第42話
3.物語の中心部厄介なリハビリ

「すぐに手当しないと──」
「救急ボックスならプライベートルームには各部屋に一個は備え付けられてます。あの棚の中です」

月くんがそう言うと、竜崎くんが部屋の隅に設置されている棚を指す。
月くんはその指示に従い、棚の扉を開けた。
そうしているうちに、部屋に備え付けられていた固定電話がトゥルルと音を立てた。
竜崎くんはそれを聞き、すぐに受話器を持ち上げ耳にあてる。

「はい」
『竜崎、やりました!』
「どうしました!?」
『ミサミサがエイティーンの読者人気投票で一位になりました!二か月近く行方不明になっていたのが逆に話題になってよかったみたいです』
「……はい、そうですか」
『「はい、そうですか」って気のない返事ですね──…これは西中監督の次の映画の主役に
決まったって事なんですよ!』
「……」


竜崎くんはそこまで聞くと、受話器を手から離してガチャリと置いた。
電話の相手は松田さんだろう。断片的にしか聞こえなかったけど、興奮していたようで、
少し声が漏れ聞こえていた。

「どうした?」
「どうでもいい、松田のいつものボケです」
「まあ、松田さんは天然だからな…」


月くんは救急箱から包帯を取り出しながら、竜崎くんと会話をする。
当然このやり取りも監視カメラで観られ、盗聴されているというのに、堂々とこんな風に言ってのける2人はいい性格をしている。
天然やボケというのは、悪口ではないのかもしれないけど、今の場合は褒め言葉でもないだろう。


「うわー…すごい血が出ちゃってるよー…ライト、これ傷口洗った方がいいんじゃない?」
「ああ、そうだな…でもとりあえず、傷口を覆わないと、移動中に血で汚してしまう」
「あ、そっか」

ミサちゃんと月くんがしゃがみながら患部を見る。
月くんは私の怪我した右足に軽く包帯を巻きつけて、血がしたたり落ちないようにする。

「竜崎、僕たちは一度の部屋に戻る」
「はい。それは私も、という事ですね」
「しょうがないだろう。手錠で繋いだのはおまえだ」

月くんが移動するならば、当然手錠で繋がれた竜崎くんも移動する事になる。
最早手慣れた手つきで私を姫抱きにしながら、月くんはミサちゃんの部屋を出た。

「この部屋どうすんの……」とミサちゃんは台風に荒らされたかのような部屋の惨状を見ながら、引きつった顔でぼやいていた。


…本当にごめん」
「月くん、もう謝らないで。割って入った私が悪いの。……余計な事してごめんね」
こそ、謝らないで。余計だなんて事はない。…でもあんな無茶はもうしないでほしい」
「うん…わかった」

私のプライベートルームに戻ると、私をベッドに座らせて、洗面所から水をくんだ桶を持ってきてくれた。
そしてその水で患部の血を流し、消毒をする。
その頃には、たらたらと流れ出ていた血も、ようやく収まってきたようだ。
器用な手つきで包帯を巻きつけてくれた。
床に膝をつきながら、ベッドに座った私の両手を握り、祈るようにして額に充てていた。


「……は本当に、散々な目にあってばかりだな。かわいそうに」
「まあ確かに、満身創痍ですね。未だに食事も十分にとれていないようですし」
「元々は食が細いのに、このままじゃ体を壊す」
「……どうにかした方がいいのは事実ですが…」

月くんの背後に立つ竜崎くんも、じっと私の様子を伺っている。


「今のさんに、"効く治療"というのはありません。環境のせいでこうなってるのでしょうから。しかし監視を解いて、家に帰すこともできません」
「……だろうな」
さんも、ミサさんみたいに振舞ってくれたらいいんですけどね」
「ミサは例外だろう。今のの方が、普通だよ」

一ヵ月以上も監禁されながらして、元気でいるミサちゃんと月くん。
そして今も24時間体制で監視下におかれて、手錠で繋がれ。それでも平静でいる。
神経衰弱を起こしてる私の方がおかしいのかと錯覚しかけていたけれど、ちゃんと月君も、状況を客観視できていたらしい。
自分達の方が特別にタフで、私は凡人だからこうなっているのだという事を。
正しく理解されてるという事に、少しホッとした。

「…、少し落ち着いた?」
「うん、月くんの手、温かいから」


さすがに、本気の取っ組み合いをしている彼らの間に入るのは勇気がいったし、
動悸がとまらなかった。最近ずっと温度が下がっていた手も、輪をかけて冷えた。
月くんに手を握られているおかげで、一時的とはいえ体温は戻り、そのおかげか少し気持ちが楽になった気がする。
実際、顔色もよくなっていたのかもしれない。
ふわりと、心底安堵したように月くんが笑う。


「……ちょっと奥にいける?」
「?…うん」


私は月くんの言う通り、治療してもらうために床に投げ出していた足を持ちあげて、ベッドの端まで下がった。
すると月くんはベッドに乗って、私のすぐ傍までやってきてから、かけ布団に手をかける。
そしてそのまま私達の頭上に布団をかけると、外界と遮断した。
布団の中という、ほんの僅かに限られた2人きりの空間が出来上がる。

私達は密着して、吐息さえ交わる距離にいた。
今は夜だけれど、部屋の電気はついているので、布団をかぶっても、完全に真っ暗になる訳じゃない。
月くんが私の頬に手を添える仕草も見えていたし、月くんの表情が、熱を帯びている事も視認できていた。
月くんはそのまま、自然な仕草で私に口付けをする。

「んっ…!」

──監視カメラがあるのに、見られてるのに!
私は羞恥でカッと顔が熱くなり、咄嗟に月くんの胸板を押して抵抗する。
けれどそんな私の心を見透かしていたかのように、月くんは唇を離してから、そっと囁くように耳打ちをする。

「大丈夫。監視カメラには映らないよ…まあでも、何をしてるかはバレてるだろうけどね」
「……なんで、こんなこと」
「なんで?…理由なんてないよ。ただ、耐えられなかった…もうどれだけ長い間に触れてない?…の肌に触れたい。温もりがほしかった…それだけだよ」

監視カメラに映ったままするのは絶対に嫌だろうし、こうするしかなかったんだと月くんは言う。

「それに、僕ものこんな表情、誰にも見せたくない…瞳が潤んでるね。…可愛い」

月くんは心底愛しそうに目を細めながら、リップ音を立て私の目元にキスを落とす。
そのまま額、鼻、頬、首筋と、いたるところに唇を触れさせ、私はそのくすぐったさで声を漏らさないようにするのに必死だった。

「…月くん。私がいるのは分かってますよね?」
「わかってるから、こうして見えないようにしてるんだろう、竜崎」
「そうでしょうね。…そろそろいいですか?私、立ちっぱなしにされるのは嫌ですよ」

月くんは名残惜しそうに、私の鎖骨の辺りに唇を落とすと、「残念」と笑いながら、布団を持ち上げた。

「……うん、も大分顔色がよくなったね」

満足げに微笑む月くん。こうする事に理由なんてないとは言いつつも、一応理由あっての行為だったようだ。
私の気を紛らわし、体温を上げるためにこんな事をしたんだと理解した。

「随分な荒療治ですね」


竜崎くんの言葉に、私は心の中で大きく頷いていた。
精神的なストレスで冷えていた体温を上げるために、羞恥心で温めるなんて、随分手荒な治療だ。
私は熱くなった頬を押さえて、恥ずかしくて俯いた。
監視カメラに映っていなかったとしても、竜崎くんは同じ空間にいたし、カメラの向こうの捜査員たちも、居た堪れない空気になっている事だろう。
けれど、久しぶりに月くんと触れ合えて、嬉しかったのも事実。
なので、私はそれ以上何も言えなかった。


***


それからと言うもの、私は今まで以上に自室に引きこもりじっとするようになって。
そして移動するときは必ず月くんに抱えられながら、というのが通例になってしまった。
今日もミサちゃんの部屋に移動し、四人で会話をするために、月くんに迎えにきてもらっていた。

「月くん、自力で歩かせて、リハビリさせるのも必要だと思いますが」
「そんな事をして、足の裏の傷口が開いたら、もっと長引くだろう」

廊下を歩きながら、後ろをついてきている竜崎くんは、もっともな事を言った。
私は最早、抱きかかえられる事に関しては慣れてしまい、恥ずかしいとは思わなくなって来ている。
傷口が開かないようにするため、という月くんの言葉に嘘はないだろう。
リハビリが必要なのも事実だけれど、それもまた、一理ある。
けれど月くんは私の心境を理解していて、唯一私が人目があっても抵抗せず、恋人らしく触れ合う事を許す、この瞬間を歓迎しているようだった。
怪我の悪化を心配する半分、下心半分といった所だろうか。

「まあ僕は、がずっとこのままでも構わないけどね…」
「…月くん」
「ごめん、冗談だよ。怪我は治ってほしいと思ってるよ」
「怪我は、ですか」


ぼそりと竜崎くんが言った一言には否定も肯定もせず、月くんはにっこりと笑っていた。
私の怪我が治り、衰弱した体も健康に戻れば、この監視下において、スキンシップする事は難しくなるだろう。
だとするとやっぱり、月くんは私に不健康なままでいてほしいに違いなかった。
勿論、私の不幸を覗んでいる訳じゃないから、怪我を喜んでいる訳ではないだろうし、私に傷を負わせた負い目を感じてる事も理解してる。


「月ー!待ってたよ〜!」


ミサちゃんの部屋につくと、彼女はいつものようにキラキラとした瞳で月くんの来訪を喜んでいた。


「たまにはミサの隣に座ってよ〜」
「私では不満ですか」
「不満しかありませんけど!」

いつものようにミサちゃんの隣には竜崎くんが座り、月くんと私は隣同士に座った。
ミサちゃんは竜崎くんを嫌ってはいないだろうけど、好きでもいないのだと思う。
けれど、2人の掛け合いは中々に息が合っていて、見ていて飽きない。
思わずくすりと笑うと、ミサちゃんは私の方に視線をやる。

「ねー、さんずっと部屋の中にいて息つまらない?たまには外出たら?どーせ監視付きだろうけど」
「はい、外に出るなら、ミサさん同様、監視をつける事になります」
「そう!ミサずーっとマッツーにつきまとわれてて、息つまるんだけど!」
「それだと、ミサさんは外に出ても息抜きにはなってないという事になりますが…」
「それとこれとは別!」

ミサちゃんの提案は中々に魅力的だ。けれどそれをするには問題がいくつかある。
まず私の足の裏の怪我が治っていない事。
体力が低下してる事に関しては、それこそリハビリがてら歩いて回復するしかないので、ひとまず置いて。
もう一つは、この捜査本部が少数精鋭で、慢性的に人員不足だということ。
月くんのお父さんと、相沢さん、模木さん、松田さん、そして竜崎くんの五人しかいない。
月くんも捜査に協力しているけれど、監視対象の一人であるため、ひとまず頭数には含めない。
ミサちゃんはタレントとして活動しているため、マネージャーという肩書きを松田さんに与えて、必ず一緒に外出している。
なので、タレント業をしている間は、捜査本部は四人しか稼働していない事になる。
それなのに、私のリハビリ外出のために、監視員をあてがえば、三人にまで目減りするという事だ。


「……私はミサちゃんみたいにお仕事がある訳でもないし。負担かけたくないから…」


ミサちゃんの部屋に来るとき、テーブルの上には、いつもデザートと飲み物が人数分用意されている。
話を聞いたわけじゃないけど…想像するに、おそらく顔を出さないようにしているもう一人の捜査員がいるのだと思う。
用意されるメニューは毎回違っていて、茶葉も凝っている。
今日なんかは、まるでホテルで提供されるアフタヌーンティーの仕様と同じだ。
ケーキスタンドには様々なデザートが並んでいて、これを相沢さんたちが用意したとは思えない。
かといって、キラ事件を捜査している彼らが、給仕のためだけに、リスクを侵して外部の人間を雇うとも思えないし。
けれど表には出ないようにしているのだろうから、彼…もしくは彼女も頭数には含まれず、やはり頭数は五人だ。
私が少数精鋭で行ってる捜査の邪魔をしたくないと言外に示せば、三人とも察したようだった。
うーんと口元に手をあてて考え込んでいたミサちゃんが、パッと何かを閃いたように顔を上げる。

「…そうだ!それなら、ミサのロケについてくればいいんじゃない?そしたら、マッツー1人で済むし!」
「……それは、確かにありかもしれないな」


月くんがミサちゃんの提案に素直に頷くと、ミサちゃんは嬉しそうに破顔していた。
月くんは少し思案して、竜崎くんの方を見る。


「…竜崎も、の事は心配してるからな。この現状はいずれどうにかしないと」
「えっ竜崎さんって心配とかするんだ…ちょっと意外」
「"厄介"なんだろう?」
「…そうですね。これ以上悪化すれば厄介極まりないです。ですので、リハビリに連れ出すというのには賛成です」


竜崎くんと月くんもまた、言葉に含みをもたさせながら応酬をしているけど、
私とミサちゃんには、その真意が汲み取れなかった。

「ではミサさん、足の裏の傷が完治したら、さんをロケの見学に連れて行ってください」
「おっけー!まかせて!」


私の意思は置いてけぼりで、とんとん拍子に話が進んで行った。
ミサちゃんはモデル業をメインに、深夜TVのアシスタントも行い、最近は映画の主演も決まり、多様に仕事をこなしている。
普段一般人が見る事ができない、業界の裏側の見学についていけばきっと楽しいと思うし、勿論リハビリもこなせる。
そして皆が言う通り、松田さん一人で二人の監視をできるのだから、合理的でもある。


「はあ…でも、寂しくなるな…僕はずっと今のままでいいのに」


月くんは私の手を握りながら、また冗談半分、本気半分の言葉を口にしていた。
怪我もまだ完治していないというのに、寂しがるのは気が早い。
私は一言、月くんに物申すことにする。


「月くん。私はずっと今のままは嫌だな」
「えっ…」
「だから…、…早く、監視が解けるといいね。そうしたらもっと近くにいられる」


私が月君を見上げて笑うと、月君はぐっと言葉を詰まらせていた。
今は月くんは竜崎くんと一緒にメインルームで殆どの時間を捜査に費やしているし、
私は自室で療養しながら監視されている。
つまり以前のように2人で過ごす時間はほとんどない。
月君が言っているのは、私を抱っこできる状況が続けばいいのに…という意味だろう。
けど、そんな状態は続かなくていいはずだ。
私達が完全に無実と証明され、監視が解ければ全て解決する話。
月くんが私といる時間を好きでいてくれてるのは知ってる。
つまりは、月くんが望む、以前通りの日常に戻れるという事。
前のように、一緒に大学にも通えるし、お互いの家で好きな番組を見ながら雑談だってできる。
こうやって机の下で隠すようにしなくても、堂々と手を繋げる。それこそが最善の結果のはずだ。


「ちょっとー!ミサの前でいちゃつかないでくれる!?」
「月君、照れてるんですか」
「うるさい。照れてない」


月君は二人にからかわれて、不機嫌そうにしている。
今のやり取りのどこにイチャついたり、照たりする要素があったのかわからず、私は曖昧に笑みを称えてお茶を濁した。

──そして月日は流れ、二週間もすれば完全に足の裏の傷は塞がった。
完治を宣言されたのと同じ日に、偶然にもミサちゃんの撮影がスケジュールに入っていたため、さっそく私は外出に連れ出される事となる。
外出するためにメイクをしたり、髪を巻いたり、着替える服を選ぶ時間は新鮮で、
それだけで息抜きになった。
自分のクローゼットを漁りながら、少し考える。
ミサちゃんはゴスロリやパンク風ファッションが好みのようで、普段私が好んで着る系統とは真逆だ。
そこに少し思う所があって、メイクなどの身支度だけ済ませてから、ミサちゃんの部屋に相談に向かった。


「…──という事なんだけど…ミサちゃんの友達として見学にいくのに、私浮いちゃうかな?」
「別にそんな事ないと思うけど、気になるならミサの服かそっか?ていうか、撮影に呼ぶくらいの友達って体なんだから、ちゃん付けするのおかしいって!」

私もさん付けやめるから、ミサの事は呼び捨てにして!と言われながら、私は彼女のクローゼットから取り出された服をどっさりと持たされた。

スタイルいいし、身長もそんな変わらないからサイズ大丈夫だよね?とりあえず、まずこれ着てみて」
「えっ…服借りるのはわかったけど、…でもこれスカート短すぎ…」
「それが可愛いんじゃん!ミサも名前も綺麗な足持ってるんだから、出さなきゃ損でしょ」
「そ…損…かな…?」
「いいから着て!もう撮影の時間近いからっ」


ミサちゃん…、…改め、ミサに押し切られ、私は強制的にミニ丈のスカートを着せられる。
学生時代の私は不真面目ではなかったけど、かといって真面目な生徒という訳でもなかった。
おしゃれも嫌いじゃなかったし。
だから皆がそうしているように、制服のスカートも短くしていたし、私服もミニスカートは持ってる。
けれどミサの着る服は、下着が見えそうなくらいに短い。
普通このくらい短いミニスカートだと、下着が見えないようにペチコートのような薄布が付属している物だと認識していたけど…
それすらついてない。
そしてパッと見、ミサのクローゼットにはペチコート単体も入ってない。
オシャレを楽しんでいたのも束の間、私は酷い羞恥心というストレスに襲われながら、
久々の外出をする事となってしまった。
前世でも今世でも、パンク風の服なんて初めて着た。
ミニスカートは逃れられなかったけど…ミサの手持ちの中でも一応、全体的にシンプルで、清楚なデザインのものを選んだつもりだ。
上半身の露出は控えめに、手の甲まで長さのある、プリーツの袖口が広がるタイプのものを選んだ。


「じゃ、いくよマッツー!今日は両手に華よ」
「はは、こ、光栄だな〜なんて…」

ここで喜んだらセクハラになるのか…?という戸惑いが、松田さんの顔に出ていた。
表情に出やすい人だ。松田さんは天然だとか散々言われていたけれど、刑事という肩書きの割に、親しみやすいキャラクターをしていて、私は素敵だと思う。
私はそれに少し和んで、くすりと笑った。
ホテルからこの高層ビルに拠点を移してから数週間は経っている。
独房での監禁生活を合わせれば、二か月以上外に出てない事になるだろう。
ビルから一歩足を踏み出し、車に乗り込むのも少し緊張した。でも、ワクワクしてる自分もいる。
…服装は気になるけど、もう開き直る事にする。しょうがない。

──まさかこの外出がきっかけで、今後の生活がガラリと一転する事になるとは、その時の私は露知らずにいたのだった。


2025.9.17