、こんなにもハイスペックな料理上手の旦那さんを捕まえるなんて、さすがヨルさんだ。
舌鼓を打っていたところで。


「そうだワインも持ってきたんですよ、よかったら」
「これはご丁寧に」


忘れていたフラグを思い出して青ざめた。げんなりして一気に料理の味がしなくなる。
ブライア家の姉弟はその血の定めか、酒癖が悪い。
ユーリがこの後このワインのおかげで結構テンションがおかしくなるのを薄っすらと思い出した。

「──それで、お二人はどこで知り合ったんです?」


そこから、四人でテーブルを囲みつつ、本題に入っていった。
三番街のブティックで、知らない人がジロジロと見てきてうわぁ〜っと思ったとヨルさんは語る。
やはり面白くて少し笑ってしまった。ウケを狙っている訳じゃないのに、素でそんな馴れ初め話を始めるヨルさんの天然さが改めて可愛く、そして面白い。
ああいやあまりにキレイな方でしたので…と咄嗟に弁明しつつ、ロイドさんは付け加えた。


「何度か食事を重ねるうちに意気投合はしまして」
「…その食事はいつ・どこで・何回くらい?店の名前は?何度目の逢瀬で交際に至ったのですか?結婚の決め手は?」
「えっと…」


まるで尋問である。ロイドさんもそう思っているのか、少し引き気味になっている。

「二人は互いに何と呼び合っているので…?」
「それいる?」
「え…?まあヨル、と」

逢瀬の回数や店名は、まあ詮索するために必要な情報だとも思えた。
お店に行けば、どんな形でか、情報として残るだろう。後からそれを調べれば、虚偽は知れる。
が、愛称は判断材料になるのかどうかと、思わずツッコミを入れてしまう。
呼び捨てをしようがあだ名で呼ぼうが当人のノリと性格次第というか、
それを元に親密度や話の信憑性を測るのは少し難しい。


「ねね姉さんはまさかそんな、ロイロイとかロッティとか…」
「え?え?」


頬を赤らめながらも、困惑した様子で言葉につまるヨルさん。
沈黙は肯定とでも捉えたのか、ロッティ!チクショオ!と雄たけびを上げながらユーリはワインを一気飲みしてしまった。
ここで飲むんだったか!と不意を突かれて、私は飲んでいた水で咽た。
未成年なので、当然私にはそのワインは振舞われない。
すぐさま酔いの回ったユーリに対して、ロイドさんは気遣うようにお水を差しだしてくれた。
私はカンニングをしているからこそ、ほんのわずかな困惑や動揺を読めるけれど、それが無ければ絶対にロイドさんの心理は読めなかっただろう。
どんな場面でも、笑顔を絶やさず紳士的に振舞うロイドさんはさすがプロだった。
ユーリは水になど興味はないと言わんばかりに、酒をあおり続けた。

「そういえばユーリくん外交官なんですよね?立派な職業で…ヨルさんいつも鼻高に自慢してますよ?ちゃんにとっても、自慢のご家族なんでしょうね」
「ドミニクさんに聞いたけど、こないだはフーガリアまで行ったんですって?」
「え…ああ、まあただの仕事だよ」


フーガリアは、とても美しい街であると説明した。
カフェもたくさんあり、時の皇后も通ったという老舗店もあるという。
その話に対して、「首都オブダですか?」とロイドさんが切り返す。

「カルパティアにはよく行きましたよ、店主のじいさんが作るシチューが絶品で」
「ボクもそれ食べました!」

医学研修で昔、その土地を訪れた事があるというロイドさん。
そこから二人は饒舌に、大使館周りのレストランや、ヘジャー通りの専門店で買ったというフーガリア産のワインについてなど、語りだした。

「…」

私はここで少し、"何か"に引っ掛かりながらも、喉元まで出かかっているその何について、思い出す事が出来ずにいた。


2022.8.18