第51話
3.物語の中心部騙し討ち
朝起きた時、目覚まし時計を見ると、午前八時ぴったりだった。
目覚まし時計もかけずに眠り、泥のように眠り、10時間以上も寝ていたらしい。
体の疲れは取れてきているように感じた。けれど精神的なストレスは一晩の睡眠では回復されず、気分が沈む。
このまま部屋にいたら、いつまででもベッドの中で鬱々としていられせそうだった。

ベッドから出て、いつものように監視カメラの目を気にしながら洗面所に向かい、洗顔と歯磨きを済ませる。
そしてクローゼットからシンプルなワンピースと下着類を取り出してきてから、軽くシャワーを済ませて着替える。
昨日から着っぱなしになっていた服を脱衣かごにしまうと、部屋に戻り鏡台の前でドライヤーとメイクを済ませた。
…この一連の流れ全てを監視カメラに収められていて、平然としていられる人間がいるのだろうか。
やっぱり、部屋にこもったままではストレスがより増えるだけだ。
カーディガンを一枚羽織ってからエレベーターで階移動をし、メインルームに向かった。
するとそこには私より遅く就寝したはずのメンバー全員がいて、既に捜査を進めていた。
わかってはいたけど、刑事や探偵というのは夜は遅く朝は早い、大変な仕事だ。

「月くん、竜崎くん。おはよう」
「おはようございます」
「おはよう、


竜崎くんと月くんは画面前のいつもの席に座りながら、挨拶を返してくれた。
画面に映っていたから、私がここにやってくる事は事前に分かっていたのだろう。
驚いている様子はない。
私には起床して、わざわざ毎回おはようの挨拶をしに来る習慣はない。

だから何か用事があるのだと察して、2人は話しを聞く姿勢を取り、私をじっと見ていた。


「……今日のミサのロケ、またついて行っていいかな?」
「…仕事がしたいんですか?」
「え?したくない…」
「ふっ………」

私が単刀直入に竜崎くんに相談すると、思わぬことを言われて、咄嗟にそう答えていた。
すると、堂々と働きたくない宣言をした私を見て、月くんがくすりと笑っていた。
語弊を招く言い方をしてしまったと、今さらに気が付く。恥ずかしくてカァッと顔に熱が集まるのが分かり、手をぱたぱたと降って撤回した。

「仕事するのは嫌いじゃないの。でも、タレントの仕事は私には向いてないと思う……」
「では、単純に見学がしたいだけという事ですね」
「うん。ちょっと…気晴らしがしたくて」
「……」

竜崎くんは手元のカップにポチャポチャ角砂糖を落としつつ、じっと私を探るように見ていた。私の言葉に裏はない。本当に気晴らしがしたいだけだった。
その黒い目には私が映りこんでいて、一体私の何を探ろうとしているのか、底が見えない。
竜崎くんは暫くの間を開けてから、こう言った。

「まあいいでしょう。さんは責任感はあるようですが…こちらが提示する以上の無茶はしないでしょうから」
「……竜崎」
「私が色仕掛けをしろと言ったから、さんはそうしたんです。一度は撤回した作戦でしたけど…。それ以上の事はさんに要求してません」

竜崎くんは私が杓子定規な人間であると強調し、渋い顔をしている月くんを宥めていた。

「身の丈をわきまえてるという事です。私は時にはリスクを侵してでも事件解決のためには攻めるべきだと思いますが、何も命を捨てろとまでは言いません」
「…つまり?」
「月くんの心配する事はもう起こらないでしょう。万が一昨日のようにヨツバ社員と遭遇しても、今度は模木さんに理由をつけてもらい、ガードしてもらいます。過剰に接近しすぎるのも悪手です」

月くんと竜崎くんは、また難しい話をしていた。多分この言葉の裏で、何か駆け引きをしてるのだろう。
…結局私は、出かけてもいいと言う事なんだろうか。
私が会話に口を挟む事も出来ず、月くんと竜崎くんの攻防をちらちらと伺っていると、竜崎くんは私の戸惑いを察したように肯定した。

「出かけて構いません。…模木さん、今日もお二人の監視、よろしくお願いします。さんについては、先ほど話した通りに」
「はい。わかりました」


近くにあるローテーブルに向き合い、ソファーに腰かけ調べ物をしていた模木さんは、
こくりと頷いた。
端役である私の撮影はオールアップを迎えたけれど、主演女優のミサのロケはまだ続いている。
出番も終わったというのに、頻繁に見学に来る私を、スタッフは図々しいと煙たがるかもしれない。
けれど背に腹は代えられない。私が出かける機会は、これしかないのだから。
松田さんは世間的に死んだことになっていて、顔出しするのは控えてる。
だからと言って、総一郎さんについてきてもらうなんて論外だ。
まさか竜崎くんが付き合ってくれるはずもないし…そうすると、やはり模木さんしかいないわけで。
ヨツバにキラがいるかもしれないと発覚したこの大事な局面で、
私のためだけに捜査を中断し、息抜きに付きあってほしいとは言えない。
スタッフに煙たがられるだけで済むなら、安いものだ。


「今日のミサのロケは何時からですか?」
「正午から夕方までの予定です」
「じゃあ、お昼前にまたここに来ますね」
「いえ、自分が部屋まで迎えに上がります」


模木さんと私が出かけるに当たっての打合せをしている姿を、竜崎くんはじっと見つめていた。
竜崎くんは会話をする時、基本背中を向けっぱなしな事が多い。
けれど相手から何かを探ろうとするとき、何か引っかかる事がある時。
その時は絶対に視線を向けて離さない。
だから、今私に何かしらの疑念を抱いているのだという事が伺い知れた。
でも、今の私には本当に何の裏も打算もない。ただ気晴らしがしたいという言葉に偽りはないのだ。
だから、何を訝しまれているのか察する事も出来ず、「どうしたの?」と問いかけてもはぐらかされるような気がして。

結局何も聞けないまま、私はミサのロケの見学に出かける事となる。
──そしてそこで、月くんとのやり取りの意味や、竜崎くんが探ろうとしていた事が何だったのか、全て理解する事となったのだった。


***


「…紅葉、綺麗ですね」
「はい。今年は色づくのも早かったはずですが…どうやら長続きするらしいですね」
「そうなんですか?…ここ最近ずっと天気もいいし、今年は恵まれてるんですね」

撮影は、室内だけの日もあるし、屋外の日もある。
今日は後者の屋外ロケオンリーの日だった。いくつか撮影場所を点々と移しつつ、
最後は今いる公園で、紅葉をバックにして撮影を行っていた。
かと言って、公園を貸し切っているわけではない。
紅葉狩りをするためにレジャーシートを持って遊びにきてる家族や団体も多かった。
スタッフたちがカメラを珍しがる一般人たちを近寄らせないようにたまに声かけして線引きしつつも、恙なく撮影は進められた。
私はいつものように、椅子を用意してもらって見学をしている。
模木さんはかつて松田さんがそうしていたように、私の隣にずっと立ったままだった。
ミサの撮影を眺めつつ、紅葉を眺めつつ。
私は秋の空気を吸い込んで、日差しを浴び、確実に気晴らしが出来ていた。


「お疲れさまでーす」
「よーし今日のロケ終了っ」
「ミサミサおつかれーッ」

そんな他愛ない雑談をしていると、撮影を終えたミサが戻ってきた。
機材の撤収などをするスタッフの目も人通りも多いため、模木さんはすぐに体育会系マネージャーのキャラを作って挨拶していた。
ガチガチに緊張していた頃の模木さんが最早懐かしく思えるほどだ。さすが刑事さん。
度胸はあるし、やると決めたらちゃんと役目をこなす。

ミサはこの季節には肌寒すぎるだろう、ノースリーブの衣装の上に、カジュアルなジャケットを羽織り、サングラスとキャップを装備した。
オシャレの一貫なのか、それとも知名度が上がったが故の変装か。
ミサがサングラスをかけてるところを、私は今日初めてみた。
模木さんはただのファッションだと受け取ったようで、何も引っ掛かりを覚えていないようだ。
ミサはキャップを深くかぶり直しながら、寒そうに両手をこすり合わせている私に問い掛けた。

、いい加減見学飽きない?そろそろ寒くなってきたし、しんどいでしょ?」
「飽きないし、しんどくはないよ。異業種だからかな?ずっと新鮮にみてられる」
「ふーん?でもミサがの立場だったら、絶対寝ちゃってる」
「ふふ、そうかな。…でも、屋外ロケが多いからね…それもあるのかも。紅葉、綺麗だし」
「あー。レジャー感覚なわけね」
「そうそう」

ミサと雑談しながら、三人で車に向かう。ロケも終わって、後は本部のあるビルに帰るだけだった。
ミサは腕時計をちらりと見ると、模木さんにこう問いかけた。

「ねえ。トイレ、そこの東応女子医大病院の借りればいいんだよね」
「はい」

ミサは事前に教えられていた通り、模木さんに一度確認を取ってから、近くの病院へと足を運んだ。
ロケは必ずしも同じところで行うわけじゃない。その度に、松田さん・模木さんは、トイレを使用する場所を事前に説明してくれていた。
私も見学する時は、その都度「途中で借りたくなったら言ってください」と、いくつかの場所を教えてもらっていた。
三人で病院の中に足を踏み入れて、女子トイレ近くまで向かう。


「じゃ、ちょっと待っててね」


ミサは手を振って、女子トイレへと入って行く。
それなりに大きな病院で、建物内では、看護師さんや患者たちが忙しなく行き交っていた。

さんは大丈夫ですか?」
「はい。途中、寄らせてもらいましたから」

化粧直しをする程動いてもいないし、見学中、一度トイレには寄っている。
今急いでトイレに寄る理由はなかった。私が首を振ると、模木さんはこくりと頷いて、待機する。
重要な監視対象とはいえ、相手は女性だ。まさかトイレ脇で待ち構える訳にもいかず…
けれど出入口が視界に入る位置で、見張りを続けていた。
携帯は月くんに預けたままだし、私もやる事もないので、模木さんと一緒にぼーっと眺めていた。
その間、女子トイレにはちらほらと出入りがあった。
途中、ナース服姿の女性が出てきたとき、私は少し引っ掛かりを覚える。
この病院には職員用トイレがある訳じゃなくて、共用にしているんだな…と思った。
黒髪のおかっぱの女性は、遠目の横顔しか見えなかったものの、パーツが整っていて、スタイルがよかった。
整っている人というのは吸引力があって、遠目から目が惹かれてしうものだ。

それからしばらくすると、見覚えのあるジャケットとキャップを纏った女性がトイレから出てきた。

「……え?」

私はその瞬間、眉を思い切り顰めてしまった。
模木さんは私が何故訝しむ声を上げたのか分からなかった様子で、不思議そうな目で私を一瞥した後、"彼女"を出迎えた。


「………」


その彼女が模木さんの近くまでじりじりゆっくり近くと、模木さんは次第に青ざめて行った。


「ミサは!?」
「デートです、あはは…」

──この子はミサじゃない。トイレからこの子が出てきた瞬間、私は今日引っ掛かりを覚えた全ての事の理由を理解した。
サングラスはオシャレのためではなかったし、トイレから出てきたナース服の女性の目が行ったのも必然だった。
多分、あのおかっぱの子はミサだったのだろう。ウィッグを被って変装していたのだ。


さん!走ります!」
「は、はい」


模木さんはそう声をかけて、私を急がせた。きっと内心、一目散に外へ駆け出したいと思っていた事だろう。
けれど、私も監視対象の一人だ。おいて行くわけにもいかず、私を走らせて、その少し後ろを追うような形を取り、外へと出た。
そしてすぐに懐から携帯を取りだし、耳にあてた。

「すいません、弥に東応女子医大病院で騙され、見失いました」


模木さんは心底悔しそうな顔をしながら、竜崎くんに電話をかけていた。

「…はい。…はい。…はい?いえ、さんはここにいますが…」

模木さんはいくつか言葉を交わすと、私をちらりと見る。
そしてその瞬間、朝、竜崎くんが月くんと交わしていた意味心な言葉の意味も理解したのだった。
私を探るようにじっと見ていた、その理由も。
多分竜崎くんは、どこかのタイミングでミサがこうして抜け出そうとする事を察していたんだろう。
これは決して作戦や指示の通りじゃない"無茶"だ。
行動力があり、人一倍月くんの役に立ちたいと願うミサだからこそ取れた行動。
私も火口さんと偶然出会った時、私の意思で思わせぶりな態度を取って探りを入れた。

時には私も、自己判断で行動することもある。けれど良くも悪くも杓子定規の人間なのだと、竜崎くんは判断したのだろう。
"色仕掛け"というのは一度は竜崎くんの口から案として挙がったものだった。
ミサが嫌がったという理由だけで、撤回された案なのだ。
竜崎くんはあの時仕事がしたいのか。単純に見学したいだけなのか、と何度も私に確認をした後、「責任感はあるようですが、こちらが提示する以上の無茶はしないでしょう」とも言っていた。身の丈をわきまえているとも。

──と、言いつつ、100%そうと断言出来た訳ではなかったのだろう。
だから僅かに疑念を抱いて、最後まで私をじっと見て、見極めていた。
──私が今日、ミサと共に抜け出そうとするか否かを。
ミサがそういった素振りを見せたタイミングで、わざわざ「出かけたい」と申し出たのだから、さぞかし怪しかった事だろう。共謀してるのかとも疑った。

結果的に、竜崎くんの推理は半分当たり、半分外れた。
私は竜崎くんの思った通り、提示されたこと以上の事はしなかった。
ミサと2人で目論んでいたのではなく──ミサが単身で騙し討ちをしたという結果が露呈したのだった。


「…さん、一度本部に戻ります」
「…は、はい」

難しい顔をした模木さんと共に、私は車で本部へと戻った。
エレベーターを上がり、本部がある階へとたどり着くと、「!」と月くんが呼ぶ声が聞えた。
部屋に入ると、月くんが駆け寄ってきて、私の手を握った。
手錠で繋がれた竜崎くんはいつものごとく、渋々と月の後ろをついてきている。


「よかった…まさかミサと二人で抜け出したのかと思って心配したよ…」
「…えと…ごめんね…?」

全くそんなつもりはなかったのだけど。まさか月くんも今朝から私のことを薄っすら疑っていたのだろうか。
私は月くんの手を握りながら、竜崎くんと話しをしようと思い、傍に行こうと一歩踏み出そうとした。
しかしそのまま月くんに背後からぎゅっと強く抱きしめられ、行く手を阻まれてしまった。


「……月くん?」
「うん」
「……月くん……」
「うん」

私は離してほしくてトントンと手を叩くけど、月くんは頷くだけで、離してくれない。
わざとやってるのだろうと思う。
竜崎くんからすれば私は"指示以上の無茶をしない人間"だけど、月くんからすれば"リスクを侵す無茶な子"なのだろうから。
元々月くんは昔から面倒見がよかったし、過保護な所があった。
けれど二度目の事件に巻き込まれてからは、より過保護になった。
そして昨日の事があってから、より心配性にさせてしまったらしい。決してそれが嫌な訳じゃないけど、困ったな…とは思う。

「……月くん。あの……私、座りたいな」
「この間みたいに、僕の膝に乗せてあげようか?」
「………椅子に座りたい……」

遠回しに離してと訴えたものの、要求は通らなかった。
私は途方に暮れてしまい、思わず情けない声が出てしまう。

正直、昨日からの疲れも完全には取れていないし、部屋に帰って休みたかった。
けれど月くんは意地でも引っ付いて離れようとしない。
私は部屋に戻ることは諦めて、せめてこの部屋にあるソファーに腰かけさせてもらう事にした。
そうすると、月くんは私の体に回していた腕を解いて、隣に座る事で妥協してくれた。
けれど竜崎くんは当然、モニターに向かおうとするので、そうなると手錠の長さからして届かない。
そこで月くんは、モニター近くにソファーを移動させる事で強引に解決させていた。

「月くん、いい加減捜査に戻ってくれませんか」
「遊んでるつもりはないよ」
さんの顔ではなく、画面をみてください」


竜崎くんにチクチクと釘を刺されつつ時間を過ごしているうちに、世も更け。
ピピピ、と電子音が鳴った。
出所は模木さんの懐の携帯からだった。
それが鳴ったのと同時にモニターに、ナース服姿のミサが映る。

『モッチーミサでーす!入れてー』

ミサはセキュリティーチェックを行う門前、エントランスに立ち、カメラに向かって両手を振っていた。
私とミサは松田さんや模木さんが同行してくれないと、セキュリティーを潜り出入りす事が出来ないのだ。

「ミサ」
「…やっぱりナース服着てる…」

月くんはパッと画面を振返り口を開き、私も思わず少し呆れたような呟きが漏れた。
模木さんが急いでエントランスまでミサを迎えに行くと、すぐさまこの部屋まで連れ帰ってきた。

「ライトー!火口がキラだよー」

ミサはパタパタと走り寄ってきてながら、無邪気な笑顔で、とんでもない事を暴露した。

「これ聞いて。こっそり録音したの。携帯って超便利」

ミサはナース服のポケットから取り出した携帯をいじると、ピピッとボタンを押して、皆の方に携帯を掲げ、再生ボタンを押した。


『俺はキラだからミサちゃんに信用してもらう為に、今から犯罪者裁きを止める。そして俺がキラだとわかってもらえたら、結婚だ!』


スピーカーモードに設定されたガラケーから、火口さんの声が大音量で再生される。
それを聞くと、松田さんはわっと歓声を上げた。

「これで犯罪者裁きが止まったら火口って事に…局長が一番気にしていた裁きも止まる。凄いよミサミサ!」
「うむ」

総一郎さんも、素直に感心したように頷き、ミサを含めた三人は、明るい表情をして頷いていた。

「……」
「……ミサ」

けれど、月くんと竜崎くんは、反対にピリついた空気を纏わせている。
月くんは感心する所か、何かもの言いたげにミサを見ている。
竜崎くんはじっとミサを見たあと、無言でデスクに置かれたカップに角砂糖を投入し始めていた。
これは竜崎くんが難しい考え事をする時の癖の1つだ。
私は何故二人がそんなにも考え込んでいるのか分からず、事の次第を見守る他なかった。


2025.9.27