第3話
1.人間的な恋─少年少女は逆転する
「うん…母さん…こっちで上手くやってるよ。母さんの言う通り日当たりのいい部屋をえらんだし、母さんが気にしてた風水も…ほら、カーテンは緑色だし、絨毯は青にした。それに"教祖様"は、オレには営業職があってるっていったんだろ?その通りだったよ、昇進が決まったんだ、あと、ほら、今月の給料も送金したし…え?足りない…でも…いや…うん…わかった、でも…っ…ごめん、そう…だよね。じゃあ、また送るから…」
ガシャン、と何かが床に落ちる音がした。誘拐犯は、隣の部屋で母親と電話していたらしい。
その電話が切れて、部屋は静まり返った。わずかに空いたドアの隙間から、誘拐犯のシルエットが見える。その奥には、大きな本棚がある。
暗い部屋の中で、犯人蹲り、静かに声を押し殺して泣いていた。
大の大人が声も上げずに泣く姿は、なんともいえない哀愁があり、とても居た堪れない。
私達が見守る中、ぽつと一言こぼした。
「…母さんは身勝手だ…ほんと、ばあちゃんにそっくりだよ……」
そのあとしばらく嗚咽が聞えていたけれど、ひとしきり泣き終わると、気が済んだのか、犯人はゆらりと立ち上がった。
そして、この部屋の扉を開いた。
「えらべ」
犯人は、徹底して被っていた目隠し帽を、もう被っていなかった。
月くんはそれをみて息を呑んだ。きっとわかったんだ。賢いから。
誘拐犯は、もう覚悟を決めたんだと。
"わたしたちを殺す"とい決意を固めたから、素顔を晒したのだと。
「今までの子たちにも、選んでもらってたんだ。必ず二人一組でさらってさ…どちらが先に俺のところにくるか、決めてもらってた」
「……お兄さんのところに行くと、どうなるの?」
「どうなるとおもう?ぼうや」
犯人は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を歪めて笑った。
月くんは眉を顰めて、初めて余裕のない顔をみせた。
必ずどうにかしてやる、自分こそが犯人を出し抜く。それまではそんな風に、虎視眈々と、強気で機会を待ち続けていた。
その余裕が初めて崩れた。もうタイムオーバーだと気が付いてしまったのだ。
犯人を挑発しないように大人しくしていろと、口酸っぱく言われてきた。
けれどここまできたら、もうそれも無意味なのだろう。
私は少し考える。
本当に、もう後がない状況だ。映画なら、間一髪のところで警察官が突入してきて、救助してくれる。
でもそうでない場合は、このまま騒ごうが、大人しくしていようが、殺されるだけだ。
多分…"いたずら"をされてから。
でも夜神月は、絶対に物語の主人公なのだ。ここで死んでいいはずがない。
──いや、死ぬはずがない。
だとすると…私はここで、主人公夜神月の身代わりに死ぬモブAなのかもしれないと思った。
刑事になることを志していることからしても、そうとしか思えない。
幼少期に誘拐された時、救助が間に合わず、死んでしまった幼馴染の女の子がいた。
一方夜神月は間一髪のところで助かり、大人になって、正義感をより強めて立派な刑事になっていく。
──なんて物語的なストーリーだろう。もう、これしかない。
「──わたしがいきます」
「なっ…!ちゃん!?」
「月くんは、ここにいて。……大丈夫だから」
「な…にが、大丈夫なんだっ」
こんなに言葉を荒らげた月くんは見た事がない。やはり彼は、私が名乗り出たことで、自分が助かる…なんて安心するような、自分勝手な人間じゃない。
誘拐犯は「暴れたらすぐ殺すからな」と言って、私の腕と足の拘束をほどいた。
「最期の夜は、願いを叶えてやることにしてるんだ。だって、かわいそうだろ?こんな子供がさぁ、何も報われず、与えられず、救われず、満たされず…いたぶられてお終いなんてさぁ…」
私の手を引きながら、誘拐犯は隣の部屋につれて行った。
「ちゃんっだめだ!行っちゃだめだ!」
「月くん、大丈夫。…大丈夫」
──月くんは死なないから。だってあなたは主人公なのだから。
言葉には出来ない意味を含めて、必死に私の背中に叫ぶ月くんを振り返り、笑った。
そして月くんの絶望に染まった表情は、扉を閉ざされみえなくなる──
かと思いきや。
誘拐犯は、扉を今までと打って変わって、全開放した。
──見せつけて、絶望させるつもりなんだ。私も月君も、すぐに意図に気が付いた。
「最近、この辺りで変質者が出没してるんだって、父さんが言ってた。結構陰湿で、問題になってるらしい」
「こわいひとのことだよ。子供を狙って、捕まえて、ひどいいたずらをするんだ。だからちゃんも気をつけてね」
月くんの警告が頭に過った。陰湿。まさにその通りだ。
身を挺して守るようにトップバッターに名乗り出ても、結局、二人組の子供はどちらも殺される。今まで、惨たらしい状態で子供の遺体が見つかったけれど、犯人の手がかりは一向につかめていなかった。
計画的で陰湿で血も涙もない──と、思われている犯人。
実際その通りなのだけど。人を殺して甚振った事は、人道にも法律にも反する、罪で悪なのだけど。
だからと言って、ただむしゃくしゃしてやった、というような、無差別殺人などではなかった。
私は許されないことをしたこの人に、確かに同情していた。
「おねがいごとはなんだい?ちゃん」
極悪人も、顔がぐちゃぐちゃになるくらい、涙を流す。嗚咽をもらし、うずくまって起き上がれなくなる。
「毒親からの支配」「支配は連鎖する」「受け継がれるDNA」「洗脳された親と子」「血は争えないという証明」
そんなタイトルの本を、本棚いっぱいに並べてみたりもする。
「だってかわいそうだろ?何も報われず、与えられず、救われず、満たされず…いたぶられてお終いなんてさぁ…」
──この言葉は、多分誘拐犯が、自分自身に重ねて放った言葉なのだろう。
私は身体こそ子供だけど、中身は前世のある、大人だ。
学校で心理学を学ぶ機会もあったし、この手のサイコキラーが登場する犯罪映画もよくみた。
つまり何が言いたいかと言うと、今ある材料だけで、犯人の行動原理も、バックグラウンドも、全てつかめたという事。
だとすれば、私が主人公・夜神月のためにしてやれることは──
救出までの時間稼ぎだ。
死ぬのが怖くないわけではない。ましてや、無残に甚振られるなんて。
けれど、一度死んで、生まれ変わったという事実がある以上、たぶん来世もあるだろう、と呑気に思ってる。
月くんにはかわいそうだけど、将来刑事になろうと強く決意したきっかけとなる出来事──幼馴染の少女Aになれるなんて、ちょっと名誉なことかもね。なんて考えたり。
あとは…もしかしたら──うまくいけば。少しだけ。最期に、誰かに優しくできるかもしれない。
「わたし、今夜はぐっすり眠りたい。ずっとしばられて、よく寝れなかったから」
「………は?それが最期の望み?…お母さんに会いたいとか、うちに帰りたいとか、お腹すいたとか…そういうのないわけ?」
「うん。だって、帰れないよね?わかってる」
「………」
「だから、叶えてもらえるお願いってなんなのか、考えてみたの」
「……まあ、いいけど」
「あ、あとね。最期に本も読みたいな。本棚の本読んで、眠くなったら眠りたい。それでもいい?」
「……いいよ。べつに」
誘拐犯は、なんとも形容しがたい顔をしていた。喜怒哀楽のどれでもない。
今抱いてる感情は、どこにも根ざしていない。どこか座りの悪そうな様子で、私のお願いを許容した。
「…でも、月くんとは一緒に寝れないからね?あの子はあのままだ」
「それでいいよ。お兄さん、一緒に寝てくれる?わたし、一人じゃ寝れないの」
「……こわくないの?おまえ」
「ええと…こわいのは、今のこと?お兄さんと寝ること?」
「……」
「今も、お兄さんと寝るのも、怖くないよ。でも、今夜が終わったら、ちょっとこわくなるかも」
言いながら、私は本棚に歩み寄った。
月くんは、多分となりの部屋からそれを見ている。何も言わないのは、私は見放したからでも、怖いからでもない。
ただ利口なのだ。この幼さで、騒げば、状況が悪転するだけとわかってる。
──本当に、光栄だ。こんなにすごい主人公の糧になって死ねなんて。
私は一冊本を選んだ。
「支配は連鎖する」という本を手に取ると、誘拐犯の顔が歪んだ。
けれど、何も言わなかった。
青い絨毯があり、ローテーブルがあり、テレビがあり、その隣に本棚がある
ベッドは、緑のカーテンがかかった窓際。
私はベッドに転がって、犯人もそこに寝転んだ。
サイコキラーのポリシーというやつがあるに違いない約束は、守るつもりなのだ。
「支配からは逃れられない…虐待された子供はやがて親になり、子供を虐待する。そしてまたその子供もやがては親になり…」
「…おまえ、読めるのか。そんな難しい本」
「読めるよ。本を読むの、大好きなの」
「……そう……」
私はうつ伏せになりながら本を読む。犯人は、私に背を向けて寝ころがっていた。
どんな顔をしているのかはわからない。ただ、その声色でなんとなくわかる気がする。
「負の連鎖はいずれ断ち切れるって、この本には書いてないんだね」
「…ああ、書いてない。書いてある本もあるけど…この家にはない」
「どうして?」
「……気に食わないからさ。ただのきれいごとだ」
「たしかにそうかも。そういう事例もあるのかもしれないけど…100%じゃないなら、きれいごとにしか聞こえないよね」
私がしみじみと得心がいったように頷くと、犯人は少し身じろぎした。
口を開いて、何かを言おうとする気配があって…また閉じて。
その繰り返しをして、やっと一つの問いかけをした。
「……お前も、親に虐待されてんの…?」
恐る恐る、といった様子で投げかけられたその問いに対する解は、「否」である。
けれど、「是」でもある。
この誘拐犯ほど深刻なものではない、あり触れたものではあるけれど、前世では確かに、虐待をされていたといっても間違いはない。
そして確かに負の連鎖というのは存在していた。
前世の親は、その親に虐待をされていて、自然の親の在り方を真似るように、私という子供に体罰を与えていた。
結局、早い段階で所謂負の連鎖、というやつは断ち切れて、円満な家庭に変わったのだけど──
ここで犯人が求めているのは、同じ境遇にいる人間からの「是」だけだ。
家庭に恵まれた人間が、本を読んでわかったようになっている姿なんて、逆上させるだけ。
死の瞬間を速めるだけだ。
──なので。
「うん。お父さんもお母さんも、私をいじめるよ」
月くんが息を呑むのが聞えた。犯人は、「やっぱりか」と呟いた。
私の目的は"時間稼ぎ"。私はその目的に沿って、犯人の望む答えを紡ぎ続けた。
「100%じゃないけど、仮に…30%くらいの確率で連鎖は断ち切れるとして…私は、もしかしたら、運よく断ち切れるのかもしれない。でも、そんな保障ないよね」
「そうだな」
「じゃあ諸悪の根源…お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんを殺したらいいの?そんなこと、できないよね」
「……ああ、できない…できなかった…できない…」
「それでも、私達は幸せになったらだめなのかな?断ち切れなくて、根源も消えなくて、私達、ただ耐えるしかないの?」
「………そんなこと、認めたくない…………」
この時には、犯人は完全に私を同類として認めていて、対等な立場で会話をしていた。
殺す者と殺される者。その構図は完全に崩れていた。
今やってる事は、同じ境遇にある者同士の愚痴の吐きあい。もしくは、カウンセリング。
「死にたいなって思ったこと、あるよ。死んだら楽になるのかなって」
「…でも、できなかっただろ。俺だってそうだ」
「それってどうしてだとおもう?」
「誰だって死ぬのは怖いからさ」
「死は幸福への一歩じゃないって、気づいてたからだと思う」
「……」
「それをすることで救われるなら、どんなに怖くてもやったはず。でも、死ぬのはただ怖いだけ。…私達をいじめた人たちを喜ばせるだけ…」
「……、」
「だから、死ねないんだよね。私達の幸福は、辛くても悲しくても、痛くても…生きることでしか叶わない」
「ああ………」
犯人は…深く深く息を吸って、長い溜息をはいた。
「……その通りだな…」
そして泣きそうに震えた声で、同意した。
私はここで、目的を達成したと確信した。一つは、月くんのために時間稼ぎをすること。
一つは、最期に人に優しくすること。
隣で寝ころがる男は、震えていた。自分が腹の底に抱えて必死に隠していた絶望や失意を、私に同調・共感されていくうちに、認めた。「その通りだ」と。
「だから、あなたは生きてください。私はまだ5歳で…まだ5年しか辛い思いしてない。でも、お兄さんは大人だから、きっとずーっと長い間苦しかったんだよね。私よりもずーっとずっと」
「…」
「きれいごとは気に食わないって、言ってたけど…でもやっぱり、苦しんだ分だけ、いつか幸せになってほしいって、私、おもうよ」
犯人は、声も上げず、ただ背中を震わせていた。
同じ境遇にいる(と思っている)少女の発言は、まるで鏡に映る自分からの語り掛けのように感じたに違いない──
私が語った全ては嘘だけど、嘘ではない。私はかつてこの人の10分の1くらいの苦しみや葛藤を抱えた事があるし、苦しんでる人に、優しくしてあげたいと思った。
それが情状酌量の余地もないほど、凄惨な犯罪を犯した人間であっても。
「ねむくなってきちゃった…もう寝るね…おやすみなさい…」
私はそこで本を閉じて、ベッドサイドに置いてから、布団にもぐった。
声にならない泣き声…静かな嗚咽を聞きながら瞼を閉じているうちに、本当に眠くなってきて、そのまま眠りに落ちた。
目が覚める前に、眠っている間に…苦しまないよう殺してくれるといいな、と願いながら。
そして目が覚めたら──
「ちゃん…起きて…」
「……ん?」
「もう、大丈夫だよ…」
部屋の中にはいつの間にか沢山の警察官がいて、ベッドの周りを取り囲むようにして並んでいた。そして月くんはベッドに腰かけて、私の肩を揺らしていた。
そして私が目を開くと、手を握ってくる。
「犯人が、自首したんだ、電話で──」
月くんは目をきらきらとさせていた。それはさっきまで私を心配して、泣きそうに目を潤ませていたから?
緊張の糸が溶けて、安堵したから?
もうだめだという展開から逆転、凶悪犯が自首するという奇跡的な瞬間に立ち会ったから?
わからない──でも、私はどうやら役目を果たせたらしい。
それが物語に登場する、幼馴染の少女Aが取った行動、そして結末と一致しているかはわからないけど…
主人公は、死ななかった。
「よかったね」
それが嬉しくて、笑う。傍から見れば爽快感溢れる展開なのかもしれない。
けれど、私は少し後味の悪さ…切なさを感じていた。なので、もしかしたら笑顔がぎこちなかったかもしれない。
月くんは少し驚いたような顔をして、そして同じように笑った。
1.人間的な恋─少年少女は逆転する
「うん…母さん…こっちで上手くやってるよ。母さんの言う通り日当たりのいい部屋をえらんだし、母さんが気にしてた風水も…ほら、カーテンは緑色だし、絨毯は青にした。それに"教祖様"は、オレには営業職があってるっていったんだろ?その通りだったよ、昇進が決まったんだ、あと、ほら、今月の給料も送金したし…え?足りない…でも…いや…うん…わかった、でも…っ…ごめん、そう…だよね。じゃあ、また送るから…」
ガシャン、と何かが床に落ちる音がした。誘拐犯は、隣の部屋で母親と電話していたらしい。
その電話が切れて、部屋は静まり返った。わずかに空いたドアの隙間から、誘拐犯のシルエットが見える。その奥には、大きな本棚がある。
暗い部屋の中で、犯人蹲り、静かに声を押し殺して泣いていた。
大の大人が声も上げずに泣く姿は、なんともいえない哀愁があり、とても居た堪れない。
私達が見守る中、ぽつと一言こぼした。
「…母さんは身勝手だ…ほんと、ばあちゃんにそっくりだよ……」
そのあとしばらく嗚咽が聞えていたけれど、ひとしきり泣き終わると、気が済んだのか、犯人はゆらりと立ち上がった。
そして、この部屋の扉を開いた。
「えらべ」
犯人は、徹底して被っていた目隠し帽を、もう被っていなかった。
月くんはそれをみて息を呑んだ。きっとわかったんだ。賢いから。
誘拐犯は、もう覚悟を決めたんだと。
"わたしたちを殺す"とい決意を固めたから、素顔を晒したのだと。
「今までの子たちにも、選んでもらってたんだ。必ず二人一組でさらってさ…どちらが先に俺のところにくるか、決めてもらってた」
「……お兄さんのところに行くと、どうなるの?」
「どうなるとおもう?ぼうや」
犯人は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を歪めて笑った。
月くんは眉を顰めて、初めて余裕のない顔をみせた。
必ずどうにかしてやる、自分こそが犯人を出し抜く。それまではそんな風に、虎視眈々と、強気で機会を待ち続けていた。
その余裕が初めて崩れた。もうタイムオーバーだと気が付いてしまったのだ。
犯人を挑発しないように大人しくしていろと、口酸っぱく言われてきた。
けれどここまできたら、もうそれも無意味なのだろう。
私は少し考える。
本当に、もう後がない状況だ。映画なら、間一髪のところで警察官が突入してきて、救助してくれる。
でもそうでない場合は、このまま騒ごうが、大人しくしていようが、殺されるだけだ。
多分…"いたずら"をされてから。
でも夜神月は、絶対に物語の主人公なのだ。ここで死んでいいはずがない。
──いや、死ぬはずがない。
だとすると…私はここで、主人公夜神月の身代わりに死ぬモブAなのかもしれないと思った。
刑事になることを志していることからしても、そうとしか思えない。
幼少期に誘拐された時、救助が間に合わず、死んでしまった幼馴染の女の子がいた。
一方夜神月は間一髪のところで助かり、大人になって、正義感をより強めて立派な刑事になっていく。
──なんて物語的なストーリーだろう。もう、これしかない。
「──わたしがいきます」
「なっ…!ちゃん!?」
「月くんは、ここにいて。……大丈夫だから」
「な…にが、大丈夫なんだっ」
こんなに言葉を荒らげた月くんは見た事がない。やはり彼は、私が名乗り出たことで、自分が助かる…なんて安心するような、自分勝手な人間じゃない。
誘拐犯は「暴れたらすぐ殺すからな」と言って、私の腕と足の拘束をほどいた。
「最期の夜は、願いを叶えてやることにしてるんだ。だって、かわいそうだろ?こんな子供がさぁ、何も報われず、与えられず、救われず、満たされず…いたぶられてお終いなんてさぁ…」
私の手を引きながら、誘拐犯は隣の部屋につれて行った。
「ちゃんっだめだ!行っちゃだめだ!」
「月くん、大丈夫。…大丈夫」
──月くんは死なないから。だってあなたは主人公なのだから。
言葉には出来ない意味を含めて、必死に私の背中に叫ぶ月くんを振り返り、笑った。
そして月くんの絶望に染まった表情は、扉を閉ざされみえなくなる──
かと思いきや。
誘拐犯は、扉を今までと打って変わって、全開放した。
──見せつけて、絶望させるつもりなんだ。私も月君も、すぐに意図に気が付いた。
「最近、この辺りで変質者が出没してるんだって、父さんが言ってた。結構陰湿で、問題になってるらしい」
「こわいひとのことだよ。子供を狙って、捕まえて、ひどいいたずらをするんだ。だからちゃんも気をつけてね」
月くんの警告が頭に過った。陰湿。まさにその通りだ。
身を挺して守るようにトップバッターに名乗り出ても、結局、二人組の子供はどちらも殺される。今まで、惨たらしい状態で子供の遺体が見つかったけれど、犯人の手がかりは一向につかめていなかった。
計画的で陰湿で血も涙もない──と、思われている犯人。
実際その通りなのだけど。人を殺して甚振った事は、人道にも法律にも反する、罪で悪なのだけど。
だからと言って、ただむしゃくしゃしてやった、というような、無差別殺人などではなかった。
私は許されないことをしたこの人に、確かに同情していた。
「おねがいごとはなんだい?ちゃん」
極悪人も、顔がぐちゃぐちゃになるくらい、涙を流す。嗚咽をもらし、うずくまって起き上がれなくなる。
「毒親からの支配」「支配は連鎖する」「受け継がれるDNA」「洗脳された親と子」「血は争えないという証明」
そんなタイトルの本を、本棚いっぱいに並べてみたりもする。
「だってかわいそうだろ?何も報われず、与えられず、救われず、満たされず…いたぶられてお終いなんてさぁ…」
──この言葉は、多分誘拐犯が、自分自身に重ねて放った言葉なのだろう。
私は身体こそ子供だけど、中身は前世のある、大人だ。
学校で心理学を学ぶ機会もあったし、この手のサイコキラーが登場する犯罪映画もよくみた。
つまり何が言いたいかと言うと、今ある材料だけで、犯人の行動原理も、バックグラウンドも、全てつかめたという事。
だとすれば、私が主人公・夜神月のためにしてやれることは──
救出までの時間稼ぎだ。
死ぬのが怖くないわけではない。ましてや、無残に甚振られるなんて。
けれど、一度死んで、生まれ変わったという事実がある以上、たぶん来世もあるだろう、と呑気に思ってる。
月くんにはかわいそうだけど、将来刑事になろうと強く決意したきっかけとなる出来事──幼馴染の少女Aになれるなんて、ちょっと名誉なことかもね。なんて考えたり。
あとは…もしかしたら──うまくいけば。少しだけ。最期に、誰かに優しくできるかもしれない。
「わたし、今夜はぐっすり眠りたい。ずっとしばられて、よく寝れなかったから」
「………は?それが最期の望み?…お母さんに会いたいとか、うちに帰りたいとか、お腹すいたとか…そういうのないわけ?」
「うん。だって、帰れないよね?わかってる」
「………」
「だから、叶えてもらえるお願いってなんなのか、考えてみたの」
「……まあ、いいけど」
「あ、あとね。最期に本も読みたいな。本棚の本読んで、眠くなったら眠りたい。それでもいい?」
「……いいよ。べつに」
誘拐犯は、なんとも形容しがたい顔をしていた。喜怒哀楽のどれでもない。
今抱いてる感情は、どこにも根ざしていない。どこか座りの悪そうな様子で、私のお願いを許容した。
「…でも、月くんとは一緒に寝れないからね?あの子はあのままだ」
「それでいいよ。お兄さん、一緒に寝てくれる?わたし、一人じゃ寝れないの」
「……こわくないの?おまえ」
「ええと…こわいのは、今のこと?お兄さんと寝ること?」
「……」
「今も、お兄さんと寝るのも、怖くないよ。でも、今夜が終わったら、ちょっとこわくなるかも」
言いながら、私は本棚に歩み寄った。
月くんは、多分となりの部屋からそれを見ている。何も言わないのは、私は見放したからでも、怖いからでもない。
ただ利口なのだ。この幼さで、騒げば、状況が悪転するだけとわかってる。
──本当に、光栄だ。こんなにすごい主人公の糧になって死ねなんて。
私は一冊本を選んだ。
「支配は連鎖する」という本を手に取ると、誘拐犯の顔が歪んだ。
けれど、何も言わなかった。
青い絨毯があり、ローテーブルがあり、テレビがあり、その隣に本棚がある
ベッドは、緑のカーテンがかかった窓際。
私はベッドに転がって、犯人もそこに寝転んだ。
サイコキラーのポリシーというやつがあるに違いない約束は、守るつもりなのだ。
「支配からは逃れられない…虐待された子供はやがて親になり、子供を虐待する。そしてまたその子供もやがては親になり…」
「…おまえ、読めるのか。そんな難しい本」
「読めるよ。本を読むの、大好きなの」
「……そう……」
私はうつ伏せになりながら本を読む。犯人は、私に背を向けて寝ころがっていた。
どんな顔をしているのかはわからない。ただ、その声色でなんとなくわかる気がする。
「負の連鎖はいずれ断ち切れるって、この本には書いてないんだね」
「…ああ、書いてない。書いてある本もあるけど…この家にはない」
「どうして?」
「……気に食わないからさ。ただのきれいごとだ」
「たしかにそうかも。そういう事例もあるのかもしれないけど…100%じゃないなら、きれいごとにしか聞こえないよね」
私がしみじみと得心がいったように頷くと、犯人は少し身じろぎした。
口を開いて、何かを言おうとする気配があって…また閉じて。
その繰り返しをして、やっと一つの問いかけをした。
「……お前も、親に虐待されてんの…?」
恐る恐る、といった様子で投げかけられたその問いに対する解は、「否」である。
けれど、「是」でもある。
この誘拐犯ほど深刻なものではない、あり触れたものではあるけれど、前世では確かに、虐待をされていたといっても間違いはない。
そして確かに負の連鎖というのは存在していた。
前世の親は、その親に虐待をされていて、自然の親の在り方を真似るように、私という子供に体罰を与えていた。
結局、早い段階で所謂負の連鎖、というやつは断ち切れて、円満な家庭に変わったのだけど──
ここで犯人が求めているのは、同じ境遇にいる人間からの「是」だけだ。
家庭に恵まれた人間が、本を読んでわかったようになっている姿なんて、逆上させるだけ。
死の瞬間を速めるだけだ。
──なので。
「うん。お父さんもお母さんも、私をいじめるよ」
月くんが息を呑むのが聞えた。犯人は、「やっぱりか」と呟いた。
私の目的は"時間稼ぎ"。私はその目的に沿って、犯人の望む答えを紡ぎ続けた。
「100%じゃないけど、仮に…30%くらいの確率で連鎖は断ち切れるとして…私は、もしかしたら、運よく断ち切れるのかもしれない。でも、そんな保障ないよね」
「そうだな」
「じゃあ諸悪の根源…お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんを殺したらいいの?そんなこと、できないよね」
「……ああ、できない…できなかった…できない…」
「それでも、私達は幸せになったらだめなのかな?断ち切れなくて、根源も消えなくて、私達、ただ耐えるしかないの?」
「………そんなこと、認めたくない…………」
この時には、犯人は完全に私を同類として認めていて、対等な立場で会話をしていた。
殺す者と殺される者。その構図は完全に崩れていた。
今やってる事は、同じ境遇にある者同士の愚痴の吐きあい。もしくは、カウンセリング。
「死にたいなって思ったこと、あるよ。死んだら楽になるのかなって」
「…でも、できなかっただろ。俺だってそうだ」
「それってどうしてだとおもう?」
「誰だって死ぬのは怖いからさ」
「死は幸福への一歩じゃないって、気づいてたからだと思う」
「……」
「それをすることで救われるなら、どんなに怖くてもやったはず。でも、死ぬのはただ怖いだけ。…私達をいじめた人たちを喜ばせるだけ…」
「……、」
「だから、死ねないんだよね。私達の幸福は、辛くても悲しくても、痛くても…生きることでしか叶わない」
「ああ………」
犯人は…深く深く息を吸って、長い溜息をはいた。
「……その通りだな…」
そして泣きそうに震えた声で、同意した。
私はここで、目的を達成したと確信した。一つは、月くんのために時間稼ぎをすること。
一つは、最期に人に優しくすること。
隣で寝ころがる男は、震えていた。自分が腹の底に抱えて必死に隠していた絶望や失意を、私に同調・共感されていくうちに、認めた。「その通りだ」と。
「だから、あなたは生きてください。私はまだ5歳で…まだ5年しか辛い思いしてない。でも、お兄さんは大人だから、きっとずーっと長い間苦しかったんだよね。私よりもずーっとずっと」
「…」
「きれいごとは気に食わないって、言ってたけど…でもやっぱり、苦しんだ分だけ、いつか幸せになってほしいって、私、おもうよ」
犯人は、声も上げず、ただ背中を震わせていた。
同じ境遇にいる(と思っている)少女の発言は、まるで鏡に映る自分からの語り掛けのように感じたに違いない──
私が語った全ては嘘だけど、嘘ではない。私はかつてこの人の10分の1くらいの苦しみや葛藤を抱えた事があるし、苦しんでる人に、優しくしてあげたいと思った。
それが情状酌量の余地もないほど、凄惨な犯罪を犯した人間であっても。
「ねむくなってきちゃった…もう寝るね…おやすみなさい…」
私はそこで本を閉じて、ベッドサイドに置いてから、布団にもぐった。
声にならない泣き声…静かな嗚咽を聞きながら瞼を閉じているうちに、本当に眠くなってきて、そのまま眠りに落ちた。
目が覚める前に、眠っている間に…苦しまないよう殺してくれるといいな、と願いながら。
そして目が覚めたら──
「ちゃん…起きて…」
「……ん?」
「もう、大丈夫だよ…」
部屋の中にはいつの間にか沢山の警察官がいて、ベッドの周りを取り囲むようにして並んでいた。そして月くんはベッドに腰かけて、私の肩を揺らしていた。
そして私が目を開くと、手を握ってくる。
「犯人が、自首したんだ、電話で──」
月くんは目をきらきらとさせていた。それはさっきまで私を心配して、泣きそうに目を潤ませていたから?
緊張の糸が溶けて、安堵したから?
もうだめだという展開から逆転、凶悪犯が自首するという奇跡的な瞬間に立ち会ったから?
わからない──でも、私はどうやら役目を果たせたらしい。
それが物語に登場する、幼馴染の少女Aが取った行動、そして結末と一致しているかはわからないけど…
主人公は、死ななかった。
「よかったね」
それが嬉しくて、笑う。傍から見れば爽快感溢れる展開なのかもしれない。
けれど、私は少し後味の悪さ…切なさを感じていた。なので、もしかしたら笑顔がぎこちなかったかもしれない。
月くんは少し驚いたような顔をして、そして同じように笑った。