第48話
3.物語の中心部─男性不信
「はーっ疲れたー」
「竜崎。ヨツバはミサさん、さんの各方面での広告採用を決めました」
今日はプライベートルームに直帰する事なく、潜入捜査の成果報告をするため、メインルームに向かった。
本部の皆は、興味津々といった様子でミサと私に視線を集中させている。
「どうだった?ミサミサ、さん」
「どうって?」
「だから、何を聞かれたとか、誰が怪しいとか…」
松田さんはミサと私の所へ近づいてきて、真剣な表情で問いかけてきた。
何を聞かれたか…はともかくとして。私はこの世界を生きる上で、誰が怪しいだとか、出来るだけ考えないようにしている。
その上面接中は終始ストレスに晒され緊張していただけで、推理する暇もなれば、端からする気もなかったのだ。だから私には、何も答えられる事がない。
困ったように沈黙していた私とは裏腹に、ミサはちょっとだけ意地悪な笑顔を浮かべつつ、松田さんの問いを一蹴した。
「そういう報告はライトと竜崎さんにしかいたしません。捜査チームが違いますから」
「いや、たった今竜崎中心で協力していく事になったんだ」
松田さんはどこか嬉しそうに、弾んだ声で報告してくれた。
どちらの捜査方法がいい悪いの前に、ギスギスとした雰囲気が嫌だったのだろうと思う。
「へー。携帯番号やメルアド教えたら、あの七人の内の三人がもうプライベートな誘いをしてきたよ」
共同戦線を張ると聞くと、ミサは情報を開示する気になったらしい。
バックから自分の携帯を取り出すと、それを掲げて松田さんに見せる。
すると松田さんはまるで過保護な父親のように眉を顰め、私の方にもバッと振り返って確認してきた。
「なんだと…!まさかさんの方も?」
「……。……」
「う、うわ…さんのそんな顔初めてみたな…」
私は言葉で返事をせず、表情だけで答えを返した。
心底嫌そうな表情を露骨に浮かべていたのだと思う。松田さんはそれを見て、口元を引きつらせていた。
私はきゅっと眉を寄せて、口をきつく結ぶ。
わざと返事をしなかった訳ではなく、返事をする余裕がなかった、という方が正しかった。
私のバックの中に入ってる携帯が、今もリアルタイムで鳴り続けてる。
前世でも仕事用の携帯とプライベートの携帯は分けられていた。
今世ではまだ大学生だ。働くとしても、学業の合間にする学生のアルバイト程度が関の山。
使い分ける必要性を感じていなかった。
だけど、意図せずイレギュラーな業界に足を踏み入れて、仕事の付き合いができてしまった。
連絡先を教えてしまった事、すぎた事は考えても仕方ない。
けれど、それで仕事の連絡が来るならまだしもだ。
仕事の付き合いをしている人たちから、明らかに下心のある食事の誘いの連絡がひっきりなしに来れば、誰だって嫌になるだろう。
接待の場でも、面談の帰り際も、ミサも私と同じように連絡先を聞かれていた。
ミサにも私と同じような連絡が届いているのだろうと思う。
けれど伊達に芸能界を生き延びていないミサは慣れっこなのか、気にした様子はなく、むしろ好機だと捉えているようだった。
「この誘いに乗っていって探っていけばいいのね。まさに作戦通り」
「…!?そんな作戦だったっけ…?だってあのメールって…。…あんなの、わ、わたしむり…」
Lの事を知ってると匂わせれば、それを探ろうと接触してくるだろう。
餌をちらつかせて、釣りをするという事だ。
元から、それが竜崎くんの立てていた作戦だったと理解している。
けれど私が車内でみた限り…「2人きりで食事しよう」「今夜あいてる?」というメールは、とてもじゃないけどLに関する探りを入れるための、建前には思えなかったのだ。
私は返事も返していないというのに、連続で何度もメールが送られてきている。
面接の休憩中の火口さん・紙村さんの様子も、面接が終わった後の彼らの様子も。
いい方は悪いけど…キャバ嬢やガールズバーの女の子に入れ込む男の人の距離の詰め方でしかなかった。
…こんな誘いに乗って、彼らに接近していかなければいけないのか。
私が打ちひしがれていると、「安心してください。…特に名前さん」と竜崎くんが言った。
「その作戦は中止になったみたいです」
「えっ!?何でよ、ここまで来てふざけないでよ!」
「わ…私の意見ではありません」
画面を見たまま、振り返りもせずに告知した竜崎くんの髪を鷲掴みにして、ミサはワシワシと乱暴にかき混ぜていた。
月くんはそれを見かねて、ミサの腕を掴んで引きはがしながらこう説得する。
「このやり方では二人が危ないんだ。CMに出るなとは言わないが、これからは第二のキラ容疑や、Lに拘束されたかもしれないという事は否定していく。ミサと名前は模木さんにガードしてもらい、タレントとしてだけ動くんだ」
「……」
ミサは少しの間沈黙すると、「…ライトがそうしろって言うなら、そうする」と言って、素直に引きさがった。
ミサは月くんに心配される事を喜びとしているし、愛する人にそう言われれば、頷かずにはいられなかったのだろうと私はぼんやりと思った。
しかしミサのその言葉を聞くと、今までずっと、こちらを一瞥すらしなかった竜崎くんが振り返り、ミサの方をじっと見つめだした事に気が付く。
「…じゃ、ミサ疲れたし、明日のロケ早いから寝るね」
ミサはくるりと踵を返し、ドアを潜ってプライベートルームへ戻ろうとした。
そしてひょこっと顔だけ出して、にっこりと笑った。
「ライト、一緒に寝ない?」
「………。……何言ってんだミサ」
月くんは心底意味がわらかない…と言った渋い顔をしていた。
反対に、ミサは楽しそうに笑いながら、エレベーターの方へと引っ込みつつ、最後に一言こう告げて去って行った。
「わかってるー。それはキラを捕まえてからね!照れなくていいよーライト」
エレベーターのドアが閉まった音がして、今度こそ去って行ったミサ。
はあ…と大きなため息を吐いた月くんに対し、竜崎くんは「照れなくていいです月くん」と冗談なのか本気なのかわからない事を言った。
「…僕は照れてない」
「何真剣に答えてるんですか月くん」
「真剣になるに決まってるだろう。…、こっちにおいで」
遠巻きに三人のやり取りを眺めていた私を手招きしながら、月くんは困ったような笑いを浮かべている。
「本当に照れたりしてないから。僕が以外の女性と一緒に寝るなんて、ありえない」
「え……わっ」
メインルームには画面がいくつも設置されている。
月くんは普段捜査をするのに使っている、画面前の椅子に腰かけると、私の腰に腕を回し、ぐっと引っ張り膝の上に座らせた。
捜査本部の皆…月くんのお父さんだっているのに…!という羞恥心を抱くのは、もう今更の事かもしれない。
最初こそ皆、私達のスキンシップを見ると、居た堪れなさそうにしていたけれど。
今はもう皆自分の仕事に没頭していて、こちらを気にしてすらいない。
監視・軟禁される前は、月くんは人前でイチヤつく事を好まなかった。
お互いTPOをわきまえて、そういう事をするのは二人きりの時だけ。
けれどどういう心境の変化か、今の月くんは控える所か、積極的に人前で触れ合いたがってる気がある…というのは勘繰りすぎだろうか。
「…、バック開けて」
背後から抱きしめられる形になり、耳元で囁かれ、思わず肩が跳ねた。
私は指示された通りに、バックの口を開ける。
中にはメイクポーチとハンカチと、携帯くらいしか入っていない。
「携帯かして」
「………うん」
耳元で囁くのは、わざとだろうか。この体制だと仕方ないのだろうか。
悶々としつつも私は何も言えず、ただ月くんの言う通り、バックから携帯を取り出し差し出した。
携帯には、四桁の数字でロックがかかっている。けれど月くんは迷わず四桁を入力して、難なく突破していた。
どうしてパスワードがバレたのかと、聞く気すら起きない。
私の生年月日や好きなものとか、いろんな情報から割り出したのかもしれないし、
ロック解除する所を見た事があったのかもしれない。
映画の中でだって、わずかなヒントからパスワードを突破するシーンなどいくらでも見た事はある。
だとすれば、賢い月くんがロックを解除しても、少しも驚かない。
カチカチとガラケーのボタンを押して、月くんは何かを探っていた。何を見ているのかは想像はつく。
「……これは…確かに度が過ぎてるな」
「…なに?」
「一番しつこいのは火口だろうけど…一番に入れ込んでるのは紙村ってやつかな」
月くんはやはり、ヨツバ社員から届いたメールを検閲していたようだ。
私がそのメールを見たくもないと思っているのを察しているのだろう、画面を見せようとはしなかった。
「……私、ミサが携帯三つも持ってる理解がやっとわかったかも」
「ああ、そうだろうね…」
「……私、もうモデルのお仕事しないつもりだったけど…少なくとも、ヨツバさんの広告のお仕事はしなきゃだよね」
「ん…そうだね…少なくとも、今辞退する訳にはいかないね」
月くんは私の腹に片手を回し、顎を肩口に載せて擦りつきながら、硬い声で頷いた。
月くんの隣の席に座っている竜崎くんの方をちらりと見て、私は「竜崎くん、ちょっといいいかな」と声をかけた。
隣と言っても、席の間隔はかなり広くとられている。竜崎くんは少し離れた位置から私にちらりと視線をやった。
「なんでしょう」
「……私、買い物にいきたい。…だめ、かな」
「ダメ、という事はありませんが…」
「できれば、今日」
「………さんは男性不審の気でもあるんですか?もしくは潔癖症」
今までわがままを言わなかった私が、あまりにも唐突で強引な主張を始めた事で、
竜崎くんは少しだけ驚いたようだ。と言っても、表情はいつも通り変わっていないけれど。
竜崎くんは私が買い物に行って、買いたい物が何なのかも予想出来ているからこそ、潔癖症などと言ったのだろうと思った。
「接待の時は中々のやり手だと思ったんですけどね。訂正します。さんは、案外芝居が得意だったのかもしれません」
「………」
こんなに嬉しくない褒め言葉があるとは、思いもしなかった。
あの接待の場で、私は素で媚びた言葉を選び、思わせぶりな仕草をしていた思われていたのか。
月くんはぎゅっと腹に回した腕に力を込めて、無言で肩口に顔を埋めてしまった。
あの時、私が接待する様子をみて、本部の皆がなんと言ってどんな反応をしていたのか。考えたくもない。
竜崎くんは私のに関する推理をし、納得すると、次に私の要求を呑んでくれた。
「いいでしょう。……では模木さん、出ずっぱりで申し訳ありませんが、今からさんの買い物に付添ってくれませんか?」
「はい。問題ありません」
「…模木さん、すみません」
「いえ。これが自分の仕事ですから」
模木さんがさっそく車を回してきてくれるというので、
私はそのまま立ち上がろうとした。けれど月くんが私に回した腕を離す事はなく、どころか、強まる一方。
これでは立ちあがる事など到底できない。困ってしまって、月くんの手の甲を撫でて、無言の説得を試みてみる。
「……月くん」
「……離れたくない……」
「月くん。ここは照れてください」
竜崎くんに突っ込まれて、はああ……と長い長いため息を吐いてから、パッと両手を離してくれた。
ミサのように「一緒に寝ない?」とでも声をかけた方がいいのだろうか。…いや無理だ。さすがに恥ずかしすぎるし、キャラじゃない。
でも多分、何か言わないと、月くんは離してくれそうにない。
私に言える範囲の事。叶えてあげられること…
私は少し考えてから、こう言った。
「……月くん。えと……、……また…後でね」
私に言えるのは、これくらいが精一杯だった。
また後で、という言葉は、あまりに曖昧で抽象的。
それでも月くんには十分だったようだ。パッと埋めていた顔を上げて、「…」と穏やかな声で名を呼んだ。
そして拘束を解いてくれて、私の手を取りながら立ち上がらせくれた。
そこから対面する形になると、やっと月くんの表情が見える。
月くんは、明るい表情を浮かべていた。
ふんわり嬉しそうに目を細めて、幸せそうにしているものだから、恥を忍んで口にしてよかった…と満足感で満たされる。
"また後で"帰ってきた後、何をしてあげようか。頭を撫でてあげるくらいしか、私が恥ずかしがらすできることはないけれど。
それで喜んでくれるだろうか。
そんな事を考えながら、私は模木さんと共に、再び外に出た。
***
向かったのは携帯ショップだ。地下駐車場に車を止めて、ショッピングモールに入るためにエスカレーターを上がった。
「…あれ。外に出ちゃいましたね」
「モールの中に直通してるはずなんですが…すみません。地図を読み違えました」
「そんな、謝らないでください」
模木さんはとても真面目な人だ。コツコツとした仕事が得意な職人気質のようなものを持った人らしい。
モールの外の前の歩行者専用道路に出てしまった私達は、遠回りになってしまってものの、
モールの中に入れる出入口を探そうとした。
その時、パパァッとクラクションの音が鳴り、反射的に私達はそちらを振り返った。
ここは閑散とした郊外でもなんでもなく、都心に位置している。
モールの前に通っている大通りは、それなりの交通量がある。
そこから一台の外車が道を逸れ、歩道に車を横づけし、クラクションを鳴らしたようだった。その停車場所は、私達のど真ん前だ。
「アレ?ちゃんだよね?」
左ハンドルの車に乗った男は、車の窓を開けると、顔を覗かせる。
一時間ほど前に会ったばかりの顔だ。その車にはヨツバ社員、火口さんが乗車していた。
「…火口さん」
「偶然だね、こんな所で。そっちは買い物?」
「は、はい…」
「だからメール返してくれなかったんだね。…んー、ちょうどいいな。乗ってよ」
「えっ…?」
「これからちょっと食事にでも行こうよ。仕事の話したいしさ」
私が困惑して、何も言葉を返せないでいると、模木さんが止めに入ってくれた。
さり気なく私を背に隠すようにして、マネージャーとして代弁してくれる。
「スイマセンッ!はこの後すぐに、仕事がありますんで…」
「あ、そうなの。じゃあ、現場まで送ってくよ。その間だけでも話そうよ」
この様子だと、火口さんは何を言っても折れないだろう。
それこそ直接的に、「迷惑なのでやめてください」くらいの事を言わないと。
けれど、彼は潜入捜査先の会社の社員…調査対象の一人である。
ここで断って角を立てるのは、絶対に得策ではないはずだ。
「誘いに乗っていけばいいのね」とミサはやる気になっていた。
けれどその作戦を中止にして、危ない目に合わせない、という捜査方針を掲げたのは、月くん達だ。
竜崎くんはリスクを負ってでも、色仕掛けでもなんでもして、ガンガンせめてほしいのだろうと思う。
当然、それが一番効果的で、効率的に決まってる。
けれど模木さんの立場では、私に火口さんを攻めろとは言えない。
かと言って、模木さんの独断でこのチャンスをお釈迦にする事もできず、判断に酷く困っている。
──決断は、私にしか下せない。
「…わかりました。お言葉に甘えて、送ってもらっていいでしょうか?」
──私は、覚悟を決めた。
模木さんの背中から顔を出し、笑顔を作って、火口さんの誘いに乗った。
すると火口さんは酷く嬉しそうな顔をして、嬉々として車に向かえ入れようとした。
「!ああ、喜んで!」
「じゃあ…失礼します」
私が後部座席のドアを開けようと手にかけると、「ちょっと待ってよ」と火口さんにストップをかけられた。
「おいおい。ちゃん…どうせなら隣座ってよ。せっかくドライブするんだしさ」
「…そう、ですね。お話するのに、離れて座るのも変ですよね」
覚悟を決めたと言いつつも、私は無意識のうちに、逃げ腰で動いていたようだ。
火口さんに接近して信頼を勝ちとるためには、他人行儀ではだめ。
隣の席に座らない手はないというのに。私が助手席に座ると、車外で模木さんが棒立ちになり、困ったように眉をさげていた。
「そ、それじゃあ自分は…」
「あれ?マネージャーの…模地だったけ?そっちはそっちの車があるんじゃないの?」
「え…はい、そうですが…」
「じゃあ車放置できないでしょ。偽名ちゃんは俺が送ってくから、自分の仕事しなよ」
「……いえ、でも…」
「何?俺がちゃんに手出すとでも思ってるわけ?失礼な話だよね」
「ん…いえ…」
火口さんは女性に甘く、男性に厳しい。まだ短い付き合いしかないけれど、彼の人柄はなんとなく理解できるようになってきた。
私がいる手前少し手柔らかに接しているようだけど、やはり辺りは強い。
そこまで言われてしまえば、引かざるを得ないだろう。
それでも模木さんが最後まで言葉を濁し、この場を離れようとしないのは、
私がキラ捜査本部の監視対象であるからだ。そして同時に、潜入捜査員でもある。
私の監視を優先するか、潜入捜査の進展を優先するか。私の身の安全を優先するか。
刑事として、様々な事柄を天秤にかけて、言葉を詰まらせているのだ。
本当は、自分も車に乗車して、私の監視と潜入捜査を同時並行させたかったに違いない。
けれど火口さんの態度からして、それは難しいだろう。
だから、私が言うしかない。
「模地さん。あとで合流しましょうか」
模木さんはそこでぐっと決意を固め、「ウッス!了解しましたーッ!後から合流しまーす!」と熱血マネージャーの仮面を作り、潜入捜査を優先させる、という決断を下した。
火口さんは私がシートベルトをすると、車をすぐに発進させる。
ミラーに映る模木さんの姿が、どんどん小さくなっていく。
そして完全に見えなくなってしまうと、完全に二人きりの空間が出来上がった。
そしてそこから目的地まで辿り着く間──私はひたすら、火口さんからのスキンシップという名のセクハラに耐える他なかった。
3.物語の中心部─男性不信
「はーっ疲れたー」
「竜崎。ヨツバはミサさん、さんの各方面での広告採用を決めました」
今日はプライベートルームに直帰する事なく、潜入捜査の成果報告をするため、メインルームに向かった。
本部の皆は、興味津々といった様子でミサと私に視線を集中させている。
「どうだった?ミサミサ、さん」
「どうって?」
「だから、何を聞かれたとか、誰が怪しいとか…」
松田さんはミサと私の所へ近づいてきて、真剣な表情で問いかけてきた。
何を聞かれたか…はともかくとして。私はこの世界を生きる上で、誰が怪しいだとか、出来るだけ考えないようにしている。
その上面接中は終始ストレスに晒され緊張していただけで、推理する暇もなれば、端からする気もなかったのだ。だから私には、何も答えられる事がない。
困ったように沈黙していた私とは裏腹に、ミサはちょっとだけ意地悪な笑顔を浮かべつつ、松田さんの問いを一蹴した。
「そういう報告はライトと竜崎さんにしかいたしません。捜査チームが違いますから」
「いや、たった今竜崎中心で協力していく事になったんだ」
松田さんはどこか嬉しそうに、弾んだ声で報告してくれた。
どちらの捜査方法がいい悪いの前に、ギスギスとした雰囲気が嫌だったのだろうと思う。
「へー。携帯番号やメルアド教えたら、あの七人の内の三人がもうプライベートな誘いをしてきたよ」
共同戦線を張ると聞くと、ミサは情報を開示する気になったらしい。
バックから自分の携帯を取り出すと、それを掲げて松田さんに見せる。
すると松田さんはまるで過保護な父親のように眉を顰め、私の方にもバッと振り返って確認してきた。
「なんだと…!まさかさんの方も?」
「……。……」
「う、うわ…さんのそんな顔初めてみたな…」
私は言葉で返事をせず、表情だけで答えを返した。
心底嫌そうな表情を露骨に浮かべていたのだと思う。松田さんはそれを見て、口元を引きつらせていた。
私はきゅっと眉を寄せて、口をきつく結ぶ。
わざと返事をしなかった訳ではなく、返事をする余裕がなかった、という方が正しかった。
私のバックの中に入ってる携帯が、今もリアルタイムで鳴り続けてる。
前世でも仕事用の携帯とプライベートの携帯は分けられていた。
今世ではまだ大学生だ。働くとしても、学業の合間にする学生のアルバイト程度が関の山。
使い分ける必要性を感じていなかった。
だけど、意図せずイレギュラーな業界に足を踏み入れて、仕事の付き合いができてしまった。
連絡先を教えてしまった事、すぎた事は考えても仕方ない。
けれど、それで仕事の連絡が来るならまだしもだ。
仕事の付き合いをしている人たちから、明らかに下心のある食事の誘いの連絡がひっきりなしに来れば、誰だって嫌になるだろう。
接待の場でも、面談の帰り際も、ミサも私と同じように連絡先を聞かれていた。
ミサにも私と同じような連絡が届いているのだろうと思う。
けれど伊達に芸能界を生き延びていないミサは慣れっこなのか、気にした様子はなく、むしろ好機だと捉えているようだった。
「この誘いに乗っていって探っていけばいいのね。まさに作戦通り」
「…!?そんな作戦だったっけ…?だってあのメールって…。…あんなの、わ、わたしむり…」
Lの事を知ってると匂わせれば、それを探ろうと接触してくるだろう。
餌をちらつかせて、釣りをするという事だ。
元から、それが竜崎くんの立てていた作戦だったと理解している。
けれど私が車内でみた限り…「2人きりで食事しよう」「今夜あいてる?」というメールは、とてもじゃないけどLに関する探りを入れるための、建前には思えなかったのだ。
私は返事も返していないというのに、連続で何度もメールが送られてきている。
面接の休憩中の火口さん・紙村さんの様子も、面接が終わった後の彼らの様子も。
いい方は悪いけど…キャバ嬢やガールズバーの女の子に入れ込む男の人の距離の詰め方でしかなかった。
…こんな誘いに乗って、彼らに接近していかなければいけないのか。
私が打ちひしがれていると、「安心してください。…特に名前さん」と竜崎くんが言った。
「その作戦は中止になったみたいです」
「えっ!?何でよ、ここまで来てふざけないでよ!」
「わ…私の意見ではありません」
画面を見たまま、振り返りもせずに告知した竜崎くんの髪を鷲掴みにして、ミサはワシワシと乱暴にかき混ぜていた。
月くんはそれを見かねて、ミサの腕を掴んで引きはがしながらこう説得する。
「このやり方では二人が危ないんだ。CMに出るなとは言わないが、これからは第二のキラ容疑や、Lに拘束されたかもしれないという事は否定していく。ミサと名前は模木さんにガードしてもらい、タレントとしてだけ動くんだ」
「……」
ミサは少しの間沈黙すると、「…ライトがそうしろって言うなら、そうする」と言って、素直に引きさがった。
ミサは月くんに心配される事を喜びとしているし、愛する人にそう言われれば、頷かずにはいられなかったのだろうと私はぼんやりと思った。
しかしミサのその言葉を聞くと、今までずっと、こちらを一瞥すらしなかった竜崎くんが振り返り、ミサの方をじっと見つめだした事に気が付く。
「…じゃ、ミサ疲れたし、明日のロケ早いから寝るね」
ミサはくるりと踵を返し、ドアを潜ってプライベートルームへ戻ろうとした。
そしてひょこっと顔だけ出して、にっこりと笑った。
「ライト、一緒に寝ない?」
「………。……何言ってんだミサ」
月くんは心底意味がわらかない…と言った渋い顔をしていた。
反対に、ミサは楽しそうに笑いながら、エレベーターの方へと引っ込みつつ、最後に一言こう告げて去って行った。
「わかってるー。それはキラを捕まえてからね!照れなくていいよーライト」
エレベーターのドアが閉まった音がして、今度こそ去って行ったミサ。
はあ…と大きなため息を吐いた月くんに対し、竜崎くんは「照れなくていいです月くん」と冗談なのか本気なのかわからない事を言った。
「…僕は照れてない」
「何真剣に答えてるんですか月くん」
「真剣になるに決まってるだろう。…、こっちにおいで」
遠巻きに三人のやり取りを眺めていた私を手招きしながら、月くんは困ったような笑いを浮かべている。
「本当に照れたりしてないから。僕が以外の女性と一緒に寝るなんて、ありえない」
「え……わっ」
メインルームには画面がいくつも設置されている。
月くんは普段捜査をするのに使っている、画面前の椅子に腰かけると、私の腰に腕を回し、ぐっと引っ張り膝の上に座らせた。
捜査本部の皆…月くんのお父さんだっているのに…!という羞恥心を抱くのは、もう今更の事かもしれない。
最初こそ皆、私達のスキンシップを見ると、居た堪れなさそうにしていたけれど。
今はもう皆自分の仕事に没頭していて、こちらを気にしてすらいない。
監視・軟禁される前は、月くんは人前でイチヤつく事を好まなかった。
お互いTPOをわきまえて、そういう事をするのは二人きりの時だけ。
けれどどういう心境の変化か、今の月くんは控える所か、積極的に人前で触れ合いたがってる気がある…というのは勘繰りすぎだろうか。
「…、バック開けて」
背後から抱きしめられる形になり、耳元で囁かれ、思わず肩が跳ねた。
私は指示された通りに、バックの口を開ける。
中にはメイクポーチとハンカチと、携帯くらいしか入っていない。
「携帯かして」
「………うん」
耳元で囁くのは、わざとだろうか。この体制だと仕方ないのだろうか。
悶々としつつも私は何も言えず、ただ月くんの言う通り、バックから携帯を取り出し差し出した。
携帯には、四桁の数字でロックがかかっている。けれど月くんは迷わず四桁を入力して、難なく突破していた。
どうしてパスワードがバレたのかと、聞く気すら起きない。
私の生年月日や好きなものとか、いろんな情報から割り出したのかもしれないし、
ロック解除する所を見た事があったのかもしれない。
映画の中でだって、わずかなヒントからパスワードを突破するシーンなどいくらでも見た事はある。
だとすれば、賢い月くんがロックを解除しても、少しも驚かない。
カチカチとガラケーのボタンを押して、月くんは何かを探っていた。何を見ているのかは想像はつく。
「……これは…確かに度が過ぎてるな」
「…なに?」
「一番しつこいのは火口だろうけど…一番に入れ込んでるのは紙村ってやつかな」
月くんはやはり、ヨツバ社員から届いたメールを検閲していたようだ。
私がそのメールを見たくもないと思っているのを察しているのだろう、画面を見せようとはしなかった。
「……私、ミサが携帯三つも持ってる理解がやっとわかったかも」
「ああ、そうだろうね…」
「……私、もうモデルのお仕事しないつもりだったけど…少なくとも、ヨツバさんの広告のお仕事はしなきゃだよね」
「ん…そうだね…少なくとも、今辞退する訳にはいかないね」
月くんは私の腹に片手を回し、顎を肩口に載せて擦りつきながら、硬い声で頷いた。
月くんの隣の席に座っている竜崎くんの方をちらりと見て、私は「竜崎くん、ちょっといいいかな」と声をかけた。
隣と言っても、席の間隔はかなり広くとられている。竜崎くんは少し離れた位置から私にちらりと視線をやった。
「なんでしょう」
「……私、買い物にいきたい。…だめ、かな」
「ダメ、という事はありませんが…」
「できれば、今日」
「………さんは男性不審の気でもあるんですか?もしくは潔癖症」
今までわがままを言わなかった私が、あまりにも唐突で強引な主張を始めた事で、
竜崎くんは少しだけ驚いたようだ。と言っても、表情はいつも通り変わっていないけれど。
竜崎くんは私が買い物に行って、買いたい物が何なのかも予想出来ているからこそ、潔癖症などと言ったのだろうと思った。
「接待の時は中々のやり手だと思ったんですけどね。訂正します。さんは、案外芝居が得意だったのかもしれません」
「………」
こんなに嬉しくない褒め言葉があるとは、思いもしなかった。
あの接待の場で、私は素で媚びた言葉を選び、思わせぶりな仕草をしていた思われていたのか。
月くんはぎゅっと腹に回した腕に力を込めて、無言で肩口に顔を埋めてしまった。
あの時、私が接待する様子をみて、本部の皆がなんと言ってどんな反応をしていたのか。考えたくもない。
竜崎くんは私のに関する推理をし、納得すると、次に私の要求を呑んでくれた。
「いいでしょう。……では模木さん、出ずっぱりで申し訳ありませんが、今からさんの買い物に付添ってくれませんか?」
「はい。問題ありません」
「…模木さん、すみません」
「いえ。これが自分の仕事ですから」
模木さんがさっそく車を回してきてくれるというので、
私はそのまま立ち上がろうとした。けれど月くんが私に回した腕を離す事はなく、どころか、強まる一方。
これでは立ちあがる事など到底できない。困ってしまって、月くんの手の甲を撫でて、無言の説得を試みてみる。
「……月くん」
「……離れたくない……」
「月くん。ここは照れてください」
竜崎くんに突っ込まれて、はああ……と長い長いため息を吐いてから、パッと両手を離してくれた。
ミサのように「一緒に寝ない?」とでも声をかけた方がいいのだろうか。…いや無理だ。さすがに恥ずかしすぎるし、キャラじゃない。
でも多分、何か言わないと、月くんは離してくれそうにない。
私に言える範囲の事。叶えてあげられること…
私は少し考えてから、こう言った。
「……月くん。えと……、……また…後でね」
私に言えるのは、これくらいが精一杯だった。
また後で、という言葉は、あまりに曖昧で抽象的。
それでも月くんには十分だったようだ。パッと埋めていた顔を上げて、「…」と穏やかな声で名を呼んだ。
そして拘束を解いてくれて、私の手を取りながら立ち上がらせくれた。
そこから対面する形になると、やっと月くんの表情が見える。
月くんは、明るい表情を浮かべていた。
ふんわり嬉しそうに目を細めて、幸せそうにしているものだから、恥を忍んで口にしてよかった…と満足感で満たされる。
"また後で"帰ってきた後、何をしてあげようか。頭を撫でてあげるくらいしか、私が恥ずかしがらすできることはないけれど。
それで喜んでくれるだろうか。
そんな事を考えながら、私は模木さんと共に、再び外に出た。
***
向かったのは携帯ショップだ。地下駐車場に車を止めて、ショッピングモールに入るためにエスカレーターを上がった。
「…あれ。外に出ちゃいましたね」
「モールの中に直通してるはずなんですが…すみません。地図を読み違えました」
「そんな、謝らないでください」
模木さんはとても真面目な人だ。コツコツとした仕事が得意な職人気質のようなものを持った人らしい。
モールの外の前の歩行者専用道路に出てしまった私達は、遠回りになってしまってものの、
モールの中に入れる出入口を探そうとした。
その時、パパァッとクラクションの音が鳴り、反射的に私達はそちらを振り返った。
ここは閑散とした郊外でもなんでもなく、都心に位置している。
モールの前に通っている大通りは、それなりの交通量がある。
そこから一台の外車が道を逸れ、歩道に車を横づけし、クラクションを鳴らしたようだった。その停車場所は、私達のど真ん前だ。
「アレ?ちゃんだよね?」
左ハンドルの車に乗った男は、車の窓を開けると、顔を覗かせる。
一時間ほど前に会ったばかりの顔だ。その車にはヨツバ社員、火口さんが乗車していた。
「…火口さん」
「偶然だね、こんな所で。そっちは買い物?」
「は、はい…」
「だからメール返してくれなかったんだね。…んー、ちょうどいいな。乗ってよ」
「えっ…?」
「これからちょっと食事にでも行こうよ。仕事の話したいしさ」
私が困惑して、何も言葉を返せないでいると、模木さんが止めに入ってくれた。
さり気なく私を背に隠すようにして、マネージャーとして代弁してくれる。
「スイマセンッ!はこの後すぐに、仕事がありますんで…」
「あ、そうなの。じゃあ、現場まで送ってくよ。その間だけでも話そうよ」
この様子だと、火口さんは何を言っても折れないだろう。
それこそ直接的に、「迷惑なのでやめてください」くらいの事を言わないと。
けれど、彼は潜入捜査先の会社の社員…調査対象の一人である。
ここで断って角を立てるのは、絶対に得策ではないはずだ。
「誘いに乗っていけばいいのね」とミサはやる気になっていた。
けれどその作戦を中止にして、危ない目に合わせない、という捜査方針を掲げたのは、月くん達だ。
竜崎くんはリスクを負ってでも、色仕掛けでもなんでもして、ガンガンせめてほしいのだろうと思う。
当然、それが一番効果的で、効率的に決まってる。
けれど模木さんの立場では、私に火口さんを攻めろとは言えない。
かと言って、模木さんの独断でこのチャンスをお釈迦にする事もできず、判断に酷く困っている。
──決断は、私にしか下せない。
「…わかりました。お言葉に甘えて、送ってもらっていいでしょうか?」
──私は、覚悟を決めた。
模木さんの背中から顔を出し、笑顔を作って、火口さんの誘いに乗った。
すると火口さんは酷く嬉しそうな顔をして、嬉々として車に向かえ入れようとした。
「!ああ、喜んで!」
「じゃあ…失礼します」
私が後部座席のドアを開けようと手にかけると、「ちょっと待ってよ」と火口さんにストップをかけられた。
「おいおい。ちゃん…どうせなら隣座ってよ。せっかくドライブするんだしさ」
「…そう、ですね。お話するのに、離れて座るのも変ですよね」
覚悟を決めたと言いつつも、私は無意識のうちに、逃げ腰で動いていたようだ。
火口さんに接近して信頼を勝ちとるためには、他人行儀ではだめ。
隣の席に座らない手はないというのに。私が助手席に座ると、車外で模木さんが棒立ちになり、困ったように眉をさげていた。
「そ、それじゃあ自分は…」
「あれ?マネージャーの…模地だったけ?そっちはそっちの車があるんじゃないの?」
「え…はい、そうですが…」
「じゃあ車放置できないでしょ。偽名ちゃんは俺が送ってくから、自分の仕事しなよ」
「……いえ、でも…」
「何?俺がちゃんに手出すとでも思ってるわけ?失礼な話だよね」
「ん…いえ…」
火口さんは女性に甘く、男性に厳しい。まだ短い付き合いしかないけれど、彼の人柄はなんとなく理解できるようになってきた。
私がいる手前少し手柔らかに接しているようだけど、やはり辺りは強い。
そこまで言われてしまえば、引かざるを得ないだろう。
それでも模木さんが最後まで言葉を濁し、この場を離れようとしないのは、
私がキラ捜査本部の監視対象であるからだ。そして同時に、潜入捜査員でもある。
私の監視を優先するか、潜入捜査の進展を優先するか。私の身の安全を優先するか。
刑事として、様々な事柄を天秤にかけて、言葉を詰まらせているのだ。
本当は、自分も車に乗車して、私の監視と潜入捜査を同時並行させたかったに違いない。
けれど火口さんの態度からして、それは難しいだろう。
だから、私が言うしかない。
「模地さん。あとで合流しましょうか」
模木さんはそこでぐっと決意を固め、「ウッス!了解しましたーッ!後から合流しまーす!」と熱血マネージャーの仮面を作り、潜入捜査を優先させる、という決断を下した。
火口さんは私がシートベルトをすると、車をすぐに発進させる。
ミラーに映る模木さんの姿が、どんどん小さくなっていく。
そして完全に見えなくなってしまうと、完全に二人きりの空間が出来上がった。
そしてそこから目的地まで辿り着く間──私はひたすら、火口さんからのスキンシップという名のセクハラに耐える他なかった。