第29話
2.神の恋─儀式的なテニス
中学生チャンピオン…全国一位だった実績を持つ僕に、流河が試合を申し込んできたときは、一体どんなつもりかと訝しんだ。
「流河、親睦を深める為にテニスって…僕の実力知ってて言い出したのか?」
「大丈夫です夜神くん、私はイギリスのJr.チャンピオンだった事があります」
どうやら僕に挑む流河旱樹も、同等の実力を持っているらしい。
どういう意図で挑んだのか知らないが、レベル差があり、一方的に僕に打ちのめされる展開になったなら、何の得にもならないだろう。
だとすれば、流河にも自信があるのかもしれない、とは踏んでいた。
表面上は和やかに、しかし裏では探り合いをしている僕たちとは相反して、はにこにこと笑っていた。
風がふくと、桜の木の枝がしなり、小さな桜吹雪を巻き起こす。
こんな穏やかな春の日に、「親睦を深めるためのテニスがしたいです。よろしければさんも見に来てください」
なんて言って、流河はもこの場に来させるよう、用意周到に巻き込ませた。
はといえば不審がることもなく、二つ返事で了承していた。
中学生の頃から、僕の試合を見に来るのが好きだったので、久しぶりに機会に恵まれて喜んでいるのだろう。
中学まででテニスをやめると宣言した事で、誰よりも残念がっていたのはだった。
「二人共頑張ってね。まだ春だけど、今日すごく天気がいいから…熱中症になるのもありえなくはないし」
「ありがとうございます、さん。気を付けます」
「流河はどんどん接近してくるだろう。でもその度に、律義に親切に相手をしなくていい」
そう言ったのにも関わらす、はこいつ…流河旱樹…L相手にも丁寧に接することをやめない。
誰にでも優しく礼節を尽くすところはの美徳であり、最大の欠点だ。
そうして誰にでも笑いかける度に、見惚れられている事に何故気が付かない。
自分の行動に自覚がない分、わかっていて男を弄ぶ悪女より性質が悪い。
短所であるけれど、しかし長所でもある。であれば、それを矯正しようとする男は、俗にいう…嫉妬深く束縛の彼氏でしかないだろう。
僕はそんなみっともない男にはなりなくなかったし、を縛って嫌われたくもない。
けれど腹が立つのは抑えられなくて、何も言えず、コートへ向かおうと踵を返した。
──しかし…イギリスか。
ここで「国籍はイギリス?」とでも聞けばキラだから探りを入れてると思うのか?
まあ、いいや…試してみるか。
「流河はイギリス育ち?」
「イギリスには五年ほど住んでいましたが、安心してください。そこからLの素性が割れるような事は絶対にありません」
ああ、そう…。
いつもの流河らしい、飄々とした切り返しをされて、思わず白けた。
「では6ゲーム1セットを先取した方が勝ちでいいですね?」
「わかった」
「そして勝った方が、さんの差し入れを手に入れる権利が得られるという訳です」
「………流河。そんな後出しの約束にまで頷いた覚えはないぞ」
「つまり、夜神くんは私に勝つ自信がないという事ですね?」
「……はは、そんなにわざとらしい挑発をしてもだめだよ、流河」
「そうですか、残念です」
はこのやり取りや僕の態度に、何か思うところがあったのか、どこか困ったように表情を変えて、落ち着かない様子で見守っていた。
そして今度こそ流河と二人でコート内に踏み込み、ラケットを手に構えを取った。
まさか親睦目的といった遊びのテニスで、僕の性格がキラ的か分析する気でもないだろう。
そんなに事を考えているうちに、流河が打ち込み、いきなり点を勝ちとった。
とても素人の動きではなかったし、間違っても親睦も目的の"お遊び"でやる動きでもなかった。
「15-0です」
「おいおい流河、いきなり本気かよ」
「先手必勝です」
ああ、そう…。また白けつつ、本気で踏み込み、打ち込まれた球を取りこぼさぬよう、考える。
ムキになって勝ちにいくとキラっぽい…か?だからといってわざと負ければキラっぽいと思われるからわざと負ける所がまたキラっぽい──だろ?
──結局同じ事。あいつもこのテニスでプロファイルなんてする訳がない。
このテニスの目的は他にある。
──だからテニスでも僕が勝つ。
「ゲームカウント、4-4」
「ククッいつの間にか審判やラインズマンまでいるぞ」
審判、ラインズマン、野次馬たち。賑やかになっていくコートをみて、背後でリュークが笑っている。
「安永先輩!夜神月ってどこかで聞いたことあると思って調べたら…!1999年と2000年の中学生チャンピオンです!中3の時「遊びは中学まで」と宣言し、それっきり何の大会にも出ていません…!」
「中学の全国一位か…どうりで…」
「すげーな…」
「ねーねーじゃあその中学生チャンピオンと五角以上に戦ってる流河くんって何なの?」
「京子あんた…」
「それが流河の資料は何も見つからないんだ…」
「み…認めないぞ…」
「えっ?」
「運動神経抜群の上東大にトップ入学なんて…しかし是非我がサークルには入ってもらおう…」
「……」
野次馬たちの声がうるさい。耳障りだ。どうせ聞くならの声がいい。
声に出して応援してもらえたら、どれだけ嬉しいか…。
けれどの目立つのが嫌いな性格を考えると、それは難しいとわかっていた。
だから今も、声に出さず、手を胸元で組みながら、心の中だけで「月くん、がんばれ」と祈ってくれてる。
は流河がLであると自称したりして、普通じゃない事は理解している。
けれど本気で、そういう立場であるからこそ、親睦を深めようとテニスをしているのだと信じているかもしれない。人を疑うのが嫌いならしい。
けれど──こんなテニスで親睦が深まるはずがないんだ。
これはお互いが「深まった」と了承しあう為の儀式だ。
このテニスが終わると同時にあいつはキラ事件に触れてくる。
夜神月にキラしかしらない事を言わせようと。しかしキラと事件の話をするのなら少なくとも今、キラ事件の指揮を執っているのがあいつである事の証明を夜神月が求めるのは必然だ。
そして──捜査状況を知る事で僕は有利に立てると共に、夜神月が知り得ないキラ事件情報を口走る事は激減する。
僕が先にあいつに言うべき事は──
「捜査本部に連れていく事」。やはり勝つには先手を打つ事だ。
どんな事でも守っているだけでは勝てない。勝つには攻める事──!
「ゲームセット、ウォンバイ夜神6-4!」
「………さすが夜神くん、負けました…」
「僕も久しぶりに本気を出したよ、流河。…喉もかわいたし、流河に頼みたい事もあるから…この後お茶しないか?」
「ゲームに負けた事ですし聞ける事なら聞きましょう」
ネット越しに握手をかわしながら喋っていると、フェンス越しに小さく手を振るの姿が見えた。
沢山いる野次馬の中に、小さなが埋もれている。
それでも僕は、のことなら、すぐに見つけられる。
「…?…ああ」
僕がふっと視線を向こうにやったので、流河も追いかけるような視線を動かした。
そしてその視線の先に、手を振るの姿を見つけて、納得したような声をこぼす。
「夜神くんはさんの事をよく見てるんですね。…よくあの人ごみの中から見つけられましたね。あんなに控えめな位置に立つさんを…」
「が僕の試合を見に来るのは初めてじゃないからね。がどういう所で見るのかの傾向くらい、なんとなくわかるんだよ」
荷物を持ちながら、額を伝う汗を手の甲で拭い、フェンスをくぐり、コート外へと出て来いく。
すると、はすぐに僕達の元へ駆け寄ってきて、「おつかれさまっ!」と声をかけた。
「二人ともすごくかっこよかったよ!私、あんまりテニスのことわからないんだけど…でも、目が離せなかった」
「あんなに何度も僕の応援に来てくれてたのに…はいつになったら覚えてくれるのかな?」
はテニスという競技に興味があるんじゃない。"僕が"試合をする姿に興味があって、
それを見るのがすきなだけなのだ。
だからいつまでも競技について理解を深めないを口ではからかいつつ、むしろそれが嬉しいとすら思っていた。
僕だけに夢中な。なんて甘美な響きだろう。
くすくすと笑いながら、すっと手の平を上にして、の方に伸ばしてみた。
不本意に取り付けられた約束だったけれど、今は乗っかっておこう。
この"親睦のテニス"の勝者には、ご褒美が待っているはずだ。
僕が伸ばした手の意図を察したは苦笑いしつつ、僕の手の平の上に自分の手を乗せると、ぐぐっと下げさせた。
そしてぱっと僕を見上げる。
「月くん、……」
「…?どうしたの」
何かを言いかけて、しかし途中で他の言葉を探してる。どうしたのだろうと、様子を伺うように視線を合わせると。
「…………かがんで、くれる?」
「え?……ああ、そういうこと…」
これでも少しかがんだつもりだったのに、更にかがめと言われるとは思わず、意表を突かれた。
けれどすぐにそのお願いの意味するところを察し、僕は笑った。
僕はの仰せの通り、のやりやすいよう、首を垂れてやる。
「おつかれさま」
は鞄から取り出したタオルを僕の首に回すと、そのままタオルの両端を握り、
僕の額や米神に伝う汗をぼんぽんと拭ってくれた。
中学生の頃は、まだ身長差もそんなになくて。するりと近づいてきては、至極自然な動作で、こうやって僕の汗をぬぐってくれたっけ。
高校生になってからは、に応援にきてもらうような類のスポーツはしていない。
179cmの男の汗を拭うのは、それは難しいはずろう。
いつの間に、こうしてかがんでやらないと、拭ってもらえくなっただろうか。
昔からの恒例行事。やっている事は変わらないのに、何かが大きく変わったような気がして、感慨深かった。
そんなことを考えていると。
「きゃーっ!!?」
「いやーっ!わたしもあんな事したーい!されたーい!」
「うぉぉお羨ましすぎんだろーが!!」
「俺が甲子園まで連れてってやっからー!!」
黄色かったり野太かったりする悲鳴があちこちから上がり、は可哀そうに、ビクりと震えていた。
何が何やら、と言った不安げな様子で周りを見渡すので、肩に手を置いて、僕に注意をむけさせた。
「気にしなくていいから」
「で、でも…」
「みんな試合に興奮してるだけだから。ね?」
そうして多少無理繰りに視線を合わせさせ会話していると、少し落ち着いたらしい。
「中学生の頃はまだ、背伸びすればタオルかけてあげれたのに…こんなにおっきくなってたんだね。大学生だもんね」
さらりと、最後に汗でしめった僕の髪を撫でると、はタオルから手を離し、少し距離を置いた。
もう屈まなくてもいいよ、というお許しが出たので、僕も体を離して、自分で汗を拭う。
そんなの額にも、じんわりと汗がにじんでいた。
今日は天気にも恵まれている。四月ともなれば、肌寒さとも無縁になってきて、こうして陽の下で長時間立っていれば、暑くもなるだろう。
それに、試合をしていなくても、ずっと真剣に応援していたは、それはそれで体力を消耗したことだろう。
首筋に伝う汗が見えて、拭ってやりたい、という衝動がわいた。それを必死でおさえながら、少し視線をそらす。
無邪気な女性がタオルで男の汗を拭うのと、いい年した男が女性の首筋を指でなぞるのでは、意味が違ってくる。
そんなやり取りをじーっと見ていた流河が、「夜神くん、うらやましいです」と言ってきた。
「こんなにステキな幼馴染に応援してもらえるなんて」
「流河くんの事も応援してたよ。はい、これどうぞ。レモネードは飲めますか?」
「いいんですか?これは勝者へのご褒美のはずなんですが…」
「えー…、うーん…なんだか、そんな話になってたみたいだけど…。…でも、試合って一人でするものじゃない…です、よね?」
「敬語はなしでかまいません。それで?」
流河はキッパリと言い切り、が話しやすいようにさせた。
「あ、はい、うん…なのに、一人分しか差し入れの用意しない人なんているのかな…?」
「そうですね…世の中のほとんどの人が、一人分の差し入れしか用意しないでしょうね」
「………えっ?」
「…流河、はこういう人間だから、あまり変な詮索はしないでくれ。何を聞いても、大抵今みたいに、「え?」って帰ってくるだけだろうから」
「…月くん、私のことバカにしてる…?」
「ほめてるんだよ、気にしないで」
昔から、僕が試合すると聞く度に応援に駆けつけてきた。
そして毎回、対戦相手の分まで、飲み物の差し入れを用意して差し出していた。
「おつかれさまです。かっこよかったです」
そんな労わりの言葉を投げかけ、笑顔をみせて。
それで勘違いした男が何人いただろう。ぬか喜びさせる時間は束の間でいい。
時には、「、タオルくれる?」なんて言って催促してみせて、自然とに僕の汗を拭わせた。
そうやって僕達の関係性を見せつけて、勘違いから抱いたときめきを、恋に昇華させる前に、何度も殺してみせた。
「対戦相手にまで挨拶とか、差し入れとか、そんなことしなくていい!」と何度かは止めた。けれど、は礼節というものを重んじる。
ここだけは譲れないところなのだろうと理解してからは、僕が上手く場をコントロールして対処すればいいだけの話なのだと悟り、余計な虫をつけないよう努めてきた。
「ちょっと場所を変えよう、さすがに人が集まりすぎた…」
「余計に人を集めたのは、夜神くん達ですけどね」
ちらりちらりと視線を送り、僕たちに話しかけたそうにしている野次馬たちの間を縫って歩き、僕は先陣を切ってコート他付近から立ち去った。
「しかし、お茶をしに行き話を聞く前に、私もひとつ言っておくべき事があります」
「何?」
「私は本当は夜神くんと…、…そしてさんのことを…キラじゃないかと疑っているんです。それでも聞ける事なら何でもお聞きします」
背中に投げかけられた言葉を聞いて、僕はぴたりと足を止めた。
振り返り、流河の方を見る。
「ははっ僕達がキラ?」
「いえ、疑ってると言っても一%くらいです。さんに限っては一%未満くらい…
それよりも夜神くんがキラでない事と素晴らしい推理力を持つ事を確信し、捜査に強力して頂けたらという気持ちです」
「1%くらい」か…うまい言い方だ。1%でも疑われてると言われてしまえばこっちの自由を奪われる。0%ではないのだから、僕が「捜査本部の者に会わせろ」と言っても駄目だという
釘を先に刺されたって事だ…
やられた…
それに僕だけじゃない。1%未満という言い方をしたとはいえ、この場でのことまでキラだと疑ってると宣言してのけた。
「おー…」
当のは、気の抜けた声をあげていて、ショックを受けた様子はないし、何かの疑念を抱いた様子もない。
それだけが救いだった。
「とにかくキラ事件の事を話すには人が多すぎます、まだ野次馬たちが後をついてきてますし…。…三人になれる場所に移動しましょう」
「ああ、こんなテニスまでしてより目立ってしまったみたいだしね」
「この黄色い悲鳴に関しては、私達のテニスのせいではありませんよ、夜神くん。……そうですよね?さん」
流河はわざわざ会話にを巻き込もうとする。
確かに三人でいる以上、をずっと無視して、話しかけないというのもおかしな話だ。
けれど会話をしているというより、流河のやり方は、「巻き込む」「餌にしている」と言った方が適切だ。
を餌にして、僕を揺さぶっている…そんな所だろう。
勿論僕がキラで、そしてはそんな僕の片棒を担いでいるのではないか…といった疑いを持っているのも、想像がついている。
僕が先入観を抜いて、客観的に考えても、"がキラである"というよりも、"夜神月がキラであり、がそれに加担している可能性がある"といった方が納得がいく。
は雑談を振りながら場を和ませ、しかし流河と僕は腹の中では探りを続けている。
そんなちぐはぐな調子のまま、喫茶店へと向かったのだった。
2.神の恋─儀式的なテニス
中学生チャンピオン…全国一位だった実績を持つ僕に、流河が試合を申し込んできたときは、一体どんなつもりかと訝しんだ。
「流河、親睦を深める為にテニスって…僕の実力知ってて言い出したのか?」
「大丈夫です夜神くん、私はイギリスのJr.チャンピオンだった事があります」
どうやら僕に挑む流河旱樹も、同等の実力を持っているらしい。
どういう意図で挑んだのか知らないが、レベル差があり、一方的に僕に打ちのめされる展開になったなら、何の得にもならないだろう。
だとすれば、流河にも自信があるのかもしれない、とは踏んでいた。
表面上は和やかに、しかし裏では探り合いをしている僕たちとは相反して、はにこにこと笑っていた。
風がふくと、桜の木の枝がしなり、小さな桜吹雪を巻き起こす。
こんな穏やかな春の日に、「親睦を深めるためのテニスがしたいです。よろしければさんも見に来てください」
なんて言って、流河はもこの場に来させるよう、用意周到に巻き込ませた。
はといえば不審がることもなく、二つ返事で了承していた。
中学生の頃から、僕の試合を見に来るのが好きだったので、久しぶりに機会に恵まれて喜んでいるのだろう。
中学まででテニスをやめると宣言した事で、誰よりも残念がっていたのはだった。
「二人共頑張ってね。まだ春だけど、今日すごく天気がいいから…熱中症になるのもありえなくはないし」
「ありがとうございます、さん。気を付けます」
「流河はどんどん接近してくるだろう。でもその度に、律義に親切に相手をしなくていい」
そう言ったのにも関わらす、はこいつ…流河旱樹…L相手にも丁寧に接することをやめない。
誰にでも優しく礼節を尽くすところはの美徳であり、最大の欠点だ。
そうして誰にでも笑いかける度に、見惚れられている事に何故気が付かない。
自分の行動に自覚がない分、わかっていて男を弄ぶ悪女より性質が悪い。
短所であるけれど、しかし長所でもある。であれば、それを矯正しようとする男は、俗にいう…嫉妬深く束縛の彼氏でしかないだろう。
僕はそんなみっともない男にはなりなくなかったし、を縛って嫌われたくもない。
けれど腹が立つのは抑えられなくて、何も言えず、コートへ向かおうと踵を返した。
──しかし…イギリスか。
ここで「国籍はイギリス?」とでも聞けばキラだから探りを入れてると思うのか?
まあ、いいや…試してみるか。
「流河はイギリス育ち?」
「イギリスには五年ほど住んでいましたが、安心してください。そこからLの素性が割れるような事は絶対にありません」
ああ、そう…。
いつもの流河らしい、飄々とした切り返しをされて、思わず白けた。
「では6ゲーム1セットを先取した方が勝ちでいいですね?」
「わかった」
「そして勝った方が、さんの差し入れを手に入れる権利が得られるという訳です」
「………流河。そんな後出しの約束にまで頷いた覚えはないぞ」
「つまり、夜神くんは私に勝つ自信がないという事ですね?」
「……はは、そんなにわざとらしい挑発をしてもだめだよ、流河」
「そうですか、残念です」
はこのやり取りや僕の態度に、何か思うところがあったのか、どこか困ったように表情を変えて、落ち着かない様子で見守っていた。
そして今度こそ流河と二人でコート内に踏み込み、ラケットを手に構えを取った。
まさか親睦目的といった遊びのテニスで、僕の性格がキラ的か分析する気でもないだろう。
そんなに事を考えているうちに、流河が打ち込み、いきなり点を勝ちとった。
とても素人の動きではなかったし、間違っても親睦も目的の"お遊び"でやる動きでもなかった。
「15-0です」
「おいおい流河、いきなり本気かよ」
「先手必勝です」
ああ、そう…。また白けつつ、本気で踏み込み、打ち込まれた球を取りこぼさぬよう、考える。
ムキになって勝ちにいくとキラっぽい…か?だからといってわざと負ければキラっぽいと思われるからわざと負ける所がまたキラっぽい──だろ?
──結局同じ事。あいつもこのテニスでプロファイルなんてする訳がない。
このテニスの目的は他にある。
──だからテニスでも僕が勝つ。
「ゲームカウント、4-4」
「ククッいつの間にか審判やラインズマンまでいるぞ」
審判、ラインズマン、野次馬たち。賑やかになっていくコートをみて、背後でリュークが笑っている。
「安永先輩!夜神月ってどこかで聞いたことあると思って調べたら…!1999年と2000年の中学生チャンピオンです!中3の時「遊びは中学まで」と宣言し、それっきり何の大会にも出ていません…!」
「中学の全国一位か…どうりで…」
「すげーな…」
「ねーねーじゃあその中学生チャンピオンと五角以上に戦ってる流河くんって何なの?」
「京子あんた…」
「それが流河の資料は何も見つからないんだ…」
「み…認めないぞ…」
「えっ?」
「運動神経抜群の上東大にトップ入学なんて…しかし是非我がサークルには入ってもらおう…」
「……」
野次馬たちの声がうるさい。耳障りだ。どうせ聞くならの声がいい。
声に出して応援してもらえたら、どれだけ嬉しいか…。
けれどの目立つのが嫌いな性格を考えると、それは難しいとわかっていた。
だから今も、声に出さず、手を胸元で組みながら、心の中だけで「月くん、がんばれ」と祈ってくれてる。
は流河がLであると自称したりして、普通じゃない事は理解している。
けれど本気で、そういう立場であるからこそ、親睦を深めようとテニスをしているのだと信じているかもしれない。人を疑うのが嫌いならしい。
けれど──こんなテニスで親睦が深まるはずがないんだ。
これはお互いが「深まった」と了承しあう為の儀式だ。
このテニスが終わると同時にあいつはキラ事件に触れてくる。
夜神月にキラしかしらない事を言わせようと。しかしキラと事件の話をするのなら少なくとも今、キラ事件の指揮を執っているのがあいつである事の証明を夜神月が求めるのは必然だ。
そして──捜査状況を知る事で僕は有利に立てると共に、夜神月が知り得ないキラ事件情報を口走る事は激減する。
僕が先にあいつに言うべき事は──
「捜査本部に連れていく事」。やはり勝つには先手を打つ事だ。
どんな事でも守っているだけでは勝てない。勝つには攻める事──!
「ゲームセット、ウォンバイ夜神6-4!」
「………さすが夜神くん、負けました…」
「僕も久しぶりに本気を出したよ、流河。…喉もかわいたし、流河に頼みたい事もあるから…この後お茶しないか?」
「ゲームに負けた事ですし聞ける事なら聞きましょう」
ネット越しに握手をかわしながら喋っていると、フェンス越しに小さく手を振るの姿が見えた。
沢山いる野次馬の中に、小さなが埋もれている。
それでも僕は、のことなら、すぐに見つけられる。
「…?…ああ」
僕がふっと視線を向こうにやったので、流河も追いかけるような視線を動かした。
そしてその視線の先に、手を振るの姿を見つけて、納得したような声をこぼす。
「夜神くんはさんの事をよく見てるんですね。…よくあの人ごみの中から見つけられましたね。あんなに控えめな位置に立つさんを…」
「が僕の試合を見に来るのは初めてじゃないからね。がどういう所で見るのかの傾向くらい、なんとなくわかるんだよ」
荷物を持ちながら、額を伝う汗を手の甲で拭い、フェンスをくぐり、コート外へと出て来いく。
すると、はすぐに僕達の元へ駆け寄ってきて、「おつかれさまっ!」と声をかけた。
「二人ともすごくかっこよかったよ!私、あんまりテニスのことわからないんだけど…でも、目が離せなかった」
「あんなに何度も僕の応援に来てくれてたのに…はいつになったら覚えてくれるのかな?」
はテニスという競技に興味があるんじゃない。"僕が"試合をする姿に興味があって、
それを見るのがすきなだけなのだ。
だからいつまでも競技について理解を深めないを口ではからかいつつ、むしろそれが嬉しいとすら思っていた。
僕だけに夢中な。なんて甘美な響きだろう。
くすくすと笑いながら、すっと手の平を上にして、の方に伸ばしてみた。
不本意に取り付けられた約束だったけれど、今は乗っかっておこう。
この"親睦のテニス"の勝者には、ご褒美が待っているはずだ。
僕が伸ばした手の意図を察したは苦笑いしつつ、僕の手の平の上に自分の手を乗せると、ぐぐっと下げさせた。
そしてぱっと僕を見上げる。
「月くん、……」
「…?どうしたの」
何かを言いかけて、しかし途中で他の言葉を探してる。どうしたのだろうと、様子を伺うように視線を合わせると。
「…………かがんで、くれる?」
「え?……ああ、そういうこと…」
これでも少しかがんだつもりだったのに、更にかがめと言われるとは思わず、意表を突かれた。
けれどすぐにそのお願いの意味するところを察し、僕は笑った。
僕はの仰せの通り、のやりやすいよう、首を垂れてやる。
「おつかれさま」
は鞄から取り出したタオルを僕の首に回すと、そのままタオルの両端を握り、
僕の額や米神に伝う汗をぼんぽんと拭ってくれた。
中学生の頃は、まだ身長差もそんなになくて。するりと近づいてきては、至極自然な動作で、こうやって僕の汗をぬぐってくれたっけ。
高校生になってからは、に応援にきてもらうような類のスポーツはしていない。
179cmの男の汗を拭うのは、それは難しいはずろう。
いつの間に、こうしてかがんでやらないと、拭ってもらえくなっただろうか。
昔からの恒例行事。やっている事は変わらないのに、何かが大きく変わったような気がして、感慨深かった。
そんなことを考えていると。
「きゃーっ!!?」
「いやーっ!わたしもあんな事したーい!されたーい!」
「うぉぉお羨ましすぎんだろーが!!」
「俺が甲子園まで連れてってやっからー!!」
黄色かったり野太かったりする悲鳴があちこちから上がり、は可哀そうに、ビクりと震えていた。
何が何やら、と言った不安げな様子で周りを見渡すので、肩に手を置いて、僕に注意をむけさせた。
「気にしなくていいから」
「で、でも…」
「みんな試合に興奮してるだけだから。ね?」
そうして多少無理繰りに視線を合わせさせ会話していると、少し落ち着いたらしい。
「中学生の頃はまだ、背伸びすればタオルかけてあげれたのに…こんなにおっきくなってたんだね。大学生だもんね」
さらりと、最後に汗でしめった僕の髪を撫でると、はタオルから手を離し、少し距離を置いた。
もう屈まなくてもいいよ、というお許しが出たので、僕も体を離して、自分で汗を拭う。
そんなの額にも、じんわりと汗がにじんでいた。
今日は天気にも恵まれている。四月ともなれば、肌寒さとも無縁になってきて、こうして陽の下で長時間立っていれば、暑くもなるだろう。
それに、試合をしていなくても、ずっと真剣に応援していたは、それはそれで体力を消耗したことだろう。
首筋に伝う汗が見えて、拭ってやりたい、という衝動がわいた。それを必死でおさえながら、少し視線をそらす。
無邪気な女性がタオルで男の汗を拭うのと、いい年した男が女性の首筋を指でなぞるのでは、意味が違ってくる。
そんなやり取りをじーっと見ていた流河が、「夜神くん、うらやましいです」と言ってきた。
「こんなにステキな幼馴染に応援してもらえるなんて」
「流河くんの事も応援してたよ。はい、これどうぞ。レモネードは飲めますか?」
「いいんですか?これは勝者へのご褒美のはずなんですが…」
「えー…、うーん…なんだか、そんな話になってたみたいだけど…。…でも、試合って一人でするものじゃない…です、よね?」
「敬語はなしでかまいません。それで?」
流河はキッパリと言い切り、が話しやすいようにさせた。
「あ、はい、うん…なのに、一人分しか差し入れの用意しない人なんているのかな…?」
「そうですね…世の中のほとんどの人が、一人分の差し入れしか用意しないでしょうね」
「………えっ?」
「…流河、はこういう人間だから、あまり変な詮索はしないでくれ。何を聞いても、大抵今みたいに、「え?」って帰ってくるだけだろうから」
「…月くん、私のことバカにしてる…?」
「ほめてるんだよ、気にしないで」
昔から、僕が試合すると聞く度に応援に駆けつけてきた。
そして毎回、対戦相手の分まで、飲み物の差し入れを用意して差し出していた。
「おつかれさまです。かっこよかったです」
そんな労わりの言葉を投げかけ、笑顔をみせて。
それで勘違いした男が何人いただろう。ぬか喜びさせる時間は束の間でいい。
時には、「、タオルくれる?」なんて言って催促してみせて、自然とに僕の汗を拭わせた。
そうやって僕達の関係性を見せつけて、勘違いから抱いたときめきを、恋に昇華させる前に、何度も殺してみせた。
「対戦相手にまで挨拶とか、差し入れとか、そんなことしなくていい!」と何度かは止めた。けれど、は礼節というものを重んじる。
ここだけは譲れないところなのだろうと理解してからは、僕が上手く場をコントロールして対処すればいいだけの話なのだと悟り、余計な虫をつけないよう努めてきた。
「ちょっと場所を変えよう、さすがに人が集まりすぎた…」
「余計に人を集めたのは、夜神くん達ですけどね」
ちらりちらりと視線を送り、僕たちに話しかけたそうにしている野次馬たちの間を縫って歩き、僕は先陣を切ってコート他付近から立ち去った。
「しかし、お茶をしに行き話を聞く前に、私もひとつ言っておくべき事があります」
「何?」
「私は本当は夜神くんと…、…そしてさんのことを…キラじゃないかと疑っているんです。それでも聞ける事なら何でもお聞きします」
背中に投げかけられた言葉を聞いて、僕はぴたりと足を止めた。
振り返り、流河の方を見る。
「ははっ僕達がキラ?」
「いえ、疑ってると言っても一%くらいです。さんに限っては一%未満くらい…
それよりも夜神くんがキラでない事と素晴らしい推理力を持つ事を確信し、捜査に強力して頂けたらという気持ちです」
「1%くらい」か…うまい言い方だ。1%でも疑われてると言われてしまえばこっちの自由を奪われる。0%ではないのだから、僕が「捜査本部の者に会わせろ」と言っても駄目だという
釘を先に刺されたって事だ…
やられた…
それに僕だけじゃない。1%未満という言い方をしたとはいえ、この場でのことまでキラだと疑ってると宣言してのけた。
「おー…」
当のは、気の抜けた声をあげていて、ショックを受けた様子はないし、何かの疑念を抱いた様子もない。
それだけが救いだった。
「とにかくキラ事件の事を話すには人が多すぎます、まだ野次馬たちが後をついてきてますし…。…三人になれる場所に移動しましょう」
「ああ、こんなテニスまでしてより目立ってしまったみたいだしね」
「この黄色い悲鳴に関しては、私達のテニスのせいではありませんよ、夜神くん。……そうですよね?さん」
流河はわざわざ会話にを巻き込もうとする。
確かに三人でいる以上、をずっと無視して、話しかけないというのもおかしな話だ。
けれど会話をしているというより、流河のやり方は、「巻き込む」「餌にしている」と言った方が適切だ。
を餌にして、僕を揺さぶっている…そんな所だろう。
勿論僕がキラで、そしてはそんな僕の片棒を担いでいるのではないか…といった疑いを持っているのも、想像がついている。
僕が先入観を抜いて、客観的に考えても、"がキラである"というよりも、"夜神月がキラであり、がそれに加担している可能性がある"といった方が納得がいく。
は雑談を振りながら場を和ませ、しかし流河と僕は腹の中では探りを続けている。
そんなちぐはぐな調子のまま、喫茶店へと向かったのだった。