第26話
2.神の恋うつくしい世界の創生
生まれた意味を問いかけるように。生きる意味を問いかけるように。
僕はあの夏の日、セミの鳴く炎天下の中、何度も神に問い掛けた。

──もしも神様がいるというなら、どうして僕の大切な子を、こんな目に合わせたのか。
──誰よりも純粋なこの子を、どうして汚そうと思ったのか。

この世界は腐ってる。ただ平坦で"退屈"だと思っていた世の中は、年を重ねるごとに、次第に不平等で"醜い"ものに思えてきていた。
そして僕がこの世界に見切りをつける留めとなったのは、最悪の女性…が、二度目の事件に巻き込まれた事だった。
晴天。青い空の下。あの雑木林の入り口で。
白いワンピースを泥だらけに汚して、涙で潤んだ瞳で僕を見上げて、震える腕を伸ばしてきた。
声も出せずに静かに泣いていた、あの可哀そうな姿が、忘れられない。

この世界はクズばかり。真面目で清く正しい善人は食いつぶされる。
アンバランスなこの世界は、さも当然と言わんばかりに、暗黙の了解で弱者を淘汰した。


「…これでも、希望を抱いてたんだよ、僕なりに」


校庭に落ちていた一冊のノート。退屈しのぎに拾った不思議なノートは、遊び半分で試した結果、本物だとわかった。
そしてそれを理解した瞬間、僕は今とは全く違う、新しい世界を作り上げる人間になる決意を固めた。
僕が手にしたのは、デスノート。直接手を下さずに人を殺せる、殺人ノートだ。
人を殺す事に耐えれる精神力、そしてそれがバレないように工夫できる頭脳や、警察内部事情を知る事ができる立場。
あらゆる事を考えても、これは僕にしかできない事だと思えた。

「こんな事をしなくたって…辛いこともあって、苦しいこともあって、悲しい事もある不平等な世界だけど…綺麗で、幸せなんだって」

僕は、本気でそう思い始めていたんだ。殺人ノートなんて、使うつもりはなかったんだ。
が好きだと言って笑った、小説の中のあの世界みたいに。
清濁を併せ呑もうとしていたんだ。

──あんなに可哀そうな、の姿を見るまでは。
あの犯人を殺してやりたいと思った。
パトカーで男が連行され、勾留されたあの時。連行婦女暴行未遂で現行犯逮捕、その後裁判を終え、それに見合った刑期が与えられ、刑務所で罪を償う事なるのだろう、と思っていた。
でも、そんなんじゃ気が済まない…正しく法で裁かれたとして、僕の腹でぐらぐ煮えたぎっ怒りが収まらないとすら思っていた。
だというのに──
あの男は、前科持ちでありながら、近年稀に見ない模範囚だったということと、証拠不十分だということで、逮捕も起訴もされず、あっさり釈放されてしまったのだ。
更に僕は、苛立ちが抑えられなくなった。
犯人は必ず現場に戻ると言われてるその通り。
僕は偶然、自分の犯行現場…雑木林に戻ったあの男が、気持悪い笑みを浮かべて満足げにしていたのを目撃していたのだった。

──殺してやりたいと思った。でも、どれだけそう思ったところで、出来るはずもない。
悪い事をしたならば、正しい法の裁きの元で罪を償うべきだ。
けれど、法は完璧ではなく、抜け穴はある。誰もが納得する妥当な采配で刑罰が下る事はない。
弱い物は、いつもこうして狡い人間に苦しめられるのだ。
──それならば。
僕が新しいルールを作るんだ。
悪に怯える弱いものを救い、誰もが理想とする。誰も傷つくことのない、心の優しい人間だけが生きる世界。それを僕が作ってみせる。

──そうした信念の元、僕は、ノートを使ってこの世に蔓延る大量犯罪者たちを心臓麻痺で殺し続け、
気が付けば「キラ」と呼ばれる存在になっていた。


「また一歩、綺麗な世界に近づけられた気がするよ」
「ククッそうかよ」


僕は正しいもの、真面目なもの、優しいもの、弱い物、…そして…──綺麗なもの。
大切なひと…が生きるに相応しい、"綺麗な世界"を作ることを目的として動いていた。
僕は僕なりの正義感で、正しいと信じて犯罪者裁きをくだしてきたのだ。
今ある法を元に考えるなら、僕は殺人犯だ。けれど、僕は間違った事をしているとは思っていないし、後悔もしていない。

けれど──もしも。が真実を知ったらどうなるだろう?
は世間の人々のように、キラについての賛否を口にしたことがない。
僕も、にキラについての解釈を、訪ねる事ができなかった。

だけど、僕がこれから作り上げるきれいで美しい世界で。
僕の隣にがいないなら、意味はない。
──もしも。キラとして犯罪者を裁いたことをが「悪」だと否定されてしまったら、
僕はどうしたらいいのだろう。
万が一、ノートのことがバレそうな事態に陥れば、僕は家族でも殺す覚悟を持ってキラとして動いていた。
それくらいの犠牲を払う覚悟がなければ、到底こんな役は務まらないだろう。
家族でさえ切り捨てられる覚悟が持てるからこそ、僕こそがこの役に相応しいと確信しているのだ。

──それでも…だけは、僕には殺せないだろう。
多くの人達のために…何よりも、のために作り上げているこの行動を、に否定されたら──。


***


デスノートを人間界に落とした元の持ち主、死神リュークの証言により、
僕に尾行者がついている事がわかった。
捜査本部の情報がもれた事で、警察関係者や、その身内が疑われているのだろう。
殺人ノートなんて非現実的な存在など、誰が想像できるだろうか。
いくら尾行されても、バレるとは思えない。けれど、長期間に渡れば、可能性は0ではなくなるだろう。
だとすれば、早めに消しておく必要があった。
そして、僕は犯罪者を使ってデスノートをを使った死の状況に、どれだけ自由がきくのか実験を重ねた末、ついに尾行者を消すための第一歩を踏み出す日を迎えた。


「9時…少し早いけど、大丈夫だろ。何人かあたってみよう」

僕を尾行している人間を始末しようと計画した。
そのためには、尾行の人間に、受験勉強の息抜きのデートをしている、という風に認識させる必要があった。
そして、適当な女子を連れて、スペースランド行きのバスに乗る。
そこからが勝負だ。

「何人かあたる?」
「ああ。…こう見てて、僕はモテるんだよ、リューク」

携帯電話をパチンと開いて、電話帳からめぼしい名前を見つけようとスクロールさせた。
僕の交友関係は広い。電話帳には何人もの男女の名前が連なってる。
とりあえず、美奈子か──ユリか。いや、ユリから連絡してみよう。
サイコロを振るように、適当に采配したところで。
その瞬間のことだった。

トントン、とノックの音が聞えて、発信ボタンを押す手をピタリと止めた。

ノックの音だけ聞こえて、何も声がしないので、少し不審に思った。
粧裕も母も、遠慮する性質ではない。いつもだったら、形だけのノックをして、ドア越し大声で声をあげるはずなのに。


「……はい?どうぞ」


訝し気にしているのを隠さず、少し低い声で招き入れると、開いた扉の向こうに、予想外の人物が立っていた。


「……?」
「月くん、おはよう」
「…お、はよう…どうしたの?こんな朝早くに…」

僕は出来るだけ平静を装うとしたけれど、どうしても言葉がつかえてしまった。
は困ったように眉を下げている。
朝早くに突然押しかけてしまって、驚かせてしまった…。
が今考えているのはそんな所だろう。
けれど、尾行者を消すためとはいえ、という最愛の女性を差し置いて、
適当な女と"デート"をしようとしていた後ろめたさで、どうしても声が上ずる。
握っていた携帯を閉じて、とりあえずがどういう要件で僕の部屋にやってきたのか、聞くことにした。


「あの、朝起きたら、うちの様子が変で…荒らされてるってほどじゃないし…強盗とかじゃないと思うんだけど…お母さんが、警察に相談するって。だから、一日外に出ててほしいって」
「そう、なんだ…」


強盗じゃないだけマシと思っているようだけど、僕は逆に、金品目的の強盗よりも性質が悪い輩に目をつけられたのでは、という疑惑がわいていた。
家の父親は、うちの父に負けず劣らず、それなりに地位のある立場にいて、責任があり、忙しく働いている。つまりは、不在がちだ。
ほぼ母娘の女二人で暮らしている家が、不審者に目をつけられたかもしれない…というのは、不穏すぎる話だ。
どうせ今日は塾もない、学校もない土曜日だ。傍にいてやりたいし、解決するための手助けをしてやりたいと思った。
けれど、僕は尾行者を消すための段取りをもう考えて計画しているし、あまり先延ばしにする事はできない問題なのだ。
どうしたらいいか考えるために、時間稼ぎに曖昧な相槌を打った。


「…それは、心配だよね。…お母さんの言う通り、は家にいない方がいい」
「…うん。図書館にでも行こうかなと思ってて…」


のその言葉を聞いた瞬間。僕の中には、もうを置いて出かける、という選択肢はなくなっていた。
無罪放免となった犯人が、近所に住んでいる土地だ。
その上、気持ち悪い笑みを浮かべて犯行現場に舞い戻っていたのを目撃してる。
トラウマを思い出させるような事はできない。だから僕はあの事件の日から、出来るだけ思い出させないようにしたし、を図書館付近に近づけないように努めてきた。
だというのに、その努力が水の泡になろうとしている。
──万が一のことがあったらどうするんだ。
僕が呑気に適用な女とスペースランド行きのバスに揺られて、尾行者を消している間に、
何より優先すべきが害されてしまったら──。

──僕は、考えた。


「…──それなら……僕と一緒に出掛けない?…たえば…スペースランドに行くとか。僕もも、息抜きが必要だと思う」
「…え…そんな。月君…それは…迷惑にならない?気を使わなくていいんだよ」
「気を使ってないと言ったらウソになる、…でも、一緒に出掛けたいのは本当だよ」


僕は打算と下心、半々を織り交ぜつつ、をデートに誘った。
尾行者に怪しまれない様、デートを装うための道具にしたいという打算。
そして、と二人きりで出かけたいという下心。どちらも本音なのだ。
それに加えて──
──上手くいけば。僕を尾行している人間の身分証明書を確認し、尚且つ。ずっと抱いていた、に関する"とある疑問"を解消する事ができる。
一石二鳥なのだ。

「夜神月が尾行者の身分証明書をみた」という事実は、絶対に隠さなければならない事だ。
これが万が一にでも捜査関係者にもれてしまえば、今後の展開によっては、一気に僕=キラだと繋がり、即座に確保されかねない。
だから、今日のデートの相手は後腐れのない人間を選ぶべきだったなのだ。
決して、人気者の僕とデートをしたという事を言いふらさない子。
尚且つ、万が一の時は、僕が口封じをできる都合のいい人間──

──は、その条件に当てはまらない。
僕には、のことを殺せない。

──けれど。

僕がこれからも長くキラとして世の中に君臨し続けるとするなら、
家族よりも長く、身近に過ごしているには、いずれ疑念を抱かせる局面も出て来るかもしれない。
僕は家族や警察、そしてLすら完璧に欺く事が出来る、という自信があるけど。
心底気を許しているの傍でリラックスをして、ボロを出さない、という自信はなかった。
僕だって人間なのだ。
一番ベストなのは、に抱かせた疑念を疑念のままで終わらせること。
つまり、僕がキラだという真相を、最後までに知られないことだ。
でも、もしもが真相を知れば、どうなるのか──

──まだ、少しも想像がつかない。でも、僕は、その想像を少しでもクリアにしておく必要があった。
がキラの裁きを、一体どう思っているのか。
もし幼馴染で恋人の夜神月がキラだと知ったら、どう感じ、どう行動するか。
探りを入れる必要があったのだ。
──リスクを侵してでも。いや、あえてリスクを侵す方法でもって。

最初こそ葛藤したものの、尾行者潰しのために、をスペースランドに連れて行ったのは、最終的に僕にとって、重大な意味を持つ、賭けとなったのだった。


「ほら、支度しておいで。…いくらでも時間をかけていい…って言いたいけど…そうだな。一時間以内だと助かるかも。…たくさん遊びたいからね」


ちくりと罪悪感が胸を刺す。これから僕達が乗る予定のスペースランド行きのバスの中で起ることは、決して穏やかなものではない。
怖い目にあっても尚、は遊びたいと思うだろうか。

僕は白い息を吐きながら、玄関前でを待った。
しばらくして支度を終え、僕の元に賭けよってきた
はふんわりと足首まで広がる淡いクリーム色のスカートに、淡いピンクのニット、そして淡さを引き締めるように、黒いコートを合わせてきた。
ヒールのないパンプス、長い髪を緩く巻いて、ピンクを基調としたメイクをしている。
完全に、デートをするために着飾っている。
バス停に向かいながらも、罪悪感は未だ止まない。


「スペースランド…行ったことないな。デスティニーランドと比べて、どうなんだう」
「夢の国よりは狭いし、そうだな…こうしてふとした時、気軽に遊びに行けるテーマパークって感じだよ」


僕たちが乗るのは、11時27分発のバスだ。
自宅が不審者に漁られた形跡があったことと、僕に迷惑をかけてしまったかもしれない、という二つの懸念でぎこちなかったも、今は純粋に遊びに行く事を楽しみにしているようだった。
僕はの手を取りながら、エスコートするようにバスに乗り込む。
微妙な時間帯にバスに乗ったために、乗客はまばらだ。僕たちと、尾行者も含めて、全部5、6人だろうか
は前方よりもり後部座席の方を好んで座る傾向がある。
身についた習慣で自然と後方へ向かってしまった。
けれど、この後起こる事も考慮すれば、後部座席の二人掛けを選んだのは、間違いではなかった。
バスが走り出すと、走行音とアナウンスが車内に響く。
そんな中、窓の外を眺めることもなく、名前と笑顔で見つめ合いながら、他愛のない会話を続けていると。


「──このバスは俺が乗っ取った!」

11時31分。公園東口の停留所から乗り込んできた男──
僕がそうするようにデスノートに書いて仕向けた麻薬常習犯、恐田奇一郎が、
運転手にピストルを突き付けて、銃をつきつけ、そう叫んだ。


****


僕たちを監視するために、真後ろの席に座った尾行者に、身分証明書を見せるように仕向けた。
尾行者の名前はレイ=ペンバー。FBI捜査官だと知る。
Lの指示により、極秘で日本に12人のFBI捜査官が潜入しており、僕や、僕以外の警察関係者たちを尾行し、調査していたようだ。

──思った通り。バスジャック中に起きた出来事は、には知られては"困る"ことだった。
あの時の角度からして、身分証明書に書かれたレイ=ペンバーの名前までは、に見られていない。も見ようとはしていなかった。
が。後部座席に乗っていた彼が、FBIだということ自体は、にも知れてしまったのだ。

しかし、悪い事ばかりではない。リスクを背負った甲斐があったというものだ。
今後、がこの事を誰かに言うか、誰かに聞かれるか。
FBI捜査官12人が抹殺されたと聞いたときに、何か疑念を抱くか、どうなのか。

を試すためには──僕の今後の身の振り方を考えるためには。
──十分に、危険を冒すだけの価値があったと言えた。
が大切であればあるほど、僕は自分の身を危険に晒す意味がある、そう思っていた。

2025.8.29