第28話
2.神の恋─屈辱的な入学式
2004年1月17日。
『平成16年大学入試センター試験 東応大学試験会場』という看板が見えた時、少し感慨深くなった。
僕とはうちの前で待ち合わせ、同じ電車に揺られ、試験会場まで来ていた。
幼稚園、小・中・高。今までずっと一緒だった。
今度は大学まで同じところに通うことになるのだろう。
僕の中で、合格する事は確定事項であり、信じて疑っていない。
「キミたち!試験開始20分前だよ!早くしなさい!」
大きな声を出して、門の前で、スーツを着た試験官の男が、手を大きく振っている。
こんな時間にやってくるのは、寝坊したとか、電車が遅延したとか、乗り損ねたとか、余裕のない人間ばかりなのだろう。
事実、僕たちの後から到着した女は、バタバタと急いで会場内へと走り抜けていった。
「教室で待つの嫌だから、三分前くらいには入りたかったな」
「そんな事言える人、きっとこの世で月くんだけだろうね」
東大の試験を受ける寸前になり、焦らないでいられるのは僕くらいだとは言う。
がいる手前、冗談っぽく言ったけど。
僕一人だったら、本気で三分前に到着してもいいと思ってた。
20分前に到着したのは、への配慮だったけど…。
は笑いながら僕を見上げてる。その瞳に焦りの色はない。
20分前に到着した事で、試験官や、遅れて到着した受験生たちは慌てている。
それどころか、僕らより早く到着したであろう人間達もどこか落ち着きがなかった。
けれど、にはそういった様子がみられない。
"僕だけだ"という発言も、口先だけだなと思った。本人にその自覚はあるのかないのかはわからないけれど。
世間一般の人からみれば、も十分"余裕を持ちすぎた"人間だった。
****
2004年、4月5日。
平成16年度、東応大学入学式。
東大に合格したと知った時の僕とは、特に大きなリアクションを取るでもなく。
「よかったね」
「うん」
くらいの、淡泊なやり取りしかしなかった。
「お兄ちゃんー!さん〜!すごすぎるよ〜!」
「二人とも頑張ったわね!お母さん鼻が高いわ!」
けれど、と共に、合格したと報告しに行った時の母さんと粧裕の反応は、
それはすごかった。
「今夜はお祝いね!」
母はにこにこと笑いながら言う。一足先に家にも報告しに行ったけど、の母親も同じような反応をしていた。
自慢ではないが、僕は生まれてこの方、運動でも、勉強でも、トップじゃなかった事の方が少ない。
そんな"勝ち慣れてる"僕が平然としているのはともかく、まで淡泊な反応をしているというのは少し不思議だった。
は他人と衝突することも嫌いで、成績や運動で結果を争う事も嫌いだった。
だから、高いポテンシャルを秘めているというのに、それを活かす事を考えず、
成績は上位をキープするだけ。
「勝ち慣れている」「合格するのを当然と思う」といった感覚は持っていないはずだった。
少し不思議に思いつつ、推理してみる。
「成績優秀な夜神月に面倒を見てもらったんだから、合格して当然」と思ってる…というのが妥当だろうか。
それ以外にないと思う。けれどそれだけではないような気がしてならない。
長年付き合っているのに、今だに掴み処がない、底知れない人間。それがという人間だった。
***
そして、四月。大学生になった僕たちは制服を脱ぎ捨てて、スーツに身を包み、
入学式へと参列していた。
「新入生挨拶。新入生代表、夜神月」
「はい」
「同じく新入生代表、流河旱樹」
司会の男の声かけを合図に、新入生代表である僕達二人は、階段を上り、壇上へと上がった。
表彰され慣れてる僕からすれば、壇上から見えるこの景色にも、さしたる感慨を抱けない。
強いていうなら、微笑みを湛えていると目が合って、嬉しくなった、くらいだろう。
しかし…二人で挨拶するとは聞いてたが。
後ろをついてくる、濃いクマがくっきりした、不健康そうな男をちらりと見やる。
まさか、相手がこいつだったとは。
センター試験前期日程、ずっと僕の後ろで変な座り方をして、完全に一人で浮いてたやつ。
くたびれたようにも見える、白いTシャツにデニムの上下。素足で吐きつぶしたスニーカー。
試験中も同じ格好をしていたが、代表挨拶をする事になってもこの格好を貫くとは、さすがに少し驚いた。
今日もこいつは、完全に"浮いている"。きっとこれからの学校生活中も、ずっとそうなのだろうと予想がついた。
二人でマイクに向かって代表挨拶を述べ、大きな拍手を聞きながら、また席へと戻ろうとすると、後ろから「夜神くん」と声をかけられた。
「警察庁夜神総一郎局長の息子さんであり、その父への尊敬と負けないくらいの正義感の持ち主」
「…!……。」
階段を下り切り、前方にある席に戻り、座る。
僕の右隣には名前。そして左隣には、"流河旱樹"が座った。
「──そして自らも警察官僚を目指し過去に数件の事件へ助言し解決に導き、今キラ事件にも興味を示している。
その正義感と手腕を信じて、もし誰にも漏らさないと誓って頂ければ、キラ事件に関する重大な事をお話したいと思っています」
突然、なんなんだこいつは。
相手にしない方がいいのか…?完全に浮いたやつだ。
TPOをわきまえず、人目を気にしないこの姿をみると、真っ当な常識を持っているとは考えづらいし。
しかし、キラ事件に関する重大なこと…。
そう言われてしまえば、"聞かない"という選択肢は持てなかった。
「誰にも言わないよ、何?」
隣の流河旱樹に視線をやる事はなく、正面をみながら言葉だけで問いかける。
「──わたしはLです」
それを聞いた瞬間、ヒュッと喉の奥で息を呑む音がなりそうになり、慌てて平静であれるよう抑え込んだ。
…まさか。なにを言ってるんだこいつは。
LがLだと言うはずがない。変なやつだとは思っていたが、マジでおかしいのか?
まずい…動揺するな…。もし本当にLだったら…とにかくここは夜神総一郎の息子、夜神月として自然な行動をとらなくては…。
動揺で揺らぎかけていた瞳を隠すよう、伏せていた瞼を開き、流河をみる。
「もしあなたがそうなら、僕の尊敬する、憧れの人です」
「どうも…名乗ったのは、キラ事件解決の力になって頂けるかもしれないと思ったからです」
そこからは、お互い何も喋らなかった。
流河は相変わらず変な座り方をしながら親指を噛んでいて、僕は幼馴染のと共に、
真面目に入学式に出席する模範生、といった姿を取り続けた。
も式の間私語を発するタイプでもない。僕たちのやり取りが気にならなかった訳ではないだろうけれど、何も追求してくる事はなかった。
その無言の間、僕は考えた。
確かにこいつがLだったら…いや実はLじゃなともだ…僕は…
こいつに何もできない!
こいつの話が本当なら、父にもLとして顔を明かしているだろう。
僕に対して「自分がLだ」と言ったこいつが死んだら、真っ先に僕に疑いがかかる。
しかもこいつ、流河旱樹などとあからさまな偽名を使ってる。
こいつを殺そうとデスノートに名前を書き、こいつの本名が流河旱樹でなければ…
嫌でも頭のカに浮かぶアイドルの方の流河が死ぬかもしれない。
こいつは死なずに、僕がキラだという推測が立つ。
こいつ、Lなのかそして僕をキラだと疑っているのか?
どの程度かわからないが、疑われているのは確かだ…他に夜神総一郎の息子に「Lだ」と名乗る理由はない…
レイ=ペンバーの調べていた者の範囲でまだ捜査しているという事か?
しかし何故Lが直接僕の前に…
「……」
……今は駄目だ。何も考えない方がいいい。すました顔をしていなくては。こいつは今絶対、僕が動揺していないか観察してる…
──…もしかしたら、のことも。
***
「ククッ面白い入学式だったぜ、ライト」
僕の後ろについているリュークが、楽しそうに言う。
けれど僕は、リュークと違い、の隣を歩いているという事以外に、入学式に面白さや楽しさを見いだせない。
──それどころか。あいつがLだと名乗ったせいで、僕は──
「夜神くん──さん」
「……」
「……え?なに…?」
入学式会場から出て、キャンパスを出ると、一台のリムジンの前にL…流河旱樹が立っていた。
は入学式の間…「Lです」と名乗った瞬間なんかにも、ぽかんと口を開けていた。
それと同じように、今も思わずといった様子で口を開きかけて、手の平でパッとそれを隠していた。
いかにもらしい、子供っぽい仕草だ。
年相応の女の子らしくあろうとして、それが逆に子供っぽく見せている。
大学生になったの容姿は、可愛らしい少女から、綺麗な女性へとと移り変わっていた。
けれど、人間の中身はそう変わるものではない。
をよく知らない人間は、のことを「綺麗な人」だと言う。
けれどをよく知る人間は…僕は。心底可愛いと思う。
……こうしてを可愛い可愛いと思っていないと、今の僕はどうにかなりそうだった。
監視カメラなんか仕掛けるくらいだ。当然と言えるだろうが…
僕の名前だけでなく、「さん」とのことを呼んだ事からも、やはり僕の身辺は徹底して調べられてると改めて知ら閉められる。
迂闊な行動をとるな、と釘を刺されているかのようで、どうしようもなく腹立たしくなる。
「今日はどうも…」
「…いえ、こちらこそ…」
「さんとは今日はお話できませんでしたが…また今度、キャンパスで」
「あ、はい…また今度…?」
はよくわかっていない様子で、けれど挨拶されてしまった手前、そうせざるを得なかったのだろう。
ぱたぱたと小さく手を振って、流河を見送っていた。
流河はそれを見届けると、今度こそ車に乗り込んだ。
「…すっげー車…リムジン?」
「どこのボンボンだあいつ…」
「しかも首席…やな感じ」
野次馬が車を取り囲んでいても、リムジンはお構いなしに発進した。
僕が冷たい目で去っていく車を見届ける中、は律義にお辞儀をして見送っていた。
親の躾がきちんとしている証拠だった。
誰に対しても丁寧に接する事ができるのそれが好ましいとも思うし、ムカッとくるときもある。
「…。これから、あの流河旱樹はどんどん僕達に絡んでくると思う。でもその度、そんなに几帳面に…いや、親切丁寧に相手しなくていいからね」
「……あの人は、"流河旱樹"なの?」
「Lであるという確証はない、影武者の可能性の方が高いと思うよ。でも、どちらにせよ──キャンパス内で"L"と呼ぶわけにもいかないしね」
「…そうだね」
そんな会話をしながら、来た道を戻り、電車に乗って自宅まで帰る。
運よく隣同士席に座れた僕達は、他愛ない会話を続けていた。
「月くん、これからご飯でも食べて帰ろうか?入学式っていう節目だし」
「あー…ごめん。ちょっと疲れちゃったから、今日は早めにうちに帰って休むよ、…せっかく誘ってくれたのに、本当にごめんね」
「そんなに気にしないで。疲れて当たりだよ。座ってるだけの私でも疲れたんだから」
疲れたというのも嘘じゃない。早めにうちに帰りたいのも嘘じゃない。
けれど、本音を言うなら、2人きりで外食がしたかった。
僕たちが過ごすのは、大抵学校内か、お互いの家の中。それだけで事足りてしまうから、わざわざ外にデートしに行くことがない。
せっかくのチャンスを不意にしたという苛立ちが募る。
けれど、今の僕には、どうしても余裕がなかったのだ。
「東大生おかえりーっ」
夜神家の玄関をくぐると、ポテチを食べながらリビングでくつろいでいた粧裕から声をかけられた。
それに何も答えることができないほど、僕には余裕がない。
自室に戻り、鍵を閉め、勉強机に向かって、椅子に座る。
そして──
「──くそっやられた!」
両手で頭を抱えながら、人生で一番と言ってもいいほどに、みっともなく声を荒らげた。
今の僕の表情は、きっとには見せることができない、それほどまでに歪んでいるに違いない。
「やられた?……」
「Lめ…こんな屈辱は生まれて初めてだ!」
ギリッと机の上に伏せ、両手の拳を握り、歯ぎしりをする。
「…死神の目の取引をして殺せばいいじゃないか」
「それでもあいつが本当のLじゃなかったら、Lに僕がキラだと言うようなものなんだよ!」
「わ…悪い…」
「死神が人間を殺すのと人間が人間を殺すのを同じ次元で考えるな!…デスノートは名前を書いたその人間一人しか殺せない…誰かを操って殺させる事はできない…全く不便だよデスノートってやつは!」
椅子を回転させて振り返り、僕の剣幕に引いているリュークを、足を組んでふんぞり返るようにしながら叫んだ。
「やられた!」というこの怒りを抑えるのに必死で、とてもと二人で外食に行くことなどできなかったのだ。
「最初は名前さえわかれば事故死や自殺でいいと考えた…しかそれはあいつが100%L本人だとわからなければ駄目だ」
最早頭が痛くなってくる。リュークに怒鳴り散らすほど、今の自分に余裕がないのは自覚していた。貧乏ゆすりでもしたくなくなる衝動は、さすがにみっともないと思いこらえる。
「いやL本人だとわかっても僕にに「L」だと宣言した以上手遅れかもしれない…どんな死に方でもLが死ねば警察は疑う……Lをなめていた…」
Lは全ての警察の信用を失う前にキラの殺人に名前が必要と知り、かつ僕がキラであるかもしれないと勘付いた。
その間僕はLを警察等から孤立させ万人の前に晒させる事ばかり考えていたが…
「Lが僕に「私はLだ」と名乗り出てくるなんて事は考えもしなかった。…キラの可能性がある者にはLの分身でも構わない、「L」だと名乗っておく…」
腕を組んで少し考えながら、考察する。
「これはLにとってキラに対するかなり有効な防御であると共に攻撃でもある。…やられたよ…いい手だ…」
あのとぼけた振りした流河がこれから大学でどんどん僕に接近し、探ろうとしてくるだろう。
そう思うと、さっきまでの苛立ちや焦燥は失せて、僕は笑いがこみあげてきて、
大きな声で笑ってしまった。
「これはいい…何も悲観することはない…これは向こうも何もつかんでない証拠だ…あいつも僕も直に接して騙し合い、知恵比べだ」
表面上は仲良しのキャンパスメイト。裏では「Lなのか?」「キラなのか?」の探り合い。
「面白いよ流河おまえが僕に友情を求めてくるなら快く受け入れてやろう。僕はおまえを信じ込ませ、そして全てを引き出しおまえ達を殺す」
背もたれにもたれ、足を組んだそのままに、笑いながら言った。
「あいつはって女にも友情を求めてるみたいじゃないか。ライト、大変だなぁ?Lを欺き、が迂闊な発言をしないように見張り、裏ではキラとして犯罪者裁きだ」
「僕がを見張る?そんな事はしないよ。僕はを信用してるからね」
「FBIの件、誰かに話したらどうするんだ?レイ=ペンバーの身分証を見たのがバレたら、夜神月=キラに繋がる、命取りだと言っていたじゃないか」
「そうだね…でも、僕はそうなったならそうなったで、いいと思っているよ」
椅子から立ち上がり、カーテンを少し開く。窓から見えるお向いの二階には、同じように電気が灯っている。
今名前は何をしているのかな、なんて考えて頬が緩ませている僕とは反対に、
投げやりにも聞こえる僕の発言に対し、リュークは不満げにしていた。
「なんだライト、何の対策もせず、そんなに簡単に投げ出す気か?お前らしくない」
「キラとして動く僕を見ているリュークからすれば、そう思えるのかもしれないけど…に関する事で下す判断は、我ながら実に僕らしいと思うよ」
「へえ?まあ、よくわからないが…ライトが"ライトらしく"行動することで、これから面白くなるっていうんなら、俺にはどうでもいいな」
「ああ。気にしなくていい。別に、自暴自棄になって投げだそうとしてる訳じゃないんだ」
僕はいつだってよりよい世界を創るため──と共に生きるため、動いている。
明るい未来を諦めるつもりはない。
弱気になる、自棄になる、なんていうのは、本来僕には無縁の感情だ。
いつも通りの余裕を取り戻した僕をみて、リュークがまた「ククッ」と意味ありげに笑っていた。
2.神の恋─屈辱的な入学式
2004年1月17日。
『平成16年大学入試センター試験 東応大学試験会場』という看板が見えた時、少し感慨深くなった。
僕とはうちの前で待ち合わせ、同じ電車に揺られ、試験会場まで来ていた。
幼稚園、小・中・高。今までずっと一緒だった。
今度は大学まで同じところに通うことになるのだろう。
僕の中で、合格する事は確定事項であり、信じて疑っていない。
「キミたち!試験開始20分前だよ!早くしなさい!」
大きな声を出して、門の前で、スーツを着た試験官の男が、手を大きく振っている。
こんな時間にやってくるのは、寝坊したとか、電車が遅延したとか、乗り損ねたとか、余裕のない人間ばかりなのだろう。
事実、僕たちの後から到着した女は、バタバタと急いで会場内へと走り抜けていった。
「教室で待つの嫌だから、三分前くらいには入りたかったな」
「そんな事言える人、きっとこの世で月くんだけだろうね」
東大の試験を受ける寸前になり、焦らないでいられるのは僕くらいだとは言う。
がいる手前、冗談っぽく言ったけど。
僕一人だったら、本気で三分前に到着してもいいと思ってた。
20分前に到着したのは、への配慮だったけど…。
は笑いながら僕を見上げてる。その瞳に焦りの色はない。
20分前に到着した事で、試験官や、遅れて到着した受験生たちは慌てている。
それどころか、僕らより早く到着したであろう人間達もどこか落ち着きがなかった。
けれど、にはそういった様子がみられない。
"僕だけだ"という発言も、口先だけだなと思った。本人にその自覚はあるのかないのかはわからないけれど。
世間一般の人からみれば、も十分"余裕を持ちすぎた"人間だった。
****
2004年、4月5日。
平成16年度、東応大学入学式。
東大に合格したと知った時の僕とは、特に大きなリアクションを取るでもなく。
「よかったね」
「うん」
くらいの、淡泊なやり取りしかしなかった。
「お兄ちゃんー!さん〜!すごすぎるよ〜!」
「二人とも頑張ったわね!お母さん鼻が高いわ!」
けれど、と共に、合格したと報告しに行った時の母さんと粧裕の反応は、
それはすごかった。
「今夜はお祝いね!」
母はにこにこと笑いながら言う。一足先に家にも報告しに行ったけど、の母親も同じような反応をしていた。
自慢ではないが、僕は生まれてこの方、運動でも、勉強でも、トップじゃなかった事の方が少ない。
そんな"勝ち慣れてる"僕が平然としているのはともかく、まで淡泊な反応をしているというのは少し不思議だった。
は他人と衝突することも嫌いで、成績や運動で結果を争う事も嫌いだった。
だから、高いポテンシャルを秘めているというのに、それを活かす事を考えず、
成績は上位をキープするだけ。
「勝ち慣れている」「合格するのを当然と思う」といった感覚は持っていないはずだった。
少し不思議に思いつつ、推理してみる。
「成績優秀な夜神月に面倒を見てもらったんだから、合格して当然」と思ってる…というのが妥当だろうか。
それ以外にないと思う。けれどそれだけではないような気がしてならない。
長年付き合っているのに、今だに掴み処がない、底知れない人間。それがという人間だった。
***
そして、四月。大学生になった僕たちは制服を脱ぎ捨てて、スーツに身を包み、
入学式へと参列していた。
「新入生挨拶。新入生代表、夜神月」
「はい」
「同じく新入生代表、流河旱樹」
司会の男の声かけを合図に、新入生代表である僕達二人は、階段を上り、壇上へと上がった。
表彰され慣れてる僕からすれば、壇上から見えるこの景色にも、さしたる感慨を抱けない。
強いていうなら、微笑みを湛えていると目が合って、嬉しくなった、くらいだろう。
しかし…二人で挨拶するとは聞いてたが。
後ろをついてくる、濃いクマがくっきりした、不健康そうな男をちらりと見やる。
まさか、相手がこいつだったとは。
センター試験前期日程、ずっと僕の後ろで変な座り方をして、完全に一人で浮いてたやつ。
くたびれたようにも見える、白いTシャツにデニムの上下。素足で吐きつぶしたスニーカー。
試験中も同じ格好をしていたが、代表挨拶をする事になってもこの格好を貫くとは、さすがに少し驚いた。
今日もこいつは、完全に"浮いている"。きっとこれからの学校生活中も、ずっとそうなのだろうと予想がついた。
二人でマイクに向かって代表挨拶を述べ、大きな拍手を聞きながら、また席へと戻ろうとすると、後ろから「夜神くん」と声をかけられた。
「警察庁夜神総一郎局長の息子さんであり、その父への尊敬と負けないくらいの正義感の持ち主」
「…!……。」
階段を下り切り、前方にある席に戻り、座る。
僕の右隣には名前。そして左隣には、"流河旱樹"が座った。
「──そして自らも警察官僚を目指し過去に数件の事件へ助言し解決に導き、今キラ事件にも興味を示している。
その正義感と手腕を信じて、もし誰にも漏らさないと誓って頂ければ、キラ事件に関する重大な事をお話したいと思っています」
突然、なんなんだこいつは。
相手にしない方がいいのか…?完全に浮いたやつだ。
TPOをわきまえず、人目を気にしないこの姿をみると、真っ当な常識を持っているとは考えづらいし。
しかし、キラ事件に関する重大なこと…。
そう言われてしまえば、"聞かない"という選択肢は持てなかった。
「誰にも言わないよ、何?」
隣の流河旱樹に視線をやる事はなく、正面をみながら言葉だけで問いかける。
「──わたしはLです」
それを聞いた瞬間、ヒュッと喉の奥で息を呑む音がなりそうになり、慌てて平静であれるよう抑え込んだ。
…まさか。なにを言ってるんだこいつは。
LがLだと言うはずがない。変なやつだとは思っていたが、マジでおかしいのか?
まずい…動揺するな…。もし本当にLだったら…とにかくここは夜神総一郎の息子、夜神月として自然な行動をとらなくては…。
動揺で揺らぎかけていた瞳を隠すよう、伏せていた瞼を開き、流河をみる。
「もしあなたがそうなら、僕の尊敬する、憧れの人です」
「どうも…名乗ったのは、キラ事件解決の力になって頂けるかもしれないと思ったからです」
そこからは、お互い何も喋らなかった。
流河は相変わらず変な座り方をしながら親指を噛んでいて、僕は幼馴染のと共に、
真面目に入学式に出席する模範生、といった姿を取り続けた。
も式の間私語を発するタイプでもない。僕たちのやり取りが気にならなかった訳ではないだろうけれど、何も追求してくる事はなかった。
その無言の間、僕は考えた。
確かにこいつがLだったら…いや実はLじゃなともだ…僕は…
こいつに何もできない!
こいつの話が本当なら、父にもLとして顔を明かしているだろう。
僕に対して「自分がLだ」と言ったこいつが死んだら、真っ先に僕に疑いがかかる。
しかもこいつ、流河旱樹などとあからさまな偽名を使ってる。
こいつを殺そうとデスノートに名前を書き、こいつの本名が流河旱樹でなければ…
嫌でも頭のカに浮かぶアイドルの方の流河が死ぬかもしれない。
こいつは死なずに、僕がキラだという推測が立つ。
こいつ、Lなのかそして僕をキラだと疑っているのか?
どの程度かわからないが、疑われているのは確かだ…他に夜神総一郎の息子に「Lだ」と名乗る理由はない…
レイ=ペンバーの調べていた者の範囲でまだ捜査しているという事か?
しかし何故Lが直接僕の前に…
「……」
……今は駄目だ。何も考えない方がいいい。すました顔をしていなくては。こいつは今絶対、僕が動揺していないか観察してる…
──…もしかしたら、のことも。
***
「ククッ面白い入学式だったぜ、ライト」
僕の後ろについているリュークが、楽しそうに言う。
けれど僕は、リュークと違い、の隣を歩いているという事以外に、入学式に面白さや楽しさを見いだせない。
──それどころか。あいつがLだと名乗ったせいで、僕は──
「夜神くん──さん」
「……」
「……え?なに…?」
入学式会場から出て、キャンパスを出ると、一台のリムジンの前にL…流河旱樹が立っていた。
は入学式の間…「Lです」と名乗った瞬間なんかにも、ぽかんと口を開けていた。
それと同じように、今も思わずといった様子で口を開きかけて、手の平でパッとそれを隠していた。
いかにもらしい、子供っぽい仕草だ。
年相応の女の子らしくあろうとして、それが逆に子供っぽく見せている。
大学生になったの容姿は、可愛らしい少女から、綺麗な女性へとと移り変わっていた。
けれど、人間の中身はそう変わるものではない。
をよく知らない人間は、のことを「綺麗な人」だと言う。
けれどをよく知る人間は…僕は。心底可愛いと思う。
……こうしてを可愛い可愛いと思っていないと、今の僕はどうにかなりそうだった。
監視カメラなんか仕掛けるくらいだ。当然と言えるだろうが…
僕の名前だけでなく、「さん」とのことを呼んだ事からも、やはり僕の身辺は徹底して調べられてると改めて知ら閉められる。
迂闊な行動をとるな、と釘を刺されているかのようで、どうしようもなく腹立たしくなる。
「今日はどうも…」
「…いえ、こちらこそ…」
「さんとは今日はお話できませんでしたが…また今度、キャンパスで」
「あ、はい…また今度…?」
はよくわかっていない様子で、けれど挨拶されてしまった手前、そうせざるを得なかったのだろう。
ぱたぱたと小さく手を振って、流河を見送っていた。
流河はそれを見届けると、今度こそ車に乗り込んだ。
「…すっげー車…リムジン?」
「どこのボンボンだあいつ…」
「しかも首席…やな感じ」
野次馬が車を取り囲んでいても、リムジンはお構いなしに発進した。
僕が冷たい目で去っていく車を見届ける中、は律義にお辞儀をして見送っていた。
親の躾がきちんとしている証拠だった。
誰に対しても丁寧に接する事ができるのそれが好ましいとも思うし、ムカッとくるときもある。
「…。これから、あの流河旱樹はどんどん僕達に絡んでくると思う。でもその度、そんなに几帳面に…いや、親切丁寧に相手しなくていいからね」
「……あの人は、"流河旱樹"なの?」
「Lであるという確証はない、影武者の可能性の方が高いと思うよ。でも、どちらにせよ──キャンパス内で"L"と呼ぶわけにもいかないしね」
「…そうだね」
そんな会話をしながら、来た道を戻り、電車に乗って自宅まで帰る。
運よく隣同士席に座れた僕達は、他愛ない会話を続けていた。
「月くん、これからご飯でも食べて帰ろうか?入学式っていう節目だし」
「あー…ごめん。ちょっと疲れちゃったから、今日は早めにうちに帰って休むよ、…せっかく誘ってくれたのに、本当にごめんね」
「そんなに気にしないで。疲れて当たりだよ。座ってるだけの私でも疲れたんだから」
疲れたというのも嘘じゃない。早めにうちに帰りたいのも嘘じゃない。
けれど、本音を言うなら、2人きりで外食がしたかった。
僕たちが過ごすのは、大抵学校内か、お互いの家の中。それだけで事足りてしまうから、わざわざ外にデートしに行くことがない。
せっかくのチャンスを不意にしたという苛立ちが募る。
けれど、今の僕には、どうしても余裕がなかったのだ。
「東大生おかえりーっ」
夜神家の玄関をくぐると、ポテチを食べながらリビングでくつろいでいた粧裕から声をかけられた。
それに何も答えることができないほど、僕には余裕がない。
自室に戻り、鍵を閉め、勉強机に向かって、椅子に座る。
そして──
「──くそっやられた!」
両手で頭を抱えながら、人生で一番と言ってもいいほどに、みっともなく声を荒らげた。
今の僕の表情は、きっとには見せることができない、それほどまでに歪んでいるに違いない。
「やられた?……」
「Lめ…こんな屈辱は生まれて初めてだ!」
ギリッと机の上に伏せ、両手の拳を握り、歯ぎしりをする。
「…死神の目の取引をして殺せばいいじゃないか」
「それでもあいつが本当のLじゃなかったら、Lに僕がキラだと言うようなものなんだよ!」
「わ…悪い…」
「死神が人間を殺すのと人間が人間を殺すのを同じ次元で考えるな!…デスノートは名前を書いたその人間一人しか殺せない…誰かを操って殺させる事はできない…全く不便だよデスノートってやつは!」
椅子を回転させて振り返り、僕の剣幕に引いているリュークを、足を組んでふんぞり返るようにしながら叫んだ。
「やられた!」というこの怒りを抑えるのに必死で、とてもと二人で外食に行くことなどできなかったのだ。
「最初は名前さえわかれば事故死や自殺でいいと考えた…しかそれはあいつが100%L本人だとわからなければ駄目だ」
最早頭が痛くなってくる。リュークに怒鳴り散らすほど、今の自分に余裕がないのは自覚していた。貧乏ゆすりでもしたくなくなる衝動は、さすがにみっともないと思いこらえる。
「いやL本人だとわかっても僕にに「L」だと宣言した以上手遅れかもしれない…どんな死に方でもLが死ねば警察は疑う……Lをなめていた…」
Lは全ての警察の信用を失う前にキラの殺人に名前が必要と知り、かつ僕がキラであるかもしれないと勘付いた。
その間僕はLを警察等から孤立させ万人の前に晒させる事ばかり考えていたが…
「Lが僕に「私はLだ」と名乗り出てくるなんて事は考えもしなかった。…キラの可能性がある者にはLの分身でも構わない、「L」だと名乗っておく…」
腕を組んで少し考えながら、考察する。
「これはLにとってキラに対するかなり有効な防御であると共に攻撃でもある。…やられたよ…いい手だ…」
あのとぼけた振りした流河がこれから大学でどんどん僕に接近し、探ろうとしてくるだろう。
そう思うと、さっきまでの苛立ちや焦燥は失せて、僕は笑いがこみあげてきて、
大きな声で笑ってしまった。
「これはいい…何も悲観することはない…これは向こうも何もつかんでない証拠だ…あいつも僕も直に接して騙し合い、知恵比べだ」
表面上は仲良しのキャンパスメイト。裏では「Lなのか?」「キラなのか?」の探り合い。
「面白いよ流河おまえが僕に友情を求めてくるなら快く受け入れてやろう。僕はおまえを信じ込ませ、そして全てを引き出しおまえ達を殺す」
背もたれにもたれ、足を組んだそのままに、笑いながら言った。
「あいつはって女にも友情を求めてるみたいじゃないか。ライト、大変だなぁ?Lを欺き、が迂闊な発言をしないように見張り、裏ではキラとして犯罪者裁きだ」
「僕がを見張る?そんな事はしないよ。僕はを信用してるからね」
「FBIの件、誰かに話したらどうするんだ?レイ=ペンバーの身分証を見たのがバレたら、夜神月=キラに繋がる、命取りだと言っていたじゃないか」
「そうだね…でも、僕はそうなったならそうなったで、いいと思っているよ」
椅子から立ち上がり、カーテンを少し開く。窓から見えるお向いの二階には、同じように電気が灯っている。
今名前は何をしているのかな、なんて考えて頬が緩ませている僕とは反対に、
投げやりにも聞こえる僕の発言に対し、リュークは不満げにしていた。
「なんだライト、何の対策もせず、そんなに簡単に投げ出す気か?お前らしくない」
「キラとして動く僕を見ているリュークからすれば、そう思えるのかもしれないけど…に関する事で下す判断は、我ながら実に僕らしいと思うよ」
「へえ?まあ、よくわからないが…ライトが"ライトらしく"行動することで、これから面白くなるっていうんなら、俺にはどうでもいいな」
「ああ。気にしなくていい。別に、自暴自棄になって投げだそうとしてる訳じゃないんだ」
僕はいつだってよりよい世界を創るため──と共に生きるため、動いている。
明るい未来を諦めるつもりはない。
弱気になる、自棄になる、なんていうのは、本来僕には無縁の感情だ。
いつも通りの余裕を取り戻した僕をみて、リュークがまた「ククッ」と意味ありげに笑っていた。