第十七話
3.構築─似非親権争い
ここまで辿り着くまでに、随分時間がかかったなと思う。
それと同時に、振り返ってみれば、案外あっと言う間だったなとも思った。
まさに、"夢中"になるという状態だったのだろう。
時を忘れるほどに必死になり、勉学に打ち込んでいたのだと思えば、自分が誇らしく感じる。
そして打ち込める環境を作ってくれた姉、ヨル・ブライアの献身と慈愛を、誇りに思う。
姉に大事に育てられてきたユーリは、姉に見送られ、旅立つ。
卒業式で聞いたような、感動的で感傷的なフレーズに心動かされる事はなかったユーリも、この時ばかりは感極まらざるを得なかった。
ずっと願った通り、姉のためになる、立派な職につけたと思う。
そしてそれに次ぐように、も無事に合格・進学した。
ああ、順風満帆な人生だなと思った。
平均的な家庭よりは苦労したとは思うけれど、決して不幸ではない。
ブライア家は仲のいい家族であった。
涙ぐんで、抱きしめ合って。順調に仲良いきょうだい愛を育んでいたのだ。
…ついさっきまでは。
「姉さん!姉さんばっかりズルいよ…!」
「もう。ユーリは働き始めなんですよ?なんでそんなに意地を張るんですか!」
美しい光景は、ほんの瞬きの間に、ちょっとした修羅場に変わっていた。
事の発端は、のもらしたたったの一言。
お祝いムードの感動的なシーンに水を差さないよう、黙って見守っていた。
が、その胸に渦巻いていた感慨が、つい口からこぼれだしたらしい。
「私もとうとう独り暮らしか…」という独り言にも似た呟き。
それを耳にした姉と弟は顔を見合わせて、まさか!という顔をした。
そして、お互い揃って同じ主張をした。
「は自分の家に住まわせる」と。そしてこの口論が始まったのだ。
の大学進学を機にして、ブライア家はそれぞれが自立した生活を送るようになると、は思っていた。
ももうすぐ18になる。もう立派な大人として働ける年齢だろう。
もちろん、若い体を売るなんて事はなく、人様にきちんと言えるような、表世界の仕事が出来るはずだと切望していたけれど。
もちろん、その提案はヨルに一蹴された。
「学業と仕事の両立にどれだけの苦労がかかるか、きちんとわかっていますか?」と諭すように言われ、ユーリからも思い直すようにとデメリットを羅列された。
ユーリ自身は20を迎える前に社会人になっているのに、ズルいと思った。
援助は惜しまないから学業に専念し、なりたい職業がまだないのであれば、四年生の大学に通っておけと常々念押しされていたのだった。
どれだけ甘やかすつもりだろうか。やりたい事がないなら勉強しておいて損はないというのも一理あるけど、早くから社会経験を積んでおいて損はないというのもまた真理だろう。
そうしての意向は完全に却下されて、論点は「どちらの家で引き取るか」という物に早々にすり替わった。
****
「それに、やっぱり同性同士の方がよいと思いますよ?男の子にはわからない事もあるでしょう。女の子のお世話は、やっぱり女が適任だと思います」
「もうッッ!!昔から同性同性って二人で結託して!それをここで持ち出すのはズルいよ!」
「だって、同性ですもの!」
「異性だって家族は家族だろう!?持ってる権利は変わらないよ!」
ユーリがヨルにここまで食い下がるのは珍しかった。
冗談めかして言うなら、二人がやっているのは「親権争い」のようなもの。
どちらが義理の妹と一緒に暮らすかで揉めているのだ。
私の進学が全ての区切りだった。ユーリが独り立ちするのと同時に、ヨルさんも部屋を新しく部屋を借りて、今の家を引き払う事になる。
私が自分の稼ぎで独り立ちする事が許されないなら、母につくか、父につくかを選ばなければならないのだろう。
冗談めかして言えば言う程に、今目の前に広がる光景は、別居の夫婦の言い争いにしか見えなくなってきた。
「ユーリは一人でも大丈夫って、あんなに言っていたじゃないですか!姉さんはがいなくなったら寂しいです」
「それは姉さんを安心させたかったから…!心配かけたくなかったし…!ボクだって人だからね、寂しくてペットくらい飼いたいって思ったりするよ!」
「まあ!妹に向かってなんですかその言い草は!」
ユーリの姉さん至上主義は徹底している。まるで信仰である。姉の言う事は全てが正しいという教義に従い、大抵ユーリが素直に従うため、口論にすらならない。
今回は、この10年の中で、あんまり見た事のない珍しい光景だった。
珍百景を面白がるのも程ほどに仲裁に向かう事にする。
私のために争わないで!と飛び込んでいきたくなる悪戯心を抑えて、すぐさま丸く収まる、奇跡のような代案を提供する義務があった。
この姉弟はいつまでも仲良くしていてほしい。自分が火種になって拗れるなんてとんでもない。二人の間に割って入り、口論が止まってから、ピッと指を一本立てた。
「私が二人の家を行き来するのはどうかな?それなら平等だよね」
「え…」
「まあ…」
二人は揃って、目から鱗だとでも言いだけな顔をしていた。
私を物理的に半分こにする事は出来ないけど、これなら平等に権利は行き渡る。
どうにか納得してもらえそうな空気だった。内心でホッと一息つく。
本当に別居する両親を前にして交渉してする子供のような気分になってきた。
世界には、こうして不仲な親の間で板挟みになり、苦労する子供もいるのである。
そもそも喧嘩一つなかったこの10年が奇跡的だったのだ。
「でも、…通学は?そうすると、不便になりませんか」
「私の学校はヨルさんの職場ともユーリの新居とも離れてないし、それはまあ、今より手間かもしれないけど…うん、許容範囲内だと思う」
二つの拠点からの交通ルートを頭の中でいくつか用意して、ざっと計算すると、十分実現可能だろうと思えた。
二時間以上かけて通勤通学する人間も数多存在する世の中で、乗り継ぎが面倒くさくなるだのと文句を言ったら恨まれそうだ。
あとは各々の気持ちの問題だ。ヨルさんは、何かを伺うようにじっと私の目を見つめた。
「は、本当にそれでいいんですか…?」
「全然いい。二人共と会える私は幸せ者だよ」
姉弟は顔を合わせる時間が少なくなるのに対して、私は二人と変わらず生活し続ける事になる。
ユーリからしてみれば、それこそ姉を独占するなんてズルい!と嘆きたくなる状況だろう。同性の特権ならぬ、末っ子の特権だ。
しかし、そんな特権を行使する気は更々なかったのに。自分で稼いで自分の面倒は自分でみたい、その本心は今もそのままである。
けれど、家庭崩壊しかけているのを見ても尚、自分の意向を押し切る気は起きなかった。
ユーリは何やら神妙な面持ちで黙り込んでいる。
「一週間…じゃ短すぎるよね。ねえユーリ、一カ月事に行き来するのはどう?」
「あ、ああ、うん……」
さっきまでの勢いはどこへやら。
黙り込んだユーリを気遣って、わざわざ名指しで問いかけたのに、変わらず煮え切らない反応を取られてしまった。
私の世話をすると言う話が現実味を帯びてくると、今度は急に責任が重くなり、面倒になったのでは、と勘繰ったくらいの反応だった。
くるりと振り返り、今度はヨルさんに尋ねた。
「ヨルさんはどう思う?二か月…いっそ半年ごとでもいいと思うんだけど」
「いやです、一か月がいいです…いえ、ほんとは毎日がいい………」
ヨルさんはさっきまでの勢いのまま、私を求め、離れる時間を惜しんでくれた。予想通りすぎて、苦笑いしてしまった。嬉しいけれど、今後も暫く迷惑をかける事になるのだと思うと、とても複雑な心境だ。本人達は、迷惑だなんて一欠片も思っていないと、わかってはいるけれど。
ヨルさんのような反応が正しい。あんな反応をするべきだ、と言い放つのは傲慢だろう。が、あんなにも歯切れ悪い反応をするユーリはおかしいと思う。
あんなに権利を主張して、ペットを飼いたくなる程に寂しいのだと喚いていたのは誰だろう。ユーリのはずだ。
最近のユーリは、否定とも肯定とも取れない、微妙な反応をされる事が多くなっていた。なので、これもその一貫だろうなと私は緩く受け止め、流す事にした。
本当に嫌なら、きちんと嫌と言える人だろうから。
──こうして、私達の奇妙な新生活は始まったのである。
3.構築─似非親権争い
ここまで辿り着くまでに、随分時間がかかったなと思う。
それと同時に、振り返ってみれば、案外あっと言う間だったなとも思った。
まさに、"夢中"になるという状態だったのだろう。
時を忘れるほどに必死になり、勉学に打ち込んでいたのだと思えば、自分が誇らしく感じる。
そして打ち込める環境を作ってくれた姉、ヨル・ブライアの献身と慈愛を、誇りに思う。
姉に大事に育てられてきたユーリは、姉に見送られ、旅立つ。
卒業式で聞いたような、感動的で感傷的なフレーズに心動かされる事はなかったユーリも、この時ばかりは感極まらざるを得なかった。
ずっと願った通り、姉のためになる、立派な職につけたと思う。
そしてそれに次ぐように、も無事に合格・進学した。
ああ、順風満帆な人生だなと思った。
平均的な家庭よりは苦労したとは思うけれど、決して不幸ではない。
ブライア家は仲のいい家族であった。
涙ぐんで、抱きしめ合って。順調に仲良いきょうだい愛を育んでいたのだ。
…ついさっきまでは。
「姉さん!姉さんばっかりズルいよ…!」
「もう。ユーリは働き始めなんですよ?なんでそんなに意地を張るんですか!」
美しい光景は、ほんの瞬きの間に、ちょっとした修羅場に変わっていた。
事の発端は、のもらしたたったの一言。
お祝いムードの感動的なシーンに水を差さないよう、黙って見守っていた。
が、その胸に渦巻いていた感慨が、つい口からこぼれだしたらしい。
「私もとうとう独り暮らしか…」という独り言にも似た呟き。
それを耳にした姉と弟は顔を見合わせて、まさか!という顔をした。
そして、お互い揃って同じ主張をした。
「は自分の家に住まわせる」と。そしてこの口論が始まったのだ。
の大学進学を機にして、ブライア家はそれぞれが自立した生活を送るようになると、は思っていた。
ももうすぐ18になる。もう立派な大人として働ける年齢だろう。
もちろん、若い体を売るなんて事はなく、人様にきちんと言えるような、表世界の仕事が出来るはずだと切望していたけれど。
もちろん、その提案はヨルに一蹴された。
「学業と仕事の両立にどれだけの苦労がかかるか、きちんとわかっていますか?」と諭すように言われ、ユーリからも思い直すようにとデメリットを羅列された。
ユーリ自身は20を迎える前に社会人になっているのに、ズルいと思った。
援助は惜しまないから学業に専念し、なりたい職業がまだないのであれば、四年生の大学に通っておけと常々念押しされていたのだった。
どれだけ甘やかすつもりだろうか。やりたい事がないなら勉強しておいて損はないというのも一理あるけど、早くから社会経験を積んでおいて損はないというのもまた真理だろう。
そうしての意向は完全に却下されて、論点は「どちらの家で引き取るか」という物に早々にすり替わった。
****
「それに、やっぱり同性同士の方がよいと思いますよ?男の子にはわからない事もあるでしょう。女の子のお世話は、やっぱり女が適任だと思います」
「もうッッ!!昔から同性同性って二人で結託して!それをここで持ち出すのはズルいよ!」
「だって、同性ですもの!」
「異性だって家族は家族だろう!?持ってる権利は変わらないよ!」
ユーリがヨルにここまで食い下がるのは珍しかった。
冗談めかして言うなら、二人がやっているのは「親権争い」のようなもの。
どちらが義理の妹と一緒に暮らすかで揉めているのだ。
私の進学が全ての区切りだった。ユーリが独り立ちするのと同時に、ヨルさんも部屋を新しく部屋を借りて、今の家を引き払う事になる。
私が自分の稼ぎで独り立ちする事が許されないなら、母につくか、父につくかを選ばなければならないのだろう。
冗談めかして言えば言う程に、今目の前に広がる光景は、別居の夫婦の言い争いにしか見えなくなってきた。
「ユーリは一人でも大丈夫って、あんなに言っていたじゃないですか!姉さんはがいなくなったら寂しいです」
「それは姉さんを安心させたかったから…!心配かけたくなかったし…!ボクだって人だからね、寂しくてペットくらい飼いたいって思ったりするよ!」
「まあ!妹に向かってなんですかその言い草は!」
ユーリの姉さん至上主義は徹底している。まるで信仰である。姉の言う事は全てが正しいという教義に従い、大抵ユーリが素直に従うため、口論にすらならない。
今回は、この10年の中で、あんまり見た事のない珍しい光景だった。
珍百景を面白がるのも程ほどに仲裁に向かう事にする。
私のために争わないで!と飛び込んでいきたくなる悪戯心を抑えて、すぐさま丸く収まる、奇跡のような代案を提供する義務があった。
この姉弟はいつまでも仲良くしていてほしい。自分が火種になって拗れるなんてとんでもない。二人の間に割って入り、口論が止まってから、ピッと指を一本立てた。
「私が二人の家を行き来するのはどうかな?それなら平等だよね」
「え…」
「まあ…」
二人は揃って、目から鱗だとでも言いだけな顔をしていた。
私を物理的に半分こにする事は出来ないけど、これなら平等に権利は行き渡る。
どうにか納得してもらえそうな空気だった。内心でホッと一息つく。
本当に別居する両親を前にして交渉してする子供のような気分になってきた。
世界には、こうして不仲な親の間で板挟みになり、苦労する子供もいるのである。
そもそも喧嘩一つなかったこの10年が奇跡的だったのだ。
「でも、…通学は?そうすると、不便になりませんか」
「私の学校はヨルさんの職場ともユーリの新居とも離れてないし、それはまあ、今より手間かもしれないけど…うん、許容範囲内だと思う」
二つの拠点からの交通ルートを頭の中でいくつか用意して、ざっと計算すると、十分実現可能だろうと思えた。
二時間以上かけて通勤通学する人間も数多存在する世の中で、乗り継ぎが面倒くさくなるだのと文句を言ったら恨まれそうだ。
あとは各々の気持ちの問題だ。ヨルさんは、何かを伺うようにじっと私の目を見つめた。
「は、本当にそれでいいんですか…?」
「全然いい。二人共と会える私は幸せ者だよ」
姉弟は顔を合わせる時間が少なくなるのに対して、私は二人と変わらず生活し続ける事になる。
ユーリからしてみれば、それこそ姉を独占するなんてズルい!と嘆きたくなる状況だろう。同性の特権ならぬ、末っ子の特権だ。
しかし、そんな特権を行使する気は更々なかったのに。自分で稼いで自分の面倒は自分でみたい、その本心は今もそのままである。
けれど、家庭崩壊しかけているのを見ても尚、自分の意向を押し切る気は起きなかった。
ユーリは何やら神妙な面持ちで黙り込んでいる。
「一週間…じゃ短すぎるよね。ねえユーリ、一カ月事に行き来するのはどう?」
「あ、ああ、うん……」
さっきまでの勢いはどこへやら。
黙り込んだユーリを気遣って、わざわざ名指しで問いかけたのに、変わらず煮え切らない反応を取られてしまった。
私の世話をすると言う話が現実味を帯びてくると、今度は急に責任が重くなり、面倒になったのでは、と勘繰ったくらいの反応だった。
くるりと振り返り、今度はヨルさんに尋ねた。
「ヨルさんはどう思う?二か月…いっそ半年ごとでもいいと思うんだけど」
「いやです、一か月がいいです…いえ、ほんとは毎日がいい………」
ヨルさんはさっきまでの勢いのまま、私を求め、離れる時間を惜しんでくれた。予想通りすぎて、苦笑いしてしまった。嬉しいけれど、今後も暫く迷惑をかける事になるのだと思うと、とても複雑な心境だ。本人達は、迷惑だなんて一欠片も思っていないと、わかってはいるけれど。
ヨルさんのような反応が正しい。あんな反応をするべきだ、と言い放つのは傲慢だろう。が、あんなにも歯切れ悪い反応をするユーリはおかしいと思う。
あんなに権利を主張して、ペットを飼いたくなる程に寂しいのだと喚いていたのは誰だろう。ユーリのはずだ。
最近のユーリは、否定とも肯定とも取れない、微妙な反応をされる事が多くなっていた。なので、これもその一貫だろうなと私は緩く受け止め、流す事にした。
本当に嫌なら、きちんと嫌と言える人だろうから。
──こうして、私達の奇妙な新生活は始まったのである。