第47話
3.物語の中心部─愛の証明
──一触即発状態だった話合いの、その翌日。
「じゃあ、続きからいきましょう」
竜崎くん監修の元、ビルの一室で、演技指導が行われていた。
竜崎くんはどこから持ってきたのか、メガホンを使って喋っている。
ミサと、指導員──ジョン=ウォレスという金髪の白人男性が、テーブルを挟んで、対面する形でソファーに腰かけていた。
ヨツバの中に既に潜入していて、私とミサが潜入する当日には、『宣伝部専属アドバイザー・ジョン=ウォレス』という名前で実際に面接を行うらしい。
ジョンというのも、おそらく…いや確実に偽名なのだろう。
「ミサさん。あなたは「キラに会いに行く」と言って東京に出て来た」
「え!?」
「ミサさん、そこは臭くと言ってもオーバーアクションは止めてください」
漫画のようにずっこけて見せたミサに、メガホンを使って竜崎くんが修正を入れる。
ミサはソファーの背もたれに顎を乗せて、背後から指導してくる竜崎くんに、頬を膨らませて文句を言っていた。
「ええーっ今のを迫真の演技って言うのよ」
「いいからやり直しです」
「はいはい竜崎大監督〜」
「ミサさん真面目にやっていただかないと蹴り入れますよ」
竜崎くんは真面目な顔で、女性に蹴りを入れるという問題発言をする。
これは冗談ではなく、竜崎くんなら本気でやりかねないと思い、思わず苦笑いしてしまった。
竜崎くんは目的のために、手段を選ばない所がある。
例えば昨日、ミサが危険な目に合う可能性がある、と月くんが説得したのに対して、
危険を承知しつつ、リスクを負ってでも強行させた所。
月くんは捜査する上で、倫理や人道を重んじている。
けれど竜崎くんは、結果が出せれば過程は重要じゃないと考えているのだろう…となんとなく察せるようになって来ていた。
とはいえ、少しは折れるという事も知っているようだけれど。
昨日、ミサに色仕掛けをしろと言って、「ライも居るのに色仕掛け作戦なんてできませんー!何考えてんのよ!」と怒らせていた。
そして頭…というか髪を鷲掴みにされていたのは記憶に新しい。
私という恋人を持つ月くんからの顰蹙も買い、四面楚歌に陥り、その作戦はなしになった。
そして今は、また別の方向性に軌道修正させている。
「では、そろそろ模木さんにも参加してもらう交渉をしておきますか。──竜崎です」
竜崎くんは各部屋に備え付けられている固定電話を使って、メインルームに集っているだろう捜査員に繋がる内線をかけていた。
『言われなくてもわかる』
「しかしこちらからは、内線を使わなければそちらの声が聞けません」
『それもわかっている』
「模木さんは今まで通りミサさんのマネージャーとして動いてもらってよろしいんでしょうか?」
『……やむをえん』
「では模木さんは引き続き、模地幹市マネージャーとして動いてもらいますが…こちらの作戦は思いの他上手く進んでいて、模木さんの役割もかなり重要になってきました。もう少しマネージャーらしく、松田さんのようなノリでお願いします」
竜崎くんはそこまで言うと、すぐに電話を終わらせた。
竜崎くん独特の掴み方をしていた受話器を、まるで落下させるようにして。
相手の声は微かにしか漏れ聞えていなかったけれど、竜崎くんが最後、返事も待たずして電話を切った事は理解できた。
竜崎くんはそのままくるりとこちらへ振り返り、演技指導の続きに戻る。
先ほどの会話から想像するに…どうやら未だ、竜崎くんと他の捜査員たちは別々に捜査をしているようだ。
模木さんを潜入捜査に使うために、わざわざお伺いを立てているという事は、そういう事なのだろう。
「──では、今日はこの辺でいいでしょう」
そして二時間ほど指導を進めたところで、竜崎くんが切り上げる合図を出した。
ミサは「つっかれた〜!竜崎さんスパルタすぎだって〜」と言いつつ伸びをしていて、ジョンさんはやれやれと言った感じで肩をすくめている。
「は疲れてない?ずっと立ちっぱなしだっただろう」
「……」
「…?」
私と一緒に壁に寄り掛かり、強制的に指導を見学させられていた月くん。
月くんは私を気遣うような声をかけてくれたけれど、私はそれに答える事ができなかった。
私は竜崎くんのあの合図に完全に意表を突かれて、ぽかんと口を開けてしまう。
そしてハッと我に返ると、すぐに竜崎くんの方へ歩み寄り、引き留める声をかけずにいられなかった。
「…あの、竜崎くん…竜崎、さん?ちょっといい…ですか?」
「呼び方は今まで通り、好きにしてください。敬語もいらないです」
「あ、ありがとう…。…あの、私は練習しなくていいのかな…?」
「本当はそのつもりだったんですが…」
つもりだったのに、どうしたというのだろう。
少し緊張しながら次の言葉を待つ。
竜崎くんは私のことをじっと見て、そして次に繋がれた手錠の先にいる月くんの方も振り返ってみた。
そして、もう一度私の方に視線を戻すと、今度こそこう言った。
「──昨日のさんの演技をみて確信しました。さんに演技はできません」
「……え」
色んな意味で私は唖然として、言葉を無くした。
月くんは何か思い当たる節があったらしく、眉を顰めている。でも私にはその演技というのが、何のことをさしているのかわからなくて、困惑した。
「…演技って、何のこと?昨日わたし何かした…?」
「…自覚がないんですか?」
竜崎くんは私が本気で言ってるのかどうか疑っているようで、見極めるかのようにじっと見つめた。
けれど私がとぼけてる訳でなく、本気で訳が分からない…と思ってるのが伝わったらしく、こう説明してくれた。
「"月くんの為に死ねる。愛してる。…会いたいって思うし、触れたいって思う"」
「……え!?」
「あれが演技でなく、何なのですか」
ソファーに腰かけるジョンさんは、ヒューとはやし立てるように口笛を吹いていた。
ミサも「あー、あれは名演だった!」と本気なんだか、茶化してるんだかわからない調子で笑っている。
私はあれが演技だと言われるのは少し心外で、ムッとしつつ反論した。
確かに竜崎くんの思惑通りの誘導尋問で"言わされた"言葉ではあったけど、偽りであったとは思われたくない。
「…全部本音だよ。…私は月くんが好きだし、会えたら嬉しいし、触れる事も…嬉しい」
「では、月くんのために死ねるんですか?」
「……それは…正直に言うなら、ただの虚勢だったよ。本当に命の危機が迫った時に、
自部の命を差し出せる覚悟なんて…少なくとも、今の私には持てない。その時にならないとわからないよ…」
「はい、それが正しい感性です。ミサさんならやりかねませんが…普通そこまで盲目的に傾倒できません。異常です」
「ちょっと、さりげなくミサのこと馬鹿にするのやめてくれない?昨日は褒めてくれたくせに」
竜崎くんは昨日の私の"あの発言"を聞いて、演技指導は無駄だと思ったようだった。
けれど、演技が下手だと思ったなら、尚更指導が必要なのではないだろうか。
私のその思いは伝わったようで、竜崎くんはこう説明した。
「さんはあの場で必死に最善策を考えていました。私が最初にミサさんに話を通してしまったせいで、この後自分が私に持ちかけられるであろう"交渉"を予想する事ができた。だから自分の中に"用意した"言葉を、あの時叫んだんです。…棒読みで」
「………」
私はそれに対し、何も言葉を返すことが出来なかった。図星を突かれたと思ったからだ。
月くんも思い当たる節があったのか、なんとも言えない、苦虫をかみ潰したような顔をしている。
竜崎くんは持っているメガホンを指先でつまみ、ブラブラと揺らして手遊びしながら、こちらを見ずに告げる。
「──なので、さんは何の指導もしません。当日、当然さんに対しての質疑応答もありますが、ぶっつけ本番でそれに挑んでもらいます。それが一番の最善策だと感じました。…さんは演技が下手というよりも、どうも慎重すぎる…考えすぎな傾向にあるようですから。考えさせる暇を与えません」
「……そんな…」
それはつまる所、事前に何も心の準備をさせてもらえないという事だ。私は愕然として、酷い不安に駆られた。
けれど竜崎くんの言葉も一理ある。確かに私はミサと竜崎くんのやり取りを見て、先に起る展開を予測し、長考した末にあの言葉を放ったのだから。
面接でも同じことが起こらない、とは言い切れないだろう。
「今日は彼との顔合わせのために同席してもらいましたが──という訳なので、明日からの演技指導には不参加でお願いします。ネタバレになりますから」
「………。……わかった」
最早私に拒否権はない。嫌と言えるはずもなく、私は面接当日までの数日間、ただ悶々と胃を痛めながら過ごす事になる事が決定してしまった。
ミサもジョンさんも各々立ち上がり、この演技指導に使われた部屋から出て行く。
ミサは月くんと離れ難そうにしていたけれど、この後ロケが控えているので、渋々といった感じの様子だった。
竜崎くんも当然この部屋に用があるはずもなく、部屋から出て行こうとする。
そうすれば必然的に手錠で繋がれた月くんも去っていく事になる。
ハッと顔を上げて、私は口を開いた。
「──待って」
私は月くんの服の裾を掴んで、この場に引き留めた。
月くんが立ち止まれば、当然竜崎くんも止まらざるを得ない。
不平不満こそ口に出さなかったけど、早く捜査に戻りたいのか、どこか不服そうな空気が漂っている。
私はそれに気が付かないふりをしつつ、月くんに語り掛けた。
「…月くん。あのね…」
「うん?どうしたの?」
私が妙に神妙な面持ちで引き留めたので、月くんは心配そうにこちらを伺っている。
そして私の手を握ってきたので、私はびくりと肩を震わせ、俯いてしまった。
「…?」
私は月くんに触れられた時に、こんな反応を取った事はない。
まさか拒絶されたのか、と不安そうにしていた月くんだけど、私の頬に手を添えて、顔を上げさせると、目を丸くした。
月くんの瞳の中に映る私。私のその顔に浮かんでいるのは、どうみても拒絶の色ではなかったはずだ。
「──私、わたし……月くんの、こと…」
──きっと今の私は、頬から耳まで真っ赤に染まっていて、瞳は羞恥で潤んで、情けなく眉が下がってるはず。
声は震えて、掠れている。
月くんは私がそうなっている事の理由をすぐに理解して、「え、…」と驚きの声をもらす。そしてつられたようにパッと頬を染めていた。
「……月くんのこと、すき………」
仮にも恋人同士だし、キスだって何度もしてる。初めて好きだと口にしたわけではない。
でも、どうしても人目があるところでこういう事を言うのが、恥ずかしくてたまらない。
手を繋ぐところを見られるのも恥ずかしい。監視カメラの先には月くんのお父さんだっているのに。
きっと二人きりだったら何気なく言えた「すき」という言葉も、こんなにも勇気が必要になる。
月くんはきっとその事をわかってるだろう。
監視下におかれない、2人きりの空間であれば、私は焼きもちで泣いちゃったりするし、素直に好きと言うし、自分から抱き着くことも出来る。
でも、人目があるから、それができない。淡泊な関係に見えてしまってる。
そのせいで、竜崎くんから散々「月くんの一方通行の愛に見える」なんて言って挑発される事態に陥ってるのだ。
私がミサのように、人目も憚らずに愛を語れる素直な人間であったなら、月くんを傷つけなかったのに。
引きとめるのに服を掴むんじゃなくて、その背中に抱きついてでも留められただろうに。
「だいすきだよ…ほんとうなの……」
その瞬間、瞳からぼろっと涙が溢れてきた。決して悲しい訳でも、辛い訳でもない。
意思に反した事を言っている訳じゃない。
ただただ、恥ずかしくて。限界突破した感情が、勝手に涙を流させた。
フォローするために告白したつもりが、こんなんじゃ逆効果だ。
こんな風に泣きながら好きだと言って、誰が信じてくれるだろう。
それこそ、誰かに無理強いして言わされてるみたいで、また演技だと言われかねない。
私は涙を止めようと必死になり、慌てて目元に指を触れさせた。
「…、いいから。こすったらだめだ」
「でも、違うの、泣きたい訳じゃないのに、こんなんじゃ…」
「いいんだ。…その涙は止めなくていい」
ごしごしと目元をこする私の手を握って止めさせて、月くんは私と視線を合わせてくる。
月くんの目元は確かに熱をもっていて、それでいて表情は穏やかだった。
私が泣いてしまった事で、傷ついた様子はない。むしろその逆に見える。
「…恥ずかしくて泣いてしまうなんて、らしい…、そういう所が好きなんだ…いじらしくて、健気で」
「……演技じゃないよ」
「わかってるさ。…かわいいよ、すごく。…これ以上僕を惚れさせて、どうするつもり?」
「……私は、人目も気にせず好きって言える…素直な子になりたかった」
「僕は今のままのがすき。愛してる。かわいい。大好きだ」
月くんが自然と顔を近づけて、目元にキスをしてきた。
なので、私は勇気をもって、月くんの頬に手を添えて、その唇にキスを落とした。
自分から月くんにキスをしたのは、今が初めてだった。
「……本当に、は僕のことがすきなんだね。きっと僕が想像してる以上に……」
月くんは少し驚いた顔をしてから、とろけるように甘い笑みを浮かべた。
日常生活をすごしている中でも、監視カメラの目に怯えて食欲不振に陥っている。
それなのに、愛を証明する…そのためだけに、堂々とキスをした。
月くんの後ろには、竜崎くんだっている。さすがに恥ずかしくて、手が震える。
月くんは私をぎゅっと抱きしめると、私肩口に顔を埋めながら、振り返らずにこう言った。
「──そういう訳で、竜崎。はこんなにも僕のことを好きでいるんだ。これ以上を餌にして挑発するのは止めろ」
「そうですか。私には、未だにどうしてもさんが100%月くんの事が好き…という確信が持てないんですが…まあ、30%だった所が50%くらいには上がりましたよ」
「そうか。それはどうも」
月くんは私を抱き寄せ、頬ずりをしたまま、振り返りもせずに竜崎くんと話していた。
そうしているうち、月くんがまたキスをしてこようとしたので、私は月くんの口を手でふさいでストップさせた。
「だ、だめ。もうだめ」
「そっか。残念。それじゃあ、今度はまたの部屋でしようかな」
「…それも、もうだめ…」
「はは、それじゃあ次はどうやってと触れ合うかな…」
「月くん、いい加減切り上げてください。私は捜査に戻りたいです」
その後も月くんは暫く私を腕の中から解放する事はなく、竜崎くんを苛立たせていた。
けれど月くんの方は、見た事ないくらいご機嫌な様子だ。私と初めて公園でキスをした時。"月くんが他の女の子とキスしたら嫌"と言って泣いた時。
あの時くらい浮かれている気がする。
恥ずかしい思いをした甲斐があって、正しく私の愛は証明されたらしい。
──二日後、私とミサは、模木さんの運転する車に乗せられて、ヨツバ本社に向かっていた。
果たして私は、一対何を聞かれるのだろう。けれど、少なくとも面接会場にはジョンさんがいて、上手く誘導してくれると言っていたし、ミサとも一緒だ。
私が何か失言をしそうになったら、2人がフォローしてくれるはずだ。
──そんな淡い期待は裏切られ、私は容赦なく、崖から突き落とされる事となる。
3.物語の中心部─愛の証明
──一触即発状態だった話合いの、その翌日。
「じゃあ、続きからいきましょう」
竜崎くん監修の元、ビルの一室で、演技指導が行われていた。
竜崎くんはどこから持ってきたのか、メガホンを使って喋っている。
ミサと、指導員──ジョン=ウォレスという金髪の白人男性が、テーブルを挟んで、対面する形でソファーに腰かけていた。
ヨツバの中に既に潜入していて、私とミサが潜入する当日には、『宣伝部専属アドバイザー・ジョン=ウォレス』という名前で実際に面接を行うらしい。
ジョンというのも、おそらく…いや確実に偽名なのだろう。
「ミサさん。あなたは「キラに会いに行く」と言って東京に出て来た」
「え!?」
「ミサさん、そこは臭くと言ってもオーバーアクションは止めてください」
漫画のようにずっこけて見せたミサに、メガホンを使って竜崎くんが修正を入れる。
ミサはソファーの背もたれに顎を乗せて、背後から指導してくる竜崎くんに、頬を膨らませて文句を言っていた。
「ええーっ今のを迫真の演技って言うのよ」
「いいからやり直しです」
「はいはい竜崎大監督〜」
「ミサさん真面目にやっていただかないと蹴り入れますよ」
竜崎くんは真面目な顔で、女性に蹴りを入れるという問題発言をする。
これは冗談ではなく、竜崎くんなら本気でやりかねないと思い、思わず苦笑いしてしまった。
竜崎くんは目的のために、手段を選ばない所がある。
例えば昨日、ミサが危険な目に合う可能性がある、と月くんが説得したのに対して、
危険を承知しつつ、リスクを負ってでも強行させた所。
月くんは捜査する上で、倫理や人道を重んじている。
けれど竜崎くんは、結果が出せれば過程は重要じゃないと考えているのだろう…となんとなく察せるようになって来ていた。
とはいえ、少しは折れるという事も知っているようだけれど。
昨日、ミサに色仕掛けをしろと言って、「ライも居るのに色仕掛け作戦なんてできませんー!何考えてんのよ!」と怒らせていた。
そして頭…というか髪を鷲掴みにされていたのは記憶に新しい。
私という恋人を持つ月くんからの顰蹙も買い、四面楚歌に陥り、その作戦はなしになった。
そして今は、また別の方向性に軌道修正させている。
「では、そろそろ模木さんにも参加してもらう交渉をしておきますか。──竜崎です」
竜崎くんは各部屋に備え付けられている固定電話を使って、メインルームに集っているだろう捜査員に繋がる内線をかけていた。
『言われなくてもわかる』
「しかしこちらからは、内線を使わなければそちらの声が聞けません」
『それもわかっている』
「模木さんは今まで通りミサさんのマネージャーとして動いてもらってよろしいんでしょうか?」
『……やむをえん』
「では模木さんは引き続き、模地幹市マネージャーとして動いてもらいますが…こちらの作戦は思いの他上手く進んでいて、模木さんの役割もかなり重要になってきました。もう少しマネージャーらしく、松田さんのようなノリでお願いします」
竜崎くんはそこまで言うと、すぐに電話を終わらせた。
竜崎くん独特の掴み方をしていた受話器を、まるで落下させるようにして。
相手の声は微かにしか漏れ聞えていなかったけれど、竜崎くんが最後、返事も待たずして電話を切った事は理解できた。
竜崎くんはそのままくるりとこちらへ振り返り、演技指導の続きに戻る。
先ほどの会話から想像するに…どうやら未だ、竜崎くんと他の捜査員たちは別々に捜査をしているようだ。
模木さんを潜入捜査に使うために、わざわざお伺いを立てているという事は、そういう事なのだろう。
「──では、今日はこの辺でいいでしょう」
そして二時間ほど指導を進めたところで、竜崎くんが切り上げる合図を出した。
ミサは「つっかれた〜!竜崎さんスパルタすぎだって〜」と言いつつ伸びをしていて、ジョンさんはやれやれと言った感じで肩をすくめている。
「は疲れてない?ずっと立ちっぱなしだっただろう」
「……」
「…?」
私と一緒に壁に寄り掛かり、強制的に指導を見学させられていた月くん。
月くんは私を気遣うような声をかけてくれたけれど、私はそれに答える事ができなかった。
私は竜崎くんのあの合図に完全に意表を突かれて、ぽかんと口を開けてしまう。
そしてハッと我に返ると、すぐに竜崎くんの方へ歩み寄り、引き留める声をかけずにいられなかった。
「…あの、竜崎くん…竜崎、さん?ちょっといい…ですか?」
「呼び方は今まで通り、好きにしてください。敬語もいらないです」
「あ、ありがとう…。…あの、私は練習しなくていいのかな…?」
「本当はそのつもりだったんですが…」
つもりだったのに、どうしたというのだろう。
少し緊張しながら次の言葉を待つ。
竜崎くんは私のことをじっと見て、そして次に繋がれた手錠の先にいる月くんの方も振り返ってみた。
そして、もう一度私の方に視線を戻すと、今度こそこう言った。
「──昨日のさんの演技をみて確信しました。さんに演技はできません」
「……え」
色んな意味で私は唖然として、言葉を無くした。
月くんは何か思い当たる節があったらしく、眉を顰めている。でも私にはその演技というのが、何のことをさしているのかわからなくて、困惑した。
「…演技って、何のこと?昨日わたし何かした…?」
「…自覚がないんですか?」
竜崎くんは私が本気で言ってるのかどうか疑っているようで、見極めるかのようにじっと見つめた。
けれど私がとぼけてる訳でなく、本気で訳が分からない…と思ってるのが伝わったらしく、こう説明してくれた。
「"月くんの為に死ねる。愛してる。…会いたいって思うし、触れたいって思う"」
「……え!?」
「あれが演技でなく、何なのですか」
ソファーに腰かけるジョンさんは、ヒューとはやし立てるように口笛を吹いていた。
ミサも「あー、あれは名演だった!」と本気なんだか、茶化してるんだかわからない調子で笑っている。
私はあれが演技だと言われるのは少し心外で、ムッとしつつ反論した。
確かに竜崎くんの思惑通りの誘導尋問で"言わされた"言葉ではあったけど、偽りであったとは思われたくない。
「…全部本音だよ。…私は月くんが好きだし、会えたら嬉しいし、触れる事も…嬉しい」
「では、月くんのために死ねるんですか?」
「……それは…正直に言うなら、ただの虚勢だったよ。本当に命の危機が迫った時に、
自部の命を差し出せる覚悟なんて…少なくとも、今の私には持てない。その時にならないとわからないよ…」
「はい、それが正しい感性です。ミサさんならやりかねませんが…普通そこまで盲目的に傾倒できません。異常です」
「ちょっと、さりげなくミサのこと馬鹿にするのやめてくれない?昨日は褒めてくれたくせに」
竜崎くんは昨日の私の"あの発言"を聞いて、演技指導は無駄だと思ったようだった。
けれど、演技が下手だと思ったなら、尚更指導が必要なのではないだろうか。
私のその思いは伝わったようで、竜崎くんはこう説明した。
「さんはあの場で必死に最善策を考えていました。私が最初にミサさんに話を通してしまったせいで、この後自分が私に持ちかけられるであろう"交渉"を予想する事ができた。だから自分の中に"用意した"言葉を、あの時叫んだんです。…棒読みで」
「………」
私はそれに対し、何も言葉を返すことが出来なかった。図星を突かれたと思ったからだ。
月くんも思い当たる節があったのか、なんとも言えない、苦虫をかみ潰したような顔をしている。
竜崎くんは持っているメガホンを指先でつまみ、ブラブラと揺らして手遊びしながら、こちらを見ずに告げる。
「──なので、さんは何の指導もしません。当日、当然さんに対しての質疑応答もありますが、ぶっつけ本番でそれに挑んでもらいます。それが一番の最善策だと感じました。…さんは演技が下手というよりも、どうも慎重すぎる…考えすぎな傾向にあるようですから。考えさせる暇を与えません」
「……そんな…」
それはつまる所、事前に何も心の準備をさせてもらえないという事だ。私は愕然として、酷い不安に駆られた。
けれど竜崎くんの言葉も一理ある。確かに私はミサと竜崎くんのやり取りを見て、先に起る展開を予測し、長考した末にあの言葉を放ったのだから。
面接でも同じことが起こらない、とは言い切れないだろう。
「今日は彼との顔合わせのために同席してもらいましたが──という訳なので、明日からの演技指導には不参加でお願いします。ネタバレになりますから」
「………。……わかった」
最早私に拒否権はない。嫌と言えるはずもなく、私は面接当日までの数日間、ただ悶々と胃を痛めながら過ごす事になる事が決定してしまった。
ミサもジョンさんも各々立ち上がり、この演技指導に使われた部屋から出て行く。
ミサは月くんと離れ難そうにしていたけれど、この後ロケが控えているので、渋々といった感じの様子だった。
竜崎くんも当然この部屋に用があるはずもなく、部屋から出て行こうとする。
そうすれば必然的に手錠で繋がれた月くんも去っていく事になる。
ハッと顔を上げて、私は口を開いた。
「──待って」
私は月くんの服の裾を掴んで、この場に引き留めた。
月くんが立ち止まれば、当然竜崎くんも止まらざるを得ない。
不平不満こそ口に出さなかったけど、早く捜査に戻りたいのか、どこか不服そうな空気が漂っている。
私はそれに気が付かないふりをしつつ、月くんに語り掛けた。
「…月くん。あのね…」
「うん?どうしたの?」
私が妙に神妙な面持ちで引き留めたので、月くんは心配そうにこちらを伺っている。
そして私の手を握ってきたので、私はびくりと肩を震わせ、俯いてしまった。
「…?」
私は月くんに触れられた時に、こんな反応を取った事はない。
まさか拒絶されたのか、と不安そうにしていた月くんだけど、私の頬に手を添えて、顔を上げさせると、目を丸くした。
月くんの瞳の中に映る私。私のその顔に浮かんでいるのは、どうみても拒絶の色ではなかったはずだ。
「──私、わたし……月くんの、こと…」
──きっと今の私は、頬から耳まで真っ赤に染まっていて、瞳は羞恥で潤んで、情けなく眉が下がってるはず。
声は震えて、掠れている。
月くんは私がそうなっている事の理由をすぐに理解して、「え、…」と驚きの声をもらす。そしてつられたようにパッと頬を染めていた。
「……月くんのこと、すき………」
仮にも恋人同士だし、キスだって何度もしてる。初めて好きだと口にしたわけではない。
でも、どうしても人目があるところでこういう事を言うのが、恥ずかしくてたまらない。
手を繋ぐところを見られるのも恥ずかしい。監視カメラの先には月くんのお父さんだっているのに。
きっと二人きりだったら何気なく言えた「すき」という言葉も、こんなにも勇気が必要になる。
月くんはきっとその事をわかってるだろう。
監視下におかれない、2人きりの空間であれば、私は焼きもちで泣いちゃったりするし、素直に好きと言うし、自分から抱き着くことも出来る。
でも、人目があるから、それができない。淡泊な関係に見えてしまってる。
そのせいで、竜崎くんから散々「月くんの一方通行の愛に見える」なんて言って挑発される事態に陥ってるのだ。
私がミサのように、人目も憚らずに愛を語れる素直な人間であったなら、月くんを傷つけなかったのに。
引きとめるのに服を掴むんじゃなくて、その背中に抱きついてでも留められただろうに。
「だいすきだよ…ほんとうなの……」
その瞬間、瞳からぼろっと涙が溢れてきた。決して悲しい訳でも、辛い訳でもない。
意思に反した事を言っている訳じゃない。
ただただ、恥ずかしくて。限界突破した感情が、勝手に涙を流させた。
フォローするために告白したつもりが、こんなんじゃ逆効果だ。
こんな風に泣きながら好きだと言って、誰が信じてくれるだろう。
それこそ、誰かに無理強いして言わされてるみたいで、また演技だと言われかねない。
私は涙を止めようと必死になり、慌てて目元に指を触れさせた。
「…、いいから。こすったらだめだ」
「でも、違うの、泣きたい訳じゃないのに、こんなんじゃ…」
「いいんだ。…その涙は止めなくていい」
ごしごしと目元をこする私の手を握って止めさせて、月くんは私と視線を合わせてくる。
月くんの目元は確かに熱をもっていて、それでいて表情は穏やかだった。
私が泣いてしまった事で、傷ついた様子はない。むしろその逆に見える。
「…恥ずかしくて泣いてしまうなんて、らしい…、そういう所が好きなんだ…いじらしくて、健気で」
「……演技じゃないよ」
「わかってるさ。…かわいいよ、すごく。…これ以上僕を惚れさせて、どうするつもり?」
「……私は、人目も気にせず好きって言える…素直な子になりたかった」
「僕は今のままのがすき。愛してる。かわいい。大好きだ」
月くんが自然と顔を近づけて、目元にキスをしてきた。
なので、私は勇気をもって、月くんの頬に手を添えて、その唇にキスを落とした。
自分から月くんにキスをしたのは、今が初めてだった。
「……本当に、は僕のことがすきなんだね。きっと僕が想像してる以上に……」
月くんは少し驚いた顔をしてから、とろけるように甘い笑みを浮かべた。
日常生活をすごしている中でも、監視カメラの目に怯えて食欲不振に陥っている。
それなのに、愛を証明する…そのためだけに、堂々とキスをした。
月くんの後ろには、竜崎くんだっている。さすがに恥ずかしくて、手が震える。
月くんは私をぎゅっと抱きしめると、私肩口に顔を埋めながら、振り返らずにこう言った。
「──そういう訳で、竜崎。はこんなにも僕のことを好きでいるんだ。これ以上を餌にして挑発するのは止めろ」
「そうですか。私には、未だにどうしてもさんが100%月くんの事が好き…という確信が持てないんですが…まあ、30%だった所が50%くらいには上がりましたよ」
「そうか。それはどうも」
月くんは私を抱き寄せ、頬ずりをしたまま、振り返りもせずに竜崎くんと話していた。
そうしているうち、月くんがまたキスをしてこようとしたので、私は月くんの口を手でふさいでストップさせた。
「だ、だめ。もうだめ」
「そっか。残念。それじゃあ、今度はまたの部屋でしようかな」
「…それも、もうだめ…」
「はは、それじゃあ次はどうやってと触れ合うかな…」
「月くん、いい加減切り上げてください。私は捜査に戻りたいです」
その後も月くんは暫く私を腕の中から解放する事はなく、竜崎くんを苛立たせていた。
けれど月くんの方は、見た事ないくらいご機嫌な様子だ。私と初めて公園でキスをした時。"月くんが他の女の子とキスしたら嫌"と言って泣いた時。
あの時くらい浮かれている気がする。
恥ずかしい思いをした甲斐があって、正しく私の愛は証明されたらしい。
──二日後、私とミサは、模木さんの運転する車に乗せられて、ヨツバ本社に向かっていた。
果たして私は、一対何を聞かれるのだろう。けれど、少なくとも面接会場にはジョンさんがいて、上手く誘導してくれると言っていたし、ミサとも一緒だ。
私が何か失言をしそうになったら、2人がフォローしてくれるはずだ。
──そんな淡い期待は裏切られ、私は容赦なく、崖から突き落とされる事となる。