第十八話
3.構築引っ越し


「不束者ですが、今日からよろしくお願いします」

三つ指をつくとまでは行かずとも、正座をして、ペコリと頭を下げた。
それを立ちすくみ見下ろすユーリは、心から複雑そうな顔をしていた。
もしかしたら迷惑だったのだろうか、と一瞬一抹の不安を抱いたけれど、そもそも親権を争うかのように私と暮らしたがったのは、ヨルさんとユーリの方なのだ。
杞憂だとは思う。けれど、どれだけ様子を伺ってもやはりユーリは喜んでいる様子もなく、ただ居心地悪そうにしていた。
迷惑がられてるとしか思えない反応。けれどそこは10年以上かけて培って来た信頼関係がその懸念を解消した。
拾った犬を放りだすように、理不尽に手の平を返す性格はしていないだろう。


「あのね、ヨルさんの家とユーリの家、行き来する度に物に必要な荷物を運ぶのって手間でしょう」
「ああ、そうだろうな。そんなの効率が悪すぎる。最初から最低限、どちらの家にも揃えておけばいいと思うよ」


話しかければ普通に受け答えしてくれる。それにホッとする。
最近ずっとこんな感じだなぁと思った。
目を逸らされたり、気まずそうに話したと思った次の瞬間には、ケロっとしていつも通りに会話する。
根本から嫌われた訳ではなく、何かしら理由がある。口を重たくする琴線が、その時その時であるのだろう。
何故、どうして、といちいち聞くような話ではないと感じた。人と人との関係なんて、浮き沈みがあって然るべきで、好きだけど嫌いという矛盾すら両立する。
気まずいのだろうが、嫌われてはいない。ならば時間が解決してくれるだろうと、放任と傍観の選択を取った私は薄情なのだろうか。
沈黙を選んだ当人の意思を尊重すると言えば聞こえはいいが、修復する努力を怠る薄情者と言われても仕方ない。捉えようだろうなと思った。


「とりあえず歯ブラシと、化粧品と、…これだけで結構沢山あるるね…。…あ、あと、シャンプーも置いていい?」
「もちろん。ここはもうの家でもあるんだから、好きにしていい」

鞄の中からアレコレと中身を取り出し、一つ一つ並べると、想像していたより数が多くて困った。かなりスペースを占領してしまうかもしない。けれど、ユーリは自由に物を置く事を許してくれた。
嫌がるどころか、膝をつき、私がちまちま整理整頓をする姿を微笑ましそうに見守っている。
本当に歓迎してくれているらしい。私も一緒に暮らせる事は嬉しい。ただ、長年の夢であった、ヨルさんのために立派な職につく、という目標を達成した今。
ヨルさんもユーリも、ある程度の余裕ができている事だろう。
言わずもがな、人生の余裕だ。
…それこそ、素敵な人を見つけて、恋人同士になったり。家に連れ込んでみたり。
そんな事が出来るようになるほどに。もう仕事や勉強一筋にならなくていいのだから。
そうすると、間違いなく私の存在は二人にとって邪魔になる。
その辺りの事は、いつか話さなければならないと思っている。
私が一刻も早く自立するのが一番の解決法だけれど、どうやら二人は、私をとことん勉学に励ませたいらしい。
一ヵ月ごとに二つの家を行き来させる、なんて手間をかけてまで。生活費、学費の支援も二人は一切惜しまない。
その全部を自分で賄いながら、学業に打ち込む立派な人も世の中にはいるのだ。
私にそれができないとは思わない。けれど前世という備蓄があろうが、苦労はすると思う。
恵まれた環境があるならば、その恩恵を甘受する事は罪でない。
そうは言っても、これから先の色々な事を考えるとやはり甘んじる事は出来ないとも思う。八方塞だった。


「…あ。それで、ユーリの家で着る専用のパジャマがこれ」


畳んであった服を開いて体に当てる。

「似合ってる?ヨルさんと一緒に選んだんだよ」


ヨルさんと一緒に買い物を行ったなんて、きっと羨ましいと妬むに違いない。
同性の特権を使うのはズルいというのは、常々ユーリが主張している事である。
ちょっとした悪戯心がわいて、自慢をするように見せびらかした。
ヨルさんを姉と呼ぶなんて烏滸がましい。同性の特権など使いません。
そう約束をした昔を思い出す。烏滸がましいと思っていたのは本心だ。
昔は死ぬほどに申し訳なく思っていたやり取りも、じゃれ合いとして使える程に親しくなれた。
今回も憤慨されて、けれど許されるのだろう。
──しかし、予想は裏切られる事となる。ユーリは悔しがるどころか、正反対の反応を示した。

「すごくかわいい。その色、のイメージにぴったりだと思うよ」
「……え、と。い、イメージって…なに?」
「控えめな性格だけど、信念は固い。儚げな容姿をしているのに、結構悪戯っ子っぽいところもあって」

上下で色が違うそのパジャマは、そういうギャップを上手く表現している。
にピッタリのデザインだ、いやのために作られたに違いないと饒舌に語った。
まるで敬愛するヨルさんを相手するように。心底、心を砕いているかのように。

「すごく、すごくかわいいと思う」

──まるで女の子を口説くかのように、とろけるような笑顔でユーリは言った。
…もしや、ユーリは今酔っぱらっているのではないか、という可能性が浮上した。
だって、こんなのあまりにもおかしい。
ユーリの前髪をよけて、手の平を額に当てた。すると、ユーリの肩がびくりと跳ねる。
明らかに触れる事を甘んじて受け入れている、と言った反応ではなかったけれど、拒絶する様子はない。それ幸いと言わんばかりに熱を測った。

「…熱、ないね。念のために聞くけど、酔ってないんだよね?」
「…なんだよその反応。可愛いと思ったから可愛いって言っただけで…そんないつもの事なのに、なんで今更」
「いつもの、事……」


確かに、ある時を境にして、ユーリは日常的に可愛いという言葉を使って褒めてくれるようになった。
そう、今のは、そう珍しいやり取りではなかった。だというのに、こうも強烈に違和感を覚えるのは何故なのだろう。

引っ越し初日の今日は、さすがに出前を取って済ませることになった。
先に風呂に入っていいと進めてもらえたので、お言葉に甘えて、一番風呂を頂く事にする。
新築のマンションという訳ではないけれど、そう古くない。
引っ越したばかりの建物は綺麗で、浴室も今まで住んでいた家よりも機能性がよかった。
未来で使っていた日本の風呂には及ばないけれど、満足がいく造りだ。
長湯したくなる気持ちを抑えて、しかしそれなりにゆっくりさせてもらいながら入浴を済ませた。


「ユーリ、お待たせ」


風呂から上がり、さっき話題にした通りのパジャマを着るて見せると、ユーリは再び笑顔を見せてくれた。
かわいい、と思っているのだろう、思考が筒抜けだ。そういう甘やかしは、嬉しくない訳じゃない。ただ慣れなくて、くすぐったくて。妙だな、と思うだけで。
この世に不変のものなどない。今まで"そう"じゃなかったからと言って、ユーリが態度を変えないとは限らない。心境の変化など、いくらでもするだろう。
むしろこの10年、接し方が一定だった事の方が珍しいのかもしれない。
そうやって自分を納得させてみた。
ソファーに座ったユーリの足元に座り込み、ドライヤーを手渡す。


「髪の毛かわかしてほしいな。…おねがい。ね?」
「う゛っ…!?」


ヨルさんのおねだりを真似して、手の平を合わせてお願いしてみた。
引っ越し初日で、私も柄にもなく舞い上がっているらしい。
まだここが自分の家だとは思えず、旅行でホテルに宿泊している時のような高揚を感じていた。
私はきっと、恐らく…いやどこからどう見てもはしゃいでる。元日本人としては、綺麗な浴室を満喫できた事は、自分が思っている以上に嬉しい事だったらしい。
これから毎日使えるんだと思うと、気分が高揚しない訳がない。
子供らしくない子供、年相応ではない。それが私の評価だ。散々そう言われ続けた私は今、恐らく今世で一番無邪気に浮かれて、ユーリをからかっている。
ユーリは暫く悶えると、降参だと言わんばかりにため息を吐いてから、コンセントを刺しスイッチを入れた。
ゴオッと音を立てながら温風が肌をくすぐる。そっとユーリの手が私の髪を指に絡め、水滴を払った。


「きもちい」


風で靡く髪の毛一房捕まえて、ユーリが首の後ろに流す。
その仕草が心地よくて、ぽつりと呟くと、ユーリの手がピタリと止まった。
どうしたのかと見上げようとして、しかしその心地よさには抗えず、目を閉じる。
ユーリの足に寄り掛かって、完全にお客様気分でくつろぐ。


「…お前、…。もしかして眠いの?」
「ちょっとだけ」
「こんな所で寝ても、ボクは運んでやらないからな。自分でベットに行けよ」
「やだ。いじわる」
「ぐっ…!?」


くすくすと笑って体をもたれさせると、ユーリの呻きが聞こえた。
甘え上手なヨルさんの可愛い口調や仕草を少し真似して、ユーリをからかうのは楽しかった。
確かに眠いけれど、今すぐにでも寝落ちてしまう程ではないし、そんなに子供ではない。
徹夜をしているならまだしも、少しの疲労で寝落ちてしまうというのは問題だろう。
ヨルさんのような性格や仕草、あの愛嬌。それを可愛いと思うユーリには、思った通りこういう仕草は覿面だった。
私のあの冗談めかした仕草を、天性のヨルさんとは違い、素でやっていないと分かりながら、それでも可愛いと思ってくれたのだろう。

悪戯っぽく考えたところで、ふと。私が逆に、ユーリを褒めた事はほとんどないかもしれないと思った。
勤勉で偉いとか、家事を手伝って偉いとか。そんな風には褒めた事はあっても。
…例えば、かっこいいとか。服装を褒めたりとか。そういうの無かったかも。
くるりと体を反転させて、ユーリを見上げた。


「ねえ、ユーリ」
「な、…に?」


ドライヤーのスイッチを止めて、少し緊張した様子でユーリが聞く姿勢に入った。
出会った頃、小さな子供だった私達は、お互いに大きく成長した。
それは、心も体もだ。昔は私の精神年齢が高すぎて、"今世"的には年上のはずのユーリを、それこそ子供としか思えなかったけど。
学校も卒業して、社会人になって。多分同世代よりも苦労しているし、自立精神は高くて、ある意味大人びてる。
背はぐんと高くなり、立派な青年になった。ここまでくれば、何もかもが対等と言って差し支えないだろう。子供だとか、未熟だとはもう思えない。
だから。多分もっと早くから、こう称えるべきだった。


「ユーリ、大きくなったね。すごく成長した」


昔ヨルさんが言っていたような褒め言葉。──それに加えて。


「カッコよくなったよね。顔立ちが整ってるのは昔からだけど…この手も」


随分骨ばって大きくなった手を取り、慈しむように撫でる。

「つま先からてっぺんまで、あなたは魅力的。一人の人間として、完璧になった」


こんな節目に置かれたからこそ、こう伝えるべきだと思った。
自立精神の高いユーリが望んでいた通り、もう保護される必要もない程に、立派な人間になったのだと。あなたの努力は実を結んだのだと。

初めて私がこんな褒め方をしたからか、ユーリは有難うと適当に受け流す事もできず、ただ言葉を無くしていた。
それか、案外褒められるのに弱いのかもしれない。
ユーリの顔は頬は赤く、耳まで色づいていた。
普段よく分からない発言で困らせられ、翻弄されるばかりの身だったので、ユーリを照れさせるのは悪い気分ではなかった。

2022.7.31