第45話
3.物語の中心部ヨツバの接待

ミサの所属しているヨシダプロダクションには、竜崎くん達が根回しをしてくれたらしい。
どうやら松田さんが捜査の一貫でヨツバ東京本社にこっそりもぐりこんだ所、見つかってしまったとのこと。
"松田さんを助けるために"、ミサと私が自分を売り込みに行く風を装う必要があるのだという。
昼間からの松田さんの挙動不審な様子。月くんからの頻繁な連絡。
こんなにも切羽詰まって、私達を乗り込ませようとしている事。
最近捜査に進展があったらしい、という事。
そこから考えて、私はヨツバにキラが潜んでいるのだと思った。
少なくとも、捜査本部の皆はそう推理しているからこそ、松田さんが"キラに殺される"と危ぶみ、助けようとしているのだ。
それ以外に、キラ捜査本部の人間たちがこんな動きを取る理由がない。
ただの監視対象でしかないミサと私には、詳しい事情の説明をされる事はなく、これから取るべき行動の具体的な指示だけがあった。
それでも、察することくらいできてしまう。

──今から向かう会社にキラがいて、対面する事になるかもしれない。
そう思うと、緊張する。

けれどそれ以前に、個人的な問題が一つ──


「……ミサ。どうしても、これの他に別の服はないの?」
「何言ってんの。この面接の後、例の"接待"もあるんだから。こういうのは統一感がないとかわいくないし」
「……せめて、丈が長いものとか」
「はあ?そんなのないって!別にヌードになれって言われてる訳でもないんだから、我慢しないと」


ヨツバ本社に向かう前、ヨシダプロダクションを通して渡された服が、なんというか…
控えめに言っても露出が多すぎる。その割に、可愛くない。
しかし間違いなく男ウケはするであろうデザインをしている事はわかる。
ノースリーブで、お腹はがっつり露出し、おまけに胸元がハート型でざっくり開けられている。胸の谷間を強調するデザインだ。
スカートはもちろん、下着が見えそうなくらい短く、服と同じ色のニーハイソックスが用意されていた。あらゆるフェチズムをくすぐる物だという事は認める。
けれど、これを私が着るなんて…。
同じミニスカートでも、これならミサのゴスロリ・パンク風の私服を着る方が何百倍も良い。

けれど着ないで面接を拒否し、松田さんを見殺しにするという事も出来ず、私は指示されるがまま行動する他なかった。
ヨツバの人間に怪しまれないよう、本部が所有する車でなく、正規のタクシーを拾い本社に向かう。
そして会社内に足を踏み入れて、受付で佇むガードマンに『宣伝策略部の葉鳥さんとお約束してますヨシダプロダクションの者です』と伝えると、顔パスで通してくれた。

さすがにミサの知名度と、人気になるだけあり華やかな容姿をみて、
身分証など提示しなくても、すぐに理解してくれたようだ。
…その上、いたって普通のオフィスビル内で、こんなコスプレ衣装を纏っている人間がいれば、嫌でも目立つ。そして理解できただろう。
それは不審者か、売り込みにきたタレントの二択でしかないだろうと。


「おまちかね、弥海砂と──噂の幻の少女です」


松田さんの紹介の声が発せられると共に、羞恥心で震え出しそうになるのをこらえつつ、穏やかに笑む事に徹する。
エレベーターで上層階に上がると、とある部屋の前で松田さんと、見知らぬ男性社員が立って待っていた。
そんな彼らに招き入れられた部屋の中で、私とミサは八人の男性社員たちと顔合わせを果たしていた。


「わっ8人もでの面接…さすがヨツバさん…」


ミサは松田さんの口上に何も引っ掛かりを覚えておらず、また円卓を囲むような形になっているデスクに腰かける八人の社員たちも、勿論私の事を笑ったりしていない。

「ミサミサです!ヌードにはなりませんが、水着や下着姿までならOKです!よろしくお願いします!」
「……」

いくら社員たちやミサが普通にしていてくれていても、私は内心平静ではいられない。
事前の打合せの通り、私はここで名乗る事はせず、にっこりと笑いながら、静かに会釈するに留めた。

「や…やっぱ本物はものすごくかわいいな…」
「今はそういう問題じゃないんじゃないか?」
「幻の少女って、作り物じゃなかったんだな…」
「ばか。合成写真な訳ないだろ」


あまり趣味のよくないコスプレ衣装を纏うだけでも恥ずかしかったのに、幻だとか、少女だとか、そんな風に言われると心が辛い。
20歳という年齢は少女というには年嵩だし、そもそも前世の年齢を合算すれば、いくつになると思うのか。
かと言って、自分の精神年齢が前世の年+今世の年=という事でもない。
前世の記憶があると言っても、何もかも覚えているわけでもないし。
大人にもなりきれず、かと言って少女でもない。そういう中途半端な精神を持っているのが、という存在だった。


「松、ヨツバさんだし、事務所からスペシャル接待OK出たよ」
「ん?スペシャル?」


ミサは冷や汗をかいている松田さんの傍に寄り、指で丸を作りながら笑った。

「皆さんをミサの広ーい家で事務所の女の子沢山集めて、おもてなししまーす!」
「えっ事務所のモデル沢山っ?」
「……」

ミサが高らかに宣言すると、八人の社員たちは表情を明るくしたり、無言で目配せをし合ったりしていた。
反応は悪くない。彼らはヨツバほど大きな会社の、重要なポストについている人物達なのだから、普段コンパニオンなどに接待され慣れている物かと思っていた。
けれど、男性にとって、それは飽きるような物ではないようだ。

「俺は行くぞ…」
「おい…」
「お…俺も…」

一人…また一人と社員たちが席を立ち、外へ出ようとする。
今回の件は、表向きに聞かされてる通りの「イメージキャラの面接」ではないはず。
実際、部屋に踏み入った瞬間から、どこかずっとピリついた空気が漂っていた。
だというのに、皆お互いの様子を探り探り伺いながらも、"事務所の女の子たち"という魅力的なワードには抗えない様子だった。

「まあ…とにかく松井さんに同行しようじゃないか…」
「あ…ああ…そうだな…」
「決まりーっじゃー行きましょーっ」

ミサがヨツバ社員たちを招き入れようとしている広い家というのは、捜査本部が拠点としている高層ビルの事だ。
ミサに与えられたワンフロアの一室に彼らを招き入れ、接待しようとしている。
そこには普段私達を監視するための監視カメラや盗聴機器が設置されているので、招き入れれば、私たちや社員を見張ることができる。
本当のミサの住所を明かす訳ではないからこそ、こうして気軽に招き入れているのだと思うけれど…。
もしかして、この業界では接待をするのに、タレントの住居に招く事がままあるのだろうか。
私のような一般人の感性では、それはちょっと受け入れがたい。華やかなようでいて、大変な世界なのだなとしみじみ思う。




「はい飲んで飲んで!」
「これは天国だな、あはは」


タクシーでミサの部屋に移動すると、そこには既にヨシダプロのモデルの女の子たち数人がいて、卓上に寿司やビールが設置されていた。
本数が多いだけでなく、大手の銘柄・多種のビールが設置されている所を見ても、本気で"接待"をして、工作だと見破られないようにしていると感じて、身が引き締まる。

ミサのようには上手くいかないだろう。けれど私も私なりに、役割をこなさないと。
棒立ちになっている訳にもいかず、部屋を見渡すと、とある男性社員に目が言った。
隣にまだ誰も女の子がついておらず、空席になっているのに気が付くと、そっと歩み寄り声をかけた。

「…隣、いいですか?」
「えっ?あ、きみ…喋れたの?」
「ふふ…はい、喋れますよ。人間ですから。合成じゃなくて」
「あ、はは…そうだよね…」


社内で彼がこぼしていた一言を思い出して言うと、少し恥ずかしそうに笑った。
隣に座ってビールに手を取り、彼のグラスにお酌をする。

「あっどーも…」
「たくさん飲んでくださいね。お寿司もまだ新しいのがありますから」

ちらりとテーブルを見ると、もう結構つままれていて、種類が少なくなっていた。
卵やイカなど、あまり人気のないものばかりが残っている。

「私、新しいの取ってきますね…」
「あっそ、そんなのいいから!それよりも…きみに…ここにいてほしい!」
「……そうですか?」

私が立ちあがろうとすると、腕を掴まれて留められる。
私は彼の目をじっと見て、視線を外さないまま笑った。

「──嬉しい」
「…あ、はは……き、きみ名前は?幻とか言われてるけど、芸名もないの?」
「…ヨツバさんなので、特別に教えていいって事務所からOKでました。私、っていいます」
…」
「はい。特別ですよ。誰にも教えないでくださいね?」


彼の頬が赤らんでいるのは、酒のせいか、私の衣装のせいか。
酌をしている間も、屈んだせいで寄った胸の谷間に視線が釘付けになっている事もわかってた。
ここで隠して、背中を丸める方が恥ずかしい。
それをわかっているから、このセクシーな衣装の機能を上手く使い、
わざと谷間を作って彼に見せるように動いたし、座るときの距離も、お互いの太ももがくっつく位に近づけた。
勿論今彼に名乗ったのは、今後芸名として使えと指示されて作った偽名である。

「…私もお名前知りたいです」
「…俺は、紙村だ」


話すときは上目遣いに、顔を近づけて。そうする度に、彼の声が上ずって、耳まで血色がよくなっていくのが分かる。
勿論、今世の私の容姿が整っている事も幸いしているけど──割り切って大胆に行動してしまえば、男の人を手玉に取る事はいとも容易い。
腕は絡めないものの、さりげなく寄り掛かるようにしながら、露出した二の腕を彼に触れさせた。

「ええと…ミサちゃんと仲いいんだね。衣装の色もおそろいだ」
「はい。ミサとは友達なんです」
「あはは…ほんとのとこ言うと、事務所の作った設定とかじゃなくて?」
「いえ、本当に友達なんです。ミサのロケに見学に行って、偶然遊んでた所を写真に撮られて…」
「…ああ、それで有名になったんだ。策略とかじゃなく」
「はい。本当に偶然」

幻と噂され、竜崎くんが情報操作しているせいで表に出ない私の情報。
その裏話を明かされるというのは気分がいいらしく、食いつきがいい。
ミサも他のモデルの子たちも上手く接待できているらしく、部屋はワイワイと盛り上がり
酒も会話も進んでいる。
その時、「ちょっとトイレ…」と言って松田さんがこっそりと部屋を抜け出すのが横目に見えた。
あまりそちらに注意を向かせないように、彼の手首のシャツをつまんで、「映画、みてくれますか?」と気を引いてみせた。


「も、もちろん見るよ!ええと、タイトルは…」
「春十八番。来年の春に公開するらしいです…私は端役なので、少しですけど…ミサのことは沢山見られますよ」
「…僕はきみがみたかったな、…な、なんて」
「え…、…お世辞でもうれしい」
「ま、またそんな…ぶっちゃけこんなの言われ慣れてるでしょ?」
「そんな事ないですよ。私、この間まで一般人だったんですから。こんな風に褒めれることなくて…」
「…こんなにきれいなのに」

お酒を飲ませすぎたか、調子に乗らせすぎたか。頑張って接待しようとするあまり、気のあるように振舞いすぎたかもしれない。
紙村さんの表情はぼーっと熱を持ってて、グラスにも口もつけなくなり、私に釘付けになっている。
…松田さん、お願い早くしてください…
私は心の中で泣きそうになりながら、微笑みを崩すことも出来ず、距離を取る事もできず、ただ無意味に至近距離で見つめ合う事態に陥っていた。
決して私は人見知りではないし、無口ではないと思う。
ただ、月くんやミサのように、人を楽しませる会話を展開する事は得意ではない。
だから、それを切実に必要とされる今、この瞬間が苦痛でたまらない。
なんせ松田さんの命がかかっているのだろうから。
私が強く祈ったその瞬間、部屋のドアがガチャリと大きくあけられた。


「ああ〜酔った酔った、気っ持ちいい〜」

松田さんが少し長いトイレから帰ってくると、千鳥足で窓の方に向かい、「ちょっと外の空気を…」と言いながら、窓を開けてベランダへと出た。


「さ〜っ皆さん…ご注目ーっ松井太郎ショーターイム!」
「おっ芸あんのかおまえ、ハハ」
「キャーッ松井さんガンバー!」
「よいしょっと…」


松田さんが大きな声で叫ぶと、皆余興が始まったと思い、最初は笑っていた。
けれどベランダの手すりに片足を乗せた瞬間、一気に部屋の空気が変わった。

「えっ!?」
「ひっ…」

私の隣の紙村さんも、一気に酔いが冷めたようで、動揺を露わにしていた。
そして私もこれが松田さんの作戦で演技だとわかっているのに、ぞっとして小さな悲鳴が漏れ出た。
意味を持ってその行動をとっているのだろうけど、命綱がある訳でもない。
見ていられなくて、思わず口元を覆ってしまう。

「おいっ酔ってるのに危ないぞ!」
「あらよっと…」

紙村さんは私の隣にいるよりも、人命を優先してくれて、松田さんの方へと駆け寄って行って声をかけた。


「へへへ…いつもやってるから大丈夫ですよーっ」
「止めろって危ねー馬鹿!」


松田さんはとうとう足を乗せ歩くだけでなく、手すりの上で逆立ちまで初めてしまった。
その表情は笑っておらず、真剣に何かを探るように見ながら、ぶつぶつと独り言を言っている。
けれどパニック状態に陥った皆は誰もそれに気が付いておらず、誰もが行きすぎた余興を始めた松田さんを止めようと立ち上がっていた。


「…せーの…」


悲鳴の上がった部屋の中で、松田さんの微かな呟きを拾えたものは私の他にいないだろう。
いたとしたら、事情を知ってるミサとカメラの向こうの人達だけだ。

「わ…」
「うわっ落ちた!」


──そして、松田さんはとうとう、逆立ち状態から転落した。
社員たちもモデルの子たちも、皆が悲鳴を上げ、蹲ったり、逆に咄嗟にベランダに押し寄せたりしている。

「やばいぞ」
「うわっ」


私は悲鳴を上げる事もなく、かと言ってベランダの下を見ることもせず、ソファーに座って俯いていた。
確かに手すりに上った松田さんの姿を見ればひやりとしたし、今もドキドキしているけど、
実際は落下しておらず、下の階のベランダで、ベッドマットを使って松田さんの落下は防がれ、助かっているはずだ。
そうとわかっている今、私はこれから演技をして怖がらないといけない。
けれど演技をした事なんて、幼稚園でのお遊戯会くらいしか経験がない。
この中にキラがいるかもしれなくて、これが工作だとバレたら松田さんの命が危ないかもしれなくて。
私が今ここでケロリとした顔をしていたら、違和感に気が付くヨツバの人間がいるかもしれない。
そう思うと、ここで気を抜けるはずもない。
私に出来る唯一の演技は、「怖くて俯いて震えるしかない女の子」でいる事くらいしかなかった。

「よ…ヨツバの皆さん…まずいですから、ここは私達に任せて早くお帰りを…!」
「えっそんな…」
「大丈夫です、CMの件はお願いしますね」
「じゃあ私達は…」

ミサの声かけで、ヨツバの皆は、戸惑いながらも、荷物を持ってそそくさと部屋から出て行った。
モデルの子たちもおずおずと外へ出ていき、部屋に残ったのは私とミサだけ。
宴会ムードで賑やかだった部屋が一気にシンと静まり返ると、反動のように耳がジンと痛くなる。
ようやく自分の鼓膜が賑やかな声や悲鳴で痛んでいたという事を自覚して、気分が悪くなる。
私はソファーから降りて、膝をついて部屋を見渡した。


「……散らかっちゃったね」
「このくらい可愛いじゃん!この間が怪我した時の惨状に比べたら」
「ふふ、確かに。台風の後みたいな感じだったよね。家具も滅茶苦茶で」

最後の騒ぎのせいでビール瓶やグラスや小皿が散乱している。確かにあの時に比べたら、可愛い散らかり方だ。
破片には触らないようにして、割りばしや小皿から拾って集めてテーブルに積み重ねる。
ここはホテルでもなんでもないのだから、誰かがやらなければいけない。
そして捜査本部の人員は、皆今工作行動で忙しい。
救急車のサイレンが煩いのも、捜査本部の皆が乗車して、遺体を引き上げているからだろう。
救急隊員をする役、死んだふりをする役、通報する役。ただでさえ少数精鋭でやっているというのに、その全てを皆で賄うのは大変だ。
だから、どうせ誰かがやらなくてはいけない事なのだとしたら、この掃除は私がやるべきだろう。

「ミサ、箒ってあるかな?」
「えっどーだろ、そんなのここで使ったことないし」
「探してみてくれる?私、掃除するから」
「おっけー、待ってて!」


空き瓶を回収して並べて、戸棚に入っている適当な布巾を出して、絨毯にしみ込んだビールを吸い取った。
その日の夜は、目が冴えて眠れなくなるかと思ったけれど、以外にも疲れが勝ってすぐに眠りに落ちる事ができた。
監禁生活のせいで歩くことすら難しかったというのに、必要に迫られてこうして必死に動いているうちに、嫌でも体力がついていった。

──翌日の新聞には、「タレント弥海砂さんのマネージャー松井さん泥酔し転落死」という記事が小さく乗っていた。
表向き松田さんは死んだ事になっているため、次のマネージャー役には模木さんがあてがわれる事となる。

エイティーンの来月号の撮影も終わり、"幻の少女"という噂を打ち消すための仕事…
顔見せのためのモデル撮影、映画の端役女優の撮影、そして体力作りのためのリハビリ、その三つの全てが終わった。
これで私は、今後気晴らしがしたければ最初のようにミサの仕事の見学についていき、その他の時間はプライベートルームで気ままに過ごしていればいいだけになった。
あとは緩やかに日々が過ぎるのを待ち、疑惑が晴れ、監視が解かれるのを待つだけ──

──そう思っていたのに。


「──さん。あなたは月くんを愛してますか?」


ミサの部屋で一緒に駄弁りながら暇つぶしをしていると、竜崎くんが入ってきて、突然にこう言った。
その言葉をきっかけに、私はまた強制的に、捜査のために働かされる事となる。


2025.9.21