第44話
3.物語の中心部映画とヨツバ

夜、いつものように四人で部屋に集まっていると、「そういえば…」とミサが思いだしたように口を開く。
ソファーに座り足を組み、髪を一束いじってリラックスして。
天気の話題を出すくらいに、気軽な調子でこう言ったのだ。


「今日西中監督に言われたんだけど、を映画に出演させたいんだって」
「……え?」


私は思わぬ発言に硬直し、隣に腰かけている月くんは「そう来たか…」と額を押さえていた。
竜崎くんはいつも通り表情は変えず、カップに角砂糖をポチャポチャ入れながら思案している様子だ。

「…キャスティングなんてとっくに終わってるはずだろう。ねじ込むつもりか?」
「端役の子がスキャンダル起こしたらしくて、降板しちゃったの。丁度いいから、そこにねじ込みたいって」
「業界の者からしたら、美味しい話ですよね。今妙に話題になってしまった人物を、このタイミングで出演させられるなんていうのは」
「しかもヒロインであるミサとも絡みある訳だから、絵的に映えるって、興奮してたよ」
「……名前を伏せる事を条件に呑みましょう。下手な雑誌や番組で適当に取り扱われるよりは、無難な選択です」

私の意思はそっちの気で、とんとん拍子に話が進んで行った。
ミサの知名度と、ネットの悪ノリのせいで、幻の存在とされてしまった私。
表に出すとミサが公言してしまった以上、そうしなければ面倒な事になる。
監視対象であるとはいえ、ミサのように外でタレント活動をする事は許されているし、
ダメという事はないだろう。
──問題は。


「…私、お芝居なんてしたことないんだけど…」


私が前世・今世含め、一度も芝居などした事なく、タレントになりたいという願望を抱いた事がないという事。
容姿だけは整っているらしいけれど、それだけだ。抜擢された所で、期待に応えられると思えない。
私がちらりと向かいの席に座るミサを見ると、ぱっと手を開いてけらけらと笑った。

「大丈夫だよー。台詞ない役だから。ただにっこり笑ってれば大丈夫」
「……それなら…できるかもしれないけど。………でも、本当にいいのかな」

ミサは雑誌の人気投票で一位になった事で主役をもぎとった。そして他のキャストたちもオーディションやらなんやらで役を勝ちとったのだろう。
コネで役を取った人がいたとして、女優俳優になるために日々努力している人達には違いないはず。
私はそんな、野心がある人たちばかりの中に放り投げられるのだ。
セリフのないモブ役だとしても、やりたがる人はいくらでもいるはず。
それなのに、ぽっと出の一般人がこんな形で役を得るなんて。後ろめたくて仕方ない。


「…、申し訳ないって思ってる?」


曖昧な言葉で不安をこぼした私をじっと見て、月くんはぽつりと言う。
その瞳は、私が多くを語らずとも、私の本音を見透かしているようだった。


「……わかる?」
「それくらいわかるさ。でも難しい事は考えなくていいよ。むしろ、は巻き込まれただけの被害者みたいな物なんだから」

月くんは優しく笑んで、安心させるように私の頭を撫でてくれた。
月君の向かいの席に座るミサも、ぐっと拳を握って肯定してくれている。

「そーそー、勝手に一般人の写真ネットに晒す無礼者が悪いって!」
「安請け合いしすぎるミサさんも悪いです」
「はあ!?ミサ何も悪いことしてないし!ファンサービスしただけじゃん!?」

竜崎くんはコーヒーをすすりながら、冷静にミサを責めた。
どちらにも一理ある。
有名人だからと言って、厚意で撮影許可した写真をネットに晒していいはずもないし、かと言って何でもかんでもOKするのも問題だ。
今は結果的に、ミサの行動がプラスに働いているけれど、これではまるで綱渡りをしているようなもの。
不利に働く事だってあるという竜崎くんの言葉も、どちらの言葉も一つの真理だ。


「……映画出演決定の情報は、すぐにミサさんにブログか何かで発表してもらう…とは言え。実際に映画が公開されるのは来年になりますし、それで騒ぎが収まるはずがない…」
「適当な雑誌が嫌なら、エイティーンでミサとコラボすればいいじゃん?編集部も結構ノリ気だったよ。あの感じなら、来月号にでもねじ込めそう」
「雑誌に乗れば"幻"じゃなくなるのかは疑問だが…それもありだな」
「そこはもう、出たとこ勝負ですね。悪ノリしてる民衆の反応なんて、予測しきれませんから」


そして更に、とんとん拍子に雑誌でモデルデビューまで決定してしまった。
エイティーンの編集部が「やっぱり無名の子はちょっと…スケジュールも厳しいんで…」と苦言を申し立てたとして、竜崎くんならお金で解決してしまうのだろう。
松田さんをミサのマネージャーにするために、事務所に金を払ったのだと聞いた。
最早、私に決定権は何もない。
こんな時、本当にこれで正しいのかと、天使様にお伺いを立てたくなる。けれど、天使様は基本私の背後に控えている。
何もない所に振り返って目配せをするような、意味心な行動をとる姿を監視カメラに残すわけにいかない。
プライベートルームにさえカメラが仕掛けられている現在、私は今日まで、ほとんど天使様の顔すら拝めていなかった。
本当に私に伝える必要な事があれば、拙いながら、向こうから一方的に離しかけてくれるだろうけれど。

さんのリハビリにもなりますし。これで厄介事がまとめて消えてくれます」
「モデルの仕事も体力勝負だからねー。すぐ回復するって!」

竜崎くんは包み隠さず"厄介事"と言って話をまとめてしまう。
竜崎くんが私の体力低下を懸念していたのは分かってはいた。けれどこうもハッキリ厄介事だなんて言われてしまうと、言葉に詰まってしまう。
私のその様子をみると、月くんは明らかに機嫌を悪くして、竜崎くんをじろりと睥睨した。
それに気が付いてはいるのだろうが、彼は知らぬ存ぜぬを貫き通して、デザートのあんみつを頬張っていた。


「…は写真に撮られるのは大丈夫なのか?」
「うん、写真は別に…映画はちょっと嫌だけど、喋らなくてもいいなら、大丈夫かな」
「なんだ…てっきり、は写真も嫌いかと思ってたから…それなら2人でもっと沢山撮っておけばよかったかな」


月くんは気遣うように問い、私の返答を聞くと、大分がっかりしていた。
月くんが記念に写真を撮りたがるような性格をしているとは思わなかったし、私も積極的に自撮りや記念撮影をするタイプではなかった。
入学式や卒業式の節目は、もちろん一緒に撮影した。あとは遠出をした時とか、ちょっと特別な日に写真を撮るくらいだったけど、本当はもっと日常的に写真に撮りたかったのだろう。
視線恐怖症の気のある私を気遣かってくれていただろう月くんを思うと、申し訳なくなる。
今世の自分の姿は自分の姿という感じがしないから平気なんだ、なんて理屈、理解できるはずもないだろう。


「…月くん。これからは沢山一緒に写真撮ろっか。ね」
「…そうだね。色んな所に出かけて、沢山思い出を残そう」

落ち込んでいる月くんの手にそっと自分の手を重ね、彼を見上げて微笑む。
そうすると、心底嬉しそうに目を細めて、月くんは穏やかに笑んでいた。

「ミサの前でイチャつくの禁止ー!」とミサに茶化されているうちに、映画や雑誌のことなどどうでもよくなってしまった。
いったいこれから私はどうなってしまうんだろう…と胃が痛くなっていたのものの、月くんと明るい未来の約束をしただけで収まってしまった。


──そうして、マネージャー松田さんを通して、映画と雑誌に出る意向を先方へ伝え、
「名前を伏せること」「ミサとセットでの現場にしか出向かない事」を条件として、
正式にデビューが決まってしまったのだった。


秋も深まり、10月上旬。ミサの映画の撮影も順調に進んでいて、そして私のリハビリも、概ね順調だった。
セリフのない端役だったものの、主演のミサと共に話題になった女を画面に多く出したいという制作サイドの思惑のおかげで、最初にもらった台本通りの出番ではなくなり、途中で増やされる事となった。
基本的には、端役らしくミサの後ろでチラチラ映り込めばいいだけ。たまにミサと並んで微笑み合う。
とはいえ、出番が多ければ当然ロケに向かう回数も増えるし、待機時間も長くなる。
そして私の出番が終わっても、ミサの撮影が終わるまでは帰れないので、私は一日中外出する日が続いていた。
それに加えて、ファッション雑誌のモデルとしての撮影も重なって、疲労困憊。
おかげで体力はついたものの…疲れすぎているせいか、それともやっぱり監視カメラが負担になっているせいか、食欲は相変わらず戻らないままだった。


「マッツー!ロケ行くよー!」

身支度を済ませると、私はミサの部屋に向かう。そしてミサが松田さんのマネージャー用の携帯に電話をかけて、準備OKという合図を送る。
これが通例になっていた。今日は午後から夜遅くまで、撮影は長丁場になる予定だった。

撮影は順調。そして、キラ捜査も順調に進んでいるらしい。
竜崎くんが行き詰った事をぼやいて、月くんに殴られていたあの頃から打って変わって捜査に進展があり、
今まで以上に精力的に捜査を進めているようだ。
そしてそれと同時に、相沢さんがキラ捜査本部から離れたと聞いた。
警察がキラに屈し、このキラ捜査本部で捜査を進めるには、警察庁に辞表を出す必要があったのだという。
相沢さんもあっさりと離れた訳ではなく、何か揉め事があったようだけれど、捜査に関する情報は、ミサと私の耳にはあまり入ってこない。
気になるからと言って、深く追及する気もなければ、そんな事が問える雰囲気でもなかった。
ますます少数精鋭になってしまった捜査本部。
やはり私が外出するためには、ミサと共にタレントとして活動する事でしか叶わないのだと痛感する事となる。


***

──都内某所。既に映画の撮影は三日目となっていた。
オフィスビルが立ち並ぶ地区の真ん中に、大きな噴水が設置された、緑豊かな公園がある。
幻想的なそこをバックに、今日の撮影は勧められていた。


「君を愛してるよ…」


──流河旱樹。
月くんの妹、粧裕ちゃんも大好きで、竜崎くんもあえて偽名に使うほど、知名度のある国民的アイドルだ。
人気アイドルなだけあり、整っているのだとは思うけれど…
身近にいる美形…月くんの顔を見慣れてしまっているせいで、どうにも私にはピンとこない。
そんな彼が、ミサの肩に手添えて、愛を囁いている。そうして顔が近づいて、とうとう唇が触れ合う──その寸前で。


「監督、ミサ彼氏いるので、ラブシーンはNGでお願いします!」
「何言ってんの?今更…」


ミサはカメラが回っているのにも関わらず、バッと顔を背けて堂々と言ってのけた。
監督も呆気にとられ、最早怒る事もできないようだった。
モデル、女優、タレントとしては致命的な発言だ。仮に最初からその条件を提示してOKを出してもらっていたならまだしも、土壇場でそれは失言に他ならない。

「そんな事言ってたら映画取れないよっ」
「だからキスはしてる振りだけに!」


冷静に説得を試みる監督は気性が穏やかなのか、ミサのペースに呑まれているのか。
ミサは末っ子体質というのか、物おじせず、人見知りもしない甘え上手なので、
こうして周囲を自分のペースに巻き込んで、主張を押し通す事が得意だった。
それでいて尾を引かせず、憎まれないのだから、世渡り上手ないいキャラクターをしている。
私は椅子に座って、松田さんと共に出番待ち中だ。
今日は1カットしか私の出番はないのに、昼から夜までずっと現場で待機していなきゃいけないというのは、割に合わないというか…なんともハードである。

「…松井さん、どうしましたか?」
「……えっ?なにが?」
「…なんだかそわそわしてる気がして…何か用事でもあるんですか?」
「…きみは人のことをよく見てるんだね。いや、僕がバレバレなだけかな」


撮影中、私は椅子に座っているけど、松田さんは立ったままだ。
それがマネージャーという役職でここにいるからか、監視対象を見張っている刑事という立場のせいなのかはわからない。
隣で立っている松田さんを見上げて言うと、彼は頬をかいて苦笑いをしていた。
普段の待機時間中は、取り留めのない雑談をしてくれたりする。
けれど今日は口数が少なく、どこか遠くをちらちらと眺めているのがわかった。


「2時間休憩ーっ」


監督の一言で、ぞろぞろとスタッフたちが散らばっていく。
それと共に、ミサも怒り心頭!といった様子でずんずんと歩きながらこちらへ戻ってきた。


「松ぅ〜っあの監督ムカつくんだけど!」
「ミサミサ、今日のロケ結構遅くまでだったよね?」
「えっ?うん、22時すぎまではかかるだろうって…」

どさっと椅子に座ったミサは松田さんに愚痴りだす。
松田さんはそんなミサを意に介さず、今日のスケジュールの確認をした。

「じゃ、その頃には戻ってくるから!」
「えっ!?どこ行くのよ?」


松田さんはそれを確認するや否や、バッと背を向けて、どこかへ走り去っていった。
その背中を見つめて、私はぽかんと口を開けてしまった。

「…何よみんなして…もーっ」

ミサは愚痴を聞いてくれない松田さんも、ラブシーンを諦めない監督にも憤慨している。
けれど私は、監視対象を放ってどこかに消え去った刑事さんの姿に呆気に取られて、何も言えない。


「ねー、は聞いてくれるよね?」
「……うん、聞くけど…」
「けど何よ」
「……私たち、監視対象だよね?このまま逃げたらどうなるんだろ…」
「あはっそれ名案!監督もムカつくしー、このまま二人で逃げちゃおっか?」
「………月くんに怒られるよ?」
「えっじゃあやめとくー」


本気で逃げるつもりなど毛頭ないけれど、どうするつもりなんだろう…と自分の事のように不安になってしまう。私は監視する側でなく、監視対象だというのに。
親のような目線で松田さんを見てしまっているのか、共感性羞恥に近いものだろうか。胃が痛くなってくる。

松田さんが姿を消したのは午後15時頃。
一時間もすれば帰ってくるかと高を括っていたものの、夕方になっても帰ってこなかった。
そうこうしているうちに私も今日唯一の出番がやってきて、メイクを施してもらい、短いワンカットを撮った。
その後、私が待機場所にある椅子に戻ってくると、監督と助監督が揃って近寄り声をかけてくる。


「ねえ、きみ、喋ってみない?」
「………はい?」
「セリフのない役だけど、声も綺麗だし、一言二言くらい喋ったらウケがいいと思うんだよね」
「幻の精霊の声!とか言って話題になるかもっスねー」


今まで、モデルと映画の端役以外の仕事を持ちかけられた事がなかったわけではない。
その度にマネージャーである松田さんが断っていたのだ。
ネットで大騒ぎになってしまったため、鎮火させるために仕事をしてるだけに他ならない。
だから、モデルと映画、この二つ以外の仕事を受ける意味がない。
そしてそんな私が仕事を受ける条件は、「名前を公表しないこと」「ミサと同じ現場に限ること」
加えて──「喋らないで済ませる事」。
最初の二つは絶対条件で、三つ目は努力目標というか…私の心の問題で、絶対ではない。

「……あの、そういうのは、いつもマネージャーを通してもらってて…」
「マネージャーがどうとかじゃなくて、きみがどうしたいかだよ。絶対売れるよー?」
「今もう一本別に撮影中の映画があるんだけど、そっちもどう?端役だけど、セリフあるよ」

売れなくてもいいです、なんて口が裂けても言えなかった。
セリフを喋ったりインタビューを受けるだけで、私にかかる負担は桁違いになる。そのため極力避けてきた事だった。
なのに、マネージャーである松田さんが不在なせいで、今危うい自体に陥っている。

監督と助監督揃って交渉してきたら、断るのも難しいだろう。「無理です」と断る事は簡単だとげ、わざわざ角を立てるべきではない。
私は月くんやミサのように口が達者な訳でもないのだ。
そんなとき、バックの中の携帯が鳴り出した。
助け船だ!と私は携帯に飛びつき、「ちょっと失礼します」と断わってから電話に出た。
着信は、月くんからだった。


、今大丈夫か?松田さんは今どこにいる?』
「……あ!松井さんですか?」
『…?』
「あの、今監督に、別の映画にも出ないかって声かけてもらってて…受けて大丈夫でしょうか?」
『……松田さんはそこにはいないんだね?』
「……はい。…そ、そうですよね……はい、わかりました。では失礼します…」

そこでピッと通話終了ボタンを押して、監督たちの方を振り返る。

「申し訳ありません。やはり私には決定権がありませんので、マネージャーの松井に直接、お話をお願いできますか?電話越しの交渉では頷けないと彼が…」
「あーあの人ね…」
「ポヤポヤしてそうで、妙にガード固いんだよな…ま、わかったよ」

今の会話を聞くに、監督たちはやはり松田さん不在の間をあえて狙ってきたのだろう。
マネージャーではなく、彼の本職は刑事だ。ガードが固いのは当然である。
監督たちはひらひらと手を振りながら踵を返して、去っていった。

「…月くん、折り返した方がいいのかな」

松田さんに用があったようなので、「そこにいないんだね」という問いに対して「はい」と答えるようにした。
それで不在であるという現状は伝わったはずだ。
松田さんの様子がおかしかった事、いきなり消えてしまった事。そして月くんからわざわざ松田さんの所在を尋ねる電話があった事。
それだけで、捜査本部で何か問題が起こり、慌ただしくしているのではないかと予測する事ができた。
なので、バタバタしている所に折り返しをするべきか悩む。


「はーっ疲れた〜」

そうこうしているうちに、撮影が終わったミサが、ぐーっと伸びをしながら戻ってきた。
すっかり夜も更けて、公園の電灯がチカチカと光り出している頃だった。


「お疲れさま、ミサ」
「ありがと〜。…って、ミサの携帯光ってる」
「ああ…多分月くんじゃないかな」
「えっ月!?」


私の一言を聞いて、バックから携帯をパッと取り出すと、表情を明るくした。


「あっライトから伝言♪あはっやっぱり遅くなると心配してくれるのね…」


留守電話に何と残されていたのかは、当然私は知らない。
松田さん関連の事でバタバタしているというのは、考えすぎだったのだろうか?
遅くなると心配してくれる…とミサが言ってるからには、そのような趣旨の伝言が残されていたのだろうし。
ミサはさっそく月くんに折り返しの電話をかけていた。

『ミサ、僕だ。松田さんは?』
「えっ?あっ…あいつサイテー!3時頃だったかな?ミサの事ほったらかして、どっか行っちゃったの!ミサ、松がいないとそこ入れないんだよね」
もそこにいるのか?』
「うん、ちょうど二人共撮影終わって合流したとこ」

ミサはむすっとした表情で話している。私はミサの隣に座りながら様子を伺っているものの、
スピーカーにしている訳でもない電話の会話は、断片的にしか漏れ聞こえない。


「あっ噂をすれば仕事用の携帯に松から。ちょっと待って…」


ミサは携帯を複数持っている。今丁度鳴りだした仕事用携帯の他に、プライベート携帯が二つある。
ネットが発達した未来ならまだしも、この時代にどういう使い分け方をしているのかは謎である。
ミサは月くんとの通話を繋げたまま、仕事用の携帯の通話に応答した。


『ミサミサ、今日の撮影終わったんだな。と一緒に、ヨツバの東京本社に来てくれ。タクシー使えばあっという間だ。えっと担当は…「宣伝策略部の葉鳥さん」受付でガードマンにそう言えば通してくれるから。
もしかしたら、ヨツバさんのCMに出られるかもしれない』
「えっ!?マジ?ヨツバってあのすっごい大きな会社でしょ!!すっごいマッツー、
どっか行っちゃったと思ったらそんな営業してたんだやるじゃーん!!ミサもも、気合いれて行く。じゃねー」

ミサはテンションを上げて陽気に言うと、ピッと仕事用の携帯の通話終了ボタンを押した。
松田さんが何と言ったのかは聞えなかったけど、どうやらまた私の意思は完全無視で、何かが決定されたという事だけはわかった。

──嫌な予感しかしない。ミサは月くんとの電話に夢中だし、今は監視の目が一切ない。
私は背後の天使様を振り返り、視線で訴える。
──本当にこれでいいのかと。
いったいこれはどういうことなのか、物語の通りのことなのかと。
天使様はいつも通り変わらず背後で私を見守ってくれていて、視線だけで意図を汲み取ってくれた。


『あなたは今、"ただしい道"を歩んでいるわ。そのまま流れに身を任せればそれでいい。これまでも問題なかった。あなたなら大丈夫よ。このまま何も知らないままでいて』


とは言え、人の目もあるので手話で伝えてきて、私は小さくこくりと頷くだけに留めた。
私が知らない、物語の道筋を知っている天使様がそう言うなら、絶対だろう。
これで大丈夫なんだ。
私はそう言い聞かせて、月くんや松田さんの言う通りに、ミサと共に行動することにした。
──とはいえ。

「はい、じゃあもこれ着て!ミサと色違いのお揃いだから」


紆余曲折あった後、松田さんに指定された場所に移動する前。
ミサが手で掲げたセクシーなその衣装を、迷わず手に取る…という事は出来ず。
ピシリと硬直し、思わず口元を引きつらせるしかなかった。


2025.9.19