第50話
3.物語の中心部─色仕掛け
火口さんに架空のロケ場所を伝えて、ナビにセットしてもらう。
以前モデルの仕事をした時に使ったスタジオが、この近くにあるのだ。だからそこの住所を火口さんに伝えていた。
もし今日の仕事内容について深く追求されたら、そこでファッション雑誌のモデル撮影をするのだと明かす事に決めたのだ。
もちろん、脳内で作った架空の仕事なので、それ以上深堀されたら私の嘘はすぐに破綻する事となるだろう。
芸能界に造詣が深い訳でもない私の作り話のクオリティなど、たかが知れている。
到着予定時刻は30分後とナビに表示されて、私の胃がキリキリと痛むのが分かった。
思わずさすりそうになってたのを必死にこらえて、私は"神秘的""ミステリアス"なイメージを崩さないように、綺麗な笑顔、美しい姿勢を保つことに努める。
──たかが30分、されど30分。
その間、潜入捜査員として探りを入れつつ、火口さんからの"お触り"にも耐えなければいけない。
「ちゃんって、幻の少女だなんて言われるだけあって、ミステリアスで…肌まで綺麗だよね。ほんと、作り物みたいにさ…」
「そ、うですか?」
「うん。白くて滑らかで、…でも少し冷たいね。そこも少し人形っぽくて、魅力的だなあ」
火口さんは右手でハンドルを握り、左手で私の腕を握る。
そんな事をしてないで、運転に集中してほしい…という気持ちが届くはずもなく。
予想通り、2人きりになってすぐ、火口さんはスキンシップを取ってきた。
私は決して末端冷え性などではないし、体温は低くも高くもない。
だから今体が冷たくなっているというならば、それは私がストレスに晒され、緊張しているからに他ならないだろう。
どくんと心臓が早鐘を打ち、痛んだ。
友人知人でもない。好意もない人に、下心でもって触られて、嬉しいはずがない。
でも──やらないと。リスクを侵した意味がなくなってしまう。
火口さんに見えない位置で、ぐっと空いた拳を握って、竜崎くんのあの言葉を思いだす。
「接待の時は中々のやり手だと思ったんですけどね。訂正します。さんは、案外芝居が得意だったのかもしれません」
不本意な言葉だったけど…あの竜崎くんにこうも言わしめさせたんだ。
人を観察する事が得意な竜崎くんすら欺いて、あの接待の場で、私は"素で"男慣れしてると思わせた。
今世の私の容姿は幸か不幸か整っており、ミサと共に話題になった事で、商品価値が上がってる。
それを自覚しているからこそ、私は堂々と媚びた仕草を取り、男心をくすぐる言葉を選んでみせた。
やればできる。紙村さんにもやったように…。
……心底私には向いてない事だと思う。けれどあの時私が実行できたのは、責任感や使命感があったから。
ならばきっと、今回もそれを原動力にして、同じように出来るはずだ。
私は火口さんに握られた手を解く事なく、軽く握り返す。そしてその手に視線を落としながら、ぽつりと呟いた。
「…火口さんの手は、暖かいですね。…人の体温って、安心します」
「……どうしたの?悲しそうな顔してるね」
私は口では甘い言葉を吐きつつも、瞼を伏せ、掠れた寂しい声で言う。
すると、私の纏う空気が変わった事に気が付いた火口さんは、様子を伺うように問い掛けてきた。
私はすぐにはその問いには答えず、含みを持たせた間を開けるよう意識して、ゆっくりと語り出す。
「…Lに拘束された時、ずっと隔離されてたんです…監禁って言ってもいいかも。
ずっと誰とも会えなかったし、喋れなかった…触れ合えなかった。…寂しくて、こわかった」
「ちゃん……」
私は火口さんに重ねられていた手を、今度はこちらから重ね返した。それから手の甲を少し撫でて、好意を示す。
そして、"Lに拘束された"というワードも口にしてみせる。
こうする事で、"の好意"という餌と、"Lの情報"という餌、二つを撒く事ができた。
天秤はどちらに傾き過ぎてもいけない。
けれど火口さんは、私の肌に触れる事よりも、情報の方に興味が傾いてしまったようだった。
「ちゃん、Lって…」と身を乗り出して深堀しようとしてくる。
加えて、Lの情報を目前に掲げられた事で高揚したのか、無意識に私から手を離そうとしている。
それを引き留めるようにパッと握って、私は真っ直ぐ火口さんを見据えた。
「……──離さないでください…」
私が切ない声で言うと、火口さんは「あ、…」と声を漏らした。そして頬を赤く染ながら、ぱくぱくと口を開閉させると、こくりと頷く。
「わ、わかったよ。離さない…」
私はその返事を聞いて、ふわりと微笑んだ。
そこから暫くの間、シンと沈黙が流れる。お互い何を言うでもなく、心の中で駆け引きをする時間だ。
この沈黙を作った目的は、時間稼ぎをするためだった。
ただ30分楽しく雑談をするだけなら、私にでも簡単にできる。
けれど目的はヨツバ社員へ餌をちらつかせ、探りを入れる事なのだ。
とてもじゃないけど、私の話術では、30分も火口さんと効果的な駆け引きを続ける事はできないだろうから。
そしてもう一つの目的は、Lの情報だけに食いつかせないため。
そしてもう一つは、私という女の体に興味を持たせ続けるためだ。
色仕掛け作戦はなしになったというけれど、やはりヨツバ社員たちから何かしらの情報を引き出したいというなら、こうせざるを得ないだろう。
友情や親愛で信頼を勝ちとるには、時間が足りなさすぎる。
そして話術だけで引き出すのも私には無理がある。
だとしたら、色仕掛けが一番簡単だ。短時間で、一番効果が出る。
幸いにして、ヨツバ社員たちは皆女性好きのようだ。
けれどずっと沈黙してる訳にもいかない。次の一手を切り出さなければ──と、思っていたところで。
「…ちゃんは、キラ肯定派なんだよね」
「……あ…」
「ああ、いや。面接でも言ったけど、表にバレなきゃいいんだよ。本当のこと話していいからさ」
「……ええ、と…」
「言ってたよね?」
私は今、素で言葉に詰まっていた。
"好意があるように見せかけてきた"けれど、"キラ信奉者"として振舞った覚えはない。
けれどキラに関しての話題で、私が彼らに言った言葉は一つしかない。
私はごくりと喉を鳴らしながら、こう告げた。
「…"善意には、感謝で返すべき"と、言いました」
「そうそう。…過去に事件に巻き込まれたって。ミサちゃんもちゃんも大変だよね。やっぱ美人だと色々あるんだろうな」
「……」
やはり、これで正解だったらしい。
この言葉でどうして=キラ信奉者という事になるのかわからない。
私はあの時、曖昧言葉で濁し、否定も肯定もしないように努めていた。
だというのに中立と解釈される事なく、信奉者とまで勘違いされるなんて。
本当は私は、信奉者という風に匂わせなければいけなかったのだから、
不幸中の幸いではある。けれど腑に落ちない。
「キラは悪です」と直接的な否定をしなければ、今の世の中、キラ肯定派と受け取られてしまうのだろうか。
面接のときにも感じたけれど…
ヨツバのイメージを損なわないよう、キラ肯定派という事は表に出ては困ると言いつつ、キラ肯定派であってほしい…そんな意図を感じる。
それはやっぱり、竜崎くん達の睨んでいる通り、ヨツバにキラがいるからだろうか。
接待をした七人の中に、キラがいるから?
…──火口さんが、キラだから?
もしそうだとしたら、やはりキラを正義と認めてほしいはず。竜崎くんの方針は、正しい。
「…きっと、キラに救われた人は、沢山いるんでしょうね…」
「!ああ…大きな声では言えないけどね。俺もそうだと思うよ」
私は物語を破綻させるリスクを侵さないよう、キラに関する考察はしないようにしてきた。
でも今あえて、改めてキラに関して考えてみる。
難しい事を考え、解釈や考察をするのは得意じゃないし、好きでもない。
だけど最近、犯罪率が激減しているというのも聞いてるし、いじめも減っているのだという。
ミサなんか、典型的な"キラに救われたひと"の一例だろう。弱いもの、理不尽な思いをしたものは、皆キラに感謝してる。
"善意"で助けてくれた人には、ありがとうと"感謝"しなければならない。
それは道徳や義務感だけの話でなく、ソレをされた時、咄嗟にそうしたくなるのが、人間の心理というものだ。
だから──私はその程度の浅い考えで、キラを肯定する言葉を吐く。
──キラのやってる事が正しいとか正しくないとか、私はその根底を審議する気はない。
──それ以上の事を考えてはいけない。
今背後で私を見守ってくれているだろう天使様だって、きっとそう思ってるはず。
「ちゃんとミサちゃんは、第二のキラ容疑でLに拘束されたんだよね」
「………はい。誤認逮捕だった、って事になりましたけど…その通りです。色々と尋問されました…」
私は窓の外を流れる景色を目で追う。どこか遠い目をしながら空を眺め、物憂げに肯定する。
そうすると、火口さんは握った手に力をこめながら、こう聞いた。
「……正直に言って…ちゃんとミサちゃん。どっちが──」
──その、瞬間。
『目的地に到着しました』
カーナビが、到着を告げるアナウンスを車内に響かせる。
──30分。到着予定時間ぴったりだった。
私が途中で意識的に間を作らなかったら、最後の決定的な問いかけを受ける羽目になっていた事だろう。首の皮一枚の所で繋がった。
目的地のスタジオに併設された大きな駐車場はがら空きで、火口さんは出入口に一番近いところに停車させる。
私はにっこりと笑いながら、火口さんの手をパッと離した。
「──火口さん。送ってくださって、ありがとうございました」
私はシートベルトを外し、バッグを手に取ると、車のドアを開け降車する。
余韻も何も残す事なく、すぐに外に出たのはわざとだった。
こうすれば、嫌でも追いかけたくなる。
火口さんは思った通り、咄嗟に手を伸ばそうとして、けれど有無を言わさず去ろうとする私に何も言えないでいた。
「お仕事、頑張ってください」
「あ、ああ…ちゃんもね」
外から助手席のドアを閉めると、火口さんは窓を開けて、そこから声を投げかけた。
「…ちゃん、あのさ…!」
けれど火口さんは諦められず、明らかに引き留めようとしていた。…そして、先ほどの話を続けようとしている。その先を言わせたら、マズい。
そうすれば私は、問いに大して答えなければいけなくなる。
──そうしてるうちに。
「ーッ!遅刻するぞーッ!」
遠くから模木さんの声が聞こえてきた。
声の方を見ると、駐車場の外の歩道から、模木さんが大きく手を振っているのが見える。
火口さんは会話に夢中になっていたから、気が付いた様子はなかったけど…
私は模木さんが、火口さんの車の後をつけて来ていたのに気が付いていた。
一拍遅れて到着し、そしてどこか別の場所に車を駐車したのだろう。
私は困ったような表情を作りつつ、火口さんに会釈をする。
「怒られちゃうので、もう行きますね。……それでは、また」
「…ちゃんっ!」
私はくるりと踵を返し、駆け出した。背中にかけられた引き留める声は、気がつかなかったふりをして。
私が模木さんの元へ歩み寄ると、心配そうな顔をした模木さんに「大丈夫ですか、さん」と声をかけられる。
まだ火口さんの目があるかもしれない今、仮面をはがす事は出来ず、笑顔を張り付けたまま、無言で頷く。
「すぐ近くに車を止めてあります。火口に気が付かれないよう、すぐにここを離れましょう」
「あ、ありがとうございます…」
「…本当に大丈夫ですか?顔色がよくないですが…」
「……そうかもしれません」
顔色が悪くなる心辺りしかない。
模木さんと共に速足でその場を去り、火口さんの目が完全に届かない車内まで乗り込んだ瞬間。
という偽りの女の仮面は剥げ、笑顔もごっそりと抜け落ちた。
鏡をみなくても、今の私がやつれた顔をしているだろう事は手に取るように理解できた。
膝に抱えたバックの中のでは、バイブ音がひっきりなしに鳴り響いている。
回数からして、火口さんだけでなく、他の社員からのメールも届いているのだろうと察せた。
模木さんは気づかわし気にこちらを見ながら、シートベルトを締めたのを確認すると、「このまま本部に戻ります」と言って発進させる。
私はこくりと頷き、助手席の窓から空を見上げる。
夕暮れの緋色が滲み、藍色も混じり合おうとしている。もうすぐ夜が訪れようとしていた。
面談に、火口さんとのドライブ。濃密すぎる一日だった。
結局目的の買い物をする事は出来ず、けれど電源を切る事もできず。私はストレスを抱えたまま、本部へと戻ったのだった。
*****
「……戻りました…」
模木さんが地下駐車場に車を止め、セキュリティーチェックを共に済ませると、エレベーターでメインルームに向かう。
そうすると、本部の面々の視線がバッと一斉にこちらへと向かった。
今はそれに反応する元気もなく、私は覇気のない声で報告する。そして、深々と頭を下げた。
「竜崎くん、模木さん、ごめんなさい。せっかく外出させてくれたのに、買い物できませんでした…、ええと実は…」
既に模木さんが電話で報告しているだけろうけれど、自分の口から火口さんと接触した事を話すべきだと思った。
しかし、それをするよりも前に。
デスク前に座っていた月くんがこちらに駆け寄ってきて、バッと私を抱き締めた。
「が謝る必要なんて何もない!…名前、何もされなかったか…?」
「……なにも……」
されたか、されてないかと問われれば、"された"と答える他ない。
あれをセクハラと言わず何と言うのか。
潜入捜査をしている立場でなかったら、耐えられず途中で車を降りていた事だろう。
けれど、色仕掛け作戦を決行し、思わせぶりな態度を取ったのは私だ。
自業自得ともいえる。被害者面を出来る立場ではない。
月くんの胸に顔を埋め、押し黙ってしまったその反応をみて、彼はすぐに全てを理解したようだった。
「…ああ、…かわいそうに…」
月くんは頭を撫で、米神にキスをした。最早誰もそのスキンシップをからかうこともなく、目を背ける事もなく。
いつもの光景として受流し、各々ヨツバのこと、火口の事について推理考察している様子だった。
竜崎くんは定位置であるいつもの椅子に座ったまま、視線だけをこちらにやり、ぽつりと言う。
「さんの潔癖症が、悪化しないといいんですけど…」
「…竜崎、もっと他に言う事はないのか?」
月くんは私を自分の両腕から解放する。すると今度は肩を抱き寄せて、庇うようにしながら竜崎くんを睥睨していた。
竜崎くんはそれを歯牙にもかけず、淡々の労いの言葉を投げかける。
「そうですね。潜入捜査お疲れさまでした。皆さんは危険だと言うでしょうけど…あそこで火口を拒絶しなかったのは英断です。彼らにいい顔をしておく必要があります。それこそ、色仕掛けでもなんでも、私は必要だと考えてます。さんのおかげで、より信用されたはずです」
「……」
事件解決のためには手段を選ばない竜崎くんは、私を褒めてくれた。
ミサだって、月くんの役に立つためなら危ない目にあっても構わない。喜んで死ねると言っていた。
けれど第一プランとして竜崎くんに色仕掛けを提案された時、「ライトも居るのに色仕掛け作戦なんてできません!」と怒っていたのも知ってる。
私は捜査のため…月くんのために命はかけられないと言いつつ、色仕掛けは実行できてしまう人間なんだ。
そう思うと、自分が酷く不誠実な人間に思えて、自己嫌悪に陥った。
捜査員としては優等生。けれど私は成り行きで潜入捜査をしているだけで、それが本職という訳じゃない。
私はただの大学生で、一般人で、…──月くんの恋人だ。
私のせいで失敗はできないという責任感・使命感で、火口さんに思わせぶりに近づいた。
けれど私は、月くんの恋人として、それだけはやってはいけなかったのに。
「月くん…ごめんね…、…ごめんなさい…っ」
私の瞳からはぼろぼろと涙が溢れて、止められない。それを見た月くんは、私を抱きながら痛々しいそうな顔をしている。
きっと火口さんに何かされたと思っているからだ。けれど、実際の所、蓋を開けてみればそこにはあるのは、ただの因果応報、自業自得という事実だけ。
月くんに心配される価値なんて私にないのに。私は思わず顔を覆った。合わせられる顔がない。
「…そんなに酷いことされたの?」
「違うの…私が…私が、思わせぶりなことしたから…」
「……気があるような素振りをしたの?」
「……。……それと、キラを崇拝するようなことを…」
「…………」
月くんは、大きなため息でも吐きそうな声色をしていた。
私を抱き寄せている手前、しなかったけど。月くんは昔から、私に負の感情を見せないようにしているのを知ってる。
竜崎くんやミサに対しては遠慮がなく、睨んだり文句を言ったり、ため息をついたりしいるのを何度も見てる。
でも私に対しては、そういう言動は取らないのだ。
私に対して、苦言を申立てたくなるのを今、名一杯堪えているのだろうと思った。
「…竜崎。これ以上を巻き込むのはやめてくれ。は責任感が強いんだ。
それが無茶な事でも、なんでもしてしまう。…それなのに身を守る手段を持ってないんだ。何かあったらどうする?」
けれど月くんは私を責めず、私を嗾けた竜崎くんを責める。
私は現金なことに、酷くそれに安心していた。
私が他の男性に思わせぶりな事をした事を不誠実とは取らず、責めないでいてくれた。
自己嫌悪と、嫌われるかもしれないという恐怖から泣いていた私は、安堵で満たされる。
矛先が向けられてしまった竜崎くんには申し訳ないけれど、救われた気持だった。
「私達の監視の目から離れた場所で、火口と接触する事になったのは予想外のことでした。けれど今ヨツバの広告塔の採用を辞退する、という訳にはいきません。月くんもそれを分かってるはずですよね」
「…それは、そうだが」
「私達は勝ちます。私にはその自信があります」
「……」
竜崎くんは言外に、「あなたにはその自信がないんですか?」と言って月くんを煽っていた。
今度こそ月くんは、深いため息をついた。
「…、携帯預かるよ。嫌じゃなければ」
「…いいの?」
「もちろん。結局、買い物いけなかったんだろう?メールチェックは僕が代わりにしておくから」
「…ありがとう…」
私が笑うと、月くんはホッと安堵したような表情をみせた。私の目元にたまった涙を指先ですくいながら、優しく目を細めている。
「やっと笑ってくれた。…に泣かれると、なんだか落ち着かない…」
「…ごめんね。困っちゃうよね…」
月くんに携帯を手渡しながら謝ると、月くんは少し焦ったように弁解した。
「あ、いや…そういう意味じゃなくて…罪悪感、みたいな…」
「…?月くんのせいで泣いてるわけじゃないよ…?」
「…そう、…なんだけどね…」
月くんは困ったように眉を下げ、それ以上は何も言わない。
言いたくなさそうなのは察しがついたので、私もこれ以上追求はしなかった。
「…それで、さん。火口と会話してみて、どう思いましたか」
竜崎くんは視線をやるだけでなく、珍しく体ごとこちらへ対面させて、私をじっと伺っていた。
私は車内での火口さんの様子と、交わしたやり取りを思い出す。
「……火口さんは、Lについて、凄く知りたがってた。それって、ヨツバの人はみんな知りたがる事なのかもしれないけど…でも…」
「さんはLと接点がある事に加えて、キラを崇拝しているような事も話した。そうですね」
「…そう。私がキラを肯定してるかどうか、知り違ってた。それで…そう匂わせるような事を言ったら、喜んでた。……それって…」
「はい。私も怪しいと思います。その引っ掛かりは、勘違いではないと思いますよ」
やり取りを伺ってた本部の皆が、それを聞くと一気にざわついた。
「…竜崎。それって、火口がキラってことですか…?」
「まだ断言はできません。怪しい、と言っただけです。しかし…キラを肯定されて喜ぶのは誰でしょうか?キラ信奉者であれば、賛同を得られれば喜ぶでしょう。…そしてキラ本人であれば──自分の行を肯定されれば、やはり喜ぶでしょうね」
松田さんがおずおずと聞くと、竜崎くんはそう説明した。
…私も、そう思う。
私はそこから竜崎くんに火口と交わしたやり取りを一言一句説明させられ、彼と手を握り合ったことまでも説明させられた。
そうすると、月くんが目に見えて苛立ち始めた事が伝わり、居た堪れなくなり縮こまる。
「火口が怪しいと知れたことは収穫です。引き続き情報を集めていきましょう。私もさらに細かくヨツバの動向を伺えるよう、手配します」
最後に竜崎くんがそうまとめた頃には、すっかり夜も更けていた。
「…それに…明日は更に"何か"起こるような気がしてます。…皆さんもう休んで結構ですよ」
そしてその日はその一言でそのまま解散となり、
プライベートルームに戻った私は、お風呂に入る元気もなくベッドに沈む。
するとそのまますぐに眠りに落ちて、朝まで目を覚まさなかった。
──そして、翌日。竜崎くんが予感した通り、大きく事態は動きだす事となった。
3.物語の中心部─色仕掛け
火口さんに架空のロケ場所を伝えて、ナビにセットしてもらう。
以前モデルの仕事をした時に使ったスタジオが、この近くにあるのだ。だからそこの住所を火口さんに伝えていた。
もし今日の仕事内容について深く追求されたら、そこでファッション雑誌のモデル撮影をするのだと明かす事に決めたのだ。
もちろん、脳内で作った架空の仕事なので、それ以上深堀されたら私の嘘はすぐに破綻する事となるだろう。
芸能界に造詣が深い訳でもない私の作り話のクオリティなど、たかが知れている。
到着予定時刻は30分後とナビに表示されて、私の胃がキリキリと痛むのが分かった。
思わずさすりそうになってたのを必死にこらえて、私は"神秘的""ミステリアス"なイメージを崩さないように、綺麗な笑顔、美しい姿勢を保つことに努める。
──たかが30分、されど30分。
その間、潜入捜査員として探りを入れつつ、火口さんからの"お触り"にも耐えなければいけない。
「ちゃんって、幻の少女だなんて言われるだけあって、ミステリアスで…肌まで綺麗だよね。ほんと、作り物みたいにさ…」
「そ、うですか?」
「うん。白くて滑らかで、…でも少し冷たいね。そこも少し人形っぽくて、魅力的だなあ」
火口さんは右手でハンドルを握り、左手で私の腕を握る。
そんな事をしてないで、運転に集中してほしい…という気持ちが届くはずもなく。
予想通り、2人きりになってすぐ、火口さんはスキンシップを取ってきた。
私は決して末端冷え性などではないし、体温は低くも高くもない。
だから今体が冷たくなっているというならば、それは私がストレスに晒され、緊張しているからに他ならないだろう。
どくんと心臓が早鐘を打ち、痛んだ。
友人知人でもない。好意もない人に、下心でもって触られて、嬉しいはずがない。
でも──やらないと。リスクを侵した意味がなくなってしまう。
火口さんに見えない位置で、ぐっと空いた拳を握って、竜崎くんのあの言葉を思いだす。
「接待の時は中々のやり手だと思ったんですけどね。訂正します。さんは、案外芝居が得意だったのかもしれません」
不本意な言葉だったけど…あの竜崎くんにこうも言わしめさせたんだ。
人を観察する事が得意な竜崎くんすら欺いて、あの接待の場で、私は"素で"男慣れしてると思わせた。
今世の私の容姿は幸か不幸か整っており、ミサと共に話題になった事で、商品価値が上がってる。
それを自覚しているからこそ、私は堂々と媚びた仕草を取り、男心をくすぐる言葉を選んでみせた。
やればできる。紙村さんにもやったように…。
……心底私には向いてない事だと思う。けれどあの時私が実行できたのは、責任感や使命感があったから。
ならばきっと、今回もそれを原動力にして、同じように出来るはずだ。
私は火口さんに握られた手を解く事なく、軽く握り返す。そしてその手に視線を落としながら、ぽつりと呟いた。
「…火口さんの手は、暖かいですね。…人の体温って、安心します」
「……どうしたの?悲しそうな顔してるね」
私は口では甘い言葉を吐きつつも、瞼を伏せ、掠れた寂しい声で言う。
すると、私の纏う空気が変わった事に気が付いた火口さんは、様子を伺うように問い掛けてきた。
私はすぐにはその問いには答えず、含みを持たせた間を開けるよう意識して、ゆっくりと語り出す。
「…Lに拘束された時、ずっと隔離されてたんです…監禁って言ってもいいかも。
ずっと誰とも会えなかったし、喋れなかった…触れ合えなかった。…寂しくて、こわかった」
「ちゃん……」
私は火口さんに重ねられていた手を、今度はこちらから重ね返した。それから手の甲を少し撫でて、好意を示す。
そして、"Lに拘束された"というワードも口にしてみせる。
こうする事で、"の好意"という餌と、"Lの情報"という餌、二つを撒く事ができた。
天秤はどちらに傾き過ぎてもいけない。
けれど火口さんは、私の肌に触れる事よりも、情報の方に興味が傾いてしまったようだった。
「ちゃん、Lって…」と身を乗り出して深堀しようとしてくる。
加えて、Lの情報を目前に掲げられた事で高揚したのか、無意識に私から手を離そうとしている。
それを引き留めるようにパッと握って、私は真っ直ぐ火口さんを見据えた。
「……──離さないでください…」
私が切ない声で言うと、火口さんは「あ、…」と声を漏らした。そして頬を赤く染ながら、ぱくぱくと口を開閉させると、こくりと頷く。
「わ、わかったよ。離さない…」
私はその返事を聞いて、ふわりと微笑んだ。
そこから暫くの間、シンと沈黙が流れる。お互い何を言うでもなく、心の中で駆け引きをする時間だ。
この沈黙を作った目的は、時間稼ぎをするためだった。
ただ30分楽しく雑談をするだけなら、私にでも簡単にできる。
けれど目的はヨツバ社員へ餌をちらつかせ、探りを入れる事なのだ。
とてもじゃないけど、私の話術では、30分も火口さんと効果的な駆け引きを続ける事はできないだろうから。
そしてもう一つの目的は、Lの情報だけに食いつかせないため。
そしてもう一つは、私という女の体に興味を持たせ続けるためだ。
色仕掛け作戦はなしになったというけれど、やはりヨツバ社員たちから何かしらの情報を引き出したいというなら、こうせざるを得ないだろう。
友情や親愛で信頼を勝ちとるには、時間が足りなさすぎる。
そして話術だけで引き出すのも私には無理がある。
だとしたら、色仕掛けが一番簡単だ。短時間で、一番効果が出る。
幸いにして、ヨツバ社員たちは皆女性好きのようだ。
けれどずっと沈黙してる訳にもいかない。次の一手を切り出さなければ──と、思っていたところで。
「…ちゃんは、キラ肯定派なんだよね」
「……あ…」
「ああ、いや。面接でも言ったけど、表にバレなきゃいいんだよ。本当のこと話していいからさ」
「……ええ、と…」
「言ってたよね?」
私は今、素で言葉に詰まっていた。
"好意があるように見せかけてきた"けれど、"キラ信奉者"として振舞った覚えはない。
けれどキラに関しての話題で、私が彼らに言った言葉は一つしかない。
私はごくりと喉を鳴らしながら、こう告げた。
「…"善意には、感謝で返すべき"と、言いました」
「そうそう。…過去に事件に巻き込まれたって。ミサちゃんもちゃんも大変だよね。やっぱ美人だと色々あるんだろうな」
「……」
やはり、これで正解だったらしい。
この言葉でどうして=キラ信奉者という事になるのかわからない。
私はあの時、曖昧言葉で濁し、否定も肯定もしないように努めていた。
だというのに中立と解釈される事なく、信奉者とまで勘違いされるなんて。
本当は私は、信奉者という風に匂わせなければいけなかったのだから、
不幸中の幸いではある。けれど腑に落ちない。
「キラは悪です」と直接的な否定をしなければ、今の世の中、キラ肯定派と受け取られてしまうのだろうか。
面接のときにも感じたけれど…
ヨツバのイメージを損なわないよう、キラ肯定派という事は表に出ては困ると言いつつ、キラ肯定派であってほしい…そんな意図を感じる。
それはやっぱり、竜崎くん達の睨んでいる通り、ヨツバにキラがいるからだろうか。
接待をした七人の中に、キラがいるから?
…──火口さんが、キラだから?
もしそうだとしたら、やはりキラを正義と認めてほしいはず。竜崎くんの方針は、正しい。
「…きっと、キラに救われた人は、沢山いるんでしょうね…」
「!ああ…大きな声では言えないけどね。俺もそうだと思うよ」
私は物語を破綻させるリスクを侵さないよう、キラに関する考察はしないようにしてきた。
でも今あえて、改めてキラに関して考えてみる。
難しい事を考え、解釈や考察をするのは得意じゃないし、好きでもない。
だけど最近、犯罪率が激減しているというのも聞いてるし、いじめも減っているのだという。
ミサなんか、典型的な"キラに救われたひと"の一例だろう。弱いもの、理不尽な思いをしたものは、皆キラに感謝してる。
"善意"で助けてくれた人には、ありがとうと"感謝"しなければならない。
それは道徳や義務感だけの話でなく、ソレをされた時、咄嗟にそうしたくなるのが、人間の心理というものだ。
だから──私はその程度の浅い考えで、キラを肯定する言葉を吐く。
──キラのやってる事が正しいとか正しくないとか、私はその根底を審議する気はない。
──それ以上の事を考えてはいけない。
今背後で私を見守ってくれているだろう天使様だって、きっとそう思ってるはず。
「ちゃんとミサちゃんは、第二のキラ容疑でLに拘束されたんだよね」
「………はい。誤認逮捕だった、って事になりましたけど…その通りです。色々と尋問されました…」
私は窓の外を流れる景色を目で追う。どこか遠い目をしながら空を眺め、物憂げに肯定する。
そうすると、火口さんは握った手に力をこめながら、こう聞いた。
「……正直に言って…ちゃんとミサちゃん。どっちが──」
──その、瞬間。
『目的地に到着しました』
カーナビが、到着を告げるアナウンスを車内に響かせる。
──30分。到着予定時間ぴったりだった。
私が途中で意識的に間を作らなかったら、最後の決定的な問いかけを受ける羽目になっていた事だろう。首の皮一枚の所で繋がった。
目的地のスタジオに併設された大きな駐車場はがら空きで、火口さんは出入口に一番近いところに停車させる。
私はにっこりと笑いながら、火口さんの手をパッと離した。
「──火口さん。送ってくださって、ありがとうございました」
私はシートベルトを外し、バッグを手に取ると、車のドアを開け降車する。
余韻も何も残す事なく、すぐに外に出たのはわざとだった。
こうすれば、嫌でも追いかけたくなる。
火口さんは思った通り、咄嗟に手を伸ばそうとして、けれど有無を言わさず去ろうとする私に何も言えないでいた。
「お仕事、頑張ってください」
「あ、ああ…ちゃんもね」
外から助手席のドアを閉めると、火口さんは窓を開けて、そこから声を投げかけた。
「…ちゃん、あのさ…!」
けれど火口さんは諦められず、明らかに引き留めようとしていた。…そして、先ほどの話を続けようとしている。その先を言わせたら、マズい。
そうすれば私は、問いに大して答えなければいけなくなる。
──そうしてるうちに。
「ーッ!遅刻するぞーッ!」
遠くから模木さんの声が聞こえてきた。
声の方を見ると、駐車場の外の歩道から、模木さんが大きく手を振っているのが見える。
火口さんは会話に夢中になっていたから、気が付いた様子はなかったけど…
私は模木さんが、火口さんの車の後をつけて来ていたのに気が付いていた。
一拍遅れて到着し、そしてどこか別の場所に車を駐車したのだろう。
私は困ったような表情を作りつつ、火口さんに会釈をする。
「怒られちゃうので、もう行きますね。……それでは、また」
「…ちゃんっ!」
私はくるりと踵を返し、駆け出した。背中にかけられた引き留める声は、気がつかなかったふりをして。
私が模木さんの元へ歩み寄ると、心配そうな顔をした模木さんに「大丈夫ですか、さん」と声をかけられる。
まだ火口さんの目があるかもしれない今、仮面をはがす事は出来ず、笑顔を張り付けたまま、無言で頷く。
「すぐ近くに車を止めてあります。火口に気が付かれないよう、すぐにここを離れましょう」
「あ、ありがとうございます…」
「…本当に大丈夫ですか?顔色がよくないですが…」
「……そうかもしれません」
顔色が悪くなる心辺りしかない。
模木さんと共に速足でその場を去り、火口さんの目が完全に届かない車内まで乗り込んだ瞬間。
という偽りの女の仮面は剥げ、笑顔もごっそりと抜け落ちた。
鏡をみなくても、今の私がやつれた顔をしているだろう事は手に取るように理解できた。
膝に抱えたバックの中のでは、バイブ音がひっきりなしに鳴り響いている。
回数からして、火口さんだけでなく、他の社員からのメールも届いているのだろうと察せた。
模木さんは気づかわし気にこちらを見ながら、シートベルトを締めたのを確認すると、「このまま本部に戻ります」と言って発進させる。
私はこくりと頷き、助手席の窓から空を見上げる。
夕暮れの緋色が滲み、藍色も混じり合おうとしている。もうすぐ夜が訪れようとしていた。
面談に、火口さんとのドライブ。濃密すぎる一日だった。
結局目的の買い物をする事は出来ず、けれど電源を切る事もできず。私はストレスを抱えたまま、本部へと戻ったのだった。
*****
「……戻りました…」
模木さんが地下駐車場に車を止め、セキュリティーチェックを共に済ませると、エレベーターでメインルームに向かう。
そうすると、本部の面々の視線がバッと一斉にこちらへと向かった。
今はそれに反応する元気もなく、私は覇気のない声で報告する。そして、深々と頭を下げた。
「竜崎くん、模木さん、ごめんなさい。せっかく外出させてくれたのに、買い物できませんでした…、ええと実は…」
既に模木さんが電話で報告しているだけろうけれど、自分の口から火口さんと接触した事を話すべきだと思った。
しかし、それをするよりも前に。
デスク前に座っていた月くんがこちらに駆け寄ってきて、バッと私を抱き締めた。
「が謝る必要なんて何もない!…名前、何もされなかったか…?」
「……なにも……」
されたか、されてないかと問われれば、"された"と答える他ない。
あれをセクハラと言わず何と言うのか。
潜入捜査をしている立場でなかったら、耐えられず途中で車を降りていた事だろう。
けれど、色仕掛け作戦を決行し、思わせぶりな態度を取ったのは私だ。
自業自得ともいえる。被害者面を出来る立場ではない。
月くんの胸に顔を埋め、押し黙ってしまったその反応をみて、彼はすぐに全てを理解したようだった。
「…ああ、…かわいそうに…」
月くんは頭を撫で、米神にキスをした。最早誰もそのスキンシップをからかうこともなく、目を背ける事もなく。
いつもの光景として受流し、各々ヨツバのこと、火口の事について推理考察している様子だった。
竜崎くんは定位置であるいつもの椅子に座ったまま、視線だけをこちらにやり、ぽつりと言う。
「さんの潔癖症が、悪化しないといいんですけど…」
「…竜崎、もっと他に言う事はないのか?」
月くんは私を自分の両腕から解放する。すると今度は肩を抱き寄せて、庇うようにしながら竜崎くんを睥睨していた。
竜崎くんはそれを歯牙にもかけず、淡々の労いの言葉を投げかける。
「そうですね。潜入捜査お疲れさまでした。皆さんは危険だと言うでしょうけど…あそこで火口を拒絶しなかったのは英断です。彼らにいい顔をしておく必要があります。それこそ、色仕掛けでもなんでも、私は必要だと考えてます。さんのおかげで、より信用されたはずです」
「……」
事件解決のためには手段を選ばない竜崎くんは、私を褒めてくれた。
ミサだって、月くんの役に立つためなら危ない目にあっても構わない。喜んで死ねると言っていた。
けれど第一プランとして竜崎くんに色仕掛けを提案された時、「ライトも居るのに色仕掛け作戦なんてできません!」と怒っていたのも知ってる。
私は捜査のため…月くんのために命はかけられないと言いつつ、色仕掛けは実行できてしまう人間なんだ。
そう思うと、自分が酷く不誠実な人間に思えて、自己嫌悪に陥った。
捜査員としては優等生。けれど私は成り行きで潜入捜査をしているだけで、それが本職という訳じゃない。
私はただの大学生で、一般人で、…──月くんの恋人だ。
私のせいで失敗はできないという責任感・使命感で、火口さんに思わせぶりに近づいた。
けれど私は、月くんの恋人として、それだけはやってはいけなかったのに。
「月くん…ごめんね…、…ごめんなさい…っ」
私の瞳からはぼろぼろと涙が溢れて、止められない。それを見た月くんは、私を抱きながら痛々しいそうな顔をしている。
きっと火口さんに何かされたと思っているからだ。けれど、実際の所、蓋を開けてみればそこにはあるのは、ただの因果応報、自業自得という事実だけ。
月くんに心配される価値なんて私にないのに。私は思わず顔を覆った。合わせられる顔がない。
「…そんなに酷いことされたの?」
「違うの…私が…私が、思わせぶりなことしたから…」
「……気があるような素振りをしたの?」
「……。……それと、キラを崇拝するようなことを…」
「…………」
月くんは、大きなため息でも吐きそうな声色をしていた。
私を抱き寄せている手前、しなかったけど。月くんは昔から、私に負の感情を見せないようにしているのを知ってる。
竜崎くんやミサに対しては遠慮がなく、睨んだり文句を言ったり、ため息をついたりしいるのを何度も見てる。
でも私に対しては、そういう言動は取らないのだ。
私に対して、苦言を申立てたくなるのを今、名一杯堪えているのだろうと思った。
「…竜崎。これ以上を巻き込むのはやめてくれ。は責任感が強いんだ。
それが無茶な事でも、なんでもしてしまう。…それなのに身を守る手段を持ってないんだ。何かあったらどうする?」
けれど月くんは私を責めず、私を嗾けた竜崎くんを責める。
私は現金なことに、酷くそれに安心していた。
私が他の男性に思わせぶりな事をした事を不誠実とは取らず、責めないでいてくれた。
自己嫌悪と、嫌われるかもしれないという恐怖から泣いていた私は、安堵で満たされる。
矛先が向けられてしまった竜崎くんには申し訳ないけれど、救われた気持だった。
「私達の監視の目から離れた場所で、火口と接触する事になったのは予想外のことでした。けれど今ヨツバの広告塔の採用を辞退する、という訳にはいきません。月くんもそれを分かってるはずですよね」
「…それは、そうだが」
「私達は勝ちます。私にはその自信があります」
「……」
竜崎くんは言外に、「あなたにはその自信がないんですか?」と言って月くんを煽っていた。
今度こそ月くんは、深いため息をついた。
「…、携帯預かるよ。嫌じゃなければ」
「…いいの?」
「もちろん。結局、買い物いけなかったんだろう?メールチェックは僕が代わりにしておくから」
「…ありがとう…」
私が笑うと、月くんはホッと安堵したような表情をみせた。私の目元にたまった涙を指先ですくいながら、優しく目を細めている。
「やっと笑ってくれた。…に泣かれると、なんだか落ち着かない…」
「…ごめんね。困っちゃうよね…」
月くんに携帯を手渡しながら謝ると、月くんは少し焦ったように弁解した。
「あ、いや…そういう意味じゃなくて…罪悪感、みたいな…」
「…?月くんのせいで泣いてるわけじゃないよ…?」
「…そう、…なんだけどね…」
月くんは困ったように眉を下げ、それ以上は何も言わない。
言いたくなさそうなのは察しがついたので、私もこれ以上追求はしなかった。
「…それで、さん。火口と会話してみて、どう思いましたか」
竜崎くんは視線をやるだけでなく、珍しく体ごとこちらへ対面させて、私をじっと伺っていた。
私は車内での火口さんの様子と、交わしたやり取りを思い出す。
「……火口さんは、Lについて、凄く知りたがってた。それって、ヨツバの人はみんな知りたがる事なのかもしれないけど…でも…」
「さんはLと接点がある事に加えて、キラを崇拝しているような事も話した。そうですね」
「…そう。私がキラを肯定してるかどうか、知り違ってた。それで…そう匂わせるような事を言ったら、喜んでた。……それって…」
「はい。私も怪しいと思います。その引っ掛かりは、勘違いではないと思いますよ」
やり取りを伺ってた本部の皆が、それを聞くと一気にざわついた。
「…竜崎。それって、火口がキラってことですか…?」
「まだ断言はできません。怪しい、と言っただけです。しかし…キラを肯定されて喜ぶのは誰でしょうか?キラ信奉者であれば、賛同を得られれば喜ぶでしょう。…そしてキラ本人であれば──自分の行を肯定されれば、やはり喜ぶでしょうね」
松田さんがおずおずと聞くと、竜崎くんはそう説明した。
…私も、そう思う。
私はそこから竜崎くんに火口と交わしたやり取りを一言一句説明させられ、彼と手を握り合ったことまでも説明させられた。
そうすると、月くんが目に見えて苛立ち始めた事が伝わり、居た堪れなくなり縮こまる。
「火口が怪しいと知れたことは収穫です。引き続き情報を集めていきましょう。私もさらに細かくヨツバの動向を伺えるよう、手配します」
最後に竜崎くんがそうまとめた頃には、すっかり夜も更けていた。
「…それに…明日は更に"何か"起こるような気がしてます。…皆さんもう休んで結構ですよ」
そしてその日はその一言でそのまま解散となり、
プライベートルームに戻った私は、お風呂に入る元気もなくベッドに沈む。
するとそのまますぐに眠りに落ちて、朝まで目を覚まさなかった。
──そして、翌日。竜崎くんが予感した通り、大きく事態は動きだす事となった。