第25話
2.神の恋その恋に自惚れる

喫茶店を出て、月くんと流河くんが病院に駆けつけていく姿を私は見送った。
いくら家族同然の付きあいをしていると言っても、こんな深刻な状況で駆けつける程に親しくはない。
その上、流河旱樹…Lも一緒に行くというのだ。
心配な気持ちがない訳ではないとはいえ、尚更私が顔を出すのは気が引けて来る。
テストを受けさせられても尚、私はやはりおまけ扱いで、月くんのように強く捜査協力を求められている訳でもないのだから。

***

総一郎さんはやはり"大丈夫"だった。
と言っても、体が弱っているのは確かなので、しばらく入院が必要なのだという。
心臓麻痺ではなく、過労による心臓発作を起こしたらしい。
面会遮断するほどの重病ではないらしいけれど、やはりお見舞いにいくのは控えようと思った。
私が会う事で心臓に負担をかけてしまうような、敬遠の仲ではないけれど。
二人きりで会って安らぐような親密な仲ではないのなら、やはり体に障るだろう。


そんな日々を送っているうちに、世間はあるニュースでもちきりになった。
──"第二のキラ"が現れたのだ。

以前からキラ関係の話題を積極的に取り上げるさくらTVに、第二のキラを名乗る人物からビデオメッセージが届き、それが放映された。
その放送は、皮肉にも、リンド・L・テイラーが殺された中継を見ていた時のように、私もお母さんと一緒にリビングでみていたのだった。

第二のキラは、太陽テレビのメインキャスター・日々間数彦を、
指定した時間に心臓麻痺で殺してみせた。理由は「キラを悪だと主張し続けてきたから」と、たったそれだけの理由で。
次にもう一人。24チャンネルで生出演仲のコメンテーターが、心臓麻痺で殺されてしまった。
理由は同様だ。

第二のキラからの声明が流れた後、さくらTV前の様子を画面に映し、アナウンサーが中継を始めた。
そこに、車でさくらTVに乗り込んだ男性の姿が映り、すぐさま第二のキラに殺された。
推理テスト中、キラが人を殺すには顔と名前が必要だと話していた気がする。
顔はテレビに映ったから見れたとして、あの人の名前はどうやって手に入れたんだろう…元から知り合いだったのかな、なんて考えているうちに。

やはりその中継を見かねたのだろう、一台の警察車両…護送車がさくらTVに突っ込み、誰かが顔を隠しながら中へ突入した。
そして暫くした後、突然映像は途切れる。

──後日。
あれは実は総一郎さんの仕業で、中継を止めさせるため病室から飛び出し、単身で乗り込んだのだと、事の顛末を月くんから聞いた。
私はキラ捜査班の一員ではないけれど、推理テストの時に一般人が知ってはいけない色々を知ってしまっている。
そのせいで情報規制が緩まっているのか、わざと情報を流させる事でLは私を試しているのか。
何にせよ、軽い内情は教えてもらえるようになったのだった。

捜査本部の一員となり、ついに本格的に動きだしてしまった月くんの姿をみて、私は明るい気持ちにはなれない。
ふとした瞬間、ため息をつくようになってしまった。
それと同じように、お母さんもここ暫く、沈んでいるようだった。
大なり小なり、キラという存在が世間に台頭してからの国民は、喜怒哀楽を酷く乱されてる。怖がる人。楽しむ人。喜ぶ人。悲しむ人。


「…この世界はどうなってしまうのかしら」


──これからの未来を憂う人。ふと、台所に立ちながら、呟いたお母さんの一言がずしりと胸に重くのしかかった。
その時リビングのソファーでくつろいでいた私は、何の言葉も返せなかった。
口は動かせなかったその代わり、ずっと私の背後で見守り続けてくれている天使様を、ばっと振り返ってしまう。
物語のことを、天使様は教えてくれない。その方針はわかっているけど…きっとそれが最善なのだと、信じているけど。
それでも、「どうなってしまうのだろう?」と、疑問を抱く事は止められない。
自分をLだと名乗っている流河旱樹が本物のLなのか。だとしたら、主人公二人が協力してキラを止めようとしているどころか、お互いの腹を探り合い対立しているようにも見えるこの状況を、私はどう捉えればいい?
天使様は私の視線の意図に気付いて尚、やはり何も答えてはくれなかった。
ならば自分の力で考えるしかない。物語の王道を想像するなら…

「主人公たちが疑心暗鬼に陥っているこの状況は、物語を面白くするだけの"スパイス"で、やはり最後は心から信頼し、協力してキラを捕まえる」
これしかない。そう思う。これが今思いつく、一番の最善手で、そうであってほしいと願ってやまない未来だ。
──ああ、だめだ。これ以上深く考えないようにしないと。
こういう事を考えてしまう度に、雑念を振り払うように頬を叩き、気を引き締める。
「知識がない事が武器になる」というこの物語の世界で、何かを察してしまう事は悪手だろう。
私はただ、受け身になり、明るい未来を待つだけ。それでいいのだ。

──その後も、第二のキラと名乗る人物からのメッセージ、そして本物のキラと名乗る人物からのメッセージが届き、キラ同士がさくらTVを介してやり取りを続けた後。
「キラさんと会う事ができました」と第二のキラが言った瞬間、世界は震撼したのだった。

***


世界はどんどん混沌としていった。
しかし犯罪率は下がっているのだという。その事だけを見れば、吉報のように見えるけれど。
国民はみな怯えているか、ゲームを楽しむように興奮している。
理由はどうあれ、同様に、皆の心が落ち着かなくなってるのは確かだった。

そんな騒ぎが起こる中で、月くんから珍しく、電話がかかってきた。
自室のベッドで小説を読んでるところ、鳴り響く携帯の画面に「夜神月」の文字を見つける。
通話開始ボタンを押してから、耳にあてる。

「もしもし、…どうしたの?」
「遅い時間にごめん、…ちょっと、話したいことがあって」
「…直接会って話すんじゃ、きまずい話なんだね」
「…さすが、伊達に付き合いが長くない…察するのが早くて助かるよ」

月くんと電話する機会はそう多くない。出先にかかってくるならまだしも、
お互いが自室にいるのに、わざわざ電話で話し合うなんてした事がない。
話がある時は、お互い必ず直接部屋に尋ねにいくからだ。
カーテンの隙間から見えるお向いさんの二階の部屋…月くんの部屋には灯がついてる。
やはり在宅なのは間違いない。
なのに電話をかけてきて「話したいことがある」なんて。
私がLほど鋭くなくても、すぐ意図することは分かった。

「……」
「…月くん?」
「…ああ」
「…そんなに話しづらいこと?」
「そう、だね…」

珍しく歯切れの悪い月くん。急かすつもりはないのだけど、電話越しに黙られてしまうとどうしたらいいのかわからない。
直接対面してるなら、相手の表情や仕草をみて判断できるけど…
月くんが今、どんな顔をして話をしているのか。
物理的な距離はもちろん、心の距離も遠く感じて、寄り添うことができない。
月くんは、電話をかけてきた以上、話したい事は既に頭の中にまとまっていたのだろう。
問題は、それを切り出す踏ん切りをつられるかどうか。
そこまでは推測できても、"どんな話を"切り出そうとしているのか、というのは、本当に尊像がつかなかった。
ようやっと決心がついたようで、「もし…」と一言おいてから、その先を続けた。


「…もし。僕が他の女の子と仲良くしたり…キス、したりしたら…はどう思う?」


──こんな事を言われるなんて、予想できるはずがない。できなくて当然だった。
私は言葉を失った。そしてそのまま、何も言う事でできなかった。


「……」
「……?」
「…ごめん、きる、ね」


震える声で、なんとかそれだけ言って、通話終了ボタンを押した。
そのままベッドサイドに携帯を置こうとして、手から滑り落ちて、フローリングに落ちてしまった。
携帯が壊れていないか心配する余裕もなく、震える手を口元にあてる。

私は間違いなく、酷く動揺していた。
──"動揺している"、という事実に、動揺し、困惑していたのだ。

今の月くんの問いは、つまり、「浮気したらどうする?」と聞かれたも同然なのだ。
ただの幼馴染が浮気したからと言って、軽蔑こそすれど、傷つくはずがない。
なのに、どうして私はこんなに動揺してるの?月くんはそんな事する人じゃないと、信じてたから?
それならただ軽蔑して、苛立つだけでいい。
なのに、なんで私の声や、手は震えているの?なんで、こんなに胸が痛くなるの──

──なんで、涙が溢れてとまらないの。
その答えは、たった1つしかない。


「っ!…入るからねッ!」


──電話越しにしか話せないのだと言っていたのに。
ノックもせずに私の部屋まで駆けこんできて、息を切らせているこの幼馴染のことを、私は──

──すき、だからなのだろう。
恋を、しているんだろう。

キスをされて、優しく甘やかされて、宝物のように扱われていくうちに──絆された。
いつかそうなればいいと願っていた夢のようなものが叶って、すごく嬉しかった。

──だというのに、叶った夢はすぐにガラガラと音を立てて壊れる。こんなにも惨い恋があっていいのだろうか。


「…ほかに、すきなひと、できた…?わ、わたしが、月くんと同じ、きもちをかえせなかったから…」
「っそんなことない!そんなんじゃないんだ…!」

月くんは部屋の扉を閉めると、
ベッドに座って項垂れる私の肩を掴み、言い聞かせるように言った。

「僕がすきなひとは、だけだよ…」
「……そう、なの?」
「そうだよ…」


項垂れていた首をあげて、ようやっと視線が合ったことで、ほっとしたような表情をした月くん。
そのまま抱きしめて、私の頭を宥めるような撫でた。

「……でも」


月くんは、歯切れ悪く一言だけ言い、少し緊張したように体を強張らせていた。


「でも、どうしては…同じ気持ちを返せなかった、と言っていたのに…なんで…泣いてるの?」


恐る、恐る。問いかける月くんの表情は、どんなものだったのだろう。見えないから、想像するしかない。
でも、伝わる吐息とか、心音とか、私に触れる手付きとか。その全てで、悟ることができた。
知りたいけど、知りたくない。そういう緊張で、今月くんはいっぱいなのだろうと。


「僕が他の女の子とキスをするのが嫌だって思って、泣いている。……僕は、そうやって自惚れてもいいのかな」
「……」
「恋をしているわけでもない、ただの幼馴染が…他の女の子とキスしても、何も感じないはずだよね」

私の口から否定する言葉が出て来るはずもなく、するりと肯定する言葉が零れ落ちた。

「……うん、そう…」
「……」
「わたし、いつの間にか…こんなに、月くんのことすきだったんだね。…恋を、してたんだ…」
「……あぁ……!」


うれしい、と言いながらキスをして、私をぎゅっと抱きしめた月くんの仕草の、なんと優しい事か。
いつだって、まるで壊れ物を扱うように私を触る。
そんなところが、すきだ。幼い頃からずっとそう。
はじめて私に恋をしてから、月くんは、ずっと初々しいまま。
どれだけ長い間、その恋心を保ち続けてるのだろう。その一途さ、純真さが愛しい。
私は月くんが抱く、私への恋心を疑ってない。
愛情だけでない。月くんという心根の真っすぐな善人を、この世の誰よりも信じてる。
たとえ他の女の子とキスしてても、仲良くしてても──

「──いやだっておもうけど。泣いちゃうくらい悲しくなるけど…でも、信じちゃうかな。
何か意味があってそうしてるんだろうって。…月くん、一途すぎるから。私以外に恋してる姿なんて、想像できない」
「……が自惚れてくれるのが、最高にうれしいよ。僕の恋心を信じてくれてる…それがこんなにも幸せだなんて…」

抱きしめながら、ぽつぽつと話す。
捜査本部の一員となり、第二のキラが現れたこのタイミングで、真剣に相談されている──この事から見ても、やはり意味を感じざるを得ない。

それから何度か触れるだけのキスを重ねると、それ以上に深まる事はなく、名残惜しそうに離れる。そして私の背中に回していた手が、緩々と解けていった。
そして私の隣に腰かけて、少しそっぽを向いている。
寝る前に読書をしていただけで、部屋の明かりは絞ってる。ベッドサイドにあるランプだけが光源だった。
見えない以上、確信はないけれど…今、月くんの頬は、赤くなっているような気がした。
多分、いつかのように間違っても勢いで押し倒しでもしないよう、留めようとしているのだろう。
少し距離を開けて座り直した姿をみて、微笑ましくて、笑ってしまう。


「最近、月くんはずっと忙しくしてたから…二人でゆっくり話すのって、久しぶりだね」
「ん…そう、だね。授業が終わったら、捜査の方にも加わってるから…どうしても、ね」
「…流河旱樹…あの人がLって、本当だった?」
「……僕も最初は影武者かと疑っていたけど…、…まあ、色々あってね。彼はL本人だろうと確信できた」
「…あのひとがL本人だっていうなら、尚更不思議。…なんで私まであの時、テストを受けさせられたんだろう。キラは頭がいい人だと思われてる…でも、私が東大に入れたのは、月くんのおかげだよ?」
「何言ってるんだ。は頭がいいよ、昔からね」

お世辞でもなんでもなく、冗談を言ってる子供を笑うみたいに、月くんは微笑んだ。
そして頭を撫でる。月くんに勉強をみてもらわなければ東大に受かるはずもなかった。それは事実だ。
幼い頃の私を賢いと認識したのは仕方ない。
けれど、大人になった今現在も、本心から「賢い」と言い続けてるのは、どうしてなんだろう。

「…ここで頭のよさを認められると…、月くんも、私がキラだって疑ってるみたいにみえちゃう」
「はは。ごめんごめん。でもがキラだなんて、少しも疑ったことはないよ。…多分…Lが本当に疑ってるのはね、…僕だけなんだよ」
「お父さんが刑事局長で、東大首席入学…しかも全教科満点満点合格しちゃったんだもんね」
「それも大きいだろうね…。…そして、が疑われてるのは、そんな夜神家にほとんど入りびたり、自由に出入りさえ出きて、尚且つ、僕とずっと一緒にいるからだと思うよ。殺人幇助…共犯関係…そういうとわかりやすいかな」

月くんの共犯、という言葉で、腑に落ちた。
ずっと自分の中で巡らせていた"もしかして"という疑問に確信が持てて、すっきりした。
監視カメラをつけられた理由も、テストを受けさせられた理由も。

「…やっぱり、そうなんだね。…そんな風に疑われる程一緒にいるんだ…」

それはどうなんだろう。
私が物語中のキャラクターに成り代わったのか、そうでないのか。
どちらだとして、物語の知識がない以上、どうする事もできない。
ただ、何かしようとする度、何かが起こる度。
「どうしよう、どうなるんだろう」と、ずっと疑問を抱き続けることを止められない。
一緒に居続けることで、本来の物語の展開を邪魔する事はないのだろうか。
私が表情を曇らせると、どう思ったのか、月くんが私の手を握って、視線を合わせ、強く言い聞かせてきた。


「…だからと言って、僕は疑いを晴らさせるためだけにと距離をおくなんて…そんな理不尽な事はできない。それに、なによりも…」
「…なによりも?」
「……僕が、と離れて過ごすなんてこと…きっと耐えられないから」


握っていた私の手を取って、自分の額に当て、目を伏せた。まるで祈るように、懇願するように。


「…離れるなんて、言わないでくれ。…小さいころからずっと一緒で、…賢いは気づいてるはずだよ。…誘拐犯の心理さえ見抜いたんだからね」

あまりにも切なく言うものだから、話している途中で、私は空いた片手で月くんの頭を撫でてしまった。
月くんはそれに気が付いてぱっと瞼を開けて、ふと微笑んだ。
祈るように持ち上げていた私の手を下して、月くんは自分の両手に閉じ込め、手遊びを始めた。


「僕が日々退屈だと思っていたこと。…周りの人間を、いつからか、冷めた目でみるようになったこと」
「……うん、なんとなく…」
「でも、そんな風に敏いだからこそ…もしかしたら、僕が思うよりも…ずっと昔から伝わっていたんじゃないかな。ずっと口にはしないようにしていたけど…」

月くんは眩しいものを見るような目をして、私を見つめていた。その瞳には、私しか映っていない。

「僕はにもうずっと前から恋をしてるんだ。…いや、心から愛してる」
「……」
「僕は、とすごしてる時だけは…この世界や人々が、全部綺麗なものに思えてくるんだよ」


月くんの言葉に、嘘はない。私は月くんの恋も、言葉も、全て信じてる。


「……一生手放したくない。今さら手放せないよ」


──例え女の子と歩いていようと、キスをしていようと、その心を疑わない。


そしてしばらくすると、月くんの宣言通り、ミス東大と呼ばれている高田清美や、
モデルの弥海砂など、色んな女と連れ歩く姿を目撃したり、様々な噂を聞いたりした。
それでも、私は泣きもしなかったし、悲しいとも思わなった。

「これで間違ってないよね?天使さま」
『ああ、これで間違ってない。あなたはただしい道を歩んでいるよ』
「そうだよね…」

私は夜神月を信じてる。──私は天使様も信じてる。

──だから。


「──!第二のキラ容疑で連行する」


背後から声をかけられ、突如手錠、アイマスクをつけられ、車に乗せられても。
私は怖くなかった。天使様の言う通り。ならばきっとこれは物語の通り。
自然の理のように受け止めて、私はなすがまま、抵抗しなかった。


2025.8.29
※第二のキラと世間が認識するタイミングを間違えてました。後日修正します