第4話
1.人間的な恋─少年は予感する
お向いに一家が引っ越してきたのは、僕が2歳のころだった。
「月くんっていうの?わたし、。なかよくしてね」
一家…父母娘の三人で、向かいの家に住む僕ら夜神家に挨拶しにやってきた。
「よろしく、ちゃん」と言って、僕は笑った。
家の母と、僕の母は妙に馬が合ったらしく、また家も近いことから、必然的に家族ぐるみの付き合いが増えた。
幼稚園も一緒だ。入園式の日、ちゃんは母親に背中を押されながら、ぼうっと空をみていた。
「どうしたの?ちゃん」
「…えと…緊張しちゃったの。幼稚園って、どんなところかな」
なんだか上の空だったその姿に少し引っ掛かるものがあって、じっと観察していたけど、結局その違和感の正体はよくわからず仕舞いだ。
多分、本人の言う通り、緊張していただけだろう。
ちゃんは引っ込み思案の人見知り…という訳ではなかったけど、我は強くなく、おっとりとしていて、少しマイペースなところがある。
「大丈夫。僕も一緒にいくからね」
「…ありがとう」
僕が手を差し伸べると、ちゃんはふんわりと笑って、その手を握り返す。そして僕達は幼稚園の送迎バスに乗り込んだ。
「ちゃんはどこの席がいい?」
誰に対しても、礼儀は払うべきである。──これは父の言葉。
挨拶はいつでもはっきり、きちんとしなさい。──これは母の言葉だ。
父と母に教えられた通り、僕は「よろしくお願いします」とバスの運転手に挨拶をしてから
「どこの席がいい?」とちゃんに聞いた。
公園で、ブランコの取り合い、おもちゃの取り合いをしている姿をみて、父も母も、こういった。
──譲り合いの精神は大事だ。相手の意見にも耳を傾けるようにしなさい。
僕もその通りだと思った。これは自分の物だと奪い合う姿は、とてもかっこわるいと思ったから。
だから、僕はちゃんに尋ねた。殊更、ちゃんは女の子だから、ちゃんの意思を"尊重"して"優先"することが大事だと思った。
レディーファーストという言葉の意味を、つい先日、父から聞いていたのも相まって、僕は丁寧にちゃんに接していた。
だから、ちゃんはきっと喜んで、窓際の席がいいとか、前の席がいいとか、言ってくれるはず。そう思ってた。
「月くんの隣がいい」
その答えは、予想外だった。
僕はきょとんと、間抜けな顔をしていたに違いない。
僕はちゃんがどこの席を選んだって、わざわざ離れたところに座るなんて意地悪をするつもりはなかった。
つまり、どこを選んだって、ちゃんの隣に座るつもりだったのだ。
だけどちゃんは窓際でも後部座席でもなく、ただ純粋に、僕の隣がいいと言った。
僕は少しくすぐったくなりながら、笑った。
ちゃんはやっぱり、とてもおっとりしていて、少し天然なところがあって、
そして純粋で、"善人"ってやつなんだろう。
すごく子供らしい──
「です。すきなのは、絵本を読むことと、公園であそぶことです。おともだちたくさんほしいです!よろしくおねがいします!」
僕とちゃんがチューリップ組に振り分けられて、まず自己紹介の時間というものが設けられた。
そこで皆多種多様な挨拶をする中で、ちゃんだけが、とても巧妙な挨拶をした。
挨拶の時間が終わって、交友の時間が設けられると、ちゃんはあっという間にたくさんの園児に囲まれた。
その中には、いかにも引っ込み思案な子も、いかにも活発なガキ大将も、マセた感じの女の子も…
とにかく、この通り。誰もがちゃんに声をかけたくなる…かけやすくなる、そんな挨拶だった。
実際、クラスの全員と直接挨拶できたんじゃないだろうか。
──あれは、計算なのかな?僕は遠巻きにその輪を眺めながら、考えた。
ちゃんはおっとりでマイペースで天然で…もしかしたら、ちょっと賢いのかも。
少し考えを改めることになった。
(女の子って、ちょっと面倒かも…)
年長になった頃には、僕は自分の顔が整っていることと、話術が巧であるということと、賢いということ。とにかく、皆に好まれる人間であるということを、すっかり自覚していた。
「月くん!今日一緒にかえろうよ!」
「ずるい!わたしと一緒にかえってよー!」
「女の子はマセているからね」と、母は言った。だから男よりも成長が早くて、そして、恋をするのも早い。
僕がクラスの女の子にベタベタされるとぼやくと、母はそう説明してくれた。
だから、──自分でいうのもなんだけど──人気者の僕に恋をして、取り合いになるのだ。
僕はそれが嬉しいと思わなくて、ただ面倒だと思った。
だけどそれを口にするほど、子供でもなかった。
「ごめんね、僕はちゃんと帰るから」
「なんでちゃんばっかり?」
「ずるい…」
帰りのバスが来るまで、こうやって恨みがましい目で見られるのか。
憂鬱だな、と思った。
僕にぐいっと手を引かれたちゃんは、ただきょとんとしていて、女の子たちと目が合うと、ただふんわりと笑った。
女の子たちはぐっと押し黙って、もう何も言わなくなる。
僕がクラスの男子で一番人気者であると同時に、ちゃんもクラスの女の子の中で一番人気ものだからだ。
「うちがお向いだからね。別々に帰るのも変だよね?真奈美ちゃんも優香ちゃんも、僕より先にバスから降りるから、それなら同じ時にバスから降りるちゃんの隣に座った方がいいよね」
加えて、そう理屈を通せば、真奈美ちゃん、優香ちゃん、二人とも、もう何の反論もできないようだった。
それでも、もしかしたらちゃんのことを恨みがましく睨むかも…と伺っていると、
二人の顔がとろんと蕩けた。
どうやら、その視線は僕の方に向かっていて…僕の顔に見惚れているのだと気が付いた。
無意識に、僕は自分の頬を触ってしまった。
僕のこの顔は、整ってると何度も褒められてきた。自覚していた。
でも、笑いかけるだけで、こんなにごねていた女の子がうっとりするなんて。
顔が整ってるって、そんなに"いい"ことなのかな?
「ちゃん、帰ろうか」
僕はちゃんの方を振り返って、言った。
「うん、帰ろう月くん」
そしてちゃんが歩き出そうとした時、少し考えてから、手を差し伸べてみた。
それから、ちゃんの一挙手一投足を観察してみる。
ちゃんはきょとんとして、僕の手をただ見つめるだけで、真奈美ちゃんたちみたいに、嬉しそうにはしなかった。
なんとなく分かっていたけど。予想通りだったことが少しだけつまらなくて、けれど同時に僕は安心もしていた。
幼馴染の女の子にまで、ベタベタ、うっとりしながら、すり寄られたくはなかったから。
「どうしたの?」
「なにが?」
「手、つながなくても帰れるよ」
ちゃんは本当に不思議だったみたいで、首を傾げながら僕の手をじっと見ていた。
僕はさも最初からそのつもりであったかのように、自然とその場を繕う言葉を口にしていた。
「最近、この辺りで変質者が出没してるんだって、父さんが言ってた。結構陰湿で、問題になってるらしい」
「へんしつしゃ…」
ちゃんはぼんやりとしながら、その六文字を復唱した。
意味がわからなかったのかもしれない。ちゃんは年の割に賢いと思う時もあるけど、今みたいに、年相応だと思う時も少なくない。
僕は妹に接するように、優しく説明してあげた。
「こわいひとのことだよ。子供を狙って、捕まえて、ひどいいたずらをするんだ。だからちゃんも気をつけてね」
「わかった。月くんも気をつけてね」
「もちろん。その変質者、男も女も見境ないみたいだからね」
──その時は、まさか自分達がその変質者に誘拐されるなんて、思ってもみなかった。
口も目も塞がれて、車に乗せられた。
どこかのアパートか、マンションの一室に連れられて、一日はそのまま放置された。
僕達がバスから降りて、自宅に向かうまでの僅か一瞬でしてやられた。
ここがどこなのか、情報を一切開示させない。素早く手慣れた手口だった。
父さんは、この変質者…誘拐犯による誘拐殺人は、明るみに出ているだけで二件、関連があるとみられる失踪が一件、つまり少なくとも三件であると見ていたけど、
僕はそれ以上の数をこなしているんじゃないか、そんな風に感じていた。
誘拐されてから二日目の朝、目出し帽をかぶった男が監禁部屋の扉を開けて入ってきたかと思うと、乱暴に猿轡を外した。
何か意図があるのか、それとも僕たちがずっと暴れず静かにしていたから、問題ないと思ったのか──
ちゃんがケホケホと、隣で咳き込んでいたので、咄嗟に声をかける。
「ちゃん…大丈夫?」
「うん…月君は、怪我してない?」
ちゃんは少し顔色が悪かったけど、それでも取れ乱すことなく、冷静だった。
僕はその様子にほっと安心した。
ここで一番やってはいけないのが、犯人を刺激するようなこと…馬頭したり、泣いたり、騒ぐこと。
こんな状況におかれてはパニックになるのも当然だけど、だとしても落ち着いてもらわなければ困るのだ。
ちゃんはその点、僕がなだめなくても大丈夫そうだ。
「こういう時の対処法は、父さんから聞いてる──だからちゃん、僕の言う通りに、落ち着いていてね」
「うん、わかった。どうしたらいいのか教えて」
僕が父さんから聞いていた対処法を一つ一つ話していると、隣の部屋から物を投げつけるような破壊音が聞えた。
それから、続いてテレビのニュースの音が聞えてきた。
『〇〇市〇〇町に住む児童二人が誘拐されるという事件が発生しました。近隣住民の目撃情報から、事件が発覚しました。』
『ほ、ほんとうに一瞬のことで、なにがなんだか…とにかく、瞬く間に口をふさいで車に連れ込んで…す…すごく手慣れてる感じがしました…』
『誘拐されてから二日目の今日、警察はこの事を受け──』
「クソックソ…!なんで見てんだよぉ!!!今まで誰にも見られたことなんてなかったのに!何が悪かった?なにを見落とした!?」
男が叫ぶと、またガシャンと物が投げつけられる音がする。
目撃者がいたんだ…よかった。子供達が失踪しただけでは、=連続誘拐犯の犯行とは結び付けられるはずもなく、捜索と物証探しに何日時間がかかったやら。
僕達は運がよかった。僕達の失踪は最短で事件と見なされ、連続誘拐犯の犯行の可能性が濃厚として、警察はもう動き出してくれただろう。
「…ちゃんは、大人しくしていてね。僕がなんとかするから」
「うん」
「いい子だね」
だけど、ただ助けを待ってるだけなんて、僕にはできない。
かといって、犯人に立ち向かうつもりはない。
何か打開策を練るんだ。人間には、思考するための脳がある。
現在地がどこにあるとか、この拘束を解く方法はないかとか、交渉の余地があるかとか、外部への連絡手段はないかとか…
そんな事を考えるために、知能が備わっているのだ、無駄に恐怖で思考停止してる暇はない。
とにかく、僕がなんとかしなきゃいけない。
警察が動き出したという事実はプラスでありマイナスだ。
男は「今まで見られたことがなかった」と騒いでいたし、初めてしくじった事で、
僕達を早々に殺して、証拠となる僕達の死体を、遺棄してしまうかもしれない。
警察がなんとかしてくれると思うな、僕が──。
──そんな僕の思惑は、その通りにはならなかった。
1.人間的な恋─少年は予感する
お向いに一家が引っ越してきたのは、僕が2歳のころだった。
「月くんっていうの?わたし、。なかよくしてね」
一家…父母娘の三人で、向かいの家に住む僕ら夜神家に挨拶しにやってきた。
「よろしく、ちゃん」と言って、僕は笑った。
家の母と、僕の母は妙に馬が合ったらしく、また家も近いことから、必然的に家族ぐるみの付き合いが増えた。
幼稚園も一緒だ。入園式の日、ちゃんは母親に背中を押されながら、ぼうっと空をみていた。
「どうしたの?ちゃん」
「…えと…緊張しちゃったの。幼稚園って、どんなところかな」
なんだか上の空だったその姿に少し引っ掛かるものがあって、じっと観察していたけど、結局その違和感の正体はよくわからず仕舞いだ。
多分、本人の言う通り、緊張していただけだろう。
ちゃんは引っ込み思案の人見知り…という訳ではなかったけど、我は強くなく、おっとりとしていて、少しマイペースなところがある。
「大丈夫。僕も一緒にいくからね」
「…ありがとう」
僕が手を差し伸べると、ちゃんはふんわりと笑って、その手を握り返す。そして僕達は幼稚園の送迎バスに乗り込んだ。
「ちゃんはどこの席がいい?」
誰に対しても、礼儀は払うべきである。──これは父の言葉。
挨拶はいつでもはっきり、きちんとしなさい。──これは母の言葉だ。
父と母に教えられた通り、僕は「よろしくお願いします」とバスの運転手に挨拶をしてから
「どこの席がいい?」とちゃんに聞いた。
公園で、ブランコの取り合い、おもちゃの取り合いをしている姿をみて、父も母も、こういった。
──譲り合いの精神は大事だ。相手の意見にも耳を傾けるようにしなさい。
僕もその通りだと思った。これは自分の物だと奪い合う姿は、とてもかっこわるいと思ったから。
だから、僕はちゃんに尋ねた。殊更、ちゃんは女の子だから、ちゃんの意思を"尊重"して"優先"することが大事だと思った。
レディーファーストという言葉の意味を、つい先日、父から聞いていたのも相まって、僕は丁寧にちゃんに接していた。
だから、ちゃんはきっと喜んで、窓際の席がいいとか、前の席がいいとか、言ってくれるはず。そう思ってた。
「月くんの隣がいい」
その答えは、予想外だった。
僕はきょとんと、間抜けな顔をしていたに違いない。
僕はちゃんがどこの席を選んだって、わざわざ離れたところに座るなんて意地悪をするつもりはなかった。
つまり、どこを選んだって、ちゃんの隣に座るつもりだったのだ。
だけどちゃんは窓際でも後部座席でもなく、ただ純粋に、僕の隣がいいと言った。
僕は少しくすぐったくなりながら、笑った。
ちゃんはやっぱり、とてもおっとりしていて、少し天然なところがあって、
そして純粋で、"善人"ってやつなんだろう。
すごく子供らしい──
「です。すきなのは、絵本を読むことと、公園であそぶことです。おともだちたくさんほしいです!よろしくおねがいします!」
僕とちゃんがチューリップ組に振り分けられて、まず自己紹介の時間というものが設けられた。
そこで皆多種多様な挨拶をする中で、ちゃんだけが、とても巧妙な挨拶をした。
挨拶の時間が終わって、交友の時間が設けられると、ちゃんはあっという間にたくさんの園児に囲まれた。
その中には、いかにも引っ込み思案な子も、いかにも活発なガキ大将も、マセた感じの女の子も…
とにかく、この通り。誰もがちゃんに声をかけたくなる…かけやすくなる、そんな挨拶だった。
実際、クラスの全員と直接挨拶できたんじゃないだろうか。
──あれは、計算なのかな?僕は遠巻きにその輪を眺めながら、考えた。
ちゃんはおっとりでマイペースで天然で…もしかしたら、ちょっと賢いのかも。
少し考えを改めることになった。
(女の子って、ちょっと面倒かも…)
年長になった頃には、僕は自分の顔が整っていることと、話術が巧であるということと、賢いということ。とにかく、皆に好まれる人間であるということを、すっかり自覚していた。
「月くん!今日一緒にかえろうよ!」
「ずるい!わたしと一緒にかえってよー!」
「女の子はマセているからね」と、母は言った。だから男よりも成長が早くて、そして、恋をするのも早い。
僕がクラスの女の子にベタベタされるとぼやくと、母はそう説明してくれた。
だから、──自分でいうのもなんだけど──人気者の僕に恋をして、取り合いになるのだ。
僕はそれが嬉しいと思わなくて、ただ面倒だと思った。
だけどそれを口にするほど、子供でもなかった。
「ごめんね、僕はちゃんと帰るから」
「なんでちゃんばっかり?」
「ずるい…」
帰りのバスが来るまで、こうやって恨みがましい目で見られるのか。
憂鬱だな、と思った。
僕にぐいっと手を引かれたちゃんは、ただきょとんとしていて、女の子たちと目が合うと、ただふんわりと笑った。
女の子たちはぐっと押し黙って、もう何も言わなくなる。
僕がクラスの男子で一番人気者であると同時に、ちゃんもクラスの女の子の中で一番人気ものだからだ。
「うちがお向いだからね。別々に帰るのも変だよね?真奈美ちゃんも優香ちゃんも、僕より先にバスから降りるから、それなら同じ時にバスから降りるちゃんの隣に座った方がいいよね」
加えて、そう理屈を通せば、真奈美ちゃん、優香ちゃん、二人とも、もう何の反論もできないようだった。
それでも、もしかしたらちゃんのことを恨みがましく睨むかも…と伺っていると、
二人の顔がとろんと蕩けた。
どうやら、その視線は僕の方に向かっていて…僕の顔に見惚れているのだと気が付いた。
無意識に、僕は自分の頬を触ってしまった。
僕のこの顔は、整ってると何度も褒められてきた。自覚していた。
でも、笑いかけるだけで、こんなにごねていた女の子がうっとりするなんて。
顔が整ってるって、そんなに"いい"ことなのかな?
「ちゃん、帰ろうか」
僕はちゃんの方を振り返って、言った。
「うん、帰ろう月くん」
そしてちゃんが歩き出そうとした時、少し考えてから、手を差し伸べてみた。
それから、ちゃんの一挙手一投足を観察してみる。
ちゃんはきょとんとして、僕の手をただ見つめるだけで、真奈美ちゃんたちみたいに、嬉しそうにはしなかった。
なんとなく分かっていたけど。予想通りだったことが少しだけつまらなくて、けれど同時に僕は安心もしていた。
幼馴染の女の子にまで、ベタベタ、うっとりしながら、すり寄られたくはなかったから。
「どうしたの?」
「なにが?」
「手、つながなくても帰れるよ」
ちゃんは本当に不思議だったみたいで、首を傾げながら僕の手をじっと見ていた。
僕はさも最初からそのつもりであったかのように、自然とその場を繕う言葉を口にしていた。
「最近、この辺りで変質者が出没してるんだって、父さんが言ってた。結構陰湿で、問題になってるらしい」
「へんしつしゃ…」
ちゃんはぼんやりとしながら、その六文字を復唱した。
意味がわからなかったのかもしれない。ちゃんは年の割に賢いと思う時もあるけど、今みたいに、年相応だと思う時も少なくない。
僕は妹に接するように、優しく説明してあげた。
「こわいひとのことだよ。子供を狙って、捕まえて、ひどいいたずらをするんだ。だからちゃんも気をつけてね」
「わかった。月くんも気をつけてね」
「もちろん。その変質者、男も女も見境ないみたいだからね」
──その時は、まさか自分達がその変質者に誘拐されるなんて、思ってもみなかった。
口も目も塞がれて、車に乗せられた。
どこかのアパートか、マンションの一室に連れられて、一日はそのまま放置された。
僕達がバスから降りて、自宅に向かうまでの僅か一瞬でしてやられた。
ここがどこなのか、情報を一切開示させない。素早く手慣れた手口だった。
父さんは、この変質者…誘拐犯による誘拐殺人は、明るみに出ているだけで二件、関連があるとみられる失踪が一件、つまり少なくとも三件であると見ていたけど、
僕はそれ以上の数をこなしているんじゃないか、そんな風に感じていた。
誘拐されてから二日目の朝、目出し帽をかぶった男が監禁部屋の扉を開けて入ってきたかと思うと、乱暴に猿轡を外した。
何か意図があるのか、それとも僕たちがずっと暴れず静かにしていたから、問題ないと思ったのか──
ちゃんがケホケホと、隣で咳き込んでいたので、咄嗟に声をかける。
「ちゃん…大丈夫?」
「うん…月君は、怪我してない?」
ちゃんは少し顔色が悪かったけど、それでも取れ乱すことなく、冷静だった。
僕はその様子にほっと安心した。
ここで一番やってはいけないのが、犯人を刺激するようなこと…馬頭したり、泣いたり、騒ぐこと。
こんな状況におかれてはパニックになるのも当然だけど、だとしても落ち着いてもらわなければ困るのだ。
ちゃんはその点、僕がなだめなくても大丈夫そうだ。
「こういう時の対処法は、父さんから聞いてる──だからちゃん、僕の言う通りに、落ち着いていてね」
「うん、わかった。どうしたらいいのか教えて」
僕が父さんから聞いていた対処法を一つ一つ話していると、隣の部屋から物を投げつけるような破壊音が聞えた。
それから、続いてテレビのニュースの音が聞えてきた。
『〇〇市〇〇町に住む児童二人が誘拐されるという事件が発生しました。近隣住民の目撃情報から、事件が発覚しました。』
『ほ、ほんとうに一瞬のことで、なにがなんだか…とにかく、瞬く間に口をふさいで車に連れ込んで…す…すごく手慣れてる感じがしました…』
『誘拐されてから二日目の今日、警察はこの事を受け──』
「クソックソ…!なんで見てんだよぉ!!!今まで誰にも見られたことなんてなかったのに!何が悪かった?なにを見落とした!?」
男が叫ぶと、またガシャンと物が投げつけられる音がする。
目撃者がいたんだ…よかった。子供達が失踪しただけでは、=連続誘拐犯の犯行とは結び付けられるはずもなく、捜索と物証探しに何日時間がかかったやら。
僕達は運がよかった。僕達の失踪は最短で事件と見なされ、連続誘拐犯の犯行の可能性が濃厚として、警察はもう動き出してくれただろう。
「…ちゃんは、大人しくしていてね。僕がなんとかするから」
「うん」
「いい子だね」
だけど、ただ助けを待ってるだけなんて、僕にはできない。
かといって、犯人に立ち向かうつもりはない。
何か打開策を練るんだ。人間には、思考するための脳がある。
現在地がどこにあるとか、この拘束を解く方法はないかとか、交渉の余地があるかとか、外部への連絡手段はないかとか…
そんな事を考えるために、知能が備わっているのだ、無駄に恐怖で思考停止してる暇はない。
とにかく、僕がなんとかしなきゃいけない。
警察が動き出したという事実はプラスでありマイナスだ。
男は「今まで見られたことがなかった」と騒いでいたし、初めてしくじった事で、
僕達を早々に殺して、証拠となる僕達の死体を、遺棄してしまうかもしれない。
警察がなんとかしてくれると思うな、僕が──。
──そんな僕の思惑は、その通りにはならなかった。