第十一話
2.愛情可愛い彼女

将来の夢は何か?と聞かれる事が多くなっていた。
最初に私にそれを訪ねたのは、学校の教員だ。
自慢ではないが、私は毎回クラスの成績でトップを取っていた。
同じく成績優秀優秀な生徒だったユーリ・ブライアという男子生徒を覚えていた年嵩の男性先生が、「なりたいものはなにか」と問いかけてきたのだ。
ユーリが優秀であることと、私が優秀であること。その類似性をみて、彼は何を思って、何て答えることを期待して尋ねたのだろう。
相手の期待に応えられる受け答えをする、というのは、学生生活を送り始めた私のモットーだった。
それは、前世がある分変に大人びている私が浮かないための、処世術だった。
あえて変な言い回しをすれば、相手のレベルに合わせて話しをするという事。
けれど、この先生は、私に対して何をどうして答えてほしがっているのか分からず、とても悩んだ。
早熟な子供としての答えを求められているのか、それともほんの興味で聞いただけなのか。
なので、私は逃げに走った。

「私は優秀な兄を尊敬しています。将来は、兄と同じ仕事につきたいです」

無難な受け答えが出来たとその時は思った。実のところ、私はユーリと同じ仕事につきたいなんて思った事は一度もない。尊敬しているのはうそではないけれど。
これならば、マセてもいないし、美しき家族愛、美談のようにも聞こえる。
どのの側面から見ても、満足のいく答えになっただろうと。
だから、一瞬先生の瞳がつまらなそうに細められ、落胆の色を見せた事に驚いた。

「へえ。仲いいんだね。…確か彼は外交官になりたいって言ってたっけ」

このとき私の中にあったのは、期待に応えられなかった焦り。そして何故落胆されたのだろうという疑問。
ヨルさんのため、誰かのためになりたいとは願いつつも、結局具体的なイメージは何も存在していなかった空虚な自分への失望。
いつの間にか夢を決めていたらしいユーリ。知らなかった。
そこに知らずのうちに便乗した事が、なんとなく恥ずかしいと思った。
先生のその落胆は、私の薄ぺらさを見抜いたからこそ湛えられた色だったのではないかと思った。


ヨルさんのために繋がるならば、ユーリは弁護士でも医者でも何にでもなれる。
それはユーリの気持ち的にも、ポテンシャル的にもだ。望めば飛び級も叶うだろう。
結局は、外交官になるという一つの道を選んだらしいけれど。
学校に通うようになってもう暫くが立つ。私の13歳は、もうすぐ終わろうとしていた。
参考書を買いに本屋に行くと告げると、ユーリも買い物をする用事があるというので、一緒に出掛ける事になった。

「あれ、ユーリくん?」

本が詰まった紙袋を抱えて本屋の扉を開けたところで、可愛らしく弾んだ声がかけられた。
そこにはユーリと同じ高校の制服をまとった女子生徒がいた。

「学外で会うのって珍しいねー。てかユーリくんの行動範囲って狭くない?真面目が目に見えて現れてるよねもう」
「お前、なんかまたバカにしてるだろ」
「バカになんてしてないよ〜遊びも怠けもしないで勤勉で、ふつーに偉いなーって思っただけ。ウチなんて今補習帰りだよ?」


これがクラスで交わされる、いつものじゃれ合いなのだろう。
いつものノリ、というヤツについていけず、疎外感が半端じゃない。
もしかしなくても、私はお邪魔虫というやつではないだろうか。ユーリがヨルさん以外にときめいてる姿は正直想像がつかないけれど、浮いた話の一つや二つあってもおかしくない年頃だし、こんな容姿をしてるのだ。好意をもたれる事もあるだろう。
後は若い二人で…と離脱するにしても、どのタイミングでどう声をかけるべきか分からなくて困った。
本来は、こんなに人見知りする方ではなかったはずだ。なのに、今世では随分と言葉を選ぶ癖がついてしまったようだ。
身の振り方を考えていると、ぱっちりと女生徒と視線があった。

「…はじめ、まして」
「うん、はじめまして〜」


ユーリの隣に見知らぬ女が立っていても、全く動じた様子がない。値踏みをするような目でもない。この子だれかな?という純粋な好奇心だけがそこにあった。
なるほど、ただの友人関係で、色恋の情は通っていないのかもしれない。
そう推測したところで、からり笑って彼女は尋ねた。


「この子、もしかしてユーリくんの彼女?」
「はあ?」


私はそう勘違いされてもおかしくないと状況だと予想していたため、驚きはしなかった。
ユーリはただ怪訝そうにしている。ユーリの今の心境を想像して代弁するなら、どこからどう見ても兄妹だろうに何言ってんだこの女…と言ったところだろうか。
暮らすことが当たり前になりすぎて、慣れすぎて。
ユーリは気が付いていないらしい。私達は兄妹と名乗るには、姿形があまりに似ていないこと。血縁など、周囲に感じさせる要素など存在しないという事を。


「話したことあっただろう?姉と妹がいるって」
「うん、毎日自慢されてるから耳タコだけどね、ちょっと想像と違ったから」
「はあ゛?」

うちの身内になんか文句でもあるのか?とでも言いたげなドス効いた短い威嚇だった。
ユーリは家族に対して思い入れがあり、一度懐にいれるととことん大事にしてくれる優しい子だった。
ユーリは成長期と変声期を迎え、ずいぶん背が伸びた。そんな男子の威嚇にも動じず、けらけら笑ってる女生徒は中々兵かもしれない。華奢で可憐な見かけとは裏腹に心臓が強い。


「これがあの妹さんかー…噂にはきいたことあったけど。現物初めてみたわぁ」
「うわさ…ですか?」
「おい、現物とか妙な言い回しするな」

ハラハラしながら傍観に徹していた私も、さすがにこの発言には口を挟まざるを得ない。噂という話題に食いついた私とは違い、ユーリは妙な所に食いつて絡んでいたけれど。
噂って何だろうと、まずそこを不思議に思わないものか。私は気になって仕方ない。
自慢ではないけれど、私には友人知人と呼べる人間はほとんど存在しない。
それなのに、いったいどこでどうやって何が広まったというのか。


「ウチの妹、実は妹さんと同じ学校通ってるんだけど。お喋りな子だから、学校であったこととか、めっちゃ喋ってくれるわけ」

楽しそうに笑いお喋りに興じる彼女の姿を見ると、妹さんの性格も想像がついた。
お家では姉妹同士、楽しく会話に興じているのだろう。
私の噂は妹さんヅテに入手したものだと知って、なんとなく居心地が悪くなった。
自分の預かり知らない所で自分の話が出回ってるというのは、なんとなく怖いものだ。

「成績トップでクールで気取らなくて、でも歩くにも座るにも、所作の一つ一つに品を感じちゃう。住む世界が違うって思うような、高嶺の花がいるんだって。人を寄せ付けない子だって」
「……なんで、それが私だと思ったんですか?それ、違う人の話だと思うんですけど…」

高嶺の花と呼ばれる程に、品を持つ人間性を獲得できるような人生は送っていない。
だからこそ、反面教師的に、礼儀作法には必要以上に気を使ってきた自負はある。
今世での自分の顔の美醜についてはノーコメント。悪いとは思ってないけど、飛びぬけているのかどうかは客観視できない。
元日本人からすれば、ヨーロッパ風の目鼻立ちをしてるというだけで、ひと際美しく見える。


「え?だってブライアさんって名前だって聞いてたし。まあ、今こうやって顔見て紹介されるまでは、ユーリくんの妹さんの話だとは思ってなかったけど…」
「なんでだよ!話した通り可愛い可愛い妹だろ!?よく見ろよこの顔を!」
「え〜可愛いってか、やっぱクールだし、どっちかっていうと綺麗系にしか見えないんですけど〜」
「うちの身内にケチつけるな!」
「ケチつけてないし、褒めてるし。なんなのその絡み」


ユーリに背を押され彼女の前に突き出される形になり、大変気まずい思いをした。
見定めるように目を細めた彼女は、照れてしまうほど実際褒めてくれているし、ケチなんてつけていない。
ユーリは昔からずっと私のことを可愛いというし、周りにもそう話していたらしく、それを彼女にも認めさせたがっていた。やたらと絡んでくるユーリに腹を立てるでもなく、笑って流してくれた彼女はやはり兵というか、懐の広い性格をしていると思った。

彼女と別れた後も、ユーリはぶちぶちと文句を言い続けている。
それをまぁまぁと宥めつつ、こうして並んで歩く私達は、やはり赤の他人からすれば彼氏彼女に見えるのだろう。


「やだ、美男美女カップル」
「目の保養〜」


この言葉に反応するのは自意識過剰だろうと思いつつも、あんなやり取りをした直後なのだ。
思わずちらりと声がした方を見ると、声の主とぱちりと目が合った。若い女性の二人組だ。
「やば、聞えちゃった」と慌てて逃げられた。友達同士なのだろうか。
ユーリもそのやり取りが聞えていたらしく、同じように逃げる彼女達の背中を見送っていた。暫くすると白けたような顔をしながら、私の方に向かい直した。

「お前、美女だったのか」


そんなに失礼な事を、女性に向かって改めてしみじみ言わなくてもいいのに。


「…可愛いっていつも言ってくれてるのに、その言いぐさ…」
「綺麗系だとか、高嶺の花なんて思ったことはない。可愛いは認めるけど」
「……ユーリに可愛いって言われるのは…」

すごく、すごく。すごく妙な気分になる。
前も同じようなやり取りをしたけれど、やっぱり変だな、としか感じられない。
取ってつけたような感じがするというか、言わされてるというか。
嘘をついてるとは言わないけど、ユーリが可愛いと告げる瞬間感じている気持ちというのは、世間的に言われる"かわいい"という感情とは違うものではないのか、と最近思うようになった。
そこにある気持ちをすり替えて表現しているというか。
こんなの些事というか、受け流せばいい事なんだろうけど、どうしても小骨が引っ掛かったような違和感が拭えず、毎回変な反応をしてしまう。
可愛いと言うと口ごもるのは毎回の事だ、ユーリも私の心境を見越していて、それでも凝りづに褒めるのを止めない。

にとって変な言葉でも、嬉しくなくても。それ以外になんて言ったらいいのかわからないし…。確かに、最近はちょっと諦めかけてる。…いや、開き直りか」
「……違う褒め言葉を探そうとしてたの?それで見つからないっていうのは……うわ…」


思わず口元に手をやって顔を背けてしまう。新たな可能性を見つけてしまって落ち込んだ。
ユーリの可愛いは、女子特有の"かわいい"なのかもしれない。
そこに具体性はなく、キュンと来たものにはとりあえず"可愛い"と褒めるのだ。
それはそれで悪い表現ではないのだけど、浅いと苦言を呈されても致し方ない。
分類に困ったものには可愛いと言っておげば丸く収まる、と言った感じで、手軽な世辞にも使われる。
何か褒めないといけない、となった時、綺麗ともカッコいいとも何とも思えない私の事を、とりあえず可愛いと褒めているとか…
…卑屈すぎる解釈だし、この予想はあんまり当たっているとは思いたくない。

「うわってなんだよ、うわって。ボクに語彙が無さすぎるって言いたいのか」
「……語彙はあるだろうユーリの頭から、それが出てこない理由を想像した。それで、うわ…ってなっただけ」

それこそ語彙のない説明の仕方だなと我ながら思いつつ、具体的に言葉にする気力はない。出かけ疲れもあるし、人疲れもある。
加えて、卑屈な想像をしたショックで気が削がれてしまった。


「……じゃあ綺麗って言われたら嬉しいか?」
「…別に。お世辞は嬉しくない」
「本心なら嬉しいのか」
「身の丈に合わない誉め言葉だなとは思っちゃうけど、それが嘘じゃないなら」
「…可愛いも嘘じゃないのに?」
「うん、本当なら嬉しいよ。いつも褒めてくれてありがとう」


そう、そうやっていい所を見つけて褒めてくれようとする姿勢は、嬉しく思ってるのだ。
ユーリは随分背が高くなって、年々見上げるのが大変になってきてる。
複雑な気持ちは未だありつつも、しかし心から笑いかけ、渋い顔で見下ろすユーリに礼を言った。
ユーリが何故可愛いに拘るのか。何故そんなに複雑そうな顔をしているのか。
想像など、つくはずもないままに。


2022.7.23