第十二話
2.愛情結婚

この頃、ユーリとが揃って出かけると、恋人同士に勘違いされるようになった。
クラスメイトの女子にからかわれたのを皮切りにして、事あるごとに揶揄され、その頻度が増えて言ったように思う。
それをされた所で、不愉快な訳ではないのだけど、何故そうも揃って勘違いするのかと不思議に思う。
ぽつぽつと愚痴をこぼすように姉に告げると、あらあらと口元に手を当てたあと、にっこりと笑った。


「なんとなく、皆さんの気持ちがわかりますよ?だって私も二人はお似合だと思っていますから」


まさか姉に肯定されるとは思わず、ユーリは思わず口に含んでいた紅茶を噴き出してしまった。
姉が手ずから入れてくれた紅茶は刺激的な味がする。けれどそれ以上に、今の問題発言は刺激が強かった。
ゴホゴホと咽るユーリを見て、落ち着きのない子ですねえ、と、仕方がない子供を前にしたように眉を下げて、布巾をもってきた。汚してしまった机の上を、慣れた手つきで拭く。姉は掃除がとても得意だった。
姉がいれてくれた紅茶は慣れ親しんだ味がして、刺激とを与えるのと同時に安心感もくれる。
少しずつ気持ちと体を落ち着かせながら、ユーリは改めて問いかけた。


「お、お似合って…そういうの、兄と妹に対していう言葉じゃない気がするけど…」
「ええ、そうですね、本当ならそうなのでしょうけど…」


困ったように言葉を濁したヨル。ユーリはその含みの意味をすぐに察した。
いくら本心で本物の家族のように感じていても、いくら言葉で家族だ妹だと表しても。
血が繋がっていないという事実は揺るがない。
なので、悲しい事に、血の繋がらない形だけの"兄と妹"が恋人同士に間違われても無理はなく、また、禁忌という事はないのである。
本人や周囲の親しい人間の心境は置いておいて。倫理的、法的な問題は一切ないのだ。
もし本当にユーリとが血縁関係にあったならば、ヨルもここで同意はしなかったのだろう。


「私は私が思うままに、感じるがままに…の事を可愛がって、大切な妹として受け入れていますけど…」

そこで言葉を一度切って、少しだけ物憂げな顔をしながら手元のカップをくるくると回して遊ばせた。
揺らめく水面の奥に何を見ているのだろう、と、姉の絵になる姿をユーリは網膜に必死に焼き付けようとしていた。
姉とこうして二人きりで過ごせるのは久々で、貴重な時間だ。
ヨルとユーリの休みが重なり、は学校で面談があるらしく、出かけている。
もうすぐ受験生になる名前は、日々忙しくなく過ごしている。
自身は就職したがっているけど、姉としては進学してほしいらしい。
ユーリ自身にも、もうすぐ分岐点が訪れる。進学か就職か。優秀なユーリには、選択肢がたくさんあった。
努力してきた甲斐があったというものだ。優秀な人材を求めるのは、どのような学校・職場であれ同じ。引く手数多の状態なのである。

の多忙は他人事ではない、けれど。ユーリも今だけほんの少し休息してもバチは当たらないだろう。許されるはずだと気を抜いていた。
そこに落とされたのは爆弾だった。

「いいんですよ」
「?なんの話?」
「好きになったなら、好きになっても」
「……えっと……うん?」
の事を一人の女の子として愛してしまったとしても、」
「ちょっっっっと待って姉さん!!!!」

そこから先を言わせるつもりはなかった。姉の口から紡ぎ出される言葉は、一音一音が美しい。何人たりとも阻害するべきではない。
その貴重な姉の言葉はユーリだって遮りたくはなかった。が、その誤解ばかりはどうしても撤回しておきたかった。
ガタッと音を立ててテーブルに両手をつき乗りあがる。
ヨルはその動きを事前に察知して、自分とユーリの分のカップをテーブルから持ちあげ、中身が零れるのを回避していた。とても器用な身のこなし。さすが自慢の姉だ。


「大きくなったら姉さんと結婚するって…何度も何度もボクは言ったのに…!」
「あら、懐かしい。その約束、まだ覚えていてくれたんですか?」
「もちろん!姉さんとの約束を忘れるはずない!結婚しないで待っててくれるって言ったじゃないか…!」
「ふふ。私も忘れたりしませんでしたよ。ずっと待っていたんですよ?…でも、結婚は…本当にしたい相手とすべきですよ」
「っ本当に結婚したい相手なんて、姉さんだけだよ!」
「そう決めつけるのはもったいない、早いと思いますよ。ユーリにはまだまだ未来があるのですから」

ヨルはだだを捏ねる子供をなだめるように、ゆっくりと話した。
いつもは愛しく感じるその仕草も、今は不満に感じられた。姉への愛を疑われたも同然だ。
確かに、姉とは今でも結婚したい、出来ると思ってる。けれどその欲求は、恋愛感情から生まれた訳ではないことは、ユーリも自覚していたし、ヨルも分かっていたのだ。
結婚とは大事な人とするものだと、ユーリは幼いながらに知っていた。
だから大事な姉と結婚したい。ずっとそばにいたい。そのくらいの感覚で主張していたた。
それを理解しているヨルは、ユーリが心から恋愛感情を抱いた相手が現れたなら、
自分との古い約束など気にせず、愛して、恋して、結婚してもいいのだと諭しているのだ。
決して求婚されて迷惑がっている訳じゃない。可愛い弟に結婚したいと言われて、微笑ましく思わない訳もない。


を妹として迎えて、いい兄になれって言ったのは、姉さんだったのに…」
「家族のように大事にしてあげてくださいねって言ったのです。伴侶もまた家族ですよ」
「へ、屁理屈だ…!」

それは後だしジャンケンだ。詭弁だ。名称はどうでも良い。けれど、を迎えてから十年経った今になり、手のひらを返されたようで、それはズルい事だと思った。
けれどそんな小悪魔のような姉も可愛くて、胸が締め付けられ、顔が緩む。
この姉になら翻弄され、手のひらで転がされても本望である。そんな事をする性質の悪い魔性の女ではない事は分かってはいるけれど。姉に何をされても許せるしきっと愛せる事だろう。


「まぁ、それは一つの提案と言いますか。そういう道もあるという話です。ユーリがしたいようにしたらいいと思いますよ」
「…提案…と言っても。…例えボクがと結婚したいと思っても、がそう思うかはわからないよね」
「それはそうですよ。結婚はお互いが望み合ってするものですから。ユーリ、ファイトです!」


応援してます!とでも言わんばかりに拳を握られた。やはりユーリの姉は小悪魔かもしれない。ガックリと肩を落としつつ、けれど同時に愛しさで胸がいっぱいになっていた。


「…こういうのは、ご縁次第なのかもしれませんけど」


ぽつり、とヨルは呟く。


「皆でずっと一緒にいられたら、それはとても幸せな事ですよね」


幸せそうに満ち足りた笑顔を浮かべつつも、姉の瞳の奥に、寂しさの色を感じたのはユーリの気のせいではないだろう。
もうすぐ、色々な意味で"節目"に差し掛かる。
もしユーリが就職すれば、晴れて小さなころから目指していた通り、独り立ちする事が出来る。
すると、仲良しのブライア家は疎遠になる事こそなくても、一緒に過ごす時間は急激に減っていく。
そのために、ユーリは努力してきたのだ。
もちろん、好んで姉と離れたいとは思わない。寂しいと思う。結婚してでもずっとそばにいたい。
けれど、ヨルがユーリに対して言ったように、ユーリもまた同じように、姉には姉の望んだ通りにしてほしいと願ってる。
誰かのために身を粉にするのではなく、自分の時間を過ごしてほしい。
だから、家族としての時間を減らしたいとも思っている。どこぞの馬の骨になど易々とくれてやれないけれど、それでも誰かと幸せになってほしい。
一緒にいたいけどいたくない、奪われたくないけど奪われてほしい。
そんな矛盾した思いをずっと抱えて生きてきたのだ。

ヨルも、三人が離れ離れになるのが寂しいのだろう。だから、もしもの冗談だとしても、
とユーリが結婚して、家族になるという可能性を、夢を見るように語ったのだ。
姉がそう望むならばそうしてやりたい所だ。姉の夢も願いも、ユーリはなんでも叶えてあげたいと思ってる。
けれど姉は、心から"恋愛感情"を抱いた相手と一緒になってほしいと思っているのだ。
ユーリが姉に対してそう思っているように。
なので、ここで頷く事は出来なかった。

周りはお似合だと言うし、姉ですらこんな風に言うけれど。
ユーリがに対して抱いている愛情や親愛というのは、家族愛の域を出ていなかった。
年々、可憐な女性として成長して行っていると思う。けれど、それを魅力的と思うかは別問題だろう。

──でも、もしも万が一。とユーリが恋に落ちて、家庭を築くことになったら…。
そんな光景、そんな可能性。
例え一抹の儚いものだとしても。それをほんの一瞬でも想像してしまっただけで。
という人間が、恋愛対象になり得る女性だという"意識"がユーリの中に芽生えるには十分だった。
その事に、この時のユーリは気が付いていなかった。

2022.7.24