第2話
1.人間的な恋そして物語は加速する

あっと言う間に私達は年長さんになった。


です。すきなのは、絵本を読むことと、公園であそぶことです。おともだちたくさんほしいです!よろしくおねがいします!」


初めての登園日、月くんと同じチューリップ組に振り分けられて、クラスのみんなに挨拶したのが、つい昨日のことのようだった。
ひとりひとり、前にでで自己紹介をした。
わたしは子供らしく振舞いながら、それでいて打算的な挨拶をしたのだった。
絵本を読むこと、とだけ言えば、根暗ととられかねない。公園で遊ぶこと、とだけ言えば、絵本を読むのが好きな子は寄ってこない。
友達がたくさんほしい!と公言すれば、どうやって友達を作ろうか、誰が友達になってくれるのか。心細く思っていたみんなも、声をかけやすくなる。
私は狙い通り、たくさんの子たちに「友達になろう!」と声をかけられて、
室内遊びが好きな子も、外遊びが好きな子も。色んな友達ができた。


月くんは、そんな私の打算を見抜いているのかいないのか。微笑ましそうに見守っていたのを覚えている。


「月くん!今日一緒にかえろうよ!」
「ずるい!わたしと一緒にかえってよー!」
「ごめんね、僕はちゃんと帰るから」
「なんでちゃんばっかり?」
「ずるい…」


一日が終わって、帰りのバスがやってくるのを園内で待つ間、空気がぴりついた。
月くんは打算的で友達を作った私とは違い、素で気さくな子なので、すぐに男女問わずたくさんの友達ができていた。
そして、外見も整ってる。子供ながらに、このころにはみんな外見の優劣に気が付いてて、
月くんは取り合いになっていた。
月くんは、あらゆる瞬間で、私を優先する節がある。それはうぬぼれではない。
打算で交友関係を上手く築いていなけば、私は村八分になっていたに違いない。
ここで空気がピリつくだけで済んでいるのは、一重に私に人望があったからである。

スクールカーストというものが、幼稚園にももう既に存在しているようだった。


「うちがお向いだからね。別々に帰るのも変だよね?真奈美ちゃんも優香ちゃんも、僕より先にバスから降りるから、それなら同じ時にバスから降りるちゃんの隣に座った方がいいよね」

にっこりと笑った月くんに、真奈美ちゃんも優香ちゃんも何も言えなかった。
それどころか、そのきらきらした笑顔に見惚れていたように思う。

私は月くんが友達として好きだったし、こんな子供なのに、もうきちんと礼儀正しくできる所を尊敬してる。
だけど、この魔性の子のような一面を見ると、少し引き気味になる。
将来がとても楽しみな、利発で利口な子。でもある意味では、不安になる子だった。
主に女性関係で問題が起こりそうで。今みたいに角を立てずに、ずっとスマートにかわせるのならいいんたけど…


ちゃん、帰ろうか」
「うん、帰ろう月くん」


月くんは私に手を差し伸べた。私はきょとんと、その手をただ見つめて、動けなかった。


「どうしたの?」
「なにが?」
「手、つながなくても帰れるよ」


初めて幼稚園にやってきた年少の日こそ、手を繋いで歩いたけど。
とっくにそんな事はしないようになっていた。
幼稚園児とはいえ、男女でそんなにベタベタする子も、中々いないし。
しかも、毎日そんな事をしていたら、それこそ真奈美ちゃんも優香ちゃんも、隣の組の里香ちゃんも由紀子ちゃんも、絶対に怒る。


「最近、この辺りで変質者が出没してるんだって、父さんが言ってた。結構陰湿で、問題になってるらしい」
「へんしつしゃ…」

なるほど、それで用心のために、手を繋いで帰ろうとしたわけだ。
私は一人で納得したけれど、月くんは私が"変質者"の意味がわからなかったと思ったようだった。


「こわいひとのことだよ。子供を狙って、誘拐して…、ひどいいたずらをするんだ。だからちゃんも気をつけてね」
「わかった。月くんも気をつけてね」
「もちろん。その変質者、男も女も見境ないみたいだからね」

私達はもう年長だ。つまりは5歳。来年の春には小学一年生になる。とはいえ、
5歳児が"陰湿"とか、"見境がない"なんて使うのかな。
月くんはお父さんが刑事さんで、将来の夢はお父さんと同じ警察官になる事らしい。
だから、普通の子より大人びてる可能性も…
いや、隣の組に、両親ともに警察官だという男の子がいたけど、いたって平均的な幼稚園生だった。
やっぱり、月くんは主人公だから、こうなんだ。
月日が経つにつれ、だんだんと確信を強めていった。

だから──


ちゃん…大丈夫?」
「うん…月君は、怪我してない?」


足をロープでぐるぐるにしばられて、手も後ろ手にしばられて。
暗い部屋に拉致監禁されて。それでも月くんが気丈に、冷静に振舞っていることに、疑問すら抱かなかった。

「こういう時の対処法は、父さんから聞いてる──だからちゃん、僕の言う通りに、落ち着いていてね」
「うん、わかった。どうしたらいいのか教えて」


送迎バスは、自宅の前に止まる訳じゃない。かと言って凄く離れたところに停車するわけじゃなくて、近隣の子たちが平等に乗車しやすいスポットに停車して、効率よく拾っていくのだ。
夜神さんちのお母さんも、私のお母さんも、歩いて一分もかからない停車場にまで、わざわざ毎日迎えにはこなかった。
加えて、いつも"お利口な月くん"と一緒に帰ってくるのだから、何の心配もなく毎日帰宅するのを自宅前の玄関前で待っていたし、それで問題はなかった。
──今日までは…

あの角を左に曲がれば、月くんと私のうちがある通りに出る。お母さんたちの姿が見えて来る。
その角を曲がろうとしたその瞬間、私と月くんは後ろから口をふさがれた。
猿轡のように、布をかませられて、叫べない状態になって、すぐに道路に路駐されていた車に乗せられて、目隠しまでされた。
その間、僅か一分にも満たなかったはずだ。私達は、あっという間に"変質者"に誘拐されてしまった。


『〇〇市〇〇町に住む児童二人が誘拐されるという事件が発生しました。近隣住民の目撃情報から、事件が発覚しました。』
『ほ、ほんとうに一瞬のことで、なにがなんだか…とにかく、瞬く間に口をふさいで車に連れ込んで…す…すごく手慣れてる感じがしました…ナンバーまではとても見えなくて…っ』
『誘拐されてから二日目の今日、警察はこの事を受け──』

「クソックソ…!なんで見てんだよぉ!!!今まで誰にも見られたことなんてなかったのに!何が悪かった?なにを見落とした!?」



誘拐されてから三晩が経った。
目隠しを解かれたのは、つい昨日のこと。騒ぎ立てないでお利口にしていたら、猿轡も取ってくれた。
カーテンは閉められているし、移動中は目隠しをされていたし、ここがどこかはわからない。
犯人の顔もみてない。犯人は、いつも目出し帽をかぶっているから、顔もわからない。
それでも月くんは何か手がかりがないかと常に観察していたし、助けを待つだけでなく、抜け出す方法を模索していた。


ちゃんは、大人しくしていてね。僕がなんとかするから」
「うん」
「いい子だね」


月くんは、怖いと思わないのかな。妹がいるからか、まるで私を子供のように──実際子供なのだけど──自分より下の子に接するように私と会話した。
あくま解決するのは月くんで、私は戦力になるとも思われてない。怯えて騒ぎ立てせず、じっとしているのが私の仕事だ。
私は月くんが意図してる事もわかってた。月くんは刑事であるお父さんからの入れ知恵もあるし、賢いし、本当になんとかしてしまうのかもしれない。


だけど──私はその通りにする事ができなかった。


2025.8.21