第8話
1.人間的な恋宝物の恋
小学校を卒業して、私達は中学生になった。
月くんはいつだってクラスで一番成績がいいし、運動神経だって抜群だ。
同学年の女子は皆夜神月という美少年に夢中で、恋をする子もいれば、芸能人に対するように眺めるだけの子もいた。
そして──月くんが言った通り。
クラスの男子の大半は、私のことを好きになった。
それは、私が人当たりがよくて、美人だったから。


美形だし──皆に優しいし──ワンチャンあるかもしれないし──みんなが羨む恋人がほしい──


「──そんなところだろうね」

月君は、この現状について、そう締めくくった。
下校時刻、いつも通り月くん一緒に帰ろうと、下駄箱まで向かった。
すると、その中には手紙が入ってた。
月くんの方も同じようで、二人してラブレターを手にして、微妙な顔をしていた。
月くんが語った、恋をする男女たちの心理の分析は、決して間違いではないのだろう。
そういう側面がある事は、否定できない。
けれど、その語り口には、あまりに夢がないと思わざるを得ない。

月くんは、礼儀正しくて、正義感が強くて、弱い物いじめが許せなくて、みんなに優しくて──そして、冷めてもいる。

それは月くんが優秀すぎる弊害だと、私はわかっていた。
このまま月くんは、捻くれてしまうんだろうか?──主人公なのに?
そうなってしまったら、まるで主人公じゃなくて…悪役みたいだ。
でも、きっと大丈夫。ここが物語の世界だというなら、もし月くんがひねくれてしまっても、転機になる出来事がきっと訪れる──

私にはそんな確信があった。漫画だけじゃなくて、読書もすきだし、映画もすき。
物語にはどれにも起承転結があって、主人公には、いずれ転・桔が訪れる。
月くんには、まだその起承転結が訪れていないだけ。
私はそう思って、だったらせめて、少しでも擦れてきてしまった月くんの力になろうと思った。
──ある疑問を抱きながら。


「──でも、きっと純粋に、想ってくれている子もいるんだとおもうよ」
「そう、かな?」
「その恋が叶うか叶わないかは、別として…きっとそんな純粋な恋をした子は、大人になって、キラキラした恋心を思いだして…宝物みたいに思うんだろうな」
「……恋が、宝物…?」
「そう。特に、子供のころに経験したこととか、感じたことって、貴重で…とっても特別なことだと思うから──」


だからあんまりクラスメイトを否定してあげないで、という意味を含めて月くんに笑いかける。
月くんは、「 ちゃんがそういうなら、そうなのかもね」と言う。

──私は、物語の中の"何"なんだろう?

そんな疑問に、思考を支配される。
最初はあの誘拐事件の最中、夜神月の身代わりに殺される少女Aかと思った。
少女Aの死により、主人公はより正義感を高める。
けれど、そうはならなかった。それは私が原作から外れた行動をとったせいで、改変してしまったのかもしれない──
では、そうでなかった場合。
主人公の初恋の相手である は、いったいどんな役割を課せられているのか。

私は、物語のキャラクターに、"成り代わり転生"をしたんだろうか。
だとすれば、夜神月が幼馴染のキャラクターに恋をしたのは、原作通りのことなのかもしれない。
けれど、原作を知らない以上、その全てが想像でしかないし、道を外れたとしても、私には気が付けない。


「…きっと、そうだよ」

私は、そうして、恋を肯定した。
学生の頃に抱いた恋心は特別な宝物だ。それは私の本音だし、前世で大人になったからこそわかる真理だ。
だから、自然と、私は心からの優しい気持ちで、それを語る事ができた。

けれど、それを聞いた月くんは、どう思ったかな?
初恋の女の子に、そんな風に言われて──自分が5歳の頃から抱いていた恋心は特別なものだと、好きな子に"肯定"されて──

──わからない。何が正しくて、何が間違っているのか。
分からない以上、私は何も考えるべきでない。できることは、主人公に深く踏み込まないように、傍観していることくらいだ。
でも、お向いに住む幼馴染である以上、距離を取るのは難しい。
ましてや、月くんの自身が、私と一緒にいることを望んでいる以上──


「…月くん、暗くなっちゃう。帰ろう」


ぼうっとしていた月くんに声をかけ、先に玄関口を出て、笑いながら月君を待つ。

私達はいつものように校庭を歩き、校門へ向かう。
部活動をしている生徒たちの声が聞こえる。
──いくつもの視線が、私達に向かう。

私はもう、それに俯くことはなかった。
月くんが褒めてくれた髪は、未だ伸ばしたまま。けれどそれはもう、自分を隠すためのものではなくなった。
私は月くんがすきだ。昔から変わらず、素敵な子だと思う。
俯いていた女の子の顔をあげさせるような、優しいところが大好きだ。

でも私の好きは、恋じゃない。物語の中に が存在したとして、その子は夜神月に恋をしただろうか。
──わたしはいつか、月くんに恋をするのだろうか。
わからない。


──2001年4月。そして私達は、高校生になった。
月くんの強い希望で、同じ高校に進学することになった。多分、この調子だと、大学も同じところがいいね、なんて言うのだと思う。
月くんの成績を考えれば、トップクラスの大学を選ぶだろうし、夜神家のお父さんお母さんも、優秀な息子が誇らしく、いい学校へ通わせたい、という意向が昔から見えていた。
対して、 家の両親は、完全に放任だ。
ただ、月くんと仲良くしていることは微笑ましく思っているみたいだし、昔の事件のことを考えると、月くんが常に傍にいることが、安心材料にもなっているようだった。

…こういうのを、外堀を埋められている、というのだろうか。
私は月くんと同じ学校に通い続けることが、最早決定事項になっているようになっていると感じた。

高校の入学式が終わって、未だ家族ぐるみの付き合いをしていた 家・夜神家は、揃ってお祝いムードで写真撮影なんかをしていた。
両家の父親は、仕事の合間に時間を作って覗いただけで、「おめでとう」と声をかけると、そのまま仕事に戻ってしまった。
夜神のお父さんも、うちのお父さんも、忙しい仕事をしている。それなのに、少しでも顔を出してくれただけ、いい父親なのだと思う。
私達はそのまま、自宅へと帰った。
そしてそこから制服を着替えたりして、両家の母、息子、娘の四人で晩御飯でも食べにいくのかと思いきや──

「はい、 、これ」
「え?」
「はいはい、月もほら、これ」
「…母さん」


私と月くんは、お互いの両親から、お札を握らされていた。
みると、一万円。月くんの手にあるのもそうだった。

「母さんたちは2人で気楽におうちご飯するから」
「幸子さんとは積もる話もあるしね…二人は外食してきなさい」


にこにこと笑うお母さんたちは、昔から変わらず仲がいい。
ママ友同士、積もる話があるというのはウソじゃないとおもう。
でも、下心があるのにも、さすがに気が付いていた。


ちゃんがうちの息子のお嫁さんになってくれたらいいのに──」
「やだ、それをいうならうちの娘だって…あはは!」


私達はそれぞれ私服に着替えてから、玄関前で落ち合うことにした。
お母さんたちがお喋りするのは夜神家のリビングの時もあるし、 家のリビングの時もあった。
今回は夜神家だったみたいけど、暖かくなってきた四月、窓を開けているみたいで、お向かいの 家の玄関まで、お母さんたちの話声が聞こえてきた。
──もし私が本当の高校一年生だったら、恥ずかしくてまともに月くんの顔をみれなかったと思う。いたたまれなくて、恥ずかしくて。
今ばかりは、自分が大人の精神をもっているということが、ありがたかった。
ぎこちなくも、こうして笑いかけることができるのだから。

「月くん、いこうか。何食べたい?」
「うーん… ちゃんはお腹すいてる?」
「うん、お昼食べる暇なかったし…」
「僕もだよ。じゃあ、きちんと食べられるところがいいね…」
「歩いていけるところがいいな」
「そうだね、今日はお互い疲れたからね」
「それにしても、いくらおめでたい日だからって…高校生に一万円も渡すなんて、びっくりした」
「合わせて二万…ちょっといい所に食べにいけるね」

並んで歩きながら、他愛ない会話をする。
空はもう、色を変えていて、青に朱が混じっていた。夕日が私達を照らしていて、
その優しい光に包まれていると、なんだか不思議な気持ちになる。
歩道を歩きながら雑談していると、ふとした時、ぐいっと月くんが私の肩を引き寄せた。

それと同時に、私の左側を、猛スピードの自転車が走り抜けていった。


「危ないな…あんなスピードで、まして歩道を自転車が走るなんて」


月くんが頭上で、少し機嫌が悪そうに言う。
私は肩を引き寄せられたとき、ちょうど月くんに抱きしめられるような格好になっていて、
月くんの肩口に顔を埋めていた。
──私は、ドキリともしなかった。この年頃の少年少女が胸をどきどき、弾ませるみたいに、甘酸っぱい気持ちになれない──

月くんからは、優しい香りがした。香水をつけるようなマセた子じゃないから、多分柔軟剤の香りか、シャンプーの香りか…
その優しい香りが、切なかった。何も感じられないことが、苦しい。
──わたしは、道を踏み外しているのかもしれない。月くんに恋をする幼馴染にならなくてはいけない──かも、しれないのに。


「… ちゃん、ちょっと寄り道してもいい?」


月くんは、身じろぎもせず、抱かれたままになっていた私に、静かに言った。
私が無言で、こくりと頷くと、月くんは私の体から手を放して、右手を指さした。
小さいころ、よく遊びにきた公園がそこにあった。
幼稚園生の頃にはテーマパークのように広く感じられた公園も、小学生の頃には何も思わなくなり、高校生の今となっては、とても小さな公園にしか見えなくなってきた。
これが、大人になるということだろう。
ブランコと、滑り台と、砂場と、水道と、ベンチ。両隣をマンションで挟まれた公園の敷地には、それしかない。
月くんは、公園の隅っこにあるベンチに座るように誘導する。

暫く、沈黙が続いた。この公園にも、桜の木があって、まだ花が鮮やかに咲いていた。
青は朱に、朱は紺に。夕日はもう色を変えつつあって、次第に夜の色が混じっていく。
さわさわと春の風がふいて、花吹雪が舞い散る。


「……髪、花びらがついてる」


小学五年生のあの日の校庭で、月くんはくすくす笑いながら、私の髪を梳いてくれた。
あの時と同じようなシチュエーション。
けれど、あのときとは違って、月くんは、笑ってない。
そっと私の髪に触れて、とても優しく、なぞるよう滑らせて撫でる。
とっくに花びらは落ちただろうということは、鏡を見なくても分かることだ。
私は顔をあげて、月くんの瞳を見つめる。

──その瞳は、確かに熱を帯びていた。
月くんは小さいころから、私に恋をしてる。けれど私に告白することはしなかったし、
それを匂わせるような言動・行動は、一切とらなかった。
あくまでただの幼馴染であり続けたのだ。
だから、その恋に気が付いたのは私の中身が大人であるせい──

──でも。今の月くんの手付きや、声色、表情その全てには、あまりにも意味が含まれすぎてる。
よほど鈍感でなければ、高校一年生の少女でも、空気が変わった事に気が付けるだろう。


「……、月くん」


私は何かを言おうとして、けれど何も言えなかった。
月くんは髪に触れていた右手を緩々とおろして、私の頬に優しく触れた。
私は瞼を伏せて、その穏やかな手を享受した。
月くんの指先は、私の唇をなぞるようにして触れる。
そしてそのまま──

月くんは、私の唇に、自分の唇を重ねた。
少しの間重なっていたそれは、名残惜しそうに離れていく。
ゆっくりと瞳を開けて、月くんを見上げる。
月くんは、片手を頬に添えたまま、じっと私を見つめていた。
私の瞳の奥にある感情を見つけるために。

──自分と同じ恋心を、私という人間が抱いているのではないかと、期待を孕みながら。
月くんの頬は、薄暗い空の下でも解るくらい色づいていて、きっと、心臓がどきどき言ってるんだろうと、伝わった。
でも、結局のところ、私には同じ感情を抱けないという事がわかった。
──わたしは夜神月という、まだ幼い高校生に、恋はできなかったのだ。


──けれど…


「…いやじゃ、ないの」


抵抗もせず、どころか、全てを享受するように瞼を閉じた私。
そしてキスをされて、それでも何も言わず、何の反応も見せない私に対して、
月くんは弱弱しい声で問いかけた。
いつも自信に満ち溢れていて、負けず嫌いで、勝ち気で、誰にも弱みを見せない月くん。
そんな月くんが、唯一、私に対しては、縋るように弱さをみせてくる。
わたしは月くんがだいすきだ。恋はできなくても、とても素敵なひとだと思ってる。
そんな月くんからのキスは──

──いやだとは、感じなかった。


「…いやじゃ、なかったよ」


私は今まで恋心をひた隠しにしていた月くんが、意味ありげな仕草をした瞬間、
何も気が付かないふりをして、逃げることもできた。
「お腹すいちゃった。そろそろご飯食べにいこう」なんていって。

そんな風に抵抗せず、キスを受け入れたのは、知りたかったから。
月くんに触れられて、キスをされたら…私自身がどう感じるのか。
性的な目でみられて、触れられてしまえば、嫌悪感がわくかもしれない。
もしそうなったときは、私は今後一生涯、きっと、月くんを好きになることはないということ。
そうやって、区切りがつけられると思った。
けれど、私は、嫌だと思わなかった。──嬉しいとも思わなかったけど…
微笑ましいとは思った。

初恋の女の子に、ひた隠しにしていた想いをついに明るみにして、試すように緩々と触れて。
──どうか、自分と同じ想いを抱いて、と。
祈るようなその視線が、弱弱しい声が、かわいいと思った。

それは──つまり…所謂、"脈あり"ということだろう。
今は恋じゃなくても、きっと、将来、私は月くんに、恋をすることできる。

私はそれがとても、とても嬉しくて、緩々と笑った。
少年の純情を裏切らず、傷つけないで済んだことが、うれしい。
主人公、夜神月の幼馴染の女の子が、彼に恋ができる。そのことが、嬉しい。
私は正しい道を歩めてる…のかも、しれない。
月君は、そんな私をそっと抱きしめた。


「…ねえ、 ちゃん」
「なあに?」
「いまさらだけど、 って呼んでいい?…高校生にもなって、ちゃん付けは、ちょっとおかしいかも」
「…いいよ。でも私は…月くんのこと、呼び捨てはできないかも」
「どうして?」
「それは…。…恥ずかしいから」
「…まあ、女の子は、そうかもね。おかしくもないし」


月くんはくすくすと笑った。月くんに抱きしめられ、胸に顔を埋めて、表情こそ見えないけれど。とても満たされた笑顔を浮かべているだろうと、想像がついた。

私達はそのまま他愛ないお喋りをして、近場の少しいいイタリアンでご飯を食べて、
家に帰った。
お互い、好きだとも、付き合おうとも言わなかった。だけど、暗黙の了解のようなものが交わされたと思う。

この日、 と、夜神月は、"好き同士"になった。

月くんの恋が叶った高校一年の春が終わり、四季は巡り──

2003年の春、私達は高校三年生になった。
その年、物語が動き出した。知識のない私にも、それがわかるような、大きな出来事が、次々と起こる。

──私は何もわからないまま、けれど確実に、物語の渦中へと巻き込まれていくのだった。


2025.8.22